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4月 192017

健康の批判理論序説

健康の批判理論序説
野村一夫
“Knowledge is a deadly friend…”(King Krimson)
一 健康と病いの社会学——理論的系譜
二 社会構築主義の導入——理論的核心
三 問題領域の拡大——研究対象
四 公衆衛生学的医療社会学との比較——対抗軸
五 健康言説批判——方法論的戦略
参考文献
一 健康と病いの社会学——理論的系譜
■本稿の目的
医療と社会の関係を問う社会学的研究は長らく「医療社会学」(medical sociology, sociology of medicine)と呼ばれてきた。これについては、進藤雄三による詳細なレビューがある(進藤雄三 1990)。これによってアメリカで急成長した医療社会学の全体像が一気に明らかになった。ところが、その後、八〇年代末から九〇年代にかけて、医療と社会をめぐる社会学的研究は大きく変化した。とくにイギリスとオーストラリアの研究者が活発に研究成果を発表することで、アメリカ種の医療社会学とはニュアンスを異にする、それ自体ひとつの新潮流とも言えるような研究系譜が形成されるにいたったのである。それは通常「健康と病いの社会学」(sociology of health and illness)と総称されている。この一見変哲のない名称のもとにパブリッシュされつつある一連の研究は、しかし、名称から受ける印象のように穏健でもなければ安全でもない。それはむしろ「健康の批判理論」(critical theory of health)と呼ぶべきラディカルさをもつ研究運動であり、その周辺の研究系譜との連接関係を深めることで、強力な理論潮流になりつつある。本稿の目的は、そのラディカルさを中心に、この「健康と病いの社会学」の研究動向のアウトラインをひとまず総論的に理解することである。
まず、この最初の章において、「健康と病いの社会学」とその周辺の研究動向を整理して、理論的系譜をあきらかにしたい。第二章において、「健康の批判理論」と私が総称する一連の研究の理論的特徴を「健康と病いの社会学」に即して明確に示したい。第三章では、研究対象としてどのようなテーマが俎上にあげられるのかをリストアップして、「健康の批判理論」の問題領域を示したい。第四章では、その理論的特徴が、現在まで日本でおこなわれてきたような医療の社会科学的研究のメインストリームに対する有力な対抗軸に位置づけられるものであることを論じて、研究のスタンスについて語りたい。最後の章では、「健康の批判理論」の方法論的戦略を提示したい。そのさいキーワードとなるのは「健康言説」という、私たちが新たに考案した造語である。経験的研究をなすさいの手がかりを明示して、今後展開予定の研究活動の序説としたい。
■機能主義から社会構築主義へ
さて、二〇世紀後半のアメリカで急速に発達した医療社会学と、本稿で取り上げる「健康と病いの社会学」との関係はどうなっているのか。両者は対抗するものなのか、継承関係にあるのか。まずこの点から確認していこう。
デボラ・ラプトンは「健康と病いの社会学」へいたる「医療と社会」研究の理論的変遷を三段階に整理している(Lupton 1994:6-13)。三段階とは、機能主義、政治経済学(マルクス主義)、社会構築主義である。
それによると、まず、機能主義的アプローチ(functionalist approach)では、医師などの医療専門家が日々の業務を遂行するプロセスや、個人が病気に対処する仕方に興味をもつ。この場合、病気は潜在的な社会的逸脱状態と見なされ、医療専門家の役割は、かつて教会が果たしたように、正常と逸脱を区別する力を用いて社会統制の不可欠な制度あるいは社会の道徳的管理者としてふるまうことだとされる。この機能主義的アプローチの指導的理論家はもちろんタルコット・パーソンズである。かれの理論は五〇年代から六〇年代にかけて大きな影響力をもったが、医療社会学への影響は非常に大きかった。
これに対抗する批判勢力として出てきたのが政治経済学的視角(political economy perspective)である。資本主義経済体制の本質に対するマルクス主義的批判がその理論的核心にある。これは七〇年代から八〇年代にかけて支配的な知的運動だった。この観点からすると、真の健康とは、たんに身体的情緒的安寧ではなく、満足するに足るハイレベルの生活を維持するのに必要な資源(これには物質的なものもあれば非物質的なものもある)にアクセスできること、そしてそれらを統制できることにある。この見方からすれば、健康の基軸的構成要素は「闘争」(struggle)以外の何者でもない。
この系譜の研究の中で近代医療の文化的危機を批判する一連の研究の代表格が医療化論である。このテーゼの源泉はエリオット・フリードソンであり、これをイバン・イリイチやアーヴィング・ケネス・ゾラが展開することで、強力な潮流を形成した。この系譜は、医学的知識を哲学的に分析することよりも、一見中立的に見えてじつは支配階級の利害に奉仕するものとして医学的知識をあつかうことが多い。しかし、その批判は矛盾していることもある。医療は過剰に拡張主義的であると批判される(医療化論)とともに排外主義的であるとも批判され、病気は収奪によって引き起こされると見なされるとともに医学的支配によっても引き起こされる(医原病)と見なされる。
第三の理論的立場が、ポスト構造主義と第二波フェミニズムとフーコーの影響のもとに注目された社会構築主義(social constructionism)である。社会構築主義は、もともと社会学理論にあったものだが、上記の諸潮流との関連において修正されたものが「健康と病いの社会学」で有力になっていった。ラプトンのこの本をふくめて九〇年代に次々公刊された「健康と病いの社会学」の研究書はほぼこの立場で書かれている。
社会構築主義が焦点を当てるのは、生物医学(biomedicine)の社会的側面であり、医学ならびに素人の医学的知識の発達であり、さまざまな医療行為である。この立場から見ると、医学的知識というものは、洗練された良き知識に向かって上乗せされるように進歩するものではなく、社会史的状況の中で生起し不断に再交渉されるような、一連の相対的構築物ということになる。
この三段階はおおむね妥当な見方であるが、異論がないわけではない。たとえば、ウータ・ゲルハルトは『病いの諸概念』を次のような構成で整理している(Gerhardt 1989)。
(1)構造機能主義パラダイム——社会的役割としての病いと動機づけられた逸脱
(2)相互作用論パラダイム——専門家による構築としての病い
(3)現象学的パラダイム——間主観的に構築された現実としての病い
(4)闘争理論パラダイム——資源の不足とイデオロギー構築物としての病い
ゲルハルト自身は「批判理論としての役割分析」という著作によってデビューした、批判理論ないし政治経済学ないし闘争理論というディシプリンに立つ研究者であるので、ラプトンとは順序がちがってくるが、(2)と(3)をあわせて社会構築主義に対応すると考えてよいだろう。ゲルハルトのこの研究についてはさらに精読すべき論点がふくまれていると思われるが、さしあたり問題になりそうなのは、相互作用論パラダイムによる医療社会学の取り扱いであろう。ラプトンはこのあたりを無視しているように見えるが、アンセルム・ストラウスたちの研究がシンボリック相互作用論の視角からなされている点から考えると、現象学的パラダイムと親和的であり、社会構築主義に接していると位置づけられよう。
■他の理論系譜との相互連関
「健康と病いの社会学」は単独で発展したのではなく、健康と社会に関する他の研究分野と密接に相互連関して発展したものである。ラプトンが指摘するのは次の四つの学問運動である(Lupton 1994:13-19)。
第一に、医療人類学(medical anthropology)。医療人類学は「健康と病いの社会学」と密着した学問分野で、両者を分離するのが困難なくらいである。伝統的に医療人類学は「病気の解釈とその生きられた経験」に関心をもつ。病気とは、自然と社会と文化とが同時にそれでもっておしゃべりするコミュニケーションの一形式であり、諸器官の言語である。
第二に、歴史学的次元(historical dimension)。ラプトンがこう呼ぶのは、いわゆる社会史研究のことである。歴史学的研究は、西洋の生物医学の慣習が、他の文化ないし他の時代の医療システムより科学的であるとも客観的であるともいえないことを示す。
第三に、カルチュラル・スタディーズ(cultural studies)。たいていの社会科学者は医療を文化的産物と見ないで、文化に外在する科学的知識の客観的実体と見がちであるから、カルチュラル・スタディーズが生物医学や公衆衛生の制度と実践を分析するのに採用されることはめったになかった。しかし、たとえばマス・メディアがさまざまな場面で医療や病気にかかわる出来事を描写することが、この領域に対する人びと(そこには専門家やメディア関係者や行政関係者もふくまれる)の理解に大きく影響することはあきらかであり、カルチュラル・スタディーズがこの分野に有効なのははっきりしている。
第四に、言語論的転回(linguistic turn)。近年注目されているのが、社会秩序と現実感を構築し維持するという言語の役割である。ソシュールから始まったこの視点はロラン・バルトによって大衆文化の分析装置として発展し、やがて記号論者たちが個人を「かれらの文化によって語られた」存在と考えることを節目に大きく変化した。
以上ラプトンが指摘する四つの研究系譜は、社会構築主義に立つ「健康と病いの社会学」の基本論点とそれぞれ呼応するものをもっている。医療人類学は、空間的比較を促すことで近代化論的まなざしを脱し、非西洋医療の正当性問題に気づかせる。また、素人の病気観の文化的意味を尊重する知的態度をもたらす。それに対して社会史研究は、時間的比較をうながすことで、西洋医療の歴史的偶発性(なりゆきしだいでは他のものにもなりえたかもしれない可能性)を再発見させ、近代医学が客観的知識であるという信仰を破壊する。カルチュラル・スタディーズと言説分析は、文化の批判的検討を通じて、現代文化の構築物として医療関連現象を理解することをうながした。このさい人文学的手法による分析の有効性も強調されてよい。とくに表象や言説の解釈からアプローチする手法は経験的研究に対して大きな影響を与えた。
このように「健康と病いの社会学」は、隣接し随伴する上記の研究動向に即しながら発展してきた。これらは不即不離なもので、ひと続きのものと考えたほうが実際的である。しかし、これらをあわせた適切な総称がないのが現状で、そこで本研究ではこれらを「健康の批判理論」と総称して取り扱うことを提案したいと思う。そこには共通の理論的視角・問題領域・研究スタンス・方法論的戦略が存在すると考えられるからであり、総じて医療研究の大きな転換を提示していると考えるからである。以下、章ごとに論点を分けて考察していこう。
二 社会構築主義の導入——理論的核心
■社会構築主義とは何か
「健康の批判理論」の批判性は政治的スタンスに由来するものではない。それは理論社会学的徹底によるラディカルさというべきだろう。その理論的中核にあるのが社会構築主義である。逆にいうと、「健康の批判理論」とは、「健康と病気に関連する問題領域についての社会構築主義的分析理論」なのである。
社会構築主義はもともと現象学的社会学の文脈で知識社会学理論として定式化され、大きな影響力をもった視角であるが、のちに社会問題論に導入されて「レイベリング理論に替わる新理論」として大きな波紋を呼んだ考え方である(Spector and Kitsuse 1977=1992; 中河 1999)。その意味では典型的な社会学主義の一形態と見なすことができる。けれども、社会学以外の知的運動の中で広範な影響力をもったのは、フーコーの一連の歴史研究であり、それに呼応する前述の学問運動の方だった。そのために、今日ではこの経緯が言及されることは少なく、社会心理学者のヴィヴィアン・バーの『社会構築主義への招待』(Burr 1995=1997)においても、キツセらの構築主義的社会問題論への言及はない。これは医療社会学系でも同様であり、その点で社会構築主義自体は社会学プロパーのものとは理解されていないようである。
たとえばヴィヴィアン・バーは社会構築主義を次のように文化や知識を理解する見方であるとしている(Burr 1995=1997:4-7)。
(1)自明の知識への批判的スタンス
世界が存在すると見える、その見え方の前提を疑う。なぜなら、人間が世界を把握するさいに使用するカテゴリーが必ずしも実在する区分を示すものではないからだ。
(2)歴史的および文化的な特殊性
世界を理解する仕方・カテゴリー・概念は歴史的かつ文化的に特殊なものであり、相対的なものであるという認識を徹底する。
(3)知識は社会過程によって支えられている
世界についての知識は、人びとが互いに協力して構築する。具体的には日常的な相互作用によって構築する。したがって、人びとが相互作用において日常的に使用する「ことば」が重要な意味をもつ。
(4)知識と社会的行為は相伴う
世界を特定の「ことば」で理解することは、それ自体ひとつの社会的行為であり、ある種の社会的行為を支持したり排除したりする行為である。つまり知識は社会的行為なのである。
この視点から特定の社会現象を研究するさいに戦略的に重要になるのは、人びとが日常世界においてものごとを理解する仕方であり、そのさいに重要な役割を果たす「ことば」である。社会構築主義では、このような「ことば」を「言説」(discourses)と呼び、その調査研究を「言説分析」(discourse analysis)と呼んでいる。社会構築主義から見れば、世界は言説によって構築されており、歴史的・文化的に規定された特定の言説によって人びとは世界を理解するのであるから、その言説の自明性を疑い、歴史的由来を調査し、文化的布置をあきらかにすることが、その言説の指示する現象の科学的理解につながるのである。
バーの解説は、さまざまな社会領域に適用され、わけがわからなくなりつつある社会構築主義の共通因数について、あらためて説明しなおしたものとして参考になる。しかし、社会学理論との関係と、医療社会学との関係とをもう少し明確に把握しなければならない。
■社会構築主義と医療社会学
社会構築主義と医療社会学の関連をあつかった初期のレビューとしてはマイケル・バリーの「社会構築主義と医療社会学の発展」(Bury 1986)がある。この時点では、構築主義的医療研究のマニフェスト的著作となった、ピーター・ライトとアンドリュー・トレチャー編集による『医学的知識の問題——医療の社会的構築の検証』(Wright and Treacher 1982)がすでに刊行されており、ここに掲載された論文とそれらの著者たちが、バリーのレビューの主要な対象になっている。
バリーは社会構築主義の主要な構成要素を次の五点に求めている(Bury 1986:140-147)。
第一に、生物医学的現実を「問題化する」こと。社会構築主義では医学的知識そのものが問題性を帯びていると考える。その結果、生物医学的現実も自明ではないと考える。
第二に、医学はさまざまな社会関係を媒介すること。医学はその実践においてのみならず、その知識においてもさまざまな社会関係を媒介する。ある経験の領域を「医学的」と呼ぶことは、決定的かつ強力な形と意味を与えるがゆえに、その経験領域を社会生活の他の領域に対して重要な関係の中におくことなのである。そのため構築主義者は、医学と医学的カテゴリーが特定の社会集団と実践を活発にかみあわせる仕方を提示しようとしてきた。
第三に、医学と技術の中立性への疑問。つまり、技術的領域は中立的とは見なせないということである。私たちはものごとを技術的な事柄とそうでない事柄とを分けて議論するが、構築主義者はその区別そのもの自体が問題をはらんでいると考える。この点では技術のイデオロギー性を説いたユルゲン・ハーバーマスらの批判理論と直接呼応するものがある。
第四に、自然もまた社会的に構築されること。したがって「発見」を廃止すること。さまざまな疾病のカテゴリーは中立的かつ合理的な方法の適用による自然現象の発見を合図すると見なすべきではない。逆にいうと、疾病の発見へのクレームはそれ自体社会的出来事であり、それらを社会的文脈におくのだ。この観点からすると、医学も科学もあくまでも社会内部のシンボリック・システムであり、社会外部の自律的領域ではないということになる。医学と科学が居場所にしている技術的・科学的世界は、本質的に「言説の様式」であり「生活世界」である。それらは歴史的かつ社会的な実践から分離され得ないものなのである。「科学とは社会関係である」というのが構築主義の命題である。
第五に、医療の進歩に疑問符をつけること。つまり医学の歴史においてしばしば物語られる直線的プロセスは廃棄されるべきである。あらゆるものごとが別のありようも可能であったことを忘れてはならない。
以上のバリーの行論からわかるように、かれは「批判的アプローチ」と「構築主義的アプローチ」を仕分けながら、その具体的な論点については両者を連続的なものと見ている。これはラプトンが「政治経済学的視角」と「社会構築主義」とを区別しているのと少し異なる。この点については学説史的に詳細な検討が必要だが、焦点になるのは二点あると思う。ひとつは「政治経済学的視角」の始発点にいるエリオット・フリードソンの位置づけであろう。もうひとつは構築主義の徹底の度合いである。サラ・ネトゥルトンの見解は、フリードソンは医学的実践(医学的知識の適用)の社会性は問題にしたけれども、医学的知識そのものの社会性の問題には挑戦しなかったという評価である(Nettleton 1995:19)。マルクス主義そのものには一九世紀的な自然科学信仰があり、技術の中立性の科学論的否定までには行き及ばないのが実態である。おそらくここが分水嶺であろう。ちなみにユルゲン・ハーバーマスがマルクス主義を超えているのは主としてこの論点である。
なるほど社会問題に構築主義を持ち込むことにはさほど違和感がない。しかし、医療行為(medical practice)に関しては適用できても、医学的知識(medical knowledge)そのものにそれを持ち込むことにはかなりな飛躍が必要である。しかし、それでこそ「健康の批判理論」なのである。
■さまざまな社会構築主義
ただ、ここには複雑な問題もある。フィル・ブラウンが「名前づけと枠づけ」という論文で指摘するように、医療社会学に適用された社会構築主義的アプローチには三つのヴァージョンがあるのに、それらがしばしば混同されているのである(Brown [1995]1996:93)。
ブラウンによると、第一のヴァージョンはスペクターとキツセの共著『社会問題の構築』(Spector and Kitsuse 1977=1992)によるものである。かれらの社会問題論はもっぱら人びとの社会的定義づけ過程に焦点を定めたものであり、現実的条件でもって社会問題を定義するという伝統的なやり方と一線を画した。すなわち「社会問題は、なんらかの想定された状態について苦情を述べ、クレイムを申し立てる個人やグループの活動であると定義される。」(Spector and Kitsuse 1977=1992:119)これは、所与の計測可能な実体として社会問題をあつかう伝統的な実証主義の見方に対抗して、見えにくい日常的相互作用と意思決定の世界を見えるようにする試みだった。これはアメリカ流の社会構築主義といえよう。
第二のヴァージョンはヨーロッパのポストモダン理論のものである。その源泉はミシェル・フーコーである。ヨーロッパの社会構築主義は、知識の創造を示すために言語とシンボルを脱構築することであり、状況のうつろいやすく不確かなリアリティを説明するところに独特の特質がある。
第三のヴァージョンは、科学社会学に関係が深い。これを「行為する科学」(science in action)の視角という。それによると、科学的事実の生産というものは、公的な場所に自分たちの業績をプロモートしようとする科学者たちの努力と結合した、実験室の単調な生活をしている科学者たちによって相互に考え出された行為の結果であるという。
ブラウンは以上の三種の社会構築主義を区別した上で、バリーをはじめとする医療社会学者たちが社会構築主義を上記の三種を混合した非常に広い意味で使用していると批判するのである。これでは「社会的構築」という用語に対する独自の所有権を主張できないではないかというのである。
それに対してブラウン自身が対置するのは、シンボリック相互作用論と構造的政治経済学的アプローチの総合したものである。そのさい決定的に重要なのは、「医学的知識の社会的構築」と「病気の社会的構築」を区別することである。
「医学的知識の社会的構築」は専門家の態度の起源とかれらの診断をあつかう。それは、支配的な生物医学の枠組と同時代の道徳と倫理的見解にもとづいて理解する仕方をあつかい、医療供給者の社会化、ヘルス・ケア・システムの専門家的・制度的実践、そしてそれを包み込む社会の社会構造をあつかう。ここでは診断そのものが問題になり、構造的接近が優勢になる。医学的知識の構築についての学問は、専門家の昇進や家父長的態度や帝国主義的労働市場需要のような社会的ファクターをふくむことになる。それに対して「病気の社会的構築」は素人の病気体験をあつかう。ここでは個人・ダイアド・集団の各レベルを取り扱うのでシンボリック相互作用論が優勢になる(Brown [1995]1996:96-97)。
■病いの社会的構築
ブラウンのいうように、「医学的知識の社会的構築」と「病気の社会的構築」とはリンクしているにしても基本的には別の問題である。この点については、以前から医療人類学でしばしば指摘されてきたことであるので、そちらの方で確認しておこう。
たとえば、アーサー・クラインマンは、台湾での調査に基づく著作の中で概略次のように述べている(Kleinmann 1980=1992:79)。疾病(disease)とは生物学的プロセスと心理的プロセスの両方あるいは一方の機能不全をさす。それに対して、病い(illness)は知覚された疾病の心理社会的な体験のされ方や意味づけをさす。したがって、病いには疾病に対する二次的反応がふくまれる。つまり、病いには、症状や役割遂行の減退に対する注意、知覚、感情的反応、認知、評価のプロセスがふくまれ、家族や社会的ネットワーク内部でのコミュニケーションや相互作用もふくまれる。「要するに、病いとは疾病に対する反応である。疾病をコントロールするとともに、疾病を意味あるものにつくりあげ、説明を与えようとする反応である。」(Kleinmann 1980=1992:79)
ちなみに一九八〇年時点でのクラインマン自身は、疾病の構築についてはそれほど突っ込んだ議論はしていないが、両者とも実在ではなく説明モデルであることに注意を促している点で構築主義と呼応する議論をしていた。
要するに「医学的知識の社会的構築」は疾病の構築にかかわることであり、「病気の社会的構築」は病いにかかわることであるといえよう。そして、それぞれが社会的に構築されるものであるというのが社会構築主義の基本主張である。ブラウンによると、この社会構築主義によってこそ、三つのレベルにおける健康と病いを連結でき、その社会的意味を理解できるという。三つのレベルとは次のようなものである(Brown [1995]1996:97)。
(1)ミクロレベル(自己意識、個人行為、対人コミュニケーション)
(2)メゾレベル(病院、医学教育)
(3)マクロレベル(国民の健康状態、ヘルス・ケア・システムの構造と政治経済、国家保健政策)
ブラウンの主張があえて「第四の社会構築主義」というべきものであるかということはひとまず措くとして、社会構築主義に少なくとも三つの理論的源泉があるということ、そして「医学的知識の社会的構築」と「病気の社会的構築」の両方を射程に入れて、ミクロ・メゾ・マクロの三レベルをリンクさせて考察すること、そのさいには相互作用論と政治経済学的接近があわせて有効であること——本稿でも、この線で「健康の批判理論」を考えてみたいと思う。
三 問題領域の拡大——研究対象
■問題領域の概要
以上、「健康と病いの社会学」とその周辺研究をふくめて「健康の批判理論」としてアウトラインを眺めてきた。その理論的支柱は社会構築主義である。この視点から何が具体的に問題になるのか。この章では「健康の批判理論」が射程に入れるべき主要な問題群を整理しておきたい。このさい、まず、比較的網羅的に問題領域を押さえていると思われるピーター・E・S・フロイントとメレディス・B・マクガイアの『健康・病い・社会的身体——批判社会学(第三版)』(Freund and McGuire 1999)で問題領域の概要をつかみ、そののちにラプトンとネトゥルトンの議論を参考にしてポイントを理解したい。
『健康・病い・社会的身体——批判社会学(第三版)』は本稿執筆時点では最新の「健康と病いの社会学」の概説書である。ストレス学説に準拠していることなど、やや総花的で、構築主義も徹底しないところがあるが、アンソロジーではないので、バランスよく研究業績がまとめて紹介されている。章ごとにテーマを抜き出してみよう。
(1)健康・病い・身体についての社会学的視角
身体の社会的構築。身体観の社会的構築。健康と病いの社会学において権力作用は中心的なものであること。
(2)だれが病気になり傷つけられ死ぬのか
社会疫学の課題と方法論上の問題点。二〇世紀の平均余命の変化。医学の進歩という神話。第三世界の罹患率と死亡率。エイズの疫学。罹患率と死亡率の変数としての年齢・ジェンダー・人種・エスニシティ・社会階級。これらは権力の社会的分配に関連している。
(3)健康と病いの物質的基礎
社会政治的ファクターと文化が、われわれの物理的環境・われわれの資源(たとえば食物)・われわれの身体を構築する。飢餓、食習慣、事故、労働災害、環境汚染、喫煙。
(4)精神・身体・社会
シンボリックかつ社会的なファクターが身体に及ぼす影響。ストレス。
(5)社会組織・健康・病い
社会支援の質と批判的評価。社会的不平等と社会支援の関係。演劇論的ストレス。社会的相互作用における感情の役割。
(6)病気の社会的意味
逸脱としての病い。逸脱の医療化。道徳的権威の医療化。社会統制。シンボルとしての身体。病気は社会秩序にかかわることがらであること。
(7)病いの体験
病いと自己。素人の健康概念。素人の病いの理解。病いに気づくこと。痛みと心理社会的次元。慢性病と障害。障害者の自己意識とマイノリティ的地位と社会運動。
(8)健康と助けを求めること
自己治療。隠れたヘルス・ケア・システムとしてのホーム・ケアと相互補助。民間療法。宗教的な癒し。
(9)医学的知識の社会的構築
疾患の「発見」。社会的産物としての科学。医学的「問題」の創造と否認。医療化・脱医療化・専門家の利害。企業の利害。疾患と身体の物象化。専門家支配。生物医学の前提。
(10)近代生物医学の知識と実践
専門家支配と情報操作。不確実性と統制。専門家支配のミクロ政治学。医師と患者の関係。病人を症例に変換する。患者の非人格化。近代医学の終焉。道徳のジレンマと社会政策。
(11)ヘルス・ケア・システムにおける階層と権力
受療者。医師の供給源。ナースの供給源。その他の専門職と労働者。
(12)ヘルス・ケアにおける経済的利害と権力
