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3月 192018

ナラティブ・クエッショニング

一昨日の中川米造シンポジウムで学んだことの復習を1つだけ。保健医療行動科学学会の会長であられる中川晶さんとたまたま懇親会で立ち話をして、とてもおもしろいお話を聴いた。物語論の1つの臨床的応用になる。その解説が学会の方で公開されていたのを読んだところ。カウンセリングとはちがうんだよね。私は学生たちに自分の物語を書かせることをしてきたので、すぐに使えそうな気がする。

http://www.jahbs.info/TB2017/TB2017%202-6.pdf

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3月 62018

ガーリー総論

野村一夫の社会研究メモ
2016-01-15
ガーリー総論:社会の重力に逆らう文化的覚醒に関する予備的考察(野村一夫)
初出
女子経済学入門

ガーリーカルチャー研究リポート
編者 野村一夫
著者 国学院大学経済学部経済ネットワーキング学科1年2組全員・2015年度・基礎演習B
f:id:nomurakazuo:20160115135715j:plain
ネット1年2組・基礎演習B最終課題
12月16日提示
冊子「女子経済学」プロジェクト
ガーリー・カルチャーの歴史・現在・可能性
未踏の領域を開拓しよう。
クラウド出版システム利用(新書サイズ)けっこう画期的!
課題 選択した文献・資料について、論点をまとめる形で解説し、そこから想像できる近未来のシナリオを提示せよ。A4で本文1枚以上10枚まで。写真は貸与された文献・資料の写真をふくめて3点まで。必ず自分で付けた見出しタイトルと自分の名前から始めて、最後に文献・資料のデータ詳細を正確に書いておくこと。図表などを入れたいときはスマホで写真を撮って画像データ(JPG)にすること。ネットから画像をパクることは厳禁。
2016年1月10日締切
すぐに編集開始
1月13日 クラスでゲラ最終校正のちトッパンによる微調整。即日、印刷工程へ。
1月20日 新書形式で出来。関係者に配布。非売品。
学生27人が参考文献のレビューを担当し、そののちに私によるまとめとして、つまり授業内企画の一環として、書き下ろしたものである。

ガーリー総論

社会の重力に逆らう文化的覚醒に関する予備的考察

野村一夫(国学院大学経済学部教授・社会学者)
 基礎演習Bの最終テーマは「女子経済学入門──ガーリーカルチャー研究リポート」である。なぜ「ガーリー」なのかというと、現代日本の経済・社会・文化において際だった創造的なカテゴリーだと感じるからである。とりわけポピュラーカルチャーとサブカルチャーの領域においては、ある種の美意識が駆動力になっており、それはたんに「女性性」には還元できない何か独特のチカラであると感じる。それが「ガーリー」である。従来は「カワイイ」として括られてきたが、この十年間に「女子」という言葉が急速に浮上するようになり、それとともに「ガーリー」領域の輪郭も見えてきたと感じる。
 その私の直感に沿って歴代の野村ゼミ(メディア文化論)では多くのケース研究をしてきた。今回は、そのために集めてきた文献を中心に一気にクラスで手分けして書いてみようという試みである。
 このような文化領域研究に関して思いいたるのは「まず言い当てる」ことがとても重要だということだ。それは学者ではなく評論家や編集者や広告代理店だったりする。アカデミズム的にはあまり尊重されているとは言えないが、この人たちが「まず言い当てる」ことからすべては始まる。「まず言い当てる」とは「名づける」ということだ。だから、ここから議論は始まるのであり、そのような文献を片っ端から読んでいくことが必要なのである。
●少女マンガからL文学へ
 そもそもガーリーなるものが明確に造形されたのは一九七〇年前後に大きく開花した少女マンガというジャンルである。もちろんこれは一気に花開いたわけではなく前史があって、それは戦前の吉屋信子の少女小説であったり、『赤毛のアン』であったり、手塚治虫の「リボンの騎士」であったり、その手塚に大きな影響を与えた宝塚歌劇団であったりする。これらは「少女」と括られる存在に焦点が当てられていた。「大人として成熟しない女子」それを巨大なジャンルとして確立したのが少女マンガであった。
 一九七〇年代の少女マンガに関しては、すでに古典的価値が認められており、多くの評論も出ている。なかでも初期の肯定的評価として代表的なものは、橋本治『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』(北宋社、一九七九年)である。この本は今は河出文庫版で読める。この本で論じられている作家は、倉田江美、萩尾望都、大宅ちき、山岸凉子、江口寿史、鴨川つばめ、陸奥A子、土田よしこ、吾妻ひでお、大島弓子である。彼女たちが描いた「純粋少女」の多彩な諸領域は、当時の女子だけでなく、男子たちをも魅了した。私も多くの作品を同時代に読んでいる。高校時代にツェッペリンやプログレに凝っていた男子が大学生になって少女マンガを読んだりアイドルに熱を入れたりしていたのである。そこに何か新しい美意識を感じていたと思う。
 このジャンルが再発見した「純粋少女」の世界は、のちに多産なコバルト文庫を生み出し、広範な文化領域に育つ。たとえば吉本ばななの文学的出発点は大島弓子の少女マンガである。それが九〇年代にはすっかりメインストリームになって、江國香織、角田光代、川上弘美、小池真理子、唯川恵たちのいわゆる「L文学」となる(齋藤美奈子編著『L文学完全読本』マガジンハウス、二〇〇二年)。彼女たちは、たんに女子世界の機微を描くエンターテイメントを提示しただけでなく、高い文学性も獲得していく。おそらく、それらは男性中心(マッチョであれ病み系であれ)の近代日本文学では語り得なかった領域だったのだと思う。
●ファッション
 女子ファッションの世界も一九七〇年代に自律的領域に高次化する。既製服の時代は六〇年代からで、それが主流になるのが七〇年代である。この先頭世代は「アンアン」と「ノンノ」に始まる新タイプの女性ファッション誌の編集者・モデル・読者であり、ショップの店員であった。この世代の代表として私と同い年(還暦!)のモデル・久保京子のケースを見てみよう。久保京子『わたしたちは、こんな服を着てきた』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、二〇一五年)によると、ヘップバーンのサーキュラースカート、ツイッギーのミニスカート、パンタロン、ベルボトムジーンズは六〇年代。ストレートヘア、マキシスカート、メイクとネイル、Tシャツ、トレンチコート、そしてDCブランドが七〇年代。何でもかんでも肩パッドの八〇年代、バブル末期のボディコン、本物志向の上質なリアルクローズの九〇年代、そして二一世紀のファストファッション。
 この流れは、今から見ると、ほぼリアルクローズの領域である。なぜなら、それらはちょっとムリすれば買えるものであり、ファッション誌は半ばカタログとして商品がどこにありいくらであるかを表示していたのであるから。もちろんグレードの差はあるにしても、である。とりわけ「ヴァンサンカン」とその姉妹紙「ヴァンテーヌ」は長く高級路線を貫き、とくに後者は高度なファッション・リテラシーの教科書的存在となった。
 メンズの窮屈な「定番志向」に対するレディースの軽やかな「トレンド志向」の構図は、約半世紀続いてきた。いつも新しい流れは女子が作ってきたのである。デザインやビジネスは男性たちが働いていたことはたしかだが、それを競争的に受容してきた女子層の分厚い消費者が文化的な感受能力を発揮してアパレル経済圏を支えてきたのだ。
 その中でさまざまなスタイルが分岐している。この厚みの中だからこそ、その内部で差異化戦略が作動して、多様なテイストが成長していると考えていいと思う。
 その中で注目したいテイストこそ「ガーリー」テイストなのである。広域渋谷圏において特定すれば、おそらく原宿あたりが発信地。代官山や青山や表参道のような「大人」テイストに対して、カラフルで装飾過剰で軽みのある脱デザイン理論的なファッションがその特徴である。代表的存在が増田セバスチャンの世界であり、それを体現している「きゃりーぱみゅぱみゅ」である(増田セバスチャンのサイトはhttp://m-sebas.asobisystem.com/およびhttps://twitter.com/sebastea)。
 かれらの世界はとても洗練されているが、それでも「ぎりぎりセーフ」感はある。じつは「ぎりぎりアウト」でもちっともかまわないのだ。このガーリーテイストには、それを実践する人たちに創作(あるいは二次創作)の余地があるのだ。大人の女性としてふさわしい「上質な無地のファッションにアクセサリー1点」なんてルールに縛られるのを拒否しているのはあきらかで、「下妻物語」の深キョンのゴスロリとまったく同質なのである。自分の工夫で何を足してもかまわない。大人の引き算をしないのだ。いわゆる「ひらひら、ふわふわ」ひたすら足し算を生きる。私はそこにガーリーファッションの「抵抗の哲学」を読み取る。
●アイドルグループ
 そうした先鋭的表現がリアルクローズ化したのが、二〇〇五年以降のアイドルグループだと私は位置づけたい。リアルクローズ化ということは、つまり身近でガーリーな「ロールモデル」になっているということである。
 女子高生風の制服集団がロールモデルになり得るだろうか。エロを求めるオタク男子に差し出されたカワイイ生け贄たちなのだろうか。そういう疑問はありうる。
 しかし、それはちがうと思う。なるほど地下アイドルやキャバクラ嬢や夜の街をさまようJKたちは、かなりかわいそうな生け贄状況を生きていて「なんとかならんか」と思うが、私たちが知っているメジャーなアイドルたちは、その中の勝者である。それゆえ「ロールモデル」になっていると思う。
 AKBは女子の生き方の典型的なロールモデルである。チアガールか体育会系の「勝利を信じて全力でことにあたる」生き方を体現している。「どんな条件でも、自分たちでなんとかする」というのが重要なポイントであって、ステージ上にはハプニングがいつも用意されていて、いかにそれを乗り越えるかが「隠れたカリキュラム」になっている。前向きな(前のめりな)努力の結果としての女子像がここで提示されている。
 それに対して乃木坂は、後発な分、よく考えられていて、ガーリー特有の線の細さに特化しているように見える。少女マンガのように、いつも繊細な女子像である。それは乃木坂のCDの付録映像に典型的に表現されている。ちなみに、ここは映像作家たちの実験場になっていて、これを見るためには三つのタイプを購入しなければならないのがやっかいだが、古いものはYouTubeにたくさんある。私は「乃木坂浪漫」シリーズですっかり感心してしまった。これは太宰治あたりまでの近代文学の朗読シリーズである。これらの作品群については『乃木坂46 映像の世界』(MdN EXTRA Vol.3、二〇一五年)を参照してほしい。
 ちがいはたくさんあるが、しかし、両者に共通なのは、多彩なロールモデル、チームワーク、ドキュメント性である。それは徹頭徹尾ガーリーな物語で、彼女たちのドキュメンタリー映画や裏トークなどは必然なのである。たとえば公式インタビューを参照してほしい。週刊朝日編集部編『あなたがいてくれたから』(朝日新聞出版、二〇一三年)と篠本634『乃木坂46物語』(集英社、二〇一五年)。ここには、ほとんど男子は出てこない。男子はファンたちと裏方さん(プロデューサーもマネジメントも職人さんも)である。
 あと、両方に共通しているのは、地方の女子校のノスタルジックなイメージが再現され続けているということである。全国展開するためのしたたかな戦略ではあるにしても、それが「ご当地アイドル」に直結していることは「あまちゃん」で、すでにはっきりしている。そして女子校。女子だけの世界であれば、かえって多彩な女子像が描ける。
 また、アイドルではないが、オシャレな女子に人気があるのがE-girlsである。こちらはプロフェッショナルなエンタティナー路線。総じて明るいガーリーテイストだが、E-girlsを構成するFlowerというグループは、もっぱら切ないガーリーテイストであって、女子に人気がある。ガーリーなロールモデルも分岐しているということである。この多彩さにも注目しておきたい。さらに東京ガールズ・コレクションでランウェイを歩くようなガーリーなモデルたちも、もっぱら女子たちに人気のロールモデルである。近年、彼女たちのファッションブックが相次いで出版されていて、それらは「こうなるためのマニュアル公開」のようである。
 視点を変えて労働経済学・労働社会学的に着目しておきたいのが、表現系若年女子労働の問題である。ガーリー領域の担い手たちは、そもそもデビュー自体が難関であり、活動できるようになっても激しい競争構造に放り込まれる。人気が出ても浮き沈みがあり、たとえばAKBでは「組閣」と呼ばれる人事異動が頻繁にある。しかも若いメンバーの大量加入によって、トップランクのメンバーも追い詰められている。表現系ゆえに個性の強い女子が集まるから衝突もあり得る。たとえば「ももクロ」の歴史はそういう葛藤の歴史であったりする。
●こじれた女子
 ガーリーなイマドキ少女マンガはないかと探して読んでみたのが『楽園』という季刊誌だった。白泉社なので王道だと踏んだ。とりわけ表紙を担当しているシノザワカヤの作品を読んでみると、言葉が多層的であるのに驚く。だいたい四層構造である。
(1)発話されたはずの吹き出しの言葉
(2)それに対する自分ツッコミの内声の言葉
(3)絵柄に埋め込まれた状況提示(空気感)の言葉
(4)作者が代理している神様か天の声のような倫理的な言葉
 この四層構造の中で主人公は立ちすくんで身動きできないでいる。これを「こじれた女子」と呼んでいいと思う。
 近年注目されているルミネのポスターが提示するのも、「こじれた女子」を抱えながらも突破口を探す、なんとも健気な女子像である。最近、若干の事故も生じたが、それも「こじれ」を表現するための伏線にすぎない。Pinterestでポスターをコレクションしてみたら、なかなかな味わい深いコンテンツである(https://www.pinterest.com/sociorium/)。
 すでにどこかで指摘されていると思うが、ルミネ的コピーの流れを作ったのは雑誌『オリーブ』だと思う。廃刊されて久しい雑誌だが、近年のガーリーカルチャーのめざましい展開において改めて源流のひとつとして注目を浴びており、二〇一五年に『GINZA』の別冊として一号限りの復刊とそれに関するボックスセットが出ている。セットにある『Messages from OLIVE』は特集や写真に添えられたコピーを集めた本である。これを読むと、ルミネ的「こじれた女子」世界は『オリーブ』の延長線上にあることが明確である。
『オリーブ』の世界観については、酒井順子の『オリーブの罠』(講談社、二〇一四年)が圧倒的な深さで論じている。酒井自身が『オリーブ』の愛読者であり高校時代からの執筆者であった。最初に確認しておきたいことは『オリーブ』自体は、それほどこじれてはいないということだ。ただ、ふたつの世界観をミックスしていたことが、のちのち読者に試練をもたらすことになる。それは「リセエンヌカルチャー」と「付属校カルチャー」である。どちらも都会のあか抜けた少女たちの世界であるが、前者は「おしゃれ至上主義、文化系、非モテ非エロ」であり、後者は「モテ至上主義、スポーツ系、おしゃれはママ譲りで実はコンサバ」という生き方である(一〇七ページ)。ヤンキー的・ギャル的な世界とは相容れない点で共通しているので『オリーブ』はそういう敵に対して上手に二つの世界観を同居させていた。「異性の視線ばかり意識した、モテのためのファッションなんてつまらない。自分のために、自分の着たい服を着ようよ!」(一二八ページ)という強いメッセージこそが重要だったからである。少女というキャンバスにおいてモードなファッションの意味合いは「濃縮される」ことになった。
 問題なのは、モテ系ファッション誌は人生の各段階で卒業できる仕掛けがあるが、自分のためのおしゃれ一筋というオリーブ的生き方には「卒業」がないことだ。つまり、ここからこじれるのだ。その結果、大人になってしまったオリーブ少女たちは晩期『オリーブ』のナチュラル志向に居場所を見いだす。無印良品、ナチュラル志向、生成り、無地、シンプルライフなど、さまざまな意匠に「オシャレのその後」を託したのである。
 酒井順子の解釈はここまでである。これをヒントにここ十年ほどのガーリーカルチャーを眺めてみると、『オリーブ』における「異性を意識しない独自のオシャレ世界観」は、世代を超えて生き延びていると思うのである。ところが、案の定、リアル世界の異性が女子に求めるものとは齟齬が生じる。「ベレー帽にロイド眼鏡で、『ブルーマンデー』をぶっ飛ばせ!」(『Messages from OLIVE』マガジンハウス、二〇一五年、三三ページ)なんである。こうしてオリーブ少女の一部はこじれていく。
 心情的な歌詞が訴求力をもったJポップには、こうした「こじれた女子」が満載である。メンタリティとしては中島みゆきが先頭にいたと思うが、中島美嘉は典型だと思う。オシャレで、病んでいて、こじれている。最近は「病み系女子」という言葉も流通している。彼女たちを救うのは、いったい何者だろうか。
●大人女子
 ガーリーは美意識である。ヤンキーやギャルたちとちがって、若いときにオシャレで洗練されたガーリーカルチャーの洗礼を受けて自分の世界観を構築してきた人が、仕事・結婚・出産・子育て・介護などを機にポンッと「卒業」するのは難しい。美意識というものは、それほど脆弱なものではないような気がする。オリーブ少女の場合、その克服の仕方のひとつがナチュラル系に収まるというライフスタイルだったが、それとは別のソリューションがロールモデルとして相次いで提案されている。
 言うまでもない、そのキーワードは「女子」である。「女性」ではなく「女子」を使用するとき、それは隠微な性的世界観からの離脱を宣言している。その跳躍台は「自分のためのオシャレ」という概念である。
 代表的ロールモデルは蜷川実花である。カラフルでガーリーな世界観を徹底的に追求する彼女の作品は、その実生活とともに高い支持を得ている。『オラオラ女子論』(祥伝社、二〇一二年)はその宣言書だと思う。
 そういうガーリー志向の大人女子の「言い分」をよく表現しているのは、先ほどのエッセイスト酒井順子と、『貴様、いつまで女子でいるつもりだ問題』を書いたジェーン・スーであろう。ちなみに後者の「貴様」とは四〇代になった自分のことである(幻冬舎、二〇一四年)。
 大人女子という言い方は、いろいろ波乱含みである。しかし、ここを押さえないとガーリー領域がたんなる極東の一時的なサブカルチャーとしてしか認識できないだろう。もちろん、そんなことはないのである。
 ここで片づけコンサルタント近藤麻理恵にふれておこう。キーワードは「ときめき」である。片づけと言っても捨てることではない。「ときめき」を感じるモノだけに囲まれて生きていこうという提案である。しばしば「断捨離」と混同されるが、決定的にベクトルが反対を向いている。彼女は、たんなる引き算を拒否するのである。これが世界中の大人女子に支持される理由である。世界で三百万部の本を売り上げ、『タイム』の「世界で最も影響力のある百人」に選ばれたのは偶然ではない。ときめくモノだけに囲まれて生きていくという文化的決意なんだと思う。経済学者はこの広大なガーリー領域に気づくべきであり、社会学者はそこに自己啓発的な愚かさを見るのではなく、ひとつの巨大な文化的覚醒を見いだすべきだと思う。
 カワイイカルチャーは低年齢の女の子を志向している。それは幼稚化とも言える。それに対してガーリーカルチャーは必ずしも幼稚化ではないのだ。手元にある月刊誌『LARME』(〇一八号、徳間書店、二〇一五年)の背表紙にはこう書いてある。「私たちは女の子として戦っていく」と。表紙にはSWEET GIRLY ARTBOOKと表示しているこの雑誌の基調は、徹底した美意識のありようの宣言のようである。これにはきっと続きがあるにちがいない。ガーリーテイストを貫く大人女子たちが一斉に街に出る日がきっと来る。
●ガーリーな男子
 昨今、男子もガーリー化している。
 たとえば手元にある『POPEYE』最新号の特集は「Thank you, Olive! もっとデートをしよう。そして彼女を笑顔にしよう。」である(二〇一六年一月号)。デートの仕方を伝授するのはポパイのお家芸だが、今回ここで教授されるのは「男子が女子の文化領域に積極的に入っていこう」というメッセージである。「俺についてこい」でもなく「君が行きたいところに行こう」でもなく、「自発的にガーリーな文化領域に習熟して、積極的にガーリー領域をいっしょに楽しもう」ということである。これは価値観と美意識を共有するということである。ムリにではない。自然に、である。体育会系やビジネスマン系の文化からは離脱して、ガーリー領域に居場所をみつけた男子たちである。ガーリーの方が俄然おもしろいと感じる男子たちだ。
 これには教員としていろいろ思い当たることがある。ちなみに今一番モテる男子は、こういうガーリーな男子である。その他の男子諸君は気がついているだろうか。
 たとえば、アイドルのところではふれなかったが、アイドルのオタクな男子ファンは、じつはかなりガーリーな人たちなのである。いわゆる肉食系ではない。アイドルとかれらのあいだには異性への恋愛感情もあるけれども、むしろ女子同士の友情的な感情に近いものが存在している。かつてのアイドルファンと言えば、たとえば大場久美子のコンサートなんか、強引にステージに上がって抱きつこうする男子がたくさんいて、ボディガードが次々にそういうファンを突き飛ばしている渦中で歌っていたりするのである。ちがうのは後期の山口百恵ファンだけで、そこは例外的に圧倒的に女子が多かったが、それは今のアイドルファン女子に通じるものがあった。「女子が女子に憧れる」そこらあたりを理解しないとアイドル現象はわからない。
 さて、ガーリー化する男子は、たいていファッションから入る。いわゆるオネエキャラの芸能人もたいていファションから入っているし、今もずっとオシャレであろうとしている。ごく一時期に使われた「メトロセクシュアル」がそれに相当する(マイケル・フロッカー『メトロセクシュアル』ソフトバンククリエイティブ、二〇〇四年)。
 これとはまったく別系統だが、いわゆるハードロックの人たちも同じで、レッド・ツェッペリン時代のジミー・ページなんか女の子みたいだった。ロック系には、今でもそういう美意識が連綿と引き継がれている。ヘヴィメタルがそうである。歴史的には「ピーコック世代」と呼ばれたこともある。スーツにネクタイという大人のスタイルに対する抵抗表現であった。ただし革ジャンのパンク系とは異なる系譜である。
 この文脈を広げて概観してみるとトランスジェンダーの領域が視野に入る。最近では安富歩・東大教授の例が注目を浴びた。かれ(あゆむ)は満州国の研究でデビューした経済学者で、その後、オルタナな経済学の可能性を追求する著作をたくさん出していたが、9.11のあとの原発に関する専門家たちの説明に対して『原発危機と東大話法』(明石書店、二〇一二年)を書き、広く注目された研究者である。その先生が、突然、女子化したのである(あゆみ!)。最新刊の『ありのままに』を読むと、その経緯が詳しく書かれている(ぴあ、二〇一五年)。前半を一言で言うと「女子の文化の方がリッチだ」ということになると思う。ただし、この先生にはそれなりの深い心理的葛藤があって、後半はそっちに主題が移るが、トランスジェンダーを「性同一性障害」という「病気」にしてしまうことには反対している。この本によるとマツコデラックスの番組にも出ているそうなので、もう怖いものなしである。おそらくこういう人がほんとうの「新人類」(死語だが)なのだと思う。
 ここで確認しておきたいのは、ガーリーというのは性的嗜好のレイヤーではないということだ。オッサンのみならずマッチョな若者もオバサンたちも田舎の人たちも、総じて低感度の人たちが取りがちなオッサン目線だと「エロ」で括ってしまうことが多いと思うが、ガーリー領域に居場所を見つけた人たちは、あまり性的嗜好のレイヤーでは物事を捉えていない。そういう「エロ」目線の居場所である大人の俗物的な領域こそが唾棄すべきものなのだ。ここは「聖域」なのだ。「神性の宿る場所」なのである。この点に誰よりも早く気づいて膨大な議論を展開したのが大塚英志だった。かれの『少女民俗学──世紀末の神話をつむぐ「巫女の末裔」』(光文社、一九八九年)はその記念碑的著作である。すでにタイトルに大塚の主張が集約されている。「神話」を「物語」に入れ替えれば、もっと正確になる。かれの言うように「少女」は「聖と俗」構図に当てはめれば「聖」の領域なのである。「聖なるもの」に志向した文化領域なのである。そこでのみ感じることができる物語の舞台を自分の居場所として感じる想像力がなければ成立しないのだ。
●ガーリー領域の六次元
 最後に議論を整理しよう。ガーリー領域とはいかなるものか。
 理屈はカラオケに似ている。カラオケは日本発の世界的発明(ジョウ・シュン、フランチェスカ・タロット『カラオケ化する世界』青土社、二〇〇七年)。日本から世界に拡散したカラオケ文化をヒントにして、ここはひとつポジティブに考えてみよう。ちなみにネガティブな姿勢だと「そもそも論じるに値しない」と決めつけてスルーしまうことになるので、ちっとも展開力のある議論にならない。そういうことは、既成概念を食べて生きている優等生やエリートたち、そして若くしてすでにレガシーな大人たちに任せておけばよい。私たちは先に一歩踏み込んで叩き台になろう。
 これまでのざっくりした議論から、おおよその目安を付けて、これから(少なくとも野村ゼミと基礎演習で続くであろう)議論のスタートラインとしたい。ガーリー領域の基本特性を整理しよう。
(1)加算性、バロック、装置または装備、軍服と制服
(2)親密性、舞台仲間、楽園
(3)自分に萌える、自分物語の構築、外からの視線を拒否する、世間の空気を読まない
(4)非モテ、トランスジェンダー志向、女子目線の美、オッサン目線だとエロになる、ロマンチックラブ・イデオロギーに対する抵抗
(5)二次創作あるいはミメーシスの連鎖
(6)世界性、世界制覇、グローバリズムを変形する、ローカルな創造的変形
 以上をもって「ガーリー領域の六次元」と呼ぶことにする。「次元」ということは座標軸ということである。座標軸においてプラスとして捉えることにする。となるとマイナスのことも考えなければならない。かんたんに解説しておこう。以下の六つの説明を「ガーリー領域の六つのテーゼ」と呼ぶことにする。
(1)ガーリー領域のスタートラインは制服であり、その源流は軍服である。セーラー服はもともと海軍の制服である。あるいは通学中のリセエンヌたちの服装である。あるいは西欧の上流階級における少女たちのドレスである。いずれにしても性的領域ではないことは強調しておきたい。そうした定型的なファッションにひたすら加算するというチカラが働いている。何を足すかは学校や親ではなく本人たちの自由である。したがって、しばしばそれは無秩序で過剰になる。つまりバロック化する。ガーリー領域は「大人の引き算」をしない。その点で「大人のシック領域」とは正反対である。これがしばしば大人目線からの非難を招く。なぜなら「大人のシック領域」は世間からの保守的・道徳的視線に対する自己検閲であるから、一種のやせ我慢であり抑圧だから、それに従順な人たちには「ガーリー領域」は許しがたいのである。
(2)ガーリー領域には、あいまいな「世間」という概念がない。しばしば衝突が生じるが、それに対しては抵抗する。この抵抗は美学的なものである。その美意識を共有する人たちが準拠集団になる。親密性が頼りであり、舞台仲間のような人たちである。そういう人たちで完結できればガーリー領域は相互理解可能で自由な楽園である。
(3)ガーリー領域における焦点は常に自分自身である。「自分に萌える自分」(米澤泉『私に萌える女たち』講談社、二〇一〇年)が最大関心事である。自分の物語は自分で構築するという姿勢があって、その分、外部からの視線を拒否する。既成の保守的な世間の空気は読まない。
(4)ガーリー領域は、異性にモテることやセックスをすること、つまり「性欲領域」は志向しない。お互いが天使のようなトランスジェンダー的存在であろうとする。女子アイドルグループや女子校に典型的に見られるように、女子だけの組織や集団のときほど、そういう傾向が強い。競争的に美意識を先鋭化させるからである。「性欲領域」は忌避されるから「友情」の方に価値がある。そもそも「異性愛」と「友情」は次元がちがう。両方を満たす行為はあるが、ガーリー領域を逸脱することになる。これを「卒業」と呼ぶ。しかし「卒業」は「終わり」ではない。一時的な離脱なので許容できる。近年注目されるのは、「卒業」ののちに「復帰」する人が増加しているということである。
(5)ガーリー領域は加算性の文化なので、何でもありである。しかし、まったくの創造がなされるのではなく、既成のアイテムを引用したコラージュでありブリコラージュである。一種の二次創作だと理解すべきである。オリジナルのアイテムの世界観を借用して、過剰に模倣する「ミメーシスの連鎖」としての文化なのである。流行ではないのだ。
(6)ガーリー領域は現在は狭小な恵まれた平和秩序のある社会においてのみ存立する。他方、その他の広い世界において女性は抑圧され、性に拘束され、しばしば直接的暴力と構造的の犠牲になっている。逃げ場のない女性も多い。それに較べるとガーリー領域を宣揚することは不謹慎であり政治的に正しくないと言われそうである。けれども、それと同時に代替案を提示することも必要な政治的・社会的・経済的・文化的・性的課題なのである。
 男性も「男らしさ」の拘束に身動きできない人が多い。じつはゲームやコミックや地下アイドルにどっぷり浸かっている「オタク領域」も近いところにいるのである。リアルな女性とのコミュニケーションに気遣いして疲れるのでは社会生活を送れないことはたしかであるにしても、男らしさ満載のマッチョや、二四時間戦えるかを問われるようなビジネスエリートとは理想を共有できない人たちも多いはずなのだ。
 その意味でガーリー領域は世界性をもつ。グローバリズムの名の下に多様な生き方を許容しない生活を「変形させる」チカラがあるのではないか。何か社会が分岐点に至ったときに人びとが「あっちに行きたい」と思うような魅力的な物語世界が必要なのである。ガーリー領域にはそういう磁力があると思うのだ。
●女子経済学の誕生?
 一応ハテナをつけておいた。経済学部なので、とりあえず経済学としてみたのだが、この場合の経済学は、包括的な意味での「経済」(たとえばポランニーが議論したような)の研究のことである。本学経済学部経済ネットワーキング学科はそもそもこちらの経済概念に準拠している。そう考えれば「女子経済学」でいいのだ。
 このガーリーテイストな経済は、かなりジャパネスクなところがあると同時に、地球的な広がりも持っている。ただ日本においてのみ先に開花しただけであって、他の地域でそうならないのは女子たちが厳しい抑圧状況に置かれ続けているからにすぎない。真っ黒なブルカやニカブの裏地はガーリーに彩られているはずなのだ。日本発のガーリーカルチャーには、そういう裏地を表にする潜在力があると思う。このさい私たちは、美意識こそ人間の経済生活において大きな力を持ちうることを認識する必要がある。たんに所得の高さだけが消費を生むのではないのだ。そして、そういう文化を人びとが求めること自体が平和を維持する力のひとつになると思ってみたりする。たとえば、そのティッピングポインを東京オリンピックで作れないか。とんでもなくガーリーな東京オリンピック・パラリンピックだ。
 というわけで、われらが共同作品『女子経済学入門』の「ガーリー総論」としよう。
 各論を担当してくれたクラスのメンバーは、ほとんど十代である。メンバーにとっては、とっくに「歴史」になっている現象も多いと思う。それを「遅れてきた人」の視点から見るとどうなるかを読んでほしい。
 今回は日程的にとてもタイトだった。説明は一回だけ。冬休みにその課題をこなして休み明けにメール添付で提出してもらって、年明け最初の授業で校正して、その次の最終回で新書として配布するという荒技である。とっくに大人になってしまった人が見れば、この文章がもつ「いまさら感」は、こういう類いのことを初めて考える大学一年生たちのためのヒントになるように即興的に書いた導入的文章だからである。短いヴァージョンを正月二日に書いてみんなに提示して参考にしてもらった。そのあと加筆したのが、この文章である。正解のない文化的世界への招待状とならんことを願う。(二〇一六年一月二日の書き初め。最終稿は一月九日)

