Tag Archives: エートス

4月 12017

社会学感覚 あとがき

Socius  ソキウス   著作+制作 野村一夫

フロントページ


現在地 ソキウス(トップ)>社会学感覚
社会学感覚
あとがき
あとがき(初版)
社会学教育についての反省
大学院に入ってまもないころ、受験生むけの「学部選びシリーズ」の一冊に「社会学は社会を人間の側に取り戻す科学だ」という長いタイトルの社会学紹介記事を書いたことがある。これには意外に苦労した。というのも、編集者は「社会学者の紹介も名前も入れないでくれ」というのだ。となると、当事手元にあった社会学の入門書はまったく頼りにならなかった。当時の社会学のテキストは、ごく初歩の入門書でさえ、実質的に社会学者と学説の要約紹介によって「社会学とはなにか」を説明していたからである。たしかに、すでに大学に入ってしまった人にはこれでいいかもしれないが、社会学部(科)にしようか法学部にしようかなどと迷っている受験生には、なにがなんだかわからないかもしれない。そこで自分なりに社会学の発想法を類型化してまとめることにした。本書の社会学論のいくつかの章はこのときの内容を出発点にしているが、これがわたしの最初の「社会学教育」体験といえるものだったという気がする。
やがて「住み慣れた」社会学科をでて、看護学校で社会学を教えるようになったとき、「病院での実習に携わりながら受講する彼女たちにとって社会学の有効性はどこにあるのだろう」と考えたものだ。その模索のなかで、看護学のもっているエートスが社会学の実践的なエートスに意外に近いのに気がついた。と同時に、このような専門職教育がどうしても技術中心にならざるをえず、じっさいに専門職として社会のなかで活動するさい遭遇するさまざまな困難や問題に対してどのように考えていけばいいかということについてはどうしても手薄になってしまうという事情も教えられた。制度上、社会学は基礎科目としてそれを補う立場におかれている。
このことは、大学の理工学部で社会学を教えるさいにも考慮したことである。技術者として企業内で働くなかで遭遇する人間係数的出来事に対するカリキュラムは組まれていないのがふつうである。ここでも社会学教育の存在意義は大きいはずだ。
問題は、社会学の側がそうした要請にきちんと応えているかどうかである。
かつての社会学は、みずからの科学としての正当性について弁解することにほとんどすべてのエネルギーを費やしてきた。これはこれで意味のあることだが、しかし、これは基本的に「社会学」そのものではない。「社会学の対象は社会学ではない」(フランコ・フェラロッティ)のである。かろうじてであれ社会学が市民権を得た今日、もうそのようなスタイルは過去のものとなりつつあるのではなかろうか。とりわけ入門段階において初学者がそのような学史的記述を正しく理解することが至難のことであっただけに、教養科目・基礎教科としての社会学教育は大きな転換点にきていると思う。
本書の方針
本書を構成するにあたって、さしあたりわたしの念頭にあった読者は、社会学を専攻していない大学生と短大生とくに理科系の学生、また看護学校の学生だった。目下わたしと関わりのある人たちをおもな読者と想定しているわけだが、これによって、これまでまったく社会学と縁のなかった市民の方々にも近づきやすいものになるのではないかと考えている。
さて、似上の反省をもとに、そのさいつぎの諸点について留意しつつ執筆した。
まず第一に、社会学がどのような科学であるかを学史的に説明するのでなく、その発想法に即して説明すること。「社会学感覚」という新造語は、そのような社会学的発想法のメルティングポットあるいはフロシキあるいは受け皿をさすことばとして導入した。かならずしも一義的な概念ではないが、たんに社会学専門家の独占物ではなく、明晰かつ反省的な市民としての読者と共有できる発想法・思考法として設定したものである。
第二に、本書では、旧来の狭い意味での社会学の領域ではなく、きわめて広い社会領域をあつかった。その結果、本書は「社会学入門」の枠を逸脱して「現代社会論入門」の色彩の強いものになっている。これは理科系・看護系のカリキュラムにおいて社会学は事実上「現代社会論入門」の位置にあると考えたからだ。第一章で説明したように、社会学は市民の社会科学入門に最適の科学的構成をもっている。
またこれに関連して、社会学者でない隣接科学の研究者の著作も多く導入した。じつは、知的興奮のみなぎった研究が社会学にあることはあるのだが、どれも専門的で、一般の人にはたいへんむずかしい。社会学的意味における知的発見のみなぎった「おもしろい」研究やフィールドワークは意外にも非社会学文献に多くみられる。これは隣接科学の〈社会学化〉の結果と考えられるが、わたしは自分の社会学感覚に忠実にこれらの社会学的な非社会学文献を「社会学的世界」のひとつとして紹介したいと思った。もともと社会学はその発展過程において「モザイク科学」であり「侵入科学」であり「残余科学」でありつづけた。そう考えれば、これも社会学の生理にあったことではなかろうか。
第三に、日本人社会学者の研究を紹介すること。こうした概説書では洋モノの原著[の翻訳]を内容紹介するのが通例になっていて、邦語文献の紹介は少ない。たしかに、邦語文献には欧米の研究の紹介が多い点でセカンダリーかもしれない。しかし、社会学入門者[じっさいには社会学専攻の学生も]にとって、これは迷惑な話である。たとえ原著であれ、翻訳というプロセスを経ているかぎり、じつはそうした文献もセカンダリーにはちがいないのだ。いや、むしろ「異文化間コミュニケーション」という問題をよけいにふくんでしまう点で、本質の理解にとってかえって妨げになる場合さえあるかもしれない。むしろ現代日本社会に即した解説や事例研究をたくさん読んだ方が、ヴィヴィッドな社会学感覚を身につけることができるのではないか。
たとえば、ジンメルが最初に着手した「よそ者」や「文化の悲劇」「大都市と精神生活」、ウェーバーの提起した「カリスマ」や「音楽の合理性」などの論点を現代日本の都市社会という社会的文脈のなかで説明できなければ、ジンメルやウェーバーの今日的意義を初学者に理解してもらうことはできないだろう。俗流化とかステレオタイプ化によって、たとえかれらのオリジナルな概念構成が犠牲になったとしても、その方がえるものは大きいのではなかろうか。  たとえば上野千鶴子の問題作『スカートの下の劇場』(河出書房新社一九八九年)にはジンメル的な問題意識と知的エートスがみなぎっている。こういうと、ご本人は否定するかもしれないし、ジンメル研究者にも叱られるかもしれないが、ジンメルが現代に生きていれば、おそらくこのような本を何冊も書き飛ばしたにちがいない。かれの社会学的なマインドすなわち「社会学感覚」をヴィヴィッドなものとして実感するには、教科書にあるような形式社会学の形式主義的説明よりも、おそらくこのような本を数多く読み飛ばす方が数段いいのだ。
第四に、記述をなるべくやさしくすること。人がまったく新しい科学に出会ったとき、最初に困惑するのは概念のむずかしさというより、その説明に使われることばのむずかしさである。社会学の場合も、むずかしさのかなりの部分が説明のことばに起因する。そもそも科学はムダのない簡潔なことばを好む。しかし、その文体はしばしば一般読者を遠ざけてしまう。執筆中もっとクリアに簡潔に記述したいという衝動がたえずつきまとったけれども、学術論文の文体はこれでもなるべく禁欲したつもりである。エッセイ的な記述に徹した部分もあるし、ふつうの概説書で数行で片づけらている部分を大きく膨らませる一方、学術的意義のあることがら――たとえば学説史や概念論議-を思い切って断念した章も多い。また文章としては邪道であるが、構図をつかみやすくするため箇条書きも多く採用した。改行もなるべく多くした。それでも「やっぱりむずかしい」という声が聞こえてきそうだが……。
第五に、統計的な資料の採用を極力やめて、事例中心に説明した。たとえば、こんな感想がある。「都市社会学的な視点の最大の欠陥は、現実を生活の実効的な側面に限定することにあったのでしょうね。ところが都市は、その中に生きる人間の意識のあり方によってさまざまの相貌を示すものです。だから、計量的方法によって捉えられるのは、そのごく一部に過ぎないという自覚が、そういった方法に携っていた人には欠けていたようです。」[山口昌男『祝祭都市-象徴人類学的アプローチ』(岩波書店一九八四年)]統計的・計量的方法の意義は承知しているつもりだが、山口のいう「意識のあり方」を本書では重視したいと考えた。そのために初学者にはおもしろみのない統計的資料の解読を避け、むしろ実感のともなう事例によって社会的世界の構造を語らせた方がいいのではないか。そのさい、ライト・ミルズが「知的職人論」でのべた「少なくとも心に確実な実例をもたぬまま、三頁以上を書きとばしてはならぬ」との警告を心にいだきながら執筆を進めたのだが、抽象と具体の往復は思いのほかむずかしいものだった。
第六に、読書案内あるいはブックガイドのような本をつくりたかった。みんな現代社会のしくみと問題についてはテレビと雑誌によってかなり知っている。テレビと雑誌の限界は、なによりもものごとを相対化する視点に欠けていることと、一定のステレオタイプにはまっていることだ。そこに〈反省〉はない。それを補うのが系統的な読書であるが、いまどきの大学生にたりないのは、このような読書体験による反省的知識である。
そもそも社会学のおもしろみを体験するには、まず多読が必要である。片っ端から読み飛ばすこと。ところが、意欲的な入門者の遭遇する困難は、なにを読んだらいいかわからないということだ。素養がなくても読めばだいたい理解できて興味がつながるもの-これがたいへんに重要!-がいいわけである。そこをなんとかしたかった。そのさい、海外の古典作品だけではなく、とりつきやすい現代日本の作品を多く示すことにしたことはすでにのべたとおりである。
したがって、社会学の世界では常識となっていることがらでも、それについて解説した一般書を脚注で提示するようにした。そのため本書の脚注はいささか〈過剰〉になっている。
ジャーナリズムの社会学化
以上のような方針に加えて、わたしのなかには、もうひとつの思いがあった。それはジャーナリズムヘの思いである。
ジャーナリズムは社会の反省的再構成にとって最重要な活動だが、現実にはさまざまな問題を抱えている。それを具体的に克服する主体は、いうまでもなくジャーナリストである。それゆえジャーナリストの社会認識-これは当然、自己認識をふくんでいなければならない-が重要なファクターとなるのだが、現状ではかならずしも十分とはいえない。権力・教育・宗教・家族・村落・子ども・犯罪・コミュニケーションなどについての認識は、しばしばステレオタイプに陥っている。べつに学術的であれとは思わないが、ステレオタイプな社会認識がジャーナリズムの理念とあいいれないのはたしかである。こうしたステレオタイプから脱するためには〈ジャーナリズムの社会学化〉が有効だというのがわたしの持論である。じっさいに本書がそのような人と出会う可能性は少ないかもしれないが、少なくとも、ジャーナリズムのオーディエンスたる若い読者に、日々メディアから送られてくるメッセージにひそむステレオタイプを批判的に受けとめる視点をもってもらうことはできるだろう。
社会学のジャーナリズム化
〈ジャーナリズムの社会学化〉にともなって〈社会学のジャーナリズム化〉もぜひ推し進めなければならないことである。とりわけ社会学教育は広い意味での――たとえば戸坂潤のいう意味での――〈ジャーナリズム〉の一環であるとわたしは位置づけている。
そもそも社会学は「問題提起の学」であって「問題解決の学」ではないように思う。社会学の実践的性格がかならずしも問題解決の糸口にならず、しばしば疑似宗教的実践倫理にとどまるのもそのせいであるし・ファシズムや官僚的社会主義から敵視されるのも、また逆に、社会運動に関わっている人びとから白眼視されるのも、そして政策担当者からあまり相手にされないのも、社会学の実践性が良くも悪しくも問題解決・政策提言になく、もっぱら問題提起性=議題設定機能にあることによるのではないか。本書の随所で「他者理解と自己反省」についてふれてきたが、社会学のレーゾンデートル[存在理由]は、権力作用によって把握しにくくなっている社会的現実を、自己反省的かつ他者理解的に解明するところにあると思う。とすれば、社会学研究と社会学教育の実践的課題は、問題解決や政策提言ではなく、むしろ潜在的な問題を〈問題〉として科学的に定義すること――それによって他者理解と自己反省の能力を高めること――にあり、この点をもっと明確に自覚的に追求すべきなのではないか。その意味では、〈ジャーナリズムの社会学化〉とともに〈社会学のジャーナリズム化〉が必要なのだと思う。
このような観点から、さしあたりテーマ設定についてなるべく具体的なもの・多様なものをあつかうようこころがけた。くわえて、少なくとも「議題設定機能」[何が問題か]をもつテキストたりえるよう、素材となる事例をなるべく具体的に提示するようにした。
理論的方針
理論的方針について、もう少しダメ押ししておこう。本文のなかで相当しぶとく強調しておいたことだから、ここまでくれば、もう若い読者にも納得していただけるだろう。本書を貫く理論的方針は、つぎのようなものである。
(1)「もうひとつの」(alternative)視点-たとえば被害者・受け手・被支配者・社会的弱者・市民・患者・消費者-に立つこと。
(2)自明視された「常識」と「ステレオタイプ」を〈歴史化〉し、批判すること。
(3)「技術的知識=情報」ではなく「反省的知識=明識」を深めること。統計的数字や「白書」的展望をいっさいやめて、原理的な思考能力を高める基礎的な考え方を提供する。
(4)属性ではなく関係に内在するものととらえるプラグマティックな思考方法を前面に押しだすこと。マルクスの物象化論、ミードのコミュニケーション論、ジンメルの相互作用論、ウェーバーの支配社会学および歴史社会学、グールドナーの反省社会学などに通底する思想を強調すること。
本書の理論的立場はおもに相互作用論といってよいものだが、読者自身の自明性をおびた常識的知識に批判的反省を迫るために、じっさいにはとくに「反作用」(リアクション)を強調する論述方法をとった。識者には、いささかバランスを欠くようにみえるかもしれないが、若い読者のステレオタイプをくずすには、これでちょうどよいというのがわたしの実感だ。
本書への自己反省
最後に、この本を読んだ読者に危険負担の可能性について申し添えておかなければならない。
それを一言で表すと、本書はわたしが自覚的に選択した社会学的知識に限定されているということである。ある問題についての学説がいくつかにわかれている場合、わたしはそれらを公平に両論併記する方法をとらないで、どれかひとつを選択した。さらに具体的にはつぎのようなことである。
第一に、なるべく多面的に社会学像を紹介しようといいながら、本書では「地域」という重要な観点が欠落している。これはもっぱら紙数の関係によるのであるが、もうひとつ、地域社会論の系列が全体社会論の系列としっくりかみあわないことによるものでもある。これはおそらく抽象度の水準の問題であろう。また、社会問題論では医療に関するふたつのテーマだけが論じられているにすぎない。ほかに論じたいテーマがいくつかあったのだが、これらも紙数の関係で限定せざるをえなかった。しかし、このふたつのテーマには、現代の社会問題を考える上で重要な要素が多くふくまれており、その点で例題的意義はあると考えている。ちなみに本書は網羅主義ではなく、あくまでも例題主義である。
第二に、本書では論点をはっきりうちだすために、理論のフリンジを多少強調してある。「あれもある、これもある」では読者がとまどうだろうというよけいな配慮によるのであるが、これが個々の作品世界を侵害することになった可能性は否定できない。ちょうど映画の予告編のようなものだと考えておいてほしい。そしてできれば予告編ですませるのでなく、図書館なり書店で本編に接してほしい。
第三に、学術的な態度によると概念や現象の〈差異〉をこまかく区別するが、本書では逆に〈類似性〉を強調する論法をとっている。さまざまな学説のちがいよりも、むしろそれらに共通する論点を前面にだしてある。入門段階はそうあるべきだと考えたからだが、識者には〈社会学的シンクレティズム〉または〈社会学的ブリコラージュ〉にみえるかもしれない。
それにしても、以上のような社会学教育への反省と理想にわたし自身は十分応えられただろうか。じっさいの講義では省略することの多い社会学説の解説も、また、講義なら二・三回ですませる社会学論も、いざ本にするとなると、理論社会学専攻の血が騒いでしまって、結局あれこれ書き込んでしまった。
社会学研究者としての仕事にはたえず準拠集団としての社会学者集団がつきまとう。そのため、想定される読者には必要のないことでも、ある程度までは-つまり準拠集団の許容範囲に達するまで-書き込まなければならない。これは教育者としてはつらいところであるが、研究者としての職業倫理でもある。結果としてこの本も多くの社会学概説書と同様、アンビヴァレンツな動機にひきさがれている。
きっと先学の方々もそうであったにちがいない。そう思うと、これまでのべてきたことをいっそのこと撤回したい心境になるが、逆に社会学者とはこうした両義性を平然と生きる確信犯のような存在なのかもしれないと思えば、この矛盾をかかえるのも修行のうちである。
謝辞
本書の知識はふたつの源泉をもっている。ひとつは多くの文献、もうひとつはわたしの受けた社会学教育である。最後に、このふたつの知的源泉に感謝したい。
とくに、本書では、敬愛する多くの日本の社会学者による研究や一般書を参照・紹介させていただいた。参照・引用した資料は脚注で逐一明記するよう努めたが、ここであらためて謝意を表したいと思う。本書は、もとよりオリジナリティを競うものではなく、社会学的に現代社会を理解するさまざまな知見を紹介することに所期の目的がある。したがって、本書は、これら諸研究への〈インデックス〉以上のものではないし、読者がこの〈インデックス〉から、自分の身の周りの社会的世界を見直すための小道具をみつけることができれば本望というものである。
最後に、予想以上に分厚いものになってしまった本書を快く引き受けてこのような本として仕立てていただいた文化書房博文社の天野義夫さんに心から感謝したい。
一九九一年九月二七日
社会学的リテラシー構築のために(増補版)
本書執筆後、私は三冊の本を書き下ろした。いずれも広い意味での社会学教育に関する本であり、本書執筆が引き金になった仕事である。すでに本書も七百ページ近くあり、これ以上何を読ませようというのかと思われるかもしれないが、社会学の勉強については、まだまだ言いたいことが山ほどあるのだ。
まず第一に「なぜ社会学を学ぶのか、なぜ社会学を教えるのか」について。
『社会学感覚』の本編では「1―4 社会学を学ぶ意味」(二六―三二ページ)でかんたんに説明しておいた。従来的な社会学入門では案外この点が説明されていないのである。じつは『社会学感覚』ではこの項目の他に「知識論」というテーマ群を設定して詳しく説明する予定だったのだが、紙幅の関係で果たせなかった。そこで、そのとき構想していたものを詳しく一冊の本に展開し直すことにした。それが本書の次に公刊した『リフレクション――社会学的な感受性へ』(文化書房博文社一九九四年)である。結果的に、『社会学感覚』が各論として社会学の遠心力を説明したのに対して、『リフレクション』は総論として社会学の求心力を説明することになった。このさい私が考えた社会学の理念的求心力は「リフレクション」すなわち「反省」の力である。理論的にはミードやグルドナーやブルデューらをゆるやかにつなぐ反省社会学の系譜に依拠して議論を整理した。
つぎに「どのように社会学を学ぶのか」について。
従来はハウツウものとして専門家からは軽く見られてきた分野だが、じっさい社会学教育を考える上ではとても重要なところだと私は考えている。社会学では長らく適切なテキストがないために初学者にムダな試行錯誤を強いてきたきらいがあるので、本書『社会学感覚』のいくつかのハウツウ的な付論を発展させて詳しく説明することにした。『リフレクション』の翌年に上梓した『社会学の作法・初級編――社会学的リテラシー構築のためのレッスン』(文化書房博文社一九九五年)がそれである。本書『社会学感覚』の付論にものたりない読者は、こちらを参照していただければ幸いである。ただし、初級者にしぼって説明してあるので、卒論程度になるとものたりないかもしれない。現代学生に顕著な、単位取得に役立たないことはいっさいしないという受験生的「心の習慣」を脱構築するためのリハビリ用である。
さて、『社会学の作法・初級編』には「パソコンの利用」という章がある。パソコンが現代の社会学的生活には欠かせないという立場で具体的に説明したのだが、折しも一九九五年春の公刊である。その年末のWindows95の登場やインターネットの急展開によって、あっという間に記述が古びてしまった。とくにネットワークの利用が学習や研究にとって重要なものになってきたことをきちんと説明する必要を感じ、『インターネット市民スタイル【知的作法編】』(論創社一九九七年)を書いた。これはいわば「社会学の作法・ネットワーク編」にあたる。  最後にインターネット上の私のホームページについて言及しておこう。一九九五年八月から「SOCIUS」(http://www.asahi-net.or.jp/~bv6k―nmr/welcome.html)というホームページを始めた。「SOCIUS」は「ソキウス」と読む。生涯学習のための社会学専門ホームページである。さらに一九九七年一月にはシェアテキストのプロジェクト「honya.co.jp」(http://www.honya.co.jp/)に参加して「SOCIUS pro」(http://members.honya.co.jp/creative/knomura/welcome.html)の公開も始めた。いずれも印刷媒体の制約を乗り越えるために構築したものである。
いずれのホームページでも上記の私の著作を公開しているので、ネットワーク環境の整っている方は、さしあたってこのふたつのソキウスをご利用いただくのが早道だろう。また、ある程度の時間が経過したのちに本書をご覧の方のためにもソキウスで最新情報をチェックできるようにしたいと思っている。
そもそも、このブックガイド自体が、「ソキウス」上で展開している「ハイパーブックガイド」などでこの二年半に少しずつ書きためたものが元になっている。ウェッブは修正や増補が容易なので印刷媒体を補うのにちょうどよいメディアであるし、しかもウェッブ上で公開しているとなると日常的に増補する習慣がつくので、締切を過ぎたあとも目配りすることになる(なぜなら更新が止まってしまったウェッブはみっともないからである)。今回の増補原稿はその賜物である。
というようなしだいで『社会学感覚』はだれよりも著者自身を導いてきた本といえそうである。増補によって今しばらくの延命を願うのも人情というものであろう。いつか機会があれば、今回のラフな増補をもとに本編を全面的に書き直し、『新・社会学感覚』の上梓を期したいと思う。
近年発刊される社会学系のテキストでは十人以上の研究者によって執筆されるものも多い。それだけ専門分化が進んでいるのである。このような時代にひとりの著者が社会学全般について書くというのは、専門家として風上にもおけない逸脱行為であろう。私はそれを十分承知している。しかし、同時に私は、社会学が、専門家支配に抵抗する「見識ある市民」の反省的知識でなければならないとの信念をもっており、それに沿ってテキストを構成するには単独で作業する方が効率的なのである。それが成功しているかどうかに関して必ずしも自信があるわけではないが、しかし少なくともいえることは、この程度のことでも複数の執筆者間でコンセンサスを確保しながらおこなおうとすれば、たいへんな手間と議論とストレスが必要になるにちがいないということだ。それだけ「専門科学としての社会学」のディシプリンは強固であり、しかも社会学が本質的に論争的な学問であることがそれに輪をかけている。
本書の立場は「見識ある市民のための反省的知識としての社会学」というものである。「社会学感覚」ということばは、このような社会学の知的駆動力あるいはエートスをさすことばとして、私が考案した造語である。いささかバブル期の雰囲気をひきづったネーミングであったと反省しているが、ふつうの言い方をすると「社会学的感受性」ということになろう。それは、日常生活を反省的に異化する知的能力であり、社会を反省的にする実践を誘発する高度なコミュニケーション能力である。
このような社会学概念は、専門科学のタコ壷的講座制の枠内では、とんでもなくあいまいで明晰でないように見えるかもしれない。しかし、在野の視点から社会学を眺めるかぎり、これは社会学に対する現代社会の要請なのである。
社会学への入口はどこにでもある。気になったところから入ってみるのが一番である。『社会学感覚』が、それを手にとった読者のみなさんにとって、そんな入口のひとつにでもなれば幸いである。ひきつづき社会学的世界へのインデックスとならんことを!
一九九八年一月二五日
野村一夫
【追記】この原稿を書き上げたあと、社会学ブックガイドの決定版ともいうべき事典がでた。あわせて参照してほしい。見田宗介・上野千鶴子・内田隆三・佐藤健二・吉見俊哉・大澤真幸編『社会学文献事典』(弘文堂一九九八年)。また、本の入手について一言。社会学系の本は巨大書店に行かないかぎり書棚にないのがふつうである。新刊書をのぞくと、最寄りの書店や生協に注文しなければならない。それが困難な人やおっくうな人も多いと思う。その程度のことで社会学書との出会いが遠のくのは何とも残念なことだ。インターネットの使える人には、たとえば「紀伊國屋書店 KINOKUNIYA BookWeb インターネット店」(http://bookweb.kinokuniya.co.jp/)のような宅配サービスをおすすめしておきたい。これだと地方はもちろん海外からでも注文できる。また、本の購入費のない人は、ぜひ身近な図書館の館員に相談してほしい。たとえば公立図書館でリクエストすれば新たに購入してくれたり他の図書館から取り寄せてもらえることがある。
Prev←■→Next
現在地 ソキウス(トップ)>社会学感覚
SOCIUS.JPドメインへの初出 1/28(Tue), 2003  最終更新日:4/1(Sat), 2017
このページのURLは http:///Users/nomurakazuo/Dropbox/socius.jp/lec/30.html
Copyright (C)1995-2015 by Kazuo Nomura(野村一夫) 無断転載はご遠慮ください。リンクはご自由に。
Valid XHTML 1.0!Document type: XHTML 1.0 Transitional
閲覧日 4/1(Sat), 2017