保険の問題。さまざまなヘルス・ケア組織。病院経営。さまざまな医療産業。社会政策と人権。
このようなテーマ・リストは多様な組み換えの可能なものである。ひとつの事例として参考にしたい。この中には機能主義段階の医療社会学でも十分問題として取り上げられているものもあり、公衆衛生学的なテーマもふくまれている。とくに「健康の批判理論」として重要な問題領域はどこなのか。すでに確認した「医学的知識の社会的構築」以外の問題領域について、この分野の第一線で活躍するラプトンとネトゥルトンが強調する論点を手短に整理してみよう(Lupton 1994; Nettleton 1995)。
■健康と病いをめぐる素人の生活世界
従来の医療社会学の焦点は、病気と専門家にあった。つまり医師たちが病気に立ち向かう仕方を主軸に据えて、そこに患者たちがどう適応していくか(あるいは適応すべきか)を規範的に研究してきた。これに対して「健康の批判理論」は、健康と素人(lay)に焦点を当てる。つまり素人の視点に定位して見える生活世界のあれこれ(もちろんそこには病いもあるが、そうでない状態もふくまれる)が問題となる。医学と素人の視点とを同位対立の地平において捉えるのが、社会構築主義のラディカルなところである。一方で医学的知識の文化的構築性を暴き、他方で素人の病気や健康への態度と経験の自律性を浮き彫りにするのである。
そのさいポイントとなるのは「素人の健康観はたんなる医学的知識の薄められたヴァージョンではない」(Nettleton 1995:37)ということである。この論点はすでにフリードソン以来、批判的接近を試みる医療社会学者にはおなじみのものである。
健康に光を当てると、人びとが健康をどのような定義において用いているか、そのライフスタイルと消費文化との関係はどのようなものか、人びとにとってリスクはどのようなものとして捉えられ、それが人びとにどのようなリスク回避行動をとらせているかが問題となる。たとえば喫煙に対する態度やエイズに対する態度などがテーマになる(Nettleton 1995:Chap.3)。
他方、病気に光を当てると、人びとが病気と病者役割(sick role)をどのように解釈し、正当化していくか、そして慢性疾患と障害のある身体を媒介にどのようなコミュニケーションが生起し、どのように語られていくか、それに対処する戦略をどのように編み出していくかがテーマとなる(Nettleton 1995:Chap.4)。また、人びとにとって病いの体験は道徳的問題でもある。なぜそのようなことになったかを人びとは「失敗」や「報い」として道徳的に説明しがちである。そのあたりもテーマとなる。
■素人と専門家の相互作用
病いに見舞われたと感じた人びとは病院を訪ねて、医師やナースなどの医療の専門家たちと出会う。この出会いは対等な出会いではないがゆえに、特殊な性質を帯びる。この「素人と専門家の相互作用」の問題は「健康の批判理論」にとって批判的に取り組まなければならない重要な問題領域である。
ネトゥルトンによれば、そこには次のような問題がある(Nettleton 1995:131−132)。第一に、素人と専門家の関係は、より広い文脈での社会関係や、ジェンダーや人種や階級といった構造的不平等を反映するとともに強化するということ。第二に、この関係は社会統制と社会規制の中心的次元を形づくること。第三に、専門家はしばしば患者の見解をまともに取り上げることを拒絶する。そして患者の見解というものが同時代のヘルス・ケアの深刻な限界と見なされてきたこと。第四に、相互作用の質がヘルス・ケアの成果に影響を与えてきたことである。
この領域は長らく医療社会学で「医師−患者関係」として研究されてきたが、理論的立場によって大きく見方が変わる。機能主義は合意モデルを基準に論じ、政治経済学(マルクス主義)は闘争モデルを用いて、医学的権力に対する患者側の抵抗を強調する。「コンプライアンスの悪い患者」を病院スタッフがそれぞれどのように見ているかが問われる。また、シンボリック相互作用論やエスノメソドロジーによるミクロな相互交渉場面の研究もさかんである。
それから忘れてはならないのが、専門家は病院にいるとは限らないということだ。民間医療のヒーラー(healer)がいる。そこでは「癒し」と総称される、しばしば近代医療システムとは異質の出会いと相互作用がある。ここは従来から医療人類学の実績のある領域であるが、「健康の批判理論」の現場はもはや病院だけではないのである。
■文化的表象の分析
医学・病い・疾患・身体に関するさまざまな言説・メタファー・図像は、高級文化においてであれ大衆文化においてであれ、これらの現象についての知識の社会的構築に深くかかわっている。ラプトンはこの点を強調する(Lupton 1994:chap.3)。高級文化において疾患と死がどのように表現されているか、そして大衆文化において医学や病いや死がどのように表象されているかの研究は、伝統的な医療社会学ではないがしろにされてきたところである。しかし、ガンやエイズはメタファーとしても社会に圧倒的な影響を与えたし、「ガンと闘う」「エイズを撲滅する」といった軍事的な言説そのものが、それぞれに関係する生物学的事実の解釈や医学の研究開発の方向性に影響し、関係者の社会関係をも深く規定してきたのである。
このテーマに関する図像研究としては、サンダー・L・ギルマンの仕事が日本ですでに紹介されている(Gilman 1995=1996)。図像は、どれが正しく美しく健康なのか、どれが狂っていて醜く病んでいるのかというステレオタイプな基準をリテラシーを越えて再生産する。とりわけメディア上に流通する言説と図像の分析が重要であり、カルチュラル・スタディーズの隆盛の中で、そのような研究が一気に浮上している。
もちろん以上の他にも重要な問題がある。健康状態と社会的不平等すなわち健康の配置の問題も大いに議論されている。とくにジェンダーの問題がフェミニズム側から次々に提起されている。保健政策批判もある。それらについては機会を改めて詳説することにしよう。とりいそぎ確認しなければならないのは、これらの問題群を「健康の批判理論」が強調して研究テーマとして取り上げるのはなぜか、つまり基本的な研究スタンスの問題である。
四 公衆衛生学的医療社会学との比較——対抗軸
■生物医学モデルへの挑戦
じつは社会学的社会問題論の文脈では、社会構築主義はすでに過去のものだという雰囲気がある。流行思想としての社会構築主義は所詮、そういうものなのだろう。しかし社会構築主義は日本では未だ徹底して追究されていないのではないか。とりわけ健康と病気の社会領域については。
生物医学に依拠した医療システムに構築主義的なまなざしを向けることは、医学部に設置された公衆衛生学といった場所では未だに困難なことのようだ。たとえば日本のアカデミズムにおいて重要なステイタスを与えられていると思われる公衆衛生学研究者による『健康観の転換——新しい健康理論の展開』(園田・川田 1995)には、生物医学とそれに基づく現代医療の神話的構築性に対して社会学的に距離化しようというスタンスがまったく感じられない。それどころか、健康主義を社会全般に拡大しようとする、ほとんどニューエイジ系の宗教的教義への傾斜さえうかがえるほどである。
日本の公衆衛生志向の医療研究の社会学性がその程度の底の浅いものであるといえばそれまでだが、それにしても、社会構築主義による医療的世界への分析はむしろ始まったばかりなのである。
では、従来的な医療社会学とのちがいは何だろうか。最大のちがいは生物医学に対する知的態度である。
ライトとトレッチャーは社会構築主義以前の医療社会学との比較を理念型的に整理している(Wright and Treacher 1982:3-5)。
第一に、医学の同定あるいは医学的知識は何の困難も引き起こさなかったという仮説。それによると、医学とは医師とその補助労働者のなしたことであるのは自明であり、医学的知識はたんに、医学校で伝授されたか、専門家の雑誌と教科書によって普及したものにすぎない。第二に、近代医学的知識は、近代科学の発見に基づいていて効果があるがゆえに独特のものであるという仮説。第三に、疾病は、医師による分離と指摘に先行し独立に存在する自然物であるという仮説。第四に、社会と医学的知識とは独立した自律的領域であるという仮説。
社会構築主義以前の医療社会学(たとえば公衆衛生学的な研究)の前提了解が以上のようなものであったとすると、すでに「医学的知識の社会的構築」として述べたように、これに対して社会構築主義的医療社会学は、異を唱えるわけである。いわば近代医療絶対主義神話の社会学的解体である。生物医学のイデオロギー的後方支援としての公衆衛生学との異質性はあきらかだろう。
■医療神話の歴史的批判
「健康の批判理論」のさしあたりの対抗軸は、医療神話とも呼ぶべき科学信仰であり、それに基づいて編成される専門家支配の実態である。日本でもこの種の研究は一部で始まっており、たとえば『医療神話の社会学』(佐藤・黒田 1998)では、「近代医学は抗生物質によって、人間を悩ませた多くの感染症を克服してきた」といったような、現代医療を正当化する二〇の神話について丹念に神話解体している。ただし、ここにおさめられた論文は必ずしも社会構築主義に立ったものではなく、多くは歴史的アプローチによるものである。
当然もうひとつの神話解体も必要だ。それは民間医療にまつわるさまざまな神話である。近代医学への不満は一般の人びとにおいてむしろ普通のことである。しかし、だからといって近代医学を批判する「代替医療」(alternative medicine)が無条件で推奨できるわけではない。代替医療神話が現代的に変奏されている事態に対しても、批判的なまなざしで分析する必要がある。たとえば佐藤純一は代替医療が単純な二分法を絶対化して「人間的」な側に自らをおくことで正当化しようとすることを指摘している(佐藤・黒田 1998:242-244)。なお、アメリカの代替医療の歴史についてはロバート・C・フラーの『オルタナティブ・メディスン』が詳しい(Fuller 1989=1992)。
さらに、こうした医療神話が消費社会というコンテキストでこそ生き生きと語られ、説得力をもち、具体的な行動へと水路づけるといった構図にも注意を払う必要がある。
■ヘルス・プロモーション
公衆衛生学的医療社会学との対比がもっとも明確になるのは「健康のために」語られるさまざまな言説に対するスタンスである。試金石はヘルス・プロモーションに対するスタンスである。
「健康のために」語られるさまざまな言説を私は「健康言説」と呼んでいるが、ヘルス・プロモーションの言説はその代表的なものであり、その点では公衆衛生学的医療社会学自体も健康言説なのである(池田ほか 1998:23-24)。
サラ・ネトゥルトンとロビン・バントンはヘルス・プロモーションに対する研究スタンスを四類型にまとめている(Nettleton and Bunton 1995)。まず第一の軸は「社会政策」か「社会学的分析」かというもの。第二の軸は「医療についての社会学」か「医療のための社会学」かという有名なストラウス以来の二分法である「についての」対「のための」という二分法。これを使って「健康の批判理論」を位置づけてみよう。
第一に「ヘルス・プロモーションのための社会政策」(social policy for health promotion)では保健公共政策の説明・分析・評価をおこなう。第二に「ヘルス・プロモーションのための社会学的分析」(sociological analyses for health promotion)ではプロモーション技術の発達・評価・洗練をおこなう。第三に「ヘルス・プロモーションについての社会政策」(social policy of health promotion)では政策のイデオロギー的基礎の研究をおこなう。第四に「ヘルス・プロモーションについての社会学的分析」(sociological analyses of health promotion)ではヘルス・プロモーション自体の批判をおこなう。一口に批判的評価といっても、このようにスタンスは多様である。たとえば日本でおこなわれてきたほとんどすべての「医療と社会」研究は第一から第三に分類できるはずである。それに対して「健康の批判理論」は第四の類型に相当する。
第四類型のヘルス・プロモーション批判の基礎視角としては、たとえばどのようなものがあるのだろうか。さしあたり思い及ぶのが「健康という義務」(imperative of health)という視角である。これはラプトンがフーコーから採ったもので、彼女は公衆衛生とヘルス・プロモーションについての著作タイトルにこのフレーズを使用している。それによると、健康はたんなる疾病の不在ではなく、もはや一種の道徳的命令ではないかというのである(Lupton 1995)。健康が道徳にずれ込むことで、道徳は身体性に還元されることになる。重層的なコミュニケーションの産物としての社会秩序ではなく、有無を言わさない身体秩序に道徳という社会原理が従属するということだ。健康言説の本質はまさにここにある。
たとえば「成人病」を「生活習慣病」に呼びかえて人びとの健康増進を図ろうとする近年の厚生省のキャンペーンについて佐藤純一は次のように分析している(池田ほか 1999:8-29)。「生活習慣病」はもともと厚生省の行政用語であった「成人病」を「生活習慣」と「予防」を軸に再構成したものであり、厚生省・臨床医学・社会医学の三者の思惑の合致したところに構築された政治的産物である。「生活習慣病」言説は「病気と習慣が関係ある」とするだけではない。それは「病気を引き起こす習慣」と「病気を避ける習慣」をも指示する。このさい健康習慣として指定された要素はまったく恣意的なものであり、言説構築者の古典的な道徳主義がそのまま投影される。そして「病気になったのは、その個人の生活習慣によるのであり、それゆえ病気の責任もその個人にある」という個人責任論が正当化されるのである。その結果、露骨な「犠牲者非難」(victim blaming)がおこなわれ、国家が責任をとるべき外部環境要因がそっくり隠蔽される。
このように、一見もっともらしい国家の保健政策のロジックは、「これって健康にいいんだよ」という食卓の会話にまで浸透し、その結果、まわりまわって人びとの病気体験そのものを道徳的ジレンマにしてしまう。つまり、たんに健康と病気が問題なのではない。それらに言及する言説の総体が現代社会において果たしている構築的役割への懐疑的認識が必要なのである。つまり、それは「批判」でなければならないのだ。
五 健康言説批判——方法論的戦略
■健康は言説である
最後に、「健康の批判理論」の方法論的戦略について確認しておきたい。
そもそも「健康と病いに関する批判社会学的研究」とでもいえばよいものを、あえて「健康の批判理論」と総称するのは、なぜか。それは第一に病気よりも健康という広範な領域に焦点があたらざるを得ない現代的状況が存在するからであり、第二にもはや社会学というディシプリンにこだわる必要がほとんどないと考えられるからだ。社会構築主義は社会学の占有物ではないのであるから。ちなみにコンラッドは「健康と病いの批判的視角」(critical perspectives on health and illness)という言い方をしている(Conrad 1997:4)。私はそれでもよいとは思うものの、短く総称するさいには、あえて「健康の批判理論」という括り方をしたい。その突破口は「健康は言説である」という構築主義的命題として集約的に表現できると考えているからである。突破口は「健康」の方にある。
そもそも健康は「非問題系」すなわち「問題状況の欠如」である(池田ほか 1998)。それゆえ健康は「問題」となる病気や障害などの事態(すでに発生しているにせよ、たんに予想されるだけにせよ)に対して、あくまで「語られるもの」であって、実体があるわけではない。「健康のために」と語りつづけられることで「健康な身体」は社会的に構築される。したがって実在するのはあくまで「健康言説」だけなのである。つまり、健康は言説である。「言説としての健康」ではないのだ。
■健康が語られるとき
現代社会において健康が語られるとき、それがコミュニケーションにおける正当性を満たす言説となるのは、問題系としてのリスク要因が導入されたときである。「健康に対するリスク要因」(health risk)のリストが提示される。このリストにはもちろん病気がふくまれているが、それだけではない。リスクは、朝食を食べないことからオゾン層の破壊にいたるまで無制限に拡大可能な社会的構築物である。そのリストは恣意的であり、それゆえ本質的に政治的でもある。
リスク概念の拡大はそのまま健康概念の脱領域化につながる。つまり、健康はあらゆる生活領域に深くかかわる価値として遍在するようになる。そして、個々のリスク要因が言説としての説得力をもてばもつほど、健康概念は物象化され神格化されるのである。この物象化された層における健康言説がヘルシズムなのであり、それはひとつの宗教的システムというべきである。健康は世俗化された現代の新しい神となる。
リスク回避を名目とするライフスタイルへの道徳的干渉が始まる。フーコーが描き、身体の社会学がそれを引き継いで研究してきたもの、すなわち人びとの身体を貫徹する権力作用の諸相である。「からだにいい」「ナチュラル」「無添加」「スポーティ」「衛生」「清潔」「元気が一番」といった耳障りのよいクリーシェから、「お肌のダメージ」「死の恐怖」「後の祭」といった恫喝に近いクリーシェまで、さまざまな言説が「健康的な生活習慣」を道徳的に正当化し、そうでないものを非難し排除する。そして個人の責任が問われてゆくのである。
こうして「健康な生活とは、健康について語り、健康に好ましいと語られた生活習慣を実行している生活のことである」という自己言及システムが成立する。「健康の批判理論」の理論的課題は、このような健康言説の自己言及的な言説宇宙(universe of discourse)の構造を批判的に解明することである。
この言説宇宙を構築するエージェントはさまざまである。それは科学者であり、マス・メディアであり、政府機関であり、社会運動である。そのエージェントの集合に対してジョナサン・ゲイブは「リスク産業」という用語さえ使っている(Gabe 1995)。公衆衛生的言説も栄養学的言説も、みのもんたの名調子や霊芝実演販売講師の巧妙な口上も、それに対して「買ってはいけない」とする対抗言説も、これら「リスク産業」によって組織的に生産された、いわば消費社会の産物なのである。
■批判的言説分析の可能性
以上のような仮説を手がかりに「健康の批判理論」は、健康言説の力を見極めていかなければならない。言説の類型もさまざまであり、語られ方そのものの多様性にも注意しなければならない。この作業を経験的な手法で実証するのが「言説分析」(discourse analysis)である。ただし、漠然と「言説分析」と呼ぶと、言語学において「談話分析」と訳されて会話の分析技法として紹介されているものもふくまれるので、これらと区別する必要がある。もちろん、問診の分析や医療スタッフ間のコミュニケーションの分析、そして健康に関する人びとの会話を分析するさいには有効な方法であるが、メディアや専門家や政府機関をエージェントとする言説を分析対象とすることの多い「健康の批判理論」と親和性の高い手法として考えられるのは、なかでも「批判的言説分析」(critical discourse analysis)と呼ばれるものである。
批判的言説分析は言説分析のひとつで、すでにジェンダー研究では成果をあげつつあるようである(斉藤 1998; 中村 1995)。ただし、これ自体は定型的な手法をさすものではなく、一定の理論を前提した(それゆえ現状では適用対象がある程度限定されている)分析方法である。具体的場面では他の言説分析の手法を応用する。
フェアクラフとヴォダックによると、批判的言説分析では、話したり書いたりする言語使用を言説と呼び、それを社会的実践の一形式と見る。かれらによると批判的言説分析は八つの理論および方法の原理に基づいているという(Fairclogh and Wodak 1997)。
(1)批判的言説分析は社会問題に力を注ぐ。
(2)権力関係は遍在している。
(3)言説は社会と文化を構築する。
(4)言説はイデオロギー的作業をおこなう。
(5)言説は歴史的である。
(6)テキストと社会とのリンクは媒介的である。
(7)言説分析は解釈的かつ説明的である。
(8)言説は社会的行為の一形式である。
ここで確認できるのは批判的言説分析が社会構築主義ときわめて親和性の高い分析方法であることである。現在はジェンダーやエスニシティなどに好んで応用されているようであるが、健康関連領域においても応用可能性は高いといえそうだ。
■まとめ
これまで見てきたように、「健康と病いの社会学」を中核とする社会構築主義的研究は、従来の公衆衛生学的な医療社会学に対して、「健康の批判理論」として総称できるだけの理論的共通点をもつ。中核には社会構築主義があり、方法論的には言説分析をとる。
「健康の批判理論」とは、この近代社会を柔らかく支配する(その結果として人びとの自発的服従が生じる)「納得の構図」を明晰に分析して批判する反省社会学的営為である。それは「健康な社会」を築くための理論でもなく、まして「健康増進」のための研究でもない。健康を自己言及的構成要素とする現代社会の構造分析である。目的は批判、批判それ自体である。
参考文献
文献の指示法と表記については日本社会学会編集委員会「社会学評論スタイルガイド」(http://www.kyy.saitama-u.ac.jp/‾fukuoka/JSRstyle.html)にほぼ準拠した。ただし、本稿が縦書きであることを考慮して句読点などを一部改変した。
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Burr, Vivien, 1995, An Introduction to Social Constructionism, London: Routledge. (=1997, 田中一彦訳『社会構築主義への招待——言説分析とは何か』川島書店)
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Conrad, Peter, ed., 1997, The Sociology of Health and Illness: Critical Perspectives, Fifth Edition, New York: St. Martin’s Press.
Fairclogh, Norman and Ruth Wodak, 1997, “Critical Discourse Analysis,” Teun A. van Dijk ed., Discourse as Social Interaction, London: Sage, pp.258-284.
Freund, Peter E. S., and Meredith B. McGuire, 1999, Health, Illness, and the Social Body: A Critical Sociology, Third Edition, New Jersey: Prentice Hall.
Fuller, Robert C., 1989, Alternative Medicine and American Religious Life, New York: Oxford University Press. (=1992, 池上良正・池上冨美子訳『オルタナティブ・メディスン——アメリカの非正統医療と宗教』新宿書房)
Gabe, Jonathan ed., 1995, Medicine, Health and Risk: Sociological Approaches, Oxford and Cambridge: Blackwell Publishers.
Gerhardt, Uta, 1989, Idea about Illness: An Intellectual and Political History of Medical Sociology, Hampshire: Macmillan Education.
Gilman, Sander L., 1995, Health and Illness: Images of Difference, London: Reaktion Books. (=1996, 高山宏訳『健康と病——差異のイメージ』ありな書房)
池田光穂・野村一夫・佐藤純一, 1998, 「病気と健康の日常的概念の構築主義的理解」『健康文化』No.4, 財団法人明治生命厚生事業団, 21-30.
池田光穂・佐藤純一・野村一夫・寺岡伸悟・佐藤哲彦, 1999, 『日本の広告における健康言説の構築分析』平成10年度吉田秀雄記念事業財団研究助成報告書.
Kleinmann, Arthur, 1980, Patients and Healers in the Context of Culture: An Exploration of the Borderland between Anthropology, Medicine, and Psychiatry, Berkeley: University of California Press. (=1992, 大橋英寿・遠山宜哉・作道信介・川村邦光訳『臨床人類学——文化のなかの病者と治療者』弘文堂)
Lupton, Deborah, 1994, Medicine as Culture: Illness, Disease and the Body in Western Societies, London: Sage.
Lupton, Deborah, 1995, The Imperative of Health: Public Health and the Regulated Body, London: Sage.
中河伸俊, 1999, 『社会問題の社会学——構築主義アプローチの新展開』世界思想社.
中村桃子, 1995, 『ことばとフェミニズム』勁草書房.
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園田恭一・川田智恵子編, 1995, 『健康観の転換——新しい健康理論の展開』東京大学出版会.
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Wright, Peter and Andrew Treacher eds., 1982, The Problem of Medical Knowledge: Examining the Social Construction of Medicine, Edinburgh: Edinburgh University Press.
(のむら・かずお 社会学 http://socius.org)
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英文タイトル
An Introduction to Critical Theory of Health
Kazuo Nomura
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4月 12017

