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インフォアーツ論

野村一夫『インフォアーツ論――ネットワーク的知性とはなにか?』洋泉社新書y、2003年1月、全192ページ

 洋泉社の新書yの一冊としてネット論を書きました。ここでは「目次」と「あとがき」を公開しています。ご興味がありましたら、お近くの書店でどうぞ。

目次

引用文掲示
はじめに
            ネットを語る資格
            社会学サイト「ソキウス」の経験
            法政大学大原社会問題研究所公式サイト OISR.ORG の経験
            オンライン書店「ビーケーワン」の経験
            研究活動のネット化
            情報教育の経験
            オプションを思考する
キーコンセプト
            リベラルアーツ
            インフォテック
            インフォアーツ
第一章 大公開時代――自我とネットと市民主義
      一 大公開時代を回顧する
            大公開時代の始まり
            公開の市民文化(市民的公共圏)
            ネットが市民を育てる
      二 自己言及の快感とシティズンシップのレッスン
            個人サイトの社会学的意義
            自己言及の快感
            論争の泥沼状態による市民化
            ネットにおける大人のなり方
      三 市民主義文化の源泉
            ネット先住民文化
            ガバナンス原理
            インターネットの歴史とネット先住民文化
            RFCとW3C
            オープンソースとハッカー倫理
            自我とネットと市民主義
第二章 メビウスの裏目――彩なすネットの言説世界
      一 〈インターネットの導入=市民主義的転回〉構図の崩壊
            ネット先住民文化の孤島化
            ガバナンス原理の裏目
            共有地の悲劇、あるいは銭湯的民主主義の社会的ジレンマ
            極端な並列性
            メディア論に立ち還る
      二 即興演奏されるニュース
            可視性に優れた流言
            問題解決のコミュニケーション
            なぜ極論に流れるのか
      三 マス・メディア化したネットの影響力
            オーディエンスの多さがネットをマス・メディア化する
            沈黙のらせん
            ネット世論はなぜ偏向するのか
            議題設定機能
            第三者効果
            賢明な市民ゆえに落ちる陥穽
      四 民衆ジャーナリズムとしてのネット言説
            調査報道、内部告発、ちくり
            メディア・ホークス
            彩なすネットの言説世界
第三章 情報教育をほどく――インフォテックの包囲網
      一 高校情報科という節目
            再生産モード
            情報教育は理科教育か?
            情報処理教育への収束
            ないないづくしの情報教育
            情報教職課程の問題点
      二 インフォテックの政治と経済と教育
            だれが「情報」の専門家なのか
            インフォテックの政治
            インフォテックの経済
            インフォテックの教育
            情報教育という名の植民地化
            巻き返しとしての情報工学的転回
            セキュリティと情報教育
      三 すれちがう情報教育と台無し世代
            情報教育の矮小化
            台無し世代の学生文化
            情報科目の外で
            学生文化と技術的管理の悪循環
            問題としての情報教育、転機としての情報教育
第四章 ネットワーカー的知性としてのインフォアーツ
      一 対抗原理としてのインフォアーツ
            ネットにおいて凡庸なこと
            リベラルアーツからインフォアーツへ
            インフォアーツは対抗原理である
      二 さまざまなインフォアーツ
            メディア・リテラシー
            情報調査能力
            コミュニケーション能力
            シティズンシップ
            情報システム駆使能力
      三 メディア・リテラシーの先へ
            精神のデータ処理モデル
            メディア・リテラシーの考え方
            情報システムを疑うこと
      四 ネットワーク時代の人間的条件
            現実の構成要素としての理想状態
            知識と人間の三つの関係
            民主主義の前提
            眼識ある市民とインフォアーツと情報倫理
第五章 着地の戦略――苗床集団における情報主体の構築
      一 状況に埋め込まれた学習
            情報主体の構築問題へ
            正統的周辺参加
            インターネット・コミュニティ
      二 苗床としての中間集団
            苗床集団での育成
            情報教育という場所
            ネットの着地
            拡張された情報教育
            苗床集団としての生協運動
      三 着地の思想
            出会うこと
            「リアル対ヴァーチャル」二元論をやめよう
第六章 つながる分散的知性――ラッダイト主義を超えて
      一 共有地としての情報環境
            インターネットは共通のメタ言語
            それでもネットは社会化する
            インフォアーツ支援情報環境の三つの核
            「私有地の平安」としての情報の囲い込み
            ナヴィゲート構造の対抗的構築
      二 専門家の役割
            なぜ専門家はネットに出てこないのか
            インターネットは図書館ではない
            出版物とネットをシンクロさせる
            議題設定と科学ジャーナリズム
            研究組織の支援
      三 眼識ある市民の役割
            社会問題の構築
            眼識ある市民の役割
            苗床集団の力
            語られる社会と文脈編集力
      四 セクター組織の役割
            組織による公共サービスの役割
            セクターとしての役割
            分散的知性をつなぐ
あとがき
著者紹介