Read More

4月 12017

社会学感覚23薬害問題の構造

Socius  ソキウス   著作+制作 野村一夫

フロントページ


現在地 ソキウス(トップ)>社会学感覚
社会学感覚
23 薬害問題の構造
23-1 日本の薬害問題
社会問題としての薬害
社会問題の社会学的例題として薬害問題をとりあげてみたい。その理由は三つある。ひとつは、薬害は、わたしたちにとって身近な問題となる可能性が高いこと。すくなくともその問題性をおさえている必要がある。ふたつめは薬害が社会問題としてのさまざまな特性と構造をすべてもっていること。その意味で薬害は社会問題の例題として学ぶべきことが非常に多い。そして第三に、薬害の社会学的問題構造をあきらかにしたすぐれた先駆的研究が存在すること。宝月誠編『薬害の社会学――薬と人間のアイロニー』がそれである▼1。本章では、この研究の開示する社会学的な問題性を、わたしなりに解きほぐして、現代日本になぜこのような社会問題が生じてきたのかを考えていきたい。まず、日本の代表的な薬害問題を概観しておこう。
サリドマイド事件
一九五七年西ドイツのグリュネンタール社が睡眠薬「コンテルガン」として販売を開始し、翌年日本でも大日本製薬が睡眠薬・つわりの防止薬「イソミン」として、さらに一九六〇年には胃腸薬「プロバンM」として販売した一連のサリドマイド剤によって、多くの四肢奇形児が生まれた事件。薬害の原点ともいわれ、日本人にとってほとんど最初の大型薬害経験といえる。一九八一年の段階で日本の生存被害者は三〇九人、世界で生存被害者総数は約三七〇〇人といわれる▼2。
当時各地で誕生していた四肢奇形児とサリドマイド剤の関係が明確に指摘されたのは一九六一年である。一一月一八日ハンブルク大学のW・レンツがデュッセルドルフの小児科学会で〈あざらし状奇形児〉の原因がサリドマイド剤にあると発表した。かれはその前に、西ドイツの販売メーカーであるグリュネンタール社に警告したが拒否されていた。
一一月二六日になって「ヴェルト・アム・ゾンターク」紙が、グリュネンタール社のサリドマイド剤「コンテルガン」を名指しして報道すると同時に、グリュネンタール社は「コンテルガン」を市場から回収し、ヨーロッパ各地のサリドマイド剤もつぎつぎに回収された▼3。
一二月五日になってグリュネンタール社の勧告が大日本製薬にとどき、翌日厚生省と大日本製薬がレンツ警告について協議した。ところが「有用な薬品を回収すれば社会不安をおこす」として販売続行を決めてしまう。
翌一九六二年二月二二日「タイム」誌がサリドマイド被害の記事を掲載するが、このようななかでその前日の二月二一日厚生省は亜細亜製薬のサリドマイド剤「パングル」に製造許可をあたえている。三月と四月になって製造販売をやめない大日本製薬に対してグリュネンタール社が警告を発している。五月一八日「朝日新聞」が、西ドイツのサリドマイド被害についてのボン支局の報告を報道したことによって、日本のジャーナリズムがいっせいに動きだしたため、「報道による混乱を防ぐため」として、サリドマイド剤を販売していた製薬各社がこの五月に出荷停止を厚生省に申し入れた。ところが、これはあくまで「出荷停止」にすぎず、すでに出荷された在庫品はそのまま薬局で売られていた。
やがてイギリスの医学誌「ランセット」七月二一日号に北海道大学の梶井正が、〈あざらし状奇形児〉七例の母親のうち五人がサリドマイド剤を飲んでいたとの論文を発表し、地元の研究会でも報告したことが報道され、九月一三日になってようやく回収にふみきることになる。しかし、この回収措置は不完全なもので、地方の薬局には「イソミン」の在庫があったという。
そして告訴から一九七四年の和解まで「十年裁判」と呼ばれる長い闘いが被害者と家族に待ち受けていた。
スモン事件
「スモン」とは「亜急性」「脊髄視神経」「神経症」の三つのラテン語の頭文字SMON(Subacute myelo-optico-neuropathy)に由来する▼4。下半身から始まる神経のマヒによって歩行困難となり、やがて視力障害にいたる。全盲になる場合も多かった。一九五五年以来出現したこのような原因不明の複合的症状にスモンという名がつけられたのは、患者数が爆発的増加に転じる直前の一九六四年だった。その後一九六〇年代のスモン患者は厚生省調べで約一万一千人にのぼった。
ところが当時、スモンの原因はウィルスと考えられていた。最初に「スモン感染説」がでてきたのは「スモン」と命名された一九六四年の日本内科学会シンポジウムだった。ここでウィルスによる伝染性疾患のため患者を隔離する必要があるとの指摘がなされた。スモンの原因については当時、代謝障害説やアレルギー説などもあったが、なかでも「スモン感染説」は医学界の有力な見解として地方自治体や一般市民に受け取られ、各地で患者への差別を生みだした。患者に接触すると感染するというので、スモン患者が医療者から敬遠されたり、患者の家族が学校・親戚・地域社会などから排除される――つきあってもらえないとか縁談とりやめなど――ことが多くなった。患者と家族の苦悩は二重三重となり、多くの自殺者が続出し、その報道が苦悩を増加させた。
一九六九年、厚生省は「スモン調査研究協議会」を設置し、ようやく国として原因究明にのりだす。一九七〇年二月「朝日新聞」などが京都大学の井上幸重の「ウィルス感染説」をとりあげ大々的に報道し、スモン患者に衝撃をあたえることになる。しかし、なぜ看病する患者の家族に感染しないのかという素朴な疑問はそのまま放置されつづけた。
同じ年の五月、スモン調査研究協議会のメンバーである東京大学の田村善蔵が患者の緑尿から、整腸剤として治療に使われてきたキノホルムを検出し、それを受けて新潟大学の椿忠雄が疫学調査を実施、その結果を八月「朝日新聞」に伝えた。こうして「スモン=キノホルム説」が登場した。この「キノホルム説」が完全に確立するのは一九七二年であるが、厚生省はサリドマイド事件の経験から、一九七〇年九月の疑惑段階でキノホルムの使用販売中止の措置をとった。その結果、スモン患者の発生は激減した。
ここから一九七九年に確認書和解によって一応の到達点をえるまでの長い道のりがはじまる▼5。ともあれ終わってみると、スモン事件は、キノホルムによるスモン中毒患者すなわち被害者が一万人をはるかに超える世界最大の薬害事件だった。
クロロキン事件
クロロキンはもともとマラリアの特効薬として太平洋戦争末期にアメリカ軍が使用していた薬だが、これを「レゾヒン」として輸入販売していた武田薬品工業の子会社吉富製薬が一九五八年に適応症を腎炎に拡大、さらに一九六一年小野薬品が慢性腎炎の特効薬「キドラ」として大量に宣伝販売することによって、同年からおもに腎臓病患者にクロロキン網膜症という眼障害をひきおこした大型薬害事件▼6。クロロキンを慢性腎炎に適用したのは日本だけであり、したがってクロロキン製剤による薬害事件が生じたのは日本だけである。
クロロキンが視覚障害の副作用をもつことは、日本で大量販売される以前にすでにアメリカでは知られていた。日本でも「キドラ」発売の翌年にクロロキン網膜症の報告がだされている。アメリカではこの年FDAがクロロキンの有害作用警告書を医療機関に配布するよう要求し、製薬会社は二四万通の警告書を発送している。しかし、同じ年の日本では新しいクロロキン製剤「CQC錠」が販売開始される。しかも副作用を逆手にとって広告していた。医学雑誌に掲載された広告には「非常に毒性が弱いので大量・長期投与に適す。従来のクロロキン製剤では相当高率に副作用(主として胃腸障害稀に神経障害、網膜障害)が現われるが、CQC錠では稀に軽度の一過性の胃腸障害を認めるに過ぎない」とある。
一九六五年、当時の厚生省薬務局製薬課課長の豊田勤治は、リューマチのためたまたま「レゾヒン」を飲んでいたが、クロロキン網膜症の情報をえて、自分だけ飲むのをやめた。これはたまたま裁判の過程で明らかになったことだが、もしこの段階で適切な措置をしていれば被害の八割は防げたという。
一九七一年になって、被害者のひとりが厚生大臣に直訴し、それを朝日新聞が報道したことによって、はじめてクロロキン薬害が社会問題として知られるようになり「クロロキン被害者の会」が結成される。そして、その後の世論の盛り上がりによって一九七四年クロロキンは製造中止になる。
その他の薬害問題
サリドマイド、スモン、クロロキンの三つの事件以外にも日本には多くの薬害が社会問題になってきた。有名な事件を四件だけ補足しておきたい▼7。
日本で薬害という概念が定着するのは、スモンのキノホルム説が確立して以降のことだが、じつはサリドマイド事件以前にも大きな薬害事件が起きている。一九五六年に問題化した「ペニシリン・ショック」がそれである。東京大学法学部長の尾高朝雄がペニシリンを注射された直後にショック死したことが問題化のきっかけとなった。しかし、その年までの四年間に、すでに一〇八人がショック死していたのである。
一九六五年二月には「アンプル入りかぜ薬」によるショック死が続出し、大きな社会問題になった。数年前からこのときまでの死亡者は計三八人。これはマスコミが連日大きく取り上げたため、厚生省はすぐに販売自粛通知をだし、その後回収を要請した。このすばやい厚生省の対応によって、製薬企業は何十億円の損害をだしたといわれる。この直後、厚生省側は製薬企業側に陳謝している。この事情が、当時まだ一般には知られていなかったクロロキン網膜症についての厚生省の対策を遅らせることになった。
一九六九年末には「コラルジル中毒」薬害が新潟大学の若手医師たちによって公表された。裁判上の被害者は少数だが、肝臓障害として現れるため実数ははっきりしない。一説によると総被害者は数万人以上ともいわれる。もし明確な対策と調査がおこなわれていたら超大型の薬害事件になったかもしれない。コラルジルは心臓病の薬として販売されていたが、その副作用は以前から知られており、製薬企業はこれを隠していた疑いがある。
最後に現在進行形の問題を。それはインフルエンザ予防接種による薬害である。インフルエンザ・ワクチンの学童予防接種が始まったのは一九六二年、そしてこれが義務接種に改正されたのが一九七六年である。これは日本独自の方法であり、効果が疑われる上に、死亡や障害などさまざまな副作用被害が続出している▼8。
▼1 宝月誠編『薬害の社会学――薬と人間のアイロニー』(世界思想社一九八六年)。本章の多くの論点はこの研究にもとづいている。きわめて高度な内容をもち、豊富なデータと手記に対する分析には共感するところが多い。工業化学・薬学・医療に携わる人には熟読をすすめたい。また、これとともに、薬学サイドからの研究として、高野哲夫『戦後薬害問題の研究』(文理閣一九八一年)を基本資料として参照した。高野は「社会薬学」を提唱しており、薬の社会的側面の研究を薬学にもちこむべきだと主張している。
▼2 事件の詳細についてはつぎのものを参照した。宮本真左彦『サリドマイド禍の人びと――重い歳月のなかから』(ちくまぶっくす一九八一年)。川名英之『ドキュメント日本の公害第三巻薬害・食品公害』(緑風出版一九八九年)第三章。高野哲夫、前掲書。砂原茂一『薬 その安全性』(岩波新書一九七六年)。
▼3 アメリカではサリドマイド剤は製造許可されなかった。これは食品薬品局FDAのフランシス・C・ケルシー担当官がサリドマイド剤の安全性に疑問をもちその販売に抵抗したためだった。その事情は一九六二年七月一五日に「ワシントン・ポスト」紙が内幕を発表してはじめて明らかになった。このことがきっかけになって、同年、薬の有効性を問い直すキーフォーバー・ハリス修正薬事法が成立した。まさに日本と正反対の経過をたどった、このあたりの事情については、M・シルバーマン、P・R・リー、平澤正夫訳『薬害と政治――薬の氾濫への処方箋』(紀伊國屋書店一九七八年)八一-八三ページ。
▼4 事件の詳細については、おもにつぎのものを参照した。高野哲夫、前掲書。川名英之、前掲書第一・二章。
▼5 スモン訴訟の社会学的分析として、栗岡幹英「薬害における逸脱と裁判」宝月誠編、前掲書所収。
▼6 事件の詳細については、つぎのものを参照した。高野哲夫、前掲書。川名英之、前掲書第四章。後藤孝典編『クスリの犯罪――隠されたクロロキン情報』(有斐閣選書一九八八年)。谷合規子『危ないインフルエンザ予防接種――薬害列島ニッポン』(潮出版社一九八六年)第二部「薬に目を奪われた人々――クロロキン薬害被害と裁判の記録」。
▼7 高野哲夫、前掲書。後藤孝典編、前掲書。谷合規子、前掲書。
▼8 その他の薬害事件については、高野哲夫、前掲書「1戦後薬害事件の歴史的研究」を参照してほしい。一九八○年までの事件が網羅されている。なおインフルエンザ予防接種については、高橋晄正『危険なインフルエンザ予防接種』(農文協一九八七年)がくわしい。ダイジェストなものとしては、高橋晄正『からだが危ない――身辺毒性学(新版〉』(三省堂一九九一年)IV章を見よ。
23-2 企業逸脱と専門家支配
製薬企業
薬害事件には二種類の大きな組織がからんでいる。製薬企業と国[厚生省]である。薬害訴訟の多くがこの二種類の組織をおもな被告としており、和解の場合をふくめて、両者に非のあるのはあきらかである。そこでまず、製薬企業と厚生省の組織としての問題を明確にしておこう。
まず製薬企業について。すでにみてきたように、大きな薬害事件においてつねに主役を演じているのは製薬企業である。それは事件発生のプロセスにおいてもそうであるだけでなく、長い裁判のプロセスにおいても、またその「過失」があきらかになったのちにおいても、そうである。たとえば、スモン訴訟において田辺製薬がとった悪質な対応ぶりは有名であるし、キノホルムの製造元であるスイスのチバガイギー社は、一万人以上の被害者をだしたのちの一九七〇年に日本が製造販売禁止に踏み切って以降も十数年にわたって第三世界の国々で販売しつづけた▼2。これらの事実は、製薬企業の組織上の性格がもつ問題の根の深さを示している。なぜこのようなことが生じるのだろうか。
企業逸脱
もちろん薬害事件の直接的な要因は製薬企業の利益追求至上主義にあることはいうまでもない。しかし、「より多くの利益を」という構造原理そのものは資本主義の枠組からいうと特殊なことではない。問題なのはその利益のあげ方である。多くの場合、薬害事件は、企業が安全性の軽視という〈逸脱〉した活動によって利益をあげようとしたことに端を発している。このように〈逸脱〉は街頭犯罪のように個人にのみ生じるのではなく、しばしば企業のような組織や集団にも生じる。そして現代日本社会を考えるとき、企業組織の逸脱行為はもっとも重要なファクターのひとつなのである。
宝月誠は薬害を「企業逸脱」の観点から考察している▼3。かれによると「企業逸脱」(corporate deviance)は、つぎのように定義される。要素ごとに分けて示そう。
(1)合法的な企業の成員が
(2)かれらの職務を通じて
(3)企業のためにおこなう活動のなかで
(4)他者から社会的非難をまねく行為▼4
従来の社会学では、サザーランドの一九四九年の著作以来、「企業逸脱」のことを「ホワイト・カラーの犯罪」(white collar crime)と呼んできた▼5。厳密には概念上の相違があるが、ほぼこの流れにある概念である。
企業逸脱の仮説
宝月誠によると、つぎのような場合に企業は逸脱に関与しやすいという。製薬企業の場合に即して整理してみよう▼6。
(1)企業経営者や担当者が環境への対処の必要から、組織能力や現実を無視した企業戦略をあせって実行しようとするときに、企業逸脱の可能性は高まる。――薬害企業の場合、もともと新薬開発に数十億円と十数年を要するリスクの高い技術環境にあり、薬価基準改定など企業環境はきびしい。その環境に対して経営者や担当者に「あせり」が生じ、強引に課題を実行するとき、逸脱行為が生まれやすくなる。
(2)企業組織内の自己規制力が低下してくると、無理な企業戦略が抑制されず、集合的無責任が強化されて、企業逸脱の可能性も増す。――たとえば新薬開発のさい現場担当者の意見が社内の意思決定に反映されるかどうかがポイントとなる。圧殺・形式化・慣行による処理などによって強引な課題実行に対する組織内のチェック[規制力]が働かないときに逸脱が生じやすい。
(3)企業が行政機関の監視や指導や審査能力、あるいは消費者や世論の反作用といった統制環境の能力を低く評価したり、不当とみなす度合が高いほど、企業逸脱に関与する可能性も高まる。――大規模な薬害事件の生じたころの製薬企業は薬事行政や報道などの外部の環境を甘くみていたが、現在はむしろ過敏になっている。しかも、それらを不当とみなす傾向が強いため、戦略的に対処することが多く、みずからをきびしく律する用意は乏しい。
(4)現在の企業環境に満足できない経営者は業務上必要な相手と共謀関係を形成して自分に好都合な環境をつくろうとするが、そのさい、しばしば逸脱的な手段が用いられる。――共謀関係の相手は、たとえば医師であり病院である。逸脱的なサービスによるプロパーと医療関係者の共謀関係は患者の利益を二次的なものにしやすい。また大学の研究者・薬事審議会の委員・厚生省の職員とのパイプを太くしておくことは確実に利益を生む。製薬業界は建設業と並んで使途不明金が多いという事実はこの点と関係がある。
宝月誠によると、薬害に直接結びつく安全性の軽視・無視は、単独で生じるのではなく、他のさまざまな企業逸脱と密接に関わっているという。たとえば「昇進や賃金差別、配置転換の威嚇といった社員への暗黙の圧力は、彼らに実験データを捏造してまでも企業の要請にこたえようとする傾向を生む可能性がある。また、製薬企業のプロパーと医師との不明瞭な金銭やサービスを媒介にした結びつきは、クスリについての正確な情報を伝達したり、副作用情報についての迅速、的確なフィードバックを行なうといった本来のプロパーの役割から逸脱して、もっぱら自社のクスリを大量に『消費』してもらうことだけに集中し、クスリの安全性の問題は二次的なものになる危険性がある。」さらに衛生試験所技官や薬事審議会の有力委員への贈賄やサービスは直接クスリの安全性をおびやかす▼7。
このように分析していくと、日本の製薬企業がふたたび大きな薬害事件を引き起こす可能性は否定できない。その意味では、統制環境が大きなポイントになってくる。
厚生省の問題
企業に対するチェック機能を果たす統制環境としてもっとも有力な存在はいうまでもなく監督省庁である。薬の場合は厚生省薬務局である。この厚生省を中心とする薬事行政のありかたについては、いろいろと問題が多い。すでに紹介した大型薬害事件において厚生省はその本来の役割を果たしていない。また、数々の教訓をえたのちにおいても、厚生省付属の国立衛生試験所・国立予防衛生研究所の所員の収賄事件など管理者側の不正事件が多発していることから、構造はあまり変わっていないとみていいだろう▼8。
まず第一に、製薬企業との癒着構造。これは偶発的なものではなく恒常的かつ日常的なもので「構造」というべきだろう。その典型的なものが「天下り」のシステムである。各省庁ではキャリア組の同期から事務次官がひとりでると他の同期生は勇退する慣習になっていて、かれら高級官僚は再就職の必要に迫られる。「天下り」とは、そのさい関連企業や政府関係の特殊法人[公社・公団・事業団]に各省庁とのパイプ役として就職することである。国家公務員法では離職後二年間は禁止されているが、じっさいには柔軟に運用されており、毎年二百人以上の高級官僚が、在職官庁と関係の深い民間企業に就職し、多くの人が役員として厚遇されている。新薬の審査や安全性の確保を職務とする厚生省薬務局製薬課の課長・課長補佐も代々天下りしている。たとえば、大日本製薬がサリドマイド剤「イソミン」を申請した当時の水野課長は山之内製薬に、次の喜谷課長は中外製薬に、サリドマイド事件でレンツ報告を無視して国内での販売を続行させた平瀬課長は藤沢薬品に、クロロキンが問題になるまえに自分だけ薬をやめた豊田課長は東京医薬品工業協会の常務理事に、それぞれ天下りしている。現在も大手製薬メーカーでは課長補佐クラスを天下りさせて取締役の厚生省担当部長のポストにつけているという▼9。
天下りのシステムがあるかぎり業界との癒着はなくならない。なぜなら、まず第一に、厚生省の現役官僚が、製薬企業や製薬企業団体の役員の肩書きをもつかつての先輩たちと交渉するさいに、厳格な態度で臨むのはむずかしいからであり、第二に、厚生省の官僚が再就職の可能性を考えるかぎり、そうしたOBのいる製薬業界を考慮せざるをえないからである。だれしも自分の近い将来の可能性を狭めたくはないものである。ここでもフォーマルな組織ではなくインフォーマル・グループが現実を動かしているのである。
第二にあげておきたいのは、厚生大臣の諮問機関である中央薬事審議会のあり方である。薬は国が管理するといっても、じっさいには専門家の権威によって統制するわけであり、中央薬事審議会はその中枢にあたる。新薬はここで審査され認可される。ところが、そのもっとも厳正中立でなければならないところで、常識では考えられないことが慣習化されてきた。いわゆる「一人二役問題」である。これは、新薬の研究開発の中心者が中央薬事審査会の委員としてその薬を認可するという事態をさしている。つまり、審査される側と審査する側に同一人物がいるわけである。この問題は一九八一年国会で「丸山ワクチン」問題に関連してはじめて表面化した。そのさい「丸山ワクチン」つぶしで動いたといわれる人物が、先行する免疫療法剤「クレスチン」の研究開発者であり、かつそれを審査する中央薬事審議会委員だったことが判明している▼11。さすがにこれは、国会で問題となった一九八一年に禁止された。このように中央薬事審議会は、たてまえ上公正な第三者機関ということになっているが、第三者性に問題があるといわざるをえない。
専門家支配
これまで製薬企業と厚生省のふたつの組織をみてきたが、このほかにも大学研究者や病院の医師などが薬害の発生に直接関与している。とくに医師は、たとえばスモン訴訟の場合のように、当初は被告とされていたが、のちに投薬証明の必要から法的責任を免責されることが多かった。しかし、直接患者を診る立場にあった医師たちに社会的責任がないとはいえないだろう。
さて、薬害に関与した・関与しうるこれらの人びとはすべて薬の専門家であり、多くの権限が制度的にあたえられているわけである。薬に関するいっさいのこと――そして医療全体――がこれら専門家によってのみ決定されてきた。このような事態を「専門家支配」(professional dominance)と呼ぶ▼12。
医療社会学者でこの概念の提唱者であるエリオット・フリードソンによると、医師のような専門家(専門職)を他の一般の職業と区別する特徴は「自律性」(autonomy)にある▼13。これは、外部に対しては、専門教育とライセンスによって特定領域の独占的な権利をもち、他からとやかくいわれないで自由に活動できることであり、同時に内部に対しては、公共の利益のために倫理的な自己規制をおこなう責任と能力をあわせもっていることである。医師の場合でいうと、患者はもちろん看護婦など他の医療従事者の判断を考慮することなく、独自の裁量で医療行為をおこなうことができる強力な権限をもっており、独自の職業倫理にもとづいて自分たちのことを自分たちでチェックできるということである。ある職業がこのような「自律性」を獲得した状態が「専門家支配」である。
薬害に関係する人びとのうち、製薬企業・大学・国立研究所の研究者たちの世界と、直接患者に薬を処方した医師たちの世界は、ともに「自律性」を保証されてきた「専門家支配」の確立した世界である。平たくいうと、シロウトが口をだせない不可侵領域だった。一般の人びとはだまってかれらのさしだす薬を飲むしかなかった。しかし、多くの薬害事件や新薬開発をめぐるさまざまな不祥事・不法行為は、これらの専門家たちに自己規制能力が欠落している――そこまでいわないまでも不十分だったとはいえよう――ことを物語っている。自己監視ができなければ外部の第三者によるチェックが必要であろう。なんらかの「オンブズマン」(ombudsman)制度が期待されるゆえんである▼14。
▼1 現代組織論の文脈でもこの問題についてふれておいた。14-4参照。
▼2 スモン訴訟の概要については、川名英之、前掲書、第二章。スモン以降のチバガイギー社の行動および第三世界における薬の販売使用の実態については、ダイアナ・メルローズ、上田昌文・川村暁雄・宮内泰介訳『薬に病む第三世界』(勁草書房一九八七年)。
▼3 宝月誠「製薬企業の世界――企業逸脱としての薬害の発生」宝月誠編、前掲書所収。
▼4 前掲書一〇四ページ。
▼5 サザランド、平野竜一・井口浩二訳『ホワイト・カラーの犯罪』(岩波書店一九五五年)。
▼6 宝月誠、前掲論文。
▼7 宝月誠、前掲書、一〇七ページ。
▼8 高杉晋吾『告発ルポ黒いカプセル――死を招く薬の犯罪』(合同出版一九八四年)第一章「疑惑のプロローグ」。
▼9 後藤孝典編、前掲書ならびに水巻中正『崩壊する薬天国――揺らぐ日本の医療を追う』(風涛社一九八三年)二九ページ。
▼10 14-2参照。
▼11 高杉晋吾、前掲書一三七ぺージ以下、一九三ぺージ以下、二五三ぺージ以下。なお、丸山ワクチン問題の全容については、井口民樹『増補版・再考丸山ワクチン』(連合出版一九九二年)がくわしい。ちなみに「クレスチン」は年間売上げ五百億円の抗ガン剤だが、一九八九年厚生省は「単独ではガンに効かない」ことを公式に認めた。
▼12 「専門職支配」と訳す場合もある。
▼13 「専門家支配」については、つぎのふたつの文献を参照した。黒田浩一郎「医療社会学序説(2)――プロフェッショナル・ドミナンス(専門家支配)をめぐって」中川米造編『病いの視座――メディカル・ヒューマニティーズに向けて』(メディカ出版一九八九年)所収。進藤雄三『医療の社会学』(世界思想社一九九〇年)III第四章「医療専門職:医師」。
▼14 「オンブズマン」とは、苦情処理を委任された公的第三者のこと。
23-3 社会的現実構成過程としての薬害認定
スモン被害者の役割変遷
これまで主な薬害事件とその原因となった組織と役割のあり方をみてきた。じつはこれらはすべて〈事後的にみて〉のことであって、はじめから一連の事象が「薬害」「事件」として存在していたわけではない。いずれも被害者自身によるねばりづよい運動――とくに裁判闘争――によって、ようやく「薬害事件」と認定されたものである。被害者による有効な社会運動なしには「薬害事件」は社会的に存在しなかったといっても過言ではない。この事実は社会学的見地からみてもきわめて重要である。この点について、おもに宝月誠編『薬害の社会学』を参考にして考えてみよう。
栗岡幹英はこの研究のなかで、スモン薬害被害者の手記を分析して、キノホルム中毒者がさまざまな役割をへて薬害告発者へ自己形成する過程を共感的に追っている▼1。それによると、多くのキノホルム中毒者はおおむねつぎのような役割を変遷しているという。「すなわち、『健常な社会人』であった主体が、スモンに罹患することによって『スモン患者』の役割を強いられ、やがてキノホルム原因説が社会的に認められて後は『キノホルム被害者』としてふるまい、さらに裁判所への提訴その他の運動に参加することで、『薬害告発者』として自己形成を遂げるのである▼2。」この役割変遷の過程を栗岡論文によってもう少しくわしくみていくことにしよう。
まず、身体の不調があった。身体へと意識が収れんすることによって、それまでの健康な「社会人」という役割が「私秘的生活者」の役割にすりかわっていく。やがてスモン特有の激痛と身体の機能障害(下肢マヒと視力低下)の進行によって「スモン患者」の役割を受け入れざるをえなくなる。他の一般の患者役割と同じように「スモン患者」の役割も一時的なものと考えられ、他者への依存を受け入れるようになる。ところが、それが一時的なものでなく不治の病いであることがわかり、視力などの障害が一線をこえてしまった段階で、このような意味世界は崩壊する。一方ではウィルス説が報道されることによって、かれらは「感染症患者」の役割を押しつけられる。同時に、本人とその家族はともに社会からさまざまな迫害を受けることになる。それは、他人に奇病をうつしてしまう存在として「加害者」役割を家族ともども背負わされたことによるのであるが、その結果として、かれらの多くはウィルス説の受け入れに拒否的にならざるをえなかった。それに対して、しばらくのちにでた「キノホルム説」は、かれらの体験によく合致するとともに「加害者」役割からの解放を意味したため、積極的に受け入れられることになる。こうしてかれらは「キノホルム被害者」の役割を選択的にとることになる。こうなると、かれらは被害者として加害者の存在を意識するようになる。まず医者が想定されるが、やがてその背後の製薬企業とそれを監督する立場にある国[厚生省]そして薬事制度全般へと遡及する。そこで、かれらは一方で「キノホルム被害者」という自己定義を正当なものとして他者の承認をえようと能動的=主体的に運動するとともに、他方で裁判の原告の役割をとることを通じて普遍的な性格をもつ「薬害告発者」へと自己形成していく。このさい目標となったのは、自分たち被害者への補償だけではなく、薬害そのものの根絶である。このことが、「確認書和解」という特殊だが明確な終結を勝ちとる大きな原動力となった▼3。
キノホルム中毒者がその不幸な偶然を最初のきっかけにして、いわば〈人間としての全体性〉を能動的=主体的に生きることによって、潜在化していた一連の事象が「薬害事件」という明確な輪郭をもつ社会的現実として構成されたわけである。
薬害の認定
薬害事件が社会的存在として認定されていく過程には、つぎのような主体が積極的に関係している。
まず第一に、被害者による主体的な社会運動▼4。この場合の「被害者」には家族もふくまれている。おもに裁判を中心とする一連の社会運動なくして、薬事二法成立にいたる改革はありえなかった。ミクロな私的状況とマクロな社会構造を連接する〈社会学的想像力〉をここにみることができる。しかし、その源泉は社会学ではとうていなく、一九六〇年代に水俣などで培われてきた反公害運動のエートスがその源泉となったと思われる▼5。
第二に、ジャーナリズムの媒介。当然、ジャーナリズムなしに世論形成はありえない。薬害問題も例外ではない。しかし、報道する側の意図、報道される側[運動主体]の意図通りに受け取られるとはかぎらない。オーディエンスが別の受け取り方をする場合も多い。スモンの場合、ウィルス感染説の報道が、結果的に被害者の苦悩を増大させた。受け手の保守性・メディアの保守性を考えると、偏見を助長し混乱を招く場合も多い。しかしそれでも、ジャーナリズムが作動しないかぎり、個々の薬害が社会問題として認知されることはありえなかった。その意味で、ジャーナリズムは両義的に関与するといえる。
第三に、判定者としての科学者。田中滋によると、多くの薬害は病気として処理されてしまうという。薬害であることが容易に判断でき、死という重大な結果を伴うものはかえって隠ぺいされやすい。逆に薬害として認定されやすいものは、比較的ゆるやかな速度で死亡などの結果をおこし、なおかつ、症状に特異性があるものである。なぜかというと、ゆるやかであるために因果関係を確定するのがむずかしいこと、そして特異性が医学的関心を呼び、医学会の症例報告がさかんになり、その結果マスコミ報道がなされるからである。サリドマイドもスモンもクロロキンもそうだった▼6。ひとたび問題が明らかになって以降、医学・薬学分野の科学者は判定者として関わっていく。たとえばスモン訴訟では原告被害者側の学者証人として四一人(のべ七一人)の科学者が証言した。他方、被告側にも薬学界の何人かの重鎮も証言している▼7。
第四に、オーディエンスとしての他者。当事者に対して傍観者の役割にある人びとの存在も重要だ。かれらは一貫して傍観者にとどまろうとし、無知・偏見・差別の具体化を担う一方、匿名の世論として問題の社会的認定に関わってくる。また、かれらに対する反作用として被害者が主体的に役割形成を促進せざるをえなかった事情も無視できない。この点では、加害者側の態度についても同様に作用する。多くの場合、製薬会社が被害者救済よりも信頼イメージの維持を優先させるのは、圧倒的多数のオーディエンスの存在を考慮してのことである。つまり、オーディエンスとしての他者は社会的圧力として両義的に問題認定に関わっているわけである▼8。
社会的世界では、物理的世界とちがって、存在そのものが客観的であるとはいえず、共同主観的に構成される。みんなが「ない」といえば、それは〈ない〉にひとしいということだ。したがって、ある問題が〈社会問題〉として存在するためには、以上のようなさまざまな主体によって集合的に定義される過程がどうしても必要なのである。
▼1 栗岡幹英「薬害被害者の意味世界の諸相」宝月誠編、前掲書所収。
▼2 前掲書六〇ページ。
▼3 以上、前掲論文を要約。
▼4 裁判の過程の分析として、栗岡幹英「薬害における逸脱と裁判」宝月誠編、前掲書。
▼5 当然このようなエートスがえられない場合も数多く存在するはずだ。しかし、その場合、ジャーナリストなどの第三者による告発がなければ知られることはない。そのような例として、鎌田慧『ドキュメント隠された公害――イタイイタイ病を追って』(ちくま文庫一九九一年)。対馬における東邦亜鉛の鉱毒事件をあつかっている。
▼6 田中滋「『薬害』の総体的認識に向けて――薬害の顕在化過程の分析」宝月誠編『薬害の社会学』二三五ページ以下。
▼7 高野哲夫、前掲書二四三-二四六ページ。
▼8 したがって非当事者が「知る」こと自体が、重要な抑止力になる。
23-4 知識としての薬
消費社会における薬
M・シルバーマンとP・R・リーは、アメリカ社会における薬の非合理的な使われ方の原因として、以下の五点をあげている▼1。
(1)医者と患者の双方にみられる懐疑心の不足あるいは手ばなしの素直さ。
(2)多くは非客観的で不完全、あるいは誤解を招くような広告その他の薬の宣伝の氾濫。
(3)すぐに役だちしかも客観的な薬の情報の不足。
(4)「有効ではないかも知れないが、害にはなるまい」という例の誤った前提にもとづく、薬の広範な使用。
(5)おなじく一般にひろまっている「病気に薬はつきもの」という信仰。
おそらく薬害大国日本も同様の事情にあると思われる。薬が消費社会におかれ、大量に消費されるとき、その危険性もまた増大する。なんらかの将来戦略が必要だろう。最後に、その方向性をさぐってみよう。
薬の本質
伝統的な生薬と異なり、現代の薬の多くは化学合成物質である。したがって、薬にはまず〈物質性〉がある。そして、その物質は人の身体に投与されて一定の効果をえるための物質である。つまり、これは人間と生理的に関わる物質である。だから薬は〈物質性〉とともに〈生理性〉をもつ。ところが、薬はこれにとどまらない。薬は製薬企業によって大量に生産かつ広告され、医療現場や家庭で大量に消費される。それは国家によって管理され、専門家によって統制される。このプロセスはまぎれもなく社会的なものである。その意味で、薬は〈社会性〉をもあわせもつ▼2。
考えてみれば、薬害は薬の〈物質性〉の問題ではなかった。製造過程で不純物質がまぎれこんだわけではない。薬害は、〈生理性〉を構成する薬理作用・副作用・有害作用の定義の問題に起因しており、それが現場の医療関係者もふくめた一般の人びとに公開されることなく、ごく一部の人びとの利害によって決定されたという〈社会性〉レベルの問題だった。
その要になっているのは〈知識〉である。そもそも薬の本質は、「ある物質を一定の使い方をするとこのような効果がえられる」という知識にある。これがなければ、どんな薬もタダの粉でありタダの水である。したがって、薬の問題は、すなわち薬に関する知識の問題――より正確にいうと「知識の社会的配分」の問題――なのである。
たとえば、クロロキンをマラリアの薬として使う分にはよかったかもしれないが、リウマチ関節炎や腎炎にも有効だとされたために日本ではクロロキン網膜症が大量に発生することになった。適応症・副作用・服用量・服用期間に関する正確な知識が隠ぺいされたか十分研究されないまま、誤った知識が一般に流通してしまった――あるいは意図的に流通させた――ことが薬害の直接的な原因である。
情報公開
知識はつねに〈社会的に〉構成される。薬の〈知識〉も例外ではない。
現代社会において薬についての知識は、製薬会社や厚生省などに関係する一部の専門家によって管理かつ独占されている。すでに説明した〈専門家支配〉は、おもに知識の独占管理にもとづいている。しかし、専門家は、見方を変えれば、利害関係者である。したがって、専門家支配は一見妥当なことのように思えるけれども、現実には利害の介入を招きやすい。そのようななかでは、重要な知識が操作され、また独占される可能性がきわめて高い。したがって、薬害を根絶するためには、なによりも薬に関するあらゆる知識の公開が必要である。
たとえば新薬の場合だと、許可申請データから厚生省の審査過程そして副作用情報などの第一次情報がすべて公開されていることが必要である。そして、じっさいに使用する医師や服用する患者にも、必要とあればいくらでも薬に関するくわしい知識がえられるようなコミュニケーション制度が整備されるべきだろう。かれらには「知る権利」があり、それが行使されることが、薬の知識の独占や操作に対する強力な抑止力になる。
同時に、そのような知識の問題性をいち早く察知し分析する本格的な科学ジャーナリズム・医療ジャーナリズムが必要である。これまでジャーナリズムはシロウトであることを自己正当化してきたきらいがあるが、これでは薬に関する問題にはとても対処できない。より本格的な科学ジャーナリズムの発展を望みたい。
▼1 シルバーマン、リー、前掲訳書二五九ページ。
▼2 高野哲夫、前掲書一ぺージ。
増補
薬害エイズ事件の社会問題化
本書初版発行当時は日本社会が「薬害」ということばを忘れていたころで、現代用語事典にも「薬害」という項目はなかった。もちろん社会学のテキストに薬害の章を設定するというのも異例のことだったと思う。しかし、まさにこの時期に薬害エイズ事件は法廷において裁かれつつあったのである。
初版執筆当時、薬害エイズについての情報は限られていた。系統的なものとしては、毎日新聞の一連の薬害エイズ報道がほとんど唯一のもので、そのため本書では「薬害」の章ではなく「スティグマ論」の中(四三六ページ)で患者差別問題としてだけ取り扱っておいた。当時は原因について自信がなかったからである。
その後、朝の番組などでいちはやく薬害エイズをとりあげていたNHKのディレクターが書いた、池田恵理子『エイズと生きる時代』(岩波新書一九九三年)と、写真家の広河隆一『日本のエイズ―――薬害の犠牲者たち』(徳間書房一九九三年)によって全貌が明らかになってきた。広河隆一の本はその後『薬害エイズの真相』(徳間文庫一九九六年)に文庫化されている。広河には、七三一部隊と日本の医学薬学界の密接な関連について詳しく調べた『エイズからの告発』(徳間書房一九九二年)もある。
一九八八年二月から四カ月間続いた毎日新聞のエイズキャンペーン報道の記録は、毎日新聞社会部『薬害エイズ 奪われた未来』(毎日新聞社一九九六年)にまとめられている。これは、それまでのセンセーショナルな報道とは異なる画期的な調査報道で、今日頻繁に引用されている一九八三年当時についての関係者の発言の多くはここでなされたものである。今から振り返ると、HIV感染の薬害性はじつはこの段階でほぼ明確になっていたといえる[さらに先駆的なものとしては、ルポライターの池田房雄の本がある。池田房雄『白い血液――エイズ上陸と日本の血液産業』(潮出版社一九八五年)]。
以上をコンパクトに整理したパンフレットとして、広河隆一『薬害エイズ』(岩波ブックレット一九九五年)。また、櫻井よしこ『エイズ犯罪―――血友病患者の悲劇』(中央公論社一九九四年)は、事件の関係者の取材がていねいで評判を呼んだ本。HIV訴訟について詳しく述べられている。片平洌彦『構造薬害』(人間選書・農山漁村文化協会一九九四年)は、医学者の立場から薬害の構造を分析したもの。おもにスモン事件と薬害エイズ問題が分析されている。資料性も高い。
薬害エイズとは何か
いわゆる「薬害エイズ」とは、輸入非加熱血液製剤による血友病患者の大規模なHIV感染のことである。輸入非加熱血液製剤とは、主にアメリカから輸入されていた血液製剤で、血友病の治療に使われていた。それ以前のクリオ製剤に対して濃縮製剤とも呼ばれる。非加熱とは文字どおり「加熱処理していない」ということで、そのためにHIVの感染が生じた。血液製剤とは血液から特定の成分を抜き出して白い粉にしたもので、これを蒸留水で溶かして点滴する。血友病とは血液に凝固成分が不足している遺伝病で、男性にしか現れない。日本の患者数は五千人。性感染ルートばかりが強調されてきたエイズだが、日本のエイズは輸入非加熱血液製剤による薬害として始まった。一九八八年二月の段階で日本のHIV感染者の九三パーセントがこの血液製剤被害者だった。当時アメリカではHIV感染者全体の一パーセントほどだったというから、ここに顕著な日本的特徴を見ることができる。
薬害エイズ事件の経過
上記の資料をもとに事件の経過を整理してみよう。和解までの薬害エイズ事件のプロセスは、ほぼ五つの段階に整理することができる。
(1)前史―――血友病治療の歴史
この事件はエイズが登場する前から始まっているといっていい。大量感染の節目に当たる一九八三年当時に専門医たちがなぜあのような行動をとったのかについてのカギはじつはここにある。一九七〇年までの治療はもっぱら輸血によっていたが、クリオ製剤が使われるようになって血友病患者は「ふつうの生活」が可能になった。一九七八年から非加熱の濃縮製剤が導入され、非常にかんたんに治療が可能になる。と同時に、予防投与と家庭療法(自己注射)のワンセットとして濃縮製剤が導入される。
すでにこの段階で問題はあった。クリオ製剤はひとりか数人の血液からひとり分の製剤をつくるが、濃縮製剤は数千人分の大量の血液を一挙に処理するために、大量感染が発生しやすい。じっさい初期からC型肝炎ウィルスの大量感染が生じており、濃縮製剤導入の段階から薬害はすでに始まっていた。
(2)HIV大量感染
一九八二年七月にはアメリカで三人の血友病患者がエイズ発症している。この段階ですでに感染経路として血液製剤が疑われている。一九八三年三月、アメリカ政府は、血液製剤を作っている製薬会社に対して、エイズに感染している可能性のある人たちの血液を使わないように勧告。製薬会社(トラベノール社)は、加熱処理した血液製剤をいち早く開発し製造販売認可される。じつはこれ、もともとは肝炎ウィルス対策として開発されていたものだった。これ以降、アメリカでは加熱血液製剤へ切り替わる。その結果、あまった非加熱製剤が市場を求めて日本に殺到することになる。
日本では、おりしもこの年の二月に血液製剤を使用する家庭療法が厚生省に認可され健康保険で認められたばかりだった。このタイミングが多くの専門医たちの判断を誤らせることになる。つまり、「ようやくここまできたのに」という思いが結果的に安全性軽視の道を選ばせることになる。
当時、非加熱血液製剤に危機意識をもっていたといわれている厚生省薬務局生物製剤課の郡司篤晃課長は、一九八三年六月、エイズ研究班を発足させる。安部英(たけし)帝京大学教授を班長とし、おもに血友病専門医中心の人選だった。とくに血液製剤対策を担当する小委員会は安部門下で構成され、安部英教授の強力な指導に基づいて具体的な対策が講じられる。というよりも、結局何も緊急対策といったものをしなかった。
クリオから濃縮製剤への切り替えと予防投与の普及キャンペーン、そしてHIVの登場、この最悪のタイミングに適切な手を打とうとしなかった専門家たち、それを後押しする利益団体―――こうして血友病患者へのHIV大量感染が生じた。
基本的には、この大量感染は一九八三年から始まり、一九八五年七月に血友病Aの第八因子製剤認可され一九八五年十二月に血友病Bの第九因子製剤認可されるまで続く。しかも、郡司課長の後任にあたる松村明仁課長は、加熱製剤の登場後も非加熱製剤の回収命令をださず、出回っていた非加熱製剤はその後も使い続けられ、感染者をさらに増加させた。
(3)患者差別
あらゆる薬害事件がそうであるように、悲劇は二重三重になって被害者たちを襲う。第一の悲劇は血友病という病気もしくは障害。第二の悲劇はそれを治療するために投与した非加熱血液製剤による肝炎ウィルスとHIVの感染。そしてここから第三の悲劇が始まる。それは「感染する」という畏れから生じる社会的な患者差別である。
本格的なエイズ報道が始まるのは一九八五年三月の「エイズ1号患者」報道からといってよい。朝日新聞はそれを血友病患者であるとスクープするが、その翌々日に厚生省が男性同性愛者を「1号患者」と発表するあたりからである。
そして一九八六年から八七年にかけて、いわゆる「エイズ・パニック」が連続的に生じる。「フィリピンから出稼ぎに来ていた21才の女性が、日本に来る前に受けたエイズの抗体検査で陽性とでた」とのマニラ発共同通信のニュースから始まる「松本事件」。エイズ・女性・売買春とセンセーショナリズムを煽る要素がそろい踏みした。一九八七年一月には神戸で初めて日本女性のエイズ患者が確認されたと報告したことから始まる「神戸事件」。ここでエイズ・女性・売買春に日本人という要素が加わる。ここから多くの日本人はエイズを自分のこととして理解し始めたといえる。一九八七年二月「高知事件」。HIV感染者の血友病患者が交通事故を起こしたのがきっかけで、この人と交際のあった女性がHIVに感染していたことが判明し、しかもその人は別の男性と結婚して妊娠中だったとのニュース。
こうして「感染源としての血友病患者」のイメージが日本社会に無反省のまま蔓延することになる。血友病患者はそれだけで魔女狩りの対象となった。その結果、被害者の人たちは、「被害者」とみなされるどころか、社会にエイズを振りまく「加害者」として排除されることになる。医療機関から診療拒否、解雇、開店休業、さまざまな念書、通園禁止、受験願書受け付け拒否……。あらゆる社会的場面から不当な差別を受けることになる。
(4)HIV訴訟
第四段階は、被害者の人たちが国と製薬会社の責任を求めて東京と大阪で訴訟を起こしたことに始まる。この裁判過程が「薬害エイズ」の存在を広く社会的に認知させることになる。直接的なきっかけは、一九八八年十二月のエイズ予防法成立だった。強行採決された予防法に対して血友病患者団体は反対。それは患者の人権をないがしろしていたものだったからだ。もうひとつは、一九八八年の四カ月にわたる毎日新聞のエイズキャンペーン報道。これは世論づくりに大きく作用したと考えられる。
一九八九年五月、HIV訴訟。一九九四年にはこの訴訟とは別に、安部英帝京大学副学長が殺人未遂容疑で東京地検に刑事告発されている(一九九六年一月に殺人罪に切り替え)。
(5)和解
一九九五年十月、東京地裁と大阪地裁が和解を勧告。基本的には国と製薬会社の責任がほぼ立証されたこと、そして原告の厳しい時間的制約が背景にある。一九九六年一月、就任したばかりの菅厚生大臣が省内に調査プロジェクトを設置し、二月には、長年「存在しない」といわれていたいわゆる「郡司ファイル」が公表される。二月中旬、原告被害者の厚生省前すわり込み、その最終日に厚生大臣が法的責任を認めて被害者に謝罪し、三月確認書をもって和解した。
その後、東京地検は安部・前帝京大学副学長を逮捕。続いて大阪地検はミドリ十字社の歴代社長三人を逮捕、さらに東京地検は松村・元生物製剤課長を逮捕した。
院内感染
富家恵海子『院内感染』(河出書房新社一九九〇年)によって一躍「院内感染」ということばが普及し、一気に社会問題化した。ふつう「院内感染」は薬害には入れないが、抗生物質の過剰な使用が根本的な原因であることを考えれば、これもまた薬害の新しい現象形態である。この本は、夫を院内感染で亡くした妻がその原因を独力で追及していくプロセスを記録したもの。スモン事件の場合も何冊かベストセラーになったが、薬害問題の当事者や家族による手記はどれも心を揺すぶられるもの。それはたんに「お涙頂戴」ということではなく、そこからでないと見えないことがあまりに多いことに気づくからだ。富家恵海子『院内感染ふたたび』(河出書房新社一九九二年)は続編。こちらはその後の対策と背景的分析が主な内容になっている。三冊目の『院内感染のゆくえ』もふくめて、いずれも河出文庫に入っている。
陣痛促進剤
舩橋惠子『赤ちゃんを産むということ――社会学からのこころみ』(NHKブックス一九九四年)は社会学者の本。「誕生日を決める薬」として陣痛促進剤の問題がとりあげられている。今の産科の事故の多くはこの薬がからんでいるところが大きいといわれているが、あまり知られていないのではないだろうか。欧米とくにアメリカではハイリスク分娩にしか使用されていないこの薬が、日本では病院の都合や親の都合で安易に使われているとのこと。今後大きな社会問題になる可能性がある。
専門家支配
薬害問題は専門家支配に落とし穴のあることを物語っている。専門家支配については、その概念の提唱者の本の翻訳がその後でている。エリオット・フリードソン『医療と専門家支配』進藤雄三・宝月誠訳(恒星社厚生閣一九九二年)。これは、次章で問題にする医療社会学のメインテーマでもある。
裁判過程の社会学
薬害問題にかぎらず社会問題はたいてい長い訴訟になる。たとえば予防接種集団訴訟は一九九三年の結審までに二十年かかった。当然、裁判のプロセスではさまざまな社会学的現象が生じるわけで、必ずしも「法の論理」だけで進行するわけではない。
栗岡幹英『役割行為の社会学』(世界思想社一九九三年)は、役割理論に基づいて分析された裁判過程の社会学。前半はスモン事件、後半は免田事件が素材になっている。樫村志郎『「もめごと」の法社会学』(弘文堂一九八九年)は、エスノメソドロジーをとりいれた新しいタイプの法社会学概論。ふつう法社会学という分野は法学者が担当していて、要するに「法と社会」の関係に関する研究という程度のことで、つまり少しも社会学的でないのである。その点、これはまずまず社会学的といえる。
このほかにも、稲葉哲郎『裁判官の論理を問う――社会科学者の視点から』(朝日文庫一九九二年)。有名な冤罪事件である徳島ラジオ商事件の公判記録を心理学者の著者がつぶさに点検し、そのずさんな非科学的「論理」を具体的に批判した本。私たちは裁判が科学的に公正におこなわれていると信じているが、そうとは断言できないようだ。あのころの法学者はいったい何をしていたんだろうか。
日本の裁判制度の組織上の問題については、カレル・ヴァン・ウォルフレン『日本/権力構造の謎(上・下)』篠原勝訳(ハヤカワ文庫一九九四年)の8章「法を支配下におく」が簡明に実態をまとめてくれている。この説明によると「司法の独立」は組織論的には根拠をもたないといえそうだ。
科学報道
薬害事件は科学の最先端で生じる。したがって高度な科学的知識と見識が要求される。しかし、日本の報道機関は他の日本企業と同様にジェネラリスト志向(何でも屋)の人事制度に基づいており、専門分野をもつジャーナリストを育ててこなかった。そのため、薬害事件のような高度な問題になると、とたんに欠陥を露呈する。薬害エイズ事件においても、最後には厚生省バッシングに踊ったメディアは、そのわずか十年ほど前にはエイズ・パニックを起こした当事者でもあるのだ。結局、報道の論調の決定は他のメディアとの関連でおこなわれているわけで、必ずしも科学的な判断と見識によってなされているわけではない。
同様の問題は、公害・原子力・臓器移植・先端医療・宇宙開発などでも指摘されている。事例集として、柴田鉄治『科学報道』(朝日新聞社一九九四年)が実態を教えてくれる。ウォーレン・バーケット『科学は正しく伝えられているか――サイエンス・ジャーナリズム論』医学ジャーナリズム研究会訳(紀伊国屋書店一九八九年)は実務的関心からの議論。
Prev←■→Next
現在地 ソキウス(トップ)>社会学感覚
SOCIUS.JPドメインへの初出 10/2(Thu), 2003  最終更新日:4/1(Sat), 2017
このページのURLは http:///Users/nomurakazuo/Dropbox/socius.jp/lec/23.html
Copyright (C)1995-2015 by Kazuo Nomura(野村一夫) 無断転載はご遠慮ください。リンクはご自由に。
Valid XHTML 1.0!Document type: XHTML 1.0 Transitional
閲覧日 4/1(Sat), 2017