社会学感覚25医療問題の構造

Socius  ソキウス   著作+制作 野村一夫

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社会学感覚
25 医療問題の構造
増補
医療について考え始める
本編では患者論に限定して医療問題をあつかった。ここでは広く医療問題全般について考えるための基本資料を紹介しよう。
向井承子の『病いの戦後史――体験としての医療から』(筑摩書房一九九〇年)。患者の側から見た医療を体験的に、しかも問題を客観的に知ろうとする姿勢に貫かれた医療戦後史。永井明『医者が尊敬されなくなった理由』(集英社文庫一九九五年)は「理由」シリーズの中の一作。話題になった旧作もおもしろいが、これは医者の側から見た医療のさまざまな側面をバランスよく描いているのがよい。患者の視点と医者の視点とを対照させて読みくらべてほしい。
その他、柳田邦男『人間の事実』(文藝春秋一九九七年)で紹介されている数多くの手記を手に取ってみてほしい。この本の前半部は医療系のノンフィクションの紹介にあてられている。
文化現象としての医療
医療は医学や薬学だけの特権的領域ではない。それはすぐれて文化現象である。その視点から医療の文化的社会的側面に関するキーワードを徹底的に網羅した用語集として、医療人類学研究会編『文化現象としての医療――医と時代を読み解くキーワード集』(メディカ出版一九九二年)がある。もちろん事典として使えるが、むしろ「どこからでも読める現代医療入門」といったユニークな本。医療問題を議論する上で欠かすことのできない基本知識を学ぶのに最適だ。
医療社会学
医療社会学についての基本書として二点あげておきたい。黒田浩一郎編『現代医療の社会学――日本の現状と課題』(世界思想社一九九五年)と、佐藤純一・黒田浩一郎編『医療神話の社会学』(世界思想社一九九八年)。前者は、医師・病院・患者・看護婦・製薬業界といった、医療にかかわるさまざまな主体ごとに問題を整理したもの。近代西洋医学を相対化する視点から構成されているのも特徴である。後者は、人間ドック・野口英世・赤ひげ・脳死と臓器移植・不妊治療・ホスピス・インフォームドコンセントについてのステレオタイプ化された言説を「医療神話」と押さえ、それぞれを社会学的に批判したもの。福祉国家の起源を軍国主義時代に求める論文もある。概して歴史社会学ないし社会史的なスタンスから神話を解体するという流れになっている。大ざっぱな医療批判でなく、緻密な議論になっている。
この二点に、学説中心の進藤雄三『医療の社会学』(世界思想社一九九〇年)を加えると、ほぼ日本の医療社会学の現状が把握できる。
最近のイギリス系の社会学では、「医療社会学」から「健康と病気の社会学」への転換が生じている。かつてはもっぱら病院・医師・ナース・薬といった要素を対象としていた医療社会学だが、健康食品や民間療法などの「健康関連問題」も射程に入れなければならなくなり、何よりもライフスタイルという複合的な要素がたち現れてきたからだ。もはや公式の医療制度に属するものだけが「健康と病気の社会学」の対象ではなくなっている。日本の研究も近いうちにそういう流れになってくるだろう。
医学の不確実性
すでに紹介した『医療神話の社会学』を読むと、西欧近代医学が意外に「はりぼて」仕様の、脆弱な基盤しかもたない営みであることがわかる。それが確固たるものに見えるのは、私たちが「近代医学」という神話を信じて制度をこしらえてきたという事実に起因するのだ。医師でもあった中川米造の『医学の不確実性』(日本評論社一九九六年)もそれを主題とした概説書。
そもそも医学の不確実性という問題は、一九七〇年代あたりの精神医学批判から連綿と指摘されつづけてきた。イングレビィ編『批判的精神医学』宮崎隆吉他訳(悠久書房一九八五年)におさめられたコンラッドの有名な論文「逸脱とその社会的コントロールの医学化」がその代表的なものである。さまざまな診断的カテゴリーの応用は、技術的に中立な営みというよりむしろ政治的な営みだというのが批判者の見方である。
ネトゥルトンのまとめ[Sarah Nettleton, The Sociology of Health and Illness, Polity Press, Cambridge, 1995. ]を借りれば、「生体臨床医学」(biomedicine)をメインパラダイムとする西洋近代医学は五つの仮説を基礎としている。
(1)心身二元論(精神と身体は分離して取り扱うことができる)
(2)機械メタファー(身体は機械のように修理できる)
(3)技術的命令の採用(過剰な技術的介入)
(4)還元主義(生物学的変化によって病気を説明して社会的・心理学的要因を無視)
(5)特殊病因論の原則(19世紀の微生物病原説のように、すべての病気がウィルスやバクテリアのように同定可能な特殊な作用因によってひきおこされると考える)
このような生体臨床医学は、この二十年ほどのあいだに多くの批判にさらされてきた。
(1)医学の有効性は強調されすぎてきた。
(2)身体を社会環境的文脈に位置づけるのに失敗している。
(3)患者を全体的人格ではなく受動的対象としてあつかう。
(4)出産を病気のようにあつかう。
(5)科学的方法によって病気の真実を確認していると想定しているが、じっさいにはそれは社会的に構築されたものである。
(6)医学的専門家支配の存続を許してきた。
このような論点をカバーするものとして「健康と病気の社会学」が位置づけられる。医学はたしかに身体の経験科学なのだが、こちらも身体の経験科学であることにはちがいないのだ。
医療人類学
近代医学を相対化し、それに対する各自の信仰的な態度を払拭させるには、非西洋医学の実態を知ることが有効である。その点で医療人類学は大いに参考になる。
医療人類学のデファクト・スタンダートとしては、G・M・フォスター、B・G・アンダーソン『医療人類学』中川米造監訳(リブロポート一九八七年)。人類学ではあるが、西洋世界の医療のところはほぼ医療社会学とほぼ重なる。コンパクトなものでは、宗田一監修、池田光穂『医療と神々――医療人類学のすすめ』(平凡社一九八九年)の「第二部 医療人類学入門」が百ページほどで系統的に概観を描いている。それに対して、波平恵美子『医療人類学入門』(朝日選書一九九四年)は、短いエッセイを積み上げたような入門書。波平の本はどれも読みやすいので、初学者は彼女の本から入るといいだろう。
社会史的研究とフーコー
医療人類学が近代医学に対する空間的比較のまなざしをもたらしてくれるのに対して、時間的比較のまなざしをもたらしてくれるのが社会史的な医療研究である。
クロディーヌ・エルズリッシュ、ジャニーズ・ピエレ『〈病人〉の誕生』小倉孝誠訳(藤原書店一九九二年)はその代表的な研究。理論的には社会構築主義の立場に立った研究である。
この分野の隆盛を導いたのは何といってもフーコーである。ミッシェル・フーコー『臨床医学の誕生――医学的まなざしの考古学』神谷美恵子訳(みすず書房一九六九年)がここでの文脈に一番近い著作であるが、もともとフーコーは精神医学の批判的研究からその思索を始めた人であり、終生、医学的知識の歴史的構築をめぐって思想を展開した。主要著作の解説書としては、中山元『フーコー入門』(ちくま新書一九九六年)が比較的やさしい。
女性と医療
B・エーレンライク、D・イングリシュ『魔女・産婆・看護婦――女性医療家の歴史』長瀬久子訳(法政大学出版局一九九六年)という本がある。原著は二冊あって、それが翻訳では第一部と第二部に編成されているのだが、注目してほしいのは、第二部の「女のやまい――性の政治学と病気」の方だ。典型的なフェミニストのスタイルで論旨は明快。医療においてもまたジェンダー・バイアスの問題が存在することに気づいてほしい。一連の看護婦不足問題も、こうしたジェンダー構造との関係で見ることもできるのではないか。
ヘルシズム(あるいは健康幻想)
お昼時の「みのもんた」の一言で多くの人たちが右往左往する昨今である。「健康にいい」というフレーズはすべてに優先する。それはもはや現代の民俗宗教である。
こういう言い方に違和感のある人は、田中聡『健康法と癒しの社会史』(青弓社一九九六年)のような著作を読んでみるといいだろう。健康法についての図版満載の社会史であるが、そこで描かれているのと大して変わりない言説が現在もマス・メディア上で日々生産され続けており、しかも人びとの大きな支持をとりつけている事実に気づくにちがいない。ヘルシズムは医療文化の非常に大きな部分を占めているのである。小野芳朗『〈清潔〉の近代――「衛生唱歌」から「抗菌グッズ」へ』(講談社選書メチエ一九九七年)も、近代国家の歩みに即して「国家衛生システム」の展開をたどったもの。よく調べてある。
こうした状況に批判的なスタンスから論じた文献としては、イヴァン・イリイチ『脱病院化社会――医療の限界』(晶文社一九七九年)が基本書であるが、アーヴィング・ケネス・ゾラ「健康主義と人の能力を奪う医療化」という基本論文がおさめられた、イバン・イリイチ他『専門家時代の幻想』(新評論一九八四年)にもあたりたい。
このほかにも基本文献は多数あるが、健康概念を対象としている「保健社会学」サイドからの研究書もでている。園田恭一『健康の理論と保健社会学』(東京大学出版会一九九三年)。園田恭一・川田智恵子編『健康観の転換――新しい健康理論の展開』(東京大学出版会一九九三年)。 いずれも公衆衛生学系のテイストの研究書。もちろん論調はかなりちがう。
脳死
一九九七年に臓器移植法が施行され、日本でも「脳死」の概念が制度的な根拠をもつにいたった。あちらこちらでドナーカードが配布され、臓器移植の準備体制も整いつつある。
「脳死の社会学」はまだ形を整えていないが、脳死を社会関係の文脈の中で考える試みは他の分野ですでに始まっている。森岡正博『脳死の人――生命学の視点から』(福武文庫一九九一年)はその代表的な作品。タイトルに表れているように、脳死を抽象的な議論ではなく、あくまでも人のありようとして考えようとする論考である。
もうひとつ注目すべきノンフィクションとして、柳田邦男『犠牲(サクリファイス)――わが息子・脳死の11日』(文藝春秋一九九五年)。柳田は著名なノンフィクション作家で医療ジャーナリズムの第一人者だが、これは当事者としての生々しい手記であり、グリーフワークでもある。家族としての視線とジャーナリストとしての視線の交錯する印象深い作品だ。
病院死
山崎章郎『病院で死ぬということ』(主婦の友社一九九〇年)がベストセラーになり、映画化されたりテレビドラマにもなった。終末期医療が多くの人びとにとって実感のともなうことがらになった、これはそのひとつの証左であろう。エッセイともフィクションともつかぬ語り口をそのまま社会学的思考に組み入れるわけにはいかないが、とりあえず議論の導入として読んでおく必要があるだろう。続編の山崎章郎『続 病院で死ぬということ―そして今、僕はホスピスに』(主婦の友社一九九三年)とともに現在は文春文庫に入っている。
病院死の問題は社会学でも比較的早い時期に研究されてきた。たとえば最近翻訳のでた、デヴィッド・サドナウ『病院でつくられる死――「死」と「死につつあること」の社会学』岩田啓靖・志村哲郎・山田富秋訳(せりか書房一九九二年)は、一九六七年刊行のエスノグラフィである。Barney G. Glaser, Anselm L. Strauss『死のアウェアネス理論と看護――死の認識と終末期ケア』木下康仁訳(医学書院一九八八年)も原著は一九六五年にでた研究書である。いずれも、このテーマについては広く知られているキュープラー・ロスの『死の瞬間』に先行する。
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4月 12017

