中間知識への転回と情報デザインのために

研究か教育か。大学のあり方について、かなりエッジの立った議論が続いている。ただし有名大学かFランクの両極端の話がほとんどなのが残念だ。なぜこうなるかというと、一方でメディアに出やすい前者に属する先生が身近な現実を前提に語るからであり、他方でFランク大学のスキャンダルな話がキャッチーだからである。後者に属す先生は沈黙せざるを得ないのが悲しい力学だが、しかし、いくら「両極化が進む」と言っても極論ばかりでは現実味がないのではないか。私は「違う違う」と思ってきた。そう「中間」がないのだ。
中間とは、税金で運営される国公立ではなく授業料で成り立つ私学、それも競争の激しい都市の大学、それも職業直結性の少ない学部、有名でもなく無名でもないキャンパス。そこに照準を当てて考えてもらわないと世の多くの学生と教職員にとっては迷惑なのである。
さて、中間領域で問題なのは、大学と高校の間の乖離がものすごいことになっているということだ。私学の半分は推薦系で、ほとんど受験勉強をしていない。推薦理由もたいていスポーツである。勉強については、ほとんど「白いキャンバス」なのだ。
文句を言っても仕方ないので、池上彰流に「そこからですか」から教育する。その覚悟がないと学生は育たない。逆に今どきの学生は素直なので、教えてあげればそつなくこなせるようになる。伸びしろがかなりあるのだ。それに気づくと、大学側が従来の研究優先路線を変更するのは当然の流れである。問題はどこに回転軸を設定するかである。
それは専門知識と常識的知識の中間にある。従来は「教養」「リベラルアーツ」と呼ばれてきたが、これを担当する教員は自分の専門分野をめいめい勝手に教えているだけなので、多くの職業直結型専門課程担当教員が思っているように「意味がない」ところがある。売り手も買い手もバザール型なのである。
そろそろこの中間領域の知識を系統的に整備する段階ではないか。私はそれを「中間知識」と呼び分けて、大学がしっかり用意すべきだと考える。「法学入門」「経済学入門」も大事だが、その前に「学問入門」「サイエンス入門」「人文学入門」「社会入門」「大学入門」「組織入門」が必要なのである。文科省準拠の中高時代の復習なんかじゃないのだ。大学は社会と直結していて広大な知的世界と直結している。その入口を新たに用意すべきなのである。「系統的」というのも階層型だけではない。これは情報デザインとしてきちんと研究すべきだと思う。最近はこんなことばかりを考えている。

TASCマンスリー平成15年4月号掲載