Read More

4月 12017

社会学感覚7社会とはなにか、社会学とはなにか

Socius  ソキウス   著作+制作 野村一夫

フロントページ


現在地 ソキウス(トップ)>社会学感覚
社会学感覚
7 社会とはなにか、社会学とはなにか
7-1 社会概念+社会学構想のセット
社会概念と社会学構想
前章まで長々と社会学の発想法について説明してきた。そのなかで「そもそも社会とはなんなのか」という問題と「では社会学はどうあるべきか」という構想についても必要に応じてそのつどふれてきた。前者は従来「社会本質論」と呼ばれてきた。後者は「社会学の構成問題」と呼ぶべきだろうが、ここではたんに「社会学構想」としておこう。このふたつの問題を今度は系統的に――発想法別ではなく社会学史的に――整理しなおしてみよう。
じつは社会概念と社会学構想は密接に連結している。というのは、社会学がどうあるべきかは社会概念によって規定されるし、逆に社会学構想によって社会概念のとりあつかいも異なってくるからである。そこで本節では「社会とはなにか、社会学とはなにか」ということを一組のテーマとしてまとめることにする▼1。
社会学史の六つの段階
「社会とはなにか」を考えつづけてきた社会学の歴史をながめてみると、ほぼ六つのエポックメーキングな段階に整理できる。
(1)「総合社会学」十九世紀後半のヨーロッパ
(2)「世紀の転換期の社会学」すなわち「形式社会学」「理解社会学」「実証主義」一八九〇-一九二〇年のヨーロッパ
(3)「シカゴ学派」二十世紀前半とくに一九二〇年代のアメリカ
(4)「批判理論」「知識社会学」一九三〇年前後のヨーロッパ
(5)「社会学的機能主義」第二次大戦後のアメリカ
(6)現代社会学 一九七〇年代以降
第一期は「初期社会学」というべきだろう。この時期に社会学という科学のおおよその形と名前ができあがったのだが、理論的にはすでに過去の遺物といっていいだろう。残っているのはそのエートスだけだ。理論的にまだ現役なのは第二期からである。百年ほど前から始まる「世紀の転換期」の三大理論は、ふたつの世界大戦とそのあいだのファシズムの台頭によって研究が寸断されてしまった。それらの理論的意義が本格的に研究されはじめたのは比較的最近のことである。しかし、このヨーロッパ社会学は、二十世紀初頭シカゴ大学に集まった研究者たちに影響をあたえ、アメリカ社会学の新しい局面をつくりだすことになる。その後ファシズムの台頭による社会学者の亡命や死亡によって、社会学の中心地は実質的にアメリカに移る。第二次世界大戦直後も元気なのはアメリカだけで、理論面でも調査の面でもアメリカ社会学全盛の時代を迎える。そして「機能主義」のスローガンのもとに社会学にもひとつのスタンダードな理論が成立するかにみえた。しかし、六〇年代から始まった機能主義批判と新しい理論のあいつぐ成立によって、社会学は群雄割拠すなわち多元的パラダイムの時代に入った。そしてこの状態は現代もなおつづいている▼2。
では、これから各段階の代表的な社会学者の社会概念と社会学構想を一覧してみよう。
(1)「総合社会学」
コントとスペンサーにとって社会とは、宇宙・自然・人間の系列上に存在する全体としてひとつの有機体である。それは有機体として一定の秩序をもち、有機体として進化するとされる。これに対応して、社会学は宇宙論的理論科学であり、全体的かつ総合的認識の科学でなければならない。社会有機体説にたち、その進化に即した知識を提供するという実践的志向をもつ▼3。
(2)「世紀の転換期の社会学」
または「一八九〇年から一九二〇年世代」と呼ぶのが適当と思われる▼4。二十世紀の社会学の基礎を築いたのがこの世代である。その理論的立場は――かれらの社会学のすべてではないことを前提した上で代表的な学説をとりだすと――ジンメルの「形式社会学」、ウェーバーの「理解社会学」、デュルケムの「実証主義」が重要である。
ジンメルにとって社会とは個人と個人の相互交渉すなわち「心的相互作用」である。社会概念は内容と形式のふたつの側面に区別できる。社会の内容(関心・目的・動機)的側面を広義の社会とし一般の社会科学がこれをあつかう。一方、社会の形式を狭義の社会としてこれを社会学があつかうとする。これが「形式社会学」構想である▼5。
ウェーバーにとって社会とは諸個人の社会的行為の集積である。社会学は行為者が主観的に自分の行為に結びつけた意味すなわち「主観的意味」を理解する科学として定立される。これが「理解社会学」である▼6。
デュルケムにとって社会とは社会的事実であり、これは個人に対して外在的かつ拘束的な「外的拘束力」をもつ。社会学はこの社会的事実を「モノとして」考察する実証主義的な科学でなければならないとした。「実証主義」とは、かんたんにいえば、自然科学の方法を社会にも適用する立場であり、経験的事実に徹するという決意である▼7。
(3)「シカゴ学派」社会心理学/都市社会学
二十世紀前半のアメリカ社会学の中心はシカゴ学派にあった。これは社会心理学的な系譜と都市社会学的な系譜のふたつにわけられる。
社会心理学の流れとしてはクーリーとミードが代表的。ふたりにとって社会とはコミュニケーションであり、個人も社会も結局同じことのふたつのあらわれにすぎないとみる。社会学[もしくは社会心理学]はこのような個人と社会の相互依存の ダイナミックな過程を分析する科学とされる▼8。
他方、都市社会学の流れとしてはパークとその教え子たちが代表的。かれらにとって社会とはすなわち都市にほかならず、「実験室としての都市」を自然史的過程において観察する人間生態学が社会学の中心をなし、都市に生きる生々しい人間の行動の経験的調査研究を社会学の課題とした▼9。
(4)「批判理論」「知識社会学」
フランクフルト学派とマンハイムが重要。前者はマルクスの資本主義分析と階級論を、後者はイデオロギー論を批判的に摂取して、文化批判の理論として社会学を構想した。かれらによって、教条的なロシア型マルクス主義とまったく異なるマルクスの思想像が社会学的思考の中心部にひきいれられた▼10。
(5)社会学的機能主義
好対照なふたりの代表者がいる。パーソンズとマートンである。
パーソンズはシステム論の立場から社会システムを複数の行為者間の相互作用のシステムととらえ、システムを構成する部分要素と全体との関係を機能概念と呼んで、この機能分析を社会学の課題とした▼11。
他方マートンは、大仰な大理論を拒否し、あくまでも経験的な調査研究と社会学理論とを有機的に結合した「中範囲の理論」でなければならないとした▼12。
(6)現代社会学
さまざまなパラダイムが棲み分けているので、代表者をとりだすのがむずかしいが、先端的な仕事をしている社会理論家としてドイツのハバーマスをあげておこう。
ハバーマスは社会を「システム」と「生活世界」(lebenswelt)のふたつの層から成り立つとする。「システム」は巨大な自動制御の組織であり、「生活世界」は対話的なコミュニケーションによって構成される体験的な生活領域である。現代社会は「生活世界」が「システム」によって浸食された段階であるとハバーマスはみる。社会学は全体社会の理論としてこの現代社会を解明できる唯一の科学であるとされる▼13。
▼1 以下きわめて図式的なまとめをしたが、こうした整理はステレオタイプなものにならざるをえないことに留意願いたい。そのかわり、各社会学者の代表的な著作の邦訳書のうち比較的読みやすいものと入門書を示しておくので、興味のある場合は一読をおすすめしたい。
▼2 社会学の歴史についてもっとくわしく知りたい場合は以下のものが参考になる。まず安価で入手しやすいものとして、新睦人・大村英昭・宝月誠・中野正大・中野秀一郎『社会学のあゆみ』(有斐閣新書一九七九年)。新睦人・中野秀一郎編『社会学のあゆみパートII――新しい社会学の展開』(有斐閣新書一九八四年)。二冊で一組。一般にはこれで十分。もっと本格的に取り組みたい場合は「社会学の系譜」シリーズのつぎの三冊。中久郎編『社会学の基礎理論』(世界思想社一九八七年)。中久郎編『機能主義の社会理論――パーソンズ理論とその展開』(世界思想社一九八六年)。中久郎編『現代社会の諸理論』(世界思想社一九九〇年)。
▼3 世界の名著『コント/スペンサー』(中央公論社一九七〇年)。清水幾太郎『オーギュスト・コント』(岩波新書一九七八年)。
▼4 この呼び方はアンソニー・ギデンスによる。宮島喬ほか訳『社会理論の現代像――デュルケム、ウェーバー、解釈学、エスノメソドロジー』(みすず書房一九八六年)一四ページ以下参照。
▼5 G・ジンメル、阿閉吉男訳『社会学の根本問題――個人と社会』(現代教養文庫一九六六年)。阿閉吉男編『ジンメル社会学入門』(有斐閣新書一九七九年)。
▼6 この理解社会学については『社会学の基礎概念』という有名な論文があるがたいへんむずかしいので、むしろこちらから読む方がいいだろう。ウェーバー、脇圭平訳『職業としての政治』(岩波文庫一九八○年)。
▼7 デュルケム、宮島喬訳『社会学的方法の規準』(岩波文庫一九七八年)。
▼8 ミード、稲葉三千男・滝沢正樹・中野収訳『精神・自我・社会――社会的行動主義者の立場から』(青木書店一九七三年)。
▼9 ロバート・E・パーク、町村敬志・好井裕明訳『実験室としての都市――パーク社会学論文選』(御茶の水書房一九八六年)。
▼10 世界の名著『マンハイム/オルテガ』(中央公論社一九七一年)。
▼11 タルコット・パーソンズ、倉田和四生訳『社会システム概論』(晃洋書房一九七八年)。
▼12 マートン、森好夫訳「中範囲の理論」『社会理論と機能分析』(青木書店一九六九年)所収。
▼13 ユルゲン・ハーバーマス、河上倫逸ほか訳『コミュニケーション的行為の理論(上中下)』(未来社一九八五-八七年)。
7-2 社会についてのメタファー
複合概念としての社会概念
そもそも社会とはなにか。おそらくこれまで小中高校のどの先生もこれを問うことなく、したがってこれに答えることもなく、生徒もそのような問いの存在に気づくことのないまま、「社会」について勉強したということになっている。これこそ十二年間にわたる社会科教育における最大のタブーなのである。
社会の本質――すなわち社会がなんであってなんでないかという問題は、もともと検証不可能な問題である。その概念を使うとなにがみえてくるかといったプラグマィックな可能性で判定する以外にない。したがって、社会概念を性急に結論づけるよりも、社会概念を本来的に複合的なものとして考えていった方が現実的である。
では、社会概念はどのよう複合的か。それを今度は、さまざまな社会理論家たちが用いてきたか暗黙の前提にしてきたメタファー[比喩]にみることにしよう。
秩序としての社会
社会は直接目にみえるものではない。みえるのはごく一部だし、それも人間の行動だけである。その意味で社会は抽象的な存在なのである。だからこそ、なにか目にみえるものにイメージしようとするのは当然の流れだ。
まず「社会は機械のようなものである」――以下「のようなもの」は省略――という社会観がある。いわゆる社会工学の前提にあるのがこれだ。社会工学専攻の人にはおこられるかもしれないが、はっきりいって社会学以前の発想である。ただ技術的意義はあるかもしれない。歯車で連結している部品の結合体のイメージがもとになっているが、ただし機械といっても、かつてのように時計的なモノではなく、最近はサーモスタットのような自己調整システム・自己制御装置のイメージで使われるようになった。ポストモダン論者のいう「戦争機械」などはそれである。とはいうものの「逸脱行動の生成メカニズム」などと、けっこう社会学者も機械のメタファーを愛用しているのも事実である。
社会のもつ自己維持活動に注目すると「社会は生物有機体である」という社会観になる。社会学でもそのごく初期から最近の機能主義・システム論にいたるまで、社会を生物有機体になぞらえるやり方は多かった。とくに生物のもつ環境適応機能や生理学的均衡[ホメオスタシス]は社会秩序を説明するのにたいへん都合がいいのである。
また「社会は建築である」というイメージも社会理論を「組み立てる」上でよく利用される。古くはマルクスの唯物史観の公式が「上部構造」と「土台」という建築イメージによっていたし、今日あたりまえのように用いられる「社会構造」概念も建築のイメージにもとづいている。最近ではバーガーとルックマンの共著『現実の社会的構成』のように〈コンストラクション〉というメタファーを用いて社会理論を展開することが多くなった。
機械にせよ生物にせよ建築にせよ、具体的に目に映ずるものにたとえると、どうしても実体的で一定の秩序をもつものとして社会をとらえることになりやすい。わかりやすい反面、危険である。
プロセスとしての社会
秩序ではなく動的なプロセスとしてイメージできればいいわけだが、それは意外にむずかしく抽象的な概念をキーワードにするほかにない。このようなものとして「社会は闘争である」「社会は交換である」「社会はコミュニケーションである」といったテーゼがある。これらは「のようなもの」という意味ではないから、もはやメタファーではない。しかし、いずれも具体的かつ身近な経験からイメージを喚起してくれる点でメタファーの機能を果たしているといえよう。
言語としての社会/劇場としての社会
以上のように社会に関するメタファーはどれも「帯に短したすきに長し」の感があるが、最近注目されている「社会は記号である」「社会は言語である」「社会は劇場である」というメタファーは比較的短所も少ない。
社会を記号になぞらえるのは、記号という現象が「意味されるもの」と「意味するもの」の二重性をもつことにもとづいている。つまり「インクのシミ」がある特定の「意味」をあらわすという二重性である。しかもこの二重性が一対一に厳密に対応するのでなく、ある程度のずれとうつろいやすさをもっていることろもまた社会のありようとよく似ている。
言語のメタファーも同様である。これはアメリカの言語学者ノーム・チョムスキーが「規則に支配された創造性」というテーマで指摘していることだが、人間の言語活動は文法規則にしたがっておこなわれるにもかかわらず、新しい文を無限につくりだしていくことができる。社会も同じだ。文法は規範・道徳・制度などの社会構造にあたり、文は個人の諸行為にあたる。このようにとらえると、社会という鉄の檻のなかに閉じこめられた人間というイメージではなく、社会の構造を〈資源〉として利用する自由で主体的な人間像――あるいはその可能性――をえがくことができるし、そのような諸個人によって逆に社会が変わっていく側面もみえてくる。
「社会は劇場である」というメタファーもこの延長線上にある。メタファーとしてはシェイクスピア以来の古典的なものであり、一歩まちがえると「人生劇場」のような古色蒼然たるものになってしまうけれども……。社会が劇場だというのは、あらかじめしつらえられた舞台装置と台本が一種の約束ごととして設定されていて俳優としての個人も観客としての個人も一応それらに準拠して演技・観劇することによって進行することにもとづいている。ところが現実には、社会にせよ演劇にせよ、約束ごとの世界を維持するよう人びとが共謀してはじめて成立するあやうい世界なのだ。だから台本通りに演じられるあやつり人形劇ではなく、演出・失敗・侵犯・離脱・秘密・かんちがい・儀礼・権力などさまざまなファクターが舞台で交錯するダイナミックな即興劇のイメージだ。社会学では、この側面に着目する導入部として劇場のメタファーをもちだすことが多い。そこでえがかれるのは演劇ではなく、むしろ〈ドラマトゥルギー〉である。
7-3 社会学と民主主義
パラダイム並立の歴史的事情
社会学論を締めくくるにあたり、社会学の歴史的事情について、ごくかんたんにふれておこう。
第一期「総合社会学」をのぞくと、すべて現役のパラダイム[思考の枠組]である。社会学の場合、新しいパラダイムが出現したからといって古いパラダイムが有効性を失っていくわけではない。そこが物理学などの自然科学との大きなちがいであるが、これは一九三〇年代のファシズムによる研究系譜の断絶という歴史的事情が大きく関係している。あらゆる社会と同様、科学も歴史的社会にあるかぎり直線的に進歩するわけではない。このあたりの歴史的事情を確認しておくことも大切なことである。
(1)マルクス初期草稿・中期草稿の発見
マルクスが有名な『共産党宣言』を公にしたのは一八四八年、『資本論』第一巻を出版したのは一八六七年である。十九世紀後半から二十世紀初頭にかけての「マルクス主義」は当然これらの出版物を中心に構成された。しかし、マルクスの中核的思想をこれらのパンフレットや出版物だけから読みとるのはむずかしく、社会主義運動の進展とあいまって誤解されたり教条化されたりすることが多かった。その思想的格闘の足跡をたどることができるようになったのは一九三二年に『経済学・哲学草稿』といわれる初期のノートが公表され、一九三九-四一年に『経済学批判要綱』といわれる中期の草稿――『資本論』の準備ノート――が公表されてからである。これらについての研究によってマルクスの思想の全体像がようやくわかるようになり、それまで流通してきたマルクス像がずいぶん歪んでいたことが学術上あきらかになった。とくに社会学にとって社会理論にふみこんだ『経哲草稿』と『要綱』の意義は大きく、それによって社会学にとってマルクスの理論的意義が格段に大きくなった。とくに一九六〇年代以降さかんになった新たなマルクス研究によって『資本論』など周知の著作の読み方が大きく変わり、その影響は現代の社会理論にもおよんでいる。活動時期からいうとマルクスは「総合社会学」に相当するわけだが、マルクス像の変遷に応じていつの時代も現役の社会理論として光彩を放ちつづける結果となったのである。
(2)「世紀の転換期の社会学」受容の問題
社会学の水準を一躍高めた「世紀の転換期の社会学」は、つぎの世代に正しく受け継がれ展開されなかった。まず、ジンメルはユダヤ人であることがわざわいして晩年まで正教授になれなかったし、ウェーバーは中期に神経症をわずらったため、大学教授として系統的に後継者を育成することがほとんどなかった。社会学に対する二人の大きな影響力はおもに講義と著作によって生じたものだった。これがかれらの社会学理論の全体像を限定的なものにした▼1。
社会学草創期としては例外的存在であるデュルケム学派も、一時は少壮の研究者をあつめ壮観たる陣容を誇ったものの、第二次世界大戦によって戦線と収容所で多くの命をうしない、失速せざるをえなかった▼2。
(3)ユダヤ系社会学者の追放と亡命
そもそもユダヤ人社会学者には独創的な巨匠が多い。マルクスもジンメルもデュルケムもユダヤ系だった。ユダヤ人はヨーロッパ社会ではマージナルな位置におかれていたから結果的に社会の「自明性を疑う」ことになるからだろうか。「世紀の転換期」も反ユダヤ主義が横行した時代だったのだが、さらに一九三〇年代ナチスの台頭と政権奪取によって多くのユダヤ人知識人が公職から排除されイギリスやアメリカなどに亡命をよぎなくされた。ホルクハイマー、アドルノ、マルクーゼ、フロム、ベンヤミンといったそうそうたる陣容を見せつつあった「フランクフルト学派」の人たち、またアメリカの社会調査研究の礎をきずいたラザースフェルド、文化社会学のマンハイムやクラカウアー、そしてアメリカにおける現象学的社会学の祖となったシュッツといった人たちがそうである。ベンヤミンのように亡命を試みる途中で死を選ばざるをえなかった人もいた▼3。
(4)社会主義社会の社会学
一方、社会主義社会も社会学を嫌った。古くは一九三八年にブハーリンがスターリンによって粛清[銃殺]されている。ブハーリンはロシア革命の主役クラスの革命家であり、『史的唯物論――マルクス主義社会学の一般的教科書』などでマルクス主義と社会学を大胆に結合した社会学者でもあった。じつはレーニンは初期にマルクス主義理論を「科学的社会学」とさえ評していたが、ロシア革命後は社会学をもっぱら非歴史的かつ非弁証法的なブルジョア社会理論とみなしていた。ブハーリンがスターリンとの権力闘争に敗北して以降、ブハーリンが史的唯物論にあたえた「社会学」ということばはアンチ革命主義理論のレッテルとして使われることも多かった。スターリン時代は社会学にとっても冬の時代だったわけだ▼4。中華人民共和国も革命直後から社会学と人口学を禁止した。これは一九七九年までつづいた。また東欧ではマルクス=レーニン主義の教条化にともなって自説の変節にいたったルカーチの例もある。しかしソ連および東欧諸国では史的唯物論の硬直化を打破するためであろうか、「スターリン批判」後の一九五〇年代後半にようやく社会学が解禁になり、経験的調査研究がなされるようになった。旧ソ連のゴルバチョフ大統領のライサ夫人は、この戦後社会学復権後の第一世代にあたる。
民主主義と社会学の選択的親和性
これまで社会学史上の曲折を見てきたが、社会学はその社会の中心的価値をも相対化する――自明性を疑う!――一種の知的ラディカリズムを内包しているため、社会の保守層とその政権から疎まれやすいといえそうだ。バーガー夫妻はこの点をはっきりと指摘している。「社会学は、批判的な知的情報を社会に応用するものとして、デモクラシー――すなわち、社会的紛争と社会問題を暴力に基づくのではなく合理的な説得の手段によって解決しようという前提を基礎とする政治形態――にもっともなじむ学問である。非民主主義的体制は、『右翼』的であろうが『左翼』的であろうが、本能的に社会学を嫌悪する傾向がある。これに対して、社会学は逆に、政治体制が民主的な思想と一定の現実的関係をもつところで、最もよくその発展をとげてきたのである▼5。」わたしはこのことをウェーバーにならって「民主主義と社会学の選択的親和性」と呼んでみたい気がする▼6。社会学が自由に研究され学ばれる社会に、たまたまわたしたちが生きていることを、まずはかみしめなければならない。
各論の構成
ここで本書の基本構成とその基本的な論点を示しておこう。
(1)社会学論――社会学の特徴的な発想法を社会学的作品世界に即して説明し、社会をみる目を複眼にする。総論編にあたる。
(2)人間論――個人の自我・アイデンティティが他者との関係の産物であることを提示し、人間の社会性と自由の関係を考える。
(3)コミュニケーション論――コミュニケーションを、送り手ではなく受け手の第一次性においてとらえなおす。
(4)集団論――人と人とのつながりが多層性をもつことを組織と家族について考察する。
(5)文化論――記号消費時代の文化現象の合理性と非合理性について具体的に考えなおす。
(6)権力論――国家権力中心の権力観から脱し、権力が身近な生活の場に宿っていることを、社会的弱者の視点から概観する。
(7)社会問題論――だれにとって「問題」なのかを中心に、とくに医療現場と関連の深いテーマを題材に考える。
ところで、社会学が抽象的な議論に走り、生身の人間の生活する社会の実態から遠くかけ離れてしまう傾向に対して、「社会なき社会学」という批判が発せられることがある。「社会なき社会学」はまだ罪がないといえようが、「社会学なき社会」の方は、少なくとも二〇世紀の歴史をみるかぎり、あまり望ましいものではない。そうした社会にしないために必要なことを読者が自分なりに考え始めるきっかけになるならば、社会学も〈思想的意義をもつ科学〉として存在意義をもつことになろう。
▼1 アルノルト・ツィンゲルレ、井上博二・大鐘武・岡澤憲一郎・栗原淑江・野村一夫訳『マックス・ウェーバー――影響と受容』(恒星社厚生閣一九八五年)。
▼2 このあたりの事情については、内藤莞爾『フランス社会史研究――デュルケム学派とマルセル・モース』(恒星社厚生閣一九八八年)参照。
▼3 二十世紀前半の亡命知識人の詳細についてはマーティン・ジェイのドキュメンタリーなふたつの研究が群を抜いている。荒川幾男訳『弁証法的想像力』(みすず書房『九七五年)。今村仁司・藤澤賢一郎・竹村喜一郎・笹田直人訳『永遠の亡命者たち――知識人の移住と思想の運命』(新曜社一九八九年)。またルイス・A・コーザー、荒川幾男訳『亡命知識人とアメリカ――その影響とその経験』(岩波書店一九八八年)とくに「III社会学と社会思想」。
▼4 佐野勝隆・石川晃弘「ブハーリン『史的唯物論』解説」ブハーリン『史的唯物論』(青木書店一九七四年)。
▼5 P・L・バーガー、B・バーガー、安江孝司・鎌田彰仁・樋口祐子訳『バーガー社会学』(学習研究社一九七九年)四〇八ぺージ。
▼6 これは日本の社会学史にもそのまま該当する。戦前の日本では「社会主義」と混同されたり、日本の土着的構造にとって外来の概念である「社会」を研究対象とすることから「非日本的な」学問とみられ、ずいぶん肩身のせまい思いをしたという。社会学を専攻しているという理由で縁談を断わられたという話もあるくらいだ。まして「労働」とか「階級」などの研究は不可能だったという。この状況ががらっと変わったのは戦争が終わってからだった。尾高邦雄「デュルケームとジンメル――近代社会学の建設者たち」世界の名著『デュルケーム/ジンメル』(中央公論社一九八〇年)所収。
増補
近代社会と社会科学
社会学が「近代社会の自己意識」ともいうべき存在であることはよく知られている。しかし、その具体的内実が社会学史の教科書にきちんと描かれてこなかったのではないか。これまでは一種の社会学中心史観ともいうべきものによって社会学史が描かれてきた。しかし、ほんとうに知る必要があるのは、社会科学全体の歴史のなかで社会学が独自の分岐線を描いたという事情ではないだろうか。ウォーラーステイン+グルベンキアン委員会『社会科学をひらく』山田鋭夫訳(藤原書店一九九六年)を読むと、そう感じる。詳しくは、ウォーラーステイン『脱=社会科学――一九世紀パラダイムの限界』本多健吉・高橋章監訳(藤原書店一九九三年)に展開されているが、『社会科学をひらく』の方が簡潔で、その分、構図を理解しやすい。
このような社会科学史は、従来の(そして現在の)大学のカリキュラムの空白地帯をなしているので、ぜひ押さえておいてほしい。「社会とはなにか、社会学とはなにか」という問いに対するひとつの信頼しうる解答ではないかと私は考えている(もちろん問いの適切さについての評価もふくめて)。
言説としての社会
7―2で整理した「社会についてのメタファー」について若干補足しておこう。
たとえばヴァーチャル・リアリティということばが拡大使用されるようになった背景を考えると、そこには、これまでの素朴な現実感覚つまり「現実へのゆるぎない確信」がゆらいでいるという認識がある。
このような認識は社会学では広く共有されており、それが一連の「日常生活の社会学」を支えてきた。それが最近では具体的なイシューについて社会史的に現実構成過程を説明しようとする構築主義的な分析の隆盛につながっている。
構築主義では、社会的現実を構築するのは個々の言説(語られたことば)である。言説が人びとの意識や観念の枠組みをあたえ、行動を一定の方向に導き、社会的現実を構築し、言説のリアリティを補強する。構築主義は社会的現実の虚構性を強調するのでなく、むしろそうした現実のリアリティを構築する人間たちの活動に照明を当てるものである。このような見地から社会学独自の視角を解説したテキストとして、磯部卓三・片桐雅隆編『フィクションとしての社会――社会学の再構成』(世界思想社一九九六年)がある。
社会学概説書
社会学論の最後にあたり、広範囲を網羅した概説書および講座物を三点あげておこう。
まず先述の、アンソニー・ギデンズ『社会学(改訂新版)』松尾精文ほか訳(而立書房一九九三年)。脱社会学的な動向をすべてきちんと押さえた社会学教科書の新しいスタンダード。刊行後も熱心に改訂が施されている。
日本の社会学者によるものでは「岩波講座 現代社会学(全二六巻 別巻一)」(岩波書店一九九五―九七年)。ただし、あまりに多数の執筆者がいるために系統的な内容構成にはなっていない。しかし、社会学のテーマの多様さを実感したり、視点の置き所を探るのによい講座であり、読者に親切な設計になっている。いずれにせよ現状の日本社会学の雰囲気を反映したもの。
本編の社会学論で説明したような、理論的かつ方法論的な議論については「岩波講座 社会科学の方法(全一二巻)」(岩波書店一九九三―九四年)が役立つ。経済学や国際学の動向も社会学と密接につながっていることを理解するのに適した理論派の講座。こういうことは社会科学全体の文脈のなかで考えるべきだろう。「社会科学の社会学化」の潮流も実感できる。
上記三点について残念なのは索引がないことだ。むしろこれは昨今の日本の出版界の傾向というべきだろうが。
このほかに研究対象の特殊性によって社会学を定義するオーソドックスな概説書としては富永健一の一連の著作がある。最近のものでは、富永健一『社会学講義――人と社会の学』(中公新書一九九五年)と、富永健一『近代化の理論――近代化における西洋と東洋』(講談社学術文庫一九九六年)がある。後者はたんに近代化論をまとめた本ではなく、社会学の基礎理論との緊密な連結を意識して組み立てられている。その意味では「社会学とは何か」という問いに対する真摯な解答書と見ることもできる。
最後に、雑誌感覚の編集で社会学を解説した入門書を。AERAMook『社会学がわかる。』(朝日新聞社一九九六年)である。週刊誌の別冊らしいつくりで、社会学者という「人」がはっきり見えるのが最大の特徴。進学を決めるさいの目安になるかもしれない。このシリーズの宗教学・マスコミ学・国際関係学なども社会学系をふくんでいる。
Prev←■→Next
現在地 ソキウス(トップ)>社会学感覚
SOCIUS.JPドメインへの初出 8/4(Sun), 2002  最終更新日:4/1(Sat), 2017
このページのURLは http:///Users/nomurakazuo/Dropbox/socius.jp/lec/07.html
Copyright (C)1995-2015 by Kazuo Nomura(野村一夫) 無断転載はご遠慮ください。リンクはご自由に。
Valid XHTML 1.0!Document type: XHTML 1.0 Transitional
閲覧日 4/1(Sat), 2017