社会学感覚24社会学的患者論

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社会学感覚
24 社会学的患者論
24-1 医学パラダイムの成果と限界
医学パラダイムの成果
これからますます重みをましてゆくと思われる社会問題のひとつとして医療問題がある。医療はおそらく今後十年間にもっとも変動の激しい社会領域となることが予想され、すでに市民共通の課題として立ちあらわれつつある。そこで本章では、医療社会学および社会医学の成果のうちから、おもに患者に関するものを紹介しつつ、現代の医療が直面する諸問題について社会学的に考えていきたい▼1。
さて、医療活動の中心的役割を担っているのは医師である。医師は近代医学を学んだ者である。近代医学は自然科学の一分野である。これらのことは自明なことのようにみえる。しかし歴史的にみるかぎり、近代医学が医療の中心になったのは、たかだか十九世紀のことにすぎない。そして現在、医療の中軸はふたたび歴史的転機を迎えようとしている。
近代医学は自然科学のパラダイムの上に成り立っている。パラダイム(paradigm)とは、科学者集団が大前提とする〈ものの見方〉を意味する科学社会学上の用語である。たとえば、天動説と地動説、ニュートン力学と相対性理論が代表的なパラダイムである。いわば公理的枠組、学界の常識のことである▼2。近代医学の場合、症候から病理過程にさかのぼって病因を確定するというぐあいに、因果連鎖をさかのぼっていくというのが主要なパラダイムといっていいだろう。こうして疾患名を確定することを「診断」といい、これにもとづいて病因をのぞき、病理過程を正常に修復することを「治療」という▼3。
多くの急性疾患は、近代医学のこのようなパラダイムによる研究と努力によって征服されてきた。たとえば、先進諸国においておもな急性伝染病は駆逐され、かつては死を意味した肺炎や結核なども格段に治療法がすすんだ。このように、その成果を否定することは当然できないし、その意義はいぜんとして大きい。しかし、現在、この医学パラダイムは内外からいくつかの問題に直面している。パラダイムの内部問題と外部問題として整理してみよう。
医学パラダイム内部の問題点
近年の医療批判に「患者不在の医療」「こまぎれ医療」がある。これらは、よくいわれるような「たまたま現代医療が堕落しているからこうなった」といった性質のものではない。いずれも近代医学パラダイム内部から必然的にでてくる問題である。
第一に、近代医学パラダイムは、まず病気と患者を分離して考える。そして病気[疾患]の方を徹底的に分析していくわけである。したがって、医師が科学的であろうとすればするほど、患者の〈人間〉の側面を捨象して〈疾患〉だけを細かくみていこうとする。検査データはなるべく多い方がいいという発想もここに由来するし、教科書的にあつかいやすい〈疾患〉だけをみることになりがちなのはむしろ当然といえる▼4。
第二に、医学パラダイムは他の多くの自然科学と同様、全体を部分に分解してこまかく分析することによって真理に到達すると考える。そして「部分の欠陥を的確に指摘し、巧みに修理すればたちどころに全体としての人間が元通りになるはずであるという信念」に支えられている▼5。その結果、臓器別に診療科が細分化され、部品修理的医療すなわち「こまぎれ医療」へ傾斜しがちになる。現在、東洋医学が人びとの共感をえているが、それは西洋医学のこうした傾向に対して東洋医学が総合性をもつからである。
医学パラダイム外部の問題点
他方、医学パラダイムの外部においても、すっかり状況が変わってしまった。それは疾病構造の変化である。園田恭一のまとめによると、それはつぎのようなことをあらわしている▼6。
第一に、近代医学の進歩によって多くの急性疾患を克服した結果、あとに慢性疾患が残ってしまった。慢性疾患とは、ガン・脳血管疾患・心疾患などのいわゆる成人病である。つまり〈急性疾患から慢性疾患へ〉と疾病構造が根本的に変化した。第二に、社会的要因による傷病が増大している。つまり、交通事故・労働災害・突然死のような不慮の死が一九六〇年代後半以降、死亡順位の第四位か第五位を占めるようになってしまった。第三に、受診者数をみるかぎり精神障害者が高血圧なみに急増している。第四に、高齢化にともなう老人性疾患の増加がある。
慢性疾患・事故・精神障害・老人性疾患へと疾病構造が変化したことによって、これまでの医学パラダイム中心の医療では対応がむずかしくなっている。
まず、慢性疾患の場合、それらは原則的に治らない病気である。だから、病気とうまくつきあいながら一病息災にもちこむ以外にない。そのさい重要なのは患者自身の自己管理である。このとき医療はアドバイザーにすぎない。慢性疾患の場合、ほとんどの患者は社会生活を続行するから、そのなかで生活指導をしていかなければならない。このように、慢性疾患の管理は急性疾患の治療とまったく異なるプロセスになってくる。となると、病因をみつけ病院で集中的に教科書通りの治療をすればかならずよくなるという急性疾患治療の前提はくずれさる。このように、もはや「病気」の概念が伝統的な医学パラダイムをこえてしまっているのだ▼7。
これは老人性疾患の場合もほぼ同様である。従来の医学では老人性疾患に対してしかるべき対応ができなかった。つまり、老人を隔離し寝たきり状態にして濃厚医療をほどこすしかなかったのである。これは急性疾患中心の医学パラダイムからすると当然の処置だったといえよう。しかし、大熊一夫のルポルタージュが示すように、それがいかに人間の尊厳を傷つけるものだったかは想像に絶する▼8。
また、事故による傷病の増加の背景にあるのは、あきらかに社会生活の問題である。これについては多言を要しないだろう。他方、精神疾患もまた社会生活の問題と密接に関連していることは強調しておいてよい。重要なのは、精神疾患の多くのものは他の病気のように身体の病理的変化を前提に「病気」を定義できないという問題である。社会学ではこれを逸脱的な「ラベル」あるいは「役割」と考える立場もあるほどだ▼9。
いずれにしても、自然科学としての医学パラダイムでは処理しきれない局面をこれらはもっている。それを一言でいえば〈プロセスとしての社会生活〉ということである。
慢性疾患・老人性疾患・精神疾患の場合、〈治療〉は社会生活のなかにある。それは〈治療〉というより、〈コントロール〉または〈生活復帰〉というべきプロセスである。それは一方では、原因となった労働条件や生活条件、食事・タバコ・アルコール・運動不足などの生活習慣、人間関係によるストレスなどを改善し、場合によってはリハビリテーションによって生活能力を高めていくプロセスであり、他方では、身体的ならびに精神的障害が社会的差別につながらないような社会環境をつくりあげていくプロセスでもある。つまり、急性疾患の場合のようにただ個人を治すのではなく、社会がそれにあわせて適応するような側面も要請されるということである。
このような〈プロセスとしての社会生活〉に対して、医学パラダイムが対処できないのは当然のことだ。医療と福祉の有機的連関や、医療への社会科学の導入をふくむ「医療の社会化」が求められるゆえんである▼10。
▼1 医療社会学のおもな概説書としてつぎのものがあり、本章でもこれらを参照した。H・E・フリーマン、S・レヴァイン、L・G・リーダー編、日野原重明・橋本正己・杉政孝監訳『医療社会学』(医歯薬出版一九七五年)。七〇年代初頭のアメリカ医療社会学の集大成的な大著。目下、日本語で読める医療社会学文献のうち、もっともくわしく知識量の多いものである。日本の医療を論じたものとしては、園田恭一・米林喜男編『保健医療の社会学――健康生活の社会的条件』(有斐閣選書一九八三年)。より社会学サイドのものとして、進藤雄三『医療の社会学』(世界思想社一九九〇年)。また、医学の側から社会学的視点を導入する「社会医学」系の文献も参照した。一般的なものとして、砂原茂一『医者と患者と病院と』(岩波新書一九八三年)。また中川米造の一連の著作も参照した。
▼2 パラダイム概念の提唱者はクーンである。トーマス・S・クーン、中山茂訳『科学革命の構造』(みすず書房一九七一年)。
▼3 中村隆一『病気と障害、そして健康――新しいモデルを求めて』(海鳴社一九八三年)二〇-三二ページ。
▼4 砂原茂一、前掲書五四ページ以下。
▼5 前掲書七三ページ。
▼6 園田恭一・米林喜男編、前掲書三-五ページ。
▼7 水野肇『インフォームド・コンセント――医療現場における説明と同意』(中公新書一九九〇年)第六章「慢性疾患の生活管理」参照。また、中村隆一、前掲書第五章「慢性疾患の諸問題」を参照のこと。
▼8 大熊一夫『ルポ老人病棟』(朝日新聞社一九八八年)。
▼9 トマス・J・シェフ、市川孝一・真田孝昭訳『狂気の烙印――精神病の社会学』(誠信書房一九七九年)。
▼10 本論では省略するが、医学パラダイムがその限界性を示すもうひとつの重要な問題は「死」である。脳死、臓器移植、ターミナル・ケア、尊厳死などの問題はもちろん医療の問題だが、もはや従来的な医学パラダイムの守備範囲をこえてしまっている。この側面については、文化人類学者の波平恵美子の著作が注目される。これは本来、社会学者がやってよい仕事である。波平恵美子『脳死・臓器移植・がん告知――死と医療の人類学』(福武文庫一九九〇年)。波平恵美子『病と死の文化――現代医療の人類学』(朝日選書一九九〇年)。また「死の社会学」の古典的研究として、有名な「死のポルノグラフィー」をふくんだ、ジェフリー・ゴーラーの『現代イギリスにおける死と悲嘆と哀悼』がある。これはつぎのタイトルで邦訳されている。G・ゴーラー、宇都宮輝夫訳『死と悲しみの社会学』(ヨルダン社一九八六年)。
24-2 病者役割と障害者役割
病気と障害の混同
医学パラダイムの限界として提示したことを別の局面からみると、病気と健康の対概念のあいだにもうひとつの大きなカテゴリーが広がっていると考えることができる。それは〈障害〉である。いわゆる病気でもなく健康でもない――あるいは病気でもあり健康でもある――〈障害〉の領域が今日決定的に大きな意義をもつようになっている。
これに対して、伝統的な医学パラダイムでは、病気と障害の区別、そして病者と障害者の位置づけがはっきりしていなかった。従来の慢性疾患や老人医療において処置が不適切な場合が多かったのはこのためである。またこれに呼応して一般の人びとも両者を混同している▼1。
そこで必要なのは、現代の疾病構造に対応して、病気と障害、病者と障害者の概念をはっきりさせていくことである。これまで医学・リハビリテーション医学・社会医学・看護学・社会福祉論・医療社会学などさまざまな分野の論者がこの概念の区分をしているが、おどろくことに、その多くは共通して伝統的な社会学の役割理論から出発している。ここでそれらの議論を整理してみよう。
病者役割
議論の出発点になるのは、パーソンズの「病者役割」(sick role)概念である▼2。かれによると、病者役割は四つの側面から構成される。まず第一に、病者は正規の社会的役割を免除される。その免除の度合いは病気の程度によって異なり、医師はそれらを判断し保証し合法化する役割を果たす。第二に、病者は自己のおかれた立場や条件について責任をもたない。つまり、病者はみずから好んで病気になったのでもないし、自分の意志でなおすわけにもいかない。その意味で病者は無力であるから、他人の援助を受ける権利がある。第三に、病者は早く回復しようと努力しなければならない。というのは、そもそも病気は本人にとっても社会にとっても望ましくないものだからである。そして第四に、病者は専門的援助を求め、医師に協力しなければならない。つまり、病者は自分で直すことはできないのだから医師の援助を求める義務があるというわけである。
以上のように「病者」は、一時的に社会的役割とそれにともなう社会的責任や社会的義務を免除された人間であるとされる。つまり、通常の社会的役割を遂行しえない逸脱者と定義される。
パーソンズのこの理念型はたしかに西欧文化にもとづいているが、ある程度は近代社会全般にいえることだと考えられる。それは、学校や企業などの公的な組織においてひとたび病者役割が認められると欠席に正当性があたえられることからもあきらかである。他方、こうした正当性を利用するさまざまな形態がある。たとえば授業をエスケープしたい生徒は学校の保健室というサンクチュアリー[聖域]を利用することができるし、兵役拒否に診断書が使われたり、政治的な意図で病院へ一時避難したりすることもしばしばおこなわれる。スターリン時代の旧ソ連では、生産目標が過大に設定されていたために農民出身の労働者たちは非常に苦しんだ。そこでかれらは積極的に病者役割を認めてもらって(つまり医者から病気と診断してもらって)過酷な労働の義務から免除してもらおうとした。つまり診断書が一種の免罪符の機能を果たした。そのため、政治指導部は医師のこうした診断数を制限したという▼3。
病者役割概念は一種の理念型であるが、人びとが現実に使用する常識的知識にその対応物が存在するのはある程度まではたしかなことだ。患者となった人びとの多くは、病者役割にふくまれた権利と義務を受け入れているし、医師や看護婦などの医療関係者の多くも、患者となった人びとにこのような役割を期待し、自分たちの役割もそれに対応して定義する。また病院の組織文化も、基本的に上記の病者役割を基準に編成されている。つまり、患者はまったく平等に、その主要な社会的役割から一時的に離脱した者として定義される。治療を求めて病院にやってきた人びとに対して、なによりもまず病院がすることは〈社会学的に羊の毛を刈る〉ことである▼4。
慢性疾患などの場合
パーソンズが定式化した病者役割概念の功績は、〈病人である〉ということが自然現象であるとともに、すぐれて社会現象でもあることを明確に示したことである。しかし、そこにはいくつかの問題があった。
そのひとつが前節でのべた慢性疾患・老人性疾患・精神疾患などの増加である。ここではそれらを慢性疾患に代表させて論じることにしたいが、慢性疾患は急性疾患とちがって苦痛のないことも多いし、症状も断続的なことが多い。また〈治療〉も社会生活のなかでおこなわれる。したがって、慢性疾患患者は病気を抱えながらも通常の社会的役割を果たしていくことが多い。こういう人びとを一律に役割から免除することは、それが一時的なものではないがゆえに、本人にとってかならずしも利益とならないばかりか一種の差別となる場合さえ考えられる。ところが伝統的な医療組織では、かれらに対してむりに病者役割を適用してきたきらいがある。その結果、患者の方はそうした病者役割の受け入れに抵抗して「不良患者」となってしまうケースも少なくない。これは老人性疾患や精神疾患にも大なり小なりいえることである。
では、どう考えればよいのだろうか。
障害者役割
慢性疾患患者の心身機能が障害されている場合は、ジェラルド・ゴードンが提唱した「障害者役割」(impaired role)にあてはめてとらえるべきだろう▼5。
ルース・ウーによると、障害者役割とは、第一に「その人の状態がもつ範囲内で、ある役割義務を引き受ける能力や責務のこと」である▼6。当然、障害のある人の行動のレパートリーは制限され、健康者役割[健常者役割]とはちがったものになる。しかし、病者役割のように行動を一時的に制限・免除されはしない。障害者役割にあるのは基本的に能力に対応した役割の修正である。第二に、障害者役割には、能力低下を補う道具的依存がふくまれる。この場合の依存とは、たとえば盲導犬であり補聴器であり車イスであり、あるいはまた血糖値を下げるための特別メニューであって、病者役割にふくまれるような心理的依存ではない。第三に、障害者役割には、自分の状態の共同管理者であることが期待される。医療専門家の生活指導によって自己管理することである。第四に、目下のところ障害者役割には自分自身のPR担当者であることもまた役割期待されている▼7。
中村隆一はリハビリテーション医学系の別の文献を用いて「障害者役割」を定義している▼8。
(1)自己の社会的不利に対して忍耐強く打ち勝つこと。
(2)能力低下に適応すること。
(3)障害されていない身体機能を用いて、能力低下の代償を行うこと。
(4)ある程度まで仕事を行い、社会的に活動性を高めること。
誤解しないでいただきたいが、これは理論の問題ではなく、社会のなかに常識として流通している知識の問題である。つまり、人びとが、慢性疾患にかかった人や老いによって老人性疾患にかかった人をどのようにみるか、どのような人物と定義するか、そして当人はどのように自己を定義して行動するか、これらの人びとのために社会がどのような配慮をするか――このような判断の基準となる〈常識的知識〉が問われているのである。
現代日本では、障害者という類型は、おもに人生初期に障害者になった人に対して適用され、老いや慢性疾患によって人生後期に障害者になった人に対してはあいまいな適用のされ方をしているのではなかろうか▼9。医療組織においても、多くの慢性疾患患者は病者役割と障害者役割の二重性のなかにある。どちらの役割をとるべきなのか、本人・医師・家族が迷っているのが現状である。伝統的な近代医療では、いまなお病者役割を中心に編成されているが、リハビリテーション医学ではすでに障害者役割が中心におかれているようだ。一方、企業組織はあいも変わらず健常者役割中心で、病者役割は一時的なこととして認知されているにしても、障害者役割は組織編成から徹底的に排除されている▼10。そういう意味で現代日本社会は過渡期であり変動期にあると考えられる。その目下の課題は、障害者役割を社会再構成の基本原理にすえることである。
障害の定義
そもそも〈障害〉とはなんだろう。WHO[世界保健機構]の定義をみることにしよう▼11。
障害は、器官レベル・個人レベル・社会レベルの三つのレベルにわけられる。
(1)機能障害(impairment)[障害の一次的レベル]――疾病から直接生じてくる生物学的なレベル。
(2)能力低下(disability)[二次的レベル]――通常当然おこなうことができると考えられる行為が制限されるか、できない状態。
(3)社会的不利(handicap)[三次的レベル]――疾患の結果、かつてもっていたか、当然保障されるべき基本的人権の行使が、制約または妨げられ、正当な社会的役割を果たせないこと。
このように三つのレベルを分析的に区別することによって、障害の本質がみえてくる。たとえば、片足を切断した人の場合、機能障害のレベルでは、ひざから下がないことである。能力低下のレベルは、そのままでは歩けないということだ。そして社会的不利のレベルは、一部の肉体労働やラッシュ時の通勤の困難を理由として会社勤務ができなくなるということに相当する。たいせつなことは、この三つのレベルが自動的に連鎖するとはかぎらないということだ。片足がなくても、車イスや松葉杖を使用して移動することは可能であるし、サッカーはできないにしても座って作業する労働や事務労働については支障はない。
要は、障害と社会環境の関係なのである。かつてヘレン・ケラーが的確に指摘したように「障害は不自由ではあるが不幸ではない。障害者を不幸にしているのは社会である。」つまり、機能障害が能力低下や社会的不利に連鎖するかどうかは、社会の価値観・文化のあり方しだいである▼12。
これまで障害者は「少数派」「例外」と考えられることが多かった。とりわけ産業界・企業組織ではそうだった。しかし、これまでのべてきたように、障害者役割として定義すべき人びとは、じつはけっして「少数派」でもなければ「例外」でもない。むしろそれは一般的なことといっていいだろう。すなわち、疾病構造からいえば、慢性疾患の増大であり、それをふくめて不慮の事故など社会的条件による疾病や障害の増大であり、高齢化による老年性障害の増大の事実としてあらわれている。とりわけ老いの問題は普遍的なものであり、現代社会がそれらを回避してきたことの方がむしろ特殊なのである▼13。
社会福祉の領域はもちろんのこと、医療の領域においても、障害の概念は今後ますます大きな意義をもってくると、わたしは考えている。
▼1 中村隆一、前掲書八-一二ページ。リハビリテーション医学の専門家である中村隆一によると、病気と障害は本来異なるものだが、しばしば混同されるという。たとえば、「脳卒中によって半身不随になった人は、脳血管をはじめとして脳におこった病気が治まった後にも、自分を半身不随の障害者とは考えずに、脳卒中である――いわば病者であると考えることも多い。また脳性麻痺のような障害児の両親も自分たちの子供は病気であると信じて、障害児であるという見方を受け入れない場合がある」という。前掲書九ページ。わたしのみるかぎり、リハビリテーション医学は従来的な医学パラダイムとは異なるパラダイムに立っているようだ。本章で準拠している砂原茂一と中村隆一はともにリハビリテーション医学者である。
▼2 パーソンズ、佐藤勉訳『社会体系論』(青木書店一九七四年)四三二-四三三ページ。なお訳書では「病人役割」と訳されている。
▼3 フリーマンほか編、前掲訳書一一六ページ。W・シュルフター、米沢和彦・嘉目克彦訳『現世支配の合理主義――マックス・ヴェーバー研究』(未来社一九八四年)「医療の正当化問題」三六五ページ。なお、これらの事例はいずれも病者役割の二次的利得(secondary gain)をねらったもので、「逸脱した病者役割行動」と位置づけられる。
▼4 ルース・ウー、岡堂哲雄監訳『病気と患者の行動』(医歯薬出版一九七五年)二〇二ぺージ以下。
▼5 ゴードンのオリジナル論文の翻訳はない。しかし、この概念のくわしい解説と展開については、ウーの前掲書第十章「障害者役割行動」が看護学の立場から論じている。ここでもそれを参照した。この本で提示されている考え方は医療社会学(あるいは看護社会学)でももっと採用されてよいものだと思う。
▼6 前掲書二二六ぺージ。
▼7 前掲書二二五-二二八ぺージ。
▼8 中村隆一、前掲書一九ページ。
▼9 ウーは、おそらくアメリカ社会についてであるが、つぎのようにのべている。「障害者役割行動の多様性やかなりの予測不可能性をまねくもっとも重要な因子は、障害のある人に対して一定の制度化された規範がないことである。病者や障害のない人の動作の基準があるのと同様には、障害者のための統一的で明確な規則はない。」ウー、前掲書二二八ぺージ。
▼10 20-1参照。
▼11 砂原茂一、前掲書一三-一四ページ。
▼12 たとえば、色盲の人は運転免許をとれないが、牧口一二によると、これは信号を色だけで区別させている現行の信号システムが悪いという。信号を丸だけではなく、赤信号は四角青信号は丸、黄色は三角にすれば、問題はかんたんに解決する。それだけの配慮と社会的負担を社会がひきうけるかどうか、問題はそっちにある。牧口一二「日常生活における障害者への差別語」生瀬克己編『障害者と差別語――健常者への問いかけ』(明石書房一九八六年)八九ページ。
▼13 大野智也『障害者は、いま』(岩波新書一九八八年)によると、日本の障害者概念はきわめて小さくとられているという。大野によると、日本の障害者の割合はスウェーデンの八分の一である。これは障害者が少ないのではなく、その概念がきわめて小さくとってあるためである。それは福祉予算圧縮の便法であり、社会福祉に対する考えがあらわれているといえる。一〇ページ以下参照。
24-3 新たな〈医者-患者〉関係
〈医者-患者〉関係のモデル
ここで話を医療現場に戻そう。従来、医療は、医療を受けている人を〈患者〉としてひとまとめにあつかってきたが、これまでの話からあきらかなように、〈患者=病者〉という素朴なとらえ方では現実をみあやまる危険性がでてきた。それにともなって、医療の原型である〈医者-患者〉関係もみなおされなければならない段階にきている。つまり、医療における人間関係を社会関係としてとらえかえすことが必要になってきた。
そのような試みのひとつが、T・S・サスとM・H・ホランダーの「医者-患者関係の三つのモデル」である▼1。
(1)能動-受動の関係(activity-passivity)[親-幼児モデル]
重傷・大出血・昏睡など緊急の場合、患者はなにもできない。理解も協力もできない。だから、医師が患者の「最善の利益」を考えて処置する。
(2)指導-協力の関係(guidance-cooperation)[親-年長児モデル]
患者がそれほど重態でない場合、たとえば多くの急性疾患の場合、患者は病気ではあるが、なにがおこっているかを自分でもよく知っており、医師の指示にしたがう能力も、ある程度の判断を下す能力ももっている。病気をなおすために積極的に医者に協力できる段階である。
(3)相互参加の関係(mutual participation)[成人-成人モデル]
糖尿病や高血圧などの慢性疾患に妥当するタイプ。この場合、患者自身が治療プログラムを実行するわけで、医師は相談にのることによって患者の自助活動を支援するだけである。
サスとホランダーは、それぞれの症状に応じて適切な〈医者-患者〉関係があると考えたようだが、砂原茂一のいうように、これからの医療の基本になるのは、両者がパートナー関係を築く「成人-成人モデル」だといっていいだろう。その理由はすでに説明した通りである。
組織医療と葛藤構造
以上の議論は理念型としては意味があるが、しかし、問題がないわけではない。第一の問題点は、〈医者-患者〉というダイアディックなモデル[二者関係モデル]が、組織医療あるいはチーム医療を中心とする医療組織の実状にあわないことだ。現在、医療組織には薬剤師・看護婦・理学療養士など約三十種の医療関係業種に携わる人びとがいる。医師は別格とはいえ、患者の側からみれば、さまざまな医療関係者のひとりにすぎない。その意味で、組織医療における〈医療者-患者〉の複合的な関係を問い直すことが今後必要だろう。とりわけ組織医療は医療責任の分散を招く傾向があり、一種の集合的無責任が生まれる可能性をもっている▼2。もはや一対一の関係として〈医者-患者〉関係を考えることは現実的でなくなりつつある。
第二の問題点は、どのモデルも医者と患者の役割が相互に補完しあい調和している場合を想定していることだ。しかし、社会関係に葛藤はつきものであり、とりわけ医者と患者のあいだに「期待の衝突」(フリードソン)があるのはむしろふつうのことである▼3。たとえ医療者側が治療共同体としてのまとまりをもっていたとしても、患者側はまったくの白紙状態で医療に関わっていくわけでなく、あらかじめ素人どうしで相談しあい、あらかたの予想を立てたうえで受療行動をおこすことが確認されている▼4。そのため、医療の現場は、医師をふくむ医療者のシステムと、患者をふくむ素人のシステムとの衝突の場となる。価値観の対立・関心のすれちがい・異文化間コミュニケーション――このような葛藤構造を考慮することもまた必要なのである▼5。
以上のように、じっさいの〈医療者-患者〉関係は、第一に複合的であり、第二に葛藤的である。このような関係のなかで、患者のあり方を見直してみる必要がありそうだ。最後にそれについて考えておこう。
▼1 サスはハンガリー生まれの精神医学者で、精神病の存在そのものを否定する反精神病学派の代表的人物。なお、これから紹介するオリジナル論文には邦訳がないので、くわしくはつぎの紹介を参照されたい。砂原茂一、前掲書四五-五〇ページ。米林喜男「医師-患者関係」園田恭一・米林喜男編、前掲書一六五-一八二ぺージ。フリーマンほか編、前掲書二七五-二七七ページ。
▼2 組織の「集合的無責任」については14-4参照。
▼3 前掲書二七八ぺージ。
▼4 これを「素人仲間での参照システム」(lay referral system)という。前掲書二七九ページ。
▼5 このような葛藤構造は具体的に「問診」にあらわれる。問診の現場を観察してみると、医師は積極的に患者の発言をうながしたり打ちきったりしてコミュニケーションを統制する。その結果、患者の〈声〉は抑圧されることが多い。この点については、栗岡幹英「問診分析と社会理論」『現代の社会病理V』(垣内出版一九九〇年)が批判的に紹介している。
24-4 患者の権利
基本構図
これまでの議論から基本構図を再確認することから話をはじめよう。
従来の医学パラダイム主導の医療において、患者は病者役割としてとらえられ、患者の「最善の利益」を知るとされる医師の判断によって治療がなされてきた。患者はあたかも親にしたがう子どものように医師にしたがうのが自明のことと考えられてきた。ところが、病気の主流が慢性疾患など社会性の強いものに移ってきたために、医学パラダイム主導の医療はさまざまな限界を示すようになった。それにともなって、医療者と患者の関係も変化しつつあり、今後は〈成人-成人モデル〉にならざるをえないと予想される。この変動のなかで浮上してきたのは、医療者の専門性と裁量権に対する、患者の自己決定権――要するに自分のことは自分で決めるということ――である。〈医師の専門家支配〉に対する〈患者の権利〉といってもよい▼1。
本来、自由な市民として、わたしたちは自分のことは自分で決定する。またその権利がある。医療もその例外ではないということに、わたしたちはながらく気がつかなかった。しかし、慢性疾患や老人性疾患などのように、病者役割よりも障害者役割の方があてはまる病気へと疾病構造のシフトが移動することにともなって、このような意識は過去のものとなる可能性がでてきた。つまり、慢性病患者あるいは障害者は、自分自身のライフスタイルを自分で選択し決定しなければならないのである。その意味で今後、患者の権利の問題はますます重要になるにちがいない。
患者の権利宣言
患者の権利を宣言した文書がでるようになったのは一九七〇年代になってからである。そのおもなものとして、つぎのようなものがある。
一九七一年「精神薄弱者の権利宣言」[国連]
一九七三年「患者の権利章典」[アメリカ病院協会]
一九七四年「病人憲章」[フランス]
一九七五年「障害者の権利宣言」[国連]
一九八一年「患者の権利に対するリスボン宣言」[世界医師会]
このうちアメリカ病院協会の「患者の権利章典」は、この分野の代表的なものであり、ひと通りの内容を備えている。これをみることにしよう▼2。
一、患者は、思いやりのある、[人格を]尊重したケアを受ける権利がある。
二、患者は、自分の診断・治療・予後について完全な新しい情報を自分に十分理解できる言葉で伝えられる権利がある。そのような情報を[直接]患者に与えることが医学的見地から適当でないと思われる場合は、その利益を代行する適当な人に伝えられねばならない。患者は、自分に対するケアを調整(コーディネート)する責任をもつ医者は誰であるか、その名前を知る権利がある。
三、患者は、何かの処置や治療をはじめる前に、知らされた上の同意(informed consent)を与えるのに必要な情報を医者から受け取る権利がある。緊急時を除いて、そのような知らされた上の同意のための情報は特定の処置や治療についてだけでなく、医学上重大なリスクや予想される障害がつづく期間にも及ばなくてはならない。ケアや治療について医学的に見て有力な代替の方策がある場合、あるいは患者が医学的に他にも方法があるなら教えてほしいといった場合は、そのような情報を受け取る権利を患者はもっている。
四、患者は、法律が許す範囲で治療を拒絶する権利があり、またその場合には医学的にどういう結果になるかを教えてもらう権利がある。
五、患者は、自分の医療のプログラムに関連して、プライバシーについてあらゆる配慮を求める権利がある。症例検討や専門医の意見を求めることや検査や治療は秘密を守って慎重に行われなくてはならぬ。ケアに直接かかわる医者以外は、患者の許可なしにその場に居合わせてはならない。
六、患者は、自分のケアに関係するすべての通信や記録が守秘されることを期待する権利がある。
七、患者は、病院がそれをすることが不可能でないかぎり、患者のサービス要求に正しく答えることを期待する権利がある。病院は症例の緊急度に応じて評価やサービスや他医への紹介などをしなくてはならない。転院が医学的に可能な場合でも、転院がなぜ必要かということと転院しない場合どういう代案があるかということについて完全な情報と説明とを受けた後でなければ、他施設への転送が行われてはならない。転院を頼まれた側の施設は、ひとまずそれを受け入れなくてはならない。
八、患者は、かかっている病院が自分のケアに関してどのような保健施設や教育機関と連絡がついているかに関する情報を受け取る権利をもっている。患者は、自分を治療している人たちの間にどのような専門職種としての[相互の]かかわり合いが存在するかについての情報をうる権利がある。
九、病院側がケアや治療に影響を与える人体実験を企てる意図がある場合は、患者はそれを通報される権利があるし、その種の研究プロジェクトヘの参加を拒否する権利をもっている。
一〇、患者は、ケアの合理的な連続性を期待する権利がある。患者は、予約時間は何時で医者は誰で診療がどこで行われるかを予め知る権利がある。患者は、退院後の継続的な健康ケアの必要性について、医者またはその代理者から知らされる仕組みを病院が備えていることを期待する権利をもつ。
一一、患者は、どこが医療費を支払うにしても請求書を点検し説明を受ける権利がある。
一二、患者は、自分の患者としての行動に適用される病院の規定・規則を知る権利がある。
以上が「患者の権利章典」である。つぎに一九八一年の「リスボン宣言」をみることにしよう。訳文は丹羽幸一による▼3。
一、患者は自分の医師を自由に選ぶ権利を有する。
二、患者は何ら外部からの干渉を受けずに自由に臨床的および倫理的判断を下す医師の治療看護を受ける権利を有する。
三、患者は十分な説明を受けた後に治療を受け入れるか、または拒否する権利を有する。
四、患者は自分の医師が患者に関するあらゆる医学的な詳細な事柄の機密的な性質を尊重することを期待する権利を有する。
五、患者は尊厳をもって死を迎える権利を有する。
六、患者は適当な宗教の聖職者の助けを含む精神的および道徳的慰めを受けるか、またはそれを断わる権利を有する。
インフォームド・コンセント
患者の権利をうたった宣言に共通する要素として、プライバシーの尊重の原則があるが、それとともに重要なのは「知る権利」である。とくに「知らされた上の同意」と訳された「インフォームド・コンセント」が重要な意義をもつ▼4。
インフォームド・コンセントはもともと、新薬の試験や人体実験など患者を医学的研究の対象とするときの原則として成立した概念だが、今日では患者中心の新しい医療の原則として注目されている。インフォームド・コンセントとは「ヘルス・ケアの提供者が単に患者の同意を求めるだけではなく、医療を行う側と患者との間で、医療の内容を明らかにした上で、十分な討議をするプロセスを通じて、十分な説明を受け理解した上で患者の同意を得るようにするということ」だ▼5。
「十分な」ということが重要で、あくまでも患者との自由なコミュニケーションを徹底させることに主眼がおかれているのがわかる。ジャーナリズム論で論じたこととまったく同じロジックである。ここでも、機能一点張りのシステム合理性に対して、理解と納得などのコミュニケーション独自の合理性がめざされている。今後の医療のすすむべき方向性はここにある。
▼1 専門家支配については22-2参照。
▼2 砂原茂一、前掲書一五〇-一五一ページによる。また、水野肇『インフォームド・コンセント――医療現場における説明と同意』三〇-三三ぺージにも全文が紹介されている。なお[]は砂原の補足。レイアウトの都合上、引用を示すカギは省略した。
▼3 丹羽幸一『よい病院わるい病院』(晶文社一九八六年)二〇二-二〇四ページ。レイアウトの都合上、引用を示すカギは省略。
▼4 「インフォームド・コンセント」は「説明と同意」とも訳される。一九九〇年に水野肇の前掲書が出版されることによって広く知られるようになり、一般にも「インフォームド・コンセント」で通じるようになった。
▼5 一九八三年の「アメリカ大統領委員会・生命倫理総括レポート」の定義。水野肇、前掲書五一ページ。
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4月 12017

