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ビーケーワン書評コラム

ほうとう先生の芋づる式社会学

第2回 電話する社会の今昔物語

 1985年、日本ではNTT民営化という大きな転換点がありました。それから日本は本格的な電話社会になったのだと思います。もちろんそれまでだって電話はいたるところにありました。しかし、まだその時点では会社やお茶の間や街頭までが関の山で、今思うとまだまだ個人生活の裏表そしてアイデンティティの微細な襞にまでは行き渡っていませんでした。しかし、この年から日本はそうしたナイーブな「電話する社会」への道をまっしぐらに歩み始めます。そして21世紀を前にして、ついに携帯電話が固定電話を超えてしまうという、新しい事態にまでいたったのです。

 それまで電話研究と言えば技術的なつまらない話だと予想がついたのですが、80年代末になって、この状況に対応するような社会学的研究が出始めます。単行本で早かったのが、渡辺潤『メディアのミクロ社会学』(筑摩書房、1989年)。電話に一章を割いた珍しいメディア論という印象でした。このころ社会学会や新聞学会でも報告が出始め、90年代になってそれらが、吉見俊哉・若林幹夫・水越伸『メディアとしての電話』(弘文堂、1992年)として刊行されました。富田英典『声のオデッセイ』(恒星社厚生閣、1994年)は、そのころ社会問題化したダイヤルQ2を研究したものです。

 そうした問題関心から社会史的研究の必要性も高まりました。吉見俊哉『「声」の資本主義』(講談社、1995年)がその領域で有名でしたが、2000年7月に2冊の研究書があいついでNTT出版から出ました。いずれも時機をえたものと言えるでしょう。

 ひとつはフィッシャー『電話するアメリカ』(NTT出版)です。フィッシャーは都市社会学者として有名な人で、シカゴ学派系の代表的な論者です。そのかれが社会構築主義とコミュニティ研究の手法を駆使して、1876年から1940年までのアメリカにおける電話の展開をくわしく記述したのが本書です。タイトルから想像すると、電話がアメリカ社会を変えていった様が描かれているように思うかもしれませんが、そういう予想とはまったく異なる事実が丹念に論証されています。テクノロジーを論じるとき、私たちが妙に道徳的な議論をしていたり、根拠なく楽観主義や悲観主義に陥っていたりする、そういう議論の仕方に対する明確な批判意識が特徴です。

 もうひとつは、田村紀雄『電話帳の社会史』(NTT出版)です。研究書ではありますが、こちらは物語風に書かれています。いわば「電話帳物語」。クイズ番組だと、これだけで1年分以上の電話クイズがつくれるでしょうね。ミニコミやタウン誌の研究で有名なこの著者らしい、足繁く文献を渉猟した蘊蓄系の読み物になっています。100件に及ぶレトロな図版も楽しい。この本を読むと、電話の普及とともに電話帳もメディアとして成長し、ディレクトリー・ビジネスが立ち上がって、激しいデッドヒートを繰り広げてきたことがわかります。そうです、電話帳ってテレフォン・ディレクトリーなんですね。ディレクトリー・サービスの原点がここにあります。

 こうして見ると、インターネットは電話の歴史をなぞってきたとも言えそうです。『電話するアメリカ』のフィッシャーはそういう見方を留保するのですが、そう見てみたい誘惑はあります。現在から勝手に想像され読み込まれたストーリーではなく、複雑に錯綜する事実の集積としての歴史に学ぶのであれば、そう悪いことではないでしょう。インターネットにこのあと何が起こるのかということも、電話の歴史から読みとることができるかも。巷にあふれた意外性のないEコマース本より、よほど掘り出し物の知恵がふくまれていると思います。