Read More

4月 12017

社会学感覚6同時代の社会問題に関わる

Socius  ソキウス   著作+制作 野村一夫

フロントページ


現在地 ソキウス(トップ)>社会学感覚
社会学感覚
6 同時代の社会問題に関わる
6-1 実践的志向
全体的認識と実践的志向
第四章で説明したように、社会学の初発的動機は「社会をまるごと理解したい」という全体的認識への志向にあった。しかし、注意しなければならないのは、それがたんに理論的抽象性をめざすものではなかったということだ。
社会学の名づけの親であるオーギュスト・コントは、社会主義運動家として名高いサン・シモンの弟子だった。コントは宇宙論的スケールで社会学を構想した人だったが、その思いはむしろ実証的精神による社会の再組織にこそあった。「予見するために見る」(voir pour prevoir)というかれのスローガンは、これを端的に示したものである。
同じ十八世紀半ば、若きマルクスもジャーナリズムと共産主義運動に深く関わりながら、真の人間解放をめざす実践的関心から研究を進めていた。人間の真の解放のために変革すべきものはなにか。それは宗教でもなく政治でもない。現実の人間の生活そのものだというのがかれの唯物史観の示す方向だった。こうして中期後期のマルクスの実践的課題はもっぱら「市民社会の解剖学」に向けられることになったのである。
このように理論的に社会を全体的に認識しようとする初期の社会理論は、密接に実践的志向と連動していた。
社会問題への理論的歴史的関心
ジンメル、ウェーバー、デュルケムの「世紀の転換期」の世代は、むしろこうした直接的な実践的志向に対して冷淡だった。かれらのエネルギーと才能はもっぱら「学としての社会学」の確立に向けられた。しかし、かれらの研究がアカデミズムに徹したものだというためには、むしろアカデミズムの概念を変えなければならないだろう。
デュルケムは一八九七年に『自殺論――社会学研究』を公にした。自殺がプライベートな病気と考えられていた時代にあって、かれはそれがれっきとした「社会の問題」であることを明晰に証明した。また「正常と異常」に関する議論を通じて「異常」という現象が社会的なものであることを説得的に提示したのもかれだった。その理論的帰結のひとつである「犯罪は社会の正常な現象である」という斬新なテーゼは今日の社会問題をあつかう上でも重要な観点であるが、これは当時ヒステリックな反対をアカデミズム内外にひきおこすことになった。
一方、ジンメルも従来の社会科学がタブーとしてきた人間的現象や低級なテーマとみなされて放置されてきた諸問題を積極的に論じた。そもそも宗教がそうであったし、流行や党派形成やコケットリー[媚態]や都市生活者のメンタリティもそうだった。たとえばかれが一九〇〇年の『貨幣の哲学』であつかっていたのが、個人の自由の問題であり殺人賠償金であり浪費であり売春であり倦怠であり生活のリズムだったことは、ジンメルが直接的な実践的志向から一線を画しながらも、同時代の社会に生起するさまざまな現実へのなみなみならぬ知的関心をものがたっている▼1。
また、もともと社会政策的な関心からその学問的生涯を始めたウェーバーは政治的実践志向を強くもっていた人で、じっさい多くの政治問題にも関わった。しかし、こと社会学研究に関しては「価値自由」(Wertfreiheit)という立場を提唱することによって、かれもまた直接的な実践的志向と一線を画した▼2。政策的な観点とも運動的な観点とも距離をとることはむずかしいことだが、社会学の確立はこれなしにはありえなかった。
このように三人の共通点は、ともに先行世代のもつ理論と実践のロマンティックな混交に対して反発したことである。認識が生活実践上の要請として存在することを十分承知した上で、かれらは社会におけるさまざまな諸問題を、熱い革命家や功利的な政治家からとりもどし、冷徹な観察と理論科学的な手続きにゆだねることを要求したのである。
実験室としての都市
ヨーロッパでこのような知的革新がなされていたとき、草創期のアメリカ社会学では、まだ実践的関心が理論的認識から区別されていなかった。「社会学が初めてアメリカ合衆国に入ってきた時、それは、社会改良運動に近かった」「初期の大学における社会学の教育課程は、さまざまな改良運動に関心を持ったプロテスタントの牧師たちによってなされることが多かった」というラザースフェルドの指摘はそれをものがたっている▼3。
二十世紀初頭になって、ジンメルらの新しい社会学の影響をうけた世代が中心になり、アメリカにも新しい流れができる。第三章でくわしく紹介したシカゴ学派がそれである。かれらは現前の都市社会をひとつの社会学的実験室とみて、つぎつぎに族生するさまざまな都市問題のただなかに身を呈した。そのおもに参与観察的な踏査による研究は、それまでの社会改良・社会政策・社会変革の実践的意図をもった研究とはやはり一線を画すものだった。共感的でありながら同化せず、実践的でありながら知的合理性につらぬかれていた。
このように社会学における理論と実践の関係は単純ではない。ただいえるのはエートスとしての実践的志向が、自律した理論的認識への希求を牽引してきたということだ。したがって「同時代の社会問題に関わる」といっても、社会学者の努力はもっぱら「見る」ことに徹する観照=理論的実践という醒めたスタイルへ向けられてきた。だから、実業界や実務担当者にとって社会学は「すぐ役に立たない」科学であり、運動家や革命家からは「ブルジョア的アカデミズム」と非難されてきた。原則的に社会学はただ警鐘を鳴らすだけである。これを限界とみるか戦略とみるかの判断は、それを学ぶ人にゆだねられている。
政策的関心・臨床的関心・運動的関心
ここで社会科学一般において理論と実践がどのように関連づけられているかについてかんたんにふれておきたい。
すでに第一章の「社会のトリック、社会学のトリック」の項で説明したように、社会についての理論的認識はなんらかの形で研究対象たる社会そのものへと還流することになる。社会の理論的認識それ自体が社会の営みの一環なのである。
このような認識にたつと、社会の科学には立場によってさまざまな実践的関心のあることも納得できると思う。そのおもなものはつぎの三種である。
(1)政策的関心――政府と行政など統制者サイドの観点から社会問題を研究し、その成果を具体的な政策に生かす。失業問題・労働問題・都市問題・過疎問題・移民問題・民族問題などはおもに政策的関心から研究される。都市計画や社会工学などはもっぱらこの種の関心にもとづいている。
(2)臨床的関心――非行・犯罪・教育問題・老人問題・家族病理・アル中・精神病理などの社会病理現象を科学的に診断し、治療と問題解決の方途をさぐる。医学の応用部門としての臨床医学のように、個々の具体的な問題に対する臨床的な処方箋をエキスパート[専門家もしくは専門職]に提供する。
(3)運動的関心――統制者サイドでも専門家サイドでもなく社会運動の主体の立場から社会問題を科学的に設定し分析する。公害告発運動・環境保護運動・教育改革運動・差別解放運動・権利要求運動・女性解放運動・消費者運動など、おもに社会的弱者=民衆の立場から問題提起する。
このように実践的関心といってもさまざまであり、しかもそれによって「なにが社会問題であるか」微妙に――ときには大きく――ちがってくるし、「実践」の内容も主体[担い手]もちがってくるわけである。現状の社会学でも三種の実践的関心がいりみだれていて、とくにどれが主流とはいえない状況にある。もちろん、こうした実践的関心から遠く距離をとった研究も多い。これからの社会学がこれらの実践的関心とどのような関係にあるべきか、また社会学を学ぶ人は社会学からどのような可能性をくみとれるかを念頭におきながら、社会問題の定義について考察していきたいと思う。
▼1 ジンメル、居安正訳『貨幣の哲学(綜合篇)』(白水社一九七八年)。
▼2 ウェーバー「社会学・経済学における『価値自由』の意味」出口勇蔵・松井秀親・中村貞二訳『完訳世界の大思想1ウェーバー社会科学論集』(河出書房新社一九八二年)。
▼3 P・F・ラザースフェルド、J・G・レイツ、A・K・パサネラ、斉藤吉雄監訳『応用社会学――調査研究と政策実践』(恒星社厚生閣一九八九年)二-三ぺージ。
6-2 社会問題とはなにか
社会問題論のキーコンセプト
そもそも社会問題(social problems)とはなんだろうか。
社会問題についての理論を社会問題論と呼ぶことにすると、社会問題論には多様な考え方がある。このうち二十世紀にあいついで登場し流行した考え方をキーワードごとに整理してみよう。
(1)社会病理――社会は生物有機体のようなものだとする社会有機体説にもとづいて、生物の病気にあたるものを社会病理現象とする。一九二〇年代アメリカ社会学に流行し、やがて一般化した概念。これにもとづいて社会の病理現象を研究する部門を社会病理学(social pathology)という。
(2)アノミー(anomie)――「こうなりたい」「こうしたい」という人びとの欲求が異常に肥大化し、その欲求を満たすために必要な充足手段とのあいだにバランスが失われてしまうことによる無規制状態のこと。デュルケムの「アノミー的自殺」概念に由来する。
(3)社会解体(social disorganization)――習俗や慣習によって社会がその成員を統制できない状態になること。とくに新興都市に典型的にみられたため一九二〇年代から三〇年代あたりにシカゴ学派などによって使用された概念。スラムやギャング団のように社会全般の道徳的秩序と異なる独自の集団や地域が問題となる。
(4)逆機能(dysfunction)――社会システムの維持存続に貢献すべき部分要素が、その機能を適切に果たしていないか逆に脅かす作用をしていること。一九五〇年代から機能主義の一般化にともなって使われるようになった。たとえば、もっとも合理的とされる官僚制組織が「規則万能主義」「ことなかれ主義」「なわばり主義」に陥って硬直化した側面をみせるとき「官僚制の逆機能」という使い方をする。
(5)逸脱(deviance)――社会の規範が想定するスタンダードからはずれた行動をとること。「同調」と対概念になる。「逸脱行動」(deviant behavior)という使い方をする。「異常」や「病理」よりもこちらの方がより中立的であり、最近の社会学でよく使われる。
(6)レイベリング(labeling)[社会的反作用(social reaction)]――社会集団は、それを犯せば逸脱となるような規則をつくり、これを特定の人びとに適用してアウトサイダーのラベルを貼る。そして貼られた人・行為・集団が「逸脱」として問題化されるという考え方。機能主義理論に対抗する考え方として一九六〇年代以降広く使用されるようになった。
いずれも現在なお現役のとらえ方であり、さまざまに組み合わされて用いられることも多いので、あえてバラして整理してみた。わたし自身は「レイベリング」というとらえ方にひかれてきたが、「アノミー」や「逆機能」といった概念の方がとらえやすい問題[たとえば自殺]もあって捨てがたい。また「逸脱」は行為をあらわすのに適しているが、ウェーバーのいう意味喪失の問題やマルクスの物象化の問題のような社会全体の問題をあらわすときには適当ではない。これらについてはマルクスの「疎外」概念をつけくわえるといいかもしれない。「社会病理」概念はかねてよりそのイデオロギー性が批判されてきたが▼1、日本では特定のフィールドをもつ研究者や実務者によって今なお支持されつづけているようだ▼2。
ともあれ以上の諸概念は相互に重なりあう面もあり、またくいちがう面もあるが、社会学感覚の点からいえば複眼的であるにこしたことはないだろう。さしあたって社会問題の定義をあらかじめせばめておくメリットはないからだ。
社会問題と価値判断
さて「なにが社会問題か」となると、じつはむずかしい問題がひかえている。
たとえば「社会病理」というときには一定の「正常な」状態が想定されていなければならない。「逸脱」も一定の基準や社会的ルールを想定しなければ、そこからはずれたかどうかわからないはずである。「社会解体」も既存の社会秩序を基準にして判断される事態であり、それがじつは「社会変動」の一局面にすぎないとする見方もありうるし、「解体」地域を自律的なサブカルチャーとして認知することも可能である。その意味で「なにが社会問題か」の判定は、なんらかの価値判断をふくむのである。
問題は当然のことながら、このような価値判断が絶対的なものではないということだ。偏見にもとづくものかもしれないし、イデオロギー的かもしれない。かつては、主流だったかもしれないが、現在では少数派かもしれない。支配者にとっては妥当かもしれないが、民衆にとっては抑圧的かもしれない。その国では一般的でも、その国のある地域では特殊かもしれない。また世代や宗教によってもさまざまである。その例をいくつかみることにしよう。
たとえば家族病理というカテゴリーがある。これは家族成員間の不和や葛藤・家出・離婚・別居・単身家族・老人介護問題・家庭内暴力などを「病理」とみなす考え方である。たとえば「片親家族」は、かつて「欠損家族」「問題家族」と呼ばれ、病理的なものに位置づけられてきた。しかし、このさいなにを家族病理とみなすかは「家族はどうあるべきか」という価値観すなわち「結婚生活はどうあるべきか」「離婚は破綻か解決か」「親と子の理想的な関係は」といった家族観によって大きく左右されるのであって、家族病理の定義にとって問題なのは、むしろ「健全家族」の概念なのである。このように、社会問題の定義そのものがじつは文化現象であり、あくまでも相対的なものだとの基本認識から始める必要がある▼3。
視点の闘争
じっさい社会問題の定義は多面的な様相を呈している。たとえば最近のマンガの性描写は、その多くの読者にとってはごくナチュラルなものだが、一方には、それを「有害図書」として告発する母親たちのグループがあり、摘発する警察がある。じつはその告発自体が表現の自由を制限する点で問題たりえるのだが、ふつう告発側にその認識はない。両者の利害対立が社会問題の定義にそのまま反映している例である。
また時代によって定義の異なる場合も多い。たとえば教育界における体罰は学校教育法で明確に違法行為とされているが、現実に社会問題化したのは比較的最近のことである。かつて教師と親たちはともに体罰を許容する点で共通していたが、近年それがくずれ、さらに第三者の観察によって実態が一般に認識されてきたことによって社会問題となった。学校教育問題はおおむねこの道筋を通っている。また老人問題はいうまでもなく年をとることが問題ではなく、かつて老人の扶養介護を担ってきた家族がもはやその役割を負えなくなってきたから社会問題となってきた。だから、老人をめぐる社会環境の変化が、問題の定義を変えたのである。
喫煙問題は法律的には二十才未満に生じるが、現実には高校を卒業すれば問題にされない。しかし、肺ガンとの関連を示す科学的データがでて以降、副流煙が社会問題化し、嫌煙運動が高まり、職場や公共機関での分煙化がすすみつつある。つまり、タバコも法律も変わらないが社会問題の定義が変わったわけである。同性愛差別の問題もこれに似ているが方向は反対だ。六〇年代アメリカにおける反差別運動によって同性愛者への差別はやわらいだかにみえたが、八〇年代のエイズの衝撃からふたたび不当な差別が強まり深刻な社会問題になった。この場合、同性愛が問題とされたが、同時にかれらへの差別が社会問題なのである。
このように価値観の対立が深刻な結果をおよぼす例はほかにもある。「エホバの証人」信者の輸血拒否問題はその典型である。これは医療関係者からすれば患者の死をともなう大問題であるが、当事者にとっては生と死に関する宗教的信条にもとづくものであり、むしろそれが医療現場で尊重されないことが問題となった▼4。
これらは「だれが社会問題の判定者か」という問題にも密接につながっている。当事者か、一般の人びとか、行政サイドの統制者か、それとも第三者の観察者か。また問題を告発するのはジャーナリズムか、世論か、社会学者のような専門家か。このように社会問題を考える上では〈視点の闘争〉といった状態にまきこまれるのを覚悟しなければならない。
公式的見解
「視点の闘争」に関していくつかの主要なファクターをとりあげておきたい。
まず第一に指摘しておきたいことは、これまで多くの社会問題は公権力によって定義されてきたということだ。つまり社会問題は中央政府によって政策的関心から認知され定義された問題であることが多い。失業・貧困・都市・移民・犯罪・非行などの問題は政府や行政当局が政策をおこなう上で、そのつど定義してきたものである。したがって、そこにはかならず「公式的見解」(official conception)がふくまれている▼5。これはすでに一定の価値判断を前提している。つまり、あるものごとが公式的見解通りにうまくはたらかないことが「問題」だとする行政当局者や管理実行者[役人・法律家・教師・警官など]の視点――道徳や意識――をすでにふくんでいる。そのためオフィシャルに定義された「社会問題」の枠組では、ほんとうの当事者――つまり「問題」とされた人びと――の視点がぬけおちることになりがちである。
すでにふれたシカゴ学派の数々のモノグラフは、そうした公式的見解からはみえてこない社会の側面にアプローチしようとする社会学のエートスが愚直に実行されたものだったといえよう。つまり「一般市民」から問題とされている人びとの意味的世界を理解しようという一種の「インサイダー主義」が全面に押しだされたものだった。この点についてバーガーは法律家と社会学者を対照させてつぎのようにのべている。「法律家の関心は、状況の公式的見解とでも言うべきものに向けられている。これに対して、社会学者はしばしばまったく非公式的な見解を取り扱う。法律家にとって本質的な事は、法律がある特定のタイプの犯罪者をどのように見るのかを理解することである。社会学者にとっては、犯罪者が法律をどのように見ているかという事も、それに劣らず重要である▼6。」大新聞が標榜するような「客観中立」などありえないという現実的認識に立つかぎり、社会学はこのように多面的かつ相対主義的に問題の全体性をとらえることによって〈明識〉としての科学性を確保しなければならないだろう。
状態ではなくプロセスとしての社会問題
ある種の行為や集団がもともと「悪」「異常」「有害」「病理」「逸脱」であるという前提から出発できないことが、社会学的社会問題論独特の出発点をなす。
社会問題は結局、人びとがどのように意味づけるかによって変わってくる。この点についてはデュルケムの古典的なつぎのテーゼがすでに社会学の出発点を明確に語っている。「われわれはある行為、それが犯罪だから非難するのではない。われわれが非難するから犯罪なのである▼7。」この徹底的にプラグマティックな――別のいい方をすれば即物的な――思想こそ社会学特有の発想法である。
この発想法から一般化すると「社会問題とは、人びとが社会問題と考えるものである」という定義にたちいたる。これはつまり社会問題の主観的定義そのものも研究対象となるということだ。要するに、社会問題をある客観的な状態ととらえるのではなく、ある客観的状態とそれについての主観的定義をめぐる人びとの一連の活動のプロセスとしてとらえるのである▼8。
ある状態が社会問題かどうかは、ある程度はその社会の常識や通念によって判定される。その意味で人びとのもっている常識や通念――これらは世論として実体化される――は重要である。しかし常識には限界があることを忘れてはならない。いってみれば、常識はひきさかれている。これは第一に、同じ社会状態がある人びとには社会問題として、一方、他の人びとには快適な事態として定義されるという事態をさす。第二に、社会のメンバーが平等に判定するわけでなく、どうしても権威と権力の戦略的地位をしめる人びとの判断が高いウェイトをもつということだ。その意味で常識のもつ権力性も考慮しなければならない。第三に、人びとがありのまま事態を認識し、自己の利害に忠実な判断を下すとはかぎらないということ。ハバーマスの「システムによる生活世界の植民地化」の展望が示すように、人びとはしばしば自己欺瞞におちいる▼9。現実の社会問題に関わるとき、社会学が見極めねばならないのは、このプロセスである。
触媒機能を果たすもの――社会運動・ジャーナリズム・科学
ある状態が社会問題になるプロセスで重要なファクターとなるのは、公式的見解と常識ばかりではない。世論形成という形で重要な触媒のはたらきをするものがほかにもある。社会運動とジャーナリズムそして科学である。
社会運動(social movement)は主として私的トラブルと公共のイシューを結合するところがら生じる。たとえば、差別を受けている人びと・騒音に悩まされている人びと・不当な労働条件ではたらいている人びと・自由を束縛されている人びとなどが、自分の身に生じた私的なトラブルを、自分自身の行為の結果ではなく社会のしくみの結果として認識し、これを改善しようとする努力から始まる。また環境保護運動のように直接的に自己の利益を守るためではなく、社会正義や政治理念・倫理的要請から生じる場合も多い。いずれにせよ社会運動は現代の社会問題の主役級の役割を果たすようになっている。
ジャーナリズムの役割も同様である。世論形成上の強力な機能はもちろん、長期的には社会意識を大きく左右する。とくにジャーナリズムは日々のニュース・ヴァリューの判定を通じて「今なにが問題とすべきテーマか」を定義する点で非常に強い影響力をもつことがわかっている▼10。
ジャッジの役割をするのが科学である。自然科学は公害認定などのさい決定的な役割を果たすし、政治学・法律学・経済学などの制度化された社会科学は、社会問題を判定する上で一種の正当化機能を担う▼11。
▼1 そのもっとも古典的なものとして、ライト・ミルズ、青井和夫訳「社会病理学者の職業的イデオロギー」I・L・ホロビッツ編、青井和夫・本間康平監訳『権力・政治・民衆』(みすず書房一九七一年)所収。
▼2 この概念への支持の強さは一九八五年に日本社会病理学会が設立されたことにみることができる。その活動は毎年『現代の社会病理』(垣内出版)として出版されており、社会病理学の立場への問い直しがさかんになされている。
▼3 仲村祥一『生きられる文化の社会学』(世界思想社一九八八年)III「文化としての社会問題」参照。
▼4 この問題を正面から社会学に分折した論考として、市野川容孝「死の位相――信仰は医療に優越するか」吉田民人編『社会学の理論でとく現代のしくみ』(新曜社一九九一年)がある。ルポルタージュとして、大泉実成『説得――エホバの証人と輸血拒否事件』(講談社文庫一九九二年)。
▼5 P・L・バーガー、水野節夫・村山研一訳『社会学への招待』(思索社一九七九年)四六ページ。
▼6 前掲訳書四六ページ。
▼7 デュルケーム、田原音和訳『社会分業論』(青木書店一九七一年)八二ページ。ただし命題風に訳しなおた。
▼8 さらに一歩ふみこんで、社会問題を「ある状態についてクレイムを申し立てる個人や集団の活動」すなわち「クレイム申し立て活動」(claims-making activity)として定式化しなおす興味深い試みがある。J・I・キツセ、M・B・スペクター、村上直之・中河伸俊・鮎川潤・森俊太訳『社会問題の構築――ラベリング理論をこえて』(マルジュ社一九九〇年)。
▼9 7-1参照。
▼10 11-2参照。
▼11 以上のことがらは、第二二章で具体的に展開しておいたので参照されたい。
6-3 時代診断の学としての社会学
社会学の役割――潜在的社会問題の発見
では、社会学はこのプロセスのなかでいかなる役割を担いうるのか。ロバート・K・マートンはこれを「潜在的社会問題の発見」に求めている▼1。
たとえば、百数十人の犠牲者をだした航空機事故は大きく報道され、徹底的に分析される。ところが毎日同じ数の犠牲者を間断なくだしつづけている自動車事故がこれだけのあつかいをうけることは少ない。後者は統計してはじめてわかる事態であり、可視性にとぼしい。これは国外の数万人の死者よりも国内の数十人の死者の方が人びとに衝撃をあたえることがあるのと同様だ。このことは「人間の悲劇の客観的な重要性」と「この悲劇に対する人びとの知覚」に不均衡があることを示している▼2。
このため、一方には社会の一定の人びとが望ましくないと判断する社会状態があり、他方、そのさまざまな結果が知られるようになってはじめて望ましくないと判断される社会状態が存在する。前者を「顕在的社会問題」といい、後者を「潜在的社会問題」という▼3。社会学はこの潜在的社会問題を顕在化させる役割を果たさなければならないというのがマートンの見解である。
しかし、わたしたちは社会問題についての社会学の役割について過大評価しないようにしなければならないとマートンは戒めてもいる。「行為のありうべき結果に関する新しい客観的知識を得たからといって、ひとはただちにこの知識に照らして行動するとは限らないし、社会学の素養をもったからといって、ひとは賢明になり思慮分別をもつようになるとは限らない。しかし、社会学的な研究によって潜在的な社会問題の実体を次から次へと暴露し、また顕在的な社会問題を究明することによって、ひとは自分たちの集合的な行為や制度化された行為の所産をますます説明することができるようになるのである▼4。」社会学が提供する知的自由とはこのようなことではないかとわたしは思う。
社会学的時代診断
社会学の歴史のなかで通奏低音のようにたえず演奏を牽引してきた実践的志向は以上のような社会問題論として大きく花開いたといえる。じっさい社会学の各研究領域のなかで社会問題に関するものは質量ともに充実しているし、これからますますその傾向は強まるだろう。
社会問題論としての社会学は、この章のはじめにあげた三つの実践的関心――政策的関心・臨床的関心・運動的関心――のそれぞれについて、〈分析〉〈診断〉〈反省〉の役割をになうものとして位置づけることができる。問題解決のための具体的な〈政策〉と〈治療〉と〈運動〉とは一線を画しながらも、知的誠実性によって現状を〈分析〉し〈診断〉し〈反省〉する知識を提供できるということだ。これこそ社会学研究の実践的課題であるといえる。そしてこうしてえられた社会学的知識が、それを学ぶ者によって間接的に〈政策〉〈治療〉〈運動〉といった問題解決のための諸実践に生かされればいいのだ。
カール・マンハイムは「社会学的時代診断」(soziologische Zeit-diagnostik)ということばで社会学のこの役割=実践的課題を表現した。ただしマートンとちがってマンハイムは同時代に対して評価的態度で臨み「戦闘的民主主義」の立場から「民主的計画」という社会計画構想を展望するところまで踏み込んだのだが。
社会学において「現代社会論」といわれる分野もこれとほぼ同じ動機をうけついでいるといえよう。「現代社会論」とは大衆社会論・産業社会論・脱産業社会論・情報化社会論・管理社会論・消費社会論などのように、特定の特殊現代的傾向をとりあげることによって現代社会の時代診断を試み将来的展望を模索する社会理論のことをいう。これらは時事的な問題と密着して「時評」や「論壇」の枠で論じられる一方、行政・企業・専門家の利害遂行に利用されることもあって、科学と思想――これには経営思想などもふくまれる――の狭間に位置することになる。研究者のなかにはこのような価値判断的な領域に足をつっこむのを邪道とみるむきもあるが、知識人として積極的に発言することによって科学的知識を社会に生かそうとする行動的知識人も多い。読者としては批判的に吟味することが必要となるゆえんである。
ロマンティシズムをこえて
さて、同時代の社会間題に関わるさいに生じる問題は、このような価値判断の評価だけではない。もう少し感情的な問題もある。
社会運動の当事者とそれを報じるジャーナリズムは、問題がヴィヴィッドであればあるほど「道徳的十字軍」として一種のロマンティシズムへ走ることがしばしばある。それは社会学も同じだ。ロマンティシズムは往々にして認識をくもらせるばかりか、自己欺瞞・自己満足をまねく。
かつてアメリカの逸脱行動論の第一人者であるハワード・ベッカーが「われわれはだれの側に立つのか」という問題提起をしたことがある。かれによると、社会問題を研究するさい社会学者は結局だれかの観点に立たざるをえないのだから、みずからの党派性を自覚すべきだという。そして権力者の側でなくその反対の極の「負け犬」(underdog)の立場にある人びとの観点に立つべきだと主張した。社会問題の構図でいえば、エリートではなく逸脱者・被害者・弱者の側だ▼5。
これは本書の立場にも近いものだが、ベッカーはいたずらに共感するのではなく客観性をたもつために「感情中立性」を強調した。そのために「動物園管理者のロマンティシズム」に陥る危険性があるとの批判を受け、論争になった。研究調査と称して「負け犬」となった人びとの周辺をかぎまわってその成果を標本のように展示する姿勢は、たしかに動物園管理者や昆虫採集マニアによく似ている。
このようなロマンティシズムは、人間としての苦しみに対する共感にともなうもので、その意味ではかならずしも放棄すべきものではないけれども、社会問題の認識のさいにそれを十分自覚し反省し明示していかないと、科学としての存在意義がなくなってしまう。このあたりがジャーナリズムと一線を画すところである。
そのためには、被害者および政策担当者などの立場にたつ当事者主義をこえる部分がなければならない。これは「まやかしのユートピア主義をさける」ためにも必要なことだ▼6。以前にのべた「インサイダー主義」だけでなく「アウトサイダー主義」もあわせもつことが要請される。
両義性の緊張に耐えること
これはつまり、ものごとを両義性においてとらえるということだ。両義性[アンビヴァレンス(anbivalence)]とは、あるものごとが同時に相反する意味や価値をもつことをいう。善であると同時に悪、危機であると同時に創造、周辺であると同時に中心、秩序であると同時に暴力、主体であると同時に客体――ことに社会的事象はこのような両義性にみちているのである。両義性をみつめ、両義性に耐えることこそ社会学が得意としてきたことである。
以上これまで社会学の問題としていろいろ論じてきたけれども、これらはたんに社会学の問題ではなく、近代社会に生きる者の知的問題であると受けとめてほしい。読者が社会学をめぐる議論を通過するなかで、読者自身が社会学的発想法を生活感覚としてもつことができれば幸いである。
▼1 マートン、森東吾訳「社会問題と社会学理論」『社会理論と機能分析』(青木書店一九六九年)。
▼2 前掲訳書四三〇ページ。
▼3 前掲訳書四二七-四二八ぺージ。
▼4 前掲訳書四二七ページ。
▼5 H.S.Becker,Whose side are we on ?, in: Social Problems14,1967.
▼6 マートン、前掲訳書四二九ページ。
増補
社会構築主義
社会問題の基礎理論として九〇年代の社会学を席巻したのが構築主義(constructionism)である。構築主義という分析視角の核心は、社会問題を「なんらかの想定された状態について苦情を述べ、クレイムを申し立てる個人やグループの活動」と定義するところにある。「ある状態を根絶し、改善し、あるいはそれ以外のかたちで改変する必要があると主張する活動の組織化が、社会問題の発生を条件づける」と考えるわけである[J・I・キツセ、M・B・スペクター『社会問題の構築――ラベリング理論をこえて』村上直之・中河伸俊・鮎川潤・森俊太訳(マルジュ社一九九〇年)一一九ページ]。
構築主義は、ある状態が最初から「問題」と考えないし「客観的に」問題だと定義することもできないとする。それは「問題」と定義するクレイム申し立て活動があって初めて「問題」になると考える。たとえば喫煙問題は、アメリカの反喫煙運動による「悪の創出」過程とそれに対する喫煙擁護勢力との「問題の定義」をめぐるせめぎあいの社会史として記述されるべきものである[ロナルド・トロイヤー、ジェラルド・マークル『タバコの社会学――紫煙をめぐる攻防戦』中河伸俊・鮎川潤訳(世界思想社一九九二年)]。
社会問題論におけるこの視角は今日では「社会構築主義」(social constructionism)として各領域の経験的研究に広く採用されている。家族社会学では家族について語られる言説によって当の家族が構築されるとの視点による研究がある[ジェイバー・グブリアム、ジェイムズ・ホルスタイン『家族とは何か――その言説と現実』中河伸俊・湯川純幸・鮎川潤訳(新曜社一九九七年)]。
また、近年の日本の教育社会学でも構築主義による研究がさかんである。たとえば次の三冊。今津孝次郎・樋田大二郎編『教育言説をどう読むか――教育を語ることばのしくみとはたらき』(新曜社一九九七年)。上野加代子『児童虐待の社会学』(世界思想社一九九六年)。朝倉景樹『登校拒否のエスノグラフィー』(彩流社一九九五年)。このあたりの具体的な方法論については、北澤毅・古賀正義編著『〈社会〉を読み解く技法――質的調査法への招待』(福村出版一九九七年)が論じている。
医療社会学においても医学的知識を社会的に偶発的(contingent)であり社会的に構築されるものと考える研究が紹介され始めている。たとえば、クロディーヌ・エルズリッシュ、ジャニーズ・ピエレ『〈病人〉の誕生』小倉孝誠訳(藤原書店一九九二年)。医療研究の場合は、フーコーの先駆的研究や反精神医学運動の影響が大きいので、必ずしもキツセたちの社会問題論とはつながりがない。
社会問題論のこれらの動向については、徳岡秀雄『社会病理を考える』(世界思想社一九九七年)が概観を与えてくれる。このあたりに興味をお持ちの方は、この本から入るといいだろう。
■社会学的時代診断
本編6―3では「時代診断の学としての社会学」について説明した。社会学を出発点にして具体的なできごとを分析し、価値判断を加えて批評する行為は、科学としての社会学のありようと矛盾しないどころか、むしろそれこそ社会学のエートスだと私は考えている。けれども、そうした活動は大学制度という基盤に立つアカデミズムの世界ではリスクを伴う行為でもある。ステレオタイプなウェーバー解釈のことばを使うと「没価値的」で「禁欲主義的」なスタイルの研究に専心していないと大学世界では評価されないのである。また、時事的な問題はどうしても予想を含むことになる。競馬予想と同様、それは的中するしないにかかわらず、すぐに結果がわかってしまう。それだけに実力が要求される仕事なのである。
その意味で、一九九〇年代の橋爪大三郎と宮台真司の活躍にはすばらしいものがある。ふたりの真骨頂は新聞や雑誌に書かれた鮮度のよいものにあると思うが、ここでは単行本化された主要なものをあげておこう。
橋爪大三郎『現代思想はいま何を考えればよいのか』(勁草書房一九九一年)。橋爪大三郎『民主主義は最高の政治制度である』(現代書館一九九二年)。橋爪大三郎『橋爪大三郎の社会学講義』(夏目書房一九九五年)。橋爪大三郎『橋爪大三郎の社会学講義2』(夏目書房一九九七年)。宮台真司『制服少女たちの選択』(講談社一九九四年)。宮台真司『終わりなき日常を生きろ』(筑摩書房一九九五年)。宮台真司『世紀末の作法――終ワリナキ日常ヲ生キル知恵』(メディアファクトリー一九九七年)。宮台真司『まぼろしの郊外――成熟社会を生きる若者たちの行方』(朝日新聞社一九九七年)。宮台真司『透明な存在の不透明な悪意』(春秋社一九九七年)。
どちらかというと橋爪は政治批評の作法に則っているところがあり、必ずしも社会学的な議論に持ち込もうとはしないようだ。それに対して宮台のエッセイは「社会学では」というフレーズがあたかもそれが作法とでもいうようにでてくる点で、社会学を使うという意欲が感じられる。私自身が若いときには、そういう応用的説明をまるで聴いたことがなく、たいへんいらいらしたものだったが――そしてそれが本書執筆のエートスにもなったのだが――そういう思いが満たされるのはたしかである。
一九六〇年代の日高六郎や清水幾多郎のように、社会学者が論壇で発言し、言論界をリードする時代もあった。それを批判的に見る社会学者が多いのはたしかだが、経済学者や政治評論家や文芸批評家などが中途半端に社会学風の議論をふりまわすのを見るにつけ(そしてそれをウォルフレンのような人が「社会学者はこうだから」と批判するのを見るにつけ)、社会学者の出番はまだまだあると思う。
Prev←■→Next
現在地 ソキウス(トップ)>社会学感覚
SOCIUS.JPドメインへの初出 8/4(Sun), 2002  最終更新日:4/1(Sat), 2017
このページのURLは http:///Users/nomurakazuo/Dropbox/socius.jp/lec/06.html
Copyright (C)1995-2015 by Kazuo Nomura(野村一夫) 無断転載はご遠慮ください。リンクはご自由に。
Valid XHTML 1.0!Document type: XHTML 1.0 Transitional
閲覧日 4/1(Sat), 2017

