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ビーケーワン書評コラム

エディター書評2000-2001年

数十年の思考の産物だからこそ可能な〈直球〉の議論

橋爪大三郎『言語派社会学の原理』洋泉社


 高度な理論書の書評となると、こちらも高度にまとめたい衝動に駆られるが、それではせっかくの読者と良書の出会いを損ねることになりそうだから、今回はラフに書かせていただこう。

 じつは私は大学で「社会科学の基礎」という科目を担当している。これが相当に苦しい。なぜなら、「社会科学の専門家」ではないからだ。そもそもそういう人はいない。「社会学者」と名乗るだけでも「大風呂敷だ」と言われるリスクが生じる狭小なアカデミズムにあって(正しくは都市社会学者とかメディア論研究者というように専門分野を限定して自己紹介しなければならない)、社会科学の総体を語るという役割はかなり荷が重い仕事である。

 しかし、教えるために改めて調べていくと、その種の偏狭な専門主義は、知の最前線ではすでに破綻していることが否応なしにわかってくる。たとえば、ウォーラーステイン+グルベンキアン委員会『社会科学をひらく』(藤原書店)によると、社会学・経済学・政治学・人類学・歴史学といった社会に関する専門科学の並立状態は1945年から崩れ始め、今日では人文学と自然科学との境界さえも崩れつつあると明確に述べている。

 「何を今ごろ」と思われるかもしれない。しかし、問題はそれを理論的かつ理論史的に理解しているかどうかではないだろうか。「学際的研究」などと言っているようなノンビリした段階は先端的には1950年代で終了しているのである。

 さすがに1990年代半ばあたりから、脱領域的あるいは超領域的なスタイルの知に基づいて新学部が立ち上がり、日本のアカデミズムもずいぶん雰囲気が変わりつつある。しかし、喜んでばかりはいられない。

 このような知的潮流のただ中で、自分の思考を突き詰めるのは至難のことだ。これは研究者も学生も同じである。昔のように特定のディシプリンに依存できないから、知的カオスの大海に投げ込まれたかのようになってしまうのだ。「ああではない」と批判できても「こうである」とは言えなくなってしまった学者のなんと多いことか。そして、何を勉強したかについて一言できっちり答えられない学生のなんと多いことか。それはひとえに現在の脱領域的な学問状況の反映である。

 そんな中で、何が重要な問いであるかを提示し、その問いに対して正面から応えていこうとする骨太な学者が今はとても貴重である。その有力なひとりが本書の著者・橋爪大三郎氏である。本書はその橋爪氏の(久々の?)理論的著作になる。


言語派社会学の原理
著者:橋爪 大三郎著
出版:洋泉社
発行年月:2000.9
本体価格:\2,900

 「世界史は果たして、このようでしかありえなかったのだろうか」――著者の問いはここから始まる。この問いの背後には「コンティンジェンシー」や「オルタナティブ」といった概念とそれをめぐる膨大な問題史が存在するはずである。しかし、著者は終始一貫して自分のことばで説明する。同業者としては、その一文一文に注釈をつけたくなるほど簡潔だ。背景となる専門的知識に裏打ちされたことばであるが、それをさらっとまとめて記述する力量が頼もしい。こうでなければ、社会理論をじっさいに「前に」押し進めることなどできないだろう。

 本書はこれまで4冊のオムニバス論文集に書き継がれてきた論考に、権力論についての書き下ろしを加えたものである。焦点は権力の理解にあるが、その前提作業として社会科学そのもの(さらにその社会的前提)から著者は問い直す。

 そもそも社会科学が領域ごとに分かれているのは、西欧社会に社会空間の部分領域が成立したことに対応している。親族・政治・宗教・経済・法の五つがそれだ。これらは性と〈言語〉と権力の折り合わせ方のちがいによって生じると著者は言う。このあたりの説明はていねいで、とてもわかりやすい。前提的知識がなくても読めるようになっている。教える立場としては「このようなことばで説明すればいいのか!」と思うところである。

 後半は、社会を問うさいの根本的な問題として権力の問題に焦点を絞って、求心的な探求がつづく。ここにきて著名な理論家たちが俎上に乗せられる。まずパーソンズと宮台予期理論が論破され、ルーマンに権力メディア論の限界を見る。そしてフーコーの見ようとしたものを確認して、さらにその先に急ぐのである。

 橋爪権力論の到達点は第6章に提示されている。そのキーワードとして提案されているのが「状況環」(the situation rim)である。

「そもそも誰のどの時点での行為に対しても、状況であるにとどまって、いかなる場面のなかにも露頭しないことがらの集まり」(224ページ)

 これについて橋爪氏は、それは生きている身体としての「死者」だという説明をしているが、そうなると「商品の集積」ならぬ「死者の集積」にこそ権力の秘密があるということになりそうだ。数十年の思考の産物だからこそ可能な〈直球〉の議論。とはいえ、今後議論を呼びそうな気配を感じる。

【目次】
第1章 社会科学の特殊性/普遍性
第2章 社会を一般的に記述するための、諸概念
第3章 社会空間の各部分領域は、どのように定義できるか
第4章 逆説としての権力
第5章 権力は、どういう実在なのか
第6章 〈言語〉派社会学の原理


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SOCIUS.JPドメインへの初出 7/20(thu), 2002  
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