社会学感覚23薬害問題の構造

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社会学感覚
23 薬害問題の構造
23-1 日本の薬害問題
社会問題としての薬害
社会問題の社会学的例題として薬害問題をとりあげてみたい。その理由は三つある。ひとつは、薬害は、わたしたちにとって身近な問題となる可能性が高いこと。すくなくともその問題性をおさえている必要がある。ふたつめは薬害が社会問題としてのさまざまな特性と構造をすべてもっていること。その意味で薬害は社会問題の例題として学ぶべきことが非常に多い。そして第三に、薬害の社会学的問題構造をあきらかにしたすぐれた先駆的研究が存在すること。宝月誠編『薬害の社会学――薬と人間のアイロニー』がそれである▼1。本章では、この研究の開示する社会学的な問題性を、わたしなりに解きほぐして、現代日本になぜこのような社会問題が生じてきたのかを考えていきたい。まず、日本の代表的な薬害問題を概観しておこう。
サリドマイド事件
一九五七年西ドイツのグリュネンタール社が睡眠薬「コンテルガン」として販売を開始し、翌年日本でも大日本製薬が睡眠薬・つわりの防止薬「イソミン」として、さらに一九六〇年には胃腸薬「プロバンM」として販売した一連のサリドマイド剤によって、多くの四肢奇形児が生まれた事件。薬害の原点ともいわれ、日本人にとってほとんど最初の大型薬害経験といえる。一九八一年の段階で日本の生存被害者は三〇九人、世界で生存被害者総数は約三七〇〇人といわれる▼2。
当時各地で誕生していた四肢奇形児とサリドマイド剤の関係が明確に指摘されたのは一九六一年である。一一月一八日ハンブルク大学のW・レンツがデュッセルドルフの小児科学会で〈あざらし状奇形児〉の原因がサリドマイド剤にあると発表した。かれはその前に、西ドイツの販売メーカーであるグリュネンタール社に警告したが拒否されていた。
一一月二六日になって「ヴェルト・アム・ゾンターク」紙が、グリュネンタール社のサリドマイド剤「コンテルガン」を名指しして報道すると同時に、グリュネンタール社は「コンテルガン」を市場から回収し、ヨーロッパ各地のサリドマイド剤もつぎつぎに回収された▼3。
一二月五日になってグリュネンタール社の勧告が大日本製薬にとどき、翌日厚生省と大日本製薬がレンツ警告について協議した。ところが「有用な薬品を回収すれば社会不安をおこす」として販売続行を決めてしまう。
翌一九六二年二月二二日「タイム」誌がサリドマイド被害の記事を掲載するが、このようななかでその前日の二月二一日厚生省は亜細亜製薬のサリドマイド剤「パングル」に製造許可をあたえている。三月と四月になって製造販売をやめない大日本製薬に対してグリュネンタール社が警告を発している。五月一八日「朝日新聞」が、西ドイツのサリドマイド被害についてのボン支局の報告を報道したことによって、日本のジャーナリズムがいっせいに動きだしたため、「報道による混乱を防ぐため」として、サリドマイド剤を販売していた製薬各社がこの五月に出荷停止を厚生省に申し入れた。ところが、これはあくまで「出荷停止」にすぎず、すでに出荷された在庫品はそのまま薬局で売られていた。
やがてイギリスの医学誌「ランセット」七月二一日号に北海道大学の梶井正が、〈あざらし状奇形児〉七例の母親のうち五人がサリドマイド剤を飲んでいたとの論文を発表し、地元の研究会でも報告したことが報道され、九月一三日になってようやく回収にふみきることになる。しかし、この回収措置は不完全なもので、地方の薬局には「イソミン」の在庫があったという。
そして告訴から一九七四年の和解まで「十年裁判」と呼ばれる長い闘いが被害者と家族に待ち受けていた。
スモン事件
「スモン」とは「亜急性」「脊髄視神経」「神経症」の三つのラテン語の頭文字SMON(Subacute myelo-optico-neuropathy)に由来する▼4。下半身から始まる神経のマヒによって歩行困難となり、やがて視力障害にいたる。全盲になる場合も多かった。一九五五年以来出現したこのような原因不明の複合的症状にスモンという名がつけられたのは、患者数が爆発的増加に転じる直前の一九六四年だった。その後一九六〇年代のスモン患者は厚生省調べで約一万一千人にのぼった。
ところが当時、スモンの原因はウィルスと考えられていた。最初に「スモン感染説」がでてきたのは「スモン」と命名された一九六四年の日本内科学会シンポジウムだった。ここでウィルスによる伝染性疾患のため患者を隔離する必要があるとの指摘がなされた。スモンの原因については当時、代謝障害説やアレルギー説などもあったが、なかでも「スモン感染説」は医学界の有力な見解として地方自治体や一般市民に受け取られ、各地で患者への差別を生みだした。患者に接触すると感染するというので、スモン患者が医療者から敬遠されたり、患者の家族が学校・親戚・地域社会などから排除される――つきあってもらえないとか縁談とりやめなど――ことが多くなった。患者と家族の苦悩は二重三重となり、多くの自殺者が続出し、その報道が苦悩を増加させた。
一九六九年、厚生省は「スモン調査研究協議会」を設置し、ようやく国として原因究明にのりだす。一九七〇年二月「朝日新聞」などが京都大学の井上幸重の「ウィルス感染説」をとりあげ大々的に報道し、スモン患者に衝撃をあたえることになる。しかし、なぜ看病する患者の家族に感染しないのかという素朴な疑問はそのまま放置されつづけた。
同じ年の五月、スモン調査研究協議会のメンバーである東京大学の田村善蔵が患者の緑尿から、整腸剤として治療に使われてきたキノホルムを検出し、それを受けて新潟大学の椿忠雄が疫学調査を実施、その結果を八月「朝日新聞」に伝えた。こうして「スモン=キノホルム説」が登場した。この「キノホルム説」が完全に確立するのは一九七二年であるが、厚生省はサリドマイド事件の経験から、一九七〇年九月の疑惑段階でキノホルムの使用販売中止の措置をとった。その結果、スモン患者の発生は激減した。
ここから一九七九年に確認書和解によって一応の到達点をえるまでの長い道のりがはじまる▼5。ともあれ終わってみると、スモン事件は、キノホルムによるスモン中毒患者すなわち被害者が一万人をはるかに超える世界最大の薬害事件だった。
クロロキン事件
クロロキンはもともとマラリアの特効薬として太平洋戦争末期にアメリカ軍が使用していた薬だが、これを「レゾヒン」として輸入販売していた武田薬品工業の子会社吉富製薬が一九五八年に適応症を腎炎に拡大、さらに一九六一年小野薬品が慢性腎炎の特効薬「キドラ」として大量に宣伝販売することによって、同年からおもに腎臓病患者にクロロキン網膜症という眼障害をひきおこした大型薬害事件▼6。クロロキンを慢性腎炎に適用したのは日本だけであり、したがってクロロキン製剤による薬害事件が生じたのは日本だけである。
クロロキンが視覚障害の副作用をもつことは、日本で大量販売される以前にすでにアメリカでは知られていた。日本でも「キドラ」発売の翌年にクロロキン網膜症の報告がだされている。アメリカではこの年FDAがクロロキンの有害作用警告書を医療機関に配布するよう要求し、製薬会社は二四万通の警告書を発送している。しかし、同じ年の日本では新しいクロロキン製剤「CQC錠」が販売開始される。しかも副作用を逆手にとって広告していた。医学雑誌に掲載された広告には「非常に毒性が弱いので大量・長期投与に適す。従来のクロロキン製剤では相当高率に副作用(主として胃腸障害稀に神経障害、網膜障害)が現われるが、CQC錠では稀に軽度の一過性の胃腸障害を認めるに過ぎない」とある。
一九六五年、当時の厚生省薬務局製薬課課長の豊田勤治は、リューマチのためたまたま「レゾヒン」を飲んでいたが、クロロキン網膜症の情報をえて、自分だけ飲むのをやめた。これはたまたま裁判の過程で明らかになったことだが、もしこの段階で適切な措置をしていれば被害の八割は防げたという。
一九七一年になって、被害者のひとりが厚生大臣に直訴し、それを朝日新聞が報道したことによって、はじめてクロロキン薬害が社会問題として知られるようになり「クロロキン被害者の会」が結成される。そして、その後の世論の盛り上がりによって一九七四年クロロキンは製造中止になる。
その他の薬害問題
サリドマイド、スモン、クロロキンの三つの事件以外にも日本には多くの薬害が社会問題になってきた。有名な事件を四件だけ補足しておきたい▼7。
日本で薬害という概念が定着するのは、スモンのキノホルム説が確立して以降のことだが、じつはサリドマイド事件以前にも大きな薬害事件が起きている。一九五六年に問題化した「ペニシリン・ショック」がそれである。東京大学法学部長の尾高朝雄がペニシリンを注射された直後にショック死したことが問題化のきっかけとなった。しかし、その年までの四年間に、すでに一〇八人がショック死していたのである。
一九六五年二月には「アンプル入りかぜ薬」によるショック死が続出し、大きな社会問題になった。数年前からこのときまでの死亡者は計三八人。これはマスコミが連日大きく取り上げたため、厚生省はすぐに販売自粛通知をだし、その後回収を要請した。このすばやい厚生省の対応によって、製薬企業は何十億円の損害をだしたといわれる。この直後、厚生省側は製薬企業側に陳謝している。この事情が、当時まだ一般には知られていなかったクロロキン網膜症についての厚生省の対策を遅らせることになった。
一九六九年末には「コラルジル中毒」薬害が新潟大学の若手医師たちによって公表された。裁判上の被害者は少数だが、肝臓障害として現れるため実数ははっきりしない。一説によると総被害者は数万人以上ともいわれる。もし明確な対策と調査がおこなわれていたら超大型の薬害事件になったかもしれない。コラルジルは心臓病の薬として販売されていたが、その副作用は以前から知られており、製薬企業はこれを隠していた疑いがある。
最後に現在進行形の問題を。それはインフルエンザ予防接種による薬害である。インフルエンザ・ワクチンの学童予防接種が始まったのは一九六二年、そしてこれが義務接種に改正されたのが一九七六年である。これは日本独自の方法であり、効果が疑われる上に、死亡や障害などさまざまな副作用被害が続出している▼8。
▼1 宝月誠編『薬害の社会学――薬と人間のアイロニー』(世界思想社一九八六年)。本章の多くの論点はこの研究にもとづいている。きわめて高度な内容をもち、豊富なデータと手記に対する分析には共感するところが多い。工業化学・薬学・医療に携わる人には熟読をすすめたい。また、これとともに、薬学サイドからの研究として、高野哲夫『戦後薬害問題の研究』(文理閣一九八一年)を基本資料として参照した。高野は「社会薬学」を提唱しており、薬の社会的側面の研究を薬学にもちこむべきだと主張している。
▼2 事件の詳細についてはつぎのものを参照した。宮本真左彦『サリドマイド禍の人びと――重い歳月のなかから』(ちくまぶっくす一九八一年)。川名英之『ドキュメント日本の公害第三巻薬害・食品公害』(緑風出版一九八九年)第三章。高野哲夫、前掲書。砂原茂一『薬 その安全性』(岩波新書一九七六年)。
▼3 アメリカではサリドマイド剤は製造許可されなかった。これは食品薬品局FDAのフランシス・C・ケルシー担当官がサリドマイド剤の安全性に疑問をもちその販売に抵抗したためだった。その事情は一九六二年七月一五日に「ワシントン・ポスト」紙が内幕を発表してはじめて明らかになった。このことがきっかけになって、同年、薬の有効性を問い直すキーフォーバー・ハリス修正薬事法が成立した。まさに日本と正反対の経過をたどった、このあたりの事情については、M・シルバーマン、P・R・リー、平澤正夫訳『薬害と政治――薬の氾濫への処方箋』(紀伊國屋書店一九七八年)八一-八三ページ。
▼4 事件の詳細については、おもにつぎのものを参照した。高野哲夫、前掲書。川名英之、前掲書第一・二章。
▼5 スモン訴訟の社会学的分析として、栗岡幹英「薬害における逸脱と裁判」宝月誠編、前掲書所収。
▼6 事件の詳細については、つぎのものを参照した。高野哲夫、前掲書。川名英之、前掲書第四章。後藤孝典編『クスリの犯罪――隠されたクロロキン情報』(有斐閣選書一九八八年)。谷合規子『危ないインフルエンザ予防接種――薬害列島ニッポン』(潮出版社一九八六年)第二部「薬に目を奪われた人々――クロロキン薬害被害と裁判の記録」。
▼7 高野哲夫、前掲書。後藤孝典編、前掲書。谷合規子、前掲書。
▼8 その他の薬害事件については、高野哲夫、前掲書「1戦後薬害事件の歴史的研究」を参照してほしい。一九八○年までの事件が網羅されている。なおインフルエンザ予防接種については、高橋晄正『危険なインフルエンザ予防接種』(農文協一九八七年)がくわしい。ダイジェストなものとしては、高橋晄正『からだが危ない――身辺毒性学(新版〉』(三省堂一九九一年)IV章を見よ。
23-2 企業逸脱と専門家支配
製薬企業
薬害事件には二種類の大きな組織がからんでいる。製薬企業と国[厚生省]である。薬害訴訟の多くがこの二種類の組織をおもな被告としており、和解の場合をふくめて、両者に非のあるのはあきらかである。そこでまず、製薬企業と厚生省の組織としての問題を明確にしておこう。
まず製薬企業について。すでにみてきたように、大きな薬害事件においてつねに主役を演じているのは製薬企業である。それは事件発生のプロセスにおいてもそうであるだけでなく、長い裁判のプロセスにおいても、またその「過失」があきらかになったのちにおいても、そうである。たとえば、スモン訴訟において田辺製薬がとった悪質な対応ぶりは有名であるし、キノホルムの製造元であるスイスのチバガイギー社は、一万人以上の被害者をだしたのちの一九七〇年に日本が製造販売禁止に踏み切って以降も十数年にわたって第三世界の国々で販売しつづけた▼2。これらの事実は、製薬企業の組織上の性格がもつ問題の根の深さを示している。なぜこのようなことが生じるのだろうか。
企業逸脱
もちろん薬害事件の直接的な要因は製薬企業の利益追求至上主義にあることはいうまでもない。しかし、「より多くの利益を」という構造原理そのものは資本主義の枠組からいうと特殊なことではない。問題なのはその利益のあげ方である。多くの場合、薬害事件は、企業が安全性の軽視という〈逸脱〉した活動によって利益をあげようとしたことに端を発している。このように〈逸脱〉は街頭犯罪のように個人にのみ生じるのではなく、しばしば企業のような組織や集団にも生じる。そして現代日本社会を考えるとき、企業組織の逸脱行為はもっとも重要なファクターのひとつなのである。
宝月誠は薬害を「企業逸脱」の観点から考察している▼3。かれによると「企業逸脱」(corporate deviance)は、つぎのように定義される。要素ごとに分けて示そう。
(1)合法的な企業の成員が
(2)かれらの職務を通じて
(3)企業のためにおこなう活動のなかで
(4)他者から社会的非難をまねく行為▼4
従来の社会学では、サザーランドの一九四九年の著作以来、「企業逸脱」のことを「ホワイト・カラーの犯罪」(white collar crime)と呼んできた▼5。厳密には概念上の相違があるが、ほぼこの流れにある概念である。
企業逸脱の仮説
宝月誠によると、つぎのような場合に企業は逸脱に関与しやすいという。製薬企業の場合に即して整理してみよう▼6。
(1)企業経営者や担当者が環境への対処の必要から、組織能力や現実を無視した企業戦略をあせって実行しようとするときに、企業逸脱の可能性は高まる。――薬害企業の場合、もともと新薬開発に数十億円と十数年を要するリスクの高い技術環境にあり、薬価基準改定など企業環境はきびしい。その環境に対して経営者や担当者に「あせり」が生じ、強引に課題を実行するとき、逸脱行為が生まれやすくなる。
(2)企業組織内の自己規制力が低下してくると、無理な企業戦略が抑制されず、集合的無責任が強化されて、企業逸脱の可能性も増す。――たとえば新薬開発のさい現場担当者の意見が社内の意思決定に反映されるかどうかがポイントとなる。圧殺・形式化・慣行による処理などによって強引な課題実行に対する組織内のチェック[規制力]が働かないときに逸脱が生じやすい。
(3)企業が行政機関の監視や指導や審査能力、あるいは消費者や世論の反作用といった統制環境の能力を低く評価したり、不当とみなす度合が高いほど、企業逸脱に関与する可能性も高まる。――大規模な薬害事件の生じたころの製薬企業は薬事行政や報道などの外部の環境を甘くみていたが、現在はむしろ過敏になっている。しかも、それらを不当とみなす傾向が強いため、戦略的に対処することが多く、みずからをきびしく律する用意は乏しい。
(4)現在の企業環境に満足できない経営者は業務上必要な相手と共謀関係を形成して自分に好都合な環境をつくろうとするが、そのさい、しばしば逸脱的な手段が用いられる。――共謀関係の相手は、たとえば医師であり病院である。逸脱的なサービスによるプロパーと医療関係者の共謀関係は患者の利益を二次的なものにしやすい。また大学の研究者・薬事審議会の委員・厚生省の職員とのパイプを太くしておくことは確実に利益を生む。製薬業界は建設業と並んで使途不明金が多いという事実はこの点と関係がある。
宝月誠によると、薬害に直接結びつく安全性の軽視・無視は、単独で生じるのではなく、他のさまざまな企業逸脱と密接に関わっているという。たとえば「昇進や賃金差別、配置転換の威嚇といった社員への暗黙の圧力は、彼らに実験データを捏造してまでも企業の要請にこたえようとする傾向を生む可能性がある。また、製薬企業のプロパーと医師との不明瞭な金銭やサービスを媒介にした結びつきは、クスリについての正確な情報を伝達したり、副作用情報についての迅速、的確なフィードバックを行なうといった本来のプロパーの役割から逸脱して、もっぱら自社のクスリを大量に『消費』してもらうことだけに集中し、クスリの安全性の問題は二次的なものになる危険性がある。」さらに衛生試験所技官や薬事審議会の有力委員への贈賄やサービスは直接クスリの安全性をおびやかす▼7。
このように分析していくと、日本の製薬企業がふたたび大きな薬害事件を引き起こす可能性は否定できない。その意味では、統制環境が大きなポイントになってくる。
厚生省の問題
企業に対するチェック機能を果たす統制環境としてもっとも有力な存在はいうまでもなく監督省庁である。薬の場合は厚生省薬務局である。この厚生省を中心とする薬事行政のありかたについては、いろいろと問題が多い。すでに紹介した大型薬害事件において厚生省はその本来の役割を果たしていない。また、数々の教訓をえたのちにおいても、厚生省付属の国立衛生試験所・国立予防衛生研究所の所員の収賄事件など管理者側の不正事件が多発していることから、構造はあまり変わっていないとみていいだろう▼8。
まず第一に、製薬企業との癒着構造。これは偶発的なものではなく恒常的かつ日常的なもので「構造」というべきだろう。その典型的なものが「天下り」のシステムである。各省庁ではキャリア組の同期から事務次官がひとりでると他の同期生は勇退する慣習になっていて、かれら高級官僚は再就職の必要に迫られる。「天下り」とは、そのさい関連企業や政府関係の特殊法人[公社・公団・事業団]に各省庁とのパイプ役として就職することである。国家公務員法では離職後二年間は禁止されているが、じっさいには柔軟に運用されており、毎年二百人以上の高級官僚が、在職官庁と関係の深い民間企業に就職し、多くの人が役員として厚遇されている。新薬の審査や安全性の確保を職務とする厚生省薬務局製薬課の課長・課長補佐も代々天下りしている。たとえば、大日本製薬がサリドマイド剤「イソミン」を申請した当時の水野課長は山之内製薬に、次の喜谷課長は中外製薬に、サリドマイド事件でレンツ報告を無視して国内での販売を続行させた平瀬課長は藤沢薬品に、クロロキンが問題になるまえに自分だけ薬をやめた豊田課長は東京医薬品工業協会の常務理事に、それぞれ天下りしている。現在も大手製薬メーカーでは課長補佐クラスを天下りさせて取締役の厚生省担当部長のポストにつけているという▼9。
天下りのシステムがあるかぎり業界との癒着はなくならない。なぜなら、まず第一に、厚生省の現役官僚が、製薬企業や製薬企業団体の役員の肩書きをもつかつての先輩たちと交渉するさいに、厳格な態度で臨むのはむずかしいからであり、第二に、厚生省の官僚が再就職の可能性を考えるかぎり、そうしたOBのいる製薬業界を考慮せざるをえないからである。だれしも自分の近い将来の可能性を狭めたくはないものである。ここでもフォーマルな組織ではなくインフォーマル・グループが現実を動かしているのである。
第二にあげておきたいのは、厚生大臣の諮問機関である中央薬事審議会のあり方である。薬は国が管理するといっても、じっさいには専門家の権威によって統制するわけであり、中央薬事審議会はその中枢にあたる。新薬はここで審査され認可される。ところが、そのもっとも厳正中立でなければならないところで、常識では考えられないことが慣習化されてきた。いわゆる「一人二役問題」である。これは、新薬の研究開発の中心者が中央薬事審査会の委員としてその薬を認可するという事態をさしている。つまり、審査される側と審査する側に同一人物がいるわけである。この問題は一九八一年国会で「丸山ワクチン」問題に関連してはじめて表面化した。そのさい「丸山ワクチン」つぶしで動いたといわれる人物が、先行する免疫療法剤「クレスチン」の研究開発者であり、かつそれを審査する中央薬事審議会委員だったことが判明している▼11。さすがにこれは、国会で問題となった一九八一年に禁止された。このように中央薬事審議会は、たてまえ上公正な第三者機関ということになっているが、第三者性に問題があるといわざるをえない。
専門家支配
これまで製薬企業と厚生省のふたつの組織をみてきたが、このほかにも大学研究者や病院の医師などが薬害の発生に直接関与している。とくに医師は、たとえばスモン訴訟の場合のように、当初は被告とされていたが、のちに投薬証明の必要から法的責任を免責されることが多かった。しかし、直接患者を診る立場にあった医師たちに社会的責任がないとはいえないだろう。
さて、薬害に関与した・関与しうるこれらの人びとはすべて薬の専門家であり、多くの権限が制度的にあたえられているわけである。薬に関するいっさいのこと――そして医療全体――がこれら専門家によってのみ決定されてきた。このような事態を「専門家支配」(professional dominance)と呼ぶ▼12。
医療社会学者でこの概念の提唱者であるエリオット・フリードソンによると、医師のような専門家(専門職)を他の一般の職業と区別する特徴は「自律性」(autonomy)にある▼13。これは、外部に対しては、専門教育とライセンスによって特定領域の独占的な権利をもち、他からとやかくいわれないで自由に活動できることであり、同時に内部に対しては、公共の利益のために倫理的な自己規制をおこなう責任と能力をあわせもっていることである。医師の場合でいうと、患者はもちろん看護婦など他の医療従事者の判断を考慮することなく、独自の裁量で医療行為をおこなうことができる強力な権限をもっており、独自の職業倫理にもとづいて自分たちのことを自分たちでチェックできるということである。ある職業がこのような「自律性」を獲得した状態が「専門家支配」である。
薬害に関係する人びとのうち、製薬企業・大学・国立研究所の研究者たちの世界と、直接患者に薬を処方した医師たちの世界は、ともに「自律性」を保証されてきた「専門家支配」の確立した世界である。平たくいうと、シロウトが口をだせない不可侵領域だった。一般の人びとはだまってかれらのさしだす薬を飲むしかなかった。しかし、多くの薬害事件や新薬開発をめぐるさまざまな不祥事・不法行為は、これらの専門家たちに自己規制能力が欠落している――そこまでいわないまでも不十分だったとはいえよう――ことを物語っている。自己監視ができなければ外部の第三者によるチェックが必要であろう。なんらかの「オンブズマン」(ombudsman)制度が期待されるゆえんである▼14。
▼1 現代組織論の文脈でもこの問題についてふれておいた。14-4参照。
▼2 スモン訴訟の概要については、川名英之、前掲書、第二章。スモン以降のチバガイギー社の行動および第三世界における薬の販売使用の実態については、ダイアナ・メルローズ、上田昌文・川村暁雄・宮内泰介訳『薬に病む第三世界』(勁草書房一九八七年)。
▼3 宝月誠「製薬企業の世界――企業逸脱としての薬害の発生」宝月誠編、前掲書所収。
▼4 前掲書一〇四ページ。
▼5 サザランド、平野竜一・井口浩二訳『ホワイト・カラーの犯罪』(岩波書店一九五五年)。
▼6 宝月誠、前掲論文。
▼7 宝月誠、前掲書、一〇七ページ。
▼8 高杉晋吾『告発ルポ黒いカプセル――死を招く薬の犯罪』(合同出版一九八四年)第一章「疑惑のプロローグ」。
▼9 後藤孝典編、前掲書ならびに水巻中正『崩壊する薬天国――揺らぐ日本の医療を追う』(風涛社一九八三年)二九ページ。
▼10 14-2参照。
▼11 高杉晋吾、前掲書一三七ぺージ以下、一九三ぺージ以下、二五三ぺージ以下。なお、丸山ワクチン問題の全容については、井口民樹『増補版・再考丸山ワクチン』(連合出版一九九二年)がくわしい。ちなみに「クレスチン」は年間売上げ五百億円の抗ガン剤だが、一九八九年厚生省は「単独ではガンに効かない」ことを公式に認めた。
▼12 「専門職支配」と訳す場合もある。
▼13 「専門家支配」については、つぎのふたつの文献を参照した。黒田浩一郎「医療社会学序説(2)――プロフェッショナル・ドミナンス(専門家支配)をめぐって」中川米造編『病いの視座――メディカル・ヒューマニティーズに向けて』(メディカ出版一九八九年)所収。進藤雄三『医療の社会学』(世界思想社一九九〇年)III第四章「医療専門職:医師」。
▼14 「オンブズマン」とは、苦情処理を委任された公的第三者のこと。
23-3 社会的現実構成過程としての薬害認定
スモン被害者の役割変遷
