8: 第三章 知識過程論の視圏──社会はいかにして可能か
一 日常生活における知識
二 役割現象の動態
三 知識と社会形成
8-1: 一 日常生活における知識
8-1-1: 社会関係の前提となる知識
前章では、行為論の見地から、社会現象をあたかも自然現象のように見る物象化的錯視をしりぞけ、人間の行為こそが社会を生産・再生産することを確認した。その結果としていえることは、すでにある社会を自明視してはいけないということだ。それは人びとの行為しだいで、まったく別の社会となった可能性のある社会なのだから。そして現に今も社会運動のような反省的行為によって改訂されている社会でもある、と。
しかし、これまでに確認できたのは、さしあたり物象化的錯視に代わる反省的認識の可能性と、問題状況に応じて人間は反省的に行為するということの二点にすぎない。では、いかにして人間は反省的認識をおこない、いかにして反省的行為をするにいたるのか。またそれはどのようなプロセスで社会を変えていくのか。あるいは逆に、みんながおかしいと感じている不公正な社会的事象が不動の事実のようにくりかえされるのはなぜか。そもそもどのようにして人間の行為が大きな社会という現実をつくりあげるのか。これらの疑問について考えるのが以下の諸章の課題である。
このようなプロセスはさまざまな角度から論じることができるが、わたしは「人びとの知識」を中心にこれを説明しようと思う。といっても、何か目新らしいことを展開しようというのではない。このようなアイデアはむしろ古典的なものである。たとえば一九〇八年の著書のなかでゲオルク・ジンメルは次のように述べている。
「いうまでもなく人間相互のすべての関係は、彼らがおたがいについて何ごとかを知りあっているということにもとづいている。商人は、彼の取引相手ができるだけ安く買い、できるだけ高く売ろうとするということを知っており、教師は、彼が生徒にある質と量の教材の学習を期待できるということを知っている。個人はそれぞれの社会層の内部において、他のそれぞれの個人にほぼいかなる教養の程度を前提すべきかを知っている。──そして明らかにそのような知識がなければ、人間と人間とのあいだのここにふれた作用はけっして生じることができなかったであろう。」●1
ここでジンメルが注目するのは、人びとがもっている知識である。これが社会関係の前提になっているというのだ。しかし、その知識は固定的なものではない。「われわれの関係は、おたがいについての相互の知識にもとづいて発展し、さらにこの相互の知識は、事実上の関係にもとづいて発展する。この相互の知識と事実上の関係とは解きがたく絡みあい、……」とジンメルはいう。●2知識は社会関係の前提でもあるが、じっさいの社会関係のぐあいに応じて変化する。しかもその知識は必ずしも正確であるとはかぎらない。かれは「われわれの行動は全存在にたいするわれわれの知識にもとづいてはいるが、この全存在にたいするわれわれの知識は、独特の制限と歪曲とによって特徴づけられる」と述べている。●3
このように人びとの知識に力点をおいて見ていこうというのはジンメルの独創である。しかし、社会学はしばらくのあいだ、このアイデアを放置していた。状況が大きく変わるのは一九六〇年代になってからである。そのあたりの事情から確認しておこう。
8-1-2: 知識社会学の主題転換
日本人は「知識」ということばを狭くとりがちである。何か専門的なものか、観念的なものを思い浮かべてしまう。だが、ジンメルの使っている「知識」はかなり広い概念であり、何といっても日常的なものである。今日の社会学も広い意味で「知識」を使う。まず、なぜ社会学が拡大された知識概念を使用するようになったのかについてかんたんに説明しておこう。
社会学には知識社会学という分野があり、「存在被拘束性」(Seinsverbundenheit)といって、知識はすべて社会的条件に規定されていると考える。「意識は存在に規定される」として「イデオロギー」批判を続けたマルクス主義に対して、知識社会学は「そういうマルクス主義だって『存在に拘束されている』じゃないか」と批判したのである。ところが「そういう社会学者だって『存在に拘束されている』ことになるのではないか」と反批判され、「社会学者は『浮動するインテリゲンチャ』だから『存在』から自由なのだ」と、いささか弁解がましい応酬をしたという経緯がある。
このようなイデオロギー批判的な古典的知識社会学に対して、近年注目されてきたのは、逆に社会形成に対する日常的な知識の積極的意義を見直そうとする、新しいタイプの「知識の社会学」である。それによると、知識社会学は社会において「知識」として通用するすべてのものをとりあげなければならないという。この立場を鮮明に主張したバーガーとルックマンは次のように述べている。
「現実の理論的定式化は、たとえそれが科学的なものや哲学的なもの、あるいはまた神話的なものですらあったにせよ、社会の成員にとって〈現実的〉であるものをすべて汲みつくしているわけでは決してない。こうした理由から、知識社会学はまずなによりも、理論的なものであれ、前理論的なものであれ、人びとがその日常生活で〈現実〉として〈知っている〉ところのものをとり上げねばならない。ことばをかえれば、〈観念〉よりも常識的な〈知識〉こそが知識社会学にとっての中心的な焦点にならなければならない、ということだ。意味の網目を織りなしているのはまさしくこうした〈知識〉であり、この網目を欠いては社会は存立し得ないのである。」●4