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4月 192017

健康の批判理論序説

健康の批判理論序説
野村一夫
“Knowledge is a deadly friend…”(King Krimson)
一 健康と病いの社会学——理論的系譜
二 社会構築主義の導入——理論的核心
三 問題領域の拡大——研究対象
四 公衆衛生学的医療社会学との比較——対抗軸
五 健康言説批判——方法論的戦略
参考文献
一 健康と病いの社会学——理論的系譜
■本稿の目的
医療と社会の関係を問う社会学的研究は長らく「医療社会学」(medical sociology, sociology of medicine)と呼ばれてきた。これについては、進藤雄三による詳細なレビューがある(進藤雄三 1990)。これによってアメリカで急成長した医療社会学の全体像が一気に明らかになった。ところが、その後、八〇年代末から九〇年代にかけて、医療と社会をめぐる社会学的研究は大きく変化した。とくにイギリスとオーストラリアの研究者が活発に研究成果を発表することで、アメリカ種の医療社会学とはニュアンスを異にする、それ自体ひとつの新潮流とも言えるような研究系譜が形成されるにいたったのである。それは通常「健康と病いの社会学」(sociology of health and illness)と総称されている。この一見変哲のない名称のもとにパブリッシュされつつある一連の研究は、しかし、名称から受ける印象のように穏健でもなければ安全でもない。それはむしろ「健康の批判理論」(critical theory of health)と呼ぶべきラディカルさをもつ研究運動であり、その周辺の研究系譜との連接関係を深めることで、強力な理論潮流になりつつある。本稿の目的は、そのラディカルさを中心に、この「健康と病いの社会学」の研究動向のアウトラインをひとまず総論的に理解することである。
まず、この最初の章において、「健康と病いの社会学」とその周辺の研究動向を整理して、理論的系譜をあきらかにしたい。第二章において、「健康の批判理論」と私が総称する一連の研究の理論的特徴を「健康と病いの社会学」に即して明確に示したい。第三章では、研究対象としてどのようなテーマが俎上にあげられるのかをリストアップして、「健康の批判理論」の問題領域を示したい。第四章では、その理論的特徴が、現在まで日本でおこなわれてきたような医療の社会科学的研究のメインストリームに対する有力な対抗軸に位置づけられるものであることを論じて、研究のスタンスについて語りたい。最後の章では、「健康の批判理論」の方法論的戦略を提示したい。そのさいキーワードとなるのは「健康言説」という、私たちが新たに考案した造語である。経験的研究をなすさいの手がかりを明示して、今後展開予定の研究活動の序説としたい。
■機能主義から社会構築主義へ
さて、二〇世紀後半のアメリカで急速に発達した医療社会学と、本稿で取り上げる「健康と病いの社会学」との関係はどうなっているのか。両者は対抗するものなのか、継承関係にあるのか。まずこの点から確認していこう。
デボラ・ラプトンは「健康と病いの社会学」へいたる「医療と社会」研究の理論的変遷を三段階に整理している(Lupton 1994:6-13)。三段階とは、機能主義、政治経済学(マルクス主義)、社会構築主義である。
それによると、まず、機能主義的アプローチ(functionalist approach)では、医師などの医療専門家が日々の業務を遂行するプロセスや、個人が病気に対処する仕方に興味をもつ。この場合、病気は潜在的な社会的逸脱状態と見なされ、医療専門家の役割は、かつて教会が果たしたように、正常と逸脱を区別する力を用いて社会統制の不可欠な制度あるいは社会の道徳的管理者としてふるまうことだとされる。この機能主義的アプローチの指導的理論家はもちろんタルコット・パーソンズである。かれの理論は五〇年代から六〇年代にかけて大きな影響力をもったが、医療社会学への影響は非常に大きかった。
これに対抗する批判勢力として出てきたのが政治経済学的視角(political economy perspective)である。資本主義経済体制の本質に対するマルクス主義的批判がその理論的核心にある。これは七〇年代から八〇年代にかけて支配的な知的運動だった。この観点からすると、真の健康とは、たんに身体的情緒的安寧ではなく、満足するに足るハイレベルの生活を維持するのに必要な資源(これには物質的なものもあれば非物質的なものもある)にアクセスできること、そしてそれらを統制できることにある。この見方からすれば、健康の基軸的構成要素は「闘争」(struggle)以外の何者でもない。
この系譜の研究の中で近代医療の文化的危機を批判する一連の研究の代表格が医療化論である。このテーゼの源泉はエリオット・フリードソンであり、これをイバン・イリイチやアーヴィング・ケネス・ゾラが展開することで、強力な潮流を形成した。この系譜は、医学的知識を哲学的に分析することよりも、一見中立的に見えてじつは支配階級の利害に奉仕するものとして医学的知識をあつかうことが多い。しかし、その批判は矛盾していることもある。医療は過剰に拡張主義的であると批判される(医療化論)とともに排外主義的であるとも批判され、病気は収奪によって引き起こされると見なされるとともに医学的支配によっても引き起こされる(医原病)と見なされる。
第三の理論的立場が、ポスト構造主義と第二波フェミニズムとフーコーの影響のもとに注目された社会構築主義(social constructionism)である。社会構築主義は、もともと社会学理論にあったものだが、上記の諸潮流との関連において修正されたものが「健康と病いの社会学」で有力になっていった。ラプトンのこの本をふくめて九〇年代に次々公刊された「健康と病いの社会学」の研究書はほぼこの立場で書かれている。
社会構築主義が焦点を当てるのは、生物医学(biomedicine)の社会的側面であり、医学ならびに素人の医学的知識の発達であり、さまざまな医療行為である。この立場から見ると、医学的知識というものは、洗練された良き知識に向かって上乗せされるように進歩するものではなく、社会史的状況の中で生起し不断に再交渉されるような、一連の相対的構築物ということになる。
この三段階はおおむね妥当な見方であるが、異論がないわけではない。たとえば、ウータ・ゲルハルトは『病いの諸概念』を次のような構成で整理している(Gerhardt 1989)。
(1)構造機能主義パラダイム——社会的役割としての病いと動機づけられた逸脱
(2)相互作用論パラダイム——専門家による構築としての病い
(3)現象学的パラダイム——間主観的に構築された現実としての病い
(4)闘争理論パラダイム——資源の不足とイデオロギー構築物としての病い
ゲルハルト自身は「批判理論としての役割分析」という著作によってデビューした、批判理論ないし政治経済学ないし闘争理論というディシプリンに立つ研究者であるので、ラプトンとは順序がちがってくるが、(2)と(3)をあわせて社会構築主義に対応すると考えてよいだろう。ゲルハルトのこの研究についてはさらに精読すべき論点がふくまれていると思われるが、さしあたり問題になりそうなのは、相互作用論パラダイムによる医療社会学の取り扱いであろう。ラプトンはこのあたりを無視しているように見えるが、アンセルム・ストラウスたちの研究がシンボリック相互作用論の視角からなされている点から考えると、現象学的パラダイムと親和的であり、社会構築主義に接していると位置づけられよう。
■他の理論系譜との相互連関
「健康と病いの社会学」は単独で発展したのではなく、健康と社会に関する他の研究分野と密接に相互連関して発展したものである。ラプトンが指摘するのは次の四つの学問運動である(Lupton 1994:13-19)。
第一に、医療人類学(medical anthropology)。医療人類学は「健康と病いの社会学」と密着した学問分野で、両者を分離するのが困難なくらいである。伝統的に医療人類学は「病気の解釈とその生きられた経験」に関心をもつ。病気とは、自然と社会と文化とが同時にそれでもっておしゃべりするコミュニケーションの一形式であり、諸器官の言語である。
第二に、歴史学的次元(historical dimension)。ラプトンがこう呼ぶのは、いわゆる社会史研究のことである。歴史学的研究は、西洋の生物医学の慣習が、他の文化ないし他の時代の医療システムより科学的であるとも客観的であるともいえないことを示す。
第三に、カルチュラル・スタディーズ(cultural studies)。たいていの社会科学者は医療を文化的産物と見ないで、文化に外在する科学的知識の客観的実体と見がちであるから、カルチュラル・スタディーズが生物医学や公衆衛生の制度と実践を分析するのに採用されることはめったになかった。しかし、たとえばマス・メディアがさまざまな場面で医療や病気にかかわる出来事を描写することが、この領域に対する人びと(そこには専門家やメディア関係者や行政関係者もふくまれる)の理解に大きく影響することはあきらかであり、カルチュラル・スタディーズがこの分野に有効なのははっきりしている。
第四に、言語論的転回(linguistic turn)。近年注目されているのが、社会秩序と現実感を構築し維持するという言語の役割である。ソシュールから始まったこの視点はロラン・バルトによって大衆文化の分析装置として発展し、やがて記号論者たちが個人を「かれらの文化によって語られた」存在と考えることを節目に大きく変化した。
以上ラプトンが指摘する四つの研究系譜は、社会構築主義に立つ「健康と病いの社会学」の基本論点とそれぞれ呼応するものをもっている。医療人類学は、空間的比較を促すことで近代化論的まなざしを脱し、非西洋医療の正当性問題に気づかせる。また、素人の病気観の文化的意味を尊重する知的態度をもたらす。それに対して社会史研究は、時間的比較をうながすことで、西洋医療の歴史的偶発性(なりゆきしだいでは他のものにもなりえたかもしれない可能性)を再発見させ、近代医学が客観的知識であるという信仰を破壊する。カルチュラル・スタディーズと言説分析は、文化の批判的検討を通じて、現代文化の構築物として医療関連現象を理解することをうながした。このさい人文学的手法による分析の有効性も強調されてよい。とくに表象や言説の解釈からアプローチする手法は経験的研究に対して大きな影響を与えた。
このように「健康と病いの社会学」は、隣接し随伴する上記の研究動向に即しながら発展してきた。これらは不即不離なもので、ひと続きのものと考えたほうが実際的である。しかし、これらをあわせた適切な総称がないのが現状で、そこで本研究ではこれらを「健康の批判理論」と総称して取り扱うことを提案したいと思う。そこには共通の理論的視角・問題領域・研究スタンス・方法論的戦略が存在すると考えられるからであり、総じて医療研究の大きな転換を提示していると考えるからである。以下、章ごとに論点を分けて考察していこう。
二 社会構築主義の導入——理論的核心
■社会構築主義とは何か
「健康の批判理論」の批判性は政治的スタンスに由来するものではない。それは理論社会学的徹底によるラディカルさというべきだろう。その理論的中核にあるのが社会構築主義である。逆にいうと、「健康の批判理論」とは、「健康と病気に関連する問題領域についての社会構築主義的分析理論」なのである。
社会構築主義はもともと現象学的社会学の文脈で知識社会学理論として定式化され、大きな影響力をもった視角であるが、のちに社会問題論に導入されて「レイベリング理論に替わる新理論」として大きな波紋を呼んだ考え方である(Spector and Kitsuse 1977=1992; 中河 1999)。その意味では典型的な社会学主義の一形態と見なすことができる。けれども、社会学以外の知的運動の中で広範な影響力をもったのは、フーコーの一連の歴史研究であり、それに呼応する前述の学問運動の方だった。そのために、今日ではこの経緯が言及されることは少なく、社会心理学者のヴィヴィアン・バーの『社会構築主義への招待』(Burr 1995=1997)においても、キツセらの構築主義的社会問題論への言及はない。これは医療社会学系でも同様であり、その点で社会構築主義自体は社会学プロパーのものとは理解されていないようである。
たとえばヴィヴィアン・バーは社会構築主義を次のように文化や知識を理解する見方であるとしている(Burr 1995=1997:4-7)。
(1)自明の知識への批判的スタンス
世界が存在すると見える、その見え方の前提を疑う。なぜなら、人間が世界を把握するさいに使用するカテゴリーが必ずしも実在する区分を示すものではないからだ。
(2)歴史的および文化的な特殊性
世界を理解する仕方・カテゴリー・概念は歴史的かつ文化的に特殊なものであり、相対的なものであるという認識を徹底する。
(3)知識は社会過程によって支えられている
世界についての知識は、人びとが互いに協力して構築する。具体的には日常的な相互作用によって構築する。したがって、人びとが相互作用において日常的に使用する「ことば」が重要な意味をもつ。
(4)知識と社会的行為は相伴う
世界を特定の「ことば」で理解することは、それ自体ひとつの社会的行為であり、ある種の社会的行為を支持したり排除したりする行為である。つまり知識は社会的行為なのである。
この視点から特定の社会現象を研究するさいに戦略的に重要になるのは、人びとが日常世界においてものごとを理解する仕方であり、そのさいに重要な役割を果たす「ことば」である。社会構築主義では、このような「ことば」を「言説」(discourses)と呼び、その調査研究を「言説分析」(discourse analysis)と呼んでいる。社会構築主義から見れば、世界は言説によって構築されており、歴史的・文化的に規定された特定の言説によって人びとは世界を理解するのであるから、その言説の自明性を疑い、歴史的由来を調査し、文化的布置をあきらかにすることが、その言説の指示する現象の科学的理解につながるのである。
バーの解説は、さまざまな社会領域に適用され、わけがわからなくなりつつある社会構築主義の共通因数について、あらためて説明しなおしたものとして参考になる。しかし、社会学理論との関係と、医療社会学との関係とをもう少し明確に把握しなければならない。
■社会構築主義と医療社会学
社会構築主義と医療社会学の関連をあつかった初期のレビューとしてはマイケル・バリーの「社会構築主義と医療社会学の発展」(Bury 1986)がある。この時点では、構築主義的医療研究のマニフェスト的著作となった、ピーター・ライトとアンドリュー・トレチャー編集による『医学的知識の問題——医療の社会的構築の検証』(Wright and Treacher 1982)がすでに刊行されており、ここに掲載された論文とそれらの著者たちが、バリーのレビューの主要な対象になっている。
バリーは社会構築主義の主要な構成要素を次の五点に求めている(Bury 1986:140-147)。
第一に、生物医学的現実を「問題化する」こと。社会構築主義では医学的知識そのものが問題性を帯びていると考える。その結果、生物医学的現実も自明ではないと考える。
第二に、医学はさまざまな社会関係を媒介すること。医学はその実践においてのみならず、その知識においてもさまざまな社会関係を媒介する。ある経験の領域を「医学的」と呼ぶことは、決定的かつ強力な形と意味を与えるがゆえに、その経験領域を社会生活の他の領域に対して重要な関係の中におくことなのである。そのため構築主義者は、医学と医学的カテゴリーが特定の社会集団と実践を活発にかみあわせる仕方を提示しようとしてきた。
第三に、医学と技術の中立性への疑問。つまり、技術的領域は中立的とは見なせないということである。私たちはものごとを技術的な事柄とそうでない事柄とを分けて議論するが、構築主義者はその区別そのもの自体が問題をはらんでいると考える。この点では技術のイデオロギー性を説いたユルゲン・ハーバーマスらの批判理論と直接呼応するものがある。
第四に、自然もまた社会的に構築されること。したがって「発見」を廃止すること。さまざまな疾病のカテゴリーは中立的かつ合理的な方法の適用による自然現象の発見を合図すると見なすべきではない。逆にいうと、疾病の発見へのクレームはそれ自体社会的出来事であり、それらを社会的文脈におくのだ。この観点からすると、医学も科学もあくまでも社会内部のシンボリック・システムであり、社会外部の自律的領域ではないということになる。医学と科学が居場所にしている技術的・科学的世界は、本質的に「言説の様式」であり「生活世界」である。それらは歴史的かつ社会的な実践から分離され得ないものなのである。「科学とは社会関係である」というのが構築主義の命題である。
第五に、医療の進歩に疑問符をつけること。つまり医学の歴史においてしばしば物語られる直線的プロセスは廃棄されるべきである。あらゆるものごとが別のありようも可能であったことを忘れてはならない。
以上のバリーの行論からわかるように、かれは「批判的アプローチ」と「構築主義的アプローチ」を仕分けながら、その具体的な論点については両者を連続的なものと見ている。これはラプトンが「政治経済学的視角」と「社会構築主義」とを区別しているのと少し異なる。この点については学説史的に詳細な検討が必要だが、焦点になるのは二点あると思う。ひとつは「政治経済学的視角」の始発点にいるエリオット・フリードソンの位置づけであろう。もうひとつは構築主義の徹底の度合いである。サラ・ネトゥルトンの見解は、フリードソンは医学的実践(医学的知識の適用)の社会性は問題にしたけれども、医学的知識そのものの社会性の問題には挑戦しなかったという評価である(Nettleton 1995:19)。マルクス主義そのものには一九世紀的な自然科学信仰があり、技術の中立性の科学論的否定までには行き及ばないのが実態である。おそらくここが分水嶺であろう。ちなみにユルゲン・ハーバーマスがマルクス主義を超えているのは主としてこの論点である。
なるほど社会問題に構築主義を持ち込むことにはさほど違和感がない。しかし、医療行為(medical practice)に関しては適用できても、医学的知識(medical knowledge)そのものにそれを持ち込むことにはかなりな飛躍が必要である。しかし、それでこそ「健康の批判理論」なのである。
■さまざまな社会構築主義
ただ、ここには複雑な問題もある。フィル・ブラウンが「名前づけと枠づけ」という論文で指摘するように、医療社会学に適用された社会構築主義的アプローチには三つのヴァージョンがあるのに、それらがしばしば混同されているのである(Brown [1995]1996:93)。
ブラウンによると、第一のヴァージョンはスペクターとキツセの共著『社会問題の構築』(Spector and Kitsuse 1977=1992)によるものである。かれらの社会問題論はもっぱら人びとの社会的定義づけ過程に焦点を定めたものであり、現実的条件でもって社会問題を定義するという伝統的なやり方と一線を画した。すなわち「社会問題は、なんらかの想定された状態について苦情を述べ、クレイムを申し立てる個人やグループの活動であると定義される。」(Spector and Kitsuse 1977=1992:119)これは、所与の計測可能な実体として社会問題をあつかう伝統的な実証主義の見方に対抗して、見えにくい日常的相互作用と意思決定の世界を見えるようにする試みだった。これはアメリカ流の社会構築主義といえよう。
第二のヴァージョンはヨーロッパのポストモダン理論のものである。その源泉はミシェル・フーコーである。ヨーロッパの社会構築主義は、知識の創造を示すために言語とシンボルを脱構築することであり、状況のうつろいやすく不確かなリアリティを説明するところに独特の特質がある。
第三のヴァージョンは、科学社会学に関係が深い。これを「行為する科学」(science in action)の視角という。それによると、科学的事実の生産というものは、公的な場所に自分たちの業績をプロモートしようとする科学者たちの努力と結合した、実験室の単調な生活をしている科学者たちによって相互に考え出された行為の結果であるという。
ブラウンは以上の三種の社会構築主義を区別した上で、バリーをはじめとする医療社会学者たちが社会構築主義を上記の三種を混合した非常に広い意味で使用していると批判するのである。これでは「社会的構築」という用語に対する独自の所有権を主張できないではないかというのである。
それに対してブラウン自身が対置するのは、シンボリック相互作用論と構造的政治経済学的アプローチの総合したものである。そのさい決定的に重要なのは、「医学的知識の社会的構築」と「病気の社会的構築」を区別することである。
「医学的知識の社会的構築」は専門家の態度の起源とかれらの診断をあつかう。それは、支配的な生物医学の枠組と同時代の道徳と倫理的見解にもとづいて理解する仕方をあつかい、医療供給者の社会化、ヘルス・ケア・システムの専門家的・制度的実践、そしてそれを包み込む社会の社会構造をあつかう。ここでは診断そのものが問題になり、構造的接近が優勢になる。医学的知識の構築についての学問は、専門家の昇進や家父長的態度や帝国主義的労働市場需要のような社会的ファクターをふくむことになる。それに対して「病気の社会的構築」は素人の病気体験をあつかう。ここでは個人・ダイアド・集団の各レベルを取り扱うのでシンボリック相互作用論が優勢になる(Brown [1995]1996:96-97)。
■病いの社会的構築
ブラウンのいうように、「医学的知識の社会的構築」と「病気の社会的構築」とはリンクしているにしても基本的には別の問題である。この点については、以前から医療人類学でしばしば指摘されてきたことであるので、そちらの方で確認しておこう。
たとえば、アーサー・クラインマンは、台湾での調査に基づく著作の中で概略次のように述べている(Kleinmann 1980=1992:79)。疾病(disease)とは生物学的プロセスと心理的プロセスの両方あるいは一方の機能不全をさす。それに対して、病い(illness)は知覚された疾病の心理社会的な体験のされ方や意味づけをさす。したがって、病いには疾病に対する二次的反応がふくまれる。つまり、病いには、症状や役割遂行の減退に対する注意、知覚、感情的反応、認知、評価のプロセスがふくまれ、家族や社会的ネットワーク内部でのコミュニケーションや相互作用もふくまれる。「要するに、病いとは疾病に対する反応である。疾病をコントロールするとともに、疾病を意味あるものにつくりあげ、説明を与えようとする反応である。」(Kleinmann 1980=1992:79)
ちなみに一九八〇年時点でのクラインマン自身は、疾病の構築についてはそれほど突っ込んだ議論はしていないが、両者とも実在ではなく説明モデルであることに注意を促している点で構築主義と呼応する議論をしていた。
要するに「医学的知識の社会的構築」は疾病の構築にかかわることであり、「病気の社会的構築」は病いにかかわることであるといえよう。そして、それぞれが社会的に構築されるものであるというのが社会構築主義の基本主張である。ブラウンによると、この社会構築主義によってこそ、三つのレベルにおける健康と病いを連結でき、その社会的意味を理解できるという。三つのレベルとは次のようなものである(Brown [1995]1996:97)。
(1)ミクロレベル(自己意識、個人行為、対人コミュニケーション)
(2)メゾレベル(病院、医学教育)
(3)マクロレベル(国民の健康状態、ヘルス・ケア・システムの構造と政治経済、国家保健政策)
ブラウンの主張があえて「第四の社会構築主義」というべきものであるかということはひとまず措くとして、社会構築主義に少なくとも三つの理論的源泉があるということ、そして「医学的知識の社会的構築」と「病気の社会的構築」の両方を射程に入れて、ミクロ・メゾ・マクロの三レベルをリンクさせて考察すること、そのさいには相互作用論と政治経済学的接近があわせて有効であること——本稿でも、この線で「健康の批判理論」を考えてみたいと思う。
三 問題領域の拡大——研究対象
■問題領域の概要
以上、「健康と病いの社会学」とその周辺研究をふくめて「健康の批判理論」としてアウトラインを眺めてきた。その理論的支柱は社会構築主義である。この視点から何が具体的に問題になるのか。この章では「健康の批判理論」が射程に入れるべき主要な問題群を整理しておきたい。このさい、まず、比較的網羅的に問題領域を押さえていると思われるピーター・E・S・フロイントとメレディス・B・マクガイアの『健康・病い・社会的身体——批判社会学(第三版)』(Freund and McGuire 1999)で問題領域の概要をつかみ、そののちにラプトンとネトゥルトンの議論を参考にしてポイントを理解したい。
『健康・病い・社会的身体——批判社会学(第三版)』は本稿執筆時点では最新の「健康と病いの社会学」の概説書である。ストレス学説に準拠していることなど、やや総花的で、構築主義も徹底しないところがあるが、アンソロジーではないので、バランスよく研究業績がまとめて紹介されている。章ごとにテーマを抜き出してみよう。
(1)健康・病い・身体についての社会学的視角
身体の社会的構築。身体観の社会的構築。健康と病いの社会学において権力作用は中心的なものであること。
(2)だれが病気になり傷つけられ死ぬのか
社会疫学の課題と方法論上の問題点。二〇世紀の平均余命の変化。医学の進歩という神話。第三世界の罹患率と死亡率。エイズの疫学。罹患率と死亡率の変数としての年齢・ジェンダー・人種・エスニシティ・社会階級。これらは権力の社会的分配に関連している。
(3)健康と病いの物質的基礎
社会政治的ファクターと文化が、われわれの物理的環境・われわれの資源(たとえば食物)・われわれの身体を構築する。飢餓、食習慣、事故、労働災害、環境汚染、喫煙。
(4)精神・身体・社会
シンボリックかつ社会的なファクターが身体に及ぼす影響。ストレス。
(5)社会組織・健康・病い
社会支援の質と批判的評価。社会的不平等と社会支援の関係。演劇論的ストレス。社会的相互作用における感情の役割。
(6)病気の社会的意味
逸脱としての病い。逸脱の医療化。道徳的権威の医療化。社会統制。シンボルとしての身体。病気は社会秩序にかかわることがらであること。
(7)病いの体験
病いと自己。素人の健康概念。素人の病いの理解。病いに気づくこと。痛みと心理社会的次元。慢性病と障害。障害者の自己意識とマイノリティ的地位と社会運動。
(8)健康と助けを求めること
自己治療。隠れたヘルス・ケア・システムとしてのホーム・ケアと相互補助。民間療法。宗教的な癒し。
(9)医学的知識の社会的構築
疾患の「発見」。社会的産物としての科学。医学的「問題」の創造と否認。医療化・脱医療化・専門家の利害。企業の利害。疾患と身体の物象化。専門家支配。生物医学の前提。
(10)近代生物医学の知識と実践
専門家支配と情報操作。不確実性と統制。専門家支配のミクロ政治学。医師と患者の関係。病人を症例に変換する。患者の非人格化。近代医学の終焉。道徳のジレンマと社会政策。
(11)ヘルス・ケア・システムにおける階層と権力
受療者。医師の供給源。ナースの供給源。その他の専門職と労働者。
(12)ヘルス・ケアにおける経済的利害と権力
保険の問題。さまざまなヘルス・ケア組織。病院経営。さまざまな医療産業。社会政策と人権。
このようなテーマ・リストは多様な組み換えの可能なものである。ひとつの事例として参考にしたい。この中には機能主義段階の医療社会学でも十分問題として取り上げられているものもあり、公衆衛生学的なテーマもふくまれている。とくに「健康の批判理論」として重要な問題領域はどこなのか。すでに確認した「医学的知識の社会的構築」以外の問題領域について、この分野の第一線で活躍するラプトンとネトゥルトンが強調する論点を手短に整理してみよう(Lupton 1994; Nettleton 1995)。
■健康と病いをめぐる素人の生活世界
従来の医療社会学の焦点は、病気と専門家にあった。つまり医師たちが病気に立ち向かう仕方を主軸に据えて、そこに患者たちがどう適応していくか(あるいは適応すべきか)を規範的に研究してきた。これに対して「健康の批判理論」は、健康と素人(lay)に焦点を当てる。つまり素人の視点に定位して見える生活世界のあれこれ(もちろんそこには病いもあるが、そうでない状態もふくまれる)が問題となる。医学と素人の視点とを同位対立の地平において捉えるのが、社会構築主義のラディカルなところである。一方で医学的知識の文化的構築性を暴き、他方で素人の病気や健康への態度と経験の自律性を浮き彫りにするのである。
そのさいポイントとなるのは「素人の健康観はたんなる医学的知識の薄められたヴァージョンではない」(Nettleton 1995:37)ということである。この論点はすでにフリードソン以来、批判的接近を試みる医療社会学者にはおなじみのものである。
健康に光を当てると、人びとが健康をどのような定義において用いているか、そのライフスタイルと消費文化との関係はどのようなものか、人びとにとってリスクはどのようなものとして捉えられ、それが人びとにどのようなリスク回避行動をとらせているかが問題となる。たとえば喫煙に対する態度やエイズに対する態度などがテーマになる(Nettleton 1995:Chap.3)。
他方、病気に光を当てると、人びとが病気と病者役割(sick role)をどのように解釈し、正当化していくか、そして慢性疾患と障害のある身体を媒介にどのようなコミュニケーションが生起し、どのように語られていくか、それに対処する戦略をどのように編み出していくかがテーマとなる(Nettleton 1995:Chap.4)。また、人びとにとって病いの体験は道徳的問題でもある。なぜそのようなことになったかを人びとは「失敗」や「報い」として道徳的に説明しがちである。そのあたりもテーマとなる。
■素人と専門家の相互作用
病いに見舞われたと感じた人びとは病院を訪ねて、医師やナースなどの医療の専門家たちと出会う。この出会いは対等な出会いではないがゆえに、特殊な性質を帯びる。この「素人と専門家の相互作用」の問題は「健康の批判理論」にとって批判的に取り組まなければならない重要な問題領域である。
ネトゥルトンによれば、そこには次のような問題がある(Nettleton 1995:131−132)。第一に、素人と専門家の関係は、より広い文脈での社会関係や、ジェンダーや人種や階級といった構造的不平等を反映するとともに強化するということ。第二に、この関係は社会統制と社会規制の中心的次元を形づくること。第三に、専門家はしばしば患者の見解をまともに取り上げることを拒絶する。そして患者の見解というものが同時代のヘルス・ケアの深刻な限界と見なされてきたこと。第四に、相互作用の質がヘルス・ケアの成果に影響を与えてきたことである。
この領域は長らく医療社会学で「医師−患者関係」として研究されてきたが、理論的立場によって大きく見方が変わる。機能主義は合意モデルを基準に論じ、政治経済学(マルクス主義)は闘争モデルを用いて、医学的権力に対する患者側の抵抗を強調する。「コンプライアンスの悪い患者」を病院スタッフがそれぞれどのように見ているかが問われる。また、シンボリック相互作用論やエスノメソドロジーによるミクロな相互交渉場面の研究もさかんである。
それから忘れてはならないのが、専門家は病院にいるとは限らないということだ。民間医療のヒーラー(healer)がいる。そこでは「癒し」と総称される、しばしば近代医療システムとは異質の出会いと相互作用がある。ここは従来から医療人類学の実績のある領域であるが、「健康の批判理論」の現場はもはや病院だけではないのである。
■文化的表象の分析
医学・病い・疾患・身体に関するさまざまな言説・メタファー・図像は、高級文化においてであれ大衆文化においてであれ、これらの現象についての知識の社会的構築に深くかかわっている。ラプトンはこの点を強調する(Lupton 1994:chap.3)。高級文化において疾患と死がどのように表現されているか、そして大衆文化において医学や病いや死がどのように表象されているかの研究は、伝統的な医療社会学ではないがしろにされてきたところである。しかし、ガンやエイズはメタファーとしても社会に圧倒的な影響を与えたし、「ガンと闘う」「エイズを撲滅する」といった軍事的な言説そのものが、それぞれに関係する生物学的事実の解釈や医学の研究開発の方向性に影響し、関係者の社会関係をも深く規定してきたのである。
このテーマに関する図像研究としては、サンダー・L・ギルマンの仕事が日本ですでに紹介されている(Gilman 1995=1996)。図像は、どれが正しく美しく健康なのか、どれが狂っていて醜く病んでいるのかというステレオタイプな基準をリテラシーを越えて再生産する。とりわけメディア上に流通する言説と図像の分析が重要であり、カルチュラル・スタディーズの隆盛の中で、そのような研究が一気に浮上している。
もちろん以上の他にも重要な問題がある。健康状態と社会的不平等すなわち健康の配置の問題も大いに議論されている。とくにジェンダーの問題がフェミニズム側から次々に提起されている。保健政策批判もある。それらについては機会を改めて詳説することにしよう。とりいそぎ確認しなければならないのは、これらの問題群を「健康の批判理論」が強調して研究テーマとして取り上げるのはなぜか、つまり基本的な研究スタンスの問題である。
四 公衆衛生学的医療社会学との比較——対抗軸
■生物医学モデルへの挑戦
じつは社会学的社会問題論の文脈では、社会構築主義はすでに過去のものだという雰囲気がある。流行思想としての社会構築主義は所詮、そういうものなのだろう。しかし社会構築主義は日本では未だ徹底して追究されていないのではないか。とりわけ健康と病気の社会領域については。
生物医学に依拠した医療システムに構築主義的なまなざしを向けることは、医学部に設置された公衆衛生学といった場所では未だに困難なことのようだ。たとえば日本のアカデミズムにおいて重要なステイタスを与えられていると思われる公衆衛生学研究者による『健康観の転換——新しい健康理論の展開』(園田・川田 1995)には、生物医学とそれに基づく現代医療の神話的構築性に対して社会学的に距離化しようというスタンスがまったく感じられない。それどころか、健康主義を社会全般に拡大しようとする、ほとんどニューエイジ系の宗教的教義への傾斜さえうかがえるほどである。
日本の公衆衛生志向の医療研究の社会学性がその程度の底の浅いものであるといえばそれまでだが、それにしても、社会構築主義による医療的世界への分析はむしろ始まったばかりなのである。
では、従来的な医療社会学とのちがいは何だろうか。最大のちがいは生物医学に対する知的態度である。
ライトとトレッチャーは社会構築主義以前の医療社会学との比較を理念型的に整理している(Wright and Treacher 1982:3-5)。
第一に、医学の同定あるいは医学的知識は何の困難も引き起こさなかったという仮説。それによると、医学とは医師とその補助労働者のなしたことであるのは自明であり、医学的知識はたんに、医学校で伝授されたか、専門家の雑誌と教科書によって普及したものにすぎない。第二に、近代医学的知識は、近代科学の発見に基づいていて効果があるがゆえに独特のものであるという仮説。第三に、疾病は、医師による分離と指摘に先行し独立に存在する自然物であるという仮説。第四に、社会と医学的知識とは独立した自律的領域であるという仮説。
社会構築主義以前の医療社会学(たとえば公衆衛生学的な研究)の前提了解が以上のようなものであったとすると、すでに「医学的知識の社会的構築」として述べたように、これに対して社会構築主義的医療社会学は、異を唱えるわけである。いわば近代医療絶対主義神話の社会学的解体である。生物医学のイデオロギー的後方支援としての公衆衛生学との異質性はあきらかだろう。
■医療神話の歴史的批判
「健康の批判理論」のさしあたりの対抗軸は、医療神話とも呼ぶべき科学信仰であり、それに基づいて編成される専門家支配の実態である。日本でもこの種の研究は一部で始まっており、たとえば『医療神話の社会学』(佐藤・黒田 1998)では、「近代医学は抗生物質によって、人間を悩ませた多くの感染症を克服してきた」といったような、現代医療を正当化する二〇の神話について丹念に神話解体している。ただし、ここにおさめられた論文は必ずしも社会構築主義に立ったものではなく、多くは歴史的アプローチによるものである。
当然もうひとつの神話解体も必要だ。それは民間医療にまつわるさまざまな神話である。近代医学への不満は一般の人びとにおいてむしろ普通のことである。しかし、だからといって近代医学を批判する「代替医療」(alternative medicine)が無条件で推奨できるわけではない。代替医療神話が現代的に変奏されている事態に対しても、批判的なまなざしで分析する必要がある。たとえば佐藤純一は代替医療が単純な二分法を絶対化して「人間的」な側に自らをおくことで正当化しようとすることを指摘している(佐藤・黒田 1998:242-244)。なお、アメリカの代替医療の歴史についてはロバート・C・フラーの『オルタナティブ・メディスン』が詳しい(Fuller 1989=1992)。
さらに、こうした医療神話が消費社会というコンテキストでこそ生き生きと語られ、説得力をもち、具体的な行動へと水路づけるといった構図にも注意を払う必要がある。
■ヘルス・プロモーション
公衆衛生学的医療社会学との対比がもっとも明確になるのは「健康のために」語られるさまざまな言説に対するスタンスである。試金石はヘルス・プロモーションに対するスタンスである。
「健康のために」語られるさまざまな言説を私は「健康言説」と呼んでいるが、ヘルス・プロモーションの言説はその代表的なものであり、その点では公衆衛生学的医療社会学自体も健康言説なのである(池田ほか 1998:23-24)。
サラ・ネトゥルトンとロビン・バントンはヘルス・プロモーションに対する研究スタンスを四類型にまとめている(Nettleton and Bunton 1995)。まず第一の軸は「社会政策」か「社会学的分析」かというもの。第二の軸は「医療についての社会学」か「医療のための社会学」かという有名なストラウス以来の二分法である「についての」対「のための」という二分法。これを使って「健康の批判理論」を位置づけてみよう。
第一に「ヘルス・プロモーションのための社会政策」(social policy for health promotion)では保健公共政策の説明・分析・評価をおこなう。第二に「ヘルス・プロモーションのための社会学的分析」(sociological analyses for health promotion)ではプロモーション技術の発達・評価・洗練をおこなう。第三に「ヘルス・プロモーションについての社会政策」(social policy of health promotion)では政策のイデオロギー的基礎の研究をおこなう。第四に「ヘルス・プロモーションについての社会学的分析」(sociological analyses of health promotion)ではヘルス・プロモーション自体の批判をおこなう。一口に批判的評価といっても、このようにスタンスは多様である。たとえば日本でおこなわれてきたほとんどすべての「医療と社会」研究は第一から第三に分類できるはずである。それに対して「健康の批判理論」は第四の類型に相当する。
第四類型のヘルス・プロモーション批判の基礎視角としては、たとえばどのようなものがあるのだろうか。さしあたり思い及ぶのが「健康という義務」(imperative of health)という視角である。これはラプトンがフーコーから採ったもので、彼女は公衆衛生とヘルス・プロモーションについての著作タイトルにこのフレーズを使用している。それによると、健康はたんなる疾病の不在ではなく、もはや一種の道徳的命令ではないかというのである(Lupton 1995)。健康が道徳にずれ込むことで、道徳は身体性に還元されることになる。重層的なコミュニケーションの産物としての社会秩序ではなく、有無を言わさない身体秩序に道徳という社会原理が従属するということだ。健康言説の本質はまさにここにある。
たとえば「成人病」を「生活習慣病」に呼びかえて人びとの健康増進を図ろうとする近年の厚生省のキャンペーンについて佐藤純一は次のように分析している(池田ほか 1999:8-29)。「生活習慣病」はもともと厚生省の行政用語であった「成人病」を「生活習慣」と「予防」を軸に再構成したものであり、厚生省・臨床医学・社会医学の三者の思惑の合致したところに構築された政治的産物である。「生活習慣病」言説は「病気と習慣が関係ある」とするだけではない。それは「病気を引き起こす習慣」と「病気を避ける習慣」をも指示する。このさい健康習慣として指定された要素はまったく恣意的なものであり、言説構築者の古典的な道徳主義がそのまま投影される。そして「病気になったのは、その個人の生活習慣によるのであり、それゆえ病気の責任もその個人にある」という個人責任論が正当化されるのである。その結果、露骨な「犠牲者非難」(victim blaming)がおこなわれ、国家が責任をとるべき外部環境要因がそっくり隠蔽される。
このように、一見もっともらしい国家の保健政策のロジックは、「これって健康にいいんだよ」という食卓の会話にまで浸透し、その結果、まわりまわって人びとの病気体験そのものを道徳的ジレンマにしてしまう。つまり、たんに健康と病気が問題なのではない。それらに言及する言説の総体が現代社会において果たしている構築的役割への懐疑的認識が必要なのである。つまり、それは「批判」でなければならないのだ。
五 健康言説批判——方法論的戦略
■健康は言説である
最後に、「健康の批判理論」の方法論的戦略について確認しておきたい。
そもそも「健康と病いに関する批判社会学的研究」とでもいえばよいものを、あえて「健康の批判理論」と総称するのは、なぜか。それは第一に病気よりも健康という広範な領域に焦点があたらざるを得ない現代的状況が存在するからであり、第二にもはや社会学というディシプリンにこだわる必要がほとんどないと考えられるからだ。社会構築主義は社会学の占有物ではないのであるから。ちなみにコンラッドは「健康と病いの批判的視角」(critical perspectives on health and illness)という言い方をしている(Conrad 1997:4)。私はそれでもよいとは思うものの、短く総称するさいには、あえて「健康の批判理論」という括り方をしたい。その突破口は「健康は言説である」という構築主義的命題として集約的に表現できると考えているからである。突破口は「健康」の方にある。
そもそも健康は「非問題系」すなわち「問題状況の欠如」である(池田ほか 1998)。それゆえ健康は「問題」となる病気や障害などの事態(すでに発生しているにせよ、たんに予想されるだけにせよ)に対して、あくまで「語られるもの」であって、実体があるわけではない。「健康のために」と語りつづけられることで「健康な身体」は社会的に構築される。したがって実在するのはあくまで「健康言説」だけなのである。つまり、健康は言説である。「言説としての健康」ではないのだ。
■健康が語られるとき
現代社会において健康が語られるとき、それがコミュニケーションにおける正当性を満たす言説となるのは、問題系としてのリスク要因が導入されたときである。「健康に対するリスク要因」(health risk)のリストが提示される。このリストにはもちろん病気がふくまれているが、それだけではない。リスクは、朝食を食べないことからオゾン層の破壊にいたるまで無制限に拡大可能な社会的構築物である。そのリストは恣意的であり、それゆえ本質的に政治的でもある。
リスク概念の拡大はそのまま健康概念の脱領域化につながる。つまり、健康はあらゆる生活領域に深くかかわる価値として遍在するようになる。そして、個々のリスク要因が言説としての説得力をもてばもつほど、健康概念は物象化され神格化されるのである。この物象化された層における健康言説がヘルシズムなのであり、それはひとつの宗教的システムというべきである。健康は世俗化された現代の新しい神となる。
リスク回避を名目とするライフスタイルへの道徳的干渉が始まる。フーコーが描き、身体の社会学がそれを引き継いで研究してきたもの、すなわち人びとの身体を貫徹する権力作用の諸相である。「からだにいい」「ナチュラル」「無添加」「スポーティ」「衛生」「清潔」「元気が一番」といった耳障りのよいクリーシェから、「お肌のダメージ」「死の恐怖」「後の祭」といった恫喝に近いクリーシェまで、さまざまな言説が「健康的な生活習慣」を道徳的に正当化し、そうでないものを非難し排除する。そして個人の責任が問われてゆくのである。
こうして「健康な生活とは、健康について語り、健康に好ましいと語られた生活習慣を実行している生活のことである」という自己言及システムが成立する。「健康の批判理論」の理論的課題は、このような健康言説の自己言及的な言説宇宙(universe of discourse)の構造を批判的に解明することである。
この言説宇宙を構築するエージェントはさまざまである。それは科学者であり、マス・メディアであり、政府機関であり、社会運動である。そのエージェントの集合に対してジョナサン・ゲイブは「リスク産業」という用語さえ使っている(Gabe 1995)。公衆衛生的言説も栄養学的言説も、みのもんたの名調子や霊芝実演販売講師の巧妙な口上も、それに対して「買ってはいけない」とする対抗言説も、これら「リスク産業」によって組織的に生産された、いわば消費社会の産物なのである。
■批判的言説分析の可能性
以上のような仮説を手がかりに「健康の批判理論」は、健康言説の力を見極めていかなければならない。言説の類型もさまざまであり、語られ方そのものの多様性にも注意しなければならない。この作業を経験的な手法で実証するのが「言説分析」(discourse analysis)である。ただし、漠然と「言説分析」と呼ぶと、言語学において「談話分析」と訳されて会話の分析技法として紹介されているものもふくまれるので、これらと区別する必要がある。もちろん、問診の分析や医療スタッフ間のコミュニケーションの分析、そして健康に関する人びとの会話を分析するさいには有効な方法であるが、メディアや専門家や政府機関をエージェントとする言説を分析対象とすることの多い「健康の批判理論」と親和性の高い手法として考えられるのは、なかでも「批判的言説分析」(critical discourse analysis)と呼ばれるものである。
批判的言説分析は言説分析のひとつで、すでにジェンダー研究では成果をあげつつあるようである(斉藤 1998; 中村 1995)。ただし、これ自体は定型的な手法をさすものではなく、一定の理論を前提した(それゆえ現状では適用対象がある程度限定されている)分析方法である。具体的場面では他の言説分析の手法を応用する。
フェアクラフとヴォダックによると、批判的言説分析では、話したり書いたりする言語使用を言説と呼び、それを社会的実践の一形式と見る。かれらによると批判的言説分析は八つの理論および方法の原理に基づいているという(Fairclogh and Wodak 1997)。
(1)批判的言説分析は社会問題に力を注ぐ。
(2)権力関係は遍在している。
(3)言説は社会と文化を構築する。
(4)言説はイデオロギー的作業をおこなう。
(5)言説は歴史的である。
(6)テキストと社会とのリンクは媒介的である。
(7)言説分析は解釈的かつ説明的である。
(8)言説は社会的行為の一形式である。
ここで確認できるのは批判的言説分析が社会構築主義ときわめて親和性の高い分析方法であることである。現在はジェンダーやエスニシティなどに好んで応用されているようであるが、健康関連領域においても応用可能性は高いといえそうだ。
■まとめ
これまで見てきたように、「健康と病いの社会学」を中核とする社会構築主義的研究は、従来の公衆衛生学的な医療社会学に対して、「健康の批判理論」として総称できるだけの理論的共通点をもつ。中核には社会構築主義があり、方法論的には言説分析をとる。
「健康の批判理論」とは、この近代社会を柔らかく支配する(その結果として人びとの自発的服従が生じる)「納得の構図」を明晰に分析して批判する反省社会学的営為である。それは「健康な社会」を築くための理論でもなく、まして「健康増進」のための研究でもない。健康を自己言及的構成要素とする現代社会の構造分析である。目的は批判、批判それ自体である。
参考文献
文献の指示法と表記については日本社会学会編集委員会「社会学評論スタイルガイド」(http://www.kyy.saitama-u.ac.jp/‾fukuoka/JSRstyle.html)にほぼ準拠した。ただし、本稿が縦書きであることを考慮して句読点などを一部改変した。
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園田恭一・川田智恵子編, 1995, 『健康観の転換——新しい健康理論の展開』東京大学出版会.
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Wright, Peter and Andrew Treacher eds., 1982, The Problem of Medical Knowledge: Examining the Social Construction of Medicine, Edinburgh: Edinburgh University Press.
(のむら・かずお 社会学 http://socius.org)
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英文タイトル
An Introduction to Critical Theory of Health
Kazuo Nomura
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4月 12017

