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ビーケーワン書評コラム

エディター書評2000-2001年

テクハラの誘惑

ジョアナ・ラス『テクスチュアル・ハラスメント』インスクリプト


 女性がものを書くというのは、どのようなことなのか。この問いそのものがピンとこない人が今時いるだろうか。しかし、じっさいに何が起こるのか、じつは何も知らないのかもしれない。

 本書は、英文学教授にしてSF作家のラスが、膨大な見識と目配りと怒りを駆使して、徹底的に類型化した『女性の書き物を抑圧する方法』の翻訳である。そう、女性がものを書くということは、ある種の抑圧を呼び寄せるのである。それを「テクハラ」という。「テクハラ」と言っても、パソコンのできないオヤジをバカにするような類のことではない。女性がものを書くということとその作品に対して、さまざまな仕方で矮小化する反応を「テクスチュアル・ハラスメント」というのだ。

 ラスは、女性作家とその作品に対して批評家たちがさまざまな手段でそれを矮小化しようとするやり口を手慣れた語り口で提示していく。彼女の作品を書いたのは彼女ではないだとか、書くべきでなかったとか、読めた代物ではないとか、所詮は異端だとかと否定する言説があびせられる。それでも文学史に名を残すようであれば「一発屋」と位置づけ、文学全集から締め出す。このような排除のプロセスをラスは詳細に描く。

 膨大な引用と、そこに示されている典型性が見事。ここにでてくる作家や批評家の名前を私はよく知らないけれども、彼ら・彼女たちが語るテクハラ言説の「ハマり具合」はそれなりに理解できる。

 私は書評が学問の基本だと考えてきたので、大学の授業でも書評を学生さんに書いてもらうことが多い。でも、それを読んでがっかりするケースはパターンが決まっていて、それは著者が女性のときである。そのときだけ著者の女性性についての言及が俄然多くなり、反応は否定的になるのだ。この定型性は歴然としている。

 たしかに属性は人生を限定する作用を持つが、同時に感受性を鋭敏にすることもある。しかも人間はそういう限定性を超越することもできる存在である。そう考えることにさして違和感を持たない人たちが、著者のジェンダーに過剰に反応することを、私は他人事とは思えない。

 おそらくはレトリックの未熟さゆえに、私たち自身がいともかんたんに「テクハラ」にハマることは容易に予想できる。たいていの場合、著者は男か女かであるわけだから。まして私たち書評者にとって「テクハラ」は身近な存在になるだろう。できるだけその誘惑に対しては抵抗したいと思うが、こういうことを言うのは別に「政治的に正しい」表現を目指そうというからではない。作品とじかに向き合うことの困難さを自覚したいだけである。

(2001.2.18)


テクスチュアル・ハラスメント

著者:ジョアナ・ラス著,他
出版:インスクリプト
発行年月:2001.2
本体価格:\3,600

 じつは本書にはふたりの著者がいます。ジョアナ・ラスと訳者の小谷真理氏です。小谷氏自身がかなりの分量の原稿を書いています。以下の目次を参照してください。

【目次】
イントロダクション(小谷真理)

女性の書き物を抑圧する方法(ジョアナ・ラス 小谷真理訳)
1 無言の重圧
2 自己欺瞞
3 行為主体性の否定
4 行為主体への冒涜
5 二重基準の罠
6 間違った分類法による囲い込み
7 「一発屋」神話の真相
8 全集からの締め出し
9 先輩作家不在の危機
10 女たちの反応
11「価値基準」にまつわる懐疑的論争
エピローグ

この批評(テクスト)に女性はいますか(小谷真理)
あとがき
原註 


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SOCIUS.JPドメインへの初出 7/20(thu), 2002  
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