かれらの主張以後、知識社会学の仕事は大きく変貌することになる。もちろん、自然科学的知識の社会性(歴史性)を分析する研究なども相変わらずさかんだが、その一方で「日常生活の社会学」の有力なアプローチとして知識社会学は再定立されることになる。後者のあつかう「知識」は日常生活のなかでわたしたちが使用しているありふれた知識すべてをふくんでいる。これを社会学者たちは「日常生活者の知識」(シュッツ)「日常知」もしくは「常識的知識」(バーガーとルックマン)「共有知識」(ギデンス)などと呼んできた。このうちバーガーとルックマンによると「常識的知識」(commonsense knowledge)とは「日常生活の常態的で自明的なルーティーンのなかで私が他者とともに共有している知識」と定義される。●5本章でもここから再出発して、専門的知識や序論で論じた反省的知識などへと議論をつなげていくことにしたい。
8-1-3: 日常生活者の知識
日常生活者としてわたしたちが共有している知識には、たとえば電車の切符の買い方や銀行預金の仕方といった生活上のノウハウや問題の処理法をはじめ、「こういうときにはこうするとよい」といった行動の指針、「男(女)とはこういうものだ」といった通俗的な定義(決めつけ)などがふくまれる。前章でふれた縮約的な障害概念もそのひとつである。さらに「父親」「おば」「教師」「郵便配達人」「店員」といったさまざまな人間類型に関する膨大な知識もふくまれている。また、村や都市や会社や学校などの生活組織における人とのつきあい方や作法、勤勉や正直といった道徳的規範もその重要な要素である。序論でふれた「権力のことば」「消費のことば」も忘れてはならない。●6
シュッツが指摘するように、わたしたちの常識的知識は、統一的でなく、部分的にのみ明晰で、つねにいくらか矛盾しているものである。しかし、このような常識的知識は、生活の舞台となる集団の内部では、それなりに統一性をもち明晰で首尾一貫したものと考えられ、一般に集団内では反証がない(ボロがでない)ために自明視されている。というのも、それは、ある特定の領域について統一的かつ首尾一貫した「専門的知識」とちがい、日常生活のその場その場でとりあえず役に立てばよい「処方箋的な知識」(knowledge of recipes)が中心だからである。●7
とはいっても、日常生活者の知識を専門的知識より低く見るのは早計である。前者は「かりに社会の『相応な能力の』成員であれば他の人たちは身につけていると、行為者が仮定し、また相互行為におけるコミュニケーションを維持するためにたよられる、自明視された『知識』」●8でもあるのだ。つまり、自分が相手に話しかけるとき、わたしたちは、さまざまなことを仮定し・自明視するし、そのことを相手も承知していると自明視する。●9そのことによってスムーズにことが運ぶのである。このような知識がなければ社会生活は成り立たないだろう。しかし、そうかといって、日常生活者の知識は静態的な不変のものではない。知識は具体的な行為のプロセスで修正されたり、専門的知識の介入によって訂正されたりする。だからいつまでも自明で共通であるとはかぎらない。その意味で動態的に見ていく必要があるし、知識の分布状態にも相当なむらがある(偏在性)。それゆえ時間と空間の広がりのなかで捉えるよう注意しなければならない。
8-1-4: ジンメルの「社会はいかにして可能か」
日常生活者が共有している常識的知識に媒介された行為が、どのように社会を創造的に構成し、どのように知識そのものを改訂するのか。わたしはこの種の理論の源流ともいうべきゲオルク・ジンメルの「社会認識論」に関する古典的な小論「社会はいかにして可能か」から出発したいと思う。●10
ジンメルが「社会認識論」と名づけるのは、社会現象の自然現象に対する根本的なちがいに対してである。いうまでもなく自然現象が「自然」として認識されるためにはそれを認識する観察者が必要である。それに対して、社会現象の場合は特別の観察者を必要としないとジンメルはいう。なぜなら社会現象を構成する要素自体が、意識をもち能動的に活動する人間だからである。それ自身が社会の構成要素である人間たちの「他者とのあいだの規定と被規定をめぐる感情と知識」が社会をひとまとまりのものとして構成するのであって、特別の観察者によって認識されるわけではない。その意味で社会はみずからを認識する。それが自然現象との根本的なちがいである。●11
したがって、社会を研究する科学者は、自然を研究する科学者のような単純な認識ではすまない。いわば「認識の認識」をすることになる。つまり人びとの認識そのものが認識対象になるのであり、そもそも人びとの認識自体が社会を可能にするアプリオリ(先天的な条件)なのである。人びとによって認識された社会をジンメルは「知識事実としての社会」(die Gesellschaft als eine Wissenstatsache)と呼ぶ。●12これはまさに「日常生活者の知識」における〈社会〉像である。ジンメルはそれを三点にわけて説明する。
第一点は、のちの研究者から「役割のアプリオリ」もしくは「類型化のアプリオリ」と呼ばれる相互認識のしくみである。●13わたしたちは他者を見るとき、ありのままに認識するわけではない。それは不可能である。だからわたしたちは他者を一定の類型にあてはめて見る。この類型が「役割」である。たとえば目の前の人物を「店員」としていったん認識する。それから「店員」という類型(役割)と本人とのズレを個性として認識するといったぐあいである。