社会学感覚23薬害問題の構造

Socius  ソキウス   著作+制作 野村一夫

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社会学感覚
23 薬害問題の構造
23-1 日本の薬害問題
社会問題としての薬害
社会問題の社会学的例題として薬害問題をとりあげてみたい。その理由は三つある。ひとつは、薬害は、わたしたちにとって身近な問題となる可能性が高いこと。すくなくともその問題性をおさえている必要がある。ふたつめは薬害が社会問題としてのさまざまな特性と構造をすべてもっていること。その意味で薬害は社会問題の例題として学ぶべきことが非常に多い。そして第三に、薬害の社会学的問題構造をあきらかにしたすぐれた先駆的研究が存在すること。宝月誠編『薬害の社会学――薬と人間のアイロニー』がそれである▼1。本章では、この研究の開示する社会学的な問題性を、わたしなりに解きほぐして、現代日本になぜこのような社会問題が生じてきたのかを考えていきたい。まず、日本の代表的な薬害問題を概観しておこう。
サリドマイド事件
一九五七年西ドイツのグリュネンタール社が睡眠薬「コンテルガン」として販売を開始し、翌年日本でも大日本製薬が睡眠薬・つわりの防止薬「イソミン」として、さらに一九六〇年には胃腸薬「プロバンM」として販売した一連のサリドマイド剤によって、多くの四肢奇形児が生まれた事件。薬害の原点ともいわれ、日本人にとってほとんど最初の大型薬害経験といえる。一九八一年の段階で日本の生存被害者は三〇九人、世界で生存被害者総数は約三七〇〇人といわれる▼2。
当時各地で誕生していた四肢奇形児とサリドマイド剤の関係が明確に指摘されたのは一九六一年である。一一月一八日ハンブルク大学のW・レンツがデュッセルドルフの小児科学会で〈あざらし状奇形児〉の原因がサリドマイド剤にあると発表した。かれはその前に、西ドイツの販売メーカーであるグリュネンタール社に警告したが拒否されていた。
一一月二六日になって「ヴェルト・アム・ゾンターク」紙が、グリュネンタール社のサリドマイド剤「コンテルガン」を名指しして報道すると同時に、グリュネンタール社は「コンテルガン」を市場から回収し、ヨーロッパ各地のサリドマイド剤もつぎつぎに回収された▼3。
一二月五日になってグリュネンタール社の勧告が大日本製薬にとどき、翌日厚生省と大日本製薬がレンツ警告について協議した。ところが「有用な薬品を回収すれば社会不安をおこす」として販売続行を決めてしまう。
翌一九六二年二月二二日「タイム」誌がサリドマイド被害の記事を掲載するが、このようななかでその前日の二月二一日厚生省は亜細亜製薬のサリドマイド剤「パングル」に製造許可をあたえている。三月と四月になって製造販売をやめない大日本製薬に対してグリュネンタール社が警告を発している。五月一八日「朝日新聞」が、西ドイツのサリドマイド被害についてのボン支局の報告を報道したことによって、日本のジャーナリズムがいっせいに動きだしたため、「報道による混乱を防ぐため」として、サリドマイド剤を販売していた製薬各社がこの五月に出荷停止を厚生省に申し入れた。ところが、これはあくまで「出荷停止」にすぎず、すでに出荷された在庫品はそのまま薬局で売られていた。
やがてイギリスの医学誌「ランセット」七月二一日号に北海道大学の梶井正が、〈あざらし状奇形児〉七例の母親のうち五人がサリドマイド剤を飲んでいたとの論文を発表し、地元の研究会でも報告したことが報道され、九月一三日になってようやく回収にふみきることになる。しかし、この回収措置は不完全なもので、地方の薬局には「イソミン」の在庫があったという。
そして告訴から一九七四年の和解まで「十年裁判」と呼ばれる長い闘いが被害者と家族に待ち受けていた。
スモン事件
「スモン」とは「亜急性」「脊髄視神経」「神経症」の三つのラテン語の頭文字SMON(Subacute myelo-optico-neuropathy)に由来する▼4。下半身から始まる神経のマヒによって歩行困難となり、やがて視力障害にいたる。全盲になる場合も多かった。一九五五年以来出現したこのような原因不明の複合的症状にスモンという名がつけられたのは、患者数が爆発的増加に転じる直前の一九六四年だった。その後一九六〇年代のスモン患者は厚生省調べで約一万一千人にのぼった。
ところが当時、スモンの原因はウィルスと考えられていた。最初に「スモン感染説」がでてきたのは「スモン」と命名された一九六四年の日本内科学会シンポジウムだった。ここでウィルスによる伝染性疾患のため患者を隔離する必要があるとの指摘がなされた。スモンの原因については当時、代謝障害説やアレルギー説などもあったが、なかでも「スモン感染説」は医学界の有力な見解として地方自治体や一般市民に受け取られ、各地で患者への差別を生みだした。患者に接触すると感染するというので、スモン患者が医療者から敬遠されたり、患者の家族が学校・親戚・地域社会などから排除される――つきあってもらえないとか縁談とりやめなど――ことが多くなった。患者と家族の苦悩は二重三重となり、多くの自殺者が続出し、その報道が苦悩を増加させた。
一九六九年、厚生省は「スモン調査研究協議会」を設置し、ようやく国として原因究明にのりだす。一九七〇年二月「朝日新聞」などが京都大学の井上幸重の「ウィルス感染説」をとりあげ大々的に報道し、スモン患者に衝撃をあたえることになる。しかし、なぜ看病する患者の家族に感染しないのかという素朴な疑問はそのまま放置されつづけた。
同じ年の五月、スモン調査研究協議会のメンバーである東京大学の田村善蔵が患者の緑尿から、整腸剤として治療に使われてきたキノホルムを検出し、それを受けて新潟大学の椿忠雄が疫学調査を実施、その結果を八月「朝日新聞」に伝えた。こうして「スモン=キノホルム説」が登場した。この「キノホルム説」が完全に確立するのは一九七二年であるが、厚生省はサリドマイド事件の経験から、一九七〇年九月の疑惑段階でキノホルムの使用販売中止の措置をとった。その結果、スモン患者の発生は激減した。
ここから一九七九年に確認書和解によって一応の到達点をえるまでの長い道のりがはじまる▼5。ともあれ終わってみると、スモン事件は、キノホルムによるスモン中毒患者すなわち被害者が一万人をはるかに超える世界最大の薬害事件だった。
クロロキン事件
クロロキンはもともとマラリアの特効薬として太平洋戦争末期にアメリカ軍が使用していた薬だが、これを「レゾヒン」として輸入販売していた武田薬品工業の子会社吉富製薬が一九五八年に適応症を腎炎に拡大、さらに一九六一年小野薬品が慢性腎炎の特効薬「キドラ」として大量に宣伝販売することによって、同年からおもに腎臓病患者にクロロキン網膜症という眼障害をひきおこした大型薬害事件▼6。クロロキンを慢性腎炎に適用したのは日本だけであり、したがってクロロキン製剤による薬害事件が生じたのは日本だけである。
クロロキンが視覚障害の副作用をもつことは、日本で大量販売される以前にすでにアメリカでは知られていた。日本でも「キドラ」発売の翌年にクロロキン網膜症の報告がだされている。アメリカではこの年FDAがクロロキンの有害作用警告書を医療機関に配布するよう要求し、製薬会社は二四万通の警告書を発送している。しかし、同じ年の日本では新しいクロロキン製剤「CQC錠」が販売開始される。しかも副作用を逆手にとって広告していた。医学雑誌に掲載された広告には「非常に毒性が弱いので大量・長期投与に適す。従来のクロロキン製剤では相当高率に副作用(主として胃腸障害稀に神経障害、網膜障害)が現われるが、CQC錠では稀に軽度の一過性の胃腸障害を認めるに過ぎない」とある。
一九六五年、当時の厚生省薬務局製薬課課長の豊田勤治は、リューマチのためたまたま「レゾヒン」を飲んでいたが、クロロキン網膜症の情報をえて、自分だけ飲むのをやめた。これはたまたま裁判の過程で明らかになったことだが、もしこの段階で適切な措置をしていれば被害の八割は防げたという。
一九七一年になって、被害者のひとりが厚生大臣に直訴し、それを朝日新聞が報道したことによって、はじめてクロロキン薬害が社会問題として知られるようになり「クロロキン被害者の会」が結成される。そして、その後の世論の盛り上がりによって一九七四年クロロキンは製造中止になる。
その他の薬害問題
サリドマイド、スモン、クロロキンの三つの事件以外にも日本には多くの薬害が社会問題になってきた。有名な事件を四件だけ補足しておきたい▼7。
日本で薬害という概念が定着するのは、スモンのキノホルム説が確立して以降のことだが、じつはサリドマイド事件以前にも大きな薬害事件が起きている。一九五六年に問題化した「ペニシリン・ショック」がそれである。東京大学法学部長の尾高朝雄がペニシリンを注射された直後にショック死したことが問題化のきっかけとなった。しかし、その年までの四年間に、すでに一〇八人がショック死していたのである。
一九六五年二月には「アンプル入りかぜ薬」によるショック死が続出し、大きな社会問題になった。数年前からこのときまでの死亡者は計三八人。これはマスコミが連日大きく取り上げたため、厚生省はすぐに販売自粛通知をだし、その後回収を要請した。このすばやい厚生省の対応によって、製薬企業は何十億円の損害をだしたといわれる。この直後、厚生省側は製薬企業側に陳謝している。この事情が、当時まだ一般には知られていなかったクロロキン網膜症についての厚生省の対策を遅らせることになった。
一九六九年末には「コラルジル中毒」薬害が新潟大学の若手医師たちによって公表された。裁判上の被害者は少数だが、肝臓障害として現れるため実数ははっきりしない。一説によると総被害者は数万人以上ともいわれる。もし明確な対策と調査がおこなわれていたら超大型の薬害事件になったかもしれない。コラルジルは心臓病の薬として販売されていたが、その副作用は以前から知られており、製薬企業はこれを隠していた疑いがある。
最後に現在進行形の問題を。それはインフルエンザ予防接種による薬害である。インフルエンザ・ワクチンの学童予防接種が始まったのは一九六二年、そしてこれが義務接種に改正されたのが一九七六年である。これは日本独自の方法であり、効果が疑われる上に、死亡や障害などさまざまな副作用被害が続出している▼8。
▼1 宝月誠編『薬害の社会学――薬と人間のアイロニー』(世界思想社一九八六年)。本章の多くの論点はこの研究にもとづいている。きわめて高度な内容をもち、豊富なデータと手記に対する分析には共感するところが多い。工業化学・薬学・医療に携わる人には熟読をすすめたい。また、これとともに、薬学サイドからの研究として、高野哲夫『戦後薬害問題の研究』(文理閣一九八一年)を基本資料として参照した。高野は「社会薬学」を提唱しており、薬の社会的側面の研究を薬学にもちこむべきだと主張している。
▼2 事件の詳細についてはつぎのものを参照した。宮本真左彦『サリドマイド禍の人びと――重い歳月のなかから』(ちくまぶっくす一九八一年)。川名英之『ドキュメント日本の公害第三巻薬害・食品公害』(緑風出版一九八九年)第三章。高野哲夫、前掲書。砂原茂一『薬 その安全性』(岩波新書一九七六年)。
▼3 アメリカではサリドマイド剤は製造許可されなかった。これは食品薬品局FDAのフランシス・C・ケルシー担当官がサリドマイド剤の安全性に疑問をもちその販売に抵抗したためだった。その事情は一九六二年七月一五日に「ワシントン・ポスト」紙が内幕を発表してはじめて明らかになった。このことがきっかけになって、同年、薬の有効性を問い直すキーフォーバー・ハリス修正薬事法が成立した。まさに日本と正反対の経過をたどった、このあたりの事情については、M・シルバーマン、P・R・リー、平澤正夫訳『薬害と政治――薬の氾濫への処方箋』(紀伊國屋書店一九七八年)八一-八三ページ。
▼4 事件の詳細については、おもにつぎのものを参照した。高野哲夫、前掲書。川名英之、前掲書第一・二章。
▼5 スモン訴訟の社会学的分析として、栗岡幹英「薬害における逸脱と裁判」宝月誠編、前掲書所収。
▼6 事件の詳細については、つぎのものを参照した。高野哲夫、前掲書。川名英之、前掲書第四章。後藤孝典編『クスリの犯罪――隠されたクロロキン情報』(有斐閣選書一九八八年)。谷合規子『危ないインフルエンザ予防接種――薬害列島ニッポン』(潮出版社一九八六年)第二部「薬に目を奪われた人々――クロロキン薬害被害と裁判の記録」。
▼7 高野哲夫、前掲書。後藤孝典編、前掲書。谷合規子、前掲書。
▼8 その他の薬害事件については、高野哲夫、前掲書「1戦後薬害事件の歴史的研究」を参照してほしい。一九八○年までの事件が網羅されている。なおインフルエンザ予防接種については、高橋晄正『危険なインフルエンザ予防接種』(農文協一九八七年)がくわしい。ダイジェストなものとしては、高橋晄正『からだが危ない――身辺毒性学(新版〉』(三省堂一九九一年)IV章を見よ。
23-2 企業逸脱と専門家支配
製薬企業
薬害事件には二種類の大きな組織がからんでいる。製薬企業と国[厚生省]である。薬害訴訟の多くがこの二種類の組織をおもな被告としており、和解の場合をふくめて、両者に非のあるのはあきらかである。そこでまず、製薬企業と厚生省の組織としての問題を明確にしておこう。
まず製薬企業について。すでにみてきたように、大きな薬害事件においてつねに主役を演じているのは製薬企業である。それは事件発生のプロセスにおいてもそうであるだけでなく、長い裁判のプロセスにおいても、またその「過失」があきらかになったのちにおいても、そうである。たとえば、スモン訴訟において田辺製薬がとった悪質な対応ぶりは有名であるし、キノホルムの製造元であるスイスのチバガイギー社は、一万人以上の被害者をだしたのちの一九七〇年に日本が製造販売禁止に踏み切って以降も十数年にわたって第三世界の国々で販売しつづけた▼2。これらの事実は、製薬企業の組織上の性格がもつ問題の根の深さを示している。なぜこのようなことが生じるのだろうか。
企業逸脱
もちろん薬害事件の直接的な要因は製薬企業の利益追求至上主義にあることはいうまでもない。しかし、「より多くの利益を」という構造原理そのものは資本主義の枠組からいうと特殊なことではない。問題なのはその利益のあげ方である。多くの場合、薬害事件は、企業が安全性の軽視という〈逸脱〉した活動によって利益をあげようとしたことに端を発している。このように〈逸脱〉は街頭犯罪のように個人にのみ生じるのではなく、しばしば企業のような組織や集団にも生じる。そして現代日本社会を考えるとき、企業組織の逸脱行為はもっとも重要なファクターのひとつなのである。
宝月誠は薬害を「企業逸脱」の観点から考察している▼3。かれによると「企業逸脱」(corporate deviance)は、つぎのように定義される。要素ごとに分けて示そう。
(1)合法的な企業の成員が
(2)かれらの職務を通じて
(3)企業のためにおこなう活動のなかで
(4)他者から社会的非難をまねく行為▼4
従来の社会学では、サザーランドの一九四九年の著作以来、「企業逸脱」のことを「ホワイト・カラーの犯罪」(white collar crime)と呼んできた▼5。厳密には概念上の相違があるが、ほぼこの流れにある概念である。
企業逸脱の仮説
宝月誠によると、つぎのような場合に企業は逸脱に関与しやすいという。製薬企業の場合に即して整理してみよう▼6。
(1)企業経営者や担当者が環境への対処の必要から、組織能力や現実を無視した企業戦略をあせって実行しようとするときに、企業逸脱の可能性は高まる。――薬害企業の場合、もともと新薬開発に数十億円と十数年を要するリスクの高い技術環境にあり、薬価基準改定など企業環境はきびしい。その環境に対して経営者や担当者に「あせり」が生じ、強引に課題を実行するとき、逸脱行為が生まれやすくなる。
(2)企業組織内の自己規制力が低下してくると、無理な企業戦略が抑制されず、集合的無責任が強化されて、企業逸脱の可能性も増す。――たとえば新薬開発のさい現場担当者の意見が社内の意思決定に反映されるかどうかがポイントとなる。圧殺・形式化・慣行による処理などによって強引な課題実行に対する組織内のチェック[規制力]が働かないときに逸脱が生じやすい。
(3)企業が行政機関の監視や指導や審査能力、あるいは消費者や世論の反作用といった統制環境の能力を低く評価したり、不当とみなす度合が高いほど、企業逸脱に関与する可能性も高まる。――大規模な薬害事件の生じたころの製薬企業は薬事行政や報道などの外部の環境を甘くみていたが、現在はむしろ過敏になっている。しかも、それらを不当とみなす傾向が強いため、戦略的に対処することが多く、みずからをきびしく律する用意は乏しい。
(4)現在の企業環境に満足できない経営者は業務上必要な相手と共謀関係を形成して自分に好都合な環境をつくろうとするが、そのさい、しばしば逸脱的な手段が用いられる。――共謀関係の相手は、たとえば医師であり病院である。逸脱的なサービスによるプロパーと医療関係者の共謀関係は患者の利益を二次的なものにしやすい。また大学の研究者・薬事審議会の委員・厚生省の職員とのパイプを太くしておくことは確実に利益を生む。製薬業界は建設業と並んで使途不明金が多いという事実はこの点と関係がある。
宝月誠によると、薬害に直接結びつく安全性の軽視・無視は、単独で生じるのではなく、他のさまざまな企業逸脱と密接に関わっているという。たとえば「昇進や賃金差別、配置転換の威嚇といった社員への暗黙の圧力は、彼らに実験データを捏造してまでも企業の要請にこたえようとする傾向を生む可能性がある。また、製薬企業のプロパーと医師との不明瞭な金銭やサービスを媒介にした結びつきは、クスリについての正確な情報を伝達したり、副作用情報についての迅速、的確なフィードバックを行なうといった本来のプロパーの役割から逸脱して、もっぱら自社のクスリを大量に『消費』してもらうことだけに集中し、クスリの安全性の問題は二次的なものになる危険性がある。」さらに衛生試験所技官や薬事審議会の有力委員への贈賄やサービスは直接クスリの安全性をおびやかす▼7。
このように分析していくと、日本の製薬企業がふたたび大きな薬害事件を引き起こす可能性は否定できない。その意味では、統制環境が大きなポイントになってくる。
厚生省の問題
企業に対するチェック機能を果たす統制環境としてもっとも有力な存在はいうまでもなく監督省庁である。薬の場合は厚生省薬務局である。この厚生省を中心とする薬事行政のありかたについては、いろいろと問題が多い。すでに紹介した大型薬害事件において厚生省はその本来の役割を果たしていない。また、数々の教訓をえたのちにおいても、厚生省付属の国立衛生試験所・国立予防衛生研究所の所員の収賄事件など管理者側の不正事件が多発していることから、構造はあまり変わっていないとみていいだろう▼8。
まず第一に、製薬企業との癒着構造。これは偶発的なものではなく恒常的かつ日常的なもので「構造」というべきだろう。その典型的なものが「天下り」のシステムである。各省庁ではキャリア組の同期から事務次官がひとりでると他の同期生は勇退する慣習になっていて、かれら高級官僚は再就職の必要に迫られる。「天下り」とは、そのさい関連企業や政府関係の特殊法人[公社・公団・事業団]に各省庁とのパイプ役として就職することである。国家公務員法では離職後二年間は禁止されているが、じっさいには柔軟に運用されており、毎年二百人以上の高級官僚が、在職官庁と関係の深い民間企業に就職し、多くの人が役員として厚遇されている。新薬の審査や安全性の確保を職務とする厚生省薬務局製薬課の課長・課長補佐も代々天下りしている。たとえば、大日本製薬がサリドマイド剤「イソミン」を申請した当時の水野課長は山之内製薬に、次の喜谷課長は中外製薬に、サリドマイド事件でレンツ報告を無視して国内での販売を続行させた平瀬課長は藤沢薬品に、クロロキンが問題になるまえに自分だけ薬をやめた豊田課長は東京医薬品工業協会の常務理事に、それぞれ天下りしている。現在も大手製薬メーカーでは課長補佐クラスを天下りさせて取締役の厚生省担当部長のポストにつけているという▼9。
天下りのシステムがあるかぎり業界との癒着はなくならない。なぜなら、まず第一に、厚生省の現役官僚が、製薬企業や製薬企業団体の役員の肩書きをもつかつての先輩たちと交渉するさいに、厳格な態度で臨むのはむずかしいからであり、第二に、厚生省の官僚が再就職の可能性を考えるかぎり、そうしたOBのいる製薬業界を考慮せざるをえないからである。だれしも自分の近い将来の可能性を狭めたくはないものである。ここでもフォーマルな組織ではなくインフォーマル・グループが現実を動かしているのである。
第二にあげておきたいのは、厚生大臣の諮問機関である中央薬事審議会のあり方である。薬は国が管理するといっても、じっさいには専門家の権威によって統制するわけであり、中央薬事審議会はその中枢にあたる。新薬はここで審査され認可される。ところが、そのもっとも厳正中立でなければならないところで、常識では考えられないことが慣習化されてきた。いわゆる「一人二役問題」である。これは、新薬の研究開発の中心者が中央薬事審査会の委員としてその薬を認可するという事態をさしている。つまり、審査される側と審査する側に同一人物がいるわけである。この問題は一九八一年国会で「丸山ワクチン」問題に関連してはじめて表面化した。そのさい「丸山ワクチン」つぶしで動いたといわれる人物が、先行する免疫療法剤「クレスチン」の研究開発者であり、かつそれを審査する中央薬事審議会委員だったことが判明している▼11。さすがにこれは、国会で問題となった一九八一年に禁止された。このように中央薬事審議会は、たてまえ上公正な第三者機関ということになっているが、第三者性に問題があるといわざるをえない。
専門家支配
これまで製薬企業と厚生省のふたつの組織をみてきたが、このほかにも大学研究者や病院の医師などが薬害の発生に直接関与している。とくに医師は、たとえばスモン訴訟の場合のように、当初は被告とされていたが、のちに投薬証明の必要から法的責任を免責されることが多かった。しかし、直接患者を診る立場にあった医師たちに社会的責任がないとはいえないだろう。
さて、薬害に関与した・関与しうるこれらの人びとはすべて薬の専門家であり、多くの権限が制度的にあたえられているわけである。薬に関するいっさいのこと――そして医療全体――がこれら専門家によってのみ決定されてきた。このような事態を「専門家支配」(professional dominance)と呼ぶ▼12。
医療社会学者でこの概念の提唱者であるエリオット・フリードソンによると、医師のような専門家(専門職)を他の一般の職業と区別する特徴は「自律性」(autonomy)にある▼13。これは、外部に対しては、専門教育とライセンスによって特定領域の独占的な権利をもち、他からとやかくいわれないで自由に活動できることであり、同時に内部に対しては、公共の利益のために倫理的な自己規制をおこなう責任と能力をあわせもっていることである。医師の場合でいうと、患者はもちろん看護婦など他の医療従事者の判断を考慮することなく、独自の裁量で医療行為をおこなうことができる強力な権限をもっており、独自の職業倫理にもとづいて自分たちのことを自分たちでチェックできるということである。ある職業がこのような「自律性」を獲得した状態が「専門家支配」である。
薬害に関係する人びとのうち、製薬企業・大学・国立研究所の研究者たちの世界と、直接患者に薬を処方した医師たちの世界は、ともに「自律性」を保証されてきた「専門家支配」の確立した世界である。平たくいうと、シロウトが口をだせない不可侵領域だった。一般の人びとはだまってかれらのさしだす薬を飲むしかなかった。しかし、多くの薬害事件や新薬開発をめぐるさまざまな不祥事・不法行為は、これらの専門家たちに自己規制能力が欠落している――そこまでいわないまでも不十分だったとはいえよう――ことを物語っている。自己監視ができなければ外部の第三者によるチェックが必要であろう。なんらかの「オンブズマン」(ombudsman)制度が期待されるゆえんである▼14。
▼1 現代組織論の文脈でもこの問題についてふれておいた。14-4参照。
▼2 スモン訴訟の概要については、川名英之、前掲書、第二章。スモン以降のチバガイギー社の行動および第三世界における薬の販売使用の実態については、ダイアナ・メルローズ、上田昌文・川村暁雄・宮内泰介訳『薬に病む第三世界』(勁草書房一九八七年)。
▼3 宝月誠「製薬企業の世界――企業逸脱としての薬害の発生」宝月誠編、前掲書所収。
▼4 前掲書一〇四ページ。
▼5 サザランド、平野竜一・井口浩二訳『ホワイト・カラーの犯罪』(岩波書店一九五五年)。
▼6 宝月誠、前掲論文。
▼7 宝月誠、前掲書、一〇七ページ。
▼8 高杉晋吾『告発ルポ黒いカプセル――死を招く薬の犯罪』(合同出版一九八四年)第一章「疑惑のプロローグ」。
▼9 後藤孝典編、前掲書ならびに水巻中正『崩壊する薬天国――揺らぐ日本の医療を追う』(風涛社一九八三年)二九ページ。
▼10 14-2参照。
▼11 高杉晋吾、前掲書一三七ぺージ以下、一九三ぺージ以下、二五三ぺージ以下。なお、丸山ワクチン問題の全容については、井口民樹『増補版・再考丸山ワクチン』(連合出版一九九二年)がくわしい。ちなみに「クレスチン」は年間売上げ五百億円の抗ガン剤だが、一九八九年厚生省は「単独ではガンに効かない」ことを公式に認めた。
▼12 「専門職支配」と訳す場合もある。
▼13 「専門家支配」については、つぎのふたつの文献を参照した。黒田浩一郎「医療社会学序説(2)――プロフェッショナル・ドミナンス(専門家支配)をめぐって」中川米造編『病いの視座――メディカル・ヒューマニティーズに向けて』(メディカ出版一九八九年)所収。進藤雄三『医療の社会学』(世界思想社一九九〇年)III第四章「医療専門職:医師」。
▼14 「オンブズマン」とは、苦情処理を委任された公的第三者のこと。
23-3 社会的現実構成過程としての薬害認定
スモン被害者の役割変遷