これまで主な薬害事件とその原因となった組織と役割のあり方をみてきた。じつはこれらはすべて〈事後的にみて〉のことであって、はじめから一連の事象が「薬害」「事件」として存在していたわけではない。いずれも被害者自身によるねばりづよい運動――とくに裁判闘争――によって、ようやく「薬害事件」と認定されたものである。被害者による有効な社会運動なしには「薬害事件」は社会的に存在しなかったといっても過言ではない。この事実は社会学的見地からみてもきわめて重要である。この点について、おもに宝月誠編『薬害の社会学』を参考にして考えてみよう。
栗岡幹英はこの研究のなかで、スモン薬害被害者の手記を分析して、キノホルム中毒者がさまざまな役割をへて薬害告発者へ自己形成する過程を共感的に追っている▼1。それによると、多くのキノホルム中毒者はおおむねつぎのような役割を変遷しているという。「すなわち、『健常な社会人』であった主体が、スモンに罹患することによって『スモン患者』の役割を強いられ、やがてキノホルム原因説が社会的に認められて後は『キノホルム被害者』としてふるまい、さらに裁判所への提訴その他の運動に参加することで、『薬害告発者』として自己形成を遂げるのである▼2。」この役割変遷の過程を栗岡論文によってもう少しくわしくみていくことにしよう。
まず、身体の不調があった。身体へと意識が収れんすることによって、それまでの健康な「社会人」という役割が「私秘的生活者」の役割にすりかわっていく。やがてスモン特有の激痛と身体の機能障害(下肢マヒと視力低下)の進行によって「スモン患者」の役割を受け入れざるをえなくなる。他の一般の患者役割と同じように「スモン患者」の役割も一時的なものと考えられ、他者への依存を受け入れるようになる。ところが、それが一時的なものでなく不治の病いであることがわかり、視力などの障害が一線をこえてしまった段階で、このような意味世界は崩壊する。一方ではウィルス説が報道されることによって、かれらは「感染症患者」の役割を押しつけられる。同時に、本人とその家族はともに社会からさまざまな迫害を受けることになる。それは、他人に奇病をうつしてしまう存在として「加害者」役割を家族ともども背負わされたことによるのであるが、その結果として、かれらの多くはウィルス説の受け入れに拒否的にならざるをえなかった。それに対して、しばらくのちにでた「キノホルム説」は、かれらの体験によく合致するとともに「加害者」役割からの解放を意味したため、積極的に受け入れられることになる。こうしてかれらは「キノホルム被害者」の役割を選択的にとることになる。こうなると、かれらは被害者として加害者の存在を意識するようになる。まず医者が想定されるが、やがてその背後の製薬企業とそれを監督する立場にある国[厚生省]そして薬事制度全般へと遡及する。そこで、かれらは一方で「キノホルム被害者」という自己定義を正当なものとして他者の承認をえようと能動的=主体的に運動するとともに、他方で裁判の原告の役割をとることを通じて普遍的な性格をもつ「薬害告発者」へと自己形成していく。このさい目標となったのは、自分たち被害者への補償だけではなく、薬害そのものの根絶である。このことが、「確認書和解」という特殊だが明確な終結を勝ちとる大きな原動力となった▼3。
キノホルム中毒者がその不幸な偶然を最初のきっかけにして、いわば〈人間としての全体性〉を能動的=主体的に生きることによって、潜在化していた一連の事象が「薬害事件」という明確な輪郭をもつ社会的現実として構成されたわけである。
薬害の認定
薬害事件が社会的存在として認定されていく過程には、つぎのような主体が積極的に関係している。
まず第一に、被害者による主体的な社会運動▼4。この場合の「被害者」には家族もふくまれている。おもに裁判を中心とする一連の社会運動なくして、薬事二法成立にいたる改革はありえなかった。ミクロな私的状況とマクロな社会構造を連接する〈社会学的想像力〉をここにみることができる。しかし、その源泉は社会学ではとうていなく、一九六〇年代に水俣などで培われてきた反公害運動のエートスがその源泉となったと思われる▼5。
第二に、ジャーナリズムの媒介。当然、ジャーナリズムなしに世論形成はありえない。薬害問題も例外ではない。しかし、報道する側の意図、報道される側[運動主体]の意図通りに受け取られるとはかぎらない。オーディエンスが別の受け取り方をする場合も多い。スモンの場合、ウィルス感染説の報道が、結果的に被害者の苦悩を増大させた。受け手の保守性・メディアの保守性を考えると、偏見を助長し混乱を招く場合も多い。しかしそれでも、ジャーナリズムが作動しないかぎり、個々の薬害が社会問題として認知されることはありえなかった。その意味で、ジャーナリズムは両義的に関与するといえる。
第三に、判定者としての科学者。田中滋によると、多くの薬害は病気として処理されてしまうという。薬害であることが容易に判断でき、死という重大な結果を伴うものはかえって隠ぺいされやすい。逆に薬害として認定されやすいものは、比較的ゆるやかな速度で死亡などの結果をおこし、なおかつ、症状に特異性があるものである。なぜかというと、ゆるやかであるために因果関係を確定するのがむずかしいこと、そして特異性が医学的関心を呼び、医学会の症例報告がさかんになり、その結果マスコミ報道がなされるからである。サリドマイドもスモンもクロロキンもそうだった▼6。ひとたび問題が明らかになって以降、医学・薬学分野の科学者は判定者として関わっていく。たとえばスモン訴訟では原告被害者側の学者証人として四一人(のべ七一人)の科学者が証言した。他方、被告側にも薬学界の何人かの重鎮も証言している▼7。
第四に、オーディエンスとしての他者。当事者に対して傍観者の役割にある人びとの存在も重要だ。かれらは一貫して傍観者にとどまろうとし、無知・偏見・差別の具体化を担う一方、匿名の世論として問題の社会的認定に関わってくる。また、かれらに対する反作用として被害者が主体的に役割形成を促進せざるをえなかった事情も無視できない。この点では、加害者側の態度についても同様に作用する。多くの場合、製薬会社が被害者救済よりも信頼イメージの維持を優先させるのは、圧倒的多数のオーディエンスの存在を考慮してのことである。つまり、オーディエンスとしての他者は社会的圧力として両義的に問題認定に関わっているわけである▼8。
社会的世界では、物理的世界とちがって、存在そのものが客観的であるとはいえず、共同主観的に構成される。みんなが「ない」といえば、それは〈ない〉にひとしいということだ。したがって、ある問題が〈社会問題〉として存在するためには、以上のようなさまざまな主体によって集合的に定義される過程がどうしても必要なのである。
▼1 栗岡幹英「薬害被害者の意味世界の諸相」宝月誠編、前掲書所収。
▼2 前掲書六〇ページ。
▼3 以上、前掲論文を要約。
▼4 裁判の過程の分析として、栗岡幹英「薬害における逸脱と裁判」宝月誠編、前掲書。
▼5 当然このようなエートスがえられない場合も数多く存在するはずだ。しかし、その場合、ジャーナリストなどの第三者による告発がなければ知られることはない。そのような例として、鎌田慧『ドキュメント隠された公害――イタイイタイ病を追って』(ちくま文庫一九九一年)。対馬における東邦亜鉛の鉱毒事件をあつかっている。
▼6 田中滋「『薬害』の総体的認識に向けて――薬害の顕在化過程の分析」宝月誠編『薬害の社会学』二三五ページ以下。
▼7 高野哲夫、前掲書二四三-二四六ページ。
▼8 したがって非当事者が「知る」こと自体が、重要な抑止力になる。
23-4 知識としての薬
消費社会における薬
M・シルバーマンとP・R・リーは、アメリカ社会における薬の非合理的な使われ方の原因として、以下の五点をあげている▼1。
(1)医者と患者の双方にみられる懐疑心の不足あるいは手ばなしの素直さ。
(2)多くは非客観的で不完全、あるいは誤解を招くような広告その他の薬の宣伝の氾濫。
(3)すぐに役だちしかも客観的な薬の情報の不足。
(4)「有効ではないかも知れないが、害にはなるまい」という例の誤った前提にもとづく、薬の広範な使用。
(5)おなじく一般にひろまっている「病気に薬はつきもの」という信仰。
おそらく薬害大国日本も同様の事情にあると思われる。薬が消費社会におかれ、大量に消費されるとき、その危険性もまた増大する。なんらかの将来戦略が必要だろう。最後に、その方向性をさぐってみよう。
薬の本質
伝統的な生薬と異なり、現代の薬の多くは化学合成物質である。したがって、薬にはまず〈物質性〉がある。そして、その物質は人の身体に投与されて一定の効果をえるための物質である。つまり、これは人間と生理的に関わる物質である。だから薬は〈物質性〉とともに〈生理性〉をもつ。ところが、薬はこれにとどまらない。薬は製薬企業によって大量に生産かつ広告され、医療現場や家庭で大量に消費される。それは国家によって管理され、専門家によって統制される。このプロセスはまぎれもなく社会的なものである。その意味で、薬は〈社会性〉をもあわせもつ▼2。
考えてみれば、薬害は薬の〈物質性〉の問題ではなかった。製造過程で不純物質がまぎれこんだわけではない。薬害は、〈生理性〉を構成する薬理作用・副作用・有害作用の定義の問題に起因しており、それが現場の医療関係者もふくめた一般の人びとに公開されることなく、ごく一部の人びとの利害によって決定されたという〈社会性〉レベルの問題だった。
その要になっているのは〈知識〉である。そもそも薬の本質は、「ある物質を一定の使い方をするとこのような効果がえられる」という知識にある。これがなければ、どんな薬もタダの粉でありタダの水である。したがって、薬の問題は、すなわち薬に関する知識の問題――より正確にいうと「知識の社会的配分」の問題――なのである。
たとえば、クロロキンをマラリアの薬として使う分にはよかったかもしれないが、リウマチ関節炎や腎炎にも有効だとされたために日本ではクロロキン網膜症が大量に発生することになった。適応症・副作用・服用量・服用期間に関する正確な知識が隠ぺいされたか十分研究されないまま、誤った知識が一般に流通してしまった――あるいは意図的に流通させた――ことが薬害の直接的な原因である。
情報公開
知識はつねに〈社会的に〉構成される。薬の〈知識〉も例外ではない。
現代社会において薬についての知識は、製薬会社や厚生省などに関係する一部の専門家によって管理かつ独占されている。すでに説明した〈専門家支配〉は、おもに知識の独占管理にもとづいている。しかし、専門家は、見方を変えれば、利害関係者である。したがって、専門家支配は一見妥当なことのように思えるけれども、現実には利害の介入を招きやすい。そのようななかでは、重要な知識が操作され、また独占される可能性がきわめて高い。したがって、薬害を根絶するためには、なによりも薬に関するあらゆる知識の公開が必要である。
たとえば新薬の場合だと、許可申請データから厚生省の審査過程そして副作用情報などの第一次情報がすべて公開されていることが必要である。そして、じっさいに使用する医師や服用する患者にも、必要とあればいくらでも薬に関するくわしい知識がえられるようなコミュニケーション制度が整備されるべきだろう。かれらには「知る権利」があり、それが行使されることが、薬の知識の独占や操作に対する強力な抑止力になる。
同時に、そのような知識の問題性をいち早く察知し分析する本格的な科学ジャーナリズム・医療ジャーナリズムが必要である。これまでジャーナリズムはシロウトであることを自己正当化してきたきらいがあるが、これでは薬に関する問題にはとても対処できない。より本格的な科学ジャーナリズムの発展を望みたい。
▼1 シルバーマン、リー、前掲訳書二五九ページ。
▼2 高野哲夫、前掲書一ぺージ。
増補
薬害エイズ事件の社会問題化
本書初版発行当時は日本社会が「薬害」ということばを忘れていたころで、現代用語事典にも「薬害」という項目はなかった。もちろん社会学のテキストに薬害の章を設定するというのも異例のことだったと思う。しかし、まさにこの時期に薬害エイズ事件は法廷において裁かれつつあったのである。
初版執筆当時、薬害エイズについての情報は限られていた。系統的なものとしては、毎日新聞の一連の薬害エイズ報道がほとんど唯一のもので、そのため本書では「薬害」の章ではなく「スティグマ論」の中(四三六ページ)で患者差別問題としてだけ取り扱っておいた。当時は原因について自信がなかったからである。
その後、朝の番組などでいちはやく薬害エイズをとりあげていたNHKのディレクターが書いた、池田恵理子『エイズと生きる時代』(岩波新書一九九三年)と、写真家の広河隆一『日本のエイズ―――薬害の犠牲者たち』(徳間書房一九九三年)によって全貌が明らかになってきた。広河隆一の本はその後『薬害エイズの真相』(徳間文庫一九九六年)に文庫化されている。広河には、七三一部隊と日本の医学薬学界の密接な関連について詳しく調べた『エイズからの告発』(徳間書房一九九二年)もある。
一九八八年二月から四カ月間続いた毎日新聞のエイズキャンペーン報道の記録は、毎日新聞社会部『薬害エイズ 奪われた未来』(毎日新聞社一九九六年)にまとめられている。これは、それまでのセンセーショナルな報道とは異なる画期的な調査報道で、今日頻繁に引用されている一九八三年当時についての関係者の発言の多くはここでなされたものである。今から振り返ると、HIV感染の薬害性はじつはこの段階でほぼ明確になっていたといえる[さらに先駆的なものとしては、ルポライターの池田房雄の本がある。池田房雄『白い血液――エイズ上陸と日本の血液産業』(潮出版社一九八五年)]。
以上をコンパクトに整理したパンフレットとして、広河隆一『薬害エイズ』(岩波ブックレット一九九五年)。また、櫻井よしこ『エイズ犯罪―――血友病患者の悲劇』(中央公論社一九九四年)は、事件の関係者の取材がていねいで評判を呼んだ本。HIV訴訟について詳しく述べられている。片平洌彦『構造薬害』(人間選書・農山漁村文化協会一九九四年)は、医学者の立場から薬害の構造を分析したもの。おもにスモン事件と薬害エイズ問題が分析されている。資料性も高い。
薬害エイズとは何か
いわゆる「薬害エイズ」とは、輸入非加熱血液製剤による血友病患者の大規模なHIV感染のことである。輸入非加熱血液製剤とは、主にアメリカから輸入されていた血液製剤で、血友病の治療に使われていた。それ以前のクリオ製剤に対して濃縮製剤とも呼ばれる。非加熱とは文字どおり「加熱処理していない」ということで、そのためにHIVの感染が生じた。血液製剤とは血液から特定の成分を抜き出して白い粉にしたもので、これを蒸留水で溶かして点滴する。血友病とは血液に凝固成分が不足している遺伝病で、男性にしか現れない。日本の患者数は五千人。性感染ルートばかりが強調されてきたエイズだが、日本のエイズは輸入非加熱血液製剤による薬害として始まった。一九八八年二月の段階で日本のHIV感染者の九三パーセントがこの血液製剤被害者だった。当時アメリカではHIV感染者全体の一パーセントほどだったというから、ここに顕著な日本的特徴を見ることができる。
薬害エイズ事件の経過
上記の資料をもとに事件の経過を整理してみよう。和解までの薬害エイズ事件のプロセスは、ほぼ五つの段階に整理することができる。
(1)前史―――血友病治療の歴史
この事件はエイズが登場する前から始まっているといっていい。大量感染の節目に当たる一九八三年当時に専門医たちがなぜあのような行動をとったのかについてのカギはじつはここにある。一九七〇年までの治療はもっぱら輸血によっていたが、クリオ製剤が使われるようになって血友病患者は「ふつうの生活」が可能になった。一九七八年から非加熱の濃縮製剤が導入され、非常にかんたんに治療が可能になる。と同時に、予防投与と家庭療法(自己注射)のワンセットとして濃縮製剤が導入される。
すでにこの段階で問題はあった。クリオ製剤はひとりか数人の血液からひとり分の製剤をつくるが、濃縮製剤は数千人分の大量の血液を一挙に処理するために、大量感染が発生しやすい。じっさい初期からC型肝炎ウィルスの大量感染が生じており、濃縮製剤導入の段階から薬害はすでに始まっていた。
(2)HIV大量感染
一九八二年七月にはアメリカで三人の血友病患者がエイズ発症している。この段階ですでに感染経路として血液製剤が疑われている。一九八三年三月、アメリカ政府は、血液製剤を作っている製薬会社に対して、エイズに感染している可能性のある人たちの血液を使わないように勧告。製薬会社(トラベノール社)は、加熱処理した血液製剤をいち早く開発し製造販売認可される。じつはこれ、もともとは肝炎ウィルス対策として開発されていたものだった。これ以降、アメリカでは加熱血液製剤へ切り替わる。その結果、あまった非加熱製剤が市場を求めて日本に殺到することになる。
日本では、おりしもこの年の二月に血液製剤を使用する家庭療法が厚生省に認可され健康保険で認められたばかりだった。このタイミングが多くの専門医たちの判断を誤らせることになる。つまり、「ようやくここまできたのに」という思いが結果的に安全性軽視の道を選ばせることになる。
当時、非加熱血液製剤に危機意識をもっていたといわれている厚生省薬務局生物製剤課の郡司篤晃課長は、一九八三年六月、エイズ研究班を発足させる。安部英(たけし)帝京大学教授を班長とし、おもに血友病専門医中心の人選だった。とくに血液製剤対策を担当する小委員会は安部門下で構成され、安部英教授の強力な指導に基づいて具体的な対策が講じられる。というよりも、結局何も緊急対策といったものをしなかった。
クリオから濃縮製剤への切り替えと予防投与の普及キャンペーン、そしてHIVの登場、この最悪のタイミングに適切な手を打とうとしなかった専門家たち、それを後押しする利益団体―――こうして血友病患者へのHIV大量感染が生じた。
基本的には、この大量感染は一九八三年から始まり、一九八五年七月に血友病Aの第八因子製剤認可され一九八五年十二月に血友病Bの第九因子製剤認可されるまで続く。しかも、郡司課長の後任にあたる松村明仁課長は、加熱製剤の登場後も非加熱製剤の回収命令をださず、出回っていた非加熱製剤はその後も使い続けられ、感染者をさらに増加させた。
(3)患者差別
あらゆる薬害事件がそうであるように、悲劇は二重三重になって被害者たちを襲う。第一の悲劇は血友病という病気もしくは障害。第二の悲劇はそれを治療するために投与した非加熱血液製剤による肝炎ウィルスとHIVの感染。そしてここから第三の悲劇が始まる。それは「感染する」という畏れから生じる社会的な患者差別である。
本格的なエイズ報道が始まるのは一九八五年三月の「エイズ1号患者」報道からといってよい。朝日新聞はそれを血友病患者であるとスクープするが、その翌々日に厚生省が男性同性愛者を「1号患者」と発表するあたりからである。
そして一九八六年から八七年にかけて、いわゆる「エイズ・パニック」が連続的に生じる。「フィリピンから出稼ぎに来ていた21才の女性が、日本に来る前に受けたエイズの抗体検査で陽性とでた」とのマニラ発共同通信のニュースから始まる「松本事件」。エイズ・女性・売買春とセンセーショナリズムを煽る要素がそろい踏みした。一九八七年一月には神戸で初めて日本女性のエイズ患者が確認されたと報告したことから始まる「神戸事件」。ここでエイズ・女性・売買春に日本人という要素が加わる。ここから多くの日本人はエイズを自分のこととして理解し始めたといえる。一九八七年二月「高知事件」。HIV感染者の血友病患者が交通事故を起こしたのがきっかけで、この人と交際のあった女性がHIVに感染していたことが判明し、しかもその人は別の男性と結婚して妊娠中だったとのニュース。
こうして「感染源としての血友病患者」のイメージが日本社会に無反省のまま蔓延することになる。血友病患者はそれだけで魔女狩りの対象となった。その結果、被害者の人たちは、「被害者」とみなされるどころか、社会にエイズを振りまく「加害者」として排除されることになる。医療機関から診療拒否、解雇、開店休業、さまざまな念書、通園禁止、受験願書受け付け拒否……。あらゆる社会的場面から不当な差別を受けることになる。
(4)HIV訴訟
第四段階は、被害者の人たちが国と製薬会社の責任を求めて東京と大阪で訴訟を起こしたことに始まる。この裁判過程が「薬害エイズ」の存在を広く社会的に認知させることになる。直接的なきっかけは、一九八八年十二月のエイズ予防法成立だった。強行採決された予防法に対して血友病患者団体は反対。それは患者の人権をないがしろしていたものだったからだ。もうひとつは、一九八八年の四カ月にわたる毎日新聞のエイズキャンペーン報道。これは世論づくりに大きく作用したと考えられる。
一九八九年五月、HIV訴訟。一九九四年にはこの訴訟とは別に、安部英帝京大学副学長が殺人未遂容疑で東京地検に刑事告発されている(一九九六年一月に殺人罪に切り替え)。
(5)和解
一九九五年十月、東京地裁と大阪地裁が和解を勧告。基本的には国と製薬会社の責任がほぼ立証されたこと、そして原告の厳しい時間的制約が背景にある。一九九六年一月、就任したばかりの菅厚生大臣が省内に調査プロジェクトを設置し、二月には、長年「存在しない」といわれていたいわゆる「郡司ファイル」が公表される。二月中旬、原告被害者の厚生省前すわり込み、その最終日に厚生大臣が法的責任を認めて被害者に謝罪し、三月確認書をもって和解した。
その後、東京地検は安部・前帝京大学副学長を逮捕。続いて大阪地検はミドリ十字社の歴代社長三人を逮捕、さらに東京地検は松村・元生物製剤課長を逮捕した。
院内感染
富家恵海子『院内感染』(河出書房新社一九九〇年)によって一躍「院内感染」ということばが普及し、一気に社会問題化した。ふつう「院内感染」は薬害には入れないが、抗生物質の過剰な使用が根本的な原因であることを考えれば、これもまた薬害の新しい現象形態である。この本は、夫を院内感染で亡くした妻がその原因を独力で追及していくプロセスを記録したもの。スモン事件の場合も何冊かベストセラーになったが、薬害問題の当事者や家族による手記はどれも心を揺すぶられるもの。それはたんに「お涙頂戴」ということではなく、そこからでないと見えないことがあまりに多いことに気づくからだ。富家恵海子『院内感染ふたたび』(河出書房新社一九九二年)は続編。こちらはその後の対策と背景的分析が主な内容になっている。三冊目の『院内感染のゆくえ』もふくめて、いずれも河出文庫に入っている。
陣痛促進剤
舩橋惠子『赤ちゃんを産むということ――社会学からのこころみ』(NHKブックス一九九四年)は社会学者の本。「誕生日を決める薬」として陣痛促進剤の問題がとりあげられている。今の産科の事故の多くはこの薬がからんでいるところが大きいといわれているが、あまり知られていないのではないだろうか。欧米とくにアメリカではハイリスク分娩にしか使用されていないこの薬が、日本では病院の都合や親の都合で安易に使われているとのこと。今後大きな社会問題になる可能性がある。
専門家支配
薬害問題は専門家支配に落とし穴のあることを物語っている。専門家支配については、その概念の提唱者の本の翻訳がその後でている。エリオット・フリードソン『医療と専門家支配』進藤雄三・宝月誠訳(恒星社厚生閣一九九二年)。これは、次章で問題にする医療社会学のメインテーマでもある。
裁判過程の社会学
薬害問題にかぎらず社会問題はたいてい長い訴訟になる。たとえば予防接種集団訴訟は一九九三年の結審までに二十年かかった。当然、裁判のプロセスではさまざまな社会学的現象が生じるわけで、必ずしも「法の論理」だけで進行するわけではない。
栗岡幹英『役割行為の社会学』(世界思想社一九九三年)は、役割理論に基づいて分析された裁判過程の社会学。前半はスモン事件、後半は免田事件が素材になっている。樫村志郎『「もめごと」の法社会学』(弘文堂一九八九年)は、エスノメソドロジーをとりいれた新しいタイプの法社会学概論。ふつう法社会学という分野は法学者が担当していて、要するに「法と社会」の関係に関する研究という程度のことで、つまり少しも社会学的でないのである。その点、これはまずまず社会学的といえる。
このほかにも、稲葉哲郎『裁判官の論理を問う――社会科学者の視点から』(朝日文庫一九九二年)。有名な冤罪事件である徳島ラジオ商事件の公判記録を心理学者の著者がつぶさに点検し、そのずさんな非科学的「論理」を具体的に批判した本。私たちは裁判が科学的に公正におこなわれていると信じているが、そうとは断言できないようだ。あのころの法学者はいったい何をしていたんだろうか。
日本の裁判制度の組織上の問題については、カレル・ヴァン・ウォルフレン『日本/権力構造の謎(上・下)』篠原勝訳(ハヤカワ文庫一九九四年)の8章「法を支配下におく」が簡明に実態をまとめてくれている。この説明によると「司法の独立」は組織論的には根拠をもたないといえそうだ。
科学報道
薬害事件は科学の最先端で生じる。したがって高度な科学的知識と見識が要求される。しかし、日本の報道機関は他の日本企業と同様にジェネラリスト志向(何でも屋)の人事制度に基づいており、専門分野をもつジャーナリストを育ててこなかった。そのため、薬害事件のような高度な問題になると、とたんに欠陥を露呈する。薬害エイズ事件においても、最後には厚生省バッシングに踊ったメディアは、そのわずか十年ほど前にはエイズ・パニックを起こした当事者でもあるのだ。結局、報道の論調の決定は他のメディアとの関連でおこなわれているわけで、必ずしも科学的な判断と見識によってなされているわけではない。
同様の問題は、公害・原子力・臓器移植・先端医療・宇宙開発などでも指摘されている。事例集として、柴田鉄治『科学報道』(朝日新聞社一九九四年)が実態を教えてくれる。ウォーレン・バーケット『科学は正しく伝えられているか――サイエンス・ジャーナリズム論』医学ジャーナリズム研究会訳(紀伊国屋書店一九八九年)は実務的関心からの議論。
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4月 12017