第二点目は「個性のアプリオリ」あるいは「呈示のアプリオリ」である。たとえば目の前の店員はたんに店員でないことをわたしたちは知っている。つまり〈いま、ここ〉ではたしかに店員であるけれども、同時にかけがえのない個性的個人であることを知っている。つまり、類型(役割)の担い手であると同時に、そうでない存在でもあることを人びとは承知しているというわけだ。自分自身についてもそれは同じである。わたしたちは自他ともに社会的存在であると同時に非社会的存在──つまり個性的存在──であることを前提しているのである。
第三のアプリオリは「構造のアプリオリ」あるいは「共生のアプリオリ」である。これは一種の理念のようなことだ。個々人が社会のなかにそれぞれ一定の地位を予定調和的に指定されているという前提である。社会は個性的な個人をあてにして地位を用意し、個人はその地位につくことによって個性的価値を発揮する。じっさいにはこうはいかないのであるが、この予定調和的前提(理想)そのものが存在する「かのように」(als ob)人びとがふるまうことが、現実の社会を可能にするアプリオリだとかれはいう。
このようにジンメルは、人びとが自分たちの知識のなかにある類型(役割)を使って相互にその社会性と個性とを認識しあい、社会と個人の調和的関係を想定して活動することによって、社会という現実が成立していることを指摘する。社会はこのような知識をもった人びとによって日常的実践的に成就されるものなのである。
このような捉え方は現代の社会理論にも継承されている。たとえばアンソニー・ギデンスは次のように述べている。「社会的世界と自然的世界の差異は、自然的世界がそれ自体『有意味』なものとしての世界を構成していない点にある。つまり、自然的世界のもつ意味は、人間の実践的生活の経過のなかで、また人間が自然的世界を自分たちで理解し説明しようとする努力の結果として、人間によって生産されるのである。それに対し、社会生活──いまいったような理解や説明の努力もその一部となる──は、その社会生活を成す行為者が自分たちの経験を組織化するために行う、意味の枠の能動的な構成と再構成によって、まさに《生産》されるのである。」●14それゆえ、有能な社会的行為者はだれでもすでに一端の社会理論家といえる存在であり、エスノメソドロジーの用語を使えば、わたしたちはすでに「社会学している」(doing sociology)のだ。●15
したがって、人びとがどのように社会について認識しているか自体が「社会を可能にする」条件となる。のちにマートンが「予言の自己成就」として定式化したように、社会に関して人びとが常識として共有している知識──「知識事実としての社会」──に基づいて人びとがじっさいに行為することによって、結果として「知識事実としての社会」が現実のものとして構成(生産・再生産)されるのだ。
8-1-5: 予言の自己成就と知識
すでに「予言の自己成就」として説明しておいたメカニズム、すなわち知識を媒介とした社会のこのような循環構造について再度確認しておこう。ここで「予言」と呼ばれているのは社会関係についての知識のことである。この知識が人びとに共有されることによって、その知識が想定する現実がつくりだされる。この循環構造が「予言の自己成就」である。この循環構造は本書の議論の理論的な要にあたるので、その原型モデルとして理解に役立ちそうな「合理的期待のマクロ理論」についてふれておきたい。●16
経済学者の佐伯啓思の説明によると「合理的期待のマクロ理論」とは「政策当局がある経済政策を実行しようとする。ところがその経済政策があるパターンにはまったもの──つまり既成の経済理論に基づいたもの──だとすると、計算高い合理的な経済主体は、そのような政策そのものを経済計算の中に組み入れて、より合理的な行動をとる。その結果、経済政策は所期の目的を実現することができず、多くの場合には無効になってしまう。」●17
これは次のことを示す。「経済について、人々がどの程度の情報を持ち、どのような見取図を持つかが、現に生ずる経済状態に決定的な影響を与える。従ってその極限では、経済についてのある種の知識を持つことが、まさにその知識が想定する現実を産み出す要素となるということである。」●18このように「現実(リアリティ)は、一枚の絵画のように平板な世界ではなく、その世界を描き出す人々の観念の入れ子構造になったものなのである。」●19
ここにジンメルやマートンが描こうとした、知識を媒介とする循環構造がじつに単純な姿で述べられている。それはあまりに単純すぎるといってもいいかもしれない。常識的知識よりも専門的知識についての循環構造の方がはるかに単純なのである。そこで今度はより複雑な常識的知識の循環構造の現場を見てゆくことにしよう。
8-2: 二 役割現象の動態
8-2-1: 〈として〉規定
人びとの知識が社会的現実を構成する条件となる。ジンメル自身が示しているように、その典型的な現象が「役割」をめぐる一連の社会現象である。本節では、ジンメルが開示した「社会認識論」を「役割現象論」として整理し直して、常識的知識の意義について考察していきたい。●20それによって「知識事実としての社会」のダイナミズムを浮き彫りにできると思う。
