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ビーケーワン書評コラム

エディター書評2000-2001年

文体の政治にひそむ〈女〉の影を追う

上野千鶴子『上野千鶴子が文学を社会学する』朝日新聞社


 最近は『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』のベストセラーによって、クールな(つまり参加度が高い)メディア(この場合は教師)として改めて注目された著者が、かつて句集を出版していたことをご存じだろうか。上野ちづこ句集『黄金郷』(深夜叢書)がそれである。現在は入手困難だが、一部は『増補〈私〉探しゲーム』(ちくま学芸文庫)に寄せられた鶴見俊輔の解説の中で今も読むことができる。本書で著者は「俳人を廃業した」と述べているが、その作品に感じられる先鋭的な感覚は、その後の社会学とフェミニズム(そしてケンカ?)に昇華されたかのようだ。

 本書は、文学というフィールドに再臨した著者の論考を集めたもの。『男流文学論』につぐ文学評論である。

 文学の読み手としての力量が発揮されているのは、なんと言っても冒頭におかれた2編の中編評論で、「平成言文一致体とジェンダー」では、明治期の俗語革命から庄司薫=赤頭巾ちゃん・橋本=桃尻娘をへて西原理恵子・吉田秋生(こちらはコミック)にいたる文体の変化を追い、明治の言文一致体という近代国語が組み込んでいた性別規範がまさに女言葉の側から解体しつつあることを描く。つづく「老人介護文学の誕生」では、『恍惚の人』と『黄落』(佐江衆一)を対照させながら、老人介護をめぐる視線の交錯を論じている。

 印象深いのは「女装した家父長制」という論文で、家族のために自己犠牲に殉じるといった、いわゆる「日本の母」の表象が、じつは代行支配ではなかったと問うている。しばしば「甘え」や「母系社会」として説明され、文学作品においても「父の不在」と「母の優位」を描くものが多いために、一見してそうは見えないが、著者は言う。

「疑問の余地はない。日本もまた家父長制の社会である。ただその権力の行使が『母性』の名において行われている分だけ、『敵』の見えにくいやっかいな相手なのである。」(124ページ)

 これまで評者自身も「家父長制」のもつイメージが日本の日常とややズレている印象を持っていたが、なるほど「女装」とはよく言ったものだ。それだけのものを日本の論者(ほとんど男)がこれまで的確に見抜けなかったのは、目の前の〈女〉の影に惑わされてきたということだろうか。

 その他、本書には連合赤軍の女性憎悪の謎を解く「連合赤軍とフェミニズム」や句集を中心とした書評・解説がおさめられている。

 総じてアカデミックな文体ではないが、かといって文芸評論の文体というのでもない。文体の政治を論じる自分の文体の政治性を過剰に意識する再帰的な性質からして、むしろ正統派社会学の文体と言うべきだろう。そのあたりを堪能できれば「読者が社会学を文学する」ことも可能な本である。


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SOCIUS.JPドメインへの初出 7/20(thu), 2002  
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