社会学感覚14現代組織論

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社会学感覚
14 現代組織論
14-1 組織の原理としてのビューロクラシー
よそよそしい組織という経験
集団論であつかうのは「人と人とのつながり」だ。「つながり」といってもいろいろあって、しかも重なりあっているが、本書ではその代表的なものとして組織と家族について考え、これによって現代社会において避けることのできない「人と人とのつながりの〈多層性〉」に関する認識を深めていきたいと思う。
さて、最近のことだが、はじめて大病院の外来に行って、かねてからうわさに聞いていた「三時間待ち三分診療」なるものを体験した。その三時間のあいだ、つぎつぎに患者がさばかれていくのをみながら「ここはさながら工場だ」と思ったものだ。
ようやく順番がまわってきたとき、わたしの前に診療を受け終わったお年寄りの女性に中年の看護婦がテキパキと指示を与えていた。「これから○○へ行って△△検査をしてください。そして□□をもって××してください。それから……」その看護婦はじつにみごとによどみなく一気にいい終えると、くるっと背を向けて急いで診療室に戻ろうとした。わたしは弾丸のように確実なそのことばの連射に感心してしまった。さすがプロだなあ。しかし、つぎの瞬間、それまでじっと話を聞いていたお年寄りは「あの……」と、か細い声で看護婦を追った。そしてこういったのである。「このあとどうすれば……」と。
からだの不調に悩む老女と、患者の治療に貢献したいと願う看護婦――ふたりの女性が大病院外来という組織の構図におかれるとき、コミュニケーションはもののみごとに分断されてしまう。そして、わたしたちが日々経験する〈組織〉とは、じっさいこのようなことである。
わたしたちが保育園や幼稚園に入ったときから小中高大学(あるいは看護学校・専門学校)と、ほとんどの教育は学校組織のなかで経験される。そして、それらの教育が終わってからは、ほとんどの人が、やはりなんらかの組織(行政組織・企業組織など)のなかで働くことになる。組織労働の割合が増加の一途をたどっている今日、これは男性にとっても女性にとっても共通の経験といっていいだろう▼1。そして、老後や引退後は、福祉施設や病院などに関わることが多くなる。このように誕生から死まで、わたしたちは重要な場面を組織のなかで生きるのである。
つまり、現代都市社会においては、かつて家族や親族そして地域社会が担っていた位置を組織が占めるようになっている。したがって、組織について科学的に考えることは今や現代人の必須課題である。
しかし、わたしたちは組織について十分理解しているだろうか。たとえば、小中高校教育において主として学んできたのは「遅刻しない」とか「校則にしたがう」とか「教師や上級生を尊重する」といった〈組織への適応〉であって、そのさい組織そのものについては自明視されている。これは企業や施設についても同様で、通常そのような組織経験が教えてくれるのも結局〈組織への適応〉である。具体的な組織経験が組織そのものの考察にすすむことがあるのは、個人が管理する側になったときだけである。企業組織や経営に関するほとんどのビジネス書がもっぱら管理者の視点から書かれているのはその反映である。
その意味で、組織について科学的に考察することは、社会生活経験のこの主要舞台について、自分の具体的経験とは異なる視点から反省する契機となるはずで、明識を高めるためにもぜひ必要なことだと思う。
組織とはなにか
人と人とがつながりをもつ形式には、家族・親族・コミュニティ・組織・ネットワーク・交換などさまざまなものがある。組織はこうした〈つながり〉のひとつにすぎない。だから、人が集まればすぐ組織ができるのではない。人が集まってさしあたりできるのは「集団」(group)である。集団のなかで、とくにつぎのような特徴をもつものを「組織」(organization)と呼ぶ。
(1)特定の明確な目標をもつこと
(2)目標を実現するために、地位と役割の分化がすすんでいること
(3)その結果、非人格的な主体としてみなされること
第一に、明確な目標をもつことは、組織の存立基盤が、目標達成のための協働にあることを示している。組織とは目標達成のための協働の形式である。第二に、組織は役割のシステムである。組織を具体的に構成しているのは生身の人間であるが、組織の見地からみると、組織の直接の構成要素は役割であり、その凝固した形式としての地位である。第三に、組織は複合的な主体である。あえて「複合的」というのは、組織そのものが主体とみなされるだけでなく、組織内のさまざまな部署もまたそれなりの主体として存在するし、当然ひとりひとりの構成員も主体だからである。
集団一般にも役割と地位の分化はあるが、たぶんに不明確で曖昧かつ流動的で、しかも特定の個人と密着している。たとえば、集団の原初的段階の例として、こどもの遊び仲間を考えてもらえばいい。ここでも「リーダー」[ガキ大将]や「子分」や「お調子者」といった役割が自然発生的に分化してくる。しかし、そうした役割はひとりひとりの個性と密接に関連しており、しかも流動的である。それに対して、組織の方は、役割が人為的に編成され、地位として明確化・固定され、特定の人物と切り離されている。しかも、個人と役割-地位の関係は人事による任命という手続きを必要とし、徹底的に人為的・意図的である。こうなって、ようやく組織と呼ばれるものになる。組織というのは、だから程度概念であり――ここでジンメルのいい方を借りると――わたしたちは〈組織〉ではなく〈組織化〉について語るべきなのだ。
ビューロクラシーとはなにか
では、組織を形づくっている基本原理はなんだろうか。近代社会における、ありとあらゆる大規模組織に、程度の差はあれ、かならずみられる組織原理、すなわち行政機構・企業・労働組合・政党・医療機関・教育機関・宗教団体などを形づくるもの――それは「ビューロクラシー」[官僚制](bureaucracy)である。
マックス・ウェーバーの分析を参考にいくつかの特徴を列挙してみよう▼2。
(1)非人格性[即物性]――個人的感情や情緒などの非合理的な要素をいっさい排除する。
(2)専門人――その直接的な担い手は専門人であり、これは専門的な訓練を受けて事務処理をおこなう人間のこと。専門教育と登用試験がポイントとなる。
(3)規則・手続き・文書による処理――計算可能性が高く(予測しやすい)能率的・合理的である。
テーラー・システム
このようなビューロクラシーの原理は、二十世紀になって、さまざまな組織にもちこまれた。そのひとつの展開形態として位置づけておきたいのは「テーラー・システム」(Taylor system)である。これは工場組織の展開例である。
テーラー・システムは、工場内の工程のすべての手順を細かく分解し、最良の効率をみつけだして、だれもが――つまり熟練労働者でなくても――かんたんにできるように科学的かつ計画的にセッティングする「工場の哲学」であり「科学的管理法」である▼3。
支配の一形式としてのビューロクラシー
組織におかれた人間の行動は、管理者によって定められた規則に準拠したリジッドな役割行動となる。それは一種の非人格性を帯びる。近代組織特有のこの組織原理を今世紀初めにウェーバーは「官僚制的支配」と名づけた。それはもっとも合理的で計算可能性の高い能率的な〈支配〉である。〈支配〉といっても人びとを暴力的に屈服させることではない。それはなんらかの形で人びとの自発的服従がえられるチャンス[可能性]をさしている。つまり組織における役割行動とは一種の〈自発的服従〉なのである。近代組織の構造原理としてのビューロクラシーを〈支配〉の一形式とみたところにウェーバーの感覚の鋭敏さがあった▼4。
このような〈自発的服従〉がもっとも典型的に経験されるのは病院や学校のような〈施設〉である。とりわけ、監獄や入院病棟や老人ホームなど個人の生活を丸がかえでつつみこんでしまうような施設である。社会学ではこれを「全制的施設」(total institution)と呼んでいる▼5。このような施設に収容された者は、それまでのアイデンティティを根こそぎ剥ぎとられ全面的に管理される。「囚人らしさ」「患者らしさ」「老人らしさ」――押しつけがましい役割が個人を拘束する。それに対して個人は抵抗を試み、多くの者がやがて〈自発的服従〉にいたる。そして忘れてならないのは、管理する側もまた管理者として強く拘束されていることだ▼6。
極端な全制的施設とまでいかなくても、工場や学校や企業でも、組織には大なり小なり〈管理〉対〈自律〉の構図があらわれるものだ。組織には、協働してなにかを成し遂げるという側面とともに、他方で一部の人びとが他の人びとを支配するという側面をもっている。組織は人と人とをつなげる構造原理である。本来の主役はあくまで人間である。しかし、ひとたび組織が立ち上がると、今度は人がワキにまわることになる。人間とお金の関係のように、主体と媒介の関係が転倒してあらわれてくるわけである。すでに説明したように、これを「物象化」という▼7。
高度の物象化水準にある組織の場合、主体はもはや人間ではない。主体は物神化した組織形態すなわち〈法人〉であり、人びとは〈規律〉という匿名の支配代理人に〈自発的服従〉を強いられる。子どもは学校に、労働者は工場と企業に、病人は病院に、障害者は施設に、エリートは官庁に――あたかも社会全体がテーラー・システムを採用したひとつの工場であるかのように、人間が選別され、ふりわけられ、組織の断片としてそれぞれの生を生きる。
冒頭の大病院の外来にみられるように、そこで働く看護婦が組織の〈規律〉――たとえばテキパキと業務をこなし効率的に患者を誘導するといった組織の期待――に忠実であろうとすればするほど、〈規律〉の外部にいる老女とコミュニケートできなくなってしまう。それはまさに、ゆたかなコミュニケーションの世界がシステムの論理によって侵食されつつある光景なのである▼8。
ウェーバーはビューロクラシーの進行に悲観的だった。「ひとたび完全に実現されると、官僚制は最も打ち壊し難い社会組織の一つになる」とかれはみていた▼9。すでにふれた「意味喪失」である▼10。有名な「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」論文の最後で、かれはつぎのことばを引いて警告している。「精神のない専門人、心情のない享楽人。この無のものは、人間性のかつて達したことのない段階にまですでに登りつめた、と自惚れるだろう▼11。」この警告は、抵抗を忘れた組織人の安住する現在の組織社会にじつによくあてはまる。
▼1 ちなみに、就労人口に占める組織労働の割合は、一九六〇年ごろはおよそ二分の一だったのが、一九八〇年には三分の二にふえている。とりわけ女性の労働現場が劇的に変化した。15-2参照。
▼2 M・ウェーバー、世良晃志郎訳『支配の諸類型』(創文社一九七〇年)。マックス・ウェーバー、阿閉吉男・脇圭平訳『官僚制』(恒星社厚生閣一九八七年)。ただし本書では三つのモメントに集約させた。
▼3 桜井哲夫『「近代」の意味――制度としての学校・工場』(NHKブックス一九八四年)第二章参照。また、辻勝次『仕事の社会学』(世界思想社一九八○年)IIIにくわしい解説がある。
▼4 「官僚制的支配」については、19-1参照。
▼5 E・ゴッフマン、石黒毅訳『アサイラム――施設被収容者の日常世界』(誠信書房一九八四年)。
▼6 前掲書。安積純子・岡原正幸・尾中文哉・立岩真也『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学』(藤原書房一九九〇年)。
▼7 2-4参照。
▼8 ハバーマスは近代社会においては〈システムの論理〉が〈生活世界の論理〉を侵食しているとし、その意味ではもはや階級闘争ではなく「生活世界の植民地化」への抵抗運動が要請されるという。ユルゲン・ハーバーマス、河上倫逸ほか訳『コミュニケイション的行為の理論』(未来社一九八五-八七年)。7-1参照。
▼9 M・ウェーバー、世良晃志郎訳『支配の社会学I』(創文社一九六〇年)一一五ページ。
▼10 3-4参照。
▼11 マックス・ヴェーバー、大塚久雄訳『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(岩波文庫一九八九年〉三六六ページ。なお、ここで「心情のない享楽人」と訳されている部分は、むしろ「信念のない享楽人」というべきだろう。
14-2 組織内集団のダイナミズム
インフォーマル・グループ
官僚制とテーラー・システムがこれほどまでに普及したのは、ひとえに合理的かつ能率的とされたからである。しかし、ほんとうに合理的かつ能率的かというと、ちょっと疑問だ。なぜか。それは、組織を具体的に担っているのが、ほかならぬ人間だからである。人間は機械ではない。組織が人間を歯車のように組みこもうとしても、人間はもっとずるがしこく、したたかである。
なんらかの目的を核にして人と人とがつながりをもち、フォーマルには組織系統図どおりに人びとが配置されていたとしても、人と人とのつながりは、現実にはさまざまなインフォーマルな集団となって、自然発生的なダイナミズムを組織内にもたらす。どんなに硬い組織であっても、いや、むしろ硬い組織であればかならず、そのなかにもうひとつのいわば「裏の組織」ができあがる。いいかえると、組織というものは、いつも二重三重に存在するものなのだ。それを「フォーマルな組織」(formal organization)に対して「インフォーマル・グループ」(informal group)という。
たとえば、学校や工場において生徒や労働者のあいだに自然に発生する、仲間意識によってつながれた集団は、往々にして組織のメンバーのモラール(morale)[志気・やる気]を強く左右し、形式上は合理化されているはずの組織を、非合理な〈感情の論理〉のダイナミズムに巻きこむ。
派閥・ネポティズム・共謀関係
組織内のもっとも典型的なインフォーマル・グループは「派閥」である。学閥をはじめ、主流派-反主流派-中立派といったものなど、大組織に派閥はつきものだ。かつてジンメルが「党派形成」として克明に分析したように、統一的な集団はしだいに党派に分かれ、やがて党派が他の党派との関係で動くようになり、はじめには対立の存在しなかった党派間に人為的に対立がつくりだされ、闘争が生じる▼1。
派閥とならんで問題となるのが「ネポティズム」(nepotism)である。ネポティズムとは、組織のなかで血縁関係にある者を特別あつかいすること。タレントやスポーツ選手や政治家の世界で「二世」が話題になる昨今だが、企業組織でもけっこう多いことは周知の通りである。
派閥にせよ、ネポティズムにせよ、日本の組織をみるかぎり、その実質的影響力は非常に大きいといわねばならない。その最たる例が自民党だろう。組織上の頂点にいる総裁よりも、ときとして派閥の長老の方が政策決定上の発言力が大きいとなると、組織系統図は手続き確保の機能しか果たしていないのではないかと疑いたくなる。その意味で自民党は良かれあしかれ日本社会の縮図にはちがいない▼2。
こうした組織内部のインフォーマルな人のつながりが組織の構造を複雑にしているわけだが、その一方で、組織外部のインフォーマルな人のつながりが組織の運営そのものを左右することがある。たとえば、フォーマルな組織としては対抗関係にあったり、あるいは〈監督する-される〉関係にあっても、それぞれのメンバーが実質的に共謀関係を構築して、独自の秩序をつくりだす場合がそれである。建設業界の「談合」は前者の典型例であり、監督省庁と業界の癒着は後者の例である。
一九六〇年代から七〇年代にかけて続発した大型薬害事件――サリドマイド・スモン・クロロキン事件など――は、まさに厚生省官僚と製薬業界のインフォーマルな共謀関係が直接の原因となって生じたものだった。「天下り」が法的には禁止されているにもかかわらず、「柔軟に」運用されることによって、大量の高級官僚が関係業界に再就職し、監督官庁と業界をつないでいる。高級官僚は在職中から再就職を意識して強力な監督指導ができない構造になっている▼3。一九九一年、日本の経済界をゆるがしている一連の証券業界・銀行業界の不法行為もこの文脈でとらえることができる。
さて、これまでのべてきたフォーマル-インフォーマルな人のつながりが二重三重に組織を侵食するとき、その内部にいる個人の行動もまた多層的に規定されることになる。一方では「会社人間」あるいは「ワーカホリック」がいる。いまや日本企業の文化となった感のある「サービス残業」や有給休暇の未消化などは、労働者としての当然の権利をかれらが〈自発的に〉放棄せざるをえない状況を物語っている。他方、ひとたび転勤拒否や内部告発などに関わって、離脱や抵抗の態度を表面化させてしまうと、フォーマル-インフォーマルにわたってすさまじい制裁が待っている▼4。
フォーマルには、賃金カット・クビ・左遷・配置転換などがあり、日常的にはそれらはすべて人事考課となって露骨にあらわれる▼5。インフォーマルには、仲間はずれ、いやがらせ・嘲笑・いじめなどの制裁がある▼6。インフォーマル・グループの場合、インフォーマルな掟・暗黙の了解・先例の尊重などの規則そのものがみえにくいだけに、外部者(管理者もふくめて)に気づかれることは少ない。
準拠集団(リファレンス・グループ)
たとえば職場のなかで、あるいは学校のなかで、あるいは病院のなかで、個人が出会う集団は主として二種類ある。「フォーマルな組織」と「インフォーマル・グループ」である。これらは集団のありようからいえば、まったく性質の異なるものだが、じつは共通点もある。それは、いずれも個人が所属している集団であるということだ。両者をまとめて「所属集団」(membership group)という。
たとえば、自分が生まれ育った家族や現在働いている職場やサークルなどの仲間集団のように、自分が所属している集団に、人は、自分を関連づけ、一体化し、一定の態度をつくりあげることが多い。このような働きをもつ集団を「準拠集団」(reference group)という。
なぜ、わざわざ所属集団と準拠集団を概念的に仕分けるかというと、単純な社会では所属集団がそのまま準拠集団になるのだが、現代社会ではかならずしも所属集団が準拠集団になるとはかぎらないからである。職場に即していえば、上昇志向の強い人はフォーマルな組織あるいは管理職たちのインフォーマル・グループを準拠集団にするかもしれないし、無関心派はまったく別の組織や集団を準拠集団にしているかもしれない。ある組織・ある集団に所属しているからといって、現代人は所属していない集団を準拠集団としうるのだ。「いろいろ」というのが現代社会の特徴である。
▼1 5-3参照。
▼2 この点については、居安正『自民党――この不思議な政党』(講談社現代新書一九八四年)。
▼3 22-2参照。
▼4 「制裁」のことを「サンクション」(sanction)という。ただし「サンクション」は否定的なことだけではなく、報償や名誉のような肯定的な報いの両面をふくむ広い概念である。
▼5 熊沢誠『日本的経営の明暗』(筑摩書房一九八九年)「II査定される従業員――人事考課の論理と作用」参照。
▼6 熊沢誠、前掲書「I労務管理の惰力――〈東芝府中人権裁判〉分析」参照。
14-3 組織文化と日本的集団主義
日本的経営
コンティンジェンシー理論によると、組織がうまく機能するかどうかは環境との適合関係しだいだという▼1。「組織の時代」ともいわれる二十世紀――資本主義もファシズムも社会主義も、いずれも組織の巨大化と物神性に支えられていた。まずファシズムがやぶれ、つぎに社会主義がやぶれていったその歴史は、結局環境に適応できなかった組織が淘汰された過程でもある。この世界史的な淘汰の過程で最終的に生き残りつつあるのが日本の企業組織であることはいうまでもない。そこで世界的に注目され、かつまた日本の経営者たちが自画自賛するのが、いわゆる「日本的経営」(Japanese-style management)である。
「日本的経営」とは、日本の伝統的な企業経営のスタイルのことだ。尾高邦雄によると、それは以下のような人事労務慣行の体系を内蔵している▼2。
(1)終身雇用の慣行
(2)丸抱え的な一括採用
(3)平均的な会社人間をつくる定型訓練
(4)ジェネラリストを育成する職場遍歴
(5)年功による処遇と地位の序列
(6)競争の抑制と人の和の尊重
(7)稟議(りんぎ)制度
(8)おみこし経営と集団責任体制
(9)権威主義的であるとともに民主的、参画的な組織
(10)私生活にまで及ぶ従業員福祉への温情主義的配慮
江戸時代中期の商家からはじまった伝統的な人事労務慣行が近代組織にもちこまれ、しだいに修正され、戦後完成したものだが、これが企業組織をメンバーにとっての一種の運命共同体――かつての「家」や「村」のような――にしていくことこなる。その結果、雇用の安定性・人事の柔軟性・従業員の会社一体感の育成といったメリットを生むとともに、(1)従業員の依頼心の助長と自主創造の精神の抑制(2)雇用における差別待遇と自由な横断的労働市場形成への障害(3)エスカレーター・システムの弊害と中高年齢層人事の停滞(4)従業員の働く喜びと働きがいの喪失といったデメリットも同時にもたらしてきた▼3。
日本的経営の本質としての集団主義文化
いまだに自画自賛的「日本的経営」神話がマスコミの世界や経済界で生きているのがふしぎなくらいである。それにしても、第一に海外進出した日本企業があいついで「日本的経営」を現地に〈適用〉しようとして逆に〈適応〉をよぎなくされている事実▼4、第二に「日本的経営」は一部の大企業の正社員だけにあてはまるもので、中小企業の社員や大企業の非常勤・パータイム労働者などにはあてはまらないことに留意すると、「日本的経営」を普遍的なことと考えることはできない。むしろそれを支えている文化的な価値観に着目すべきだろう。すなわち、企業をはじめとする日本の組織は一貫して集団主義的文化――いわゆる「日本的集団主義」――をもっている。
たとえば、稟議制度ひとつとっても、その真の機能は別のところにあるように思われる。稟議制度とは、末端か中間の職員が稟議書を起案し、それを関係部署にまわし上位者の決裁をえるという手続きのことだ。一見民主的かつ草の根的にみえるが、じっさいには起案者は上層部の意向を受けて作文を担当するにすぎないことが多い。結局責任の所在のはっきりしない集団主義的な意思決定のしくみとなってしまっている。それがいいか悪いかは場合によってちがってくる▼5。さしあたり重要なのは日本の組織がこのような集団主義的な意志決定の仕方をあたりまえのように意味あることとしてきたことだ。このように「日本的経営」の本質は、日本の組織に根強く存在している集団主義的な組織文化にある。
日本的集団主義の特質
「集団主義」とは、集団や組織を自分たちの運命共同体としてとらえ、その全体的秩序の存続と繁栄を、内部の個人の能力発揮や個人的欲求の充足よりも重要視する態度のことである▼7。
一言でいえば〈全体優先〉ということになるが、全体主義とちがうところは、所属集団を優先することを媒介にして自分たちの欲求を充たしていくという発想が強いことだ。濱口恵俊によると、「日本的『集団主義』とは、各成員が仕事をする上で互いに職分を超えて協力し合い、そのことを通して、組織目標の達成をはかると同時に、自己の生活上の欲求を満たし、集団レベルでの福祉を確保しようとする姿勢を指していよう。そこでは『個人』と『集団』との相利共生(symbiosis)が目指され、かつ成員間での協調性(人の和)が重視される▼8。」
企業にかぎらず日本のあらゆる組織の基調に流れてきたのは、こうした集団主義だったと考えていいだろう。たとえば、「でる杭は打たれる」――最近は「でる杭はひっこぬかれる」ともいわれる――傾向もこの線でとらえることができるし、また、契約型の欧米組織に対して日本の組織は所属型だといわれるのも、その一環である▼9。前節で確認したように、フォーマルな組織よりインフォーマル・グループの方が実質的な運営能力をもっていることも同様である。
「CI」(コーポレイト・アイデンティティ)や「企業文化」がさかんに叫ばれている昨今だが、じっさいの組織文化は以上のようなところに根をもっていることを忘れてはならない▼10。
▼1 コンティンジェンシー理論については、加護野忠男「コンティンジェンシー理論」安田三郎・塩原勉・富永健一・吉田民人編『基礎社会学第III巻社会集団』(東洋経済新報社一九八一年)。
▼2 尾高邦雄『日本的経営――その神話と現実』(中公新書一九八四年)一一四-一一五ページ。便宜上、番号をふった。
▼3 前掲書、第一○章・一一章。とくに日本的経営の実質については、熊沢誠、前掲書を参照されたい。
▼4 前掲書。
▼5 稟議制度を肯定的にとらえたものとして、山田雄一『稟議と根回し――日本の組織風土』(講談社現代新書一九八五年)。否定的にとらえたものとして、加藤秀俊『人生にとって組織とはなにか』(中公新書一九九〇年)。後者は稟議制度を「忖度(そんたく)の論理」の一例としてとりあげている。「忖度」とは「他人の気持ちや願望を推量して、それにあわせて行動すること」である。一四三ぺージ-一四九ページ。また間宏によると、企業の変動期にはトップ・ダウン方式、安定期には稟議制度のようなボトム・アップ方式が多用されるという。また後者は企業情報の漏洩の可能性があることも指摘している。間宏『経営社会学――現代企業の理解のために』(有斐閣一九八九年〉一五九-一六〇ページ。
▼6 尾高邦雄、前掲書。濱ロ恵俊・公文俊平編『日本的集団主義一その真価を問う』(有斐閣選書一九八二年)。
▼7 尾高邦雄、前掲書六〇ページによる。
▼8 濱口恵俊・公文俊平編、前掲書一七ページ。
▼9 濱口恵俊・公文俊平編、前掲書一七ページ。
▼10 「日本型組織」の原型を「家元制度」に求め、詳細に論じたものとして、浜口恵俊『「日本らしさ」の再発見』(講談社学術文庫一九八八年)がある。このなかで浜口は、巷にあふれた粗雑な日本人論と一線を画した、緻密な議論を展開している。
14-4 組織の犯罪と集合的無責任
組織体犯罪
この「組織の時代」にあって個人が個人としてできることはたかが知れている。悪いことだって個人が犯す分には限界がある。しかし、組織人がその正当な職務として遂行することのなかには、とてつもない〈犯罪〉が存在することがある。いわゆる「企業犯罪」である。
しかし、一口に「犯罪」といっても、現行刑法では「犯罪」はあくまで個人が犯すものとされていて、法人という主体を想定していないから、組織そのものは刑法上の犯罪に問われにくい。そこで社会学では「企業逸脱」と呼んでいる。この場合の「逸脱」とは、人びとがそれを非難するような行為のことであり、あくまで相対的なものである▼1。また、企業以外の組織もふくめて「組織体犯罪」という呼び方もある。こちらの方は、暴力団などの「組織犯罪」とちがって、合法的な組織がその活動のなかでひきおこす不法行為あるいは法侵犯をいう▼2。
さきほど少しふれた薬害問題は、いずれも被害者になんの落ち度もなく、他方の製薬会社や国[厚生省]などの加害者・監督側には、事前に回避できる能力とチャンスがあり、意図的あるいは慣行的にそれをしなかったために、数多くの人が犠牲者となった。たとえば、スモン[キノホルム]事件では一万一千人以上の人が重度におよぶ障害を負わされた。傷害事件としてみると、これはたいへんな犯罪だと思うが、その結果を招いた人びとはいずれおとらぬエリートばかりである。しかも、かれらは組織の職務としてそれを遂行したのであって、とくに個人の利益を望んだのではない▼3。その意味では、組織が行為主体なのである。
ところが、トップ・ダウン方式のアメリカと異なり、日本の場合は稟議制・根まわし・暗黙の了解といった一連の組織文化が意思決定上の責任をぼかす機能を果たしているために、犯罪であることが確定しても、罪は末端の現場責任者に帰せられてしまって、上層部に波及しないことが多い。結局、中間管理職や末端の構成員だけが悪いクジをひくことになる。その意味では、組織そのものがひとつの責任の主体として法的に裁かれるような法体系が整備されるべきだろう。
集合的無責任の生成――旧国鉄組織の場合
しかし、その一方で、組織を行為主体とみなすことには落とし穴があることも忘れてはならない。それは組織をひとつのブラックボックスにみてしまう危険性である。組織の犯罪が明るみにでたさいにマスコミがよくやる一方的非難は、たしかに正義ではあるかもしれないが、それも一種の組織の物神化である。組織内の複雑な意思決定システムを分析的にみていかなければ、特定の組織を百万回バッシングしても、企業逸脱・組織体犯罪はなくならないだろう。
船橋晴俊は名古屋を中心とする新幹線公害問題の研究のなかで、深刻な被害が生じているにもかかわらず、なぜ国鉄・政府・国会・裁判所が問題を長期間にわたって放置しているのかを組織社会学的に分析している。ここでは旧国鉄についてみてみよう▼4。
もっとも下層の三つの部署すなわち岐阜工事局新幹線環境対策室・新幹線総局名古屋環境管理室・新幹線総局名古屋電気所は被害住民との直接的接触の頻繁な部署だが、これらはいずれもきわめて限定された権限しかもたされていないため、本社の基本方針にそって実務をおこなうのみである。たとえば新幹線総局名古屋電気所はテレビ障害問題を担当していたが、その誠意は住民にも高く評価されたという。しかし、その誠意ある全面解決はもともと受信障害問題に限定されている。
では、中層にあたる環境保全部と法務課はどうか。環境保全部は公害問題解決のための政策立案を担当する中心主体的部局である。しかし、その任務は低いコストで紛争を鎮静化させることにあるために、余分なコストを使用してまで住民本位にイニシアティブを発揮することはない。また法務課は「法廷でいかにしたら自分たちが負けないか」との狭い問題設定の範囲でしか行動しない。
では、上層の主体である総裁と理事会はどうか。トップレベルにあるとはいえ、多数の重要問題の処理に忙殺され、よほどの緊急性のないかぎり結局ミドルレベルの部局の意思決定を形式的に追認する構造になっている。
このように、国鉄組織内部の意思決定のメカニズムにおいて、減速・地下化・大幅な緩衝地帯という根本的対策をイニシアティブをもって推進する主体が閉塞してしまっているのである。その結果として、国鉄の「冷淡さ」「消極性」「硬直性」「問題解決能力の低さ」が生成してくるというわけだ。国鉄なる主体が明確な意思をもって住民運動をはねつけているのではなく、「累積された事なかれ主義」の結果なのである。
このように巨大組織では(1)各部署の権限に限界があるために権限外およびボーダーライン上のことに対しては消極的になり、(2)個人の保身や個々の部署の利害を守るためにマクロな革新をきらう傾向が強い。また(3)上層部は巨大な権限をもつが、情報処理能力の限界があるため、個々の細目については中層部が実質的に決定することになる。しかし中層部にとってマクロな革新は荷が重すぎるとしてイニシアティブはとらない。したがって、(4)制度上の革新や政策形成の決断は、組織にとってかなりの緊急性が生じたときにかぎられる。この「緊急性」はあくまで組織にとっての緊急性であって、住民運動やマスコミなどが世論や監督官庁を大きく動かし、組織の存立の危機と認識されたときにかぎられてしまう。
船橋晴俊の以上の分析から、旧国鉄において「集合的無責任」が醸しだされるメカニズムがみえてくる。今日もっぱら企業経営の視点でのみ語られることの多い組織論であるが、このあたりの問題の分析こそ、これからの組織論――社会学では組織社会学と呼ぶ――の課題ではなかろうか。
▼1宝月誠編『薬害の社会学――薬と人間のアイロニー』(世界思想社一九八六年)。くわしくは22-2参照。
▼2 「法侵犯」という概念については、板倉宏『現代型犯罪と刑法の論点』(学陽書房一九九〇年)。
▼3 宝月誠編、前掲書。
▼4 以下は、船橋晴俊・長谷川公一・畠中宗一・勝田晴美『新幹線公害――高速文明の社会問題』(有斐閣一九八五年)「IV国鉄はなぜ問題を放置しているのか」を要約したものである。
14-5 ネットワークと自己組織性
ネットワーク組織論
融通がきかず個人や小グループの自発性をそこないがちな従来の制度化された大組織のあり方に多くの人びとが疑問をもち、新しい「もうひとつの」(オルターナティヴ)組織のありようを模索している。
たとえば、ヴェンチャー企業が従来型の硬い官僚制的組織をとっていたのでは、つぎつぎに新たな経営環境をつくりだすことなどできないだろう。また、市民運動や「新しい社会運動」と呼ばれる一連の運動組織において、ひとりひとりの個人の、主体的参加を望めないような組織では、従来の労働組合の前衛指導型運動がたどった道へいたることは目にみえている。いずれにせよ、変革主体の創造性とダイナミズムを生かしながら実効性をもつ新しい組織原理が求められている。
こうした組織構想のなかで近年さかんに注目されているのが、「ネットワーク組織論」である▼1。
今井賢一・金子郁容によると、ネットワーク組織論のかなめは〈場面情報の重視による関係形成〉にある。「場面情報」とは、現場にかかわっている当事者だけがもちうる〈動いている情報〉のことだ。これを重視することによって、むしろ他の領域への適用可能性が高まって新しい連結が生まれるというのである。「神は細部に宿る」の論理である。従来の官僚制型組織は場面情報を主観的なものとして軽視して中央の抽象的な情報を中心に運営されてきた。社会主義経済の非効率性もここに原因がある。これらに対して、ネットワーク組織は、個人の全人格的な活動によって――つまり歯車としての個人ではなく――自発的なつながりを形成し、自他の境界の引きなおしをふくむ自己更新をおこない、多様なコンテクストをつくりだす〈解釈システムとしての組織〉をめざしている。
ここにあるのは、明確な目標をもち、ハイアラーキーに編成されたポジション群に配置された個人の役割行動によって、それを効率的に遂行するといった、おなじみのあの組織ではなく、個人が自発的かつ自律的に活動することによって結果的にあらわれるような〈ネットワーク多様体〉である▼2。
自己組織性
アンチ・ハイアラーキーでありアンチ・コントロールを意識したネットワークの組織のような新しい組織原理は〈自己組織性〉(self-organity)である。これは、環境に決定されるのでもなく、環境に適応するのでもなく、「自己が自己のメカニズムに依拠して自己を変化させること」である▼3。
もう少しくわしく説明しよう。組織についての考え方は、ほぼ三つの段階に分けることができる。第一に「機械モデル」の段階。ビューロクラシーの理念型はほぼこれに対応する。あらかじめ指定したことは確実にできるけれども、そうでないことにはまったく対処できないような融通のきかない機械のイメージである。つぎにでてきたのは「環境適応モデル」。はじめにプログラムした環境がいつまでもつづくわけがない。そこで、まわりの環境にあわせて組織そのものが変わっていく、そういう融通のきく組織のあり方である。日本の大企業は今日おおむね環境適応型といっていいだろう。また、コンティンジェンシー理論も基本的に環境適応を重視する理論である。それに対して「自己組織モデル」は、環境という外部要因によって組織が変容してゆくのではなく、組織内部の自生的要因によって組織そのものが変容してゆくというイメージだ。
〈自己組織性〉原理が巨大な現代組織をどこまで脱構築できるか――組織論の構想力が試されるのはこれからである▼4。
▼1 今井賢一・金子郁容『ネットワーク組織論』(岩波書店一九八八年)。
▼2 以上、前掲書による。
▼3 今田高俊『モダンの脱構築――産業社会のゆくえ』(中公新書一九八七年)五五ページ以下。
▼4 本章は既発表の「社会学からみた”組織”ア・ラ・カルト」『第三文明』一九九一年一〇月号を改稿したものである。
増補
組織社会学の概説書
社会学の組織論がどのような問題に関心を寄せ、どのように解こうとするのかを知りたいときには、宮本孝二・森下伸也・君塚大学編『組織とネットワークの社会学』(新曜社一九九四年)が適当だろう。若手社会学者が恩師の定年退官を記念して編んだ論文集だが、現代組織論の入門書としても使えるよう編集されている。
日本の組織
九〇年代になって、戦後の日本社会をリードしてきた官僚組織や企業組織の反社会的行動の問題がクローズアップされている。とくに検察が組織のトップクラスの人物を逮捕し始めたことによって、慣行として放置されてきた巨大組織の反社会的行動が社会問題化した。すでに本編において「ビューロクラシー」「インフォーマル・グループ」「日本的集団主義」「集合的無責任」といった概念を使用して重点的に説明しておいたが、その後、多くの文献が刊行されているので紹介しておこう。
まず、日本の企業社会のあり方を「法人資本主義」ととらえ、人びとの「会社本位主義」を批判的に分析する奥村宏の一連の仕事が重要である。奥村宏『[改訂版]法人資本主義――[会社本位]の体系』(朝日文庫一九九一年)。これに先行する仕事として、奥村宏『新版 法人資本主義の構造』(現代教養文庫一九九一年)がある。これらの続編が、奥村宏『会社本位主義は崩れるか』(岩波新書一九九二年)。現代教養文庫には奥村の著作をはじめとして多くの日本企業論がある。
新しい研究ではないものの、日本の企業組織を議論する上で欠かすことのできない研究の翻訳として、ロナルド・P・ドーア『イギリスの工場・日本の工場――労使関係の比較社会学(上・下)』山之内靖・永易浩一訳(ちくま学芸文庫一九九三年)が文庫化された。「一九九〇年版へのあとがき」が加えられている。
近年の企業犯罪については、神山敏雄『会社「性悪説」――会社犯罪の生け贄にならないために』(光文社一九九七年)が事例をよく整理している。新しい本だが、残念ながら刊行後にも次々に事例となる事件が増えている。
この種の議論は従来「建前論」と見なされることが多かったが、海外の読者のために日本の組織構造を解説した、カレル・ヴァン・ウォルフレン『日本/権力構造の謎(上・下)』篠原勝訳(ハヤカワ文庫一九九四年)と、日本人読者のために書き下ろされた、カレル・ヴァン・ウォルフレン『人間を幸福にしない日本というシステム』篠原勝訳(毎日新聞社一九九四年)が大きな社会的注目を浴びたことで様子が変わった。社会学的には「荒削りな内容」と見る評価があるかもしれないが、本来は日本の社会学者が書いてしかるべき内容ではなかったかと思う。
ちなみにウォルフレン自身は社会学に対して批判的であり、みずからをジャーナリストであり政治理論家と規定している。ただし、かれが批判する「社会学者」とは村上泰亮や舛添要一のことであって、いささか筋違いの感もある[カレル・ヴァン・ウォルフレン『日本の知識人へ』西岡公・篠原勝・中村保男訳(窓社一九九五年)]。なお、この点については矢澤修次郎が問題にしている[関曠野編『ウォルフレンを読む』(窓社一九九六年)]。
ウォルフレンの批判の矛先は、とくに中央官庁の官僚に向けられていたが、九〇年代にあいついだ社会問題の過程で厚生省・大蔵省・建設省・農林水産省などの反社会的な行為や不作為が表面化し、じっさい収賄容疑などで高級官僚の逮捕などがあり、日本の官僚組織のあり方が政治的イシューになっている。これはたんに永田町と霞ヶ関の問題ではなく、猪瀬直樹『日本国の研究』(文藝春秋社一九九七年)の指摘するように、虎ノ門に集中している特殊法人にまで注意を向ける必要がある。
社会学的にこれらの問題をどう捉え直すかという問題が残されているが、その選択肢のひとつは「ホワイトカラーの犯罪」という古典的な概念に立ち戻ることであろう。ヒントを与えてくれる社会学書として、ジェームス・コールマン『犯罪エリート』板倉宏監訳(シュプリンガー東京一九九六年)がある。
談合については、社会学ではないけれども、武田晴人『談合の経済学』(集英社一九九四年)が日本的調整システムの歴史と機能について詳細に論じているので、「談合の社会学」を考える上で参考になる。株の損失補填問題や総会屋への利益供与事件もそうであるが、こういう問題をたんに社会的公正の視点から批判するだけでなく、その社会的機能と逆機能を歴史的に検証し、その上で対抗構想を練るべきであろう。図書館の経営学や経済学の棚をさらってみるとわかるように、この種の分析は相当に手薄である。組織社会学や産業社会学の可能性は大きいと思う。
「もんじゅ」と動燃の組織問題
一九九五年十二月八日高速増殖炉もんじゅのナトリウム漏れ事故が発生した。高速増殖炉は夢のようなエネルギー装置として推進されてきた巨大プロジェクトだが、かねてより指摘されてきたように、ナトリウムのとりあつかいがむずかしく、この分野の先進国においても断念する国が相次いでいただけに、起こるべき事故が起きたといえる。十二月二十一日、動燃は科学技術庁の立ち入り検査を受けた。これは動燃がナトリウム漏れ事故の肝心な映像をはぶいて編集した映像資料しか提出しなかったための措置だった。動燃では日常的に「事故」を「事象」と呼び換える点をはじめとして、現場の当事者たちが、情報公開の理念とはまったく異なるコンセプトで動いていることが明白になった。この一連のプロセスについては、読売新聞科学部『ドキュメント「もんじゅ」事故』(ミオシン出版一九九六年)が詳しい。
システムの信頼
原発問題が示しているのは一種の「システムの信頼」問題である。今回の事件のように、動燃側が「誤解を与える」との理由でいともかんたんに情報の操作的提示をしてしまうと、もっともゆらぐのが「信頼」。この種の事件では、当事者や利害関係者が「騒ぎすぎ」と感じることが多かったようだが、それでは、現代社会において「信頼」がいかに重要な構成要件であるかの社会学的認識が欠けているといわざるをえない。薬害エイズ事件についても同様である。  問題を抽象化しすぎて捉えているとの疑念を抱かれるのを覚悟して(社会学者はしばしばそう批判されることがある)次の本を掲げておこう。ニクラス・ルーマン『信頼――社会的な複雑性の縮減』大庭健・正村俊之訳(勁草書房一九九〇年)。「信頼」については次の本の方がわかりやすいかもしれない。アンソニー・ギデンズ『近代とはいかなる時代か?――モダニティの帰結』松尾精文・小幡正敏訳(而立書房一九九三年)。
情報開示と信頼
最後に、情報公開の問題について一言。情報というのは、ふたつの性質をもっている。ひとつは一部の人たちに独占されやすいということ、もうひとつは操作されやすいということだ。  それがたいせつな情報や知識であればあるほど、それは権力や権限をもつ人のところに集中していく。その人たちが、たとえ情報を独占するつもりがなくても、その人たちがあえて公開しようとしないかぎり、その情報や知識は独占されてしまうことになって、一般の市民には隠されてしまう。しかも、情報は操作するのがかんたんだ。もんじゅの事故を「比較的小さな事象」ということは、それ自体うそではないにしても、すでに評価をくわえて加工されてしまっている。まして、映像資料の場合はその一部だけを公表することによって、たやすく人びとの印象を操作できる。映像は一般に客観的とみなされるので、それがある瞬間のある場面を意識的にきりとったものであるという点であくまでも主観的なものであることが忘れられやすいからである。
要するに、情報というのはあえて公開する意志がないと、いともかんたんに独占され操作されてしまう。つまり、それを知った人が何もしないかぎり、結果的にそうなってしまう。ここがきちんとわかっていない組織がこの日本には多すぎる。「事なかれ」では情報公開は実現しない。組織の中の人が、民主的な社会に生きる市民として「公開への意志」をもって組織内で自律的に行動することが、情報公開を実現するわけで、それが結果的に組織に対する「信頼」を生むことになるのではないか。
ネットワーク分析
本編では新しい組織原理としてネットワーク組織の可能性にふれたが、それとは別に「ネットワーク」概念を駆使して集団や組織における行為を分析する新しい社会学的分析方法が注目されている。それがネットワーク分析である。ネットワーク分析は、行為者間の関係構造をネットワークと捉えて、それを主に数理的に処理して関係構造を分析する手法である。安田雪『ネットワーク分析――何が行為を決定するか』(新曜社一九九七年)が刊行されて、入門者にも近づきやすくなった。これを読むと、ネットワーク分析がかなり汎用性の高い分析方法であることがわかる。
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4月 12017

社会学感覚10コミュニケーション論/ディスコミュニケーション論

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社会学感覚
10 コミュニケーション論/ディスコミュニケーション論
10-1 コミュニケーションの常識モデル
はじめに
これから四章にわたってコミュニケーションに関する基本問題について考えてみよう。
まずコミュニケーションの基礎的な原理について考察し(第一〇章)、つぎにマス・コミュニケーションの影響についての理論を紹介する(第一一章)。そして現代のジャーナリズムの問題点と社会学的意義について考えてみたい(第一二章)。最後に、マス・メディア巨大な力の影にかくれて見逃されがちな流言(うわさ)の集合的現象としての意味を浮き彫りにしていこうと思う(第一三章)▼1。
さて、コミュニケーションということばは「意志疎通」や「精神的交流」の意味で使われたり「通信」と訳されたりする。その多様性と多用性をとらえるのは並大抵のことではない。そこでここでは、わたしたちが日常生活のなかで漠然と考えているコミュニケーション観念について理論的に反省するという形で議論を構成することにしたい。
社会学論のところで「日常生活の自明性を疑う」という発想法について説明した。わたしたちが「あたりまえ」と思っていることの多くは、じつはけっこうあやしげなものも多く、わたしたちは、ろくにたしかめもせず、ただ信じているにすぎない。だから常識は意外に当てにならない。
たとえば人間論の二章で説明したように、日常的な常識では、自我がまずあって他者と交流していくように考えがちだが、社会学的には逆に、他者との関係がまずあって結果的に自我意識が成立すると考える。また常識では、自分というものがまずあって、それが外在的な役割を引き受けると考える。役割は、取り替え可能な仮面であって、自分そのものではないと考える。しかし現実には、役割を引き受け、役割を生きることによって、はじめて自分自身をたしかな存在として感じる。すなわちアイデンティティの確立・自分らしさ・生きがい・精神の自由・自己実現といった現象が可能になるのである。
このように、一般にわたしたちが自覚していることと社会学的認識とはしばしばくいちがう。人間関係としてのコミュニケーションも、常識や一般通念で誤解されていることがらのひとつだ。
情報のキャッチボール
現代人が「コミュニケーション」と聞いて連想するのは「情報」ということばだろう。わたしたちは「コミュニケーションとは情報をやりとりすることだ」と考える。つまり、「情報のキャッチボール」である。そのさい、ユニットとして想起されているのは、つぎのような図式である。
情報
A─→B
送り手 受け手
送り手から受け手へ情報が移動し、それが終わると今度は送り手と受け手の役割を交換して情報の伝達がおこなわれるというイメージである。工学系のコミュニケーション・モデルや組織コミュニケーションの研究などでじっさいに使用されているものも、このような情報の「移転」(transfer)モデルの延長線上にある。たとえば、情報量概念を定式化し情報理論の基礎を築いたクロード・E・シャノンとウォーレン・ウィーバーによる有名な「コミュニケーションの数学的モデル」は、つぎのような構図になっている▼2。
メッセージ  信号  受信信号 メッセージ
情報源→発信器→チャンネル→受信器→目的地