「役割現象」(Rollenpha`nomen)とは、日常生活において人びとがじっさいに使用している知識としての「役割」を中心とした一連の社会的相互作用過程をまとめてさす概念である。要するに、わたしたちは社会的場面において他者とかかわっていくとき、自分たちの頭のなかに知識として貯蔵されている一定のパターン化された役割の知識に沿って、じっさいのふるまいをしていくのである。じっさいのふるまいは、自分にとっても相手にとっても、必ずしもイメージ通りでないこともあるが、それでもそこで提示された役割が他者に理解でき納得できるようなものであれば、お互いの交渉はスムーズに進行する。そうでない場合は、自他ともに緊張関係のなかで調整の道を模索することになる。わたしたちの日常的な社会生活とは、おおよそこのような現象から成り立っている。これが役割現象である。
役割現象は社会を可能にする骨組みである。その構造にもう少し踏み込んでみよう。
ジンメルは「として見る」ことから議論を始めている。「男として」「女として」「母として」「長男として」「店員として」「患者として」他者を見る。これは自分に対してもまったく同様である。相手を「店員として」見ると同時に、自分を「客として」見る。自分を「教師として」見ると同時に、相手を「生徒として」見る。このように役割現象の始点は「として」にある。著名な哲学者カール・レーヴィトはこれを「として規定」(Als-Bestimmtheit)と呼んでいる。●21
「として規定」は一種の「類型化」(typification)である。類型化とは、まず相手を「何者かとして」実践的に推論することである。たとえばウィリアム・I・トマスはこう述べている。「たとえば、私が君の客だとする。[その場合]私が君の金銭あるいはスプーンを盗まないということは君にはわからないし、科学的に決定することもできない。ただ推論上、私は盗まないであろうとされ、推論によって私を客として君は迎えているのである。」●22
わたしたちは、他者が何者であるか、他者の行為が何を意味するかを把握するために、自分の知識在庫にある類型化図式を目の前の人物にあてはめていく。たとえば「カウンターのなかにいる目の前の人物は店員である」というように他者類型化がおこなわれる。それと同時に、自分が他者に対して何者であるべきかを推論し、多くの場合「何者かとして」ふさわしい行動をとろうとする。これが自己類型化である。たとえば「自分はこの店の客である」というように。このとき、自分と相手との社会関係がいかなる種類のものかをわたしたちは想定している。この場合は「商品の売買」という関係類型化である。
このように役割現象で生じているのは、社会的場面において〈他者−自己−関係〉に関する類型化が適切におこなわれることである。役割は類型化図式に相当する。わたしたちの常識的知識には、このような類型化図式がたくさんふくまれている。類型化図式はそれぞれの文化によって多様でありうるが、基本的には同一文化圏内においては一定限の妥当性をもっている。わたしたちは社会化の過程においてそれを学習し、じっさいにそれを使用し、その妥当性を検証していくのである。
8-2-2: 鏡像効果
類型化は単独では生じない。複数の主体が相互にかかわりあうとき、自他相互に「として」が生じるのである。「わたし」はひとりでいるとき──あるいは眠っているとき──父親であったり店員であったりするわけではない。「わたし」が父親であるのはあくまでも子どもに対してであり、「わたし」が店員であるのも客に対してである。他者とのかかわりから「──に対して」類型化が発動されるのだ。
「──に対して」については鏡のメタファーが有効である。鏡の反射や照らしあいのように人間はお互いを映しだす。この「鏡像効果」ともいうべき現象は、いわばリフレクションの第一水準である。
クーリーは有名な「鏡に映った自己」(looking-glass self)の概念でリフレクションの原型的なアイデアを提出しているが、かれは「お互いがお互いにとって鏡であり、その前を通る人を映している」という句を引いて、このような自我のありかたを「鏡に映った自己」と呼んだ。●23要するに、他者という鏡に照らして(reflect)はじめて自分を感じ自分を知ることができる、ということだ。あらかじめ自分というものがあって、その上で他者とかかわるものだと、わたしたちは思っているけれども、じっさいには、他者とかかわる過程で他者という鏡に映った自分を認識することによって自分を感じているというのである。
この考え方は、わたしたちが自明のものと考え実体化してしまっている「自分」を、他者との関係において捉えるという点で──つまり、項に対する関係の第一次性を提示している点で──画期的なものだ。しかし、このような発想はマルクスやレーヴィトのようにフォイエルバッハの系譜にある哲学者たちにしばしば見られるものでもある。たとえば、すでに引いたマルクスの一節にも明らかにその発想がある。「およそこのような反省規定というものは奇妙なものである。この人が王であるのは、ただ、他の人びとが彼に対して臣下としてふるまうからでしかない。ところが、彼らは、反対に、かれが王だから自分たちは臣下なのだとおもうのである。」●24ここで「反省規定」と訳されているのは、鏡の照らしあいのように相互に規定しあう事態をさしている。ここはむしろ「反照規定」というべきだろう。反照規定はリフレクションの第一水準であり、社会を可能にする根源的な事実である。ここからいっさいの社会は始まるのである。
