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大塚英志の物語論に影響される

昨日のうちに大塚英志の最近の物語論をあらかた読んだ。実践編では『物語の体操』がとてもおもしろかった。その前提理論として『ストーリーメーカー』からは、かなり影響されて、昨日は早速アマゾンでプロップの本などを注文し、今日は今日とて図書館でプロップなど3冊を借りてきた。ロラン・バルトやレヴィ‐ストロースは少しは読んでいるが、こういうものは読んだことがまったくなかったのである。「定本」のときは自分が怒られているようで居心地が悪かったが、『物語消費論改』は素直に読めた。よくわかったつもりだ。ウェブ時代になって、あらゆるものが「物語消費論的」(「論」がポイント)になってしまったことに対する批判的意識が必要ということだと受け止めた。「論」がポイントということは社会学では「再帰性」の問題でもある。まさに私が考えているのもそういうことで、別に論文を書こうというのではないが、自分として解決したいのである。要するに、ひとりでおこなう創作については、その通り。しかし、ウェブ時代は集合的に創作がおこなわれる。集合知と呼ばれるのが、それに近い。私自身は11年前に『インフォアーツ論』で流言現象としてのネット言説のような趣旨のことを書いたことがあるが、思考はそこでストップしている。大塚さんも「集合的な創作」(これは私の造語になってしまうが)に関しては論を進めずに踏みとどまっている。ご自分の役割を限定されているためであろう。でも、私はそこがわかりたい。さらに、大塚さんが紹介するプロップの説明は、社会学ではジョエル・ベストの構築主義に似ている。類型学的な言説分析と安易に混同しない方がよさそうだが、自分でもそういうことをヘルシズムに対してやってきただけに、気になって仕方ない。明日は今日と同様、一日中大学仕事だが、週末にかけて物語構造論関連の本を読んでみたい。とくに『可能世界・人工知能・物語理論』を図書館から借りてこれたのは幸いだった。これがネット論に一番近いようだから。今日はここまで。