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ネットワークの臨床社会学


[1]分断論――デジタルデバイド問題の政治的構築

初出 猪瀬直樹編集メールマガジン「MM日本国の研究――不安との訣別/再生のカルテ」第21号(2001年4月20日発行)


 ネットワーク社会のさまざまな動向について社会学的に再考するのが本連載の目的である。学術的に精緻な分析というよりは、批判的にアジェンダ・セッティングすることをめざしたい。その意味では、経済学的精密さを尊重する「MM日本国の研究」の路線といささか異なるかもしれないが、月に一度のやさしい変奏曲として書き継いでいければと思う。

デジタルデバイドの議論から

 初回はネットワーク社会における「分断」について考えたい。日本ではすでに昨年から「デジタルデバイド」ブームになっている感があったが、折しも、木村忠正『デジタルデバイドとは何か』(岩波書店、2001年1月)が刊行され、このことばが一気に一般化したように思う。

 ただし、この本自体は、そのブーム(とくに先行するアメリカの政策的キャンペーン)に対する醒めた認識から出発しているので、そうした論調に乗ろうという生真面目な読者は肩すかしを食らうだろう。なぜなら、この本によると、それは「狭義の社会内デジタルデバイド」にすぎないというのだから。

 木村氏が指摘するように、この「分断」は政策的に構築されたものである。社会的正義と公正の名において構築された政治的産物であることは、そもそもアメリカ商務省の報告書(『ネットワークからこぼれ落ちる――デジタルデバイドを定義する』)が直接のきっかけになって政治的アジェンダになったことからもあきらかである。事実的には、たんなる普及過程の途中だから生じる一時的産物としての分断ではないかとの指摘もすでになされている。なるほど、この種の議論がデジャブ気分にさせるのはそのせいかもしれない。コンピュータやインターネットへのアクセスの有無が直接、所得の格差を生んでいるのではない。原因と結果が転倒している。

分断の画一性

 かつてテレビについて似たようなデバイド研究があったのを思い出す。とくに有名なのは教育番組「セサミストリート」の研究である。教育格差を是正するためにつくられた「セサミストリート」だが、それを視聴した子どもたちへの効果を調べてみると、もともと教育水準の高い子どもたちに高い効果が見られ、逆に、制作目的のターゲットだった低所得層の子どもたちにはあまり効果が見られなかったという。要するに「富める者はますます富み、貧しき者はますます貧しくなる」という、いわゆるマタイ効果が確認されたことになっている。

 しかし現在の日本において政策的文脈で語られるデジタルデバイド論に、そんなオチは用意されていない。情報や知識が不公正に配分されている実態を批判的に認識している言説のように見えて、じつはその社会的不公正は技術的に(要するにパソコン普及とネットワークの高速化によって)一気に解決できるかのような問題構成になっているのではないか。

 「セサミストリート」の例が示すように、教育と階層格差そして文化資本の問題は、人びとのメディア環境が均質化し遍在化することで解消されるような問題ではない。たんに「普及を急げ」という号令だけが一人歩きして、特別な予算が組まれ、さまざまな施策が始まっているが、結果的にはたんなる産業振興策に終わる可能性が高いと思う。それどころか、そのプロセスにおいて分断の次元が画一化されていることが問題だ。相も変わらずの技術主義、ハードウェア指向、特定企業のOSとアプリケーションの技術的能力の習得を実施させる程度の教育は、情報や知識の公正な社会的配分の点では裏目に出る可能性さえある。

メディアは分断する

 そもそも新しいメディア技術というものは、いつも人びとを分断するものである。買える人と買えない人。適応できる人と適応できない人。おもしろがる人とつまらなくなる人。儲ける人と損する人。いつも新しいメディアは人びとをつなぐと喧伝されるけれども、じっさいにはメディアは分断する。ただし、新しいメディアの普及によって分断の線引きがそのつどずれることに意味があるのだ。新しく分断線を引き直すところに「可能性」がある。

 インターネットの革新性も、従来的な印刷メディア・放送メディアが引いてきた分断線(たとえば送り手と受け手の役割固定)を新たに引き直すところにこそある。そのずれが地殻変動的な革新性をもち、ときには既得権益を持った集団をおそれさせ、警戒させる。また、そのかき混ぜ効果によって一部の人びとが低層部から上層に押し出されてくるし、その逆もある。そうしたことの繰り返しの中で、少しでもかき混ぜ効果がでるようにするのが政策の妙味ではないだろうか。

 均質をめざすな、さらに分断せよ、と言いたい。デジタルデバイスおよびその使用形態における多次元での分断をこそ歓迎したい。



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