しかし、たとえばクーリーのいうreflectが具体的にはどのようなプロセスなのか、じつは相当あいまいである。照らしあうといっても、じっさいにはそれは応答的になされるはずではないか。鏡像効果を「応答」としてプラグマティックに改良して、このアイデアを本格的に仕上げたのがミードだった。ちなみにプラグマティズム(pragmatism)は一般に「実用主義」と訳されて誤解されていることが多いけれども、「プラグマ」(pragma)とは「行為」のことであり、むしろ「行為主義」と訳すべき考え方である。●25なおミード自身は「社会的行動主義」(social behaviorism)と自称している。
ミードの「身ぶり会話」論で語られていたのも、相互に相手を照らしあう「反照規定」である。しかし、ミードは「反照規定」が、コミュニケーションとして現実におこなわれる事実的行為の客観的なプロセスであると論じた。第一章でかんたんに述べておいたように、ミードはコミュニケーションを身ぶりのやりとりと考える。自分の身ぶりに反応して相手が身ぶりを返す。この相手の反応の身ぶりそのものが自分を映す鏡になる。わたしたちは相手の反応の身ぶりによって自分の身ぶりの「意味」を知るのである。身ぶりがより高度になれば、この「意味」はより分節化されていくが、それについては後論にゆずるとして、ここでたいせつなのは、リフレクションがこうした行為のやりとり自体に基礎をもっているということだ。かれによると、個人の孤独であくまでも主観的な「内省」はリフレクションのほんのひとこま──中継地点──にすぎない。●26
8-2-3: 演出と印象操作
クーリーが「鏡に映った自己」の概念で押さえたのは単純な反照関係だった。ミードの身ぶり会話レベルのコミュニケーション(第一水準)にあるのも比較的単純な「反照規定」である。じっさいにはこの「合わせ鏡の照らしあい」は相当に複雑な様相を帯びる。それを丹念に解きほどいてみせたのはアーヴィング・ゴッフマンだった。ゴッフマンは『日常生活における自己提示』(邦訳名『行為と演技』)の冒頭部分で、人びとが出会うときに生じる相互に反照する規定関係を微分するように描写している。●27ここでは相互反照規定の「始まり」のシーンをわたしなりに単純化して示しておこう。
人と人とが出会うとき、まず知りたいと思うのは相手についての情報である。相手が何者なのか。職業は何か。自分より年上か年下か。自分に好意をもっているか。装っているのか誠実か。今の気分はどうか。これらの情報がある程度即座にえられる場合でも、自分の知識のなかにある類型化図式によって相手を認識してしまっていいのかどうかが問題になる。そこで相手とのコミュニケーションのなかで、ことば以外のノンヴァーバルな要素(たとえば、しぐさ・表情・視線・服装)を手がかりに参照して、表面にでている言語コミュニケーションを評価する。というのはノンヴァーバルな要素は当人がコントロールしにくいから、相手の今の状態を知るのに好都合だからである。
ということは当然相手も知っている。となると相手は、コントロールしにくいと思われているノンヴァーバルな要素を意図的にコントロールすることによって自分にとって都合のよい印象をあたえようとする。さりげないしぐさで自分の誠実性の印象を補強したり、相手の視線を意識しながら別の行為を演じることもある。ということを自分も知っている。相手はさりげないしぐさを演出的にふるまっているかもしれないのである。そこで……。
といったぐあいに、探りの入れあいが入れ子式に反射しているのが相互作用のふつうの姿なのである。こうして人びとの行為は大なり小なり「印象操作」(impression management)の側面をもち、演出的な性格を帯びる。このプロセスが演劇とちがうのはただ一点。相手は舞台上の共演者であると同時に、ときには意地悪い批評家ともなりうる観客でもあるということだ。当然、話はややこしくなる。
8-2-4: ずれによる個性認識
ジンメルの社会認識論が、社会を「あやつり人形芝居」と見なしがちな既成の役割理論よりすぐれているのは、個性認識をしっかり組み込んでいるところにある。●28というのもジンメルは、役割演技といいながらも、社会がいかに「あやつり人形芝居」でないかについて何度も確認しているからである。
役割すなわち類型化図式それ自体は抽象的な知識である。その抽象性に対して役割演技(役割行為)はあくまで具体的である。それは、演劇においてシナリオが抽象的であるのに対して、俳優による上演が具体的であるのと同じことだ。この具体化が重要なのである。わたしたちはついつい抽象的な役割の方にポイントをおいて議論してしまうが、じつは役割行為による具体化の方がはるかに重要なのである。
さて、この具体化の段階ではじめて生じることがある。それは「文学的にも現実的にもただひとりのハムレットしか存在しないのに演劇的には多くのハムレットが存在する」ということだ。●29演劇は台本に書かれた役割の再現ではない。いわば「演劇的個性」がじっさいの上演においてそのつど創造されるのである。つまり俳優はたんに役割のマリオネット・役割の奴隷・役割の媒体ではないということだ。
これは日常生活における行為者もまったく同じである。抽象的な類型化図式の知識を手がかりにそのつど役割は具体的な事実的行為によって創造される。そして創造された現実の行為と、共有された知識としての役割との「ずれ」から、他者はその人の個性を組み立ててゆく。このように個性は直接、個性として認識されるのではない。あくまで「ずれ」として認識されるのだ。
8-2-5: 距離化