これまで主な薬害事件とその原因となった組織と役割のあり方をみてきた。じつはこれらはすべて〈事後的にみて〉のことであって、はじめから一連の事象が「薬害」「事件」として存在していたわけではない。いずれも被害者自身によるねばりづよい運動――とくに裁判闘争――によって、ようやく「薬害事件」と認定されたものである。被害者による有効な社会運動なしには「薬害事件」は社会的に存在しなかったといっても過言ではない。この事実は社会学的見地からみてもきわめて重要である。この点について、おもに宝月誠編『薬害の社会学』を参考にして考えてみよう。
栗岡幹英はこの研究のなかで、スモン薬害被害者の手記を分析して、キノホルム中毒者がさまざまな役割をへて薬害告発者へ自己形成する過程を共感的に追っている▼1。それによると、多くのキノホルム中毒者はおおむねつぎのような役割を変遷しているという。「すなわち、『健常な社会人』であった主体が、スモンに罹患することによって『スモン患者』の役割を強いられ、やがてキノホルム原因説が社会的に認められて後は『キノホルム被害者』としてふるまい、さらに裁判所への提訴その他の運動に参加することで、『薬害告発者』として自己形成を遂げるのである▼2。」この役割変遷の過程を栗岡論文によってもう少しくわしくみていくことにしよう。
まず、身体の不調があった。身体へと意識が収れんすることによって、それまでの健康な「社会人」という役割が「私秘的生活者」の役割にすりかわっていく。やがてスモン特有の激痛と身体の機能障害(下肢マヒと視力低下)の進行によって「スモン患者」の役割を受け入れざるをえなくなる。他の一般の患者役割と同じように「スモン患者」の役割も一時的なものと考えられ、他者への依存を受け入れるようになる。ところが、それが一時的なものでなく不治の病いであることがわかり、視力などの障害が一線をこえてしまった段階で、このような意味世界は崩壊する。一方ではウィルス説が報道されることによって、かれらは「感染症患者」の役割を押しつけられる。同時に、本人とその家族はともに社会からさまざまな迫害を受けることになる。それは、他人に奇病をうつしてしまう存在として「加害者」役割を家族ともども背負わされたことによるのであるが、その結果として、かれらの多くはウィルス説の受け入れに拒否的にならざるをえなかった。それに対して、しばらくのちにでた「キノホルム説」は、かれらの体験によく合致するとともに「加害者」役割からの解放を意味したため、積極的に受け入れられることになる。こうしてかれらは「キノホルム被害者」の役割を選択的にとることになる。こうなると、かれらは被害者として加害者の存在を意識するようになる。まず医者が想定されるが、やがてその背後の製薬企業とそれを監督する立場にある国[厚生省]そして薬事制度全般へと遡及する。そこで、かれらは一方で「キノホルム被害者」という自己定義を正当なものとして他者の承認をえようと能動的=主体的に運動するとともに、他方で裁判の原告の役割をとることを通じて普遍的な性格をもつ「薬害告発者」へと自己形成していく。このさい目標となったのは、自分たち被害者への補償だけではなく、薬害そのものの根絶である。このことが、「確認書和解」という特殊だが明確な終結を勝ちとる大きな原動力となった▼3。
キノホルム中毒者がその不幸な偶然を最初のきっかけにして、いわば〈人間としての全体性〉を能動的=主体的に生きることによって、潜在化していた一連の事象が「薬害事件」という明確な輪郭をもつ社会的現実として構成されたわけである。
薬害の認定
薬害事件が社会的存在として認定されていく過程には、つぎのような主体が積極的に関係している。
まず第一に、被害者による主体的な社会運動▼4。この場合の「被害者」には家族もふくまれている。おもに裁判を中心とする一連の社会運動なくして、薬事二法成立にいたる改革はありえなかった。ミクロな私的状況とマクロな社会構造を連接する〈社会学的想像力〉をここにみることができる。しかし、その源泉は社会学ではとうていなく、一九六〇年代に水俣などで培われてきた反公害運動のエートスがその源泉となったと思われる▼5。
第二に、ジャーナリズムの媒介。当然、ジャーナリズムなしに世論形成はありえない。薬害問題も例外ではない。しかし、報道する側の意図、報道される側[運動主体]の意図通りに受け取られるとはかぎらない。オーディエンスが別の受け取り方をする場合も多い。スモンの場合、ウィルス感染説の報道が、結果的に被害者の苦悩を増大させた。受け手の保守性・メディアの保守性を考えると、偏見を助長し混乱を招く場合も多い。しかしそれでも、ジャーナリズムが作動しないかぎり、個々の薬害が社会問題として認知されることはありえなかった。その意味で、ジャーナリズムは両義的に関与するといえる。
第三に、判定者としての科学者。田中滋によると、多くの薬害は病気として処理されてしまうという。薬害であることが容易に判断でき、死という重大な結果を伴うものはかえって隠ぺいされやすい。逆に薬害として認定されやすいものは、比較的ゆるやかな速度で死亡などの結果をおこし、なおかつ、症状に特異性があるものである。なぜかというと、ゆるやかであるために因果関係を確定するのがむずかしいこと、そして特異性が医学的関心を呼び、医学会の症例報告がさかんになり、その結果マスコミ報道がなされるからである。サリドマイドもスモンもクロロキンもそうだった▼6。ひとたび問題が明らかになって以降、医学・薬学分野の科学者は判定者として関わっていく。たとえばスモン訴訟では原告被害者側の学者証人として四一人(のべ七一人)の科学者が証言した。他方、被告側にも薬学界の何人かの重鎮も証言している▼7。
第四に、オーディエンスとしての他者。当事者に対して傍観者の役割にある人びとの存在も重要だ。かれらは一貫して傍観者にとどまろうとし、無知・偏見・差別の具体化を担う一方、匿名の世論として問題の社会的認定に関わってくる。また、かれらに対する反作用として被害者が主体的に役割形成を促進せざるをえなかった事情も無視できない。この点では、加害者側の態度についても同様に作用する。多くの場合、製薬会社が被害者救済よりも信頼イメージの維持を優先させるのは、圧倒的多数のオーディエンスの存在を考慮してのことである。つまり、オーディエンスとしての他者は社会的圧力として両義的に問題認定に関わっているわけである▼8。
社会的世界では、物理的世界とちがって、存在そのものが客観的であるとはいえず、共同主観的に構成される。みんなが「ない」といえば、それは〈ない〉にひとしいということだ。したがって、ある問題が〈社会問題〉として存在するためには、以上のようなさまざまな主体によって集合的に定義される過程がどうしても必要なのである。
▼1 栗岡幹英「薬害被害者の意味世界の諸相」宝月誠編、前掲書所収。
▼2 前掲書六〇ページ。
▼3 以上、前掲論文を要約。
▼4 裁判の過程の分析として、栗岡幹英「薬害における逸脱と裁判」宝月誠編、前掲書。
▼5 当然このようなエートスがえられない場合も数多く存在するはずだ。しかし、その場合、ジャーナリストなどの第三者による告発がなければ知られることはない。そのような例として、鎌田慧『ドキュメント隠された公害――イタイイタイ病を追って』(ちくま文庫一九九一年)。対馬における東邦亜鉛の鉱毒事件をあつかっている。
▼6 田中滋「『薬害』の総体的認識に向けて――薬害の顕在化過程の分析」宝月誠編『薬害の社会学』二三五ページ以下。
▼7 高野哲夫、前掲書二四三-二四六ページ。
▼8 したがって非当事者が「知る」こと自体が、重要な抑止力になる。
23-4 知識としての薬
消費社会における薬
M・シルバーマンとP・R・リーは、アメリカ社会における薬の非合理的な使われ方の原因として、以下の五点をあげている▼1。
(1)医者と患者の双方にみられる懐疑心の不足あるいは手ばなしの素直さ。
(2)多くは非客観的で不完全、あるいは誤解を招くような広告その他の薬の宣伝の氾濫。
(3)すぐに役だちしかも客観的な薬の情報の不足。
(4)「有効ではないかも知れないが、害にはなるまい」という例の誤った前提にもとづく、薬の広範な使用。
(5)おなじく一般にひろまっている「病気に薬はつきもの」という信仰。
おそらく薬害大国日本も同様の事情にあると思われる。薬が消費社会におかれ、大量に消費されるとき、その危険性もまた増大する。なんらかの将来戦略が必要だろう。最後に、その方向性をさぐってみよう。
薬の本質
伝統的な生薬と異なり、現代の薬の多くは化学合成物質である。したがって、薬にはまず〈物質性〉がある。そして、その物質は人の身体に投与されて一定の効果をえるための物質である。つまり、これは人間と生理的に関わる物質である。だから薬は〈物質性〉とともに〈生理性〉をもつ。ところが、薬はこれにとどまらない。薬は製薬企業によって大量に生産かつ広告され、医療現場や家庭で大量に消費される。それは国家によって管理され、専門家によって統制される。このプロセスはまぎれもなく社会的なものである。その意味で、薬は〈社会性〉をもあわせもつ▼2。
考えてみれば、薬害は薬の〈物質性〉の問題ではなかった。製造過程で不純物質がまぎれこんだわけではない。薬害は、〈生理性〉を構成する薬理作用・副作用・有害作用の定義の問題に起因しており、それが現場の医療関係者もふくめた一般の人びとに公開されることなく、ごく一部の人びとの利害によって決定されたという〈社会性〉レベルの問題だった。
その要になっているのは〈知識〉である。そもそも薬の本質は、「ある物質を一定の使い方をするとこのような効果がえられる」という知識にある。これがなければ、どんな薬もタダの粉でありタダの水である。したがって、薬の問題は、すなわち薬に関する知識の問題――より正確にいうと「知識の社会的配分」の問題――なのである。
たとえば、クロロキンをマラリアの薬として使う分にはよかったかもしれないが、リウマチ関節炎や腎炎にも有効だとされたために日本ではクロロキン網膜症が大量に発生することになった。適応症・副作用・服用量・服用期間に関する正確な知識が隠ぺいされたか十分研究されないまま、誤った知識が一般に流通してしまった――あるいは意図的に流通させた――ことが薬害の直接的な原因である。
情報公開
知識はつねに〈社会的に〉構成される。薬の〈知識〉も例外ではない。
現代社会において薬についての知識は、製薬会社や厚生省などに関係する一部の専門家によって管理かつ独占されている。すでに説明した〈専門家支配〉は、おもに知識の独占管理にもとづいている。しかし、専門家は、見方を変えれば、利害関係者である。したがって、専門家支配は一見妥当なことのように思えるけれども、現実には利害の介入を招きやすい。そのようななかでは、重要な知識が操作され、また独占される可能性がきわめて高い。したがって、薬害を根絶するためには、なによりも薬に関するあらゆる知識の公開が必要である。
たとえば新薬の場合だと、許可申請データから厚生省の審査過程そして副作用情報などの第一次情報がすべて公開されていることが必要である。そして、じっさいに使用する医師や服用する患者にも、必要とあればいくらでも薬に関するくわしい知識がえられるようなコミュニケーション制度が整備されるべきだろう。かれらには「知る権利」があり、それが行使されることが、薬の知識の独占や操作に対する強力な抑止力になる。
同時に、そのような知識の問題性をいち早く察知し分析する本格的な科学ジャーナリズム・医療ジャーナリズムが必要である。これまでジャーナリズムはシロウトであることを自己正当化してきたきらいがあるが、これでは薬に関する問題にはとても対処できない。より本格的な科学ジャーナリズムの発展を望みたい。
▼1 シルバーマン、リー、前掲訳書二五九ページ。
▼2 高野哲夫、前掲書一ぺージ。
増補
薬害エイズ事件の社会問題化
本書初版発行当時は日本社会が「薬害」ということばを忘れていたころで、現代用語事典にも「薬害」という項目はなかった。もちろん社会学のテキストに薬害の章を設定するというのも異例のことだったと思う。しかし、まさにこの時期に薬害エイズ事件は法廷において裁かれつつあったのである。
初版執筆当時、薬害エイズについての情報は限られていた。系統的なものとしては、毎日新聞の一連の薬害エイズ報道がほとんど唯一のもので、そのため本書では「薬害」の章ではなく「スティグマ論」の中(四三六ページ)で患者差別問題としてだけ取り扱っておいた。当時は原因について自信がなかったからである。
その後、朝の番組などでいちはやく薬害エイズをとりあげていたNHKのディレクターが書いた、池田恵理子『エイズと生きる時代』(岩波新書一九九三年)と、写真家の広河隆一『日本のエイズ―――薬害の犠牲者たち』(徳間書房一九九三年)によって全貌が明らかになってきた。広河隆一の本はその後『薬害エイズの真相』(徳間文庫一九九六年)に文庫化されている。広河には、七三一部隊と日本の医学薬学界の密接な関連について詳しく調べた『エイズからの告発』(徳間書房一九九二年)もある。
一九八八年二月から四カ月間続いた毎日新聞のエイズキャンペーン報道の記録は、毎日新聞社会部『薬害エイズ 奪われた未来』(毎日新聞社一九九六年)にまとめられている。これは、それまでのセンセーショナルな報道とは異なる画期的な調査報道で、今日頻繁に引用されている一九八三年当時についての関係者の発言の多くはここでなされたものである。今から振り返ると、HIV感染の薬害性はじつはこの段階でほぼ明確になっていたといえる[さらに先駆的なものとしては、ルポライターの池田房雄の本がある。池田房雄『白い血液――エイズ上陸と日本の血液産業』(潮出版社一九八五年)]。
以上をコンパクトに整理したパンフレットとして、広河隆一『薬害エイズ』(岩波ブックレット一九九五年)。また、櫻井よしこ『エイズ犯罪―――血友病患者の悲劇』(中央公論社一九九四年)は、事件の関係者の取材がていねいで評判を呼んだ本。HIV訴訟について詳しく述べられている。片平洌彦『構造薬害』(人間選書・農山漁村文化協会一九九四年)は、医学者の立場から薬害の構造を分析したもの。おもにスモン事件と薬害エイズ問題が分析されている。資料性も高い。
薬害エイズとは何か
いわゆる「薬害エイズ」とは、輸入非加熱血液製剤による血友病患者の大規模なHIV感染のことである。輸入非加熱血液製剤とは、主にアメリカから輸入されていた血液製剤で、血友病の治療に使われていた。それ以前のクリオ製剤に対して濃縮製剤とも呼ばれる。非加熱とは文字どおり「加熱処理していない」ということで、そのためにHIVの感染が生じた。血液製剤とは血液から特定の成分を抜き出して白い粉にしたもので、これを蒸留水で溶かして点滴する。血友病とは血液に凝固成分が不足している遺伝病で、男性にしか現れない。日本の患者数は五千人。性感染ルートばかりが強調されてきたエイズだが、日本のエイズは輸入非加熱血液製剤による薬害として始まった。一九八八年二月の段階で日本のHIV感染者の九三パーセントがこの血液製剤被害者だった。当時アメリカではHIV感染者全体の一パーセントほどだったというから、ここに顕著な日本的特徴を見ることができる。
薬害エイズ事件の経過
上記の資料をもとに事件の経過を整理してみよう。和解までの薬害エイズ事件のプロセスは、ほぼ五つの段階に整理することができる。
(1)前史―――血友病治療の歴史
この事件はエイズが登場する前から始まっているといっていい。大量感染の節目に当たる一九八三年当時に専門医たちがなぜあのような行動をとったのかについてのカギはじつはここにある。一九七〇年までの治療はもっぱら輸血によっていたが、クリオ製剤が使われるようになって血友病患者は「ふつうの生活」が可能になった。一九七八年から非加熱の濃縮製剤が導入され、非常にかんたんに治療が可能になる。と同時に、予防投与と家庭療法(自己注射)のワンセットとして濃縮製剤が導入される。
すでにこの段階で問題はあった。クリオ製剤はひとりか数人の血液からひとり分の製剤をつくるが、濃縮製剤は数千人分の大量の血液を一挙に処理するために、大量感染が発生しやすい。じっさい初期からC型肝炎ウィルスの大量感染が生じており、濃縮製剤導入の段階から薬害はすでに始まっていた。
(2)HIV大量感染
一九八二年七月にはアメリカで三人の血友病患者がエイズ発症している。この段階ですでに感染経路として血液製剤が疑われている。一九八三年三月、アメリカ政府は、血液製剤を作っている製薬会社に対して、エイズに感染している可能性のある人たちの血液を使わないように勧告。製薬会社(トラベノール社)は、加熱処理した血液製剤をいち早く開発し製造販売認可される。じつはこれ、もともとは肝炎ウィルス対策として開発されていたものだった。これ以降、アメリカでは加熱血液製剤へ切り替わる。その結果、あまった非加熱製剤が市場を求めて日本に殺到することになる。
日本では、おりしもこの年の二月に血液製剤を使用する家庭療法が厚生省に認可され健康保険で認められたばかりだった。このタイミングが多くの専門医たちの判断を誤らせることになる。つまり、「ようやくここまできたのに」という思いが結果的に安全性軽視の道を選ばせることになる。
当時、非加熱血液製剤に危機意識をもっていたといわれている厚生省薬務局生物製剤課の郡司篤晃課長は、一九八三年六月、エイズ研究班を発足させる。安部英(たけし)帝京大学教授を班長とし、おもに血友病専門医中心の人選だった。とくに血液製剤対策を担当する小委員会は安部門下で構成され、安部英教授の強力な指導に基づいて具体的な対策が講じられる。というよりも、結局何も緊急対策といったものをしなかった。
クリオから濃縮製剤への切り替えと予防投与の普及キャンペーン、そしてHIVの登場、この最悪のタイミングに適切な手を打とうとしなかった専門家たち、それを後押しする利益団体―――こうして血友病患者へのHIV大量感染が生じた。
基本的には、この大量感染は一九八三年から始まり、一九八五年七月に血友病Aの第八因子製剤認可され一九八五年十二月に血友病Bの第九因子製剤認可されるまで続く。しかも、郡司課長の後任にあたる松村明仁課長は、加熱製剤の登場後も非加熱製剤の回収命令をださず、出回っていた非加熱製剤はその後も使い続けられ、感染者をさらに増加させた。
(3)患者差別
あらゆる薬害事件がそうであるように、悲劇は二重三重になって被害者たちを襲う。第一の悲劇は血友病という病気もしくは障害。第二の悲劇はそれを治療するために投与した非加熱血液製剤による肝炎ウィルスとHIVの感染。そしてここから第三の悲劇が始まる。それは「感染する」という畏れから生じる社会的な患者差別である。
本格的なエイズ報道が始まるのは一九八五年三月の「エイズ1号患者」報道からといってよい。朝日新聞はそれを血友病患者であるとスクープするが、その翌々日に厚生省が男性同性愛者を「1号患者」と発表するあたりからである。
そして一九八六年から八七年にかけて、いわゆる「エイズ・パニック」が連続的に生じる。「フィリピンから出稼ぎに来ていた21才の女性が、日本に来る前に受けたエイズの抗体検査で陽性とでた」とのマニラ発共同通信のニュースから始まる「松本事件」。エイズ・女性・売買春とセンセーショナリズムを煽る要素がそろい踏みした。一九八七年一月には神戸で初めて日本女性のエイズ患者が確認されたと報告したことから始まる「神戸事件」。ここでエイズ・女性・売買春に日本人という要素が加わる。ここから多くの日本人はエイズを自分のこととして理解し始めたといえる。一九八七年二月「高知事件」。HIV感染者の血友病患者が交通事故を起こしたのがきっかけで、この人と交際のあった女性がHIVに感染していたことが判明し、しかもその人は別の男性と結婚して妊娠中だったとのニュース。
こうして「感染源としての血友病患者」のイメージが日本社会に無反省のまま蔓延することになる。血友病患者はそれだけで魔女狩りの対象となった。その結果、被害者の人たちは、「被害者」とみなされるどころか、社会にエイズを振りまく「加害者」として排除されることになる。医療機関から診療拒否、解雇、開店休業、さまざまな念書、通園禁止、受験願書受け付け拒否……。あらゆる社会的場面から不当な差別を受けることになる。
(4)HIV訴訟
第四段階は、被害者の人たちが国と製薬会社の責任を求めて東京と大阪で訴訟を起こしたことに始まる。この裁判過程が「薬害エイズ」の存在を広く社会的に認知させることになる。直接的なきっかけは、一九八八年十二月のエイズ予防法成立だった。強行採決された予防法に対して血友病患者団体は反対。それは患者の人権をないがしろしていたものだったからだ。もうひとつは、一九八八年の四カ月にわたる毎日新聞のエイズキャンペーン報道。これは世論づくりに大きく作用したと考えられる。
一九八九年五月、HIV訴訟。一九九四年にはこの訴訟とは別に、安部英帝京大学副学長が殺人未遂容疑で東京地検に刑事告発されている(一九九六年一月に殺人罪に切り替え)。
(5)和解
一九九五年十月、東京地裁と大阪地裁が和解を勧告。基本的には国と製薬会社の責任がほぼ立証されたこと、そして原告の厳しい時間的制約が背景にある。一九九六年一月、就任したばかりの菅厚生大臣が省内に調査プロジェクトを設置し、二月には、長年「存在しない」といわれていたいわゆる「郡司ファイル」が公表される。二月中旬、原告被害者の厚生省前すわり込み、その最終日に厚生大臣が法的責任を認めて被害者に謝罪し、三月確認書をもって和解した。
その後、東京地検は安部・前帝京大学副学長を逮捕。続いて大阪地検はミドリ十字社の歴代社長三人を逮捕、さらに東京地検は松村・元生物製剤課長を逮捕した。
院内感染
富家恵海子『院内感染』(河出書房新社一九九〇年)によって一躍「院内感染」ということばが普及し、一気に社会問題化した。ふつう「院内感染」は薬害には入れないが、抗生物質の過剰な使用が根本的な原因であることを考えれば、これもまた薬害の新しい現象形態である。この本は、夫を院内感染で亡くした妻がその原因を独力で追及していくプロセスを記録したもの。スモン事件の場合も何冊かベストセラーになったが、薬害問題の当事者や家族による手記はどれも心を揺すぶられるもの。それはたんに「お涙頂戴」ということではなく、そこからでないと見えないことがあまりに多いことに気づくからだ。富家恵海子『院内感染ふたたび』(河出書房新社一九九二年)は続編。こちらはその後の対策と背景的分析が主な内容になっている。三冊目の『院内感染のゆくえ』もふくめて、いずれも河出文庫に入っている。
陣痛促進剤
舩橋惠子『赤ちゃんを産むということ――社会学からのこころみ』(NHKブックス一九九四年)は社会学者の本。「誕生日を決める薬」として陣痛促進剤の問題がとりあげられている。今の産科の事故の多くはこの薬がからんでいるところが大きいといわれているが、あまり知られていないのではないだろうか。欧米とくにアメリカではハイリスク分娩にしか使用されていないこの薬が、日本では病院の都合や親の都合で安易に使われているとのこと。今後大きな社会問題になる可能性がある。
専門家支配
薬害問題は専門家支配に落とし穴のあることを物語っている。専門家支配については、その概念の提唱者の本の翻訳がその後でている。エリオット・フリードソン『医療と専門家支配』進藤雄三・宝月誠訳(恒星社厚生閣一九九二年)。これは、次章で問題にする医療社会学のメインテーマでもある。
裁判過程の社会学
薬害問題にかぎらず社会問題はたいてい長い訴訟になる。たとえば予防接種集団訴訟は一九九三年の結審までに二十年かかった。当然、裁判のプロセスではさまざまな社会学的現象が生じるわけで、必ずしも「法の論理」だけで進行するわけではない。
栗岡幹英『役割行為の社会学』(世界思想社一九九三年)は、役割理論に基づいて分析された裁判過程の社会学。前半はスモン事件、後半は免田事件が素材になっている。樫村志郎『「もめごと」の法社会学』(弘文堂一九八九年)は、エスノメソドロジーをとりいれた新しいタイプの法社会学概論。ふつう法社会学という分野は法学者が担当していて、要するに「法と社会」の関係に関する研究という程度のことで、つまり少しも社会学的でないのである。その点、これはまずまず社会学的といえる。
このほかにも、稲葉哲郎『裁判官の論理を問う――社会科学者の視点から』(朝日文庫一九九二年)。有名な冤罪事件である徳島ラジオ商事件の公判記録を心理学者の著者がつぶさに点検し、そのずさんな非科学的「論理」を具体的に批判した本。私たちは裁判が科学的に公正におこなわれていると信じているが、そうとは断言できないようだ。あのころの法学者はいったい何をしていたんだろうか。
日本の裁判制度の組織上の問題については、カレル・ヴァン・ウォルフレン『日本/権力構造の謎(上・下)』篠原勝訳(ハヤカワ文庫一九九四年)の8章「法を支配下におく」が簡明に実態をまとめてくれている。この説明によると「司法の独立」は組織論的には根拠をもたないといえそうだ。
科学報道
薬害事件は科学の最先端で生じる。したがって高度な科学的知識と見識が要求される。しかし、日本の報道機関は他の日本企業と同様にジェネラリスト志向(何でも屋)の人事制度に基づいており、専門分野をもつジャーナリストを育ててこなかった。そのため、薬害事件のような高度な問題になると、とたんに欠陥を露呈する。薬害エイズ事件においても、最後には厚生省バッシングに踊ったメディアは、そのわずか十年ほど前にはエイズ・パニックを起こした当事者でもあるのだ。結局、報道の論調の決定は他のメディアとの関連でおこなわれているわけで、必ずしも科学的な判断と見識によってなされているわけではない。
同様の問題は、公害・原子力・臓器移植・先端医療・宇宙開発などでも指摘されている。事例集として、柴田鉄治『科学報道』(朝日新聞社一九九四年)が実態を教えてくれる。ウォーレン・バーケット『科学は正しく伝えられているか――サイエンス・ジャーナリズム論』医学ジャーナリズム研究会訳(紀伊国屋書店一九八九年)は実務的関心からの議論。
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4月 12017