Read More

4月 12017

社会学感覚4社会現象を総合的に認識する

Socius  ソキウス   著作+制作 野村一夫

フロントページ


現在地 ソキウス(トップ)>社会学感覚
社会学感覚
4 社会現象を総合的に認識する
4-1 社会現象の総合的性格
「プロ倫」の教訓
第三章でくわしく紹介した「プロ倫」はいろいろなことを教えてくれた。思いつくままにあげてみると――
(1)資本主義という巨大なシステムも、それを生みだしたのは人間の行為[禁欲的プロテスタントの禁欲的職業活動]であること。
(2)人間の社会的行為はなんらかの主観的意味にむすびつけられていること。
(3)したがって、社会的な事象を解明するためには、行為者の抱いている主観的意味の理解が必要であること。
(4)行為者の主観的意味はかならずしも客観的結果と一致しないこと。つまり、あくなき利益追求マシーンともいえる資本をつくりあげたのが、もっとも利益追求を卑しいことと考えていた人たちだったこと。
(5)主観的意味といっても、個人的なものではなく、ある程度集合的なものであること。
以上の論点については前章ですでに確認したところである。ここではもう一点だけ論点をくわえておきたい。それは非常に素朴なことだ。
わたしたちは「資本主義の起源」ときいて「ああ、経済の話だな」と思う。資本主義そのものはまぎれもなく経済に関する事象であり、特定の経済体制を指している。しかし「プロ倫」が示すのは、それを推進させたエートス[資本主義の精神]が禁欲的プロテスタンティズム[とくにピューリタニズム]の世俗内禁欲に由来するという意外な結論だった。ここからえられる教訓はつぎのようなものである。すなわち、どんな経済的現象も経済だけから説明することはできないということ。とりあえず「経済だけ」の「だけ」に注意しておいていただきたい。
「プロ倫」の場合は、宗教的側面が経済的現象に対して果たした歴史的役割にしぼって説明したもので、要するに「経済だけ」による従来の説明――このなかには通俗的マルクス主義もふくまれる――が不十分であることを批判する意図をもっていた。ウェーバー自身は別のところではもっと唯物論的な説明もしていて、当然「宗教だけ」からの説明も不十分であることも指摘している▼1。
要するに、ものごとは総合的にとらえる必要があるということだ。
消費行動の総合性
たとえば、バイクを買うのは経済的活動、選挙で投票するのは政治的活動、教会に行くのは宗教的活動、学校で教えるのは教育的活動、病院で看護するのは医療的活動――というように、それぞれの活動分野は、いずれも独自の領域・なかば独立した世界をなしていて、いわば〈小さな社会〉を形成している。これらの〈小さな社会〉を「部分社会」(partial society)と呼ぶ。経済学・政治学・宗教学・教育学などは研究対象をこうした部分社会に限定して専門的に研究する。それはそれで有意義なことなのだが、しかし、現実的に考えて、これらひとつひとつの活動がその狭い領域にとどまっているかどうか。
たとえば、「クルマの購入」という経済的活動を考えてみよう。これは経済的な消費行動にあたる。しかし、その前提には十八歳にならないと運転免許がとれないとか車庫証明がいるといった法的側面がある。また十八歳といっても高校在学中の場合、学校の校則の制限を受ける場合もあるだろう。現に高校生で免許のとれるバイクの場合は、いわゆる「三ない運動」によって、多くの高校生がバイクを買って乗ることを制限されてきた。最近は若干事情が変わってきたものの「三ない運動」のせいでバイクを断念した高校生もかつてはけっこう多かった。これは教育的側面がときとして法律よりも強い強制力をもつことがあるということを示している。また「クルマがほしい」という欲求そのものが、その人の生活している地域や集団の文化にかなりの程度規定されている。これは「どんなクルマがほしいか」と具体的に考えてみればいっそうハッキリするはずだ。たとえば最近、四輪駆動いわゆるヨンクが急速に需要をのばしているが、これは機能上のスペックからみるかぎり都市生活者には不必要かつ過剰である。それにもかかわらずヨンクにこだわる人がいるとすれば、それは経済的行為をこえた文化的行為というほかない。当然この側面はマス・コミュニケーションや流行の影響を考慮しなければならない。そして最後に家族の問題がある。独断で買える人はともあれ、大学生ぐらいであれば家族と相談せざるをえないだろう。では、決定権はだれがもっているか。これは家族内の勢力構造の問題である。
「クルマの購入」それ自体はじつに単純な行為であるけれども、このようにさまざまな側面をもっている。それゆえ「クルマの購入」を、たんにお金をだしてモノをもらってくるという単純な構図で理解するのはあまり現実的でない。むしろ総合的な社会的行為の一環とみなすべきなのである。それは複雑な社会関係のひとつの結び目であり、エピソードにすぎない。
逆にいえば、これを経済的行為とみなすこと自体がすでに科学的抽象であって、ありのままの現実ではなくなっているのだ。科学であるかぎり、こうした抽象は不可欠であり、われわれは日常生活においてもこうした抽象をステレオタイプな形である程度受け入れているわけだが、その分、現実の総合的性格から遠のいていることを知らなくてはいけない。社会学も一種の科学的抽象をふくんでいるが、他の諸科学のように現実の一側面についてだけを禁欲的に研究対象とするのではなく、なるべく多くの側面を掘りおこして多面的かつ立体的にとらえ、それらのからみあいを分析的にときほどこうとするのである。
部分社会の総合性
このようにどんなに特定された活動も基本的に全体社会に開かれている。したがって、経済・政治・教育・法律・宗教などの部分社会そのものが現実には総合的な現象なのだ▼2。
企業であれ工場であれ学校・刑務所・宗教団体・新聞社・病院であれ、それが特定の特殊な活動にむけられている点で特定の部分社会に属するにはちがいないが、同時にそこには社会のありとあらゆる活動も存在する。たとえば病院はもっぱら医療行為のための組織だが、そこには経理部門もあれば人事部門もあるし看護婦養成のための教育機関もある。そこで働く人びとにとってそこは労働現場であり、きびしい上下関係と分業体制の支配する社会でもある。入院患者は家族をともない、しばしば家族の管理もスタッフの重要な仕事となる。また、スタッフと患者の交渉は病気を媒介としながらも複雑多岐にわたり、病院内のコミュニケーションも、カルテの往来・診断・生活指導はもとより、患者間の情報交換やうわさなどもあり、複合的である。
ジンメルは、人間ふたりが相互作用していれば、それはすでに社会だという。そうだとすれば、学校も病院も家族も社会の一部であるだけでなく、それ自体もまたひとつの社会としての資格を備えていることになる。もちろん、日本社会とマレーシア社会が異なる文化をもつように、学校社会と病院社会もそれぞれ独自の文化をもっている。だからこそ個別に研究する必要があるのだ。
連字符社会学の構想と現状
政治社会学や教育社会学のようにある特定の部分社会をとりあつかう社会学を総称して「連字符社会学」(Bindestrich-soziologie)という。連字符とはハイフンのこと。特定のフィールドの名前と社会学とがハイフンで連結されているからである。いまだったら「ハイフン社会学」というところだが、以前に紹介されたまま定着したため、いささか古めかしいことばになってしまった。カール・マンハイムの用語である▼3。「特殊社会学」とか「分科社会学」という呼び方もある。
社会学の現状では、フィールドの明確な連字符社会学は研究活動が活発である。そのなかには、政治社会学のように政治学と一体化するほど大きな影響をおよぼしているところもあれば、法社会学のように法学系と社会学系が分離しているところもあるし、音楽社会学のように最近まで社会学系での議論が細い糸のようにしかなされなかった分野もある。それぞれ事情はかなり異なっている。しかし第一章で論じたように、各領域における専門科学がそれぞれの形で研究対象の広い社会的文脈に注目する傾向にあり、そのことが連字符社会学との交流を促進しているように思われる。
医療社会学の場合
一つの事例として医療社会学をとりあげてみよう。もちろん医療の中核を形成する科学が医学であることにまちがいない。しかし、医学は自然科学の一分野として発達してきたものであり、その焦点はあくまでも疾患=病気にある。したがって、病気をかかえた患者という個人や、患者をめぐる社会環境、また病院というひとつの社会については非常に素朴な観念しか提供できない。その分、実務上の問題についてはこれまで看護学や社会福祉論が実践的な知識とその専門家を供給することによって保健医療の現場をささえてきたわけである。
医療社会学は一九五〇年代のアメリカで確立した分野である。それまでは医学のなかに社会的側面を問題にする公衆衛生学や社会医学として研究がなされていたにすぎなかった。つまり医学研究者が社会学的方法を導入して研究してきたわけである。しかし五〇年代以後、この分野への社会的要請の高まりとともに、社会学のなかに医療社会学という応用分野が確立し、今日の隆盛にいたっている。
では、医療社会学は具体的になにを研究するのか。進藤雄三の整理を参考にまとめてみよう▼4。
(1)医療サービスの利用者の問題――病気と健康に対する社会-文化的反応のちがい・病人[病者]役割・病気行動・社会疫学など。
(2)医療サービスの提供者の問題――医師-患者関係・医療専門職・看護婦などの医療関連職種・健康関連職種など。
(3)医療組織の問題――組織としての病院・病院内における人間関係。
(4)医療システムの問題――国および自治体の保健医療制度・保健医療サービスの提供形態。
(5)加齢と死・生の質(クォリティ・オブ・ライフ)の問題その他――高齢化・倫理問題など。
これで医学と医療社会学のちがいがおおよそつかめてきたと思う。他の連字符社会学も似たようなものと考えてもらっても、それほど問題はないだろう。
どのような種類の活動領域であろうと、結局人間の意識的かつ社会的な協働であるかぎり、諸個人の行為・諸個人間の関係・集団形成・文化規範・全体社会との関連といったファクターは欠かせない。連字符社会学はそこを中心に研究するのである。
連字符社会学の発想基盤に存在するこのような総合的認識への志向は、社会学に一種の「橋渡し機能」を付与することになる。「社会科学の世話役としての社会学」というのみならず、自然科学をふくめた諸科学の調停役の役割を果たしうる位置にあるといっていいだろう▼5。
ミクロとマクロをつなぐこと――社会学的想像力
ここでわたしたち自身のことにふたたび焦点をうつしてみよう。
わたしたちは身近な問題を「プライベートなトラブル」[私的な問題]と定義する。就職や失業、結婚や離婚、職場での人間関係やストレスなど、わたしたちが耐えているさまざまな苦しみやディレンマは基本的にプライベートな問題として処理される。つまり、それを社会の歴史的な変化や制度の矛盾という文脈のなかでとらえることは少なかった。もっとも近年マス・メディアの発達に相即して人びとの認識も変わりつつあるが。すでにのべてきたように多くの場合それらはたんにプライベートな問題ではない。「個人的な体験」は「社会的な問題」につながっており、さらにすぐれて「世界史的な変動」の一環なのである。
ミルズは「個人環境に関する私的問題」(the personal troubles of milieu)と「社会構造に関する公的問題」(the public issues of social structure)とを統一的に把握する能力のことを「社会学的想像力」(sociological imagination)と呼んだ。その根底には「一人の人間の生活と、一つの社会の歴史とは、両者をともに理解することなしには、そのどちらの一つをも理解することができない」との全体的認識への志向がある▼6。「それはわれわれ自身の身近な現実を、全体の社会的現実とのつながりの中で理解することを、もっとも劇的に約束する精神の資質である。」▼7別のことばを使えば、ミクロとマクロのさまざまな抽象のレベルを連接し、自由に意識的に移動する知的能力ということである。
▼1 R・コリンズ、寺田篤弘・中西茂行訳『マックス・ウェーバーを解く』(新泉社一九八八年)とくに第五章「ウェーバーの社会変動論」参照。
▼2 マルセル・モスはこのことを「全体的社会的事実」と呼び、ジョルジュ・ギュルヴィッチは「全体的社会現象」という概念でこれをあらわしいている。
▼3 カール・マンハイム、朝倉恵俊訳「社会学の現代的課題」『マンハイム全集3社会学の課題』(潮出版社一九七六年)二八四ページ。
▼4 進藤雄三『医療の社会学』(世界思想社一九九〇年)三一-三五ページ。
▼5 富永健一『社会学原理』(岩波書店一九八六年)。
▼6 C・ライト・ミルズ、鈴木広訳『社会学的想像力』(紀伊國屋書店一九六五年)四ページ。
▼7 前掲訳書、二〇ページ。
4-2 全体社会の理論としての社会学
全体社会と社会理論
総合的認識にはじつはもうひとつ重要な側面がある。それは社会をまるごと認識するという方向だ。これはまちがいなく社会学特有の志向性である▼1。
まるごとの社会のことを「全体社会」(total society)といい、全体社会についての理論研究を一般に「社会理論」(social theory)という。これは「社会とはなにか」「社会はどのような構造になっているのか」「社会はどのように変動するのか」といったマクロな問題を統一的に理論化しようとする試みだ。
じつは「社会学」の歴史は、この「社会をまるごと認識したい」というエートスから始まった。
総合社会学
「社会学」という名前を最初に考案したのはフランスのオーギュスト・コントだった。かれは一八三九年『実証哲学講義』第四巻のなかで、それまで使用してきた「社会物理学」(physique sociale)を「社会学」(sociologie)と改名した。ラテン語のsociusとギリシャ語のlogosを合成したものだ。当時すでに、社会的なものごとを細分化し専門的に研究しようとするいくつかの社会科学と人文科学――法律学・経済学・心理学など――が勃興しつつあったが、コントは、それでは社会全体の構造や変動を十分解明できないと考えた。もともとひとまとまりのものをバラバラに分解して細かく研究してみても、ちっとも全体像は把握できないではないかというわけだ。そこで社会全体を――つまり全体社会を――総合的に認識する理論科学が必要になる。それが「社会学」だった。
コントの社会学構想は、イギリスのジョン・スチュアート・ミルによって支持され、ハーバート・スペンサーという強力な後継者を生み、かれらがさらに初期のアメリカ社会学に大きな影響をあたえることになる。全体社会の総合的認識をめざす十九世紀後半のこの理論潮流のことを「総合社会学」もしくは「百科全書的社会学」という。
マルクス主義
ほぼ同時代、出自は異なるが「全体社会の総合的認識」という点で軌を一にする一連の理論潮流があった。マルクス主義がそれである▼2。
カール・マルクスは若い頃から社会変革への強烈な志向をもっていたが、その変革志向にうながされて後半生をかえって地味な経済学研究――その成果が有名な『資本論』――にささげた人である。そのさいかれの「導きの糸」となったのが唯物史観(史的唯物論)だった。唯物史観は、いわば歴史的全体社会についての総合的認識にあたるものだ▼3。
つぎの一節はそのもっとも有名でかつ広範な影響をあたえた「唯物史観の公式」の一部である。「人間は、その生活の社会的生産において、一定の、必然的な、かれらの意志から独立した諸関係を、つまりかれらの物質的生産諸力の一定の発展段階に対応する生産諸関係を、とりむすぶ。この生産諸関係の総体は社会の経済的機構を形づくっており、これが現実の土台となって、そのうえに、法律的、政治的上部構造がそびえたち、また、一定の社会的意識諸形態は、この現実の土台に対応している。物質的生活の生産様式は、社会的、政治的、精神的生活諸過程一般を制約する。人間の意識がその存在を規定するのではなくて、逆に、人間の社会的存在がその意識を規定するのである▼4。」
マルクスの思想はこれに尽きるものではとうていないのだが、『資本論』をはじめとするあの膨大な諸研究が、この「公式」のいう「土台」の研究にしかあたらないことを思えば、その構想力の大きさを実感できるだろう▼5。現に、その後のマルクス研究もしくはマルクス主義の一世紀以上にわたる幅広い知的営為がそれを物語っているし、現在でもマルクス主義は多くの分科社会学に総合的認識=全体性をふきこむ役割を果たしている▼6。
もう一点指摘しておきたいのは、この全体的認識が社会の対立葛藤の側面――階級対立――を鮮明に浮き彫りにし、変革の必要と必然性を導出したことである。このことによってマルクスの社会理論は、市民社会における対立葛藤と変革の契機を以後の社会理論に供給する重要な源泉になった。
社会学主義
十九世紀後半の総合社会学とマルクスのつぎの世代――つまり「世紀の転換期の社会学」――において明確に全体社会の総合的認識をめざしたのはデュルケムだった。かれが「社会的事実をモノとしてとらえる」ことを提唱したことについてはすでにふれた。かれはさらに、宗教・道徳・法・経済などあらゆる文化が社会的事実という性格を共有するのであるから、それらをあつかってきた諸科学の研究成果を社会学の傘下に収めていくことができると考えた。そして諸科学の社会学化による「一般社会学」を構想し、デュルケム学派とのちに呼ばれる弟子筋の研究者とともに『社会学年誌』という研究誌を舞台に活発に研究活動を展開した。これを学説史上「社会学主義」(sociologisme)と呼ぶ。これは裏を返すと既存の科学の存在否定もしくは第二義化につながりかねなかった。そのため、この社会学構想は「侵入科学」だとする批判や「社会学帝国主義」だとする批判をまねいた▼7。
じっさいには戦争の影響もあってこれはかならずしも成功したとはいえない。しかし「社会をまるごと認識したい」というエートスを二十世紀後半の社会学にまで伝えたことはたしかであり、それは社会学理論を大きな知的潮流へと合流させることになる。その知的潮流とは「システム論」である。
▼1 たとえばハバーマスは「社会学は社会科学的学問のなかでただ一つだけ、社会全体の問題に関係をもち続けてきた。社会学は、つねに社会の理論でもあるのだ。」とのべている。ユルゲン・ハーバーマス、河上倫逸・フーブリヒト・平井俊彦訳『コミュニケイション的行為の理論(上)』(未来社一九八五年)二五ページ。
▼2 カール・マルクスの社会理論は労働運動と社会主義運動の指導的理論としてながらく教条的に――つまり宗教上の経典のように――あっかわれてきたため、すでに十九世紀末期からステレオタイプ化されてきた。かれの畏友フリードリヒ・エンゲルスの仕事からそれは始まっているが、「俗流マルクス主義」といういい方はその事態をさしている。その意味で社会学では「マルクス」とその後継者たちの「マルクス主義」とを区別してとらえることが多い。そして前者は今日の社会理論にとってもいまなお現役の理論である。社会学的視点からマルクスの社会理論をコンパタトにまとめたものとして、栗岡幹英「マルクス理論と社会学」中久郎編『社会学の基礎理論』(世界思想社一九八七年)が現代的で秀逸。また少々大部だがマルクスの生涯と著作をていねいに紹介したものとして、D・マクレラン、杉原四郎・重田晃一・松岡保・細見英訳『マルクス伝』(ミネルヴァ書房一九七六年)。マルクスもウェーバーと同様、ライフ・ヒストリーに意義のある重要人物だ。
▼3 唯物史観については、K・マルクス、F・エンゲルス、花崎皋平訳『ドイツ・イデオロギー』(合同出版一九六六年)。マルクス、武田隆夫・遠藤湘吉・大内力・加藤俊彦訳『経済学批判』(岩波文庫一九五六年)「序言」。
▼4 マルクス、前掲訳書、一三ページ。
▼5 誤解しやすいことだが『資本論』は唯物史観の応用編ではない。『資本論』は唯物史観に示されたような歴史認識に立って、前資本主義的要素と上部構造とを理論的に捨象し、その上で市民社会固有の論理を総体的にとらえようとしたものだ。マルクスの本領はむしろここにある。細谷昴『マルクス社会理論の研究』(東京大学出版会一九七九年)参照。
▼6 最近ではマヌエル・カステルをリーダーとするフランスの新都市社会学の運動がその一例である。吉原直樹・岩崎信彦編『都市論のフロンティア』(有斐閣選書一九八六年)。また、ステュアート・ホールを代表とするイギリスの「カルチュラル・スタディ」派も、マスコミ研究にネオ・マルクス主義を導入して、批判性を高めようとしている。佐藤毅「イギリスにおけるマス・コミュニケーション研究」『放送学研究』三四号(一九八四年)。
▼7 エミール・デュルケーム、佐々木交賢・中鳴明勲訳『社会科学と行動』(恒星社厚生閣一九八八年)。とくに第三章「社会学と社会諸科学(一九〇九)」。内藤莞爾『フランス社会学史研究』(恒星社厚生閣一九八八年)。森博『社会学的分析』(恒星社厚生閣一九六九年)。
4-3 社会システム論の発想
すべてはすべてに関係している
社会の全体的認識の現代的形態は今日「システム論」として定式化されている。
「システム」ということばは今日だれでも知っていて、それぞれの文脈で勝手に定義され、乱用されている。現代は、なんでも「システム」といえば納得する時代である。それだけに、あつかいに気をつけなければならないことばでもある。
そもそも「システム」といわなければならないのはなぜか。システム概念を使うメリットはどこにあるのか。
日常のことばとして「システム」は、機械のように一定の目的をもった構成物に対して使われる。あるいは「経営システム」とか「製品管理システム」のように、一定の目的達成のために人為的に組織されたしくみについて使われる。「システム」ということばは、このように「一定の目的を達成するための構成物」の意味で一般に使われているといっていいだろう。また人為的な構成体でなくても、生物のように生存という目的をもともと内在した有機体も、この意味では「システム」ということになる。
このように「システム」ということばを使うと、機械も組織も生物も統一的に理解することが可能になる。そのさい、つぎのようなことが共通了解となる。
(1)要素をきりはなして個別にあつかうのでなく全体のなかで位置づける。複雑な全体を要素に還元しない。
(2)システムはたんなる諸要素の総和ではない。総和以上のものである。
(3)システムは一定の目的をもつ。
(4)部分である要素は、全体であるシステムに対してなんらかの貢献=機能を果たしている。
(5)すべての要素は他のすべての要素と相互依存している。
(6)ひとつひとつの要素もまたそれぞれシステムである。これをサブシステムという。サブシステムの要素もまたサブシステムをなす。こうしてDNAから社会をへて宇宙にいたるシステムのハイアラーキーができる。
(7)システムは概念構成体である。
これがシステム論のライト・モチーフである。システム論はこのように非常に抽象的で、その分なんでもとりこむことのできるメルティング・ポットかスプレッド・シートのようなものになっている。だから、物理学者と生理学者と社会学者が共通の概念構成体によって研究成果を統一するという学際的研究の土俵となる可能性をシステム論はもっている。そこがシステム論の魅力だったわけである。
社会学の分野では、とくに生物有機体システムとのアナロジーで社会をシステムとして総合的にとらえようとしたタルコット・パーソンズがその最初の巨匠となった。一九五〇年前後にかれは社会をシステムとして総合的にとらえる壮大な社会システム論を発表し、世界の社会学界に大きな影響をあたえた▼1。
社会システム論の根本的修正
ところが社会システムの場合、機械論的なシステム概念はもちろん従来の素朴な生物有機体論的なシステム概念では通用しないことがつぎつぎに指摘されるようになった。問題点はつぎの諸点である。
(1)部分の自律性――システムを構成する要素はそれ自体の自律性をもつ。たとえば、社会システムの構成要素として組織を考えてみると、企業にせよ軍隊にせよ政党にせよ、それ独自の自律性をもち、社会システムの維持に貢献しているだけではないし、貢献しているともかぎらない。また組織システムを構成する部分としての個人も、一定の役割を担うことでシステムの活動と維持に貢献していることになってはいても、現実には役割をずらしたり距離をおいたり反抗したりするのであって、いくらシステム概念が分析上の概念構成体だとしても、こうした現実のダイナミズムを説明できない▼2。
(2)非目的性――社会システムにあらかじめ定められた目的はない。社会システムは生物有機体のようにシステムの維持存続を目的としていない。
(3)構造生成性(morphogenesis)――社会システムはサーモスタットのように均衡をたもつメカニズムではない。たとえば生物有機体は維持存続のためのノーマルな構造がくずれたり均衡を失うと崩壊する[死]が、社会システムはその均衡がくずれても崩壊はしないし、こうでなくては崩壊するという固定的構造があらかじめ存在するわけではない。社会はたえず変化しつづける構造生成的なシステムなのである▼3。
(4)自己組織性(self-organity)――社会システムをなりたたせる諸要素は、あらかじめ設計図通りにつくられるのでもなければ、外部の環境に適応してつくられるとはかぎらない。それはシステム自体によって生産・再生産される。つまりシステムはシステム自体を創造するのである▼4。
最後の論点が生物学の免疫理論にヒントをえているように、以上の諸点は、かならずしも社会システムだけの問題ではないのだが、社会システムを構想するときには避けて通れない問題である。
「一般理論」か「グランド・セオリー」か
システム論は全体としてのシステムを分析の対象として強調するわけだが、これを抽象度のもっとも高い「一般理論」(general theory)とみるか、それとも現実から遊離した概念装置のガラクタとしての「誇大理論」(grand theory)とみなすか、立場は大きくふたつに分かれている▼5。
〈脱領域の知性〉とはいっても、社会学も科学として制度化されるにつれてますます専門分化している。その分、包括的な理論的全体構想がうしなわれつつあるのもたしかだ。システム論者はこの認識から、社会学を〈社会システムの学〉として再構成しようとするのである▼6。
しかし、大方の良識的で穏健な社会学者は、全体社会を統一的にとらえる理論科学であることに社会学の存在意義を認める立場をとらないで、ロバート・K・マートンのいう「中範囲の理論」の立場を支持しているように思える。歴史的に多様な諸社会をまるごと認識するというのは、どうみても理論の不遜であり、それをするには社会学はまだまだ未熟だというわけである。
その一方で、学際的な活動と緊密に連動しながら、新しい社会システム論が精力的に展開されつつあるのも事実であり、その成果には目がくらむばかりである。その先鋒をになっているが、ドイツのニクラス・ルーマンである。かれは、前項でのべた新しいシステム論の立場を理論的に強化するとともに、権力・経済・法・宗教・家族などを「機能的に分化したシステム」として、つぎつぎにシステム論の俎上にのせている。現在、もっとも注目すべき存在といえよう。
▼1 タルコット・パーソンズ、佐藤勉訳『社会体系論』(青木書店一九七四年)。
▼2 A・W・グールドナー、矢沢修次郎・矢沢澄子訳『社会学の再生を求めて』(新曜社一九七五年)第六章「世界の全体化」参照。
▼3 W・バックレイ、新睦人・中野秀一郎訳『一般社会システム論』(誠信書房一九八〇年)。
▼4 今田高俊『モダンの脱構築』(中公新書一九八七年)。
▼5 ミルズ『社会学的想像力』前掲訳書第二章「誇大理論」参照。
▼6 新しい社会システム論の意義については、新睦人・中野秀一郎『社会システムの考え方――人間社会の知的設計(有斐閣一九八一年)。今田高俊『自己組織性――社会理論の復活』(創文社一九八六年)。本節は基本的に、この二著にもとづいている。
▼7 ルーマンの著作は難解で知られる。目下続々と翻訳が出版されているが、なかでも、ニクラス・ルーマン、長岡克行訳『権力』(勁草書房一九八六年)が、適切な訳文と親切な解説の点で比較的とりつきやすいだろう。同様の理由で、ニクラス・ルーマン、佐藤勉訳『社会システム理論の視座』――その歴史的背景と現代的展開』(木鐸社一九八五年)。
増補
マクロ社会学
本編において解説したような社会学の総合的認識のエッセンスを高度な見識で整理したテキストがでたので、まず紹介しておきたい。金子勇・長谷川公一『マクロ社会学――社会変動と時代診断の科学』(新曜社一九九三年)。産業化・都市化・官僚制化・流動化・情報化・国際化・高齢化・福祉化・計画化をキーワードに現代社会を変動の相においてマクロに整理している。これらはよく知られたキーワードだが、それを自明とするのではなく、その内実に分け入ってていねいに説明しているのが特徴。
システム論
システム論ではルーマンの著作の翻訳や解説書が次々に刊行されている。ルーマン抜きにシステム論は語れない理論状況である。しかし私自身がルーマンについてはフォローできていないので、ここでは、近年とり上げられることの多い二つの概念についての著作の紹介にとどめざるをえない。ひとつは「信頼」もうひとつは「自己言及性」である。N・ルーマン『信頼――社会的な複雑性の縮減メカニズム』大庭健・正村俊之訳(勁草書房一九九〇年)。ニクラス・ルーマン『自己言及性について』土方透・大澤善信訳(国文社一九九六年)。
他にも現代のシステム論のキーワードとして「自己組織性」と「複雑系」がある。「混沌を通しての秩序」が眼目になる複雑系についてはさておくとして、自己組織性については、シンポジウムをもとにした次の本がでている。吉田民人・鈴木正仁編著『自己組織性とはなにか――21世紀の学問論にむけて』(ミネルヴァ書房一九九五年)。社会学者中心のシンポジウムなので、自己組織性が社会学にどのような意義をもつのかを考えるヒントになるだろう。
世界システム分析
同じシステム論といってもウォーラステインの世界システム分析はかなり独特かつ歴史的である。ウォーラーステイン『脱=社会科学――一九世紀パラダイムの限界』本多健吉・高橋章監訳(藤原書店一九九三年)によると、世界システム分析は、国民国家との関連性をもつ「社会」を分析単位とせず、「世界システム」を分析単位とする。世界システムは「長期持続」する史的システムである。そして私たちの生きている具体的な世界システムは資本主義世界経済である。これを分析するには、経済・政治・社会文化という三領域を分けて考える従来の社会科学の枠組みは不適切であるということ。そして、歴史と社会科学を分断させている現状も不適切であるとウォーラーステインはいう。
かれのめざす「史的社会科学」は、時間軸を考慮した「総合的認識」の新しい試みとして注目すべきものをもっている。主著は大部なので、コンパクトな入門書としては、I・ウォーラーステイン『新版 史的システムとしての資本主義』(岩波書店一九九七年)が手頃である。一九九〇年代についての具体的な分析は、ウォーラーステイン『アフター・リベラリズム――近代世界システムを支えたイデオロギーの終焉』松岡利道訳(藤原書店一九九七年)に詳しく展開されている。この本でかれは、社会主義の崩壊がリベラリズムの勝利ではなく崩壊であるという意外な見方を主張している。
Prev←■→Next
現在地 ソキウス(トップ)>社会学感覚
SOCIUS.JPドメインへの初出 8/4(Sun), 2002  最終更新日:4/1(Sat), 2017
このページのURLは http:///Users/nomurakazuo/Dropbox/socius.jp/lec/04.html
Copyright (C)1995-2015 by Kazuo Nomura(野村一夫) 無断転載はご遠慮ください。リンクはご自由に。
Valid XHTML 1.0!Document type: XHTML 1.0 Transitional
閲覧日 4/1(Sat), 2017

