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ネットワークの臨床社会学


[4]螺旋論――小泉メルマガの落とし穴

初出 猪瀬直樹編集メールマガジン「MM日本国の研究――不安との訣別/再生のカルテ」第59号(2001年07月25日発行)


200万読者の意味

 小泉内閣メールマガジンが200万部を突破し、一気にメルマガ分野のトップに躍り出た。ストレートに直球を投げたのがよかったというところだろうか。最近はメルマガそのものに対する世間の新奇性も薄れて、ひと段落という感触である。

 しかし、まだ6号しかでていない。こういうものの評価は、たとえ首相官邸のものであるとしても、1年2年単位でおこなうべきだと考えるので、内容の評価については留保しておきたい。

 私が気になっているのは、このメルマガの読者像である。マスコミは当たり前のように小泉人気の象徴として、この驚異的な読者数を報道してきたが、私にはとてもそうは思えないのである。もちろん小泉人気の事実そのものは否定しない。ああいう人物(変人?)を擁しているところにこそ自民党の強みがあるのだろう。しかし、だからと言ってメルマガの読者を「小泉首相の熱心な支持者」と括れるだろうか。むしろ対極にある「小泉首相に対する冷めた批評家」が相当数含まれているのではないか。これが私の仮説である。

 というのは、ここのところの世論の動きに明確な特徴があって、その一環に位置づけて見ることができると思うからだ。その特徴をあえて一言で言えば「沈黙の螺旋」(spiral of silence)である。

沈黙の螺旋とは何か

 これは、世論形成とメディアの関係に関する有名な理論の名前である。ドイツのノエル−ノイマンという人が70年代初頭に提案して、その後も発展してきた理論である。これが奇妙に今の日本にあてはまる。

 その発想の始発点は「孤立への恐怖」である。私たちは何か共通の話題について話すときにはいつも慎重だ。たとえば会議の席で一番最初に発言するのは避けたいと思う。満員の電車の中で政治や宗教の議論をするのもやめておきたい。なぜなら、自分の意見がその場に居合わせた人びとに受け容れられない少数派の意見かもしれないからである。それを言ってしまえば自分は孤立する。

 だから、私たちは最初にじっと様子を見る。みんながどのような考えを持っているのかを探る。会議やミーティングの場合、司会から指名された人たちの発言やそれに対する人びとの反応を確認できるようになると、人びとはぼつりぼつりと発言を始める。自分の意見が多数派だとわかるからだ。

 逆に、自分の意見が少数派であると認識した人は沈黙する。へたに発言したら孤立するからである。もちろん、孤立をおそれない確信の人は発言する。これを「ハードコア」という。しかし、他者との関係に敏感な人は沈黙するのがふつうである。

 つまり、多数派と見られた意見をもつ人たちは積極的に発言するために、その意見はますます多数派に見える。逆に少数派と見られた意見をもつ人たちは発言を控えるようになるので、その意見はますます少数派に見えてくる。発言されない意見は客観的には存在しないのと同じなのだから。こうして、多数派の意見はますます多数派に見え、少数派の意見はますます少数に見えるという螺旋運動が始まる。

マス・メディアの影響力のありか

 この螺旋運動の問題点は、じっさいに人びとの意見の分布とは関係なく「多数派意見なるもの」が増幅していくことだ。そこに居合わせた人の2割しか支持していない意見であっても、たまたま複数のハードコアが先行発言して意見風土(雰囲気)をこしらえてしまうと、あとの8割近くは沈黙してしまうということだってありうるのだ。しかも、人びとは自分の意見を多数派に合わせて変更するとはかぎらない。さしあたりは、ただ沈黙するだけである。

 では、政治のあり方についての意見(つまり世論)の場合、人びとは何をもって多数派・少数派と判断するのか。

 その判断材料として人びとに利用されているのが圧倒的にマス・メディアなのである。マス・メディア上に流通しているコンテンツを参照して、人びとは自分の意見を発言するかどうかを決める。じつはここにこそマス・メディアの影響力の実体が存在するのであって、メディアが「右向け右!」と叫んだところで人びとが右を向くわけではないし、洗脳されるわけでもない。人びとはあたかもシニカルな批評家のように、それを参照して、もともと右向きの人たちは自信をもって声高に持論を発言し、左や上を向きたい人たちは黙って様子を見るだけである。

 しかし、その結果として現出するのは、世論が劇的に転回して、あるときは一方に押し寄せたかと思うと、次の瞬間には一気に引くという極端な揺れである。人びとの意見の分布にはあまり変化がないにもかかわらず、世論は大きな振幅で激しく揺れる。組織イデオロギーに固まったハードコアな批判者たちはそれを「マス・メディアの提示した意見や評価が多くの人びとに影響を与えた」と批判し、「衆愚政治」とか「ポピュリズム」とバカにするが、そうではないのだ。そうである「かのように」映じているだけなのだ。

賢明な市民の作り出す落とし穴

 今回の小泉メルマガもそうした現象として理解できる。首相に人気があるからというより、「人気がある」とマス・メディアから「言われている」からであり、批判的に語ればすんだ前政権とちがって見極めがむずかしいからである。むしろ賢明にも注意深くウォッチする必要があると判断している人たちが多いということだろう。

 インターネット時代とは言え、サイバースペース上での世論形成は今ひとつ力をもたない。これはネットワークの本質的な分散性がネックになっているのだと思う。つまり、じっさいの人びとの意見や評価はいつも分散し混乱し揺らいでいるのだが、サイバースペースではそれがもろに出る。だから「ひとつの力」になりにくい。しかし、マス・メディアはちがう。今や画一性こそマス・メディアの強みである。マス・メディアは多数派意見を指定することで統合力を発揮する。人びとは賢明でシニカルな批評家としてそれを参照することで、沈黙の螺旋に取り込まれて(参加して?)しまうのである。

 こうした傾向は以前から大なり小なり存在したと思う。けれども、はっきり出るようになったのはこの十年ではないだろうか。政治にせよ経済にせよ、従来の常識が崩れ、とまどいながらも自分の意見をもちたい人たちはいる。無党派層のかなりの部分がそうだろう。この人たちは組織やイデオロギーにとらわれない賢明な自律的市民である。しかし、それゆえにこそ、この人たちは「クイズ100人にききました」的動き方をする。自分がどう考えるかではなく、他の人たちがどのように考えるかを評論家的に予想することが日常的なテーマになってしまうのである。既成の常識が崩れているだけに予想はしばしば大穴をあける。それだけに他者の意見と評価に対してみんながみんなナイーブになっている。沈黙の螺旋はまさにこのような人たちによって現出する。

 小泉メルマガにとって、これは何を意味するのか。もちろん悪いことではない。何事につけても辛口の批評家との直接的なチャンネルをもつ効果は大きいものだ。今はそれが小泉支持の方向に作動している。しかし小泉内閣側にとって近い将来覚悟しなければならないのは、ひとたびクレームの螺旋が生じると、構図の反転もまた一気に加速・増幅するということだ。おそらくこれは誰の手にも負えないだろう。

参考文献

・「小泉内閣メールマガジン」(http://www.kantei.go.jp/jp/m-magazine/)。

・Elisabeth Noelle-Neumann『沈黙の螺旋理論――世論形成過程の社会心理学[改訂版]』池田謙一・安野智子訳、ブレーン出版、1997年。

・松本正生『図説政治意識』中公新書、2001年。



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