ジンメルは役割と自己と他者認識とを単純に一体化していない。むしろ相互に距離のあることを重視している。この「距離」こそが社会関係にダイナミズムを生む原動力になる。役割現象は、他人から期待される行動様式を無反省に実践することではなく、本質的には反省的な行為である。したがって、その結果なされる役割行為はとうてい単純なものではなく、相当に入り組んだものになる。この点に焦点を当てた概念のひとつに「役割距離」がある。
「役割距離」(role distance)はゴッフマンによって提唱された概念である。●30人は役割を演じるだけでなく、演じるふりをする場合もある。さらに演じるふりをしていることを役割行為のなかで表現することがある。「役割距離」とは「個人とその個人が担っていると想定される役割とのあいだに〈効果的に〉表現されている鋭い乖離」である。●31つまり、自分が担っている役割に〈ほんとうの自分〉が宿っていないことを相手に伝えることである。
ゴッフマンはわかりやすい事例としてメリーゴーランドの木馬の騎手の役割をあげている。この役割は幼児にはそれなりの困難があるものの、三歳か四歳になればなんとかなる。このころの子どもは木馬の騎手の役割に自分を没入する。自分と役割のあいだに距離はない。しかし、これが五歳の男の子になると、たんに乗りこなすだけですまなくなってくる。自分にとって何の困難もない仕事であることを一生懸命に表現しようとするのだ。手を離したり、鞍の上に立ってみたり……。木馬の騎手という役割をこなすことによって表現されてしまう〈自分〉に対して距離をおこうとする。七歳か八歳になると、機械を操作する大人から注意を受けるようなさまざまな限界に挑戦する。十代になると、できれば乗らないにこしたことはないが、乗るはめになったときは、競争馬に乗ったようなオーバーなしぐさをして「冗談」としてその役割を演じていることを表現したりする。
これが大人になると、さまざまな技巧をこらす。「ある大人は冗談に安全ベルトを強く止めて見せる。また、別の大人は手をクロスさせて、左手のポップコーンを右の人に、右手のコーラを左の人に渡す。横鞍に乗った婦人は、鈴を転がすような声で、『おお、冷たい』と言い、彼女を眺めている男の友だちに、『乗りなさいよ、意気地なし』と、声を掛ける。デートをしているカップルは、その状況に自然に気持ちを合わせるために、手を繋ぎながら隣り合った馬に乗る。二組でデートしているカップルも、それなりの技巧を凝らす。前の馬の男性は後向きに乗って、自分の写真を撮っている後ろの馬の男の友だちの写真を撮る。そして、もちろん、大人のなかには、怖がっている二歳半の男の子の側にぴったり乗って、乗ること自体を出来事とは見ず、自分の唯一の関心はすべて子どもだけにあるのだぞ、ということを慎重に証明するための顔をつくっている者もいる。」●32このように、役割との距離を示すためにさまざまな工夫がいる点で、メリーゴーランドの木馬の騎手という役割は、年齢が上がれば上がるほど難しい仕事になる。
わたしたちの日常生活においても、大なり小なりこのような距離化の表現が必要である。ここで確認しておきたいのは、役割現象において有能な行為者は覚めていることである。人間の行為は距離化の程度によって自然的態度と完全なる覚醒のあいだにあるといえる。
8-3: 三 知識と社会形成
8-3-1: 行為の反省的評価
言語の場合と同じように、役割現象の場合も、人間は熟練した能動的行為者である。かれらは、すでに既定条件として与えられた舞台装置の文脈のなかで、演じるべき台本をよく知っており、かかわるべき他者に対して自分が何者であるかをわきまえ、しかも型通りに役割にはまるのではなく、ほどほどに距離化しつつ個性的に演じることによって「社会的現実」という演劇的事実をそのつど新たに創造するのである。そのとき演技者は行為者であると同時に、状況を理解し、自分を理解する解釈者でもある。人間はまさにこれらの点において社会形成の主体なのだ。
近年注目された社会学理論はいずれもこのような行為論的人間観を強調してきた。エスノメソドロジーの「実践的理論家としての日常生活者」、シンボリック相互作用論の「熟達した創造的行為者としての主体」。●33これらを継承してアンソニー・ギデンスは「社会の(相応な能力の)成員とはいずれも実際の経験から学んだ社会の理論家であるがゆえにこそ、《社会の生産》は現実に可能となる」●34とし、社会生活とは、社会の働きについて多くの知識をもった行為者の能動的達成と考える。●35この知識のなかには、たとえば言語については語彙や文法規則についての知識、役割現象についてはさまざまな類型化図式がふくまれる。
行為者が有能な社会理論家であるというのは、たんに社会生活についての知識をもつからだけではない。それは「人間は活動状況にかんする知識をとおして行為を反省的に評価する(reflexively monitor)」から社会理論家なのだ。●36行為の流れのなかで行為者は自分の行為についてたえず反省的にモニターする。「モニター」とはもともと「監視する」とか「具合を観察する」といった意味だが、「反省的」がついているから「自己監視」とか「自己点検」の意味になる。それによって、きたるべき場面で行為を微調整したり、他者に自分の行為の理由を説明したりする。そして「行為の自省的評価が社会の制度的組織を誘発するとともに再構成する」●37このように反省作用はたんに認識に関わることがらであるのではない。社会形成の基本的なメカニズムでもあるのだ。