Read More

4月 12017

社会学感覚3行為の意味を理解する

Socius  ソキウス   著作+制作 野村一夫

フロントページ


現在地 ソキウス(トップ)>社会学感覚
社会学感覚
3 行為の意味を理解する
3-1 歴史的世界の形成者としての人間
行為の集積としての社会
わたしたちが好んで歴史小説を読み、大河ドラマを視聴するのは、〈人間が歴史をつくる〉ことのおもしろさにひかれてのことである。ただし、日本人好みのドラマの多くは、歴史的英雄たちのくりひろげる抽象化され虚構化されたドラマである。それにくらべると、現実の方が数段ドラマティックである。一九八九年からあいついで大きな潮流になった中国・東欧・ソ連の変革運動は、それぞれ独自の運命をたどりつつあるが、いずれにせよ〈人間が歴史をつくる〉という実感を、ながらくアパシー状態にある日本人にも味あわせてくれた。名もない民衆がみずからの生理に忠実に異議申し立ての運動をおこない、ときには大きな犠牲を払いつつ自分たちの社会を変えていく現実のドラマがここにある。わたしたちがこの歴史的瞬間を映しだすニュースに見入るのは、それがまぎれもなくアクチュアルだからだろう。
こうした歴史的事件のダイナミズムにくらべると、わたしたちのふだんのなにげない行動がはっきりと目にみえない形で社会のあり方や文化現象の数々を生みだしているという現実はあまりドラマティックではない。これもやはり〈人間が歴史をつくる〉ことにはちがいないのだが、わたしたちにはあまり実感がもてない。しかし、前章でのべたように、日常生活の中で自明性を帯びてあたかもモノのように存在するさまざまな社会制度――貨幣・資本・神・法・官僚制・国家など――は、もとをただせば人間たちの社会的行為の歴史的集積にはちがいないのだ。社会を構成するのは人間の行為であり、社会は人間がつくる――このことをまず確認しておきたい。
社会的現実の構成
ところが話はそれで終わらない。たとえば、流行の先端をゆき流行をつくりだしている業界の人びとでさえ、最新の流行は規制力をもつものとして認識されているように、あるいは主体的に参加したデモ行動がエスカレートして暴動化してしまいひとりひとりを感情的に巻き込んでしまうように、人間が社会をつくるといっても電化製品のように「つくる」わけではない。このあたりの事情を社会学史では、ふたりの巨匠を対比して「デュルケムとウェーバー問題」という形で定式化することがある▼1。
エミール・デュルケムは「事実、社会的なものは人間によってのみ実現されるのであり、人間の活動の一所産にほかならない」としながらも▼2、法・道徳・宗教教義・金融制度・集会の群衆行動・流行などの「社会的事実」――かれはこれを「制度」ともいう――が、個人にとって外在的であり、個人を拘束・強制することを強調した。これには理由があって、十九世紀末の当時に「社会は人間の心のなかにある」といった心理学主義が横行していたからである。そのためデュルケムは終始、「社会的事実」のもつこの独自な性格を強調しつづけた▼3。
他方、マックス・ウェーバーは、社会の構成単位が人間の行為であると主張し、国家や協同組合や封建制などといった概念さえ個々人の行為へ還元してとらえなければならないとした。社会はあくまで人間の行為が具象化したものであると考えるからだ。だから、人びとが国家に志向するのをやめた瞬間、もう国家は存在しなくなるだろうとさえ明言する▼4。旧ソ連における連邦と共和国の関係の破綻――そして「ソ連」の崩壊――を知っているわたしたちにとって、これはシニカルをこえてきわめてリアルに響く見識である。
たしかにふたりの巨匠のいうことには実感がともなう。わたしたちはさまざまな社会制度を絶対的なモノと感じることもあれば、所詮、人間がつくりあげたものだとも感じる。では、どのように考えていけばよいのか。
バーガーらはこのデュルケム型の観点とウェーバー型の観点を調停して「社会的存在の客観性を人間の主観性との関係において把える」ことを提唱し、社会は客観的現実であると同時に主観的現実でもある、その二重性を同時におさえていく必要をうったえた▼5。人間の行為がモノのように強固な世界をつくりだすのはいかにして可能かという大問題に対して、バーガーらの答はつぎのように要約される。「社会は人間の産物である。社会は客観的な現実である。人間は社会の産物である▼6。」めぐりめぐる三つの関連がここに示されている。かれらのこの命題をかりておおよその構図をえがいてみよう▼7。
(1)社会は人間の産物である――欲求や特定の意図を共同生活のなかで実現しようとする人間たちのさまざまな行為が類型的に集積されることによって、社会関係.社会集団・社会制度・社会構造が結晶化する。
(2)社会は客観的な現実である――結晶化した社会的現実が客体化して、個人にとって外在的で拘束的かつ強制的な社会的事実に転化する。この段階で、人間がそれらをつくっているということがみえなくなる物象化が生じる。
(3)人間は社会の産物である――人間はまず子どもとして社会から教育を受け、さらに大人になっても社会的現実との交渉のなかでアイデンティティを形成する。このプロセスのなかで〈客観的現実としての社会〉が個人の意識に投げかえされ、〈主観的現実としての社会〉を構成する。
これらは時間の順番ではなく、あくまでも同時に存在する三つの契機である。要するに、社会は人間によって創造されるが、逆にまた人間を創造するのであり、人間は社会形成を媒介にみずからをつくりだす。
人間と社会をこのようにとらえることを「弁証法」という。人間と社会の弁証法的把握の古典例として、マルクスの「社会そのものが人間を人間として生産するのと同じように、社会は人間によって生産されている」という一節をあげることができる▼8。この問題関心は「個人と社会」という社会学の古典的問題として論じられてきた。最新の社会理論のなかでは、アンソニー・ギデンスの構造化論における「構造の二重性」概念や、方向性は異なるがピエール・ブルデューなどにもその展開例をみることができる▼9。
社会をこのような人間の主体的な行為の集積としてとらえるという発想は、まさに社会学が独自に発想し苦慮しつつ理論的基盤をきずいてきた重要な伝統である。社会学はこの点で、よそよそしいモノとしてわたしたちに立ちはだかる社会を、わたしたち人間の側に取り戻そうとする科学なのである。
▼1 わかりやすい比較としては、R・ベンディックス「社会学の二つの伝統」R・ベンディックス、G・ロート、柳父圀近訳『学問と党派性――マックス・ウェーバー論考』(みすず書房一九七五年)。
▼2 デュルケム、宮島喬訳『社会学的方法の規準』(岩波文庫一九七八年)七六ページ。また「第二版への序文」では「諸個人のみが社会における能動的な要素であるというのは確かである」とものべている。前掲訳書二〇ページ。
▼3 デュルケムの代表的な定義を示しておこう。「社会的事実とは、固定されていると否とを問わず、個人のうえに外部的な拘束をおよぼすことができ、さらにいえば、固有の存在をもちながら所与の社会の範囲内に一般的にひろがり、その個人的な表現物からは独立しているいっさいの行為様式のことである。」前掲訳書六九ページ。
▼4 マックス・ウェーバー、海老原明夫・中野敏男訳『理解社会学のカテゴリー』(未来社一九九〇年)三八ページ。『社会学の基礎概念』第一節第九項と第三節参照。最後にあげた節ではつぎのようにのべている。「たとえば、『国家』というものは、ある種の、有意味的に方向づけられた社会的行為が経過するというチャンスが消滅するやいなや、社会学的には『存在する』のを止める。」マックス・ウェーバー、阿閉吉男・内藤莞爾訳『社会学の基礎概念』(恒星社厚生閣一九八七年)四〇ページ。これと同様の見解はジンメルにもみられる。かれはいう、「われわれが国家や法や制度や流行などの本質的特徴や発展について触れるさいに、それらをあたかも統一的な実在であるかのように取り扱うということは、一つの方法上の救済策にすぎない」と。大鐘武訳編『ジンメル初期社会学論集』(恒星社厚生閣一九八六年)三〇ページ。
▼5 ピーター・バーガー、スタンリー・プルバーク、山口節郎訳「物象化と意識の社会学的批判」現象学研究会編集『現象学研究2』(せりか書房一九七四年)九七ぺージ。
▼6 P・L・バーガー、T・ルックマン、山口節郎訳『日常生活の構成――アイデンティティと社会の弁証法』(新曜社一九七七年)一〇五ページ。
▼7 前掲訳書。
▼8 マルクス、城塚登・田中吉六訳『経済学・哲学草稿』(岩波文庫一九六四年)一三三ページ。
▼9 「構造の二重性」についてギデンスはつぎのようにのべている。「構造は実践の再生産の媒体であるとともに帰結でもある。構造は行為主体と社会的実践の構成のなかに同時に入り込んでおり、この構成を生成する契機のなかに『存在』するのである。」アンソニー・ギデンス、友枝敏雄・今田高俊・森重雄訳『社会理論の最前線』(ハーベスト社一九八九年)五ページ。ブルデューについては、インタヴュー構成によってわかりやすく語られた本が訳されているので、そちらを参照のこと。ピエール・ブルデュー、石崎晴己訳『構造と実践――ブルデュー自身によるブルデュー』(新評論一九八八年)。
3-2 動機を理解すること
動機の理解
歴史的社会の形成者として人間をとらえるという発想からでてくることは、社会を解明するためには、それをこれまで支えてきた・または現に支えている人びとの〈意味の世界〉にまでメスをいれる必要があるということだ。
人間が動物と決定的にちがうところは、人間が徹頭徹尾〈意味の世界〉に生きていることだ。わたしたちがなにか行動をおこすとき、意識するとしないとにかかわらず、なにか理由があるはずである。なにか目的を達成するためかもしれないし、自分たちの正義や思想や信仰にしたがって活動しているのかもしれないし、その場の感情や気分による気まぐれなふるまいかもしれない、また、身についた習慣によるなにげないしぐさかもしれない。セックスや食事をふくめて人間の行動は動物のようにただ本能にもとづくものではない。このような行為の理由は、人間独自の意味的現象に関わる。人間は〈意味の世界〉に生きている唯一の動物として行為している。
このような行為の理由のことを社会学では「主観的意味」(subjektiver Sinn)とか「動機」(Motiv)と呼んでいる。これもウェーバーの用語である。
たとえば「大学への進学志望者が多くなった」というデータがあっても、なぜそうなったかを分析する場合、ひとりひとりの個人がどんな動機で進学したいと考えているのか、またそう考える社会的背景や経済事情・文化環境を理解しなければならないだろう。当事者があげる理由としては「勉強してリッチな生活をするため」「弁護士や建築士など特定の職業につく資格をえるため」といった目的に即したものもあるだろうし、「みんなが行くから」とか「行かないとカッコ悪いから」「親がうるさいから」といった模倣的なものや社会的圧力[プレッシャー]によるものもあるだろう。また「まだ働きたくないから」という執行猶予的な動機も大いに考えられる。ことによると「なりゆきで」といった主体性のない理由をあげる人もいるかもしれない。行為の主観的意味もしくは動機を理解することは、いわば〈心のひだ〉に入り込んでいくわけで、「なりゆきで」という理由に典型的にあらわれているように、行為者自身がかならずしも自分の動機を正確につかんでいるとはかぎらない。自分という存在は多くの人にとってブラックボックスになっているからである。
動機とはなにか
また動機については別の問題もある。動機というと、警察の取り調べで追及されるあの「動機」を思い浮かべる人がいるかもしれない。たとえば少年が非行に走る動機としてよく取りざたされるものに「授業がわからない」とか「学校がおもしろくない」というのがある。だから「教師が悪い」「学校が悪い」と管理教育批判が始まるわけだが、そのような理由は警察や行政当局などの統制者側に理解しやすい形での表明にすぎないという▼1。それはむしろ非行の結果であって、社会が非行と呼ぶ一連の行動をみちびきだしている特定の「主観的意味」をかならずしもあらわしてはいない。意識調査やアンケートをして安直にきめつけることの危険性はここにある。
この点について若干補足しておこう。アメリカの社会学者ライト・ミルズによれば、通常わたしたちが「動機」と呼ぶものは、行為の原動力となる内的状態というよりは、人びとが自分や他人の行為を解釈し説明するための類型的なボキャブラリーだという。たとえば「あれはジェラシィのためだ」とか「金もうけだ」とか「自分のプライドを守るためだ」とか「性的な欲望を満たすため」「家族のため」というように。わたしたちは社会のなかのパターン化された〈動機のリスト〉を共有していて、自分の行為を弁明したり正当化したりするときに、それら既成のボキャブラリーのなかから適当なもの――相手が納得しやすいもの――をみつくろって相手に提示する。また他人の行為についても同様にして納得したり詮索したりする。だから「適切な動機」とは「問う人を満足させる動機」にほかならない。まさに「動機とは合言葉である。」したがって「『ほんとうの』動機」を解明することは予想以上にむずかしいことなのである▼2。
状況の定義
行為者の主観的意味を理解する上で重要な問題は、行為者自身が現実をどのように認識しているか・意味づけしているか・定義しているかである。それによって同じような状況でも具体的な行為がちがってくるからである。行為者が現実をどう意味づけているかを社会学では「状況の定義」(definition of situations)と呼ぶ。これはアメリカの社会学者ウィリアム・I・トマスの概念である。主観的意味の世界を理解しようとすれば、当然、行為者の状況の定義を解明しなければならない。
たとえば、犯罪・非行・不登校・高校中退などの社会現象の場合、当事者が現実をどのように意味づけているかが決定的に重要な要素である。しかも、かれらの状況の定義は、取り締まり・管理・指導する側の状況の定義とかみあわず、しばしば根本的に決裂している。したがって、統制者側の視点で当事者たちの行為を理解することはじっさいには不可能なはずだが、これを不用意にもちこむことは科学的分析にとってとても危険な誘惑となる。これは企業犯罪や政治犯罪にかかわるエリートたちの状況の定義が一般市民の状況の定義と著しく異なるのとまったく同じ構図であり、一般市民の視点からかれらを断罪しても、問題はなんら解明されないのである。いずれにせよ、あくまで当事者の主観的意味に迫らなければならない。
また、当事者による状況の定義づけを重視していけば、ある行為をしないのもれっきとした行為としてみえてくる。たとえば、精神薄弱や肢体不自由な児童のための教育施設である養護学校を拒否する親の行為も、かつては行政側の意味づけとはまったく異なる状況の定義――たとえば「ここに通うことは、いわゆる〈ふつう〉の子でなくなることだ」という定義づけ――にもとづいていた▼3。同じように生活保護を受けることで「〈ふつう〉の市民」でなくなってしまうと考えて、本来は権利である生活保護を受けない高齢者もいた▼4。また日本では精神科を受診すること自体が「精神病」のレッテルを貼られかねないので、重篤にいたるまで放置することが多く、そのため回復が困難になることも多いという。
▼1 佐藤郁也『暴走族のエスノグラフィー――モードの叛乱と文化の呪縛』(新曜杜一九八四年)による。また、同様のことを「プロ教師の会」の諏訪哲二ものべている。「私たちが何らかの行動をしたり態度をとったりするとき、そこに『ことば化される意識』で捉えられる理由や根拠があることなど、なかなかありはしない。それと同様に、非行生徒自身もどうして自分が『非行』をしてしまったかよくわかっていないのだ。それを無理矢理ことばでしゃべらせようとすれば、『勉強がわかんなかったから』とか『今朝親とケンカしてムシャクシャしたから』というような、いかにも教師が納得してしまうようなことばが出てくるだけである。」諏訪哲二『反動的!学校、この民主主義パラダイス』(JICC出版局一九九〇年)六六ページ。
▼2 ライト・ミルズ、田中義久訳「状況化された行為と動機の語彙」I・L.ホロビッツ編、青井和夫・本間康平監訳『権力・政治・民衆』(みすず書房一九七一年)。ガース、ミルズ、古城利明・杉森創吉訳『性格と社会構造――社会制度の心理学』(青木書店一九七〇年)の「V動機づけの社会学」参照。
▼3 最近では、健常者と共学させることが教育方法としてすぐれているという考え方で養護学校もしくは特殊学級を拒否するケースが増えているようだ。この考え方を「ノーマライゼイション」といい、高齢者や障害者を施設へ隔離・分断することを拒否する思想である。
▼4 生活保護申請の手続きに町内の生活委員が関与するため、結果的に生活保護を申請したことが地域の人に知られてしまう。このことが申請をためらわせる大きな要因になっていた。
3-3 「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」
「プロ倫」とは
すでにふれてきたように、さまざまな社会的事実を人間の行為にまで還元してその主観的意味[動機]を探るべきだと提唱した代表的な社会学者がマックス・ウェーバーだった。「理解社会学」(verstehende Soziologie)と呼ばれるウェーバーの社会学構想については省略するとして、ここではかれの壮大な具体的事例研究を紹介してそれにかえよう。第二章で紹介した『宗教社会学論集』(全三巻)におさめられている「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」――通称「プロ倫」という――がそれである▼1。
(1)問題提起――ウェーバーが「プロ倫」を書きはじめた一九〇四年あたりの初発的な問題関心は、近代資本主義の根源の探究にあった。これはのちの一九一九年に『宗教社会学論集』のために改訂されるが、そのときウェーバーの問題関心は、近代資本主義だけでなくそれをふくむ西欧の壮大な合理化過程に拡大され、その人間的な起動力の解明を構想するものとなっていた。いずれにしても「プロ倫」であつかうテーマは明確である。すなわち「インド・中国・イスラムなど高い文明をもっていた文化圏がいくつもあったのに、なぜ西欧世界にのみ近代資本主義が成立したか?」である。
(2)資本主義と近代資本主義――ウェーバーによると資本主義は中国にもインドにもバビロンにも古典古代にも中世にも存在した。高利貸し・軍需品調達業者・徴税請負業者・大商人・大金融業者たちの「資本主義」である。しかし、これらと西ヨーロッパおよびアメリカの「近代資本主義」――より正確には「近代の合理的・経営的資本主義」――とは決定的に異なっていた。後者は簿記を土台として営まれる合理的な産業経営の上になりたつ利潤追求の営みであり、これは大量現象としては西欧近代にのみ発生したものだったのである。
(3)資本主義の精神――近代資本主義を推進させた原動力をウェーバーは「資本主義の精神」と呼ぶ。かれは論文改訂後「行為への実践的起動力」という意味で「エートス」ということばを使っている▼2。ウェーバーが「資本主義の精神」の典型的事例として掲げるのは有名なベンジャミン・フランクリンの処世訓、俗にいう「時は金なり」である。「時間は貨幣だ」「信用は貨幣だ」「貨幣は繁殖し子を生むものだ」といったことを忘れるなと説くフランクリンのことばの特徴は、「信用のできる立派な人という理想、とりわけ自分の資本を増加させることを自己目的と考えるのが各人の義務だという思想」である▼3。そこで表明されているのが「資本主義のエートス」であるとウェーバーはいう。「『資本主義』は中国にも、インドにも、バビロンにも、また古代にも中世にも存在した。しかし、後に見るように、そうした『資本主義』にはいま述べたような独自のエートスが欠けていたのだ▼4。」このように、正当な利潤を天職として組織的かつ合理的に追求する信念にほかならない「資本主義の精神」が、たんに経営者だけでなく労働者にもひとしく分有されていることが近代資本主義の大前提なのだ▼5。「あたかも労働が絶対的な自己目的――《Beruf》「天職」――であるかのように励むという心情が一般に必要となるからだ。しかし、こうした心情は、決して、人間が生まれつきもっているものではない▼6。」というのも伝統主義的な生活態度であれば、人は習慣としてきた生活をつづけ、それに必要なものを手にいれることだけを願うにすぎない。この伝統主義を突破させたものはなにか。それをウェーバーは長年の宗教教育に求める。宗教といってもキリスト教全般ではない。宗教改革以降のプロテスタンティズムのそれである。
(4)禁欲的プロテスタンティズム――プロテスタンティズムは一六世紀ルターの宗教改革の影響で生まれ、西ヨーロッパおよびアメリカで盛んになった反カトリック教会の諸派のことである。聖書を徹底的に重視する点で、ローマ・カトリック教会およびロシア正教会と異なる。英語圏ではピューリタニズムとも呼ばれる。このプロテスタンティズムと「資本主義の精神」とをつなぐのは「禁欲」という概念である。だから、ウェーバーは正確には「禁欲的プロテスタンティズム」と呼ぶ。この禁欲的プロテスタンティズムの原点となっているのはカルヴィニズムの「恩恵による選びの教説」つまり予定説である。カルヴァンによるこのきわめてラディカルな思想によると、神は永遠の生命をあたえた人間をすでに選び、他の人間は永遠の死滅に予定したという。だれが永遠の生命に予定されているかは神のみぞ知る。しかも人間がそれを変えることは絶対不可能だと。これによって人びとは救済の道をいっさい絶たれることになる。聖書も助けえない、教会も助けえない、神さえも助けえない。「人間のために神があるのではなく、神のために人間が存在する」と考えるこの悲壮な教説は、人びとを絶対的な孤独と不安へ陥らせた。ウェーバーは「個々人のかつてみない内面的孤独の感情」とこれを表現する▼7。
(5)天職――こうしてプロテスタントにとって自分が神から選ばれているか否かが最大の問題となったとき、かれらに残された道はたったひとつだった。まず「誰もが自分は選ばれているのだとあくまでも考えて、すべての疑惑を悪魔の誘惑として斥ける」つまり自己確信をもつこと。そして自己確信を獲得するために「絶え間ない職業労働」にいそしむことである。なぜ職業労働かというと、ルターが聖書翻訳のさい「天職」(Beruf)概念を導入して以来、プロテスタントにとって世俗の職業は神が各人に与えた使命であり、職業労働につとめることがイコール「神の栄光をます」こととされていたからだ。こうして切実な宗教的不安を解消しようとする強烈なエネルギーが職業労働に向けられることになった。
(6)世俗内禁欲――もうけることが目的ではなく、ひたすら神の意志に合わせてみずからを職業人=天職人として自己形成する行為としての職業労働を中心とした生活。欲望や快楽や気まぐれや怠惰にしたがう自然のままの生活ではこれは実現できない。禁欲的に日常の生活をすみずみまでコントロールしなければならない。こうして、かつてはカトリックの修道院のなかでのみなされていた禁欲的生活が、今度は世俗内でおこなわれるようになった。これを「世俗内禁欲」という。「来世を目指しつつ世俗の内部で行われる生活態度の合理化、これこそが禁欲的プロテスタンティズムの天職観念が作り出したものだったのだ▼8。」
(7)近代資本主義――世俗内禁欲にもとづく積極的かつ合理的な職業活動は、皮肉にも小商品生産者を結果的にもうけさせることになった。なぜなら、かれらは利益の少ない一定の低価格で良い商品を規則正しく販売し正直な取引をしたからだ。これがおなじみの顧客をつかむことになったのだ。こうしてえられた富は天職の結果なのだから神の恩恵として認められた。しかし、かれらは貴族的消費を嫌悪していたから、この富は必然的に投資に向けられることになる。こうして期せずして資本が形成され、合理的産業経営の機構組織がつくりあげられた。このあたりのメンタリティが「資本主義の精神」にほかならない。資本主義の離陸もここからはじまる。ところが、ひとたび資本が形成され、合理的機構がつくられると、今度はそれらが利潤を要求し、合理的な経営をしなければならなくなってくる。それまで内面的な宗教倫理によってなされてきたことが、「資本主義の精神」を経て、やがて経済的強制にとってかわる。こうしてわたしたちのよく知っている鋼鉄のような近代資本主義となる。ウェーバーは最後につぎのようにのべている。「ピュウリタンは天職人たらんと欲した――われわれは天職人たらざるをえない。というのは、禁欲は修道士の小部屋から職業生活のただ中に移されて、世俗内的道徳を支配しはじめるとともに、こんどは、非有機的・機械的生産の技術的・経済的条件に結びつけられた近代的経済秩序の、あの強力な秩序界[コスモス]を作り上げるのに力を貸すことになったからだ。そして、この秩序界は現在、圧倒的な力をもって、その機構の中に入りこんでくる一切の諸個人――直接経済的営利にたずさわる人びとだけでなく――の生活のスタイルを決定しているし、おそらく将来も、化石化した燃料の最後の一片が燃えつきるまで決定しつづけるだろう▼9。」
理念と利害
以上のようなウェーバーの説はきわめてセンセーショナルなもので、当時大論争を呼び起こした。その理由は大きくわけてふたつあった。ひとつはその逆説性だ。一般の常識では、まず「もうけたい」という営利本能があって、そこから活発な職業活動をへて資本形成にいたると考える。ところが、ウェーバーの理論はその逆をいく。もうけることを罪悪として嫌っていたもっとも禁欲的な人びとが宗教的な動機から職業労働に励むことで資本形成への道を歩みだし、結果的に経済的合理主義を生みだしたというのだから。これは当時の常識に対してかなり意表をついていた。
第二に史的唯物論との対決という論点があった。ウェーバーは史的唯物論の基本的な考え方――「存在が意識を規定する」つまり物質的利害=経済がいっさいの歴史を左右する――をある程度は認めつつも、その限界点をつく。それは理念の果たす歴史的役割の重要性についてである。この点を明確にのべた有名なフレーズを紹介しておこう。「人間の行為を直接に支配するものは、利害(物質的ならびに観念的な)であって理念ではない。しかし、『理念』によってつくりだされた『世界像』は、きわめてしばしば転轍手として軌道を決定し、そしてその軌道の上を利害のダイナミズムが人間の行為を押し進めてきたのである▼10。」「転轍手」とは線路のポイント切り替え装置のことだ。つまり、理念という転轍手が、人間の行為という列車の進む方向を決める役割を果たすことがあるというわけだ。「プロ倫」はまさにその一事例なのである。
しかし、かといって「資本主義の精神」が宗教改革の一定の影響の結末としてのみ発生しえたとか、また、経済制度としての資本主義はもっぱら宗教改革の産物だなどと主張しているわけではない▼11。かれ自身があちこちで強調しているように、「プロ倫」で提示したのは複合的な因果連鎖のひとくさりにすぎない。
方法としての「理解」
主観的な〈意味の世界〉がまさにブレイクスルー[突破]となるプロセスをスリリングにえがいた「プロ倫」は、人間の意味世界の探求を媒介に歴史的社会の潮流を探る画期的な研究だった。この点で「プロ倫」が理解社会学の具体的展開事例であることを再度確認しておきたい。
結局社会現象が自然現象とちがうところは、人間の主観的意味に深く規定されていることである。たとえば台風の進路のような自然現象は、外的に観察できるさまざまな気象条件から解明されるにとどまる。それに対して、社会現象の方は外的観察に加えて、行為者の主観的意味を理解することによってより因果関係が明瞭に説明できる可能性がうまれる。その意味で「理解」の方法は社会学にとって独自の分析装置となるものである▼12。
そのさい、主観的意味は単独に存在するものではなく、広い社会的文脈に位置づけられなければならない。これを「意味連関」という。理解社会学では意味連関を知的に理解することが〈説明〉になる。「プロ倫」でいえば「自分は天国に行けるかどうか」という禁欲的プロテスタントたちの孤独な不安が「主観的意味」にあたり、そういう心理を導いた天職観念などがさしあたりの「意味連関」に相当する。また世俗内での禁欲的生活という行為は、中世キリスト教の修道院制度における世俗外禁欲にその淵源をもち、その源泉はさらに古代ユダヤ教の預言にまでさかのぼりうる。こうした歴史的な意味連関をたどらなければ、その主観的意味は十分説明できないというわけである。
以上のかんたんな紹介からも、理解社会学がたんなる心理学ではないことがわかると思う。生理的本能や身体的環境を絶対視してその関数としてしか人間の心理をみようとしない非歴史的な心理学主義への傾斜の誘惑はたえず存在するけれども、これに抗することが理解社会学に課せられたもうひとつの使命でもある。
▼1 ウェーバーについての研究論文では「倫理」論文と呼ばれることが多い。訳書は、マックス・ヴェーバー、大塚久雄訳『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(岩波文庫一九八九年)。旧訳を全面的に改訳した新版。格段に読みやすくなって知的スリルをかんたんに味わえるようになった。解説も初心者向きに徹して秀逸。これから社会学を勉強する人は幸せである。なお、研究者によって「ウェーバー」と表記される場合と「ヴェーバー」と表記される場合とがある。本書ではおもに社会学系の慣用にしたがって「ウェーバー」に統一した。
▼2 マックス・ヴェーバー、大塚久雄・生松敬三訳『宗教社会学論選』(みすず書房一九七二年)三四ページ。
▼3 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』四三ページ。
▼4 前掲訳書四五ページ。
▼5 前掲訳書七二ぺージ。
▼6 前掲訳書六七ページ。なお、ここで「心情」と訳されているGesinnungは、むしろ「信念」と訳されるべき概念である。阿閉吉男『ウェーバー社会学の視圏』(勁草書房一九七六年)および岡澤憲一郎『マックス・ウェーバーとエートス』(文化書房博文社一九九〇年)参照。
▼7 前掲訳書一五六ページ。
▼8 前掲訳書二八七ページ。なお、ここで「世俗」と訳されるWeltは「現世」の意味でもあるので、「現世内禁欲」とも訳される。以下の記述における「世俗」も同様。
▼9 前掲訳書三六五ページ。
▼10 マックス・ヴェーバー『宗教社会学論選』前掲訳書五八ページ。
▼11 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』前掲訳書一三五ページ。
▼12 1-3参照。
3-4 「文化の悲劇」と「意味喪失」
行為の主観的意味と客観的結果
巨大な組織や強力な権力、国家をこえてゆきわたる資本主義のような社会体制を考えると、個人ひとりひとりはずいぶんちっぽけな存在に思える。事実、それらは個人の力ではどうしようもなく大きな力をもっている。わたしたちはそれについ圧倒されてしまう。しかし、それらを現実につくりだし、かつ支えつづけているのは、まぎれもなく個人個人の思いをこめた行為なのだ。社会的事実・社会現象をいったん人間の行為にまでさかのぼって、そこに働いている〈意味の世界〉を理解すること――すでに確認したように、これが社会学独自の有力な方法である。
