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書評『賢知の時代』


書評 セオドア・ローザック『賢知の時代――長寿社会への大転換』桃井緑美子訳(共同通信社、2000年10月刊)

初出 猪瀬直樹編集メールマガジン「日本国の研究 不安との訣別/再生のカルテ」第6号、2001年3月16日発行


21世紀は「新・老人文化の幕開け」になるか

 本書は『対抗文化の思想』で有名なセオドア・ローザックの新著である(原著は1997年刊)。コンピュータ文化やニューエイジ文化など、現代の時代精神を描くことで定評のあるローザックだが、今回は老人文化がテーマだ。「あのローザックが今度は老人論か!」と隔世の感がないわけではないが、しかし、対象としている世代は『対抗文化の思想』と同じベビーブーム世代である。

 ここで「新しい人びと」(ニュー・ピープル)と呼ばれているのは、1946年から64年に生まれた8000万人のアメリカ人である。ローザックは、これから一斉に高齢者になろうとしているこの世代こそ、これからの社会を変える人たちだと主張する。

 本書によると、どうもアメリカでは高齢化について悲観的に語るのがはやっているらしい。「世代経済学」という新しい研究分野がつくられ、高齢化問題を「姥捨て」的に解決しようとする恐怖物語がさかんに語られているようだ。それに抵抗してローザックは、この事態を反転させて捉えることで長寿社会を積極的に肯定しようとする。

 大転換の主軸だとされているのは「最後の成長産業」としての医療産業・健康産業である。注意して読めば、この大転換は、それ自体は意識革命でもなく価値転倒でもなく、基本的に産業構造の転換として理解されている。それゆえベビーブーム世代の人口の多さそのものが転換の起爆剤になりうるというわけだ。

 「メメント・モリ(死を想え)」たらざるをえない老人が、内省的な知恵をもとに、もてあましている時間という資源と財産を積極的に活用し始めるとき、それは、若者中心のマーケティングで動いてきた従来の市場を大きく動かすはずだ。たとえば、すでに大学には中高年の学生が押し寄せているではないか。この転換の徴候を正しく認識せよ。――これがローザックの大局的歴史認識である。

 もちろんこの徴候が「大転換」という歴史的事実になるためには、社会意識の変化が伴っていなくてはならない。現実には、若さ礼賛と老いの否認が当人たちそして社会全体にあって、これが多くの老人を(若者ぶるという)愚行に走らせているが、もと反抗世代のベビーブーマーたちはこの意識転換をするだろうという読みがローザックにはある。

 ローザックによると、現に多くの女性たちはすでに一足先にこの転換を始めている。たしかに、若い男性を基準とした「男らしさ」の自明性に対して早々に見切りをつけていたフェミニズムは、とっくの昔にこの老いの問題に答を出している。その意味でローザックが随所でフェミニズムの大御所ベティ・フリーダン(現代フェミニズムの古典『新しい女性の創造』の著者で、いち早く老いの問題を指摘した)に依拠するのは当然だ。フェミニズムから見ればローザックは「遅れてきた男性老人」にすぎないのかもしれない。

 というわけで、基本的に本書は大局的歴史認識の書である。この予測自体は「いかにして老後を送るか」的な生き方指南ではない。しかし、ニュー・ピープル(とりわけ男性)に意識改革的な「活」を入れる側面もないわけではない。私は、かれがたんに「ご隠居の復権」を説こうとしているとは思わないが、いわば「新しい貴族」として老人を描こうとしているようには見える。これからの老人はその固有のノーブレス・オーブリージを果たさなければならないのに、今は若さ志向の抜けない「老いた少年」にすぎないと批判しているのだ。これはたんなる予測以上のものであろう。

 若さ志向を捨て、老いに徹することで、老いは生産的なものになる。逆に、若さ志向があるかぎり、老いは生産的なものになりにくい。かれが現代のディテールを描き、これだけ目配りの効いた議論をすることによって言いたいのは、この逆説である。

 ただし問題もある。ローザックの展望ないし仮説は、健康長寿産業が完全に発展した社会に転換することにあるが、この医療産業中心仮説は、医療社会学が徹底的に批判してやまない「医療化」(医療が社会的現象に介入する傾向)そのものではないのか。かれが礼賛するように医療はほんとうにすばらしいのか。医療社会学的にはいささか素朴にすぎないかと感じる。  もちろんローザックはあくまでアメリカの話として展開しているのだが、日本ではどうだろう。たしかに、どこに行っても、どのメディアを見ても、中高年の健康の話でもちきりだ。ローザックの指摘のように、健康ブームはそれなりに「新・老人文化」がすでにメディアや産業界に影響を与えている証左ではあるのだろう。しかし、ここから日本社会の「大転換」が始まるのだろうか。身近で見ているせいもあるだろうが、どうも現在の健康ブームは、若さ志向の強い、利己的な生活保守主義の変奏形態にしか見えないのである。自分の身体に関心を収束させ、社会からの無責任な撤退をしているだけとも言える健康至上主義から日本社会の「大転換」を期待するためには、日本の老人および老人予備軍にも一発「活」を入れることが必要ではないかと思う。


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SOCIUS.JPドメインへの初出 1/28(Tue), 2002  
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