社会学感覚19自発的服従論

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社会学感覚
19 自発的服従論
19-1 服従の可能性としての支配
権力論の課題
これから三回にわたって説明する権力論というテーマ群をつらぬく観点は「権力は身近な生活の場に宿っている」ということだ。わたしたちは、ふつう「権力」ということばで国家権力およびその周辺を思い浮かべる。強大で絶対的な国家権力、それが常識的な連想だろう。しかし、ここでもまた常識的思考には落とし穴がある。このあたりを浮き彫りにしていきたい。
まず、『資本論』の片隅におかれた注のなかでマルクスがつぶやくように書きつけた一節をみていただきたい。「およそこのような反省規定というものは奇妙なものである。この人が王であるのは、ただ、他の人びとが彼に対して臣下としてふるまうからでしかない。ところが、彼らは、反対に、かれが王だから自分たちは臣下なのだとおもうのである▼1。」つまり、権力者は権力をもつから権力者なのではなく、人びとが自発的に服従するからこそ権力者なのだ。そしてこの権力の〈秘密〉に、服従する人びとは気がつかない。このロジックこそ、ここで権力論として自発的服従をあつかう最大の理由である。
ジンメルの「上位-下位関係」論
ジンメルは、たんなる人の集まりが、ある一定の〈社会〉へとつむぎあげられていくプロセスを「社会化」と呼んだが、その社会化の形式を研究するのが形式社会学だった。それは、社会の共通形式の文法学あるいは幾何学にあたるものだが、そんな形式のひとつとして「支配」をあげている。正確にいうと「上位-下位関係」平たくいうと「上下関係」である▼2。
これについてジンメルが示唆することはふたつある。
ひとつは、人間が社会を形成するとき「支配関係なしの社会」あるいは「権力なしの社会」は、まずありえないということだ。「ある」といいきる考え方はイデオロギーであり、現実から遊離している点でユートピアである。科学的には、権力による支配は避けられないということから出発するのが正しい。
第二に、要するに「支配は相互作用」だということ。つまり、支配者からの一方的な影響だけではなく、服従者からも支配者になんらかの影響をあたえているというのである。そして、支配が成立するには、かならず服従者の自発性と協力がいるという▼3。
ウェーバーの支配社会学
このアイデアを豊富な歴史的事例に適用し、膨大な支配社会学をつくりあげたのがウェーバーである。まず、有名なウェーバーの定義をみておこう。
「支配(Herrschaft)とは、一定の内容をもつ命令に一定の人々が服従するチャンスのことをいうべきである▼4。」
この場合も服従者の「服従意欲」が重要視されている。つまり、ある支配形態を人びとが正当なものとして納得して受け入れてはじめてその支配形態は安定する。逆に、人びとがそれを正当なものだと感じなくなるようであれば、それは長続きすることはない。だから支配ということが成り立つのは、原則的には、支配される人たちが、支配されることを承認する場合だけである。
では、人びとはどういう場合に、その支配形態を正当なものとして承認し服従するのだろうか。
それをウェーバーは「支配の正当性[根拠]」と呼び、歴史的にほぼ三つのタイプが存在するとのべている▼5。
(1)非人格的で合理的規則にもとづく「合法的支配」そのもっとも純粋な形としての「官僚制」――人びとはその合法的な地位ゆえに服従し、行政幹部は法的な権限をもつ。
(2)伝統の神聖さにもとづく「伝統的支配」――人びとはその伝統的な権威ゆえに服従し、行政幹部は特権をもつ。
(3)個人の非日常的資質にもとづく「カリスマ的支配」――人びとはその個人的な資質ゆえに服従し、行政幹部は使命をもつ。
こういう類型を「理念型」ということはすでにのべた▼6。一種のモデルのようなものだ。現実の歴史的支配形態は、これらの複合体として考察できる。歴史上多いパターンは「カリスマから伝統」「カリスマから合法」であり、近代西欧では、もっぱら合法的支配に向かっていった。これも合理化である。
いずれにせよ、カリスマ的支配が支配の原型であるとウェーバーは考えた。というのは、そこではなんの強制力もなく人びとはみずからの意志で自発的に服従しているからだ。これが支配の原型である。
この支配という関係は、なにも国家にかぎるわけではない。集団や村落、政党や宗教団体そして学校など、あらゆる社会関係にみられる。現代国家は当然「合法的支配」であり、人びとは手続き上の正しさに対して服従し、納税などの義務を果たすのだ。これは現代の企業や学校にもいえることである。一方、ワンマン的なヴェンチャー企業や宗教団体そして一部の政治団体などには、カリスマ的支配とみられるものもある。カリスマは潜在的に社会変革的機能をもつから、体制側の支配者から脅威とみなされ、しばしば理由もなく排除の対象となることも多い。
自発的服従
いずれにしても、支配についてジンメルとウェーバーがともに強調するのが「服従者の服従意欲」である。支配というのは服従のチャンス[可能性]である。服従には理由がなくてはならない。正当な根拠があって、それを認める人びとが支配という関係に入るわけである。
わたしたちは「支配」とか「上下関係」とかいうと、つい「暴力」とか「強制」といったことばを連想してしまうが、社会学的には別のことがらである。「支配」や「上下関係」が、暴力や強制をともなう一方的な関係であるという「常識的な」考え方に対して、大方の社会学者は否定的である▼7。ともあれ、したがう方にある程度の自由がなければ支配関係は成立しないのだ。服従者の自由度がある程度高くなければ、社会学的な意味での支配は成立しない。その意味で、社会学は「右」でもなければ「左」でもない。「右」も「左」も「上」にこだわっている。社会学は胸を張って「下だ」と答えよう。
さて、納得=合意の仕方として「カリスマ的」「合法的」「伝統的」の三つがあるとしても、しかし、支配が成立するのは、現実には真の合意にもとづいた場合だけとはかぎらないはずである。じっさい、なんらかの操作がなされることによって、あたかも合意が成立したかのような状態になる場合も多い。要するに、相手をだまして服従させるわけだ。「世論操作」などと呼ばれるケースがこれである。現代社会における権力を考える上で、じつはこの点はたいへん重要である。節をあらためて論じることにしよう。
▼1 カール・マルクス、岡崎次郎訳『資本論1』(国民文庫一九七二年)一一一ぺージ。
▼2 5-3参照。
▼3 ジンメル、居安正訳『社会分化論社会学』(青木書店一九七〇年)。この点については、阿閉吉男『ジンメル社会学の方法』(御茶の水書房一九七九年)。
▼4 マックス・ウェーバー、阿閉吉男・内藤莞爾訳『社会学の基礎概念』(恒星社厚生閣一九八七年)八二ページ。
▼5 マックス・ウェーバー、世良晃志郎訳『支配の諸類型』(創文社一九七〇年)一〇ページ以下。
▼6 5-2参照。
▼7 近年の理論のなかで一例をあげると、ニクラス・ルーマン、長岡克行訳『権力』(勁草書房一九八六年)。
19-2 歪められたコミュニケーション
歪められたコミュニケーションの三形態
さて、権力が正当性をもつと人びとからみなされる場合、みなされ方として、ふたつの場合が考えられる。ひとつは、人びとが開かれたコミュニケーションによって、平等かつ自由に自分自身の態度と行動を選択できる状況のもとで、正当と認める場合。ふたつめは、人びとが歪曲されたコミュニケーションによって、正当と認める場合である。前者は理念として現代社会に存在しているものの、めざすべき目標以上のものとはいえないだろう。じっさいには、大なり小なり歪められたコミュニケーションの場のなかで正当性が認められているにすぎない。
クラウス・ミューラーは、歪められたコミュニケーションの三つの主要形態について論じている。それは以下の三つである▼1。
(1)強制指導型コミュニケーション
(2)環境制約型コミュニケーション
(3)管理抑制型コミュニケーション
ミューラーにしたがって、少しくわしくみていこう。
強制指導型コミュニケーション
これは「言語やコミュニケーションの内容を規定しようとする政府の政策から生まれてくる」コミュニケーションのことである▼2。全体主義的社会によくみられる形であり、ナチス・ドイツや戦後の東欧の社会主義諸国などでよく観察された。
たとえば、ナチスは政権をとった直後の一九三三年、高校生にファシズムのイデオロギーやナチスの歴史的任務についてのコースの履修を義務づけるとともに、いっさいのマス・メディアを宣伝省の統制下においた。そのさい、ナチスのねらいは、さまざまのできごとについて政府と同じ評価を人びとにさせることだった。そのために、たんにイデオロギーを学習させるにとどまらず、ひとつひとつのことばの使い方まで統制しようとした。その結果、学術論文や国語事典・百科事典までも政府によって改訂され、ことばの再定義と新たな造語がなされた。たとえば「労働奉仕」について、以前は「強制労働の項を参照せよ」とあったのが「ナチス民族共同体のための偉大な教育制度」と書き改められた。また「創造力」という語義をつけられていた「知性」の項は「本能とは区別された批判的で反逆的・破壊的な特性を指す言葉」に変更された。さらに「憎しみ」の項は「憎しみも正義の側について言われる場合には肯定的な意味を持つ」と説明され、「北方人種の英雄的な憎しみは、ユダヤ人の臆病な憎しみと鋭く対立する」といった露骨な例文が添えられるにいたっている▼3。
このように、ナチスはことばそのものの再定義を徹底してやった。また新造語も多い。ナチス・ドイツの場合、これが一二年間も維持され、それが悲惨な結果を正当化するのに貢献することになる。そして、これとまったく同じことが戦後の社会主義諸国でも再演されつづけた。スターリンもまた、言語を変革闘争の武器と考えていたからである▼4。
しかし、これはヒトゴトではない。戦車を「特車」といいかえる「自衛隊」という軍隊をもつ日本社会にも、これはある程度あてはまることである▼5。
環境制約型コミュニケーション
これは「個人や集団の政治的コミュニケーションに携わる能力が制約されている場合のコミュニケーション」のことである▼6。先進諸国では、こちらが主流であろう。平たくいえば、自分の生まれ育った環境によって言語の運用が制限されるということであり、あからさまな政治的干渉による歪みではない。
家庭での社会化のパターンとそこで用いられる限定的な言語コードのために、ものごとの本質を認知したり、自分たちの利害を表明したりすることができないことがしばしばある。とくに下層階級は、これまでの歴史をみても、自分たちの悲惨な状態を明確に表明できず、むしろ権力の有力な支持層になっていることが多い。労働運動にしてもそれを明確に表現したのはマルクスやエンゲルスのような中産階級出身者であるし、日本の「一揆」も武士や僧侶によって指導されたものだ。
この文脈で問題となるのは、社会化のエージェント(担い手)たる家族・階級・学校・マスメディアである。これらが人びとの言語能力を規定する。言語は、各自のおかれている環境を解読する能力を限定する。その結果、自分たちの利害をうまく表現するだけの言語コードをもたない人びとは、結果的に現状維持的で保守的な権力支持層になりやすいという▼7。
管理抑制型コミュニケーション
第三の類型は「自分たちの利益を優先させようとして、私的集団や政府機関が、公的コミュニケーションに手を加えたり、制限を加えたりすることができた場合のコミュニケーション」である▼8。政府や民間企業による情報操作や情報非公開がこれにあたる。また、権力の正当性に関わる重要な問題を表面にださないために、権力の維持存続にあまり影響のない別の問題をキャンペーンするという方法もしばしば使われる。
このような方法によって人びとの知識が限定される。するとどうなるか。「政治決定や政策形成のなかで考慮されているさまざまな事実や論拠を知らなければ、人びとは政府の行為、特に日常生活とは関連がないと思われるような政府の行為を評価するのをためらうようになる▼9。」その結果、多くの人びとが政治的コミュニケーションに参加することをやめてしまう。
民主主義的な権力形成のために必要なこと
ミューラーが問題にする三つのタイプの歪められたコミュニケーションの場のなかで、支配の正当性があたかも妥当であるかのように成立する。この場合、それが意図的か非意図的かはあまり問題ではないだろう。それを区別することはきわめて困難であり、区別することによってえられるものも少ない。社会のしくみ・メカニズムとして科学的に認識することから、すべては始まるのだ。
さて、歪められたコミュニケーションを少しでも開かれたものにするには、なにが必要だろうか。いろいろな方向が考えられるだろうが、わたしはつぎの三点が決定的に重要だと考える。
(1)教育における社会科学
(2)行政における情報公開
(3)マス・メディアにおけるジャーナリズム
結局、これらがわたしたちにもたらしてくれるのは、〈反省能力〉であり、それによって可能になる〈社会の反省的コミュニケーション〉である。しかし、現代日本において、これらはいずれも不完全なまま放置されているのが現状である▼10。
▼1 クラウス・ミューラー、辻村明・松村健生訳『政治と言語』(東京創元社一九七八年)。
▼2 前掲訳書三〇ページ。
▼3 前掲訳書三六ページ以下参照。
▼4 前掲訳書五〇ページ以下参照。なお、この点については、ジョージ・オーウェルの古典的SF『一九八四年』(ハヤカワ文庫一九七二年)が必読。この本では「ニュースピーク」として登場する。
▼5 この点については、グレン・フック『軍事化から非軍事化へ――平和研究の視座に立って』(御茶の水書房一九八六年)第二章「軍事化と言語」が、「侵略」を「進出」といいかえさせたり、日本を「ハリネズミ」(鈴木首相)「不沈空母」(中曽根首相)にたとえたり「核アレルギー」(佐藤首相)という病気のメタファーを使用することによってえられる政治的効果について綿密に分析している。
▼6 ミューラー、前掲訳書三〇ページ。
▼7 以上、前掲訳書六一ページ以下による。環境制約型もまたヒトゴトではない。現代日本の大学生の多くは、評論系の文章を読んだり作文したりすることを著しく苦手としている。多くの学生の読書作文能力は、ほぼ高一水準にとどまっている。これは、高二から本格的に始まる受験勉強体制の学習環境のなかで、この分野についての意欲も実際的訓練もないまま放置された必然的な結果である。七〇年代以降の保守化傾向も、この文脈でとらえることができる。
▼8 前掲訳書三〇ページ。
▼9 前掲訳書一一六ページ。
▼10 (1)については1-4で、(2)(3)については第一二章ですでに論じておいた。とくにジャーナリズムの問題に関しては、野村一夫「社会学的反省の理論としてのジャーナリズム論」『新聞学評論』三六号(一九八七年)。
19-3 権力作用論
暴力的悪としての権力
長いあいだ権力に関する議論を支配してきたマルクス主義的権力観にはふたつの前提事項があった。第一に「権力イコール悪者/民衆イコール正義」の善悪図式、第二に「権力イコール暴力」図式である。
しかし、ときには権力が正義であり、民衆が悪者である可能性もあるわけで、それは見る人の位置によってさまざまでありうる。いずれにしても権力論に「正義-悪者」というコードをもちだすこと自体、あまり科学的ではない。また、後者の図式にしても、歴史的に多くの権力が暴力をともなっていたことは事実であるが、それらは人びとの自発的服従をえられていないのであるから、それはコストのかかるわりに脆弱な権力といわざるをえない。歪められたコミュニケーションの場においてであれ、人びとの合意と納得がえられないかぎり、それは砂上の楼閣なのである。
社会学ではジンメルやウェーバー以来、このようなステレオタイプから離脱した権力論を構築してきたが、おおかたの議論を変えるまでにはいたっていなかった。ところが、社会学とは出自の異なる領域から、マルクス主義的権力観とはまったく異質な権力論がでてきて、それがまたたくまに権力論の土俵を変えてしまった。それがフランスの思想家ミシェル・フーコーの権力作用論だった。
「見られる権力」から「見る権力」ヘ
一九七五年の『監獄の誕生』の冒頭で、フーコーは刑罰のやり方が十九世紀になってガラリと変わると指摘する。かんたんにいえば「華々しい身体刑から地味な監禁刑へ」の転換である▼1。
フーコーの示す事例によると、一七五七年に国王殺害者であるダミアンは、公衆の目の前で、熱したやっとこで懲らしめられたのち、火で焼かれ、鉛や油などの灼熱の溶解物を浴びせられ、四つざきにされたという。ところが、一八三八年の「パリ少年感化院」でなされる刑は、起床から就寝にいたるまで逐一こまかく管理された〈監禁〉である。
この刑罰の変化は、権力のあり方の変化をはっきりと物語る。
つまり、まさに華々しい祭式である身体刑は、受刑者の身体を傷つけることによって権力の存在をみせびらかすのを目的としていた。この場合の権力は「目に見える権力」「見られる権力」である。それに対して監禁刑の方は、権力は姿をあらわさないで、ただ監視する地味な「見る権力」「まなざす権力」逆にいうと「見えない権力」である。この「見えない権力」は、服従者を監視する施設をつくることによって人びとの精神に働きかける。支配の技法は「調教」であり「規律」「訓練」となる。
この変化は単に刑罰にだけ現れているのではない。この新しい権力とその技術は工場や学校や病院という形式のなかに現れる。
この「見えない権力」が押し進めるのは「規格化」である。規格化は五つの操作からなる▼2。
(1)比較――人びとの個別の行動・成績・品行を比較・区分する。
(2)差異化――全体的な基準を平均もしくは最適条件として尊重し、個々人を差異化する。
(3)階層秩序化――個々人の能力や性質を量として測定しランクをつける。
(4)同質化――規格に適合するよう束縛して同質化する。
(5)排除――規格外のモノは排除する。
このような規格化を押し進める新しいタイプの権力が十九世紀に誕生し、監獄・工場・学校・病院という施設として制度化される。フーコーによると、現在わたしたちがいるのは、このような「規律社会」である。
みえない権力・微視的権力・関係的権力
フーコーが示す権力像は、匿名的で関係的で、社会のいたるところに網の目のように遍在している微細な権力である。いわば社会に内在する権力である。近代以前の権力とのちがいを対比すると――
従来の権力――実体/支配者/マクロ/抑圧的/否定的
新しい権力――関係/匿名/ミクロ/産出的/肯定的
もう少しくわしくみることにしよう。フーコーは、つぎのように新しい権力を説明している▼3。
(1)権力とは、手に入れたり奪ったり分割したりするようなものではない。「権力は、無数の点を出発点として、不平等かつ可動的な勝負(ゲーム)の中で行使される。」
(2)権力関係は、経済や知識や性などに対して外在的な位置にあるものではなくそれらに内在する。
(3)「権力は下からくる。」
(4)「一連の目標と目的なしに行使される権力はない。しかしそれは、権力が個人である主体=主観の選択あるいは決定に由来することを意味しない。権力の合理性を司る司令部のようなものを求めるのはやめよう。」
(5)「権力のある所には抵抗があること、そして、それにもかかわらず、というかむしろまさにその故に、抵抗は権力に対して外側に位するものでは決してないということ。人は必然的に権力の『中に』いて、権力から『逃れる』ことはなく、権力に対する絶対的外部というものはない。」
フーコーの権力概念は、ステレオタイプな権力概念と真っ向から対立するものである。それはむしろ「権力関係」「権力作用」「力」と訳されてよいことがらである。本書では「権力作用」という訳語をあてたいと思う▼4。
権力作用論の意義
ここで、有名なウェーバーの概念定義に立ちかえってみよう。かれは『社会学の基礎概念』のなかでつぎのように定義する。「権力(Macht)は、社会関係のなかで抵抗に逆らっても自己の意志を貫徹するおのおののチャンス――このチャンスが何にもとづこうとも――を意味する。支配(Herrschaft)とは、一定の内容をもつ命令に一定の人々が服従するチャンスのことをいうべきである。規律(Disziplin)とは、習熟した定位によって一定の多くの人々が迅速に、自動的に、かつ方式的に命令に服従するチャンスのことをいうべきである▼5。」これをみると、フーコーの権力作用論は、すでにのべたジンメルやウェーバーの支配社会学が主張していた「自発的服従」の連続線上にあると考えていいだろう。とくにウェーバーが「規律」の概念で考えていたこと、そして「プロ倫」で描きだしたプロテスタントたちの生活はまさに権力作用論の原型である▼6。
この系譜の権力論において問題となるのは、だれが権力をもっているかではなくて、むしろその技術的側面である。フーコーは、近年の「女を支配する男の権力への、子を支配する親の権力への、精神病を支配する精神医学への、人口を支配する医学への、人々の生き方を支配する管理体制への抵抗」についてふれ、「これらの闘争における主目標とは、『しかじかの』権力制度なり集団なりエリートなり階級というよりも、権力の技法であり形式なのだ」とする。「この権力形式は、個人を類別する日常生活に直接関わり、個人の個別性を刻印し、アイデンティティを与え、自分にもまた他人からもそれと認められなければならない真理の法を強いる▼7。」重要なのはここである。
ところで、現代の日本社会において、このような権力技法について考える意味はどこにあるだろうか。
まず、いえることは「権力は身近な生活の場に宿っている」ということである。「日常生活の具体的な社会的場面において作用している微細な力=権力作用は『痕跡を残さない権力』すなわち行為者の自発的な行為を巻き込む権力。それは社会構造自体にはらまれた権力であり、特定の個人の意図には還元できない権力作用である▼8。」このような権力作用がなにをわたしたちの社会にもたらすのか。このあたりをこれから探ってみたいと思う。
▼1 ミシェル・フーコー、田村淑訳『監獄の誕生――監視と処罰』(新潮社一九七七年)。
▼2 前掲訳書一八六ページ。
▼3 ミシェル・フーコー、渡辺守章訳『性の歴史I知への意志』(新潮社一九八六年)一二一-一二四ページ。
▼4 フーコーの権力作用論の全容については、桑田禮彰・福井憲彦・山本哲士編『ミシェル・フーコー1926-1984』(新評論一九八四年)が理解しやすい。社会学者による、より包括的なフーコー入門解説としては、内田隆三『ミシェル・フーコー』(講談社現代新書一九九〇年)。
▼5 マックス・ウェーバー『社会学の基礎概念』前掲訳書八二ページ。
▼6 従来、ウェーバーの権力論というと「権力」の概念定義にふくまれた「抵抗に逆らっても」というところばかりがひとり歩きしていたように思うが、ウェーバーの主眼はむしろ「規律」にあるとわたしは考えている。
▼7 ミシェル・フーコー、渥海和久訳「主体と権力」『思想』一九八四年四月号、二三七-二三八ぺージ。
▼8 江原由美子『フェミニズムと権力作用』(勁草書房一九八八年)三二ページ。
増補
日本社会における自発的服従の現実
非常に大ざっぱな言い方をすると、ウェーバー流の伝統的な社会学的権力論も、フーコー流の新しい権力作用論も、注意を喚起しているのはともに「人びとの自発的服従」という事態である。それは「社会秩序」とほぼ同義の事態であり、それを「上から」ではなく「下から」把握しようとするとき「自発的服従」概念が理論的意義をもつのである。この論点については、野村一夫『リフレクション――社会学的な感受性へ』(文化書房博文社一九九四年)第四章「権力作用論の視圏」で詳しく論じておいた。具体例に即したものでは、熊沢誠『新編 民主主義は工場の門前で立ちすくむ』(現代教養文庫一九九三年)。
読書界で大きな反響をもたらしたカレル・ヴァン・ウォルフレン『人間を幸福にしない日本というシステム』篠原勝訳(毎日新聞社一九九四年)も、同様の見地からの問題提起といえるだろう。社会学では、栗原彬『人生のドラマトゥルギー』(岩波書店一九九五年)が日本人の「心の習慣」を批判的に問いなおしている。
都市と権力
本書では地域研究の系列を扱わないので、その結果、都市社会学がまったく無視されている。「あとがき」にも述べたように、これが本書の欠陥である。ところが、カステルの登場以降、都市社会学に一種の権力論的転回ともいうべき潮流がでてきており、居直ってばかりもいられなくなった。独自の権力論として注目されたのが、藤田弘夫『都市の論理――権力はなぜ都市を必要とするか』(中公新書一九九三年)。権力の「調達」「保障」の機能の重要性を喚起して議論を呼んだ研究書をやさしく説明した新書である。
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4月 12017