とはいうものの、これはけっこうむずかしい作業である。というのは、人びとの主観的意味とそれがもたらす客観的結果とがしばしばくいちがうからである。
「プロ倫」でも、プロテスタントたちは社会を資本主義的に改造するために禁欲的に職業活動に励んだのではなかった。ただひたすら魂の救済を望んでいただけである。かれらの、主観的意味とは別に、その行為の集積が資本の蓄積をもたらし、他のさまざまなファクターと複合することによって、強力な自律性をもった資本主義という巨大な経済システムを離陸させる結果となったのである。つまりそれは「意図せざる結果」だった▼1。
「軸の転回」と「文化の悲劇」
社会形成のプロセスにとって「意図せざる結果」はつきものだ。なぜなら、そこにはかならず「軸の転回」(Achsendrehung)と呼ばれる現象が生じるからである。「軸の転回」とは、もともとの目的や意図などの内容をふくんだ生の全体から、しだいに形式が分離し、やがて自律性をもつようになることだ。これ自体は社会形成の必然的なプロセスである▼2。
たとえば、「生きるため」という実践的目的の知識から自己目的的な学問=科学が生じるように、生活全体に融合していた美的要素や遊びから芸術やゲームといった活動が自立するように、また諸個人の活動を相互に規制しあう調整から法が自立するように、そして経済の純粋な手段としての貨幣が今度は絶対目的としての貨幣に転換するように、もともと目的を達成するために生じた媒介手段が、自己目的をもった自律的世界へと転回してしまうことである。
問題なのは、この「軸の転回」が「文化の悲劇」と呼ばれる事態と表裏一体だということだ。
よく手作りの市民運動が大きくなりすぎて「こんなはずじゃなかった」ということがある。また個人経営の会社が大資本の株式会社に成長したために、創業者とその経営理念がじっさいの経営から排除されることも少なくない▼3。「文化の悲劇」とはこのような逆転現象をもっとマクロにとらえた概念である▼4。
「文化の悲劇」のもっとも典型的な事例は、原子力であり、公害であり、戦争である。こうした直接的な悲劇性とともに、官僚制や法の非人格性といった、システムの自律性の結果としての「文化の悲劇」も重要である。トップでさえ思うようにならない巨大組織や社会体制の問題が、現代社会のさまざまなひずみを生みだしている事実は、周知のことである。
ウェーバーの意味喪失問題
このような見方はウェーバーにも共通している。いや、むしろウェーバーはこのようなジンメルの洞察をニーチェの哲学とともにうけついだのだというべきであろう。それはたとえばつぎのような発言にはっきりあらわれている。「はじめ偉大な世界観から出発した結合体が、事実上ますますもとの世界観から離れていくような機構となる、そういうことがあります。こうした事態は、よくいわれるようなあの『悲劇』、すなわち、現実のなかに理念を実現しようとする企てがいつも落ちこむところの一般的な『悲劇』にまったく近いことがらです▼5。」このあたりの事情はアーサー・ミッツマンによってつぎのように明確に表現されている。「非常に立場の近い友人ゲオルク・ジンメルは、『主観的』精神に対する『客観的』精神の不可避的な勝利という考え、すなわち、創る人間に対して創られた物が勝利を収めるという考えをウェーバーに与え、ウェーバーはそれを彼の社会学の中で見事に使いこなした。たしかに、ウェーバーの業績は、政治的宗教的なイデオロギーおよび制度の歴史に対するジンメルの洞察を多くの点においていっそう掘り下げて応用したものと解しうるであろう。――すなわち物象化の社会学▼6。」
ウェーバーがジンメルの「文化の悲劇」概念をうけつぐなかでつけくわえた強調点のひとつに「意味喪失問題」がある。ウェーバーはいう。「『文化』なるものはすべて、自然的生活の有機的循環から人間が抜け出ていくことであって、そしてまさしくそうであるがゆえに、一歩一歩とますます破滅的な意味喪失へと導かれていく▼7」と。
その典型的事例がほかならぬ近代科学である。科学は「われわれはなにをなすべきか、いかにわれわれは生きるべきか」というトルストイ的問いに対してなにも答えない。これらは問題外とされる。これについてウェーバーは近代医学を例にあげている。医学は著しい発達をとげた。しかし、その前提には生命の保持という単純な前提があるのみで、生きる意味も死ぬ意味も問題外である。一般に自然科学は、もし人生を技術的に支配したいと思うならばわれわれはどうすべきであるか、という問いにたいしてはわれわれに答えてくれる。しかし、そもそもそれが技術的に支配されるべきかどうか、またそのことをわれわれが欲するかどうか、ということ、さらにまたそうすることがなにか特別の意義をもつかどうかということ、――こうしたことについてはなんらの解決をも与えず、あるいはむしろこれをその当然の前提とするのである▼8。」「生の質」や「死」を排除してきた従来の医学に対する批判と反省が今日の医療現場において噴出していることを思うと、ウェーバーの指摘は現代に響くものをもっている▼9。
ところで「プロ倫」の末尾の方でウェーバーはつぎの有名な一節を残している。それをみてこの節を終えることにしよう。「将来この鉄の檻の中に住むものは誰なのか、そして、この巨大な発展が終わるとき、まったく新しい預言者たちが現われるのか、あるいはかつての思想や理想の力強い復活が起こるのか、それとも――そのどちらでもなくて――一種の異常な尊大さで粉飾された機械的化石と化することになるのか、まだ誰にも分からない。それはそれとして、こうした文化発展の最後に現われる『末人たち』》letzte Menschen 《にとっては、次の言葉が真理となるのではなかろうか。『精神のない専門人、心情のない享楽人。この無のものは、人間性のかつて達したことのない段階にまですでに登りつめた、と自惚れるだろう』と。――▼10」近代社会の物象化傾向に対するペシミスティックな展望をここにみることができる。
▼1 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』前掲訳書一三四ページ。
▼2 G・ジンメル、阿閉吉男訳『社会学の根本問題――個人と社会』(現代教養文庫一九六六年)七八ぺージ-八一ページ。
▼3 このような「悲劇」についてはジョージ・オーウェルの強烈な批評眼による寓話的小説『動物農場』を読んで考えてほしい。高畠文夫訳『動物農場』(角川文庫一九七二年)。なおオーウェルという作家自体もたいへんおもしろい存在でかれの生き方と思想そのものが良質の社会学的テキストだと思う。この訳書に付せられた五〇ページにおよぶ訳者の解説はもっとも安価なオーウェル伝記であり、これでオーウェルについて入門してもらいたい。
▼4 ゲオルク・ジンメル、阿閉吉男訳「文化の概念と悲劇」阿閉吉男編訳『文化論』(文化書房博文社一九八七年)。
▼5 ドイツ社会学会第一同大会におけるウェーバーの「会務報告」。マックス・ウェーバー、中村貞二訳「ドイツ社会学会の立場と課題」完訳世界の大思想1『ウェーバー社会科学論集』(河出書房新社一九八二年)二二七-二二八ぺージ。
▼6 A・ミッツマン、安藤英治訳『鉄の檻――マックス・ウェーバー 一つの人間劇』(創文社一九七五年)一六四ページ。ただし、訳文中「ジムメル」とあるのを「ジンメル」に改めた。
▼7 マックス・ヴェーバー『宗教社会学論選』前掲訳書一五八-九ぺージ。この点についてはユルゲン・ハーバーマス、河上倫逸・フーブリヒト・平井俊彦訳『コミュニケイション的行為の理論(上)』第二章第四節(1)「同時代診断の二つの契機――意味喪失と自由喪失」参照。
▼8 マックス・ウェーバー、尾高邦雄訳『職業としての学問』(改訳版・岩波文庫一九八〇年)四五ページ。タイトルの「職業」とはBeruf「天職」のこと。本書はウェーバーが一九一七年におこなった講演。『職業としての政治』とともに社会系学生の必読書。このふたつの講演についてくわしく解説したものとして、W・シュルフター、米沢和彦・嘉目克彦訳『現世支配の合理主義――マックス・ヴェーバー研究』(未来社一九八四年)第二章がある。講演のおこなわれた年についてもこの論文に準拠した。
▼9 医療については第二三章でくわしく検討する。ここではさしあたりウェーバーの抽象化されたことばを具体的に理解してもらうために医療現場の実態をえがいたルポルタージュを紹介しておく。保阪正康『日本の医療――バラ色の高齢化社会は崩壊するか…』(朝日ソノラマ一九八九年)。
▼10 ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』前掲訳書三六六ページ。なお、ここで引用されている「心情のない享楽人」も、すでにのべたように「信念のない享楽人」と理解すべきである。
3-5 コミュニケーション過程としての社会
社会のラングとパロール
ウェーバーがこのような壮大なスケールで理解社会学的研究を試みていたとき、ジンメルは日々の微細な活動に注目する形で社会を人間的意味の世界としてときほどこうとしていた。
ジンメルによると、社会とは本質的には「諸個人間の心的相互作用」だという。これが反復的になされ、さらに緊密化して恒久的な枠組や組織――これを「社会形象」という――へと結晶化するのである。肉体にたとえると、社会形象は心臓・肺・肝臓.胃などにあたる。資本や国家や宗教のような制度とか社会的事実のことである。ところが、ひとたび結晶化した社会形象においても、この心的相互作用は脈拍のようにたえず運動しつづけており、それによってそれぞれの社会形象に統一性と弾力性をあたえている。それは臓器だけでは生命にならず血がかよっていなければ生きられないのと同じである。
したがって、社会にはふたつの相があるといえる。第一に社会形象に結晶化する相。第二に社会形象をいきづかせている働きの相。ジンメルは後者の側面を「生起としての社会」と呼んで重要視した最初の社会学者である。
これを別のメタファーで説明しなおしてみよう。まず、社会は言語のようなものだと思ってほしい。ソシュール以来の言語学によると、言語活動[ランガージュ]はラング(lang)とパロール(parol)のふたつの側面をもっている。ラングは言語活動の制度的な側面であり、パロールは特定の話者によって発せられた具体音の連続――すなわち「語られたことば」つまり「おしゃべり」――である。ラングは言語のあるべき規範、パロールは個人個人によるその具体的な運用といっていいだろう。ラングを共有しているからこそ個々のパロールが成立する。他方、個々のパロールが結果的に規範としてのラングを実現し、ときにはラングを変容させる。これがラングとパロールの関係である。
社会にもラングとパロールの相がある。つまり、ラングの側面とは物象化傾向をもつ〈客観的現実としての社会〉だ。こちらの方ばかりをみつめているとウェーバーのようにペシミスティックになってしまうが、社会には別の局面も存在している。それがパロールの相だ。こちらの方は流動的なダイナミズムにみちている。ジンメルはそれをつぎのように表現する。「ひとびとがたがいに目をかわしたり、たがいにねたみあったり、たがいに手紙を出しあうかそれとも昼食をともにしたり、たがいにすべての、はっきりした利害を離れて同情的にふれあうかそれとも反目してふれあったり、利他的行為にたいする感謝からさらに離れがたい結合が生まれたり、他人に道をたずねたり、たがいに装いをこらして着飾ったりすること――これらの例はすべてまったく偶然に選び出したものであるけれども、数多くの、人から人へとおこなわれる関係である▼1。」ジンメルはそれらが結晶化して組織や制度などの社会的事実になることもあるし、ならないときでも「なお諸個人を結びあわせる永遠の流動であり、脈拍である」とする。社会といっても実在するのはこのような諸個人間の相互作用であり、モノのような「実体」ではなく「生起」だという。これが社会生活に強靱さ・弾力性・多様性・統一性をあたえているのだという▼2。だからこそ「人間のあいだの微細な関係、つまりはしなやかな糸を発見すること」が社会学の重要な課題となる▼3。
まとめてみよう。「人間が社会をつくる」といっても、これにはふたつの側面があるということだ。
(1)ラングの局面――社会形象
(2)パロールの局面――生起としての社会
ジンメル以降の社会学には、このような社会のパロールの局面を重視する系譜がある。その系譜においては、「生起としての社会」のかわりに、主として「生活世界」(Lebenswelt,life-world)という概念がもちいられてきた。総じて「日常生活における意味の世界」と考えてもらえばいい。前掲引用文においてジンメルは比喩的に「脈拍」と呼んでいる。この局面では微視的なコミュニケーションのプロセスが問題として浮上する。
都市社会におけるさまざまな意味世界
個人間のコミュニケーションの微視的世界に最初に注目したのはジンメルだが、それはやがて二十世紀初頭シカゴ大学に集まった社会学者たちによって実証的に展開されることになり、一九六〇年代以降ふたたびアメリカ社会学の大きな潮流にさえなった。そのような研究のなかからいくつか紹介しよう▼4。
たとえば、さきほど「状況の定義」概念の提唱者として紹介したトマスは、ポーランド出身のフローリアン・W・ズナニエツキと協力して、膨大な第一次資料をふくむ『ヨーロッパとアメリカにおけるポーランド農民』(全五巻)を公にしている。これは二十世紀初頭のアメリカで社会問題になっていた移民問題を、そのひとつの構成員だったポーランド農民に焦点を当てて、かれらの生活世界を解明しようとしたものである。そのさいトマスらが使った手法は、移民新聞などに広告をだして、ありったけの第一次資料つまり農民たちの日記・手紙・生活史をつづった詳細な手記・新聞記事・法廷記録・クラブの活動記録などを収集し、そこにあらわれているさまざまな生活世界を解読することだった。このようなあらかじめデザインされていない主観的な資料群のことを「ヒューマン・ドキュメント」(human document)という。これは統計調査や社会福祉的な行政調査などではくみとれないヴィヴィッドかつ繊細な意味世界を発見するためにとられた大胆な手法だった。以後この調査は、シカゴ大学の研究者によってさかんになされた社会調査の出発点となり、大きな影響をおよぼすことになる▼5。
トマスはシカゴ大学社会学科にいた。ここはアメリカで最初に社会学部が創設されたところであり、アメリカ社会学の水準を押し上げたそうそうたる研究者が集まっていた。なかでも注目されるべき人物としてロバート・E・パークがいる。かれは五十歳近くになってシカゴ大学に招かれる以前に、ジャーナリストとして活躍したのち、ドイツ留学を経て、ながらく黒人解放運動にさずさわってきた人物だった。「都市は、人間性と社会過程を、もっとも有効かつ有利に研究しうる実験室である」というかれの有名なことばは今日でも都市社会学の出発点となっているが、この考え方によると、社会学者は書斎ではなく街にでなければ実のある研究はできないということになる▼6。こうしてパークの弟子たちは続々とシカゴの街なかに深く分け入っていった。その成果をいくつかひろってみよう。
ネルス・アンダーソンの『ホボ――ホームレスの社会学』(一九二二年)――日雇いの渡り労働者や浮浪者の世界を克明にえがく▼7。
フレデリック・M・スラッシャーの『ギャング――シカゴにおける一三一三人のギャングの研究』(一九二七年)――膨大な少年ギャングを七年ごしに観察しかれらの集団内の役割構造[「リーダー」「企画指導者」「おどけた少年」「弱虫」「自慢家」「身代わり」など]や居住地の分布を分析。
ルイス・ワースの『ゲットー』(一九二八年)――ゲットーとは自然発生的にできたユダヤ人地区のこと。そこにおけるユダヤ人の生活制度を分析した▼8。
クリフォード・R・ショウの『ジャック・ローラ――非行少年自身による話』(一九三〇年)――ポーランド系の一非行少年との六年ごしのつきあいのなかで、かれ自身による五万字の生活史の記録をつくってもらい非行の遍歴過程を詳細に分析。ジャック・ローラーとは「かっぱらい」のこと。その続編として『非行歴の自然史』(一九三一年)『非行の仲間』(一九三八年)▼9。
P・G・クレッシーの『タクシー・ダンスホール――商業的娯楽と都市生活の社会学的研究』(一九三二年)――時間ぎめで客の男に雇われるダンサーたちと客とのやりとりをえがく。
エドウィン・H・サザーランド『プロの窃盗犯』(一九三七年)――盗みのプロは、危険を避け、もみ消しなどの戦術を駆使することによって刑罰を回避する。そして、回避できるほど仲間内の地位が上がる。金と安全性をめぐる窃盗のプロたちの成熟した文化を記述▼10。
これらは一九二〇年代から一九三〇年代にかけてなされたおもな調査研究――正確には「モノグラフ」と呼ばれるもので、調査方法が民族誌的であることから「エスノグラフィー」とも呼ばれる――である。いずれも研究対象の集団のなかにみずから入っていって、人びとの微細かつ繊細な人間関係のありようや内的な感情や知識を理解しようとするところに共通の目標があった。
たとえばアンダーソンがパークの指導のもとにまとめた『ホボ――ホームレスの社会学』は、安ホテルや下宿に滞在するいわゆる住所不定のホーレスの調査である。日本でいえば山谷か西成愛隣地区というところだ。当時のシカゴには数万人のホームレスがいたという。そこで生活したり一時的に滞在するホームレスたちの世界は、じつは単純でもなければ、悲惨なものでもなければ、無秩序なものでもない。そこには複雑な階層があり、社会的序列があり、厳格な掟があった。たとえば、かれらのあいだではなにか仕事をしている者の方がランクが高いのだが、それよりも移動性の高い者(各地を渡り歩く者)の方がパイオニア精神があるとして、より高いランクがあたえられたという。また、人びとの関係は民主的で人種差別はほとんど存在せず、夜中にみんなが寝ている最中に他人の物を奪うことをきびしく禁じた掟が厳格に守られているといったことをくわしく報告している▼11。
参与観察
『ホボ』に始まるシカゴ学派のモノグラフの大きな特徴は、集団固有の意味世界そのものが対象に入っていることと、それを発見するための「非統制的参与観察」の手法である。「非統制的」とは、実験のように観察者が人為的に条件をコントロールしないということだ。参与観察は集団の内側からの把握をめざし、観察される人びとの内的意味世界へ立ち入るのに有効な調査方法である。
これがほとんどルポルタージュと同じ手法であることに注目してほしい。たとえば『ホボ』のアンダーソンが調査にあたって師匠のパークから受けた助言は「新聞記者のように、君が見、聞き、そして知ったことだけを書きとめよ」というものだったという▼12。この場合、社会学はジャーナリズムとほとんど同義である。
さて、このようなスタイルの研究はその後もくりかえしあらわれている。有名なものではウィリアム・F・ホワイトの『ストリート・コーナー・ソサエティ――イタリア人スラムの社会構造』(一九四三年)がある。これは当時二十代のホワイトが、ボストンのコーナヴィルというイタリア系移民のスラムに住み、「ドック」という青年を中心とする若者グループ(早い話がチンピラやくざ)の行動と意識を、生活場面をともにすることによって、ヴィヴィッドにえがいた参与観察調査の古典である▼13。
また、ハワード・S・ベッカーの『アウトサイダーズ――逸脱社会学の研究』(一九六三年ただし所収の一連の論文は五十年代に書かれている)では、シカゴ大学在学中からプロのジャズ・ピアニストとして働いていたベッカーが、ミュージシャンたちとのさまざまなつきあいのなかで参与観察をつづけ、その閉鎖集団独特の文化と意識をえがくとともに、マリファナ・ユーザーたちがどのような「学習」過程を経てそうなっていくかを分析した▼14。
以上のようなシカゴ学派の伝統はひとたび後景に退いたものの、その後かなり洗練された形で再演され、社会学者にふたたび大きなインパクトをあたえることになる。アーヴィング・ゴッフマンの『アサイラム』(一九六一年)がそれである。〈アサイラム〉とは、ここでは収容所のことを指す。つまり、ここで対象となっているのは、病院や精神病院・老人ホーム・刑務所・寄宿舎などのように個人の生活を丸抱えでつつみこむ施設――これを「全制的施設」と呼ぶ――にくらす人びとである。かれはこの研究にあたり病院で一年間参与観察をつづけた。そのあたりの事情についてかれはこう書いている。「聖エリザベス病院での実地調査をするに当って私が直接の目的としたのは、入院患者の社会的世界について、それが患者によって主観的に体験されているままに、知りたい、ということであった。私は、余儀なくレクリエーションならびに地域生活の研究者であるとふれこみ、体育指導主任の助手という役割をつとめることになった。私は、職員との交際をさけ、また鍵ももち歩かず、終日患者と一緒に時を過ごした。[中略]当時も現在も変わらない私の信念は、どんな人びとの集団も――それが囚人であれ、未開人であれ、飛行士であれ、また患者であれ――その人びと独自の生活[様式]を発展させること、そして一度接してみればその生活は有意味で・理にかなっており・正常であるということ、また、このような世界を知る良い方法は、その世界の人びとが毎日反復経験せざるを得ぬ些細な偶発的出来事をその人びとの仲間になって自ら体験してみること、というものである▼15。」ごらんの通り、これまで紹介してきたシカゴ学派の社会学的エートスがここで鮮明に語られている。
ところで、このような試みはアメリカ社会学に限定されるわけではない。フランスのエドガル・モランは、パリ近郊の都市オルレアンで生じた女性誘拐のうわさを分析したモノグラフ『オルレアンのうわさ』(一九六九年)で一種のエスノグラフィーの手法をもちいている。うわさの存在を知ったモランはすぐさまチームを引き連れてオルレアンに向かい、調査者としてではなく、まったくの市民としてさまざまな種類の人たちにインタヴューする。それらを総合することによって、じっさいには事実無根だったうわさの背後にある偏見や不安などの意識をみごとに浮かび上がらせた▼16。
生活史法
シカゴ学派のモノグラフのもうひとつの方法的特徴は「生活史法」だ。トマスとズナニエツキの『ポーランド農民』やショウの『ジャック・ローラー』で中心的役割をしていた手法である。要するに、対象となる人びとに個人史(自伝)を作成してもらうか、あるいはインタヴューによって再構成し、それを他のさまざまなデータと照合しつつ分析するのである。『ポーランド農民』では二七歳の青年が三百ページもの個人史を書いているし、『ジャック・ローラー』では五万字の手記を数年かけて書いてもらっている。
日本では中野卓による一連の研究があるが、ここでは短いものをひとつ紹介するにとどめよう。見田宗介のセンシティブな論文「まなざしの地獄」である▼17。
この論文が学ぼうとするのはN・Nというひとりの青年である。かれは青森の中学をでて集団就職の一員として東京に上京して以来、都市のさまざまな〈まなざしの地獄〉を体験する結果、いっさいの希望をうしない、十九歳のとき、都心の盛り場をさまよううちに、あるきっかけからガードマンを射殺し、つづいて三件の射殺事件をおこしてしまう。見田はN・Nの生活史上の経験の〈意味〉をたんねんにほりおこし、一連の事件へといたる階梯を共感的に分析するのである。
以上紹介してきた参与観察や生活史法によるモノグラフは、調査方法としてはソフトな手法であり、その分、妥当性や信頼性に欠ける面もあるが、社会現象の人間的意味を知るためには必要なことである。しかし、現代日本では社会学者によるこうした研究はそれほど多くない。むしろ社会派といわれるルポライターやフリーランスのジャーナリストによって精力的におこなわれているのが現状である。その意味では、このようなジャーナリズムと社会学の協力が今後ますます重要なものになってくると思われる▼18。
▼1 ジンメル『社会学の根本問題――個人と社会』前掲訳書二四ページ。
▼2 前掲訳書二四ページ。別の論文では「生まれたばかりの状態」「日々刻々にあらわれるような状態」とも表現している。ジンメル『社会分化論 社会学』前掲訳書一九六ページ。
▼3 前掲訳書一九七ページ。
▼4 本項で紹介するシカゴ学派の文献については直接参照できなかったものもあるので以下の研究書を参照した。秋元律郎『都市社会学の源流――シカゴ・ソシオロジーの復権』(有斐閣一九八九年)。宝月誠・中道實・田中滋・中野正大『社会調査』(有斐閣一九八九年)。宝月誠「社会過程論としての社会学」新睦人・大村英昭・宝月誠・中野正大・中野秀一郎『社会学のあゆみ』(有斐閣新書一九七九年)第三章。宝月誠『逸脱論の研究――レイベリング論から社会的相互作用論へ』(恒星社厚生閣一九九〇年)。G・イーストホープ、川合隆男・霜野寿亮監訳『社会調査方法史』(慶應通信一九七九年)。
▼5 W・I・トマス、F・W・ズナニエツキ、桜井厚訳『生活史の社会学――ヨーロッパとアメリカにおけるポーランド農民』(御茶の水書房一九八三年)。
▼6 ロバート・E・パーク、町村敬志・好井裕明編訳『実験室としての都市――パーク社会学論文選』(御茶の水書房一九八六年)。
▼7 東京市社会局訳編『ホボ――無宿者に関する社会学的研究』(東京市社会局一九三〇年)[部分訳・磯村英一訳]があるということだが入手は困難。
▼8 L・ワース、今野敏彦訳『ゲット――ユダヤ人と疎外社会』(マルジュ社一九八一年)。
▼9 本書の翻訳はないが、宝月誠によるくわしい紹介と分析がある。前掲『逸脱論の研究』第四章「逸脱者のキャリア分析――『ジャック・ローラー』の解釈の試み」。
▼10 C・コンウェル、E・サザーランド、佐藤郁哉訳『詐欺師コンウェル――禁酒法時代のアンダーワールド』(新曜社一九八六年)。
▼11 宝月誠「社会過程論としての社会学」前掲書による。
▼12 秋元律郎、前掲書一八八ぺージ。
▼13 寺谷弘壬訳『ストリート・コーナー・ソサイエティ』(垣内出版一九七九年)。
▼14 村上直之訳『アウトサイダーズ――ラベリング理論とはなにか』(新泉社一九七八年)。
▼15 ゴッフマン、石黒毅訳『アサイラム』(誠信書房一九八四年)i-iiページ。
▼16 エドガール・モラン、杉山光信訳『オルレアンのうわさ』(みすず書房一九七三年)。くわしくは13-1参照。このあたりになると現代日本のわたしたちが読んでもピンとくるが、やはり日本のものの方がとりつきやすいだろう。その点、佐藤郁哉の『暴走族のエスノグラフィ――モードの叛乱と文化の呪縛』(新曜社一九八四年)が内容的に身近ですこぶるおもしろい。これを読むと社会学とジャーナリズム(とくにルポルタージュ)のちがいもよくわかると思う。
▼17 見田宗介「まなざしの地獄」『現代社会の社会意識』(弘文堂一九七九年)。これはつぎの本にも再録されている。見田宗介・山本泰・佐藤健二編『リーディングス日本の社会学12文化と社会意識』(東京大学出版会一九八五年)。
▼18 ジャーナリズムと社会学の中間領域に言及したものとして古典的なのはカール・マンハイムの「現代学」だろう。それに関してかれはこうのべている。「われわれは喜んで、この社会的ルポルタージュ――場合によってはその偶像崇拝をも――引きうけたい。ここには新しい生の感情の極めて価値ある萌芽が脈打っており、それを社会的好奇心から社会的理解へと深めることはわれわれにとり重要である。」マンハイム、朝倉恵俊訳「社会学の現代的課題」『マンハイム全集3社会学の課題』(潮出版社一九七六年)二九八ぺージ。なお、本書の「あとがき」に私見をのべたので参照されたい。
増補
ウェーバー再入門
社会学書の出版がきわめて困難だった時期にも出版業界では「ウェーバーだけは売れる」といわれてきた。ウェーバーは社会科学全般にかかわる巨匠であり、したがって需要も多いのである。その分、出版点数も多く、何を読めばいいか戸惑うかもしれない。最近出版された概説書では次のコンパクトな一冊を薦めておきたい。
山之内靖『マックス・ヴェーバー入門』(岩波新書一九九七年)は、ウェーバーにおける近代との緊張関係を『古代農業事情』を主軸に据えることによって明確に構図を提示したもの。緊張関係としかいいようのないウェーバーの人生の「救済」のありかを示している。ただし、かなり高度であり「ウェーバー再入門」とも呼ぶべき書である。
他方、ウェーバー自身の主要作品の翻訳も入手しやすくなった。マックス・ヴェーバー『古代ユダヤ教(全三冊)』内田芳明訳(岩波文庫一九九六年)はそのひとつ。
■意図せざる結果
3―4の「『文化の悲劇』と『意味喪失』」で紹介した「意図せざる結果」については、本編二四ページに紹介したマートンの『社会理論と社会構造』を参照してほしい。とくに「予言の自己成就」論文が重要である。
この論点をモデル・スペキュレーションを用いてやさしく解説したテキストとして、小林淳一・木村邦博編著『考える社会学』(ミネルヴァ書房一九九一年)がある。社会現象のパラドックスがよくわかる現代的なテキストである。数理社会学入門としても読めるが、タイトル通り、社会学の「考える」側面をていねいに説いた本。
■ルポルタージュを読む
一般にジャーナリズムとして取り上げられるのは報道機関の活動である。しかし、組織ジャーナリストだけがジャーナリズムの送り手ではない。個人ジャーナリストも有力な担い手である。たとえばオウム問題をいち早く取材し続けていたのは著名な報道機関ではなく、個人ジャーナリストだったことを想起しよう。世の中には報道機関が取材も報道もしない事実がいっぱいある。それらの事実は重要でないから報道されないのではなく、報道機関側の組織上の都合によって報道されないのである。そのため、ジャーナリズムの最前線は日本の場合、フリーのジャーナリストによって担われることが多い。組織ジャーナリストはたいてい後追いである。
九四ページでかんたんに紹介したように、個人ジャーナリストによるルポルタージュ(広くはノンフィクション)を読むことは、社会学的にも意味があることだと思う。もちろん、社会学的に見て分析は甘いかもしれないが、素材そのもののディテールを知るということと、問題意識の醸成に役立つ。
ここでリストを追加するのは困難である。それだけで一冊の本になる。じっさいに本になってしまったのが、柳田邦男『人間の事実』(文藝春秋一九九七年)。ノンフィクションの膨大なリストと解説がある。ノンフィクションをよく読む人は必携のガイドブック。とくに柳田がノンフィクションの原点を当事者の手記に見ている点に注目したい。事実の存在を最初に発見するのは、いつも当事者なのである。その声に気づき、耳にを傾ける感受性こそが、ジャーナリストの資質を左右するのだ。それは社会学も同じであり、フィールドワーク調査の原点でもある。
Prev←■→Next
現在地 ソキウス(トップ)>社会学感覚
SOCIUS.JPドメインへの初出 8/4(Sun), 2002  最終更新日:4/1(Sat), 2017
このページのURLは http:///Users/nomurakazuo/Dropbox/socius.jp/lec/03.html
Copyright (C)1995-2015 by Kazuo Nomura(野村一夫) 無断転載はご遠慮ください。リンクはご自由に。
Valid XHTML 1.0!Document type: XHTML 1.0 Transitional
閲覧日 4/1(Sat), 2017