8-3-2: 知識過程
ここで〈図〉と〈地〉を反転させて、反省的評価の基準となるとともにそれによって修正される知識の方を〈図〉にしてみると、知識は固定したものではなくて、たえず行為によって経験的に改訂されていることがわかる。知識は「行為の反省的評価」によってたえず修正される過程的な性質のものである。ジンメルは「知識事実」と呼んでいたけれども、じっさいには「知識過程」なのだ。
前節で説明した役割現象について、この知識の過程的性格を再確認してみよう。人びとは相手に対して類型化図式を当てはめて相手を役割の担い手としてひとまず捉える。それに対して自分自身にも適切と思われる役割をふりわけて自分の行為の方向性を見定める。この場合、役割は自己理解の媒体である。その知識は子どものときからの社会化によって獲得されたものである。ところがじっさいに役割行為は知識通りのものではない。相手の事実的行為によるさまざまな偶発的事態に対処しなければならない。行為者はその対処の行為を事後的に反省的評価し、役割についての知識を修正する。そして今度は修正された知識にそって新しい行為がなされる……。このように知識は行為者の反省的評価による絶えざる修正過程と見なすことができる。このプロセスは〈知識Aⓤ行為ⓤ反作用ⓤ反省的評価ⓤ知識A’ⓤ行為……〉といったぐあいに、らせん状に進展する。反省度が低いと、反作用が取り込まれないまま、知識Aのまま次の行為がくりかえされる。伝統的行為もしくは慣習的行為の場合や固定観念や偏見にもとづく行為がこれに当たる。相手の反作用のあり方も当然問題になる。とりわけ「予期しない結果」があきらかになったときは。「神は細部に宿る」ということばがあるが、このような微細なプロセスがじつはわたしたちの日常生活において無数にくりかえされており、そのくりかえしがさらに大きな社会形成のプロセスへと転回してゆく。このようにリフレクションとは知識の改訂作業なのである。
たとえば、ひところ議論になった「職場のお茶くみ」役割を例にとってみよう。それが職場で慣行になっているのは、そこで働く人びとの知識に共有されていた「女性役割」に即した行動だったからであろう。組織社会においては、その中核をなす男性社員(職員)「に対して」とくに女性社員(職員)の「女らしさ」が強調されてきたから、お茶くみのような仕事は重要な役割のひとつと見なされてきた。もちろん、この役割を自明視して、その役割をじっさいに行為することによって、役に立てたとの実感をえることもあろうし、ささやかな自己表現となることもあるだろう。しかし、たとえば総合職として同期入社したにもかかわらず女性だけがお茶くみを要求される不条理に気づくとき、それを異化し問題化させることも大いにありうることである。これが反省的評価の始まりである。しかし、その結果に基づいて実行に移すさいにはさまざまな困難が予想される。男性社員や同僚の女性たちについての知識──かれらがそれぞれどのような知識をもっているかも含めて──からその反応を予想するのはさほどむずかしいことではない。ここでお茶くみ役割の変更を思いとどまることは十分ありえる。この場合は役割距離の戦略をとることになる。しかし、思い通りにお茶くみを拒否すれば──拒絶にせよ説得にせよ──その知識は具体的な社会的相互作用にさまざまな反応を生みだす。その反応が反省的評価として取り込まれる。納得してもらうには対話が必要だとなれば、対話という次の新しい行為が生みだされるであろう。その結果、職場の人びとの常識的知識が改訂され、お茶くみ廃止の合意ができるかもしれない。
このように反省的評価による「知識の改訂」を媒介させながら具体的な社会的現実が修正されてゆくのである。一般的に、コミュニケーションによって社会化されるなかで知識は個人に蓄積され、それに基づいてさまざまな行為が産みだされるが、コミュニケーションにおける他者の具体的な反応を考量する反省的評価によって、行為者の知識はたえず修正されつづける。知識はコミュニケーションの結果であるとともにコミュニケーションを変え、コミュニケーションに変えられる。
話が抽象的にすぎたかもしれない。抽象的な議論はここでやめにして、今度は知識過程としての役割現象をひとつの有名な具体例に即して見ることにしよう。
8-3-3: スモン患者の役割変遷
ひとつの実例としてスモン事件の被害者のたどった役割の移り変わりについて見てみよう。スモン事件とは、整腸剤として広く使われていたキノホルム製剤によって、下半身の神経がマヒして歩けなくなり、目も見えなくなるという障害を服用者にもたらした事件である。被害者はこれらの障害とともに激痛に苦しめられたが、一時期ウィルス感染説が存在したためにさまざまな社会的差別にも苦しめられた。一九五五年あたりから始まり、一九六九年から翌年にかけて大きく社会問題化した。法的に認定された被害者だけでも一万人を超える世界最大の薬害事件である。
とはいっても、はじめから一連の事象が「薬害事件」として存在していたわけではない。むしろこの事件をきっかけに「薬害」という概念が日本社会に定着したのである。したがって、スモン事件が「薬害事件」として社会的に存在するのは、すべて〈事後的に見て〉のことである。おそらく被害者による有効な社会運動なしには少なくとも「薬害事件」としては社会的に存在しなかっただろう。わたしはここに人間の反省的な社会形成のひとつの理念型を見ることができると思う。
