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ビーケーワン書評コラム

ソックス定点観測

[13]死に臨む患者をめぐる情報過程を問う(2001.6.10)

病気と医療の社会学(Sekaishiso seminar)
著者:田口 宏昭著
出版:世界思想社
発行年月:2001.5
本体価格:\2,200


 この3月に池田光穂さんの『実践の医療人類学』をご紹介したばかりですが、同じ熊本大学文学部教授による医療社会学系の新刊が出ました。田口宏昭さんの『病気と医療の社会学』です。この「チーム」(?)絶好調ですね。

 さて本書ですが、タイトルがオーソドックスですので、社会学徒のみなさんからはつい見逃されてしまうかもしれません。でも注意してください。本書は、保健医療制度の内部で問題解決をはかる種類の医療社会学(伝統的には「保健医療社会学」最近は「健康社会学」と呼ばれます)ではなく、外部的視点から医療関連現象を文化現象として読み解こうとする研究です。随所に社会学的なセンスが感じられます。

 そのひとつに、組織社会学的な視点があります。著者は「病院化された患者役割」と主題化していますが、医師に対して患者という役割があるにしても、それが開業医の場合には医師にも患者にもそれなりの自律性があるのに対して「病院化」することによって、この医療関係が本質的に変質することを強調しています。病気にせよ看取りにせよ、舞台装置としての病院組織が決定的に重要なモメントであるということ。ここに本書の第一の特色があります。

 興味深いのは「病院化」の帰結として「臨死患者の忌避」がかなり執拗に分析されているところでしょう。医療における死のあつかいへの着目が第二の特色です。

 著者は「なぜ病院組織において臨死患者は忌避されるのか」と問います。それに対して著者は、第一に医療者自身に「死すべき運命」を意識させるからであり、第二にスタッフとしてのパフォーマンスに必要な表出上の整合性を脅かされるからだと答えます。とくに後者の分析はゴフマン的役割分析の応用として興味深いものです。それはたんに病室の一場面にとどまらず、現代社会の(「受苦の文化」ではなく)「避苦の文化」と連動しているというのです。病院においてそれは個室と霊安室の配置として表現されています。

 このような「死の隠蔽」をめぐる問題は、医療組織における情報のとりあつかいの問題と直結しています。したがって患者をめぐる情報過程の問題が本書のハイライトになります。調査対象にされたのは肺癌病棟とホスピス。いずれも高度に情報がコントロールされているわけですが、様相はかなり異なるようです。病棟という舞台装置において臨死患者が巻き込まれる情報劇の細部を描いた第5・6章が圧巻です。 (2001.6.10.野村一夫)

【目次】
1 健康文化と病院化医療
2 病院化された患者役割
3 死の臨床社会学
4 患者と医師のあいだ
5 肺癌病棟のコミュニケーション
6 情報と患者の行為
7 ホスピスと共同性
8 明治期日本における医師の専門職化
9 病院とは何か
10 医薬分業の展開と情報開示


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SOCIUS.JPドメインへの初出 7/20(thu), 2002  
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