Read More

4月 12017

社会学感覚1脱領域の知性としての社会学

Socius  ソキウス   著作+制作 野村一夫

フロントページ


現在地 ソキウス(トップ)>社会学感覚
社会学感覚
1 脱領域の知性としての社会学
1-1 社会学のマッピング
現代社会学の研究領域
社会学ということばは比較的なじみやすい。だれもが知っている「社会」と「学」を組み合わせただけのこのことば、一般の人は社会科の大学版のことだと思ってすませている。しかし、これは誤解である。社会学は小中高校の社会科とはまったく異なるものをさしていると考えた方がよい▼1。社会科から地理と歴史を除いた「公民」「現代社会」「政治経済」「倫理社会」などの課目とほぼ対応する科学は社会科学(social sciences)と呼ばれる。社会学は経済学・政治学・法律学などとともにその一翼を担っているにすぎない▼2。つまり、社会学と小中高校の社会科とは、ほんのかすかにつながっているだけで、ほとんど連続性はないということだ。似ているのは名前だけである。
さて、社会科学のなかで、経済学は経済を、政治学は政治を、法律学は法律を研究する。では、社会学はなにを研究するというのだろうか。
そこで、現代の社会学者がじっさいに研究しているテーマをざっと一覧してみることにしよう。以下は、社会学者のもっとも大きな研究学会である日本社会学会が便宜的に採用している専攻分野の分類基準である。
1社会哲学・社会思想・社会学史 2一般理論 3社会変動論 4社会集団・組織論 5階級・階層・社会移動 6家族 7農漁山村・地域社会 8都市 9生活構造 10政治・国際関係 11社会運動・集合行動 12経営・産業・労働 13人口 14教育 15文化・宗教・道徳 16社会心理・社会意識 17コミュニケーション・情報・シンボル 18社会病理・社会問題 19社会福祉・社会保障・医療 20計画・開発 21社会学研究法・調査法・測定法 22経済 23社会史・民俗・生活史 24法律 25民族問題・ナショナリズム 26比較社会・地域研究(エリアスタディ) 27差別問題 28性・世代 29知識・科学 30余暇・スポーツ 31その他
これをみていると、なんでもありの科学だなという感じがすると思う。家族や都市のように社会科にでてきたテーマもあるし、新聞やニュースなどで話題になるものもある。また、政治や経済や法律のように他の社会科学の研究対象も入っているし、科学自体を研究する分野もある。これが現時点における現実の社会学の姿である。
では、これが社会学のあるべき姿かというと、それはまた別の問題だ。現状と理念は往々ずれているものだ。「社会学はこうあるべきだ」という科学としての理念がどうなっているかについては第七章であらためて論じることにしよう。ここでは、目の前にある社会学というフィールドの地図づくりに専念したいと思う。
社会学はなにを研究する科学か
これらのさまざまなテーマ領域を一括すると「近代の人間社会」ということになる。これが社会学の一応の国境と考えてもらえばいい。つまり、社会学は社会を研究する科学である。しかし、これにはふたつの限定事項がつく。
第一に、「人間」の社会であること。動物の社会はあつかわない。よく「ミツバチの社会」とか「ニホンザルの社会」という表現がなされるが、これは動物学あるいは動物行動学の領域である。社会学者は隣人をまるでミツバチかニホンザルかのように観察することはあるが、基本的にこのような擬人法はとらない。原則的に動物・昆虫の世界は「本能」の世界であって、人間社会のように「意識」が介在していない。だから、厳密にはそれらを「社会」とは呼ばない▼3。
第二に、「近代」の社会であること。もちろん現代社会もほぼ「近代」のうちに入る。これまでは、近代以前の社会については歴史学、近代化されていない社会については人類学と民俗学がもっぱら研究してきた。しかし、最近は「社会史」とか「歴史社会学」あるいは「比較社会学」という名で、社会学の正式分野としても登録されつつある▼4。本書でもこれらの分野が提供する歴史的視点と比較的視点を随時導入するつもりである。というのも、これらの研究の最終的なねらいは、近代社会以外の社会をいわば時空的反射鏡にして、近代社会の特質を浮き彫りにするところにあるからだ。その意味では、社会学の研究上の焦点はあくまでも近代社会にあるといえるだろう。
このように社会学がじっさいに研究している対象が「近代の人間社会」としか限定しえないものになっているとすると、研究対象においては社会科学と区別がつかなくなる。これでは社会学の独自性・専門性はどこにあるのだろう。
社会科学との関係
社会学は近代の人間社会を中心に研究してきた科学である。これはじつに大ブロシキだ。まず問題となるのが社会科学との関係である。たしかに歴史的には研究対象をめぐって、しばしば批判という形で社会学の専門科学性の問題が指摘されてきた。研究対象に関する批判点は、ほぼ三つのタイプに整理できる。社会学を「残余科学」「侵入科学」「モザイク科学」とする批判がそれである▼5。これを手がかりに〈社会学の研究対象〉と〈社会科学の研究対象〉との関係を考えてみよう。
第一に、社会学は、隣接する科学があつかい残したテーマを研究対象とする「残余科学」だという批判。たしかに社会学は、他の社会科学がとりこぼしたり忘れさったテーマ領域を固有の研究対象として組み込んできた。家族・組織・集団・村落・都市などのテーマがそれである。これらをまとめて「狭義の社会」すなわち「狭い意味での社会」と呼んで、社会科学の対象である「広義の社会」と区別する▼6。これが社会学の研究対象の最大公約数にあたる。だから、日本でも研究者が多いのはこれらを研究する家族社会学や組織社会学・都市社会学である。
第二に、社会学は、他の科学の領域に勝手に侵入する「侵入科学」であるという批判。社会学はなにも「狭義の社会」だけに対象を限定しているわけではない。他方で、経済をあつかう経済社会学、政治をあつかう政治社会学、教育をあつかう教育社会学、宗教をあつかう宗教社会学などがある▼7。これらは研究対象を共有している点で経済学・政治学・教育学・宗教学などと協力しつつも競合する関係にある。既存の社会科学にとっては、なるほど「侵略的」と映った時期があったかもしれない。しかし、今日ではむしろ協力的な関係がほぼ確立しているといっていいだろう。したがって、この点では社会学の研究対象は、社会科学全体の対象である「広義の社会」とほぼ同じ広がりをもつことになる。これが社会学の研究対象の最小公倍数にあたる。
第三に、社会学はテーマを自由気ままにとってきては研究する「モザイク科学」であるという批判。最近の日本の社会学書には変わったテーマのものも多い。たとえば社会学書を多く出版している世界思想社の双書には「笑いの社会学」「盆栽の社会学」「暴力の社会学」「政党派閥の社会学」「遊びの社会学」「スポーツの社会学」「医療の社会学」などのタイトルが並んでいる▼8。これらはそれぞれ評価の高い研究書であるが、一般の人には気まぐれで風変わりな科学に映るかもしれない。しかし、たとえば社会学の巨匠ゲオルク・ジンメルの論考には「秘密と秘密結社」「よそ者」「女性文化」「誠実と感謝」「感覚の社会学」「食事の社会学」といったものがいっぱいある▼9。ことわっておくが、これは一世紀近くも昔の作品である。これからみてもわかるように、社会学の立場からいえば、それらはいずれも重要な社会現象でありながら他の社会科学がきちんと分析してこなかった正当な研究領域なのである。このさい注目すべきことは、社会学はときとして社会科学の射程をも超えることがあるということだ。
このように社会学の研究対象は三層構造になっている。
(1)狭義の社会――社会学固有の領域
(2)広義の社会――社会科学全般の領域
(3)その他の[社会]現象――新たに開拓された領域
こうしてみると、三つの社会学批判は、今日ではかならずしも「批判」とはいえない側面をもっている。つまり、それは旧来の科学を基準にするから批判すべきものと考えられたにすぎない。端正で禁欲的な西欧近代科学のなかにあっていささか異質の性格であることさえ認めてもらえれば、これらはかえって現実的な科学としての長所とさえいえるものだ。つぎつぎに変貌していく社会的現実に即応して科学的に分析する社会学にとって、研究対象についてあらかじめ制限を加えたり自己規制することは、むしろマイナスである。第七章で概観するように、社会学は社会的現実に対応してみずからの科学的構成をそのつど転形させてきた。社会学はみずからの科学的構成を内部から打ち破る可能性をもつ自己変革的な科学である。社会学の研究領域が「狭義の社会」を中核としつつも、ほぼ社会科学の全域にまたがるようにみえるのも、またときとして大きくはみだすのも、そのさまざまな社会学的試みの結果であり足跡なのである▼10。
▼1 現状では小中高校の社会科に社会学はあまり反映されていない。これは他の社会科学とくらべるといささか問題である。「まったく異なる」といえるのはこのためだ。ただし高校「現代社会」は若干の関連があるが、それらはごく一部にとどまる。ちなみに一九八九年文部省は小学校低学年と高校から「社会科」ということばをはずす新しい学習指導要領を告示している。これによって状況が少し変わるかもしれない。
▼2 社会科学とは、経済・政治・法・教育・道徳・宗教など社会生活のさまざまな分野について研究する経済学・政治学・法律学・教育学・道徳科学・宗教学などの総称である。したがって本質的に複数形である。
▼3 もちろん反対の考え方もあるが、動物学者や生態学者によるものがほとんどだ。生態学系の社会概念を代表する古典的著作としては、最近復刊された今西錦司『人間以前の社会』(岩波新書一九五一年)。この考え方を受け継いだ著作としては、日高敏隆『動物にとって社会とは何か』(講談社学術文庫一九七七年)。現代の社会学者ではエドガル・モランが生物学的基礎を考慮した社会概念を再検討している。大部な作品がいくつかあるが、短いスケッチを紹介すると、浜名優美・福井和美訳『出来事と危機の社会学』(法政大出版局一九九〇年)に収められている「自然の諸社会から社会一般の本性へ」が簡潔。なお、この本はほかにも有益な論考がたくさん収められていて参考になる。
▼4 社会史を社会学の研究分野として位置づけようとする本格的な試みとしては、富永健一『日本の近代化と社会変動――テュービンゲン講義』(講談社学術文庫一九九〇年)。とくに「序文」を参照のこと。また、デュルケムやウェーバーといった古典的社会学者の業績についても、社会史・歴史社会学・比較社会学に関する再評価が近年新たに注目を集めている。なおこの点については第二章参照。
▼5 塩原勉「社会学とは何か」富永健一・塩原勉編『社会学原論』(有斐閣一九七五年)二ぺージ。ただし「侵略科学」を「侵入科学」に改めた。
▼6 「狭義の社会」という概念はドイツの社会学者ゲオルク・ジンメルに由来する。これについては5-3参照。これとは定義が若干異なるが、最近の研究では、富永健一『社会学原理』(岩波書店一九八六年)がこの概念を使って明解に社会学を定義している。ここでは富永の定義によっている。富水によると「狭義の社会」とは「複数の人びとのあいだに持続的な相互行為の集積があることによって社会関係のシステムが形成されており、彼等によって内と外とを区別する共属感情が共有されている状態」である。前掲書三ぺージ。
▼7 これらを「連字符社会学」と呼ぶ。この意義については4-1参照。
▼8 世界思想社「世界思想ゼミナール」シリーズより。このシリーズは本書でも随所で参照した。
▼9 たとえば、ゲオルク・ジンメルの一九〇八年の大著『社会学――社会化の諸形式に関する研究』の目次をみてみよう。
第一章 社会学の問題
補説 社会はいかにして可能か
第二章 集団の量的被規定性
第三章 上位と下位
補説 多数決について
第四章 闘争
第五章 秘密と秘密結社
補説 装身具について
補説 文通について
第六章 社会圏の交差
第七章 貧者
補説 集合的行動の否定について
第八章 社会集団の自己保存
補説 世襲官職について
補説 社会心理学について
補説 誠実と感謝について
第九章 空間と社会の空間的諸秩序
補説 社会的境界づけ
補説 感覚の社会学
補説 よそ者について
第十章 集団の拡大と個性の発達
補説 貴族について
補説 個人心理学的関係と社会学的関係との類似について
▼10 このように考えていくと、社会学こそ社会科学の入門として最適な科学であるといえるのではないだろうか。とりわけ理科系や看護系そしてさまざまな専門職の勉強をしている人にとって社会科学的知識は縁遠いものだ。関心もないし接するチャンスもすくない。しかし、じっさいに実務に入ってみると、技術的な側面よりも社会的・人間的側面の方が重要なファクターになることが多いのではなかろうか。そういうとき社会科学的知識はなんらかの助けになるはずである。しかし、社会科学は所詮複数形である。それぞれ領域設定が決められている諸科学の集合にすぎない。だから、それらを自由に学び分けることは初心者にはとてもむずかしい。その点、社会学は問題領域としては社会科学的規模をもっており、全体をふ観するには好都合であると思う。たとえば一見、社会学とは無縁と思える看護養成課程において社会学が基礎科目となっているのもこのあたりの事情による。
1-2 エートスとしての社会学感覚
脱領域の知性
歴代の社会学者たちは、それぞれの目前にある諸問題を考察しつつ、既存の研究対象の枠を踏み越えては再度枠組をつくりなおしてきた。広げられた枠が狭められたかと思うとすぐまた拡大した。また、みずから狭めた枠を自分で破るといったこともすくなくなかった▼1。
これにはわけがある。つまり、社会学にはもともと研究対象を禁欲的に限定しなければならない理由がないのだ。社会学の社会学たる本質はもともと研究対象にないということだ。
研究対象に関する社会学のこの領域侵犯的な性格について、わたしは「脱領域の知性」というフレーズを使いたいと思う。社会学はすぐれて「脱領域の知性」である▼2。
したがって、社会学を研究領域の設定から定義しようとしてもうまくいかない。社会学の社会学たるゆえんは、むしろ独自の発想法にあるからだ。社会学という名前をもった科学が誕生して以来一五〇年あまり、社会学の発展をつねに支えてきたのは独自の方法論的意識である。これはむしろ発想法と呼んだ方がわかりやすい。脱領域をもたらす社会学特有の発想法こそ、これまで社会学の研究領域の拡大をたえず促進してきた当のものなのである。
そうした発想法のおもなものについては第二章から第六章でじっくり検討することにしよう。その前に「脱領域の知性」の意味するものを考えていかなければならない。
本源的社会性の公準
社会学がなぜ〈脱領域〉なのか。それは社会学の真の研究関心が「社会」ではなく「社会性」の方にあるからだ。もしAという現象になんらかの社会性があれば、社会学はAを研究するだろう。それが社会現象として一般に認知されているかどうかはあまり重要ではない。根底にあるのは「対象のもつ社会性」である。対象のなかに社会性が認められれば、それは社会学の対象となる。こうして「Aの社会学」の誕生となる。
この背後にある仮説をわたしなりに表現すると「あらゆるものがいくぶんかは社会的産物であり社会的過程にある」ということになろう▼3。これがこれまでの多くの社会学的実践のバックグラウンドにある考え方である。この仮説を本書では「本源的社会性の公準」と呼びたいと思う。この公準こそ、社会学の科学的手続き以前のエートス――科学的営みを押し進める動因となる精神構造――をみちびいてきたものである▼4。
この点で社会学は、隠れた問題を摘出する「脱領域の知性」である。たとえば、今日では科学的対象として認知されている家族・都市・組織といった事象も、かつては国家や教会というフォーマルなテーマによって陰に追いやられていたのである。それをつぎつぎに俎上にあげてきたのが草創期の社会学者たちだった。また、個人的な病気としてあつかわれてきた自殺という現象が、じつは社会性をもつれっきとした社会現象であることを最初に証明したのも社会学者であったし、神学的な観点からしかとらえることのできなかった宗教を人間社会の根本的な社会現象のひとつとして問題設定したのも社会学者だった▼5。
また一見して社会とは本来無縁と思えるモノも、なんらかの形で社会と関わっているものだ。たとえばダイオキシンという化学物質がある。これ自体は自然科学的対象だが、それが除草剤として使われ、さらにベトナム戦争で大量に使用され、その結果多くの奇形児を生み、またゴミ焼却場付近を汚染するといった文脈ではまさに社会的産物であり、それぞれの社会的過程の重要なファクターとなる▼6。
また、ジェスチャー=身ぶりも社会的・文化的規定性を深く帯びていることをここで例にあげていいだろう。おそらく最初にそれを指摘したのはデュルケムの後継者マルセル・モスである。かれは軍隊や病院やスポーツなどでの観察にヒントをえて、人間の身のこなし方――これを「身体技法」という――に「型」(habitus)があってそれが教育によって深く支配されていることに注意をうながした。しゃがみ方やこぶしのにぎり方や歩き方は民族文化によって異なるのは当然としても、そのなかでまた性別・年齢別・階層別に多様である。だから、これらを生物学的現象とみなすことはできない。それはすぐれて社会学的現象である▼7。
そして死ですらいくぶんかの社会性をおびている。死の社会性についてはこれまで死の観念と儀礼について民俗学的に多く語られてきたが、昨今の「脳死」をめぐる社会的議論は明確にこれを示している。つまり、医学的には「脳死」は科学的真理と認知されつつあるにもかかわらず、社会的な「死」の判定と受容が宙に浮いた形になっているからである。 このように死は生物学的現象であると同時に社会学的現象でもある▼8。
社会学感覚
「本源的社会性の公準」にもとづく「脱領域の知性」――これがわたしのみる社会学の科学的構成以前の基本性格であり、社会学の知的駆動力すなわち社会学のエートスである。これらを総称してわたしは「社会学感覚」と名づけたいと思う。
「社会学感覚」自体は学問でも科学でもない。さしあたってそれは動機である。これに一定の科学的手続き――たとえば概念定義の精緻化・信頼性の高い資料の収集と操作・数学的統計学的処理など――が加わってはじめて「社会学研究」になるということだ。もちろん一部には、この科学的手続きが先行したため逆転倒錯してしまった研究――すなわち〈社会学感覚なき社会学研究〉――も数多く存在する。これはどの科学にもみられる倒錯現象であるが、それらに目をくらまされてはいけない。精緻な概念定義・膨大な資料操作・厳密な数学的処理といった科学的手続きの後景に退いた「社会学感覚」にこそ注目して学ぶことが大切だ。本書の目的もここにある▼9。
ところで、社会学という営みを総合して「社会学的実践」と呼ぶことにすると、社会学的実践には三つの層がある。
(1)社会学をアカデミックに研究する〈社会学研究の位相〉
(2)社会学を一般学生に教育する〈社会学教育の位相〉
(3)生活者が社会のなかで経験するさまざまな事象を自分自身で社会学的に解釈し・分析し・反省し・主体的に行動するという〈社会学感覚の位相〉
社会学教育は従来「社会学研究に奉仕するもの」として位置づけられてきたように思う。このような教育伝統は現実的でないし、残念ながらいかにも非社会学的である。本書ではこのような教育伝統に抗して、社会学教育を「社会学感覚と社会学研究をリンクするもの」と考え、基本的に社会学感覚のレベルを注視することによって構成されている。
▼1 たとえば、ジンメルは「形式社会学」という斬新な構想をうちだしたことで社会学史に確固たる地位を占めているが、その構想論文を冒頭にすえた一九〇八年の『社会学――社会化の諸形式に関する研究』のあとの諸章ですでにその禁欲的枠組は超えられてしまっている。そしてそれは一九一八年の『社会学の根本問題――個入と社会』において自覚的にとらえ返されることになる。またデュルケムも著名な方法論的宣言『社会学的方法の規準』を発表したが、その後のかれの研究はこの方法論的禁欲をはみだすこともしばしばだった。宮島喬『デュルケム「自殺論」を読む』(岩波セミナーブックス一九八九年)四五-四六ページ。
▼2 「脱領域の知性」というフレーズはジョージ・スタイナーの邦訳書からヒントをえたものだが、内容的にはジークフリート・クラカウアーの自己規定にもとづいている。マーティン・ジェイ、今村仁司・藤澤賢一郎・竹村喜一郎・笹田直人訳『永遠の亡命者たち――知識人の移住と思想の運命』(新曜社一九八九年)とくに第十一章「ジークフリート・クラカウアーの脱領域的生涯」。クラカウアーはジンメル晩年の弟子ともいうべき人で、建築から社会学に転じフランクフルト新聞で学芸欄の仕事をしたのち映画研究など大衆文化の社会学で活躍した人。
▼3 「いくぶんか」という表現に注意されたい。人間社会に生じるあらゆる現象が社会性をもつにせよ、社会的側面がその現象のすべてというわけではもちろんない。したがって「完全な」社会現象というものもないということだ。あらゆる現象には社会的側面と社会外的側面とがある。ジンメル『社会学――社会化の諸形式に関する研究』の第一章付論「社会はいかにして可能か」参照。ジンメル、居安正訳『社会分化論 社会学』(青木書店一九七〇年)。
▼4 エートスとは一般に「行為への実践的起動力」のことである。3-3参照。
▼5 自殺については、エミール・デュルケム、宮島喬訳『自殺論』(中公文庫一九八五年)。宗教については、さしあたりつぎの二著。ゲオルク・ジンメル、居安正訳『宗教の社会学』(世界思想社一九八一年)。エミール・デュルケム『宗教生活の原初形態』(上下・岩波文庫一九七五年)。
▼6 一例として、琵琶湖周辺の下水道問題について取り組んでいる鳥越皓之は「正直なところ、社会学をしていて、下水道の問題について考えることになろうとは想像もしていなかった」としながら、つぎのようにのべている。「たいへん荒っぽく言うと、土木工学者たちは、下水をどのように処理すれば処理効率がよいか、下水処理施設はどのように設計すべきか、というような、下水発生後の処理の仕方について研究している。しかし明らかなことだが、そもそもこの下水(排水)を発生させているのは、ほかでもない人間なのである。この、人間がどのように下水を発生させているのか、という下水発生前の問題を究明しなくては、下水道問題は解決されない。そして、人間がどのように下水を発生させているのか、という人間の行為の問題は、言うまでもなく、すぐれて社会学的な問題なのである。」鳥越皓之「環境問題と社会調査――住民に対するインフォメーションのこと」『現代社会学』一九号(アカデミア出版会一九八五年)一二三ぺージ。
▼7 マルセル・モース、有地享・山口俊夫訳『社会学と人類学II』(弘文堂一九七六年)第六部「身体技法」。
▼8 死の社会学としては、G・ゴーラー、宇都宮輝夫訳『死と悲しみの社会学』(ヨルダン社一九八六年)が有名。なお「脳死」については社会的受容だけが問題なのではない。医学界内部においても多くの異論が存在する。この点については、立花隆『脳死』(中公文庫一九八八年)を参照されたい。また、脳死を「人と人との関わり方」として理解しようとする森岡正博『脳死の人――生命学の視点から』(福武文庫一九九一年)は、脳死の社会学的側面を正面からとりあげた好著である。
▼9 本書についての自己言及は「あとがき」にゆずる。
1-3 社会のトリック、社会学のトリック
自己言及の問題
なんらかの形で社会的事象を研究・調査・思考していこうとするとき、どうしても避けられない問題がある。つまり、社会を研究するということは、自然を研究するのとちがって、少々やっかいな問題を抱え込むことになるのだ。社会学ではこれを「自己言及(self-reference,Selbstreferenz)のパラドックス」と呼ぶことがある。これは有名な「クレタ人のパラドックス」として知られている難問である。すなわち、クレタ人のある予言者が「クレタ人はウソつきだ」といった。かれはホントのことをいっているのか、それともウソをついているのか。かれがホントのことをいっているとすれば、かれ自身クレタ人だからかれのいうことはウソだということになる。逆にかれがウソをいっているとすれば、かれはホントのことをいったことになってしまう。このパラドックスは自分が自分について語るときにかならず生じるやっかいなトリックである▼1。これをめぐって四つの論点を確認しておきたい。
厳密にいえば、これは社会のなかで生きる人間が社会について考えようとするときに生じる。その意味で、これからのべる四点は、社会学のトリック[仕掛け]であると同時に社会のトリックでもある。だから、これらはなにも社会学だけの問題ではなく社会科学全体におよぶ問題である。しかし、すでにのべた事情から社会学は研究対象の規定の不安定さにともなって方法論の理論的反省をよぎなくされ、その経緯によっていささか過剰なほど科学的構成について反省してきた。そのため社会学においては、かなり早くから社会認識にひそむトリックについて語られてきたのである。
(1)対象である社会が、意識をもった人間から構成されている
意識の有無――これこそ社会科学と自然科学を隔てる絶対的な壁である。従来の自然科学の場合、「自然という書物」(book of nature)を読むようにして研究を進めればよかった。自然はあたかも印刷物のようにすでに定まったものと考えてすますことができた。研究者はそれを顕微鏡なり望遠鏡なり測定器具なりを用いて読みとればいい。基本的に研究対象は研究調査されることによって性質を変えることはない。研究対象の同一性が期待できる。これはさすがに最近になって疑わしいことと考えられるようになったようだが、それでも研究の現場では今なお「自然という書物を読む」という観念は自明なこととして生きつづけている▼2。
ところが社会を研究する場合は、最初からその前提がくずれている。近代の人間社会を対象にするといっても、社会をじっさいに構成するのは自意識をもった近代人である。あたかもモノのように観察したり測定するには限界がある。「これから調査します」とか「これからみなさんを観察します」といったとたん、人びとはそれまでとは別の行動と態度をとりはじめるだろう。つまり、研究対象は調査・観察によって変容する可能性がきわめて高いわけだ。このことはカメラ――写真であろうがビデオであろうがテレビカメラであろうが――を向けられた人の行動と態度がもはや「自然」でなくなることを思えば納得できるだろう。近代の人間社会化とって意識というファクターを避けて通ることはできない。
(2)対象である社会に、観察主体がすでにふくまれてしまっている
第一点が研究対象におけるトリックだとすると、第二点目は研究主体・観察主体におけるトリックである。ふつう自然科学では研究対象と観察主体とが別々の存在である。しかし、社会科学とりわけ社会学の場合、両者はかんたんに一致してしまう。これはたんに研究する側も研究される側もともに人間であるということだけではない。
そもそも社会について客観的にみたり考えたりすることはむずかしい。ふつう、人は自分の経験や立場から社会をみることになれていて、なかなかその制約から自由になれない。自分の立場・位置・キャリアなどによって「社会」はさまざまなヴァリエーションをもって立ちあらわれる。貧しいくらしをしてきた人と金持ちの社会像はあきらかに異なるし、同じ貧しさでも、かつてリッチで今は落ちぶれてしまった人と、ずっと昔から一貫してプアだった人とはちがうイメージをもつだろう。若者と中年と老年でもちがうし、当然男性と女性ではちがうはずだ。このように社会という現象は、なににもまして客観的に測定・観察・調査・思考することがむずかしい。
しかしその一方で、対象と主体の一致は、ある科学的方法の可能性を保証してくれる。それは「理解」である。つまり、われわれは他人を理解することができる。これを「他者理解」と呼ぶが、これによって特定の集団や社会現象がなぜ生じたのか、またその意味を解明することが可能になる*。
(3)研究自体が、対象である社会を変えてしまう可能性がある
歴史を研究する場合は、すでに死んだか現役を引退した人びと、そしてものいわぬ歴史資料が相手である。しかし現在進行形の社会を研究・調査する場合、そうはいかない。多くの場合、研究・調査によって研究対象に介入することになってしまう。
たとえば選挙期間中の世論調査がそうだ。世論調査で不利とわかると陣営が引き締まって勝利に結びつくことがある[アンダードック効果]一方、協力者が少なくなって負けが決定的になってしまうことがある。逆に有利とわかると陣営がゆるんで結果的に負けてしまうことがある一方、勝ち馬にかけようとする人びとがついて圧倒的な勝利になってしまうこともある[バンドワゴン効果]。世論調査の結果がどう影響するかは文化によってずいぶんちがうようだが、日本では不利な結果がでた方が危機感がでて陣営が引き締まり結果的に有利とされている。このように世論調査による選挙予測が選挙そのものにあたえる影響を「アナウンス効果」という。
このように、生きた素材としての社会現象について科学の名において語ることが対象そのもののリアクションをひきだしてしまう。これが歴史研究との大きなちがいだ。
影響のあたえ方は二通りある。「自己成就的予言」(self-fulfilling prophecy)の場合と「自己破壊的予言」(self-destroying prophecy)の場合である。
自己成就的予言とは、たとえば「敵は自分たちより強いぞ」と思ってしまうと戦意がにぶり結果的に負けやすくなるといったように、予言や予測にもとづいて行動することによって予言や予測が現実のものになってしまうことだ。だから戦時体制下の政府は、国民の士気をくじくようなニュースを検閲ではじき、反戦と平和を唱える者や冷静に現実を語る者を取り締まる。他方、自己破壊的予言とは、予言や予測それ自体が人びとの行動を変えてしまうために、予言や予測通りに結果がでなくなる現象をいう。アナウンス効果でいうと、世論調査で有利と発表されたために選挙当日有権者が第二候補へ投票してしまい落選するといった事態がそれである▼3。期せずして影響をあたえてしまうのではなく、それを自覚的に操作しようと考えるのは自然のなりゆきであろう▼4。
社会の研究が社会を変えるということは、このように良くも悪くも社会科学の実践的性格であるにはちがいない。権力に利用されるか、民衆に利用されるか、秩序に貢献するか、運動に貢献するか――社会科学とりわけ社会学に携わる者はたえずこのことに自覚的でなければならない。
(4)人はみな醒めている分だけ社会学者である
もちろん〈職業としての社会学者〉は存在する。かれらは大学や研究所に勤務し、仕事として社会調査や理論研究そして社会学教育をおこなっている。当然かれらはプロである。しかし、かれらだけが社会学的実践の特権的主体とはいえない。社会学はある意味で専門家であるということがあまり意味をなさない科学である。誤解のないようにもっと正確にいいかえると、社会学感覚のレベルではプロもアマチュアもない。
たとえば社会学にとっておとなりの領域にあたる経済学・政治学・経営学・宗教学・哲学・人類学・民俗学など隣接科学の最近の動向をみていると、あきらかに社会学化の傾向が生じている。意識的に社会学的発想がとられることもあるが、それぞれの科学を研究対象に即して構成変更するさいに期せずして社会学化するケースが多いようである▼5。
また、ジャーナリストも社会学的な仕事をすることが多い。これは、あつかう対象がもともと社会学とほぼ同一であることにそもそもの理由があるわけだが、ジャーナリズムそのものが変化してきたことにもよる。つまり、その場その場のたんなる事実の報道ではない、長期的展望に立った分析にもとづく「調査報道」が多くなったこと、そして、従来地域的性格の強かった文化的諸現象がよりいっそう全体社会的動きをするようになって社会学的な分析が必要になってきたことによるのだろう▼6。
また文学者の仕事もみごとな社会学感覚を示すことがある。古くはバルザックの小説がそのようなものの見本としてよくもちだされたものだが、文学作品の場合、その文体のもつ多義性のために、その社会学的見識がしばしば作品に埋もれてしまうことが多い。それをなるべく一義的なことばに翻訳し考察するのが「批評」の役割であり、文芸批評家がしばしば社会評論や現代思想へと踏みだすのはこのためである。このように小説家・劇作家・文芸批評家の社会についての評論や発言のなかにも「社会学的」にすぐれた見識がみられることは留意しておいてよい。また社会学サイドでも文学作品の再解釈を媒介に、すぐれた社会学的見識をとりだす試みもおこなわれている▼7。
以上のべた四つの問題があるために、社会学の科学的構成はかなり複雑なものとなっている。パソコン用語でいえば、他の諸科学がかんたんなプログラムに多量のデータをインプットしたものとすると、社会学はバグの多い複雑なプログラムにそれほど多くはないデータをインプットしたものに似ている。その意味で社会学の営みは総じてあまり効率のよいものではない。
▼1 この点については、森下伸也・君塚大学・宮本孝二『パラドックスの社会学』(新曜社一九八九年)を参照した。とくに第一章「パラドックスの類型学」を参照されたい。
▼2 自然科学における自己言及の問題をわかりやすく簡潔に説明しているものとして、村上陽一郎「新たなる《自然》/新たなる《科学》」『エイティーズ[八〇年代全検証]――いま、何がおきているか』(河出書房新社一九九〇年)。科学史研究・科学論の第一人者である著者の提唱する「地球家政学」(global house-keeping)構想に注目したい。なお、自然認識と社会認識の本質的なちがいを論じたものとしてゲオルク・ジンメルの「社会はいかにして可能か」を参照されたい。ジンメル、前掲訳書。
▼* 「理解」については第三章参照。
▼3 この二組の概念はロバート・K・マートンに由来する。R・K・マートン、森東吾・金沢実・森好夫・中島竜太郎訳『社会理論と社会構造』(みすず書房一九六一年)所収の論文「予言の自己成就」参照。
▼4 この性質のために社会科学が大衆操作に利用されることについては、スタニスラフ・アンドレスキー、矢沢修次郎・熊谷苑子訳『社会科学の神話』(日本経済新聞社一九八三年)第三章「大衆操作の裏表」。ちなみにこの本はいささかショッキングな社会科学批判で、『文学部唯野教授』の社会学版というところ。ただし事情通でないと読みこなせないかもしれない。こんな本を第一線の学者が書いてしまうところがまた社会学の魅力である。
▼5 4-1参照。
▼6 12-1参照。
▼7 その一例として見田宗介の宮沢賢治論と作田啓一の文学社会学をあげておきたい。両者とも文学的表現に秘められたみずみずしい社会学感覚を鋭くとりだしている。見田宗介『宮沢賢治――存在の祭りの中へ』(岩波書店一九八四年)。これについては8-1でくわしく説明したい。後者については、作田啓一『個人主義の運命』(岩波新書一九八一年)。文学社会学については、松島浄・望月重信『ことばの社会学――意味の復権を求めて』(世界思想社一九八二年)。作田啓一・富永茂樹編『自尊と懐疑――文芸社会学をめざして』(筑摩書房一九八四年)。またこれらとはねらいが異なるが、いくつかの現代小説を素材として社会学入門を企図したものとして、加藤秀俊『文芸の社会学』(PHP文庫一九八九年)。たとえば『八つ墓村』を素材にして農村社会学を講じたりしていて読みやすい。
1-4 社会学を学ぶ意味
ふたつの知識
社会学を学ぶとなにかいいことがあるのかといわれると、じつにこころもとない。なにかステイタスのともなう資格があるわけでもないし、商売にすぐ使えるわけでもない。しかし、すくなくともなんらかの形で自分の知識の拡張と深化に意義をみいだしてもらえるならば、胸を張って「ある」と答えることができる。問題はその知識がどのようなものであるかだ。
アメリカの社会学者アルヴィン・W・グールドナーによると、知識(knowledge)にはふたつの意味・あり方があるという。かれはそれを「情報」(information)および「明識」(awareness)と呼びわける▼1。この二分法を使って説明しよう。
情報としての知識
ふつう一般にサイエンスと呼ばれている学問が日々追求しているのは「情報としての知識」である。これは基本的に自然界をコントロールするために生産される知識で、自然への支配力を高めるテクノロジーを発達させるものである。自然科学だけではなくきわめて多くの社会科学も、自然界に対するのと同じ構図で人間社会をあつかうことによって、社会・組織・人間をコントロールできるような技術を研究してきた。
「情報としての知識」は、だから「技術的知識」である。それはすぐに役に立ち、応用がきき、予測を可能にする。社会科学では、このような知識を意図的にめざす営みをとくに「政策科学」と呼ぶ。
明識としての知識
これに対して明識は文字通り「自覚」ということである。グールドナーによると、明識とは「人間自身の関心・願望・価値に関わりのある知識」であり「社会的世界における自分の〈位置〉についての意識を高めるような知識」であり「〈自分は何者であり、どこにいるのか〉をたえず問題にするような知識」である。「情報としての知識」が客観性の名のもとに自分自身の存在を禁欲的に度外視してしまうのに対して、「明識としての知識」は人びととの共生関係としてある社会的世界についてつねに自分自身との関係で反省的に理解するための知識である。だからこれは「反省的知識」である。まとめてみよう。
情報[技術的知識]――対象[自然・社会・人間]の技術的支配
明識[反省的知識]――人間の自己理解・他者理解
さて、素朴な主観-客観図式でみると、情報は客観的で明識は主観的であるように考えてしまいがちだが、それはちがう。情報としての知識が客観的だとすると、主観的なのは日常的意識である。明識は、自分自身を勘定にいれる点で客観的な情報ともちがうし、自分自身をも対象化する点で主観的な日常的意識とも決定的に異なる。強いていえば、明識は〈主体相関的〉――対象を自分自身の関数としてとらえるということ――である。
かつて哲学・文学・宗教・思想などには、このような明識が存在した。本来の意味でのジャーナリズムもそうである▼2。また量子力学以来の自然科学でも、生態学のように主体相関的で反省的な性格をもつ領域もある▼3。
社会学にも情報の側面と明識の側面がある。しかし、歴史的にみても現状からみても社会学はとりわけ明識性の強い科学である。とくに一九六〇年代以降の社会学には、情報=技術的知識が一見して中立的にみえてじつはきわめて権力的な性格をもっていることに対して自覚的であって、理論的立場を問わず明識志向であるといえる。この点で社会学は他の社会科学の比ではない。
社会学を学ぶ意味は、したがって、いわゆる「科学的」知識――情報としての知識=技術的知識――とは異なる知識のスタイルに接するというところにある。これはとりわけ自然科学的な知識を専門に学んでいる人たちにとって意義深いことである。
明識の意義
原発や公害や再開発に関するニュースをみていると、よく住民側との交渉の場面がででくる。しかし、そういうとき住民との話し合いそのものが成立しないことがじつに多い。これはそれぞれの利害が異なるためにはちがいないが、それとは別のレベルでも両者はねじれの位置にあるからだ▼4。
多くの場合、住民たちは問題になっていることがらについて専門知識はもちあわせていないけれども、自分たちの利害やポジションを自覚して問題を考えている。ところがその反対側つまり行政・企業・開発者サイドの人たちは、たいていの場合住民よりエリートで専門家ということになっているのだが、自分たちは専門知識をよく知っていて中立的かつ客観的に問題を考えている、またその能力があると信じている。そのため交渉が利害対立にさえならず、結果的に問題の焦点をあいまいにしたり回避したりすることになる。
この場合重要なのは、情報=技術的知識としては専門家側がまさっているとしても、明識=反省的知識としては住民側の方がはるかに高度だということだ。
現代社会は、高度な技術的知識をもつ専門家エリートが強い影響力を行使する社会である。そのような人たちを「テクノクラート」(technocrat)といい、かれらが管理・運営・操作する社会のあり方を「テクノクラシー」(technocracy)という。テクノクラートはその道のプロ=スペシャリストにはちがいないが、その反面、全体への展望を欠き、しばしば現実から遊離してしまいかねない側面をもつ。官僚・判事・教師・技術者・医師・組合専従幹部・会社人間――かれらはごく限定された領域についてはよく訓練された能力をもっているが、反面それ以外の領域に関してはまったくの無能力を呈する。経済学者であり社会学者でもあったヴェブレンの「訓練された無能力」(trained incapacity)という概念はまさにこのような事態にピッタリのことばである。
たとえば、組織のなかで自分の部署や専門部門の利害だけを重んじる結果、他の部門や組織の外部に不利益を生じさせる場合がある。公害はまさにその典型例だ。また有能な社員であっても、自覚的に男女の問題をとらえていないために女子社員に必要以上に尊大だったり会社の女子差別待遇に寛容な男性会社員は多い。この場合かれは、格差をつけられた女性側の待遇改善の実質的な足かせになってしまうだろう。また、自分では無宗教だと思っていても、じっさいにはジンクスを気にしたり、なにかあると祈願したりするような経営者の場合、特定宗教の信者を不採用にする一方、社員研修に禅をとりいれたり社員旅行で全員に神社祈願させることに無頓着だったりするかもしれない。これでは特定の信仰をもつ人たちの自由を侵すことになる。あるいはまた、人を殺す戦争は反対だと主張すると同時に、凶悪犯の死刑はやむをえぬとする判事もしくはマスコミ人の場合、かれらの判決や記事が、罪を犯してしまった人たちとその家族の生活と生命を脅かすことになる…。いささか恣意的な例で恐縮だが、これらに類したことは多いのではなかろうか。そしてこれらの一部が公害問題や差別問題や教育問題など深刻な社会問題をひきおこす一因となってきたのである▼5。
ともあれ、このさいはっきりいえることは、自分自身の生活と生き方を自覚的に反省することを可能にする基礎知識が決定的に欠けているということだ。
「文部省教育」と呼ばれる日本の小中高教育は、基本的には自分と関わりのない技術的知識が中心になっている。こうした教育制度のなかでは、知識を学ぶことによってかえって自分の社会生活や生き方を問うことなしにブラックボックスにしてしまいがちである。自分の生き方と生活をブラックボックスにすることは聖域化することに通じる。
おそらく高校卒業以後の学生時代の大きな発達課題は、このような未熟な聖域に強い照明をあて、成熟した市民として・明晰な知性として自己を再定立することにあると思う。高度の明識性をもつ社会学はきっとこの作業に役立つとわたしは確信している。
▼1 以下の説明はおもにA・W・グールドナー、岡田直之ほか訳『社会学の再生を求めて』(新曜社一九七五年)第十三章「社会学者として生きること/自己反省の社会学をめざして」(栗原彬訳)にもとづいている。
▼2 ジャーナリズムの本来的意義については12-1参照。
▼3 村上陽一郎、前掲論文参照。
▼4 梶田孝道『テクノクラシーと社会運動』(東京大学出版会一九八八年)では、「テクノクラートの視角」と「生活者の視角」とを対比させつつ、深く問題を掘り下げている。
▼5 以上の問題については以下の諸章で論じられている。組織については第一四章、宗教については第一七章、最後の例については第一二章と二二章を参照されたい。
増補
脱社会学化
社会学を研究対象から説明するのは非常にむずかしい。社会学の研究対象は広く、しかも次々に新しいテーマが追加登録されてゆく。社会学の独自性はむしろこの脱領域性にあるというのが本書の立場である。本編では脱領域性の例として身体技法や死の社会学をあげておいたが(一七ページ)、九〇年代の社会学シーンではいっそうこの傾向が加速している。たとえばそれは環境・女性・国際・身体・感情といった領域で明確に自覚されるようになった。
環境社会学(sociology of environment)は、エコロジー思想の一般化や具体的環境問題の浮上によって、自然環境と人間の社会関係の学問として成立した。従来の社会学にあった人間特例主義(人間を特別な存在だと前提視する考え方)を反省し、社会環境・文化環境中心の環境概念を自然環境に拡大するというラディカルな変更を要請する。人間も多くの生物種のひとつにすぎないとするエコロジカル・パラダイムによる社会学の再構成である[C・R・ハムフェリー、F・H・バトル『環境・エネルギー・社会――環境社会学を求めて』満田久義・寺田良一・三浦耕吉郎・安立清史訳(ミネルヴァ書房一九九一年)]。
フェミニズム論やジェンダー論は、従来の社会学や社会科学が男性中心で女性を「二級市民」に位置づけてはばからない点を強く批判する。たしかに社会科学において「人間」とは事実上「男性」のことだった。社会学と社会科学のこのジェンダー・バイアスは修正されなければならない[江原由美子「フェミニズムとジェンダー」『装置としての性支配』(勁草書房一九九五年)]。
国際社会学(transnational sociology)やウォーラーステインの世界システム分析は、従来の社会学のいう「社会」が事実上「国民国家」(nation state)のことだったことを批判する。二〇世紀が国民国家の時代だったことは、グローバルな視点から地球社会が見えてくるにしたがって自覚されるようになった。同時にエスニシティや地域主義の高まりも国民国家中心の見方の変更を要求する。社会史あるいは歴史社会学の視点から見ても、国民国家の時代はむしろ特殊な現象だったと見なす方が適切であり、したがってそれに捕らわれた社会概念も再定義されなければならない。国家はもはや概念的容器ではなくなったのである[梶田孝道編『国際社会学――国家を超える現象をどうとらえるか[第2版]』(名古屋大学出版会一九九六年)]。
身体の社会学は、生物学的な身体に対して「社会的な身体」に照準を合わせる。フーコーやアナール学派の社会史的視点の影響は大きい。しかし日常的な生活場面に社会学的なまなざしを加えれば必ず見えてくるものでもある。具体的には、たとえば出産という現象。これはもはや単純な自然現象・生理現象ではなくなっている。現代の出産は社会現象としての性格を色濃くもっている[舩橋惠子『赤ちゃんを産むということ――社会学からのこころみ』(NHKブックス一九九四年)]。
感情という現象もこれまで社会学では等閑視されることが多かった。正確にいうと、古典的社会学ではしばしば論じられてきたにもかかわらず、近年の社会学では軽視されてきたのである。しかし感情は社会的な現象であり、その社会性について考察の余地のあることが最近強調されるようになった。たとえば「母性愛は本能だ」という命題を前提に現代家族のありようを語ることはもはや不可能である。母性愛という感情は自明ではないからだ。その感情の社会的源泉をさぐり、その感情についての言説の社会的機能を主題化する必要がある[岡原正幸・山田昌弘・安川一・石川准『感情の社会学――エモーション・コンシャスな時代』(世界思想社一九九七年)]。
従来的な社会学のメインフレームの限界を突き、社会学のパラダイム転換を構想するさまざまな新しい社会学の登場。これらは従来的な社会学観を覆す強力な「社会学批判」であり、その意味で「脱社会学的」である。しかし、それと同時に、そうした動きや発想そのものがきわめて「社会学的」なのである。社会学を自己超越的な一種の学問運動と捉えると、これらはむしろ社会学らしい傾向――つまり脱領域性――のあらわれと見ることができる。社会学ではおなじみの「脱皮」現象が生じているということだ。
社会学的な感受性
本書のタイトル「社会学感覚」は「社会学的なセンス」の意味であるとともに「社会学的なマインド」の意味も込めてつくった造語であるが、基本的には「社会学的な感受性」という意味で使われている。「感受性」とは「感受する能力や資質」のことである。あえて「感覚」や「感受性」といった用語を使用する理由については私の『リフレクション――社会学的な感受性へ』(文化書房博文社一九九四年)を参照してほしい。この本については後論でふたたびふれることにしたい。
「感受性」のこのような用法は今日では特別のものではなくなっている。たとえばアンソニー・ギデンズは社会学テキストの決定版ともいえる『社会学』の冒頭部分で次のように述べている。「社会学は、一人ひとりの経験の実在性を、否定するものでも軽んずるものでもない。むしろどちらかといえば、われわれ自身があらゆる面で組み込まれているより広い社会活動領域にたいする感受性を養うことで、われわれは、自分自身の個々の特質や、さらに他の人びとの個々の特質をより豊かに認識できるようになるのである。」[アンソニー・ギデンズ『社会学(改訂新版)』松尾精文ほか訳(而立書房一九九三年)一〇ページ]。
同様に次のような使い方もある。「社会学者はまた理論的感受性が十分鋭くなければならない。この理論的感受性のおかげでデータから理論となるべきものが浮上してきたとき、それを概念化し定式化できるのである。」これは、B・G・グレイザー、A・L・ストラウス『データ対話型理論の発見――調査からいかに理論をうみだすか』(新曜社一九九六年)からの一節。もっともこのような使い方はブルーマーやミルズの著作でおなじみのものである。
知識人論
1―4で「社会学を学ぶ意味」について説明した。これは知識論ないし知識人論としてさまざまに議論されてきたことを前提にしている。そこで最近話題になった三冊の知識人論を。
まず、エドワード・W・サイード『知識人とは何か』大橋洋一訳(平凡社一九九五年)。知識人は社会の周辺的存在として知的亡命者たれとの主張を掲げる。カレル・ヴァン・ウォルフレン『日本の知識人へ』西岡公・篠原勝・中村保男訳(窓社一九九五年)は、権力に追従する日本の知識人を批判した論争の書。「人が社会学者として誠実に社会を説明しようとしたがために、見事なまでに政治宣伝目的に役立つ理論を提供する結果になることもありえる」(七〇ページ)といった、気になるフレーズもある。ブルデュー『ホモ・アカデミズム』石崎晴己・東松秀雄訳(藤原書店一九九七年)は、フランスの大学世界を社会学的に分析したもの。こういうことをするから社会学者は他の研究者から嫌われるのであるが、反省・再帰性・自己言及性などと呼ばれる循環的構図は社会学の知的駆動力でもあるから避けることはできないのだ。
このほか、近年とみに再評価されているオルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』神吉敬三訳(ちくま学芸文庫一九九五年)にも注目してほしい。こういう古典を新鮮に感じさせる時代だということである。今読むと、よくわかる。
社会学の自己言及性
1―3と1―4で説明したのは「社会学の自己言及性の問題」といえる。この論点については、ブルデュー『社会学の社会学』田原音和監訳(藤原書店一九九一年)をぜひ参照してほしい。ブルデューの立場は反省社会学と呼んでよいものだが、それがどのような問題と困難を呼び寄せることになるのかがやさしく語られている。インタビューが中心なので初学者にも読める。とくに第一部の「方法・対象――社会学の新しい見方」に注目してほしい。
Prev←■→Next
現在地 ソキウス(トップ)>社会学感覚
SOCIUS.JPドメインへの初出 8/4(Sun), 2002  最終更新日:4/1(Sat), 2017
このページのURLは http:///Users/nomurakazuo/Dropbox/socius.jp/lec/01.html
Copyright (C)1995-2015 by Kazuo Nomura(野村一夫) 無断転載はご遠慮ください。リンクはご自由に。
Valid XHTML 1.0!Document type: XHTML 1.0 Transitional
閲覧日 4/1(Sat), 2017

Read More

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。