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書評『健康の語られ方』


紹介と書評 柄本三代子『健康の語られ方』青弓社

初出 『大原社会問題研究所雑誌』第531号(2003年2月)76-77ページ。


健康言説論という研究領域

 健康に気遣いするのが日常的な仕事になり、メディアや日常生活において健康について何かが語られるという経験が重要な意味をもつようになった。これはブームというものではなく、すでに私たちの生活世界の重要な構成要素である。とすれば、これを社会学的に問題化して分析することは学問としての新しい責務である。これを健康言説論と呼ぶことにすると、この研究領域は、そうした課題意識に基づいている(詳しくは、佐藤純一ほか『健康論の誘惑』文化書房博文社、2000年。佐藤純一編『文化現象としての癒し』メディカ出版、2000年)。

 本書は、このような健康言説論への新たな貢献として位置づけられるものである。私の理解では、著者の柄本氏は、フーコー流の「身体の社会学」という比較的理論色の濃い研究系譜から、この分野に参入されたようであるが、本書の中心部分を占める経験的研究はかなり具体的なものになっている。取り上げられている素材は、都内某市でじっさいにおこなわれた「ヘルシーセミナー」と、「おもいッきりテレビ」「あるある大事典」「ためしてガッテン」「はなまるマーケット」などの健康情報番組である。とくに「ヘルシーセミナー」と「おもいッきりテレビ」については詳細に説明されている。

ネオ公衆衛生時代とは何か

 本書における特徴的な論点のひとつは、現代を「ネオ公衆衛生時代」と位置づけることである。これは、第一に、感染症対策や衛生状態改善を主要任務とする古い公衆衛生に対してまったく新しいものであること、第二に、ネオリベラリズムのイデオロギーの一ヴァージョンであることから命名されている。個人の自立を奨励することで自発的に権力の発動を支えるという構図がネオリベラリズム特有のものであり、現代の公衆衛生は健康の名の下にそれをなしているということだ。著者はいう。「ネオ公衆衛生の思想とは、『自発的に健康をめざす国民』『自立した国民』の生産にある。そして健康になること、健康をめざすことが、国民としての市民としての責任にすでになった時代に私たちは生きているのだ」(25ページ。傍点省略)。「生活習慣病」という行政用語の発明は、そのひとつの仕掛けに相当する。

みのもんたとガッテンする科学知と素人知

 この「自立」は「科学的に正しい」知識に基づいていなければならないというのが自明化された前提になっている。「科学に忠実な主体であれ」(34ページ)――しかし、その科学知のありようは単純ではない。その現代的局面が本書の第二の論点である。

 ネオ公衆衛生時代においては、科学が大衆を啓蒙するという単純なものではない。本書では、ふたつの側面が指摘されている。

 ひとつは、ヘルスリテラシーの章において指摘されているように、人びとは(学生のようにプロモーションの届きそうにない人びとでさえ)自分流に栄養学的な言説を能弁に語ることができ、それを自分なりに実践していることである。これは科学知を素人なりに咀嚼して活用している(不適切な応用の)側面である。

 それどころか素人たちが科学知に干渉する側面もある。健康情報番組の内容分析から著者があぶりだすのは、「説明しない専門家と説明する素人」という構図である。なるほど専門家は番組に登場する。しかし、十分な説明をいていないばかりか、しばしば素人(芸能人やアナウンサー)が説明を引き取って(あるいは割り込んで)素人流に説明する。この場合、登場する専門家が代表する科学知は、ありふれたものごとの隠れた健康効果と隠れたリスクを暴露する役割を果たすが、それはあくまで科学的な体裁をとるだけで番組としては十分だということである。むしろ素人側が積極的に説明をすることで、みんなが納得できる説明になるのだ。

 一方では健康の科学知を求めながら、他方ではそれを勝手に読み替えて楽しんでいる素人。専門家たちはそれを批判しつつも、総じて利用しているところがある。結果的に人びとが自発的に健康管理にいそしみ、しかも専門家の科学知への信頼を持ち続けているのだから。これがネオ公衆衛生時代の知の構図ということなのだろう。

健康言説論のスタンス

 ここで、同じ研究テーマに携わっている者として感じたことを書いておこう。

 健康言説論は、素材が満ち溢れている(ありふれてもいる)だけに、分析側のスタンスの取り方がむずかしい。しかも通常科学の批判までしなければならないので、メタレベルの議論が避けられないのだ。

 私の場合は、健康言説の問題に関して考えを進めていくうちに社会構築主義に「追い詰められていった」経緯がある。メディア論や科学論やフォークロアの領域に関連する健康言説研究において「両にらみ」ではスッキリした議論ができそうにないというのが、その理由だ。

 それに対して、本書の著者には「両にらみ」でありたいとのスタンスが感じられる。それが一見やさしそうに見える本書の難解なところであって、この複雑なニュアンスを読み飛ばしてしまうと、このテーマ領域の複雑さも奥行きも見逃してしまうだろう。

柄本三代子『健康の語られ方』青弓社、2002年6月、全213ページ。


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