あとがき

 本書の原型は、二〇〇一年半ばに発表した三本の短い論文である。

 野村一夫「インフォテック対インフォアーツ」(『生活協同組合研究』二〇〇一年六月号)。

 野村一夫「近未来インターネットの人間的条件」(『教育と医学』二〇〇一年七月号)。

 野村一夫「ネットワークの臨床社会学[3]苗床論」(猪瀬直樹編集メールマガジン「MM日本国の研究――不安との訣別/再生のカルテ」第48号、二〇〇一年六月二七日)。

 もちろん、全面的に構想を改め、従来の自説そのものを大きく旋回させた。私としては、これが最新の着地点である。

 この着地点は、文字通りのネット生活の中で直接間接に経験し、そして考えたことが中心である。社会学者らしく考証的に書くやり方もあったのだろうが、ご覧のとおり、本書はやや長めの社会学的エッセイといった文章になっている。これは、骨太に分析と構想を提示しようとしたためである。細部の説明は、本文に繰り込んだ参考文献にゆだねた。また、事例の詳細な紹介はいっさい省くことにしたが、ネット経験の長い方にはそれなりに深読みしていただけるかと思う。

 今回、私にとって数少ない導きの糸となったのは、セオドア・ローザックの『コンピュータの神話学』(朝日新聞社、一九八九年)だった。インターネットが本格的に展開する前の本だが(原著刊行一九八六年)、現在の日本語圏のネットをめぐる状況をどう理解すればいいのかについて明確な手がかりを与えてくれた。こう言うと、ネット業界ではレトロな流派(あるいはラッダイト主義!)にでも位置づけられそうだが、それはちがう。最先端を追うインフォテックな視点では見えないものも多いのだ。あえて距離をとって人文学的な視点で見ることの重要性を学んだ。とくに、人は情報技術を受容するとともに、その技術がひそかに内包する技術的思考をも受容してしまうことに対して批判的意識をもつべきだとの主張は、本書の主調低音をなしている。

 本書のはじめに述べたように、本書では誘導馬的役割をするモデルや思想に着目して論じる手法をとっている。登場する対立図式は、その筋目を鮮明にしたものであって、議論の対象を真っ二つに分断しようという意図はない。インフォテックに対抗するインフォアーツの提示も、主張したいのは「図と地の転換」であって、技術の否定ではない。しかし、問題の多い現状をそのまま受容して適応することはできないので、あえて対抗的なものとして自説を提示してきた。この点について誤解なきようお願いしたい。

 さて、インフォアーツ論は、「はじめに」で記したネットでの活動だけでなく、さまざまな研究会での議論にも大きく触発されてきた。最初に私がインフォアーツという概念を提起したのは、生協総研主催の「インターネットとくらし研究会」だった。生協とインターネットの関係を考えるこの研究会がなければ、「ことばの市場経済」と化してしまった唇寒い(何を言ってもくさされる!)インターネットについて再び本を書こうとは思わなかっただろう。というわけで、ここがインフォアーツ論発祥の地である。

 また「メディアと経済思想史研究会」での議論や、猪瀬直樹氏の編集による経済メールマガジン『日本国の研究 不安との訣別/再生のカルテ』での連載「ネットワークの臨床社会学」の執筆も産婆的役割を果たしてくれた。その他、おりにふれてネットについて報告した図書館関係の各種研究会にも感謝したい。私はかねがね、自分がネットの実践家であって、ネットの研究者ではないと自覚しているだけに、こうした報告の機会は自分の考えを整理するのに大いに役立った。最後に、國學院大學平成一四年度「特色ある教育研究の推進」助成に感謝したい。本書はこのプロジェクトの成果でもある。

ビーケーワンのための著者コメント

 オンライン書店ビーケーワンからリクエストがありましたので著者コメントを書きました。

著者コメント

 本書で論じているのは「ネットの言説世界」です。前半では、その文化的な特異性とその後の変質をメディア論的に見るとどうなるかという観点で批判的に論じました。

 私はネットの現状を「裏目」だと考え、それを好循環に転回させる軸を、広い意味での情報教育に求めました。ネットに参加する人たちの資質を高め、意識的に集団形成をしていく必要を感じるからです。ところがじっさいの情報教育は情報工学的なコンセプトに流れていて、これまた、とことん叩き直す必要がある。そもそも基本理念がまちがってるんですよ。

 対抗するコンセプトとして私が提案したのが「インフォアーツ」です。古式ゆかしい教養(リベラルアーツ)でもなく、工学的な技術主義(インフォテック)でもない、ネットワーカー的な知性を構想すべきだということです。

 後半は、そのための環境づくりとして、共有地(コモンズ)としてのネットをどのようなスタンスで開墾していけばいいかについて論じています。地に足のついた人たちは、あまりネットに出てこないのですが、そういう人たちこそがネットに出てほしい。そのための仕掛けを工夫していこうじゃないかという流れになっています。

 内容は批判的で、それに沿って帯やカバーは勇ましい感じに仕立てられていますが、論争を吹っかけるような本ではなく、むしろ静かに自省してネット参加の「覚悟を決める」ための本です。

 メディア・リテラシー系の視点からネットを論じたので、あまり似ている本はないでしょう。ネット経験のたくさんある人ほど深読みしていただけると思います。メディア論・情報教育・情報倫理に関心のある人はもちろん、ネット上で起こっているごちゃごちゃしたことをすっきり理解したいという方に読んでいただきたいですね。

書評など

(1)共同通信配信記事として松原隆一郎・東京大学教授による書評が配信され、各種地方紙に掲載されました。

(2)CIEC(コンピュータ利用教育協議会)会誌『コンピュータ&エデュケーション』Vol.14(柏書房、2003年5月30日発行)3−7ページに「『インフォアーツ』とはなにか?」と題してインタビューが掲載されました(インタビュアーは赤間道夫・愛媛大学教授)。

(3)『大原社会問題研究所雑誌』537号(2003年8月)72−74ページに加藤哲郎・一橋大学教授による書評が掲載されました。


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