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自省のメディア
自己言及の快楽とシティズンシップの可能性

初出 『情報処理学会研究報告97-H1-73』(学術刊行物情処研報Vol.97, No.63)として情報処理学会ヒューマンインターフェース研究会(電総研、1997年7月12日)テーマ「ネットワークコミュニケーション」で配布


【内容】

 インターネットがインタラクティブなメディアであることは広く知られている。しかし、インタラクティブであるということのコミュニケーション論的な意味が見逃されてはいないだろうか。私はそれを自己言及(Self Reference)という概念を軸に語りたいと思う。

 インタラクティブであるということ、それは自省的なコミュニケーションになるということである。相互に反照し合って、自分自身の身ぶりが他者の反応によって絶えず検証されるプロセス。インタラクティブなメディアであるインターネットが誘発するのはこのようなコミュニケーション過程である。そこに参加する個人は何らかの形で内省的であることをしいられる、その点でインターネットは「自省のメディア」なのである。

 自省作用はまず個人に生じる。とくに個人ウェッブは、語る人を語ってしまう自己言及型メディアの性格が強い。そこには「自己言及の快楽」がある。日記的記述が肥大化した自己言及ウェッブ(あるいは自己主題化ウェッブと呼ぶべきか)も多い。「自己言及の快楽」現象は、たんなる自己満足と見るより、むしろ発信者が自分に向けたイントラ・コミュニケーションと見ると理解しやすい。オーディエンスの存在(承認する他者)を意識した役割演技ではあるが、たぶんに自己確認であり自己の構築なのである。この「ネットワーク内自己の発見」は辺境意識の強い人ほど一種の覚醒に近いものなる。

 他方、メーリングリストなどにおける「フレームの泥沼」状態のように、ネガティヴなリアクションに対して多くの人がとまどいを覚え、その結果、異質な他者との共生の作法を意識せざるをえず、ひとつの落としどころとして「ネットワークによる市民化効果」が生じることもある。さらに、相互リンクやメールの交換による経験知の相互反照による自省過程を加えると、インターネットはある種の参加者にシティズンシップを誘発させやすい。

 こうした個人が所属集団の自省作用を担う可能性がある。インターネット上ではその文化もあって、企業などの既成組織の階層的コミュニケーションから自由に応答する人たちもでている。誠意ある対応も内部告発も、組織の論理に対してコミュニケーションの論理が勝る瞬間という点で紙一重である。運動組織のケースでも、組織のオーウェル的変態に対して、こうした人たちが抵抗することがある。さらに専門家集団においても多面的自己を提示することで相互学習過程に入り、シティズンシップを発揮する人たちも多い。この人たちの果たす科学ジャーナリズム機能も重要だ。

 こうした個人の動きが「社会の自省」につながるかという問題がある。ポイントになるのは辺境意識をもった人たちの動きである。「メディア・リテラシーは高いが、社会的ステイタスや社会的影響力のそう強くない人たちで、ある種のマイノリティ意識をもっている人たち」が主役である。メディア・リテラシーが高いからこそ辺境意識が強いともいえる。必ずしも従来的意味でのマイノリティではない。むしろ「ネットワーク中間層」と呼ぶべきではないかと思う。というのは、インターネットのコストの低さがかれらをアクティヴにしているからである。資源動員論のいうように、問題や不満はいつでもあるもので、それに対して異議申し立てをするかどうかはコストしだいなのである。インターネットはお手軽で低リスクの「シビック・メディア」としてネットワーク中間層によって利用されることで、社会問題化(社会問題の構築)のプロセスを変容させる可能性がある。そろそろ日本でもインターネット文化を媒介させた「反省する社会」のヴィジョンを構想してみてもいい時期だろう。こういうヴィジョンなしのやみくもな情報リテラシー教育は「予期せぬ結果」を導きかねない。もっとも、ヴィジョンがなければ「予期」もないわけで、危険な状態といわざるをえない。規範的な社会理論が必要だと思う。

【関連文献】


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SOCIUS.JPドメインへの初出 1/4(Tue), 2005  
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