Socius  ソキウス   著作+制作 野村一夫
 http://socius.jp 

現在地 ソキウス(トップ)>書評『健康帝国ナチス』

書評『健康帝国ナチス』


紹介と書評 ロバート・N・プロクター著/宮崎尊訳『健康帝国ナチス』

初出 『大原社会問題研究所雑誌』第552号(2004年11月)73-74ページ。


ユビキタスな健康志向社会

 たとえば「今の健康ブームは過熱しすぎだ」という議論がある。健康ブームといわれて久しいが、それに飽いたころに健康ブーム批判が出てくるのは自然の成り行きである。そして、それもまた小さなブームになると、批判の言説が陳腐化し、いつのまにか健康ブーム自体に取り込まれてしまう。一部の批判によって萎えるような現象でないということだろう。このさい「健康ブーム」というマスコミ用語を避けて「健康志向社会」あるいは「健康意識社会」と呼び変えて、長期的展望の下に議論したほうが適切ではないかと思う。一過性の現象ではないというだ。

 それを前提にした上で、ある種の社会や人びとが健康志向を極度に高めるということがあるということを認識したい。そして、それは人類の歴史上、いつでもどこでも(最近の新語を使うとユビキタスに)ありえたことである。近代日本においても何度かそういう時期のあったことが最近の研究でさかんに指摘されているし、医療人類学はそうした実例を数多く紹介している。

 本書が対象とするナチスドイツもまた、そういう健康志向社会であったらしい。それも大規模で徹底的で、かつ排他的な。邦訳タイトルはそれを端的に示すが、ただし本書の含蓄を見失わせるきらいがなくもない。原題は『ナチスのガン戦争』である。

健康は義務である

 ヒトラー・ユーゲントの冊子に『健康は義務である!』というシリーズがある。本書212ページには、その第1巻「ニコチンとアルコール」の表紙が紹介されている。ナチスはタバコ撲滅運動を進めていたし、アルコールに対してもその害毒性をキャンペーンしていたのである。同じくヒトラー・ユーゲントの手引書『正しい食生活で健康に』には、肉の食べすぎの危険性を強調し、大豆や全粒パンをすすめて、帝国の少年少女は「健康でいる義務がある」としているという(154ページ)。

 このように「健康が義務である」と啓発しつづけたナチスは、ガン撲滅にたいへん熱心だった。著者のプロクターはナチス時代のガン研究の動向を描いたのち、発ガン物質の研究がまさにここから始まったことを確認する。そして、三つの局面に分けて具体的に研究動向を説明する。

 第一に、労働者の保健衛生。ナチスは熱心に産業面での発ガン要因を研究した。第二に、食品衛生。禁酒運動が進められ、あらゆる食品や食事のあり方の功罪が論じられた。抗ガン食品が推奨され、食餌療法が大人気だった。医師も人びとも食物から危険物質を取り除くことに熱心だった。第三に、タバコ撲滅運動である。一般には1950年代にタバコの有害性が指摘されるようになったと思われているが、じつはナチスは1930年代後半にはこの危険性をいち早く認知し、タバコ撲滅運動を進めていた。

 本書の特徴はこれらをディテールゆたかに描いているところにあるが、ここでは再現できない。そのかわり著者が随所でふれている共通の傾向を横断的に確認しておこう。

徹底と混在

 ひとつは大規模性である。これは、健康が国家のためと明確に位置づけられていることによる。個人の私的幸福の条件としての健康ではなく、民族共同体の健康が目指されているのだから、自ずと規模が大きくなる。これはつまり大きな網がかぶせられるということであって、健康の義務からほっておかれることがない。

 ふたつめは道徳的な不寛容さと排他性である。タバコ撲滅運動においてナチスのモラリズムは高度に発揮されたようである。禁酒運動(これは成功しなかったようだが)においてもアルコールと退廃が同一視され、道徳的に非難された。

 しかし、ナチスは一枚岩ではなかったようだ。著者はタバコ撲滅運動における人びとの「反発」的な動きについてもふれている。また、ナチスの指導者たちの内部対立の存在も強調している。たとえば医療のあり方について、ヘスは薬草療法とホメオパシーのファンであり、ヒムラーは自然療法の信奉者でドイツ国民を菜食主義者にすることを夢見たのに対して、ゲッベルスは近代医学(それも公衆衛生的な)の立場に立った。総じて、ナチスのイデオロギーには啓蒙とロマン主義が混在しており、ニュルンベルク裁判で明らかになった、残虐な人体実験をきわめて合理的な態度でおこなう人たちがいた一方で、自然回帰・伝統回帰の側面もあったという。ゲルマン的伝統の復活という流れである。著者が終始強調するのは、まさにこの混在である。ここでは、残酷な人体実験と全粒粉パンの奨励が同居していたのであり、そこにこそナチスが支持されたヒントがある。

健康と道徳と国家

 もちろん健康と道徳と国家は本来まったく別のカテゴリーである。しかし、この三者が強い力によってリンクするときがある。ファシズムがそうであろうし、戦争が国家の力を強くし総動員体制を敷くときもそうである。アメリカにも禁酒法の時代があったが、これも第一次世界大戦の余波という側面を持っていた。戦時が三者のリンクを強くするとは言えそうだ。

 では、現在の日本社会はどうなのだろう。原著はともあれ、邦訳書はそういう含みで作られているし、そういう読み方もされているはずだ。現代日本は「健康帝国ナチス」にどこまで似ているのか。

 この問に対して、私は、ある意味でファシズム時代に近いところはあるだろうとは思っている。しかし、それだけでないところが気になるのである。それはメディアの存在である。メディアは本書においても脇役として幾度も登場するが、主役はあくまでも医学である。しかし、現代日本において、主役はメディアではないかというのが私の仮説である。もちろん医学や公衆衛生学とその影響圏は重要である。この点については、STSと呼ばれる科学技術研究や医療社会学がしばしば問題にしている。しかし、メディアが独自の現実を構築する側面は、語られることが多いわりに批判的研究が未だに少ない。早急の課題だと思う。

ロバート・N・プロクター『健康帝国ナチス』宮沢尊訳、草思社、2003年9月、355+xviiip.


現在地 ソキウス(トップ)>書評『健康帝国ナチス』
SOCIUS.JPドメインへの初出 1/3(Mon), 2005  
このページのURLは http://
Kazuo Nomura(野村一夫) 無断転載はご遠慮ください。リンクはご自由に。
Valid XHTML 1.0!Document type: XHTML 1.0 Transitional