ノイズ源
これは電話をモデルにしたものであるが、あえて異化してとらえるにはトランシーバーでの通信を想起した方がいいだろう。というのも、電話の送信と受信の同時性は見かけ上のことで、じっさいにはチャンネルが二系統あるにすぎないからである。ユニットとしては一方的である。
しかし、ほんとうにコミュニケーションはこのような「情報のキャッチボール」だろうか。人間のコミュニケーションは、こんなに単純なものだろうか。
たとえば、母親や教師や看護婦が、自分のいったことが伝わらないからといってくどくどと同じことをくりかえし子どもや生徒や患者にいったとしても、コミュニケーションがうまくいくとはかぎらない。いう側つまり送り手は、あくまでも大事な情報やメッセージを投げてやっているつもりで、相手がそれを受け取ってくれないと嘆くことが多いけれども、現実のコミュニケーションは、それとは別の次元ですでに決定してしまっているのだ。
コミュニケーションの常識モデルの問題点
コミュニケーションを「情報の移動」「情報のキャッチボール」として自明視する考え方をここでは「コミュニケーションの常識モデル」と呼ぶことにすると、この常識モデルは説明上のわかりやすさをもつと同時に、さまざまな問題点をもっている。デニス・マクウェールによると、それは三つの点で偏向しているという▼3。
(1)コミュニケーションの基礎に合理性や目的性があり、特定の目的の達成という意図がふくまれているために、コミュニケーションの効率性が判定基準として適切だという暗黙の考え方がふくまれている。
(2)コミュニケーションを線的にとらえている。
(3)コミュニケーションがつねに送り手から始まると前提され「伝達されるもの」も送り手に属すものと仮定されている。
要するに、わたしたちはコミュニケーションについていざ考えようとするとき、知らず知らずのうちに、なにか目的をもって相手に情報を送ろうとする送り手の役割と立場に身をおいてしまっているのだ。これはなぜだろうか。
コミュニケーションには、おおよそ三つの類型[水準]が存在する▼4。
(1)パーソナル・コミュニケーション――少数の人びとの対面的交渉
(2)マス・コミュニケーション――マス・メディアから大衆へ
(3)中間的(intermediate)コミュニケーション――専門家・組織・地域内
たとえば病院のなかのコミュニケーションでいえば、患者や家族・ナースや医師の対話・面接がパーソナル・コミュニケーションであり、待合い室におけるラジオやテレビ・雑誌がマス・コミュニケーションであり、医師のオーダー・処方箋・カルテなどが中間的コミュニケーションにあたる。
ここでコミュニケーションの本質が直接あらわれるのはパーソナル・コミュニケーションであるが、わたしたちはこれをコミュニケーションとしてとらえかえすとき、つい他のふたつの類型の図式をもちこんでしまうのである。マス・コミュニケーションはコミュニケーションを一方的な直線的過程にイメージさせるし、中間的コミュニケーションはコミュニケーションの目的性を強調することになる。
おそらくこれは理由のないことではない。パーソナル・コミュニケーションについても、たとえばそれが学校教育・医療現場・巨大組織のなかでおこなわれるときには、その本来もっているダイナミズムが失われて、このようなコミュニケーション観に対応したものになっていることが多い。現代とはそういう時代である。だから、「コミュニケーションの常識モデル」は、現代コミュニケーションのゆがみやひずみの反映――すなわち物象化的錯視の結果――と考えるべきだろう。
では、コミュニケーションの本質とはなんだろう。ここで理論的な考察に入ることにしよう。
▼1 社会学的視点からコミュニケーションについて解説した概説書は少ないが、つぎの二点がある。デニス・マクウェール、山中正剛監訳、武市英雄・松木修二郎・山田實・山中速人訳『コミュニケーションの社会学――その理論と今日的状況』(川島書店一九七九年)。林進編『コミュニケーション論』(有斐閣一九八八年)。
▼2 Claude E.Shannon and Warren Weaver,The Mathematical Theory of Communication,Illini Books edition,1963,p.7.
▼3 デニス・マクウェール、前掲訳書一五ページ以下。
▼4 林進編、前掲書六-七ページ。
10-2 コミュニケーションとはなにか
身ぶり会話としてのコミュニケーション
コミュニケーションについてもっとも基礎的な理論を提供してくれるのは今日でもジョージ・H・ミードである。すでに自我論と役割取得論について紹介したことのあるミードの講義録『精神・自我・社会』を今度はコミュニケーション論について参照しつつ考察してみよう▼1。
わたしたちは意識をもった自我として言語によって他者と対話する。たしかにこれが通常のコミュニケーションの姿である。しかし、コミュニケーションをここからとらえるかぎりその本質はみえてこない。
コミュニケーションの現場で「現実に」生じていることを即物的に観察してみると、存在するのはふたつ以上の個体の動作のやりとりだけである。ここで第二章で示した「異邦人の眼で見る」ことにしよう。ふたりの人間のコミュニケーションの場面を異星人が観察しているとすると、まず人間Aが手をあげ顔面の一部を収縮しつつ顔面の中央突起の下にある穴から大きな音を発している。それに対して人間Bは歩くのをやめ首を前後に振りしつつ音を発して反応している。「おー、ひさしぶりだな、元気かい」「どうも、ごぶさたしてます」なんて会話も、異星人の観察ではこんなものだ。おそらくこれは動物どうしの場合も変わりないはずである。恋人たちの会話も犬のケンカも、いっさいの予断を排除して観察するかぎり、実在しているのは個体の「身ぶり」(gesture)だけである。
ミードによると、社会過程を進行させる根本的なメカニズムは「身ぶり」だという。個体間の身ぶりのやりとりだけが現実に存在する。したがって、コミュニケーションを考える上で重要なことは、この「身ぶり」に注目することである。身ぶりによってコミュニケーションが進行するとなると、動物でもなんらかのコミュニケーションがおこなわれており、なにも人間だけの特権ではないということになる。コミュニケーションは個体相互の動作のやりとりによって進行する。
この点についてミードは犬のケンカを例にあげている▼2。そのもっとも基本的な単位は三つのシーンからなる。
シーン1――はじめに犬Aが攻撃的な姿勢をとる。
シーン2――Aの身ぶりが犬Bに対する刺激となってBの反応[うなり声や威嚇的なしぐさ]をひきおこす。
シーン3――Bの反応の身ぶりがAに対する刺激となり、Aがそれに反応する。
このような犬のケンカの場面で生じているのがコミュニケーションである。身ぶりによる応答が進行しているからだ。人間の場合であればボクシングやフェンシングなどがこれと同じ水準に相当するが、これがコミュニケーションのもっとも原初的な姿なのである。ミードは「身ぶり会話」(conversation of gestures)と呼んでいる。このようにコミュニケーションは第一義的には「身ぶり」という一種の記号に媒介されて進行する相互適応にほかならない。
さて、このプロセスのなかで犬Aの身ぶりの意味を決定しているのはなんだろうか。それは犬Bの反応である。シーン1のAの身ぶりの「意味」は、シーン3のAに刺激として還ってくるシーン2のBの反応である。BがAの身ぶりを攻撃・威嚇の構えとして反応したことが、この場面におけるAの身ぶりの意味を決定したのである。
一般に、ある個体の身ぶりの意味を決定するのは、それに対する他の個体の反応である▼3。つまりポイントは「受け手の反応」にある。受け手の反応が送り手の行為の意味を決めるのだ。
これは人間のコミュニケーションについてもあてはまる。たとえば、よく「売りことばに買いことば」という。さりげなくだしたことばに対して[シーン1]相手が過剰に反応してしまったため[シーン2]思わず過激な態度とってしまう[シーン3]。この場合も、最初のことばの意味を決めるのは自分ではない。それをいわれた相手の出方がその意味を決めてしまうのだ。このように「意味」は人間の心的状態に生じるものではなく、コミュニケーションのプロセスのなかに客観的に存在するものとミードは考える。
人間的コミュニケーション
では、人間のコミュニケーションの場合、動物となにがちがうのだろうか。ミードによると、人間は動物とは質的に異なる身ぶりをすることができるという。それは「言語」である。じつは「言語」もまた「身ぶり」の一種なのだ。これを「有声身ぶり」(vocal gesture)という。有声身ぶりが、他の身ぶり・動物の身ぶりとちがうところは、相手に聞こえるように自分自身にも聞こえるということだ。他の身ぶり――たとえば表情――は自分にはみえない。人間は、有声身ぶりによって、相手にひきおこす反応を同時に自分自身のうちにもひきおこすことができる。その結果、他者の反応を自分のなかに取り入れることができる。こうして人間は自分の発する言語の意味を意識できる。この反省的なメカニズムが人間の有声身ぶりを「有意味シンボル」(significant symbol)にする。
ここに自我意識の発生する基盤がある。自我があってコミュニケーションが生じるのではなく、逆にコミュニケーションのプロセスから有声身ぶりを媒介にして自我が生じるのである。「精神は、経験の社会的過程あるいは社会的文脈のなかで、身振り会話によるコミュニケーションをとおして生まれるのであり、コミュニケーションが精神をとおしていとなまれるのではない▼5。」このようにコミュニケーションは精神の発生基盤そのものであり、第一次的なプロセスなのである。
コミュニケーションの本質についての中間考察
以上のように、コミュニケーションについての一般的なイメージ[ここでは「常識モデル」と呼んだ]に対して、社会学的なコミュニケーションの基礎理論はずいぶんちがった相貌を呈している。その結論を整理すると――
常識モデル       社会学モデル
基本構造  情報のキャッチボール 記号を媒介にした相互作用
意味の決定  送り手の意図      受け手の反応
ここまでくればコミュニケーション概念の形式的な定義も立体的にとらえることができるのではなかろうか。コミュニケーションとは「記号を媒介とする相互作用過程」である。この定義についていくつかの重要な論点を整理しておこう。
第一に、コミュニケーションは「記号」を媒介にした過程であること。記号とは具体的には身ぶり・表情・ことば・文字・映像などのことだ▼6。
第二に、情報が移動するのではないこと。「伝達」とは意味の共有であるが、これはどのような場合にも近似的なものにすぎないことを認識すべきである▼7。
第三に、コミュニケーションは原則的に「相互作用」(interaction)であって、一方的な過程ではないこと。
第四に、コミュニケーションの意味を決定するのは本質的に「受け手の反応」であること。その点で「受け手」はコミュニケーションの「始発者」(initiator)でもあるのだ▼8。「受け手」というのはたんに便宜的な呼び方にすぎない。
第五に、コミュニケーションは反省的な過程であること。とりわけ人間コミュニケーションの本質はその「反省作用」(reflection)にある。これがあるために人間のことばはオームのことばとちがって「有意味シンボル」たりえるのであり、精神から創造的自我形成をへて社会形成に連なる独自の高度な文化的系列が可能になるのである▼9。
▼1 ミード、稲葉三千男・滝沢正樹・中野収訳『精神・自我・社会――社会的行動主義者の立場から』(青木書店一九七三年)。
▼2 ミード、前掲訳書一九および四八ページ。
▼3 ミード、前掲訳書八五ページ。
▼4 この場合の「意味」はむしろ「客観的意味」といった方がいいだろう。ウェーバーの「主観的意味」とはまったく別のレベル――もっと根源的なレベル――である。
▼5 ミード、前掲訳書五六ページ。
▼6 人間がその歴史のなかで使用してきた記号の進化を丹念にたどった読み物として、ホグベン、寿岳文章・林達夫・平田寛・南博訳『洞窟絵画から連載漫画へ――人間コミュニケーションの万華鏡』(岩波文庫一九七九年)。
▼7 コミュニケーションのこの基本性格をもっとも典型的に示しているのは日常のあいさつである。たとえば「あついですね」「ええ、とても。どちらへ,」「ええ、ちょっと」といったありふれた会話において、言語上のことばの内容にそれほどの意味はない。まして情報の観点からいえば無意味とさえいえる。しかし、対応の仕方が決定的に重要なのである。あいさつは多くの場合、情報を交換しているのではなく、上下関係・新旧関係・友情関係などをメタ・レベルでそのつど再確認しているのである。
▼8 マクウェール、前掲書一八ページ。
▼9 ミード、前掲訳書に編者がつけたタイトル『精神・自我・社会』はこれを示している。
10-3 ノンヴァーバル・コミュニケーション
ノンヴァーバル・コミュニケーション
人間のパーソナルなコミュニケーションの基本は言語によるものである。けれども、言語だけが〈無伴奏〉で使用されるのはまれである。人間コミュニケーションの現場の多くは、さまざまな〈伴奏〉や対位法的旋律の交錯するポリフォニックな意味の生成の場である。
たとえば、わたしたちは会話のさいにことばだけを使っているわけではない。身ぶり・手ぶり・身体接触・顔の表情・視線(目くばせ)・距離のとり方・話し方・抑揚・声の質(トーン)・沈黙など、話し手は意識的・無意識的にコミュニケーションのプロセスにもちこむ。また、話し手の方は意図していなくても、聞き手=受け手の方が勝手にそうした諸々の「伴奏」と対位法的旋律を受けとってしまう。身体的特徴・服装・化粧もそのような働きをするし、話し役と聞き役の交替のタイミングなどもコミュニケーションの重要なファクターとして機能する。
このように言語によるコミュニケーション以外のコミュニケーションを「ノンヴァーバル・コミュニケーション」(nonverbal communication)という。これは「非言語的コミュニケーション」と訳される。または「副言語」(paralanguage)と呼ばれることもある。ただしこちらはやや狭い意味で――話しことばに付随する音声上の特徴として――限定的に使われることが多い。人間の場合、言語がその独自で高度なコミュニケーションを可能にしているとはいえ、これらのノンヴァーバル・コミュニケーションもたいへん重要な働きをする。
一般に、言語的コミュニケーションとノンヴァーバル・コミュニケーションをくらべるとノンヴァーバルの方が比重が重いといわれている。一説によると「二者間の対話では、ことばによって伝えられるメッセージ(コミュニケーションの内容)は、全体の三五パーセントにすぎず、残りの六五パーセントは、話ぶり、動作、ジェスチャー、相手との間のとり方など、ことば以外の手段によって伝えられる」という。じっさい親近感.敵意.優越感・服従感・誠意・権力など「関係」に関することがらは副言語によって高い確率で伝えられる▼1。また、だれしも子どものころ母親にウソをついてうまくダマせたつもりが、かんたんに見破られてしまったという経験をもっているものだ。これは母親が子どものことばより目線のようなノンヴァーバルな部分を重視して真偽を判定するからだ。ふつう子どもはノンヴァーバルな部分まで意識的にコントロールできないものである▼2。
ノンヴァーバル・コミュニケーションの文化的相対性
ノンヴァーバル・コミュニケーションの意味は集団や社会の文化によって強く規定されている。わたしたちは言語についてはそれを承知していても、ジェスチャーや表情にもそれがあてはまることは意外に認識されていない。たとえば、ことばが通じないところだは身ぶりでコミュニケーションをとればいいと、わたしたちは考えがちである。しかし、ノンヴァーバル・コミュニケーションは言語と同様に――ときには言語以上に――集団と社会の文化に強く規定されている。
たとえば、対話のさい相手の目をみることは、欧米の白人文化においては誠実を示す必要条件とされている。しかし、同じ欧米でも黒人文化ではこのような視線の交差[アイ・コンタクト]は必要条件ではない。またアジア文化圏では一般に相手の目をみないことが尊敬の念を示す場合が多い。南アジアではでは男女が相手の目をまっすぐみつめるのは夫婦間だけにかぎられている。日本では話し手の目をみつめることは相手に緊張感をあたえやすい▼3。
ノンヴァーバル・コミュニケーションの文化的相対性の問題が顕在化するのは、いうまでもなく、まったく異なる文化に属する人びとのあいだのコミュニケーション――「異文化間コミュニケーション」(intercultural communication)――においてである。ノンヴァーバルなメディアについての双方の解釈コードが異なることによって、送り手と受け手に共通の反応が生じないことによるのである▼4。
▼1 マジョリー・F・ヴァーガス、石丸正訳『非言語(ノンバーバル)コミュニケーション』(新潮選書一九八七年)一五ならびに一〇三ぺージ。バードウィステルの分析による。なお、この本はノンヴァーバル・コミュニケーションについてのすぐれた入門書であって、たいへんわかりやすい。著者はドイツ系アメリカ人でボリビア出身の夫をもつ女性の言語技術研究者。
▼2 ゴッフマンによると、コミュニケーションの受け手は、送り手がコントロールしやすい側面[ことば]を表情のようなコントロールしがたい側面と照合して反応する。そのさいノンヴァーバルな後者の側面はかえって受け手に疑念をいだかれずにいるので、その側面を意識的にコントロールすることで送り手は一定の効果をえることができる。E・ゴッフマン、石黒毅訳薫『行為と演技――日常生活における自己呈示』(誠信書房一九七四年)
▼3 K・S・シタラム、御堂岡潔訳『異文化間コミュニケーション――欧米中心主義からの脱却』東京創元社一九八五年。一七一ページ。
▼4 くわしくはシタラムの前掲書を参照。この本は異文化間コミュニケーションに関するバランスのとれた概説書。シタラムはインド出身のアメリカのコミュニケーション研究者。それだけにアジア文化圏についての記述も豊富だ。ヴァーガスにせよ、シタラムにせよ、そのマージナルな経歴が日常のコミュニケーションに対する繊細な感覚を育て、その結果アメリカ社会における日常生活の自明性を「異邦人の眼で見る」ことを可能にしていることにも注目しておきたい。
10-4 デイスコミュニケーション
理想状態としてのコミュニケーション
ディスコミュニケーション(dyscommunication)とはコミュニケーションがうまくいかないことをいう。略して「ディスコミ」とも呼ぶ。
じつはディスコミについての本格的な理論はまだない。その意味で社会学の入門書である本書のなかでディスコミについて語ることは時期尚早といえる。しかし、あえてそれをするのはコミュニケーションの問題が同時にディスコミュニケーションの問題でもあることを認識しておいてほしいからだ。
本章ではこれまでコミュニケーションをその本質においてとらえるため、事実的な相互作用として分析してきた。しかしコミュニケーションには多くの層があり、これまで説明してきたその基底的な層だけがすべてではない。ここで問題となるコミュニケーションの層は規範的なレベルである。
人間のコミュニケーションは一定の理想状態を先取りしている。つまり、自分と相手がコミュニケーションによって共通の意味を共有でき、相互に理解できるという理想が日常のコミュニケーションにすでにふくまれている。だから「コミュニケーションがとれた」というのは「意味の共有」および「相互理解」という理想が実現されたということである。逆に、「意味の共有」と「相互理解」が達成されない場合、それはディスコミュニケーションということになる。現実には、このような理想状態が達成されるのはむしろまれなことだから、コミュニケーションとディスコミュニケーションとは不即不離の関係にあるといえる▼1。
さまざまなディスコミュニケーション
このようなコミュニケーションの理想的側面に注目すると、現実の多くのコミュニケーションがじつはディスコミュニケーションであるという帰納になる。つまりコミュニケーションとしてみなされている諸々の現象はじっさいにはコミュニケーションの理想的局面を満たしていないのだからディスコミュニケーションであるというわけだ。
たとえば、ノンヴァーバル・コミュニケーションの問題も、じつはディスコミュニケーションの問題である。
受け手は、送り手について見聞きできるすべての身ぶりに反応する。だから、送り手が意識的に送りだした言語的メッセージだけがコミュニケーションにのるわけではなく、意識していないさまざまなノンヴァーバルなメディアもいっしょに受け取られる。しかし、送り手自身が自覚・意識できるのは、基本的に言語(音声身ぶり)だけである。したがって送り手の意図と受け手の反応は原則的に一致しない。そしてコミュニケーションの現実的意味が「受け手の反応」にあるとすると、送り手は自分が送り手として参加したコミュニケーションの現実的意味を認識しないままコミュニケーションを終えることになる。これは「意味の共有」と「相互理解」の点でディスコミュニケーションにほかならない。
たとえば母親が子どもに「ゆっくりでいいから、自分でやってごらん」といって作業をさせたのに、子どもの不器用さにガマンできず、すぐに手助けしてしまうことがある。またたとえば、おこった態度を示しながら「遊びたいんなら、遊んでらっしゃい」と反語的に叱る母親の場合、ことばとノンヴァーバルな動作・態度が分離・矛盾している。そのとき子どもは、ことばと表情の板挟みに陥る。第一主題の旋律と、それと矛盾する第二主題の旋律が、同時にコミュニケーションのプロセスに流れこむ。この対位法のなかで、子どもは母親のことばにしたがうと表情のメッセージに反するし、表情にしたがうとことばのメッセージに反してしまう。いずれにしても子どもは母親に反せざるをえない。このような状態を「ダブル・バインド」(double bind)といい、これが長期にわたってくりかえされることによって自閉症や分裂症の原因となるともいわれている▼2。
他方、異文化間コミュニケーションといわれる現象も、少し考えればわかるように、コミュニケーションについてのコードが集団や社会の文化によって異なるために「意味の共有」と「相互理解」のできない状態が問題とされている。これもディスコミュニケーションである。
したがって、現代社会における人間のコミュニケーションを考えることは、ディスコミュニケーションの現実に思いをいたすことである。そして、このことはたんに対話的コミュニケーションだけにあてはまるのでなく、マス・コミュニケーションや組織コミュニケーションやジャーナリズムについてもあてはまることなのである。
▼1 コミュニケーションが一定の理想状態を先取りしていると本格的に指摘した研究として、ハバーマスの「コミュニケーション能力の理論のための予備的考察」がある。ユルゲン・ハーバーマス、ニクラス・ルーマン、佐藤嘉一・山口節郎・藤沢賢一郎訳『ハーバーマス=ルーマン論争/批判理論と社会システム論』(木鐸社一九八四年)。一見すると文法学的な議論なのだが、そこから社会批判の視点が導出されるプロセスには感動を覚える。また、ディスコミュニケーションを主題とした数少ない論考として、杉山あかし「ディスコミュニケーションの社会理論へ」『新聞学評論」三八号(一九八九年)参照。なお本書ではふれないが、わたし自身は、ミード流の「反省作用」と関連でディスコミュニケーションを定義している。野村一夫「社会学的反省の理論としてのジャーナリズム論」『新聞学評論』三六号(一九八七年)
▼2 「ダブル・バインド」概念の提唱者はグレゴリー・ベイトソン。かれが挙げているダブル・バインドの有名な観察事例をひとつ示しておこう。これは「精神分裂症の理論化に向けて」という論文で分析されている事例である。「分裂症の強度の発作からかなり回復した若者のところへ、母親が見舞いに来た。喜んだ若者が衝動的に母の肩を抱くと、母親は身体をこわばらせた。彼が手を引っ込めると、彼女は『もうわたしのことが好きじゃないの?』と尋ね、息子が顔を赤らめるのを見て『そんなにまごついちゃいけないわ。自分の気持ちを恐れることなんかないのよ』と言ってきかせた。患者はその後ほんの数分しか母親と一緒にいることができず、彼女が帰ったあと病院の清掃夫に襲いかかり、ショック治療室に連れていかれた。」G・ベイントソン、佐藤良明訳『精神の生態学』(思索社一九九〇年)三〇七ページ。
増補
ハバーマスのコミュニケーション行為論
ユルゲン・ハバーマスのコミュニケーション行為論は広範な影響を社会科学の世界に与えている。したがって、難解であっても、ある程度の理解が必要になってきた。なお、ハバーマスは「ハーバーマス」「ハーバマス」「ハバマス」とも表記される。訳本が多い未来社では「ハーバーマス」に統一されている。
ハバーマスの思想的営為が要領よく整理されている最新作としては、中岡成文『ハーバーマス――コミュニケーション行為』現代思想の冒険者たち27(講談社一九九六年)。評伝もかねているので、入りやすい解説になっており、解説に余裕が感じられるのもいい。多くの論争者や複雑な知的文脈についても明解に理解できる。マイケル・ピュージ『ユルゲン・ハーバマス』山本啓訳(岩波書店一九九三年)は、少し内容が古いものの、入門書としてコンパクトでやさしく書かれている。岩波講座社会科学の方法第八巻『システムと生活世界』(岩波書店一九九三年)は論文集だが、そのタイトルがハバーマスの考え方に由来しているように、ハバーマスの解説書として読むこともできる。
ハバーマスとそれをめぐる議論が日本社会にとってどのような意義があるかについては、佐藤慶幸『生活世界と対話の理論』(文眞堂一九九一年)が参考になる。なお、おもにドイツを舞台にハバーマスは数々の論争を引き起こしてきたが、それについては、矢代梓『啓蒙のイロニー――ハーバーマスをめぐる論争史』(未来社一九九七年)が、社会的背景をふくめてコンパクトにまとめている。
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4月 12017

社会学感覚8自我論/アイデンティティ論

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社会学感覚
8 自我論/アイデンティティ論
8-1 「わたくしといふ現象」
『春と修羅』序詩に学ぶ
社会のなかの人間について考えてみたい。つまり「われわれはいったい何者なのか」「わたしはだれ?」「わたしはなぜわたしなのか」という根源的な問いについてである。いうまでもなく、これは哲学・思想・宗教・文学などで追求されてきた問題だ。社会学では、この問題群を「自我論」もしくは「アイデンティティ論」と呼ぶ。社会学の議論は、もちろん哲学や文学などでなされてきた議論と無関係ではありえず、むしろそれらと呼応するものである。そこで、ここでは見田宗介にならって宮沢賢治の思索からこの問題領域へ分け入ることにしたい▼1。
一九二四年に自費出版された『春と修羅』という詩集――賢治はこれを「心象スケッチ」と呼んでいた――の冒頭に「序」という名の詩がおかれている。これは詩集のために新たに書かれた序文のようなものであり、通称「序詩」と呼ばれる。それはつぎのように書きだされている▼2。
わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)
この連は、賢治が「自分[自我]とはなにか」について考察している部分である。そもそもこの序詩は、賢治が友人への手紙のなかで「私はあの無謀な『春と修羅』に於て、序文の考を主張し、歴史や宗教の位置を全く返還しようと企画し、これを基骨としたさまざまの生活を発表して、誰かに見て貰ひたいと愚かにも考へたのです」とのべているように、かなり熟考されたものであり、多様な分析に耐えうる質の高さをもっている▼3。したがって、これを仏教的文脈・自然科学的文脈・文学的文脈において解釈することが可能であるように、自我論として解釈することもできるはずだ。そこで「自分とはなにか」についての賢治の明識を五つの