社会学感覚18音楽文化論

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社会学感覚
18 音楽文化論
18-1 合理化の産物としての近代西欧音楽――歴史社会学的視点
合理化・聴衆・複製技術・消費文化
文化論の最後のテーマとして音楽をとりあげたい。文化的営みである芸術活動のうちのひとつのサンプルとして――あるいは例題として――とりあげてみようというわけだ。
おそらく社会学という科学のなかに「芸術社会学」や「音楽社会学」という分野があることに、意外な感じを受ける人がいるかもしれない。しかし、たとえばジンメルは『レンブラント』という本まで公にしているし、ウェーバーもまた「音楽の合理的・社会学的基礎」通称「音楽社会学」という大きな論文を残している。また、フランクフルト学派にはベンヤミンやアドルノといった非常に芸術に造詣の深い社会学者がいて、多くの著作によって芸術学・美学・音楽学の研究者に大きな影響をあたえてきた。本章では、これらの古典的な研究を紹介するとともに、本書の文化論のシフトである現代の消費文化についても考察していきたい。
キーワードは四つ。合理化・聴衆・複製技術・消費文化である。これらを軸に、音楽現象・音楽文化について歴史的に話をすすめていきたい。ブレヒトのいう「歴史化」を音楽現象について試みたいと思う▼1。歴史化といっても、タイムスパンをどうとるかによって、ずいぶんみえてくるものがちがってくる。はじめに「歴史的過程のなかの近代」というスケールでとらえ、つぎに「近代内部の変化」、さらに「二十世紀」、最後に「現代」というスケールでみていくことにしたい。四つのキーワードは、この四つのスケールに対応している。
ウェーバーの合理化論
音楽はあらゆる時代・あらゆる民族において発展した普遍的な営為だ。しかし、音楽に関して近代西欧においてのみ生じた特殊なことがある。それは独特の〈合理化〉である。
ウェーバーは『宗教社会学論集』の有名な「序言」のなかで、つぎのように問うている。要約すると「なぜヨーロッパ以外の地では、科学・芸術・国家・経済の発展が、西欧に特有の合理化の道をたどらなかったのか」-この「西欧に特有の合理化」のことをウェーバーが「呪術からの解放」とも呼んでいたことは前章でもふれた。ウェーバーは、この西欧に特有な合理化」の結果生まれたものとして、つぎのようなものをあげている▼2。
経済における資本主義的企業――形式的に自由な労働・合理的経営形態・家政と経営の分離・合理的な簿記
行政における官僚制組織
国家における議会制度・憲法・合理的法体系
学問における近代自然科学――数学的な表現と基礎づけ・実験による検証・組織的研究の場としての大学
芸術における市場向け生産物――文学出版物・雑誌・新聞・劇場・美術館
絵画における遠近法
音楽における和声音楽[対位法・和音和声法]
以上の諸現象は今日わたしたちにとって自明な――それゆえ普遍的にみえる――ものばかりだが、じつはいずれも近代西欧にのみ発生した、歴史的にみてきわめて特殊な現象なのである。そこには独特の〈合理化〉が一様にみられた。
西欧音楽の合理化
晩年のウェーバーの関心は、西欧近代社会がたどった合理化過程に集中しており、かれの未完の草稿「音楽の合理的社会学的基礎」(通称「音楽社会学」)もその視点につらぬかれている▼3。
さしあたりウェーバーの関心は西欧音楽独自の音組織にあった。具体的には、合理的和声と調性である。和声音楽はトニック・ドミナント・サブドミナントの三つの三和音の組み合わせによって構成される。これは近代西欧音楽独特のものである。これを可能にするのはオクターブ空間の均質的な構成である。つまり十二平均律である。これがあってはじめて自在な転調が可能になり、和声音楽の表現力は飛躍的に高まる。ところが、じつは自然に聞こえる和音にもとづいて調律すると、オクターブがあわないのである。音響物理学ではこれを「ピュタゴラス・コンマの問題」と呼ぶ。このさい近代西欧音楽は聴覚上の調和よりも十二音の間隔の均一化を選択する。つまり、よく響くが音楽的ダイナミズムに欠ける純正律ではなく、聴覚上若干の不協和があるが自在な音楽表現を保証する平均律を選ぶのである。J・S・バッハの「平均律クラヴィーア集」(第一集)は、その転換点を刻印する作品だった。
以上の西欧独特の音組織は、他のさまざまな要素と連動していた。第一にあげなければならないのは記譜法の成立である。西欧以外の伝統的音楽はいずれも精密な楽譜を発達させなかった。五線符に音楽をく書く記譜法は、もっぱら〈演奏する〉活動だった音楽を「書く芸術」に変化させた。ここではじめて作曲家と演奏家が分離し、〈音楽を書く人〉としての「作曲家」が誕生することになる。第二に、楽器とくにピアノにいたる鍵盤楽器の発達が関係する。鍵盤楽器が他の諸楽器と異なるのは、調律を固定しなければならないことである。とりわけピアノは純正律から平均律への転換に大きな役割を果たした。
もちろん、宗教をはじめとするあらゆる文化現象がそうであるように、音楽現象も、非合理的で神秘的な性質をもつ。じっさい、いわゆる民族音楽としてわたしたちが知っている多様な音楽のほとんどは、もともと非合理的で神秘的な性質をもっている。しかし、近代西欧音楽は、しだいに非合理性と神秘性を溶解させ、独特の合理化を果たすのである。ウェーバーの歴史社会学は、その合理化が、ひとり音楽のみならずあらゆる社会領域において浸透していった壮大な潮流のひとつの支流であることを教えてくれる。
▼1 ブレヒトの「歴史化」については2-2参照。
▼2 「宗教社会学論集序言」マックス・ヴェーバー、大塚久雄・生松敬三訳『宗教社会学論選』(みすず書房一九七二年)。なお、ユルゲン・ハーバーマス、河上倫逸・フーブリヒト・平井俊彦訳『コミュニケイション的行為の理論(上)』(未来社一九八一年)第二章およびディルク・ケスラー、森岡弘通訳『マックス・ウェーバー――その思想と全体像』(三一書房一九八一年)一五九ページ以下参照。
▼3 マックス・ウェーバー、安藤英治・池宮英才・角倉一朗訳『音楽社会学』(創文社一九六七年)。くわしい解説が訳注として付された親切な訳本だが、本文前半に音響物理学を利用した非常に難解な部分があり、直接これを読んで理解できるのは、そうとう音楽理論と数学の得意な人ではなかろうか。そこでこの本に付せられた安藤英治の解説「マックス・ウェーバーと音楽」をはじめとして以下の解説を参照した。ディルク・ケスラー、前掲訳書。R・コリンズ、寺田篤弘・中西茂行訳『マックス・ウェーバーを解く』(新泉社一九八八年)。吉崎道夫「ウェーバーと芸術」徳永恂編『マックス・ウェーバー――著作と思想』(有斐閣新書一九七九年)。吉崎道夫「非合理と合理の接点にあるもの――ウェーバーの『音楽社会学』を廻って」『現代思想』一九七五年二月号。勝又正直「M・ヴェーバーの『音楽社会学』をめぐって」『社会学史研究』第九号(一九八七年)。ウェーバーの音楽社会学はウェーバー研究の文脈では年々その重要性が評価されているようだが、一般には社会学として継承されていない。このあたりの事情については、アルノルト・ツィンゲルレ、井上博二・大鐘武・岡澤憲一郎・栗原淑江・野村一夫訳『マックス・ウェーバー-影響と受容』(恒星社厚生閣一九八五年)参照。
18-2 近代的聴衆の誕生――オーディエンス論的視点
「音楽の正しい聴き方」
つぎに近代西欧音楽の展開過程の内部における変化をみていこう。とくにウェーバーが見落としていた――突然の死によって不可能になった?――問題を中心にみていこう。それは音楽の受け手の態度である▼1。
わたしたちが「クラシック」として知っている近代西欧音楽は、かつて、どのように聴かれたのだろうか。現代なら、静まりかえった客席で古典的な名曲を一心に聴きいることが聴衆の〈あるべき姿〉とされている。こうした禁欲的な聴き方を「集中的聴取」と呼び、このような聴き方をする規範的かつ倫理的な聴衆のあり方を「近代的聴衆」と呼ぶ。きまじめな集中的聴取を理想的に実現するために、禁欲的な「演奏会のモラル」がつくられ、ホールも外の音を完全にシャットアウトして作品理解と関係ない音をできるだけ排除する。そして演奏中に客席の照明をおとすのも、作品にじかに向きあって集中できるようにする配慮である。こうして演奏会場は、隔離された特権的な空間になる。このような場で行われる聴取はきわめて個人的な体験である。これが「音楽の正しい聴き方」とされてきた▼2。
十八世紀音楽の聴かれ方
ところが、このような「集中的聴取」をおこなう「近代的聴衆」というあり方がヨーロッパで定着したのは、それほど古いことではなく、じつに十九世紀なかごろの話だという▼3。
では、それまではどうだったかというと、演奏会はまさに社交の場であって、まじめに音楽に耳を傾けようというのはごく少数派。ほとんどは楽しければそれでよいという人びとだったという。渡辺裕の紹介するエピソードによると、歌詞が聞きとれないので歌詞を印刷したプログラムを配ったとか、パイプの煙で指揮をするのがたいへんだったとか、気晴らしにトランプで遊んでいたとか、会場に犬を連れてきたり、目立とうとする女性たちがわざと遅れて入ってきたりしたという▼4。
これは当時の音楽が基本的に貴族階級の内輪のパーティという性格をもっていたからである。「音楽とは一心に耳を傾けて鑑賞するものだ」という共通了解が成立するのは十九世紀になってからである。これは、音楽文化の担い手が貴族から市民層に移行したというのがその変化の大きな理由である。産業革命と市民革命を通じて富と権力をもった市民層が演奏会を支えるようになったため、演奏会は「社交の場」であることをやめて「純粋に音楽を聴きたい人の集まる場」になった▼5。「芸術」という概念が成立したのも、ちょうどこのころである。それまで、絵画・演劇・音楽・文芸・建築という営みは「わざ」であり、それを司る人は「職人」だった。ところが十八世紀後半から十九世紀にかけて「芸術」となり「芸術家」とみられるようになった。「独創性」とか「作品」とか「天才」といった常套句が使われるのも、このころからだという。こうした流れのなかで、バッハが敬けんな宗教音楽家としてまつりあげられ、スカトロジーの大好きなあのアマデウスが神童モーツァルトに変身し、ベートーベンが「苦悩の人」として神格化され伝説が生まれた▼6。
こうしてみると、十九世紀はその前後とくらべてきわめて異質な世紀だったといえよう。〈近代〉が、音楽にかぎらず経済や家族などあらゆる社会領域にわたって確固たる基盤をつくったのがこの世紀であることは、〈脱近代=ポストモダン〉を迎えつつあるといわれる現代にあって、留意しておいてよいことである。
▼1 この問題については、おもに音楽学者によって散発的に研究がすすめられてきたようだが、最近になってマーラー研究家の渡辺裕が『聴衆の誕生――ポストモダン時代の音楽文化』(春秋社一九八九年)においてそれらを集大成している。本節以降の議論は、おもにこの本に依拠しつつ、社会学的考察を加えたものである。
▼2 渡辺裕、前掲書五八-六四ページ。
▼3 前掲書一九-二〇ページ。
▼4 前掲書八-一〇ページ。
▼5 前掲書一四-二二ぺージ。
▼6 作曲家の偶像化については、前掲書二二-五七ぺージ。
18-3 複製技術時代
一九二〇年代
十九世紀的な「近代的聴衆」による「集中的聴取」という音楽とのかかわり方がくずれてくるのは二十世紀初頭、正確には一九二〇年代である。
では、この時代になにがおこったのか。
この時代、じつは自動車・飛行機・冷蔵庫・摩天楼など高度な科学技術がいっせいに開花した時代なのである。そして音楽にとって重要なのは、なかでも「複製技術」の出現である。具体的には、ラジオ放送の開始・蓄音器の発達とくに電気録音技術の完成・自動ピアノ[再生ピアノ=演奏家の演奏をそのまま紙のロールに記録して再生するピアノ]の流行などが二〇年代いっせいに花開く。ちなみに写真・映画の隆盛もこのころからである。
ヴァルター・ベンヤミンは、この時代から本格的にはじまった新しい文化の時代を「複製技術時代」と呼んだ▼1。
複製技術時代の芸術作品
ベンヤミンは、それまでの芸術体験がもっていた特性を「アウラ」(Aura)と呼んだ。「アウラ」とは「一回起性」または「一回性」という意味で、「〈いま〉〈ここ〉でしか体験できないこと」「オリジナルならではのなにものか」といった感じだ。かれは「アウラ」を「どんなに近距離にあっても近づくことのできないユニークな現象」と定義する▼2。いいかえると、アウラは独自性と距離と永続性の三つの次元をもつ。たとえば、ミロのヴィーナスのように、それは他にかえがたいものであり(独自性)、それゆえ身近なものとはなりえない(距離)。しかもそれは時間を超越して人びとの心をうつ(永続性)。
複製技術時代以前の音楽作品の場合、「アウラ」はどのようなものか。ザィデルフェルトはそれをつぎのように説明している。かつて音楽の愛好家が好きな作品に接するチャンスは非常に少なかった。「したがって、音楽を聴きに出かけるということは、気分を浮き浮きさせるような体験(独自性)だったに違いない。そしてその体験は、記憶のなかで、以前聴いた素晴らしい演奏と容易に結びつけられたことだろう(永続性)。さらに、その音楽を本当に知るようになる、つまり心に焼き付けておくための唯一の方法は、楽譜(たいていはピアノ用に編曲されていた)を購入して、あれこれピアノで弾いてみることだけであった(距離)▼3。」
ところが、写真・映画・蓄音器などの複製技術は、絵画・演劇・演奏会のもっていた「アウラ」を完全にうしなわせた。だから、ベンヤミンは、複製技術時代における芸術の特徴は「アウラの喪失」であるとし、もはや芸術作品は礼拝のように鑑賞されないと論じた▼4。
音楽作品の場合、一九二三年に売り上げのピークを迎えるロール式の自動ピアノが、ひとつの複製技術時代の幕を開いた▼5。一方、マイクロフォンによる電気録音技術が一九二四年にベル研究所によって開発され、翌年大手のレーベルからレコードが発売された。またラジオも一九二〇年に民間放送がはじまり、爆発的な人気をえたという▼6。
このような複製技術時代のはじまりとともに音楽の受け手も、もはや十九世紀的な「集中的聴取」をする「近代的聴衆」ではなくなった。音楽はもっと日常的なものになった。ベンヤミンのことばを借りると「散漫な受け手」によって、音楽が消費されるようになったのである▼7。
音楽の変容
渡辺裕の指摘によると、こうした新しい聴き方に当時いち早く敏感に対応した作曲家が、最近ブームになったエリック・サティだった。サティの提唱した「家具の音楽」は、たとえば「県知事の執務室の音楽」とか「音のタイル張り舗道」といったタイトルが示すように、要するにコンサート・ホールで芸術作品として演奏される音楽ではなく、BGMとして日常の環境のなかで耳にする音楽である。しかも、今日のミニマル・ミュージックのように短いモチーフを何回もくりかえすというもので、まったく新しい聴取のあり方を先取りしたものだった▼8。
一方、複製メディアに適合した音楽形態として、このころ隆盛したのが、ブルースやデキシーランド・ジャズ、ささやくように歌うビング・クロスビーなどのいわゆる「ポピュラー音楽」だった。ラジオとレコードによってポピュラー音楽は大衆の人気を博した。これ以降、音楽の生産と消費の構図は一変することになり、わたしたちにとってなじみ深い身近な音楽が豊富にあふれる時代になる。
▼1 ヴァルター・ベンヤミン、高木久雄・高原宏平訳「複製技術時代の芸術作品」ヴァルター・ベンヤミン著作集2『複製技術時代の芸術作品』(晶文社一九七〇年)。
▼2 前掲訳書一六ページ。
▼3 A・C・ザィデルフェルト、那須壽訳『クリーシェ――意味と機能の相剋』(筑摩書房一九八六年)六八ページ。
▼4 ベンヤミンの論じた「アウラの衰退・喪失」は、ウェーバーの論じた「カリスマの日常化」とよく似ている。前掲訳書六一-六三ぺージ。ザィデルフェルトは、このなかで「アウラの衰退」を売買行為や商品に拡大して論じている。それによると、小規模生産販売をモットーとするブティックや自然食品販売店、またコックのカリスマ的腕前を売りものにする小さなレストランは、アウラの喪失した消費社会のなかでアウラを回復しようとする試みと位置づけることができるという。前掲書六七-六八ぺージ。
▼5 渡辺裕、前掲書七五-八八ページ。
▼6 このあたりのくわしい事情については、細川周平『レコードの美学』(勁草書房一九九〇年)七七ページ以下参照。
▼7 ベンヤミン、前掲訳書四三-四四ページ。
▼8 渡辺裕、前掲書一〇七-一〇九ページ。
18-4 消費社会における音楽文化
戦後の音楽状況――テクノロジーと若者文化
一九二〇年代における複製芸術の誕生を大きな転機に、音楽の聴かれ方・演奏され方が変わった。大枠としては、これが現代の通奏低音だと考えていいだろう。ただ、その後のめざましいテクノロジーの発達と社会意識の変化によって、音楽のあり方は幾度も変遷を重ねている。ここでは第二次世界大戦後にしぼって概観し、そののちにさらに八○年代日本の音楽状況をくわしくみてみよう。
戦後の音楽状況を語る上で欠かせないファクターがふたつある。テクノロジーの発達と若者文化(ユース・カルチャー)がそれである。
一九二〇年代以降の複製技術時代の音楽にとって技術的な側面は音楽の重要な構成要素になった。戦後の大きな変化としては、五〇年代のテープ録音技術とハイファイステレオ、八○年代のヘッドフォンステレオとビデオとCDが画期的な変化をおよぼした。八〇年代のテクノロジーについては後述するとして、ここではテープ録音技術の影響についてみておこう。発達したテープ録音技術によって、長時間録音が可能になっただけでなく、演奏録音後に自由に切ってはりあわせることもできるようになり、重ねどり(サウンド・オン・サウンド)も可能にした。コンサートの音をオリジナルとする考え方はすでにストコフスキーによって破られてはいたが、この段階で、オリジナルとコピーの区別は完全に無意味になったといってもいいだろう。テープ操作による音楽創造は六〇年代なかごろのビーチ・ボーイズのシングル「グッド・ヴァイブレーション」およびビートルズのLP「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」によって決定的な高みにいたり、ポピュラー音楽に定着することになる。ビートルズがコンサートをしないと宣言した前年の一九六五年、クラシック界でもピアニストのグレン・グールドが「コンサート・ドロップアウト」を宣言し、テープ編集を駆使したスタジオ録音を音楽活動の中心にしている▼1。
若者文化の変遷
さて、テクノロジーとならんで音楽状況を変えた大きな要素は若者文化(ユース・カルチャー)である▼2。とりわけ一九六〇年代の「対抗文化(カウンター・カルチャー)の爆発」が今日の音楽文化の基盤をつくったものとして重要である。
戦後日本の若者文化の流れを大ざっぱに確認しておこう▼3。
(1)一九五〇年代――戦後民主主義や社会主義革命といった理念が絶対的なものとして成立していたので、若者のエネルギーは建設的な方向に向かっていた。→まじめ
(2)一九六〇年代――民主主義や社会主義という理想が、ベトナム戦争や中ソ対立そしてチェコ事件などで神話がくずれる。→反抗
(3)一九七〇年代――連合赤軍事件に象徴される政治的挫折によって「反抗」のエネルギーが消滅する。→シラケ
(4)一九八〇年代――価値の相対化・多様化に対応して、従来の常識にとらわれないフレキシブルな感性。→スキゾ
このうち六〇年代後半は世界的なムーブメントとして大学紛争が多くの大学をゆるがした時代として記憶されているが、従来の中心文化に対抗する文化が異議申し立てし自己主張した重要な転換期だったといえよう。アメリカに即していえば、男性中心文化に対する女性解放運動、白人中心文化に対する黒人の公民権運動、アメリカ帝国主義政策に対するベトナム戦争反対運動などがある。日本でもこれらに呼応する運動がさかんになり、また反公害運動も堰を切ったように大きな潮流になった。そして若者文化が大人の中心文化に対して自己主張――反抗――するのもこの時期である。
六〇年代を通じて日本ではジャズやロックそしてフォークが若者に定着しはじめた。とくにロックは、成立当初「反抗」というメッセージをジャンル自体が色濃くもっていたため、若者の圧倒的な支持をえた。ビートルズやローリングストーンズを皮切りに、つぎつぎと新しいコンセプトをもったグループが聴かれた。このあたりから、若者の表現手段は、文学から音楽にシフトを変えるとともに、当初「反抗文化」として自己主張していた若者文化そのものが、しだいに消費社会の中心的位置に移っていく。そして「音楽化社会」とも呼ぶべき状況が日本に成立することになる▼4。
一九七〇年代音楽の転回
六〇年代がシフト転換期だとすると、七〇年代は音楽の「サウンド志向」への転回期といっていいだろう▼5。
もちろん音楽はサウンドそのものである。しかし、ポピュラー音楽の場合、音楽はことばと密着していることが多かった。しかし、七〇年代の若者たちに支持された音楽は、そうした意味を喪失する方向に転回していき、そのかわりサウンド性(たとえばノリ)を強めていく。たとえば歌謡曲についてみれば、六〇年代までの心情告白型歌詞が、七〇年代の阿久悠の映像的歌詞によって心情的意味をうすめていく。また、六〇年代後半のプロテストソングの場合に重視された公共的なメッセージ性は、七〇年代前半にブームになった「四畳半フォーク」できわめて私生活的なものにかわっていく。このころ、ロックといえば洋楽であり、ロックは英語と決まっていたが、そのころ試みられていた「はっぴいえんど」の日本語ロックが、七〇年代後半ユーミンなどの「ニューミュージック」として開花し、一九七八年にデビューする「サザンオールスターズ」のごろあわせ的歌詞によって完成したとみていいだろう。同時にアレンジの技術も進み、ポピュラー音楽全体の「サウンド志向」が進行した▼6。
一九八○年代日本の音楽状況
〈近代〉という歴史的視野から徐々に焦点をしぼって音楽のあり方について考察してきたが、最後に、わたしたちがともに体験してきたこの十年あまりの音楽状況のいくつかの特質について概観することにしたい。とにかくこの十年あまり――ここでは一九八○年代としておく――に音楽をめぐって生じたことは多く、しかも多様である。複線的変化といってもよい。おそらくこのこと自体が、小川博司のいう「音楽化社会」あるいは「音楽する社会」たるゆえんであろうし、基調としての消費社会の成熟を物語っている。複線的変化のいくつかをひろってみよう。
(1)聴取スタイルの選択肢の拡大――一九七九年に発売された「ウォークマン」とカーステレオの普及と高級化によって、移動しながら選択的に音楽を楽しむことが容易になった▼7。他方で、環境音楽やサウンドスケープ[音の風景]のように、聴くのでなく空間を演出するための音楽も一般的なものになった。CDによって、レコードとはくらべものにならないくらい手軽にあつかえて、しかも高音質のメディアが登場し、またビデオやレーザーディスクによってヴィジュアルな楽しみ方ができるようになった。要するに、聴取の選択肢がぐんと広がったわけである。
(2)参加型音楽行動の増加――パッケージされた音楽をただ聴くのではなく、自分自身が歌い演奏することが格段にふえた。日本がピアノの生産世界一だというとおどろくかもしれないが、世界で年間に生産されるピアノの三割がヤマハとカワイによって生産されている▼8。また「カシオトーン」以後の電子キーボードもイージープレイによって、ピアノの弾けない中年男性を中心にブームになった。そして忘れてはならないのがカラオケブームとバンドブーム(イカ天ブーム)、そして年末恒例の「第九」合唱ブームである。これらさまざまな「プレイ志向」の具体化によって、もはや音楽は「聴く」ものから「する」ものになった▼9。
(3)広告音楽の展開――広告音楽の歴史は一九五一年の民間放送開始とともにはじまるが、当初は広告音楽と流行歌はまったく別の世界をつくっていた。それがしだいに融合し、七〇年代半ばに「イメージソング」として結晶した。つまり「CMソングからイメージソングヘ」という流れである。イメージソングは「ある企業や商品のコンセプトを表現しているが、企業名や商品名が歌詞の中に入っていない曲で、広告音楽として使用され、かつレコードとして市販されている曲」のこと▼10。一九七五年以来の資生堂とカネボウの化粧品広告キャンペーンから盛んになった。一時、歌謡曲のヒットのほとんどがイメージソングだったときもあったが、一九八五年あたりから下火になり、その後は多様化の方向にある。
(4)クラシックブーム――ひとつのピークは、なんといっても一九八七年にニッカのCFに映画「ディーバ」のイメージで出演したキャスリーン・バトルの爆発的人気だった。その前後からウィスキーや高級車のCFにクラシックがヨーロピアンな高級感を付加するのに用いられるようになっていた。なかにはブーニンのアイドル化など日本ならではの現象もあったが、むしろサントリーホールなどのクラシック専門ホールの誕生が、クラシックをオシャレなものに転換したとみることができる。おりしも円高による外タレラッシュで、クラシック界の大物やオペラの引越し公演がさかんにおこなわれた。他方、マニアのなかではマーラー・ブームやオペラ・ブーム、そしてオリジナル楽器演奏ブームがあるが、これにはCDやレーザーディスクなどのデジタル技術によって微妙な音色や演奏の再現が可能になったことが背景としてある▼11。
(5)メディアミックスによるアイドル現象――八〇年代はアイドル復権の時代といわれる。いわゆる「八二年組」のアイドルたち、「おニャン子クラブ」、ジャニーズ系アイドル集団など。かれらは歌手としてだけでなくミスコンやテレビドラマあるいはバラエティ番組・映画など複合的なメディアミックスによって成功した。そして重要なことだが、その過程のなかでアイドルはもはや歌手である必要がなくなってしまった。とりわけ「おニャン子クラブ」は、大量のアイドルを送りだしただけでなく、ヒットチャートを形骸化させ、フジテレビ以外の局への出演拒否と賞レース辞退によって各種歌謡番組と音楽祭を完全に権威失墜させた点で特筆すべき存在になった▼12。
(6)企業の文化戦略としての音楽――従来、新聞社の専売特許だった文化事業も近年になって「メセナ」(mecenat)として企業にもその重要性が認識されつつあるが、音楽については、サントリーホールや東急ブンカムラのように本格的なコンサートホールをつくったり、企業の名前を付したいわゆる「冠コンサート」、財団による振興事業などの形態がある。とくに音楽イベントはスポーツ・イベントとならんで、その広告効果が大きく、八○年代「冠」でない外タレコンサートを探すのに苦労するくらいだ。これは音楽イベントがねらった層にねらったタイミングで的確にアピールできる特質をもっているからである▼13。
さて、音楽化する社会の基本条件として吉井篤子は「先端技術とコマーシャリズムと感性」の三つをあげている▼14。三つの要素がいわば三位一体となって今日の音楽化社会を構成しているということだ。今世紀初頭ウェーバーの指摘した合理化の潮流は非合理的な感性を突出させながら、なおも進展しているように思われる。
▼1 テープ録音技術とステレオについては、細川周平、前掲書八六-一〇七ページ。グールドについてはかれ自身がいくつも文章を書いているが、その音楽史的評価については、渡辺裕、前掲書一三七-一四六ページ。グールドのメディア論は、つぎの本にまとめられている。ティム・ペイジ編、野水瑞穂訳『グレン・グールド著作集2パフォーマンスとメディア』(みすず書房一九九〇年)。とくに「レコーディングの将来」を参照されたい。
▼2 「青年文化」とも訳される。
▼3 稲増龍夫『アイドル工学』(筑摩書房一九八九年)七一ー七三ページによる。
▼4 小川博司『音楽する社会』(勁草書房一九八八年)三六ページ以下。
▼5 前掲書「2サウンド志向」。
▼6 以上、小川博司、前掲書による。
▼7 このふたつについてのくわしい分析として、細川周平『ウォータマンの修辞学』(朝日出版社一九八一年)。また、渡辺潤『メディアのミクロ社会学』(筑摩書房一九八九年)「2オーディオ・メカのミクロコスモス」。
▼8 桧山陸郎『楽器産業』(音楽之友社一九九〇年)二〇五ページ。
▼9 吉井篤子「現代人の音楽生活」林進・小川博司・吉井篤子『消費社会の広告と音楽――イメージ志向の感性文化』(有斐閣一九八四年)一六八-一七三ぺージ。
▼10 小川博司「イメージソング現象の分析」前掲書六〇ページ。なお、この本の「I広告音楽の展開」のなかで小川博司は広告音楽の歴史と分析について詳細に論じている。
▼11 長木征二「あなたはブーニンを覚えていますか?」『エイティーズ[八○年代全検証]――いま、何がおきているか』(河出書房新社一九九〇年)参照。くわしくは、渡辺裕、前掲書一七六ページ以下参照。
▼12 以上、高護・榊ひろと「おめでとう、さようなら」前掲書による。なお、アイドル現象については、稲増龍夫、前掲書と小川博司、前掲書が社会学的にくわしく分析している。
▼13 吉井篤子「企業の文化戦略としての音楽」林進・小川博司・吉井篤子、前掲書一八七-二二四ページ。
▼14 吉井篤子「現代人の音楽生活」前掲書一七七ページ。
増補
音楽社会学入門
文化研究が社会学の研究対象に浮上して久しい。けれども、マスコミ論や若者論の本をのぞくと、八〇年代までの社会学教科書で音楽に一章をさいたものはほとんどないはずである。しかし、現代文化を考える上で音楽を議論に乗せることはむしろふつうのことになっている。日本の社会学(者)がそれを不得意にしてきただけなのだ。
その意味では、長らく音楽社会学についてのやさしい入門書が待たれていた。九〇年代になってようやく、北川純子『音のうち・そと』(勁草書房一九九三年)が登場して、音楽社会学にも「最初に読んでほしい本」ができた。短いものだが、音楽社会学の歴史と理論が整理されている。この中で北川は、ハワード・ベッカー『アウトサイダーズ』村上直之訳(新泉社一九七八年)を音楽家集団の研究例として指摘しているが、なるほどこれも音楽社会学の研究対象である。それなら、D・サドナウ『鍵盤を駆ける手――社会学者による現象学的ジャズ・ピアノ入門』徳丸吉彦・村田公一・卜田隆嗣訳(新曜社一九九三年)も音楽社会学への重要な貢献といえよう。
本編の音楽文化論で私が構成の枠組みとして準拠した渡辺裕の聴衆論は、その後、増補版がでている[渡辺裕『聴衆の誕生――ポスト・モダン時代の音楽文化【新装増補】』(春秋社一九九六年)]。渡辺は最近、これまで音楽で使われてきた「機械」に着目して、渡辺裕『音楽機械劇場』(新書館一九九七年)を書いている。これは音楽メディアの社会史ともいうべきジャンルの存在を示唆するものであり、メディアをあえて「機械」と呼んでいるように、それらの多くは今日の視点から見るとあまり「あたりまえのメディア」らしくないのである。この分野の社会史的アプローチの可能性を感じさせる。
クラシック系にくらべてポップ系は研究伝統も浅く、オタク的な「好きもの分析」や評論はそこそこできても、社会学的な分析となると相当むずかしいように思う。未開拓のテーマや手法も多い。三井徹編訳『ポピュラー音楽の研究』(音楽之友社一九九〇年)は、高水準の研究に何が必要かを示唆してくれるアンソロジー。音楽学という括りの本だが、内容的には社会学への言及が随所に見られ、音楽社会学へ向かわざるをえない素材であることを感じさせる。
九〇年代日本の音楽状況
日本の音楽状況については、第一人者の小川博司が『メディア時代の音楽と社会』(音楽之友社一九九三年)を書いている。これは『音楽する社会』の続編で、八〇年代末から九〇年代初頭の音楽状況についての論考がおさめられている。
ポップ系では、宮台真司ほか『ポップ・コミュニケーション全書――カルトからカラオケまでニッポン「新」現象を解明する』(PARCO出版一九九二年)に、カラオケなどの研究がある。宮台真司・石原英樹・大塚明子『サブカルチャー神話解体――少女・音楽・マンガ・性の30年とコミュニケーションの現在』(パルコ出版一九九三年)の「音楽コミュニケーションの現在」の章にも詳細な調査に基づいた議論がある。ただし文化的蓄積のない若い世代には難解だろう。
八〇年代の音楽は、ヘッドフォンステレオやカラオケがハイファイ・オーディオの延長からではなく自動車文化の流れから出て一世を風靡したのを典型として、概して非音楽的要因が音楽文化を左右した。イメージソングによって非音楽系企業が音楽のメインストリームを構築したり、冠コンサートのように音楽活動をバックアップしたりするのも同様の傾向だったといえよう。
音楽文化の動きが「音楽の論理」なり「音楽の生理」によって動くのでなく、それ以外の外在的な要素によって動くというこの現代的傾向は、九〇年代になっても続いている。いや、むしろ加速しているといった方がいいかもしれない。
たとえば、CDミリオンセラー続出の新傾向がある。一九九一年に二曲の三百万枚突破シングルが出現して、一九九四年にはミリオンセラーが一気に十九曲も出現する。これはそれまでなかったことであり、しかも、かつてミリオンセラーともなれば社会現象になったのと対照的に、九〇年代は中高年がその曲やアーチストをほとんど知らないうちにミリオンセラーになり消えていく。つまり、若い層「だけに」集中してヒットしたのである。注目すべきは、そのほとんどの曲がテレビ局とのタイアップだったことだ。高度なマーケティング技術に基づいて企画され、テレビを主軸にキャンペーンされた音楽。このタイアップ依存は、音楽番組ですらなくテレビドラマという非音楽メディアが引っ張る形になっている。八〇年代はあきらかに音楽嗜好の多様化が見られたのに、九〇年代は逆に収縮しているというほかない。
それにしても、映像主体のキャンペーンがこれだけ功を奏するとなると、ターゲットにされている今の若者が「ほんとうに音楽が好きなのか」と疑問をもたざるをえない。携帯電話やPHSの普及によってカラオケやCDの売れ行きが落ちたというごく最近の傾向も考えあわせると、要するに「仲間」を自分につなぎ止める手段として音楽が利用されたにすぎないのではないかといえそうである。しかし、それを批判的に見る考え方自体もまた、音楽に対する態度のひとつにしかすぎないのであろう。
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4月 12017