【キーパーソン】フィッシャー 田村紀雄 富田英典 吉見俊哉 渡辺潤
【キーワード】電話 電話帳 「声」 都市的体験

■関連図書1(新刊)
 クロード・S・フィッシャー『電話するアメリカ』(NTT出版、2000年)00028920

【解説】

 電話の発明者ベルが「ワトソン君、こちらへ来てくれたまえ」というメッセージを電話で伝えたのが1876年。電話の歴史はここから始まる。初期は電信出身者が開発を担ったため、電話は都会のビジネス利用中心に構想され、その線で大衆を教育しようとした。しかし、かれらの思惑とは別に、じっさいには農村部で急速に支持され(独立系の電話会社が陸続と各地に立ち上がったという)、また女性たちの社交的なおしゃべりのメディアとして使われていった。1920年代になって電話会社はようやくそうした使い方で売り込むようになったのである。

 電話というテクノロジーは社会を変えたか? この問いに対するフィッシャーの答はノーだ。電話がビリヤードのように社会にインパクトを与えたのでもなければ、個人や集団の精神に刷り込みをしたとも言えない。逆に電話は、利害を異にする勢力のあいだのネゴシエーションの過程の中で「そういうものだ」と定義され、社会的に構築されてきたのだ。

 このプロセスをフィッシャーは自動車の歴史と対比させながらじっくりと語ってゆく。あるときは歴史家のように、あるときはコミュニティ研究者として、そしてあるときは社会心理学的に。社会学的研究とはこういう手堅いものだったかと実感させる研究スタイルにも好感を覚える。とくに中盤では三つの町での電話普及の様子が膨大な資料をもとに克明に描かれるが、都市社会学者の面目躍如といった観がある。

 そして電話が地域コミュニティを破壊したか強化したかという、新しいメディアが普及するときに必ず出てくる議論に対して、たいした変化はなかったことを実証する。かれは言う。「新しいテクノロジーが登場したところで、基本的な社会パターンはそう簡単には変わらないということだ。たとえ、新しい革新的な技術が広範に普及したとしても、そうした社会の基本的な力のほうがずっと強いのである。」(332ページ)

【目次】
第1章 テクノロジーとモダンライフ
第2章 アメリカの電話
第3章 大衆を教育する
第4章 電話の普及――全国的パターン
第5章 電話の普及――地域のパターン
第6章 ありふれた存在になる
第7章 ローカリズム
第8章 個人的な通話と個人的な意味
第9章 結び

■関連図書2(新刊)
 田村紀雄『電話帳の社会史』(NTT出版、2000年)00031440

【解説】

 電話機の発明だけでは電話ではない。電話交換のシステムが整備され、だれとでも通話できるようになって始めて電話である。そして目的とする相手の番号を調べるツールすなわち加入者リスト(電話帳)が手元に常備されていなければならない。その意味で電話帳は最初から電話システムの一部として発展した。この電話帳が強力な広告メディアとしてビジネスになると判断した人たちの慧眼に驚くが、それはまさに都市社会の縮図がそこにあったからだ。

 いったん電話帳が商売として成立すると、今度はその中でいかに目立つかの競争が始まる。移民の国アメリカでは発音不明な名前も多い。イエローページでの分類の工夫には商標・著作権さえあった。そして日本の電話帳は・・・。タウン誌などの脇役メディアの発掘人として有名な著者による画期的な電話帳物語。

【目次】
1章 電話帳(テレフォン・ディレクトリー)の誕生日
2章 電話帳広告・思いがけない収益事業に
3章 電話帳は出版物になった
4章 イエローページの登場
5章 第二次大戦下の電話帳
6章 電話帳市場の再編
7章 データベースと検索の法

■関連図書3
 吉見俊哉・若林幹夫・水越伸『メディアとしての電話』(弘文堂、1992年)92034159

【解説】

 刊行後8年が経過したが、いまなお電話論入門としておすすめできる一冊。さまざまな視点から多角的に電話を捉えている。「電話をメディアとして考えるためのブック・ガイド」つき。

【目次】
序章 メディアとしての電話
第一章 電話のある社会
第二章 変容する社会空間
第三章 受話器のなかのふれあい
第四章 個室のネットワーク
第五章 失われたメディア・ビジョン
第六章 電話文化の政治経済学
結章 再び、メディアとしての電話


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