栗岡幹英はスモン被害者の手記を分析して、かれらがさまざまな役割をへて薬害告発者へと自己形成する過程を追っている。●38この研究にそって、スモン被害者の役割変遷過程をたどっていくことにしよう。
すべてはまず身体の不調から始まる。身体へと意識が収れんすることによって、それまでの健康な「社会人」という役割が「私秘的生活者」の役割にすりかわっていく。つまり「社会人」としてそれまでかかわっていたさまざまな他者が意識から遠のいてゆく。やがてスモン特有の激痛と身体の機能障害(下肢マヒと視力低下)の進行によって「スモン患者」の役割を受け入れざるをえなくなる。他の一般の患者役割と同じように「スモン患者」の役割も一時的なものと考えられ、他者への依存を受け入れるようになる。ところが、それが一時的なものでなく不治の病いであることがわかり、視力などの障害が一線をこえてしまった段階で、このような意味世界は崩壊する。一方ではウィルス感染説が報道されることによって、かれらは「感染症患者」の役割を押しつけられる。同時に、本人とその家族はともに社会からさまざまな差別を受けることになる。それは、他人に奇病をうつしてしまう存在として「加害者」役割を家族ともども背負わされたことによるのであるが、その結果として、かれらの多くはウィルス感染説の受け入れに拒否的にならざるをえなかった。それに対して、しばらくのちにでた「キノホルム説」は、かれらの体験によく合致するとともに「加害者」役割からの解放を意味したため、積極的に受け入れられることになる。こうしてかれらは「キノホルム被害者」の役割を選択的にとることになる。自分たち──この場合は家族もふくむ──が「被害者」となると、「加害者」はだれだということになり、かれらは被害者として加害者の存在を意識するようになる。まず医者が想定されるが、やがてその背後の製薬企業とそれを監督する立場にある国[厚生省]そして薬事制度全般へと遡及する。そこで、かれらは一方で「キノホルム被害者」という自己定義を正当なものとして他者の承認をえようと能動的=主体的に運動するとともに、他方で裁判の「原告」の役割をとることを通じて普遍的な性格をもつ「薬害告発者」へと自己形成していくのである。このさい目標となったのは、自分たち被害者への補償だけではなく、薬害そのものの根絶だった。これは、被害があまりに重いために、金銭的な保障が積極的な意味をもたないという側面もあったが、それまで他者に依存しつづけざるをえない存在だった自分たちが「二度と薬害を起こさせない」ために闘うことで、将来ありうるかもしれない薬害の被害者を未然に救うという高度に社会的な貢献をしたいとの気持ちが強く働いたためだった。●39
ごらんのように、スモン患者の自己形成は、キノホルム中毒という身体的な要因から始まるにしても、基本的に他者との交渉関係──コミュニケーション──のなかできわめて反省的におこなわれている。この場合、深刻な問題状況がかれらに高度のリフレクションを強いたのはたしかである。最終的に「薬害告発者」として裁判を中心とした主体的な社会運動──反省的行為──へ展開していったのはその結果である。
ここで注目しておきたいのは、この役割変遷がけっしてミクロな場面だけでおこなわれたわけでないということである。「スモン患者」の役割は医学者による認定の結果であるし──SMONと命名されたのは一九六四年の日本内科学会のシンポジウムにおいてである──「感染症患者」の役割はマス・メディアによる偏見の醸成の結果である。それらはいわばマクロな場面からかれらの生活史に介入した規定作用である。それに対してかれらは、あるときは受容し、あるときは抵抗する。とりわけ自らを「スモン被害者」として自覚したのちは、それを一般の人たちに認めさせるために、マクロな社会的場面に能動的に働きかけ、「加害者」にあたるものを分析し、さらに「薬害告発者」としてマクロな社会に修正を迫る実践を組織化した。
このプロセスを知識過程として見ると、さまざまな常識的知識の修正が生じている。●40被害者とその家族については、病気に対する知識・薬に対する知識・医者に対する知識が大きく変わった。「病気は必ず治るものだ」「薬は安全だ」「医者はすべてを知っているはずだ」といった常識の自明性が崩壊し、まったく逆の現実が存在することをかれらは知る。ある薬が患者に服用されるまでの複雑な社会的しくみについての知識、すなわち、自然科学的原理によって運営されているかのように信じていた医療現場がじつにさまざまな社会的利害によって左右されていること、その社会的背景に対する知識の深まり。あるいは自分自身の社会への貢献と依存に対する考え方の変化。受動的に受容するだけだったものから、能動的に選択し承認させるものへと転回する役割に対する知識。かれらのうちにあるさまざまな知識が、さまざまな他者とのコミュニケーションの過程で反省的に改訂されたのである。同時に、かれらによる社会運動の組織化と裁判によって、かれらは日本人全体の知識に薬害に対する知識を付け加えることになる。そして障害に対する知識を変え、責任をとるべき主体の不在を日本人に教えた。
この過程はたんなる学習ではない。もはや学習を超えている。というのも、修正される知識はたんに偏見とか固定観念といったものばかりではなく、社会の制度的枠組み自体が要求する知識や専門的知識でもあるからだ。それまでの常識の自明性が解体され、社会学的な反省を通して、新たな知識が形成され、専門家に偏していた知識の分布状態が大きく変わる。それは「知識事実としての社会」を変える実践なのである。