社会学感覚14現代組織論

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社会学感覚
14 現代組織論
14-1 組織の原理としてのビューロクラシー
よそよそしい組織という経験
集団論であつかうのは「人と人とのつながり」だ。「つながり」といってもいろいろあって、しかも重なりあっているが、本書ではその代表的なものとして組織と家族について考え、これによって現代社会において避けることのできない「人と人とのつながりの〈多層性〉」に関する認識を深めていきたいと思う。
さて、最近のことだが、はじめて大病院の外来に行って、かねてからうわさに聞いていた「三時間待ち三分診療」なるものを体験した。その三時間のあいだ、つぎつぎに患者がさばかれていくのをみながら「ここはさながら工場だ」と思ったものだ。
ようやく順番がまわってきたとき、わたしの前に診療を受け終わったお年寄りの女性に中年の看護婦がテキパキと指示を与えていた。「これから○○へ行って△△検査をしてください。そして□□をもって××してください。それから……」その看護婦はじつにみごとによどみなく一気にいい終えると、くるっと背を向けて急いで診療室に戻ろうとした。わたしは弾丸のように確実なそのことばの連射に感心してしまった。さすがプロだなあ。しかし、つぎの瞬間、それまでじっと話を聞いていたお年寄りは「あの……」と、か細い声で看護婦を追った。そしてこういったのである。「このあとどうすれば……」と。
からだの不調に悩む老女と、患者の治療に貢献したいと願う看護婦――ふたりの女性が大病院外来という組織の構図におかれるとき、コミュニケーションはもののみごとに分断されてしまう。そして、わたしたちが日々経験する〈組織〉とは、じっさいこのようなことである。
わたしたちが保育園や幼稚園に入ったときから小中高大学(あるいは看護学校・専門学校)と、ほとんどの教育は学校組織のなかで経験される。そして、それらの教育が終わってからは、ほとんどの人が、やはりなんらかの組織(行政組織・企業組織など)のなかで働くことになる。組織労働の割合が増加の一途をたどっている今日、これは男性にとっても女性にとっても共通の経験といっていいだろう▼1。そして、老後や引退後は、福祉施設や病院などに関わることが多くなる。このように誕生から死まで、わたしたちは重要な場面を組織のなかで生きるのである。
つまり、現代都市社会においては、かつて家族や親族そして地域社会が担っていた位置を組織が占めるようになっている。したがって、組織について科学的に考えることは今や現代人の必須課題である。
しかし、わたしたちは組織について十分理解しているだろうか。たとえば、小中高校教育において主として学んできたのは「遅刻しない」とか「校則にしたがう」とか「教師や上級生を尊重する」といった〈組織への適応〉であって、そのさい組織そのものについては自明視されている。これは企業や施設についても同様で、通常そのような組織経験が教えてくれるのも結局〈組織への適応〉である。具体的な組織経験が組織そのものの考察にすすむことがあるのは、個人が管理する側になったときだけである。企業組織や経営に関するほとんどのビジネス書がもっぱら管理者の視点から書かれているのはその反映である。
その意味で、組織について科学的に考察することは、社会生活経験のこの主要舞台について、自分の具体的経験とは異なる視点から反省する契機となるはずで、明識を高めるためにもぜひ必要なことだと思う。
組織とはなにか
人と人とがつながりをもつ形式には、家族・親族・コミュニティ・組織・ネットワーク・交換などさまざまなものがある。組織はこうした〈つながり〉のひとつにすぎない。だから、人が集まればすぐ組織ができるのではない。人が集まってさしあたりできるのは「集団」(group)である。集団のなかで、とくにつぎのような特徴をもつものを「組織」(organization)と呼ぶ。
(1)特定の明確な目標をもつこと
(2)目標を実現するために、地位と役割の分化がすすんでいること
(3)その結果、非人格的な主体としてみなされること
第一に、明確な目標をもつことは、組織の存立基盤が、目標達成のための協働にあることを示している。組織とは目標達成のための協働の形式である。第二に、組織は役割のシステムである。組織を具体的に構成しているのは生身の人間であるが、組織の見地からみると、組織の直接の構成要素は役割であり、その凝固した形式としての地位である。第三に、組織は複合的な主体である。あえて「複合的」というのは、組織そのものが主体とみなされるだけでなく、組織内のさまざまな部署もまたそれなりの主体として存在するし、当然ひとりひとりの構成員も主体だからである。
集団一般にも役割と地位の分化はあるが、たぶんに不明確で曖昧かつ流動的で、しかも特定の個人と密着している。たとえば、集団の原初的段階の例として、こどもの遊び仲間を考えてもらえばいい。ここでも「リーダー」[ガキ大将]や「子分」や「お調子者」といった役割が自然発生的に分化してくる。しかし、そうした役割はひとりひとりの個性と密接に関連しており、しかも流動的である。それに対して、組織の方は、役割が人為的に編成され、地位として明確化・固定され、特定の人物と切り離されている。しかも、個人と役割-地位の関係は人事による任命という手続きを必要とし、徹底的に人為的・意図的である。こうなって、ようやく組織と呼ばれるものになる。組織というのは、だから程度概念であり――ここでジンメルのいい方を借りると――わたしたちは〈組織〉ではなく〈組織化〉について語るべきなのだ。
ビューロクラシーとはなにか
では、組織を形づくっている基本原理はなんだろうか。近代社会における、ありとあらゆる大規模組織に、程度の差はあれ、かならずみられる組織原理、すなわち行政機構・企業・労働組合・政党・医療機関・教育機関・宗教団体などを形づくるもの――それは「ビューロクラシー」[官僚制](bureaucracy)である。
マックス・ウェーバーの分析を参考にいくつかの特徴を列挙してみよう▼2。
(1)非人格性[即物性]――個人的感情や情緒などの非合理的な要素をいっさい排除する。
(2)専門人――その直接的な担い手は専門人であり、これは専門的な訓練を受けて事務処理をおこなう人間のこと。専門教育と登用試験がポイントとなる。
(3)規則・手続き・文書による処理――計算可能性が高く(予測しやすい)能率的・合理的である。
テーラー・システム
このようなビューロクラシーの原理は、二十世紀になって、さまざまな組織にもちこまれた。そのひとつの展開形態として位置づけておきたいのは「テーラー・システム」(Taylor system)である。これは工場組織の展開例である。
テーラー・システムは、工場内の工程のすべての手順を細かく分解し、最良の効率をみつけだして、だれもが――つまり熟練労働者でなくても――かんたんにできるように科学的かつ計画的にセッティングする「工場の哲学」であり「科学的管理法」である▼3。
支配の一形式としてのビューロクラシー
組織におかれた人間の行動は、管理者によって定められた規則に準拠したリジッドな役割行動となる。それは一種の非人格性を帯びる。近代組織特有のこの組織原理を今世紀初めにウェーバーは「官僚制的支配」と名づけた。それはもっとも合理的で計算可能性の高い能率的な〈支配〉である。〈支配〉といっても人びとを暴力的に屈服させることではない。それはなんらかの形で人びとの自発的服従がえられるチャンス[可能性]をさしている。つまり組織における役割行動とは一種の〈自発的服従〉なのである。近代組織の構造原理としてのビューロクラシーを〈支配〉の一形式とみたところにウェーバーの感覚の鋭敏さがあった▼4。
このような〈自発的服従〉がもっとも典型的に経験されるのは病院や学校のような〈施設〉である。とりわけ、監獄や入院病棟や老人ホームなど個人の生活を丸がかえでつつみこんでしまうような施設である。社会学ではこれを「全制的施設」(total institution)と呼んでいる▼5。このような施設に収容された者は、それまでのアイデンティティを根こそぎ剥ぎとられ全面的に管理される。「囚人らしさ」「患者らしさ」「老人らしさ」――押しつけがましい役割が個人を拘束する。それに対して個人は抵抗を試み、多くの者がやがて〈自発的服従〉にいたる。そして忘れてならないのは、管理する側もまた管理者として強く拘束されていることだ▼6。
極端な全制的施設とまでいかなくても、工場や学校や企業でも、組織には大なり小なり〈管理〉対〈自律〉の構図があらわれるものだ。組織には、協働してなにかを成し遂げるという側面とともに、他方で一部の人びとが他の人びとを支配するという側面をもっている。組織は人と人とをつなげる構造原理である。本来の主役はあくまで人間である。しかし、ひとたび組織が立ち上がると、今度は人がワキにまわることになる。人間とお金の関係のように、主体と媒介の関係が転倒してあらわれてくるわけである。すでに説明したように、これを「物象化」という▼7。
高度の物象化水準にある組織の場合、主体はもはや人間ではない。主体は物神化した組織形態すなわち〈法人〉であり、人びとは〈規律〉という匿名の支配代理人に〈自発的服従〉を強いられる。子どもは学校に、労働者は工場と企業に、病人は病院に、障害者は施設に、エリートは官庁に――あたかも社会全体がテーラー・システムを採用したひとつの工場であるかのように、人間が選別され、ふりわけられ、組織の断片としてそれぞれの生を生きる。
冒頭の大病院の外来にみられるように、そこで働く看護婦が組織の〈規律〉――たとえばテキパキと業務をこなし効率的に患者を誘導するといった組織の期待――に忠実であろうとすればするほど、〈規律〉の外部にいる老女とコミュニケートできなくなってしまう。それはまさに、ゆたかなコミュニケーションの世界がシステムの論理によって侵食されつつある光景なのである▼8。
ウェーバーはビューロクラシーの進行に悲観的だった。「ひとたび完全に実現されると、官僚制は最も打ち壊し難い社会組織の一つになる」とかれはみていた▼9。すでにふれた「意味喪失」である▼10。有名な「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」論文の最後で、かれはつぎのことばを引いて警告している。「精神のない専門人、心情のない享楽人。この無のものは、人間性のかつて達したことのない段階にまですでに登りつめた、と自惚れるだろう▼11。」この警告は、抵抗を忘れた組織人の安住する現在の組織社会にじつによくあてはまる。
▼1 ちなみに、就労人口に占める組織労働の割合は、一九六〇年ごろはおよそ二分の一だったのが、一九八〇年には三分の二にふえている。とりわけ女性の労働現場が劇的に変化した。15-2参照。
▼2 M・ウェーバー、世良晃志郎訳『支配の諸類型』(創文社一九七〇年)。マックス・ウェーバー、阿閉吉男・脇圭平訳『官僚制』(恒星社厚生閣一九八七年)。ただし本書では三つのモメントに集約させた。
▼3 桜井哲夫『「近代」の意味――制度としての学校・工場』(NHKブックス一九八四年)第二章参照。また、辻勝次『仕事の社会学』(世界思想社一九八○年)IIIにくわしい解説がある。
▼4 「官僚制的支配」については、19-1参照。
▼5 E・ゴッフマン、石黒毅訳『アサイラム――施設被収容者の日常世界』(誠信書房一九八四年)。
▼6 前掲書。安積純子・岡原正幸・尾中文哉・立岩真也『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学』(藤原書房一九九〇年)。
▼7 2-4参照。
▼8 ハバーマスは近代社会においては〈システムの論理〉が〈生活世界の論理〉を侵食しているとし、その意味ではもはや階級闘争ではなく「生活世界の植民地化」への抵抗運動が要請されるという。ユルゲン・ハーバーマス、河上倫逸ほか訳『コミュニケイション的行為の理論』(未来社一九八五-八七年)。7-1参照。
▼9 M・ウェーバー、世良晃志郎訳『支配の社会学I』(創文社一九六〇年)一一五ページ。
▼10 3-4参照。
▼11 マックス・ヴェーバー、大塚久雄訳『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(岩波文庫一九八九年〉三六六ページ。なお、ここで「心情のない享楽人」と訳されている部分は、むしろ「信念のない享楽人」というべきだろう。
14-2 組織内集団のダイナミズム
インフォーマル・グループ
官僚制とテーラー・システムがこれほどまでに普及したのは、ひとえに合理的かつ能率的とされたからである。しかし、ほんとうに合理的かつ能率的かというと、ちょっと疑問だ。なぜか。それは、組織を具体的に担っているのが、ほかならぬ人間だからである。人間は機械ではない。組織が人間を歯車のように組みこもうとしても、人間はもっとずるがしこく、したたかである。
なんらかの目的を核にして人と人とがつながりをもち、フォーマルには組織系統図どおりに人びとが配置されていたとしても、人と人とのつながりは、現実にはさまざまなインフォーマルな集団となって、自然発生的なダイナミズムを組織内にもたらす。どんなに硬い組織であっても、いや、むしろ硬い組織であればかならず、そのなかにもうひとつのいわば「裏の組織」ができあがる。いいかえると、組織というものは、いつも二重三重に存在するものなのだ。それを「フォーマルな組織」(formal organization)に対して「インフォーマル・グループ」(informal group)という。
たとえば、学校や工場において生徒や労働者のあいだに自然に発生する、仲間意識によってつながれた集団は、往々にして組織のメンバーのモラール(morale)[志気・やる気]を強く左右し、形式上は合理化されているはずの組織を、非合理な〈感情の論理〉のダイナミズムに巻きこむ。
派閥・ネポティズム・共謀関係
組織内のもっとも典型的なインフォーマル・グループは「派閥」である。学閥をはじめ、主流派-反主流派-中立派といったものなど、大組織に派閥はつきものだ。かつてジンメルが「党派形成」として克明に分析したように、統一的な集団はしだいに党派に分かれ、やがて党派が他の党派との関係で動くようになり、はじめには対立の存在しなかった党派間に人為的に対立がつくりだされ、闘争が生じる▼1。
派閥とならんで問題となるのが「ネポティズム」(nepotism)である。ネポティズムとは、組織のなかで血縁関係にある者を特別あつかいすること。タレントやスポーツ選手や政治家の世界で「二世」が話題になる昨今だが、企業組織でもけっこう多いことは周知の通りである。
派閥にせよ、ネポティズムにせよ、日本の組織をみるかぎり、その実質的影響力は非常に大きいといわねばならない。その最たる例が自民党だろう。組織上の頂点にいる総裁よりも、ときとして派閥の長老の方が政策決定上の発言力が大きいとなると、組織系統図は手続き確保の機能しか果たしていないのではないかと疑いたくなる。その意味で自民党は良かれあしかれ日本社会の縮図にはちがいない▼2。
こうした組織内部のインフォーマルな人のつながりが組織の構造を複雑にしているわけだが、その一方で、組織外部のインフォーマルな人のつながりが組織の運営そのものを左右することがある。たとえば、フォーマルな組織としては対抗関係にあったり、あるいは〈監督する-される〉関係にあっても、それぞれのメンバーが実質的に共謀関係を構築して、独自の秩序をつくりだす場合がそれである。建設業界の「談合」は前者の典型例であり、監督省庁と業界の癒着は後者の例である。
一九六〇年代から七〇年代にかけて続発した大型薬害事件――サリドマイド・スモン・クロロキン事件など――は、まさに厚生省官僚と製薬業界のインフォーマルな共謀関係が直接の原因となって生じたものだった。「天下り」が法的には禁止されているにもかかわらず、「柔軟に」運用されることによって、大量の高級官僚が関係業界に再就職し、監督官庁と業界をつないでいる。高級官僚は在職中から再就職を意識して強力な監督指導ができない構造になっている▼3。一九九一年、日本の経済界をゆるがしている一連の証券業界・銀行業界の不法行為もこの文脈でとらえることができる。
さて、これまでのべてきたフォーマル-インフォーマルな人のつながりが二重三重に組織を侵食するとき、その内部にいる個人の行動もまた多層的に規定されることになる。一方では「会社人間」あるいは「ワーカホリック」がいる。いまや日本企業の文化となった感のある「サービス残業」や有給休暇の未消化などは、労働者としての当然の権利をかれらが〈自発的に〉放棄せざるをえない状況を物語っている。他方、ひとたび転勤拒否や内部告発などに関わって、離脱や抵抗の態度を表面化させてしまうと、フォーマル-インフォーマルにわたってすさまじい制裁が待っている▼4。
フォーマルには、賃金カット・クビ・左遷・配置転換などがあり、日常的にはそれらはすべて人事考課となって露骨にあらわれる▼5。インフォーマルには、仲間はずれ、いやがらせ・嘲笑・いじめなどの制裁がある▼6。インフォーマル・グループの場合、インフォーマルな掟・暗黙の了解・先例の尊重などの規則そのものがみえにくいだけに、外部者(管理者もふくめて)に気づかれることは少ない。
準拠集団(リファレンス・グループ)
たとえば職場のなかで、あるいは学校のなかで、あるいは病院のなかで、個人が出会う集団は主として二種類ある。「フォーマルな組織」と「インフォーマル・グループ」である。これらは集団のありようからいえば、まったく性質の異なるものだが、じつは共通点もある。それは、いずれも個人が所属している集団であるということだ。両者をまとめて「所属集団」(membership group)という。
たとえば、自分が生まれ育った家族や現在働いている職場やサークルなどの仲間集団のように、自分が所属している集団に、人は、自分を関連づけ、一体化し、一定の態度をつくりあげることが多い。このような働きをもつ集団を「準拠集団」(reference group)という。
なぜ、わざわざ所属集団と準拠集団を概念的に仕分けるかというと、単純な社会では所属集団がそのまま準拠集団になるのだが、現代社会ではかならずしも所属集団が準拠集団になるとはかぎらないからである。職場に即していえば、上昇志向の強い人はフォーマルな組織あるいは管理職たちのインフォーマル・グループを準拠集団にするかもしれないし、無関心派はまったく別の組織や集団を準拠集団にしているかもしれない。ある組織・ある集団に所属しているからといって、現代人は所属していない集団を準拠集団としうるのだ。「いろいろ」というのが現代社会の特徴である。
▼1 5-3参照。
▼2 この点については、居安正『自民党――この不思議な政党』(講談社現代新書一九八四年)。
▼3 22-2参照。
▼4 「制裁」のことを「サンクション」(sanction)という。ただし「サンクション」は否定的なことだけではなく、報償や名誉のような肯定的な報いの両面をふくむ広い概念である。
▼5 熊沢誠『日本的経営の明暗』(筑摩書房一九八九年)「II査定される従業員――人事考課の論理と作用」参照。
▼6 熊沢誠、前掲書「I労務管理の惰力――〈東芝府中人権裁判〉分析」参照。
14-3 組織文化と日本的集団主義
日本的経営
コンティンジェンシー理論によると、組織がうまく機能するかどうかは環境との適合関係しだいだという▼1。「組織の時代」ともいわれる二十世紀――資本主義もファシズムも社会主義も、いずれも組織の巨大化と物神性に支えられていた。まずファシズムがやぶれ、つぎに社会主義がやぶれていったその歴史は、結局環境に適応できなかった組織が淘汰された過程でもある。この世界史的な淘汰の過程で最終的に生き残りつつあるのが日本の企業組織であることはいうまでもない。そこで世界的に注目され、かつまた日本の経営者たちが自画自賛するのが、いわゆる「日本的経営」(Japanese-style management)である。
「日本的経営」とは、日本の伝統的な企業経営のスタイルのことだ。尾高邦雄によると、それは以下のような人事労務慣行の体系を内蔵している▼2。
(1)終身雇用の慣行
(2)丸抱え的な一括採用
(3)平均的な会社人間をつくる定型訓練
(4)ジェネラリストを育成する職場遍歴
(5)年功による処遇と地位の序列
(6)競争の抑制と人の和の尊重
(7)稟議(りんぎ)制度
(8)おみこし経営と集団責任体制
(9)権威主義的であるとともに民主的、参画的な組織
(10)私生活にまで及ぶ従業員福祉への温情主義的配慮
江戸時代中期の商家からはじまった伝統的な人事労務慣行が近代組織にもちこまれ、しだいに修正され、戦後完成したものだが、これが企業組織をメンバーにとっての一種の運命共同体――かつての「家」や「村」のような――にしていくことこなる。その結果、雇用の安定性・人事の柔軟性・従業員の会社一体感の育成といったメリットを生むとともに、(1)従業員の依頼心の助長と自主創造の精神の抑制(2)雇用における差別待遇と自由な横断的労働市場形成への障害(3)エスカレーター・システムの弊害と中高年齢層人事の停滞(4)従業員の働く喜びと働きがいの喪失といったデメリットも同時にもたらしてきた▼3。
日本的経営の本質としての集団主義文化
いまだに自画自賛的「日本的経営」神話がマスコミの世界や経済界で生きているのがふしぎなくらいである。それにしても、第一に海外進出した日本企業があいついで「日本的経営」を現地に〈適用〉しようとして逆に〈適応〉をよぎなくされている事実▼4、第二に「日本的経営」は一部の大企業の正社員だけにあてはまるもので、中小企業の社員や大企業の非常勤・パータイム労働者などにはあてはまらないことに留意すると、「日本的経営」を普遍的なことと考えることはできない。むしろそれを支えている文化的な価値観に着目すべきだろう。すなわち、企業をはじめとする日本の組織は一貫して集団主義的文化――いわゆる「日本的集団主義」――をもっている。
たとえば、稟議制度ひとつとっても、その真の機能は別のところにあるように思われる。稟議制度とは、末端か中間の職員が稟議書を起案し、それを関係部署にまわし上位者の決裁をえるという手続きのことだ。一見民主的かつ草の根的にみえるが、じっさいには起案者は上層部の意向を受けて作文を担当するにすぎないことが多い。結局責任の所在のはっきりしない集団主義的な意思決定のしくみとなってしまっている。それがいいか悪いかは場合によってちがってくる▼5。さしあたり重要なのは日本の組織がこのような集団主義的な意志決定の仕方をあたりまえのように意味あることとしてきたことだ。このように「日本的経営」の本質は、日本の組織に根強く存在している集団主義的な組織文化にある。
日本的集団主義の特質
「集団主義」とは、集団や組織を自分たちの運命共同体としてとらえ、その全体的秩序の存続と繁栄を、内部の個人の能力発揮や個人的欲求の充足よりも重要視する態度のことである▼7。
一言でいえば〈全体優先〉ということになるが、全体主義とちがうところは、所属集団を優先することを媒介にして自分たちの欲求を充たしていくという発想が強いことだ。濱口恵俊によると、「日本的『集団主義』とは、各成員が仕事をする上で互いに職分を超えて協力し合い、そのことを通して、組織目標の達成をはかると同時に、自己の生活上の欲求を満たし、集団レベルでの福祉を確保しようとする姿勢を指していよう。そこでは『個人』と『集団』との相利共生(symbiosis)が目指され、かつ成員間での協調性(人の和)が重視される▼8。」
企業にかぎらず日本のあらゆる組織の基調に流れてきたのは、こうした集団主義だったと考えていいだろう。たとえば、「でる杭は打たれる」――最近は「でる杭はひっこぬかれる」ともいわれる――傾向もこの線でとらえることができるし、また、契約型の欧米組織に対して日本の組織は所属型だといわれるのも、その一環である▼9。前節で確認したように、フォーマルな組織よりインフォーマル・グループの方が実質的な運営能力をもっていることも同様である。
「CI」(コーポレイト・アイデンティティ)や「企業文化」がさかんに叫ばれている昨今だが、じっさいの組織文化は以上のようなところに根をもっていることを忘れてはならない▼10。
▼1 コンティンジェンシー理論については、加護野忠男「コンティンジェンシー理論」安田三郎・塩原勉・富永健一・吉田民人編『基礎社会学第III巻社会集団』(東洋経済新報社一九八一年)。
▼2 尾高邦雄『日本的経営――その神話と現実』(中公新書一九八四年)一一四-一一五ページ。便宜上、番号をふった。
▼3 前掲書、第一○章・一一章。とくに日本的経営の実質については、熊沢誠、前掲書を参照されたい。
▼4 前掲書。
▼5 稟議制度を肯定的にとらえたものとして、山田雄一『稟議と根回し――日本の組織風土』(講談社現代新書一九八五年)。否定的にとらえたものとして、加藤秀俊『人生にとって組織とはなにか』(中公新書一九九〇年)。後者は稟議制度を「忖度(そんたく)の論理」の一例としてとりあげている。「忖度」とは「他人の気持ちや願望を推量して、それにあわせて行動すること」である。一四三ぺージ-一四九ページ。また間宏によると、企業の変動期にはトップ・ダウン方式、安定期には稟議制度のようなボトム・アップ方式が多用されるという。また後者は企業情報の漏洩の可能性があることも指摘している。間宏『経営社会学――現代企業の理解のために』(有斐閣一九八九年〉一五九-一六〇ページ。
▼6 尾高邦雄、前掲書。濱ロ恵俊・公文俊平編『日本的集団主義一その真価を問う』(有斐閣選書一九八二年)。
▼7 尾高邦雄、前掲書六〇ページによる。
▼8 濱口恵俊・公文俊平編、前掲書一七ページ。
▼9 濱口恵俊・公文俊平編、前掲書一七ページ。
▼10 「日本型組織」の原型を「家元制度」に求め、詳細に論じたものとして、浜口恵俊『「日本らしさ」の再発見』(講談社学術文庫一九八八年)がある。このなかで浜口は、巷にあふれた粗雑な日本人論と一線を画した、緻密な議論を展開している。
14-4 組織の犯罪と集合的無責任
組織体犯罪
この「組織の時代」にあって個人が個人としてできることはたかが知れている。悪いことだって個人が犯す分には限界がある。しかし、組織人がその正当な職務として遂行することのなかには、とてつもない〈犯罪〉が存在することがある。いわゆる「企業犯罪」である。
しかし、一口に「犯罪」といっても、現行刑法では「犯罪」はあくまで個人が犯すものとされていて、法人という主体を想定していないから、組織そのものは刑法上の犯罪に問われにくい。そこで社会学では「企業逸脱」と呼んでいる。この場合の「逸脱」とは、人びとがそれを非難するような行為のことであり、あくまで相対的なものである▼1。また、企業以外の組織もふくめて「組織体犯罪」という呼び方もある。こちらの方は、暴力団などの「組織犯罪」とちがって、合法的な組織がその活動のなかでひきおこす不法行為あるいは法侵犯をいう▼2。
さきほど少しふれた薬害問題は、いずれも被害者になんの落ち度もなく、他方の製薬会社や国[厚生省]などの加害者・監督側には、事前に回避できる能力とチャンスがあり、意図的あるいは慣行的にそれをしなかったために、数多くの人が犠牲者となった。たとえば、スモン[キノホルム]事件では一万一千人以上の人が重度におよぶ障害を負わされた。傷害事件としてみると、これはたいへんな犯罪だと思うが、その結果を招いた人びとはいずれおとらぬエリートばかりである。しかも、かれらは組織の職務としてそれを遂行したのであって、とくに個人の利益を望んだのではない▼3。その意味では、組織が行為主体なのである。
ところが、トップ・ダウン方式のアメリカと異なり、日本の場合は稟議制・根まわし・暗黙の了解といった一連の組織文化が意思決定上の責任をぼかす機能を果たしているために、犯罪であることが確定しても、罪は末端の現場責任者に帰せられてしまって、上層部に波及しないことが多い。結局、中間管理職や末端の構成員だけが悪いクジをひくことになる。その意味では、組織そのものがひとつの責任の主体として法的に裁かれるような法体系が整備されるべきだろう。
集合的無責任の生成――旧国鉄組織の場合
しかし、その一方で、組織を行為主体とみなすことには落とし穴があることも忘れてはならない。それは組織をひとつのブラックボックスにみてしまう危険性である。組織の犯罪が明るみにでたさいにマスコミがよくやる一方的非難は、たしかに正義ではあるかもしれないが、それも一種の組織の物神化である。組織内の複雑な意思決定システムを分析的にみていかなければ、特定の組織を百万回バッシングしても、企業逸脱・組織体犯罪はなくならないだろう。
船橋晴俊は名古屋を中心とする新幹線公害問題の研究のなかで、深刻な被害が生じているにもかかわらず、なぜ国鉄・政府・国会・裁判所が問題を長期間にわたって放置しているのかを組織社会学的に分析している。ここでは旧国鉄についてみてみよう▼4。
もっとも下層の三つの部署すなわち岐阜工事局新幹線環境対策室・新幹線総局名古屋環境管理室・新幹線総局名古屋電気所は被害住民との直接的接触の頻繁な部署だが、これらはいずれもきわめて限定された権限しかもたされていないため、本社の基本方針にそって実務をおこなうのみである。たとえば新幹線総局名古屋電気所はテレビ障害問題を担当していたが、その誠意は住民にも高く評価されたという。しかし、その誠意ある全面解決はもともと受信障害問題に限定されている。
では、中層にあたる環境保全部と法務課はどうか。環境保全部は公害問題解決のための政策立案を担当する中心主体的部局である。しかし、その任務は低いコストで紛争を鎮静化させることにあるために、余分なコストを使用してまで住民本位にイニシアティブを発揮することはない。また法務課は「法廷でいかにしたら自分たちが負けないか」との狭い問題設定の範囲でしか行動しない。
では、上層の主体である総裁と理事会はどうか。トップレベルにあるとはいえ、多数の重要問題の処理に忙殺され、よほどの緊急性のないかぎり結局ミドルレベルの部局の意思決定を形式的に追認する構造になっている。
このように、国鉄組織内部の意思決定のメカニズムにおいて、減速・地下化・大幅な緩衝地帯という根本的対策をイニシアティブをもって推進する主体が閉塞してしまっているのである。その結果として、国鉄の「冷淡さ」「消極性」「硬直性」「問題解決能力の低さ」が生成してくるというわけだ。国鉄なる主体が明確な意思をもって住民運動をはねつけているのではなく、「累積された事なかれ主義」の結果なのである。
このように巨大組織では(1)各部署の権限に限界があるために権限外およびボーダーライン上のことに対しては消極的になり、(2)個人の保身や個々の部署の利害を守るためにマクロな革新をきらう傾向が強い。また(3)上層部は巨大な権限をもつが、情報処理能力の限界があるため、個々の細目については中層部が実質的に決定することになる。しかし中層部にとってマクロな革新は荷が重すぎるとしてイニシアティブはとらない。したがって、(4)制度上の革新や政策形成の決断は、組織にとってかなりの緊急性が生じたときにかぎられる。この「緊急性」はあくまで組織にとっての緊急性であって、住民運動やマスコミなどが世論や監督官庁を大きく動かし、組織の存立の危機と認識されたときにかぎられてしまう。
船橋晴俊の以上の分析から、旧国鉄において「集合的無責任」が醸しだされるメカニズムがみえてくる。今日もっぱら企業経営の視点でのみ語られることの多い組織論であるが、このあたりの問題の分析こそ、これからの組織論――社会学では組織社会学と呼ぶ――の課題ではなかろうか。
▼1宝月誠編『薬害の社会学――薬と人間のアイロニー』(世界思想社一九八六年)。くわしくは22-2参照。
▼2 「法侵犯」という概念については、板倉宏『現代型犯罪と刑法の論点』(学陽書房一九九〇年)。
▼3 宝月誠編、前掲書。
▼4 以下は、船橋晴俊・長谷川公一・畠中宗一・勝田晴美『新幹線公害――高速文明の社会問題』(有斐閣一九八五年)「IV国鉄はなぜ問題を放置しているのか」を要約したものである。
14-5 ネットワークと自己組織性
ネットワーク組織論
融通がきかず個人や小グループの自発性をそこないがちな従来の制度化された大組織のあり方に多くの人びとが疑問をもち、新しい「もうひとつの」(オルターナティヴ)組織のありようを模索している。
たとえば、ヴェンチャー企業が従来型の硬い官僚制的組織をとっていたのでは、つぎつぎに新たな経営環境をつくりだすことなどできないだろう。また、市民運動や「新しい社会運動」と呼ばれる一連の運動組織において、ひとりひとりの個人の、主体的参加を望めないような組織では、従来の労働組合の前衛指導型運動がたどった道へいたることは目にみえている。いずれにせよ、変革主体の創造性とダイナミズムを生かしながら実効性をもつ新しい組織原理が求められている。
こうした組織構想のなかで近年さかんに注目されているのが、「ネットワーク組織論」である▼1。
今井賢一・金子郁容によると、ネットワーク組織論のかなめは〈場面情報の重視による関係形成〉にある。「場面情報」とは、現場にかかわっている当事者だけがもちうる〈動いている情報〉のことだ。これを重視することによって、むしろ他の領域への適用可能性が高まって新しい連結が生まれるというのである。「神は細部に宿る」の論理である。従来の官僚制型組織は場面情報を主観的なものとして軽視して中央の抽象的な情報を中心に運営されてきた。社会主義経済の非効率性もここに原因がある。これらに対して、ネットワーク組織は、個人の全人格的な活動によって――つまり歯車としての個人ではなく――自発的なつながりを形成し、自他の境界の引きなおしをふくむ自己更新をおこない、多様なコンテクストをつくりだす〈解釈システムとしての組織〉をめざしている。
ここにあるのは、明確な目標をもち、ハイアラーキーに編成されたポジション群に配置された個人の役割行動によって、それを効率的に遂行するといった、おなじみのあの組織ではなく、個人が自発的かつ自律的に活動することによって結果的にあらわれるような〈ネットワーク多様体〉である▼2。
自己組織性
アンチ・ハイアラーキーでありアンチ・コントロールを意識したネットワークの組織のような新しい組織原理は〈自己組織性〉(self-organity)である。これは、環境に決定されるのでもなく、環境に適応するのでもなく、「自己が自己のメカニズムに依拠して自己を変化させること」である▼3。
もう少しくわしく説明しよう。組織についての考え方は、ほぼ三つの段階に分けることができる。第一に「機械モデル」の段階。ビューロクラシーの理念型はほぼこれに対応する。あらかじめ指定したことは確実にできるけれども、そうでないことにはまったく対処できないような融通のきかない機械のイメージである。つぎにでてきたのは「環境適応モデル」。はじめにプログラムした環境がいつまでもつづくわけがない。そこで、まわりの環境にあわせて組織そのものが変わっていく、そういう融通のきく組織のあり方である。日本の大企業は今日おおむね環境適応型といっていいだろう。また、コンティンジェンシー理論も基本的に環境適応を重視する理論である。それに対して「自己組織モデル」は、環境という外部要因によって組織が変容してゆくのではなく、組織内部の自生的要因によって組織そのものが変容してゆくというイメージだ。
〈自己組織性〉原理が巨大な現代組織をどこまで脱構築できるか――組織論の構想力が試されるのはこれからである▼4。
▼1 今井賢一・金子郁容『ネットワーク組織論』(岩波書店一九八八年)。
▼2 以上、前掲書による。
▼3 今田高俊『モダンの脱構築――産業社会のゆくえ』(中公新書一九八七年)五五ページ以下。
▼4 本章は既発表の「社会学からみた”組織”ア・ラ・カルト」『第三文明』一九九一年一〇月号を改稿したものである。
増補
組織社会学の概説書
社会学の組織論がどのような問題に関心を寄せ、どのように解こうとするのかを知りたいときには、宮本孝二・森下伸也・君塚大学編『組織とネットワークの社会学』(新曜社一九九四年)が適当だろう。若手社会学者が恩師の定年退官を記念して編んだ論文集だが、現代組織論の入門書としても使えるよう編集されている。
日本の組織
九〇年代になって、戦後の日本社会をリードしてきた官僚組織や企業組織の反社会的行動の問題がクローズアップされている。とくに検察が組織のトップクラスの人物を逮捕し始めたことによって、慣行として放置されてきた巨大組織の反社会的行動が社会問題化した。すでに本編において「ビューロクラシー」「インフォーマル・グループ」「日本的集団主義」「集合的無責任」といった概念を使用して重点的に説明しておいたが、その後、多くの文献が刊行されているので紹介しておこう。
まず、日本の企業社会のあり方を「法人資本主義」ととらえ、人びとの「会社本位主義」を批判的に分析する奥村宏の一連の仕事が重要である。奥村宏『[改訂版]法人資本主義――[会社本位]の体系』(朝日文庫一九九一年)。これに先行する仕事として、奥村宏『新版 法人資本主義の構造』(現代教養文庫一九九一年)がある。これらの続編が、奥村宏『会社本位主義は崩れるか』(岩波新書一九九二年)。現代教養文庫には奥村の著作をはじめとして多くの日本企業論がある。
新しい研究ではないものの、日本の企業組織を議論する上で欠かすことのできない研究の翻訳として、ロナルド・P・ドーア『イギリスの工場・日本の工場――労使関係の比較社会学(上・下)』山之内靖・永易浩一訳(ちくま学芸文庫一九九三年)が文庫化された。「一九九〇年版へのあとがき」が加えられている。
近年の企業犯罪については、神山敏雄『会社「性悪説」――会社犯罪の生け贄にならないために』(光文社一九九七年)が事例をよく整理している。新しい本だが、残念ながら刊行後にも次々に事例となる事件が増えている。
この種の議論は従来「建前論」と見なされることが多かったが、海外の読者のために日本の組織構造を解説した、カレル・ヴァン・ウォルフレン『日本/権力構造の謎(上・下)』篠原勝訳(ハヤカワ文庫一九九四年)と、日本人読者のために書き下ろされた、カレル・ヴァン・ウォルフレン『人間を幸福にしない日本というシステム』篠原勝訳(毎日新聞社一九九四年)が大きな社会的注目を浴びたことで様子が変わった。社会学的には「荒削りな内容」と見る評価があるかもしれないが、本来は日本の社会学者が書いてしかるべき内容ではなかったかと思う。
ちなみにウォルフレン自身は社会学に対して批判的であり、みずからをジャーナリストであり政治理論家と規定している。ただし、かれが批判する「社会学者」とは村上泰亮や舛添要一のことであって、いささか筋違いの感もある[カレル・ヴァン・ウォルフレン『日本の知識人へ』西岡公・篠原勝・中村保男訳(窓社一九九五年)]。なお、この点については矢澤修次郎が問題にしている[関曠野編『ウォルフレンを読む』(窓社一九九六年)]。
ウォルフレンの批判の矛先は、とくに中央官庁の官僚に向けられていたが、九〇年代にあいついだ社会問題の過程で厚生省・大蔵省・建設省・農林水産省などの反社会的な行為や不作為が表面化し、じっさい収賄容疑などで高級官僚の逮捕などがあり、日本の官僚組織のあり方が政治的イシューになっている。これはたんに永田町と霞ヶ関の問題ではなく、猪瀬直樹『日本国の研究』(文藝春秋社一九九七年)の指摘するように、虎ノ門に集中している特殊法人にまで注意を向ける必要がある。
社会学的にこれらの問題をどう捉え直すかという問題が残されているが、その選択肢のひとつは「ホワイトカラーの犯罪」という古典的な概念に立ち戻ることであろう。ヒントを与えてくれる社会学書として、ジェームス・コールマン『犯罪エリート』板倉宏監訳(シュプリンガー東京一九九六年)がある。
談合については、社会学ではないけれども、武田晴人『談合の経済学』(集英社一九九四年)が日本的調整システムの歴史と機能について詳細に論じているので、「談合の社会学」を考える上で参考になる。株の損失補填問題や総会屋への利益供与事件もそうであるが、こういう問題をたんに社会的公正の視点から批判するだけでなく、その社会的機能と逆機能を歴史的に検証し、その上で対抗構想を練るべきであろう。図書館の経営学や経済学の棚をさらってみるとわかるように、この種の分析は相当に手薄である。組織社会学や産業社会学の可能性は大きいと思う。
「もんじゅ」と動燃の組織問題
一九九五年十二月八日高速増殖炉もんじゅのナトリウム漏れ事故が発生した。高速増殖炉は夢のようなエネルギー装置として推進されてきた巨大プロジェクトだが、かねてより指摘されてきたように、ナトリウムのとりあつかいがむずかしく、この分野の先進国においても断念する国が相次いでいただけに、起こるべき事故が起きたといえる。十二月二十一日、動燃は科学技術庁の立ち入り検査を受けた。これは動燃がナトリウム漏れ事故の肝心な映像をはぶいて編集した映像資料しか提出しなかったための措置だった。動燃では日常的に「事故」を「事象」と呼び換える点をはじめとして、現場の当事者たちが、情報公開の理念とはまったく異なるコンセプトで動いていることが明白になった。この一連のプロセスについては、読売新聞科学部『ドキュメント「もんじゅ」事故』(ミオシン出版一九九六年)が詳しい。
システムの信頼
原発問題が示しているのは一種の「システムの信頼」問題である。今回の事件のように、動燃側が「誤解を与える」との理由でいともかんたんに情報の操作的提示をしてしまうと、もっともゆらぐのが「信頼」。この種の事件では、当事者や利害関係者が「騒ぎすぎ」と感じることが多かったようだが、それでは、現代社会において「信頼」がいかに重要な構成要件であるかの社会学的認識が欠けているといわざるをえない。薬害エイズ事件についても同様である。  問題を抽象化しすぎて捉えているとの疑念を抱かれるのを覚悟して(社会学者はしばしばそう批判されることがある)次の本を掲げておこう。ニクラス・ルーマン『信頼――社会的な複雑性の縮減』大庭健・正村俊之訳(勁草書房一九九〇年)。「信頼」については次の本の方がわかりやすいかもしれない。アンソニー・ギデンズ『近代とはいかなる時代か?――モダニティの帰結』松尾精文・小幡正敏訳(而立書房一九九三年)。
情報開示と信頼
最後に、情報公開の問題について一言。情報というのは、ふたつの性質をもっている。ひとつは一部の人たちに独占されやすいということ、もうひとつは操作されやすいということだ。  それがたいせつな情報や知識であればあるほど、それは権力や権限をもつ人のところに集中していく。その人たちが、たとえ情報を独占するつもりがなくても、その人たちがあえて公開しようとしないかぎり、その情報や知識は独占されてしまうことになって、一般の市民には隠されてしまう。しかも、情報は操作するのがかんたんだ。もんじゅの事故を「比較的小さな事象」ということは、それ自体うそではないにしても、すでに評価をくわえて加工されてしまっている。まして、映像資料の場合はその一部だけを公表することによって、たやすく人びとの印象を操作できる。映像は一般に客観的とみなされるので、それがある瞬間のある場面を意識的にきりとったものであるという点であくまでも主観的なものであることが忘れられやすいからである。
要するに、情報というのはあえて公開する意志がないと、いともかんたんに独占され操作されてしまう。つまり、それを知った人が何もしないかぎり、結果的にそうなってしまう。ここがきちんとわかっていない組織がこの日本には多すぎる。「事なかれ」では情報公開は実現しない。組織の中の人が、民主的な社会に生きる市民として「公開への意志」をもって組織内で自律的に行動することが、情報公開を実現するわけで、それが結果的に組織に対する「信頼」を生むことになるのではないか。
ネットワーク分析
本編では新しい組織原理としてネットワーク組織の可能性にふれたが、それとは別に「ネットワーク」概念を駆使して集団や組織における行為を分析する新しい社会学的分析方法が注目されている。それがネットワーク分析である。ネットワーク分析は、行為者間の関係構造をネットワークと捉えて、それを主に数理的に処理して関係構造を分析する手法である。安田雪『ネットワーク分析――何が行為を決定するか』(新曜社一九九七年)が刊行されて、入門者にも近づきやすくなった。これを読むと、ネットワーク分析がかなり汎用性の高い分析方法であることがわかる。
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4月 12017

