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ビーケーワン書評コラム

エディター書評2000-2001年

歴史的な分水嶺としてのデジタルデバイド

木村忠正『デジタルデバイドとは何か――コンセンサス・コミュニティをめざして』岩波書店


 ふつう「デジタルデバイド」は、情報ネットワークへのアクセスができる人とできない人の格差が広がることを意味する。たとえばインターネットに接続されたパソコンを利用できる人がさまざまな恩恵を受けることができて、よい就職に恵まれ、仕事や生活が豊かになっていくのに対して、社会的環境・経済的環境のせいでインターネットにアクセスすることができない人は置いてきぼりを食うといったことである。最近問題になっているのは階層間や国家間でそのような格差が広がることだ。言ってみれば、パソコンを使える者はますます富み、使えない者はますます貧しくなるという悪循環の問題である。

 しかし、著者によると、それは「狭義のデジタルデバイド」だという。これまでは普及過程の初期にあたるため、貧富の差などがパソコンの所有に露骨に反映していた。だからそれを過大視するのは間違っているし、元になったアメリカでの議論は多分に政治的なものだったという。つまり経済的背景も問題提起もアメリカ型の問題なのだ。

 これに対して著者が迫るのは、日本がアメリカ型の情報社会を追随するのかどうかという選択だ。注意しなければならないのは、これはたんに情報化のパターンの選択ではなく、インターネット型情報ネットワークを社会基盤とする社会総体の再編成を自覚的におこなうかどうかの選択になるということだ。

 結論から言うと著者はアメリカ型ではなく北欧型の解決をめざすべきだと提案する。スウェーデンではすでに「情報ネットワークの日用品化」が進んでいるが、スウェーデンにならって、リアルスペース特有の制限から自由な「ネットワーク隣接性」を生かした産業構造への転換をはかるべきだとする。本書ではそれを「共創社会(コンセンサス・コミュニティ)」と呼ぶ。

 世界システム再編成の中で、なぜ日本は情報ネットワークへの対応ができないのかを問う。これほどその必要と可能性が叫ばれているにもかかわらず、である。著者は原因を二点指摘する。ひとつは再分配経済が相対的に低いこと、もうひとつは「私事化」「パブリックなもの(公)に対する判断停止」である。そのため、日本は、歴史的な分水嶺としてのデジタルデバイドの前で立ちすくんでいるというのが著者の認識である。

 リテラシーの強調やi-modeへの批判的まなざしなど共感できる論点も多い。当然のことながら「儲かれば勝ち」組のビジネス系イケイケ路線の視野の狭さとは無縁の本であり、また、不平等性を指摘して「われ加担せず」スタンスを披露するだけのアナクロ本などとも一線を引いたところにある意欲的な問題提起である。


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SOCIUS.JPドメインへの初出 7/20(thu), 2002  
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