社会学感覚13流言論

Socius  ソキウス   著作+制作 野村一夫

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社会学感覚
13 流言論
13-1 非合理的心性のメディアとしての都市空間
クチコミの反乱としてのうわさ
今日の日本のような、情報が大量に生産され、流通・消費される社会――「高度情報社会」においても、ほんとうに人びとがほしがっている知識が供給されていないために、それを補うかのようにさまざまなうわさが発生する。この状況は〈メディアの物神性〉と〈クチコミの反乱〉の対立する地平として、ひとまずとらえることができる。これまで〈メディアの物神性〉についてその内実を考察してきたが、本章では〈クチコミの反乱〉をとりあげ、一対一の対話でもなく、メディア依存の情報行動でもない、コミュニケーションのまったく別の局面に照明をあててみたい。
この局面は「うわさ」「流言」「都市伝説」などと呼ばれる社会現象からなり、「高度情報社会」とか「ハイテク」とか「劇場空間」といったことばで今日語られることの多い現代の都市空間の明るいイメージとは著しい対照をみせている。つまり、それらは人びとが現実に生きている都市空間の非合理的なありようを独特の形式で映しだしているのである。
都市伝説と現代民話
まず、近年日本でも関心を集めている「都市伝説」(urban legends)から題材を求めよう。ジャン・H・ブルンヴァンの『消えるヒッチハイカー』と『チョーキング・ドーベルマン』はそうした素材の宝庫である▼1。
たとえば「消えるヒッチハイカー」は、道ばたでひろった若い女性を車の後ろに乗せて、その子の家のあるという場所まで送ったところ、後ろの座席にいるはずの女性は消えてしまっていたという話である。また、「ボーイフレンドの死」は、夜のデート中、自動車が故障したためボーイフレンドが助けをもとめて外へでていったが、なかなか戻ってこない。女の子は置き去りにされ不安な一夜をすごすが、翌朝になって外にでてみると、車のうしろの木にボーイフレンドの死体がぶらさがっていたという話。「のどをつまらせたドーベルマン」では、ある女性が仕事から戻ると、飼っているドーベルマンがあえいでいたので、すぐに獣医のもとに犬をあずけ、家に戻ってきた。すると獣医から電話で「すぐに家をでて警察を呼べ」と警告された。獣医は犬の手術をして犬が呼吸困難に陥った原因が人の指であることをつきとめ、その指のもち主――つまり侵入者――がまだ彼女の家にいるのではないかと注意したのだった。じっさいに警察が彼女の家を捜索すると、指のない男が気を失っていた▼2。
日本でもこのような都市伝説の研究が始まっており、別冊宝島の『うわさの本』はその一例である▼3。これを読むと、近代的な都市空間が、非合理的な心性の宿る媒体=メディアとして存在することが、若干の恐怖とともに実感できる。
じつは「都市伝説」として注目されている一連の現象について、日本では別の研究系譜がある。「現代民話」論の系譜である▼4。柳田国男の『遠野物語』の現代版というところであるが、その豊富な資料収集には驚嘆してしまう。いずれにしても、人びとの〈語り〉に着目する民俗学的な視点から、現代の都市空間に帯電する非合理的な心性をさぐりだす試みとして学ぶべきことは多い。
現代のうわさ/流言
「都市伝説」のように、人びとが相互に語りあうなかで自然発生的に構成されるコミュニケーション現象を、社会学では一般的に「流言」(rumor)または「うわさ」と呼んでいる▼5。
周知のように、現代の日本社会においても、さまざまなうわさ・流言が語り継がれている。たとえば、若い読者の少年時代に焦点をあわせると、つぎのような有名なうわさがある。いくつご存知だろうか▼6。
「ドラえもん」「サザエさん」最終回のうわさ。
TVモニターの隅に見えかくれする亡霊のうわさ。
松坂慶子の出演するティッシュのCMについてのうわさ。
ファミコンの高橋名人の死亡説。
口裂け女。
なんちゃっておじさん。
もう少し古い七〇年代前半のものとして――
ネコバーガーのうわさ。
井の頭公園カップル破綻説。
トイレット・ペーパー・パニック――一九七三年末から七四年はじめのモノ不足によるトイパー・洗剤・灯油・塩・砂糖の買いだめパニック。
一九七三年の豊川信用金庫の取り付け騒ぎ。
終戦直後までのものとして――
お雇い外国人たちは、女工として集めた処女の血を絞って飲んでいるといううわさ。[明治初め]
西郷隆盛は生きてロシアにわたり、皇太子とともに帰ってくるといううわさ。
味の素の原料はへびだといううわさ。[大正]
一九二三年関東大震災直後の「朝鮮人の襲撃」のうわさ。
終戦直後マッカーサー将軍は日系人だといううわさ。
ことわっておくが、さわぎのもとになったうわさはいずれも事実ではない。
ごく最近さわぎになったうわさとしては、一九九〇年秋から冬にかけて埼玉県草加市から東武伊勢崎線沿線にひろがった外国人労働者についてのうわさがある。これは、犬の散歩にでていた中年夫婦が東南アジア系の浅黒い男たちにおそわれ、夫の目の前で妻が乱暴されたというものだった。母親と娘が乱暴されるというヴァージョンもあった。いずれも事実無根のうわさである。
これらが有名なのは、いずれもマス・メディアによって大きくとりあげられたからである。そのため、うわさ集団は全国規模にわたっている。しかし、本来うわさは、もっぱら身近なところで語られるものだ。たとえば、ゼミや研究室の選択のさい、どの先生の研究室がいいかについてうわさが乱れとぶ。また試験情報についても憶測や先輩の話などがクチコミで伝えられる。それらは事実であることもあれば、そうでないこともある。しかし、多くの人はうわさにもとづいて対策を講じるしかないのである。
オルレアンのうわさ
現代の都市空間を媒体として生じるうわさについて、わたしはまず〈メディアの物神性〉に対する〈クチコミ反乱〉として位置づけておいた。この〈クチコミの反乱〉は、人びとのなかにある「なにか」をあらわしていると考えられる。それはなにか。
社会学におけるもっとも有名なうわさ研究に、フランスの社会学者エドガル・モランの『オルレアンのうわさ』がある▼7。はじめてミニスカートが流行し、ジーンズがまだ一過性の流行と思われていたころ、フランスのある地方都市に発生したうわさを分析した古典的研究である。
この調査のもとになったうわさは、一九六九年五月オルレアンという都市[ロワール県の県庁所在地]でおこった女性誘拐のうわさである。ユダヤ人の経営する最新のオシャレなブティックの試着室で、若い女性が催眠薬の注射をうたれるか、あるいは薬いりのボンボンをあたえられて眠りこまされ、店の奥の地下通路を通って外国に売られるというのである。このうわさはみるみるオルレアン中に広まり、一種のヒステリー状態を生む。ついに名指しされたブティックの前に群衆が集まり、それをマスコミがとりあげたことで、それまで水面下でうごめいていたうわさは「事件」として広く知られることになる。
ところが、この女性誘拐のうわさは、まったくの事実無根だった。つまり現実には被害者はいなかった。
モランは、このオルレアンのうわさには三つのテーマがふくまれているとする。三つのテーマとは、すなわち(1)女性誘拐(2)都市化現象(3)ユダヤ人である。この三つのテーマの複合が、オルレアンのうわさの神話構造を構成しているとする。
すなわち、この地方都市にあって保守的で伝統的な大人たちは、古い街なかに忽然と出現した最先端のブティックを危険なものとみていた。都市化現象は、若い女性たちに危険な自由化をもたらすとかれらは感じていた。つまり、モダンな都市空間は、性の解放を象徴する場所と考えられていたのである。他方、当の若い女性たちは、そうした性の秘めやかさにイマジネーションをそそられていた。いずれにしても、試着室という密室は性への関心を呼びよせた。こうして女性誘拐という古典的な神話が現代的に変奏されたのである。これが最後に古典的なユダヤ人のイメージと結びつき、うわさに信憑性をあたえることになったというわけだ。
神話もしくは物語の変奏
ことわざに「火のないところに煙はたたぬ」というが、「火」は〈うわさされる側〉ではなく、じつは〈うわさする側〉にある、ということを「オルレアンのうわさ」は明確に示している。つまり、曖昧な状況や新しい事態に対する人びとの漠然とした不安やとまどいこそ、うわさの「火もと」なのである。このような漠然とした不安やとまどいからうわさが発生するプロセスで触媒のような働きをするのが、昔からいい伝えられてきた「神話」「フォークロア」あるいは「物語」と呼ばれる「語りのスタイル」である。
「オルレアンのうわさ」の場合、人びとの反感と想像が「女性誘拐」と「ユダヤ人への偏見」といった古典的な物語の構図によって形をあたえられた。その結果、あたかも古典的な神話・物語が「流行の先端をゆくブティックの試着室」という現代的な舞台装置でもって変奏されたかのように現れたのである。
たとえば日本でも、柳田国男の有名な『遠野物語』という説話集がある。これは岩手県遠野で人びとによって語られた話が集められた本だが、このなかに河童の話がいくつかでてくる。河童の話といっても二十世紀初頭の話である。たとえば、河童の子を生んだ女の話がある。その子は恐ろしい姿をしていたので、「生まれるとすぐ切り刻んで一升樽に入れて土の中に埋めた」というのだ。じつは河童とは間男のことである。つまり、不倫によって生まれた子どもや障害のある子どもが生まれたとき、村では河童の子として「処理」するのである。この場合も、村や家の秩序と調和を乱す現象を、伝統的な物語の構図によって整合的にストーリー構成し、それによって人びとがそれなりの納得をえようとしていたわけである▼8。
わたしたちは、このような民話の世界ならいともかんたんに距離をおくことができる。しかし、現代の都市空間にまことしやかに流れる都市伝説やうわさに対しては、なかなかむずかしいのではなかろうか。すでにみてきたように、本質は同じである。
うわさの法則
一般に、流言の発生を左右するのは、状況の「重要性」と「曖昧さ」である。アメリカの社会心理学者ゴードン・W・オルポートとレオ・J・ポストマンはつぎのように定式化している。
流言の発生量=重要性×曖昧さ
つまり自分たちにとってどうでもよいことは流言とかうわさにはならない。また重要なことでも、状況に対する知識が明確であれば流言は発生しない。逆に、適応を要求されている問題状況についての知識が不明確なとき、つまり環境がはっきりと定義づけられていない場合、人びとは不安をもち、この不安から逃れるために、自分たちの共有する〈物語〉が呼びよせられる。こうしてうわさが誕生する。
図式化すると――
曖昧な状況・新しい事態
↓←事態の重要性
それに対する漠然とした不安・とまどい
↓←物語的構図
うわさ
だから、うわさは、言論・思想の自由のない抑圧的な社会――たとえばかつての社会主義国――によく発生したものだった。とすれば、現代日本の都市空間に噴出する流言現象は、人びとがほんとうに知りたいことを知りえていない、考えたいことを考えられないことの反映だろうか。
たとえば、大塚英志は一九八〇年代後半の子どもたちによって語られた一連のうわさに、「今日のシステム的な社会、均質化した都市空間に対し何らかの違和感を抱き、これを破壊しようという子供たちの衝動」をみている▼9。また、本田靖春は東武伊勢崎線沿線の外国人労働者のうわさについて、戦後世代における差別的傾向を指摘している▼10。おそらく、うわさの担い手たちはそうした自覚はないかもしれないが、「火のないところに煙はたたぬ」というときの「火」は、あきらかに〈うわさする側〉にあることはたしかである。
▼1 ジャン・ハロルド・ブルンヴァン、大月隆寛・菅谷裕子・重信幸彦訳『消えるヒッチハイカー――都市の想像力のアメリカ』(新宿書房一九八八年)。行方均訳『チョーキング・ドーベルマン――アメリカの「新しい」都市伝説』(新宿書房一九九〇年)。
▼2 前の二話は『消えるヒッチハイカー』、後の話は『チョーキング・ドーベルマン』にさまざまなヴァリエーションとともに収められている。
▼3 別冊宝島九二『うわさの本』(JICC出版局一九八九年)。
▼4 松谷みよこ『現代民話考』(第一期全五巻・第二期全三巻・立風書房一九八五-一九八七年)。各巻のタイトルを列挙すると『河童・天狗・神かくし』『軍隊』『偽汽車・船・自動車の笑いと怪談』『夢の知らせ・ぬけ出した魂』『死の知らせ・あの世へ行った話』『銃後』『学校』『ラジオ・テレビ局の笑いと怪談』。
▼5 このふたつの概念を区別することもあるが、ここでは同じこととしてあつかい、「都市伝説」はその一形式としておく。
▼6 以下に例示するうわさは、つぎの文献であつかわれているものである。くわしくはそちらを参照のこと。廣井脩『うわさと誤報の社会心理』(NHKブックス一九八八年)。佐藤健二「『うわさ話』の思想史」『うわさの本』前掲書。藤竹暁「マス・メディア時代のうわさ――パニックと神話」中野収・早川善治郎編『マスコミが事件をつくる――情報イベントの時代(有斐閣選書一九八一年)。いずれもわかりやすい「うわさ論」であり、本章でも参照した。
▼7 エドガール・モラン、杉山光信訳『オルレアンのうわさ』(みすず書房一九七三年)。この研究の概要と意義については、杉山光信「モラン『オルレアンのうわさ』」杉山光信編『現代社会学の名著』(中公新書一九八九年)を参照。
▼8 間庭充幸『日本的集団の社会学――包摂と排斥の構造』(河出書房新社一九九〇年)六七-六八ぺージ。
▼9 大塚英志『物語消費論――「ビックリマン」の神話学』(新曜社一九八九年)三一ページ。
▼10 本田靖春「日本は人種差別国か」『暮しの手帖』一九九一年。
13-2 即興的につくられるニュース
うわさについての常識
そもそも、うわさとはなにか?うわさをコミュニケーション現象として社会学的にとらえなおしてみよう。
常識では、うわさは「連続的伝達における歪曲」と思われている。人から人へとクチコミで伝達されるプロセスにおいて内容がしだいに歪曲されてくるといった「伝言ゲーム」のイメージである。
しかし、最近の社会学では、このような考え方をとらなくなってきた。というのは、この前提には、コミュニケーションを直線的なプロセス――つまり〈情報の移転〉ととらえる伝統的かつ機械論的な見方があるからだ。そのために、最初の内容が「歪められる」として、うわさを暗黙のうちに「正常でない病理現象」と考えてしまっている。暗黙の価値判断がすでにふくまれてしまっているのだ。これはあまり科学的ではない。
ニュースの一形式としてのうわさ
そこで最近の社会学では、「即興的につくられるニュース」(improvised news)としてうわさをとらえている。タモツ・シブタニの定義によると「あいまいな状況にともに巻き込まれた人々が、自分たちの知識を寄せあつめることによって、その状況についての有意味な解釈を行おうとするコミュニケーション」である▼1。
シブタニによると、一般に人びとが自分たちの行動を決めるために求める知識――すなわちニュース――は、ふたつの経路[チャネル]でえることができる。制度的チャネル[公式的]と補助的チャネル[非公式的]である。たとえば、マス・コミュニケーションは制度的チャネルであり、クチコミは補助的チャネルである。通常、人びとは制度的チャネルを通じてニュースを知る。しかし、制度的チャネルが人びとのニュース欲求を満たさなくなったとき、人びとはクチコミという補助的チャネルを使ってニュース欲求を満たそうとする。たとえばそれは、災害によって制度的チャネルが全面的にマヒしたときであったり、検閲や特定集団によるメディア支配によって制度的チャネルのニュースが信頼できないときであったり、あまりに事件が劇的なのでニュース欲求が飛躍的に高まったときであったりする。
このようにニュース欲求が、制度的チャネルで供給されるニュースの量を上回るとき、うわさが生じる▼2。だから、うわさは人びとが生活の変化になんとか適応しようとする努力の結果であって、病理現象でもなんでもない。
うわさとの関わり方
ここで重要なのは、流言とかうわさというものは〈人びとが環境把握のためにおこなう集合的な解釈の試み〉だということだ。集合的な「状況の定義づけ」すなわち「人びとが共同しておこなう即興の状況解釈▼3」なのである。
このプロセスのなかで、人びとはさまざまな参加の仕方をする。人びとは「伝達者」「解釈者」「懐疑者」「主役」「聞き役」「意思決定者」として、うわさの形成に参加する▼4。これらの役割を担った人びとの相互作用の結果として、ことばとしてのうわさが成立するわけだ。わたしたちは、うわさの〈ことば〉としての側面にとらわれがちだが、むしろ〈相互作用〉としての側面をみていくべきなのだ。そうすれば、うわさが集合的な問題解決の一形式であることがわかる。環境になんらかの変化が生じると、かならずうわさが発生するのは、問題状況に対応するために人びとが活発に相互作用するからなのだ。
うわさの合理性
わたしたちは必要や自然な反応としてうわさに参加するが、ひとたびうわさについて論じるとなると、とたんにきびしい批評家となってうわさを愚かなことと非難する。自分たちがしていることに目を向けず、他人ごととしてみてしまいがちである。しかし、そのような態度が〈明識〉から遠いのはあきらかだ。
これまでのべてきたように、うわさは社会のなかで一定の機能を果たしている。都市伝説のように、それを〈語り-聞く〉関係のなかで連帯性を高めるタイプもあれば、災害流言のように、結果的に防災意識を高めるものもある▼5。中高校生によるマス・コミュニケーションを対象とするうわさは、マスメディアの提示する表層文化が巧妙に死を排除していることへの抵抗でもある。また、うわさは制度的チャネルが信頼できないか機能していない状況下における緊急避難的な行動である。したがって、うわさにはうわさなりの合理性があり、それはジャーナリズムがもっている合理性や政治経済組織がもっている合理性と同じものではないにせよ、資格において同等なものなのだ。ただ現代社会が機能的なシステム合理性を機軸にする社会であるために、それ以外の合理性――うわさや宗教など――があたかも非合理的なことかのように映じるだけなのである。
このようにとらえかえすならば、うわさを一種の集合的な〈知識構成過程〉と位置づけることも可能になる。科学的知識のように経験的に検証されたものではないし、ジャーナリズムの供給するニュースのように組織的に構成されるのでもなく、宗教の教義のように一貫した絶対的相貌で立ちあらわれるものでもないが、うわさは人びとが問題状況に対して集合的に構成し、かつ再構成しつづける〈知識〉のひとつの形式なのである。
▼1 タモツ・シブタニ、広井脩・橋元良明・後藤将之訳『流言と社会』(東京創元社一九八五年)三四ページ。
▼2 前掲訳書八八ぺージ。
▼3 前掲訳書四二ページ。
▼4 前掲訳書三一-三二ぺージ。
▼5 廣井脩、前掲書。
増補
うわさ研究入門
本編では思いつくものを並べておいただけだが、うわさの素材は無数である。うわさを集めた本は九〇年代になってちょっとした出版ブームになっており、枚挙にいとまない。ここでは一冊だけあげておく。池田香代子・大島広志・高津美保子・常光徹・渡辺節子編著『ピアスの白い糸――日本の現代伝説』(白水社一九九四年)。
うわさ研究の場合、素材収集よりも、それをどう解読するかという方がむずかしい。現代的なセンスをもった日本の社会学者による解説書が待ち望まれていたが、最近一気に出版されている。川上善郎『うわさが走る――情報伝播の社会心理』(サイエンス社一九九七年)は、最初に読む研究入門として最適。うわさが伝言ゲームのようなものでなく状況の解釈であるという、現在のスタンダードな理論から整理されている。おそらくうわさのあり方を一変するかもしれないネットワーク上のうわさにも言及されている。松田美佐『うわさの科学』(KAWADE夢新書一九九七年)と、川上善郎・佐藤達哉・松田美佐『うわさの謎』(日本実業出版社一九九七年)も読みやすく、このあたりから入っていくと無難である。
社会心理学的なアプローチ以外にも、うわさ研究のやり方はある。とくに社会史的なアプローチは社会学的研究としても重要だ。その事例として、松山巌『うわさの遠近法』(講談社学術文庫一九九七年)。
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SOCIUS.JPドメインへの初出 12/24(Tue), 2002  最終更新日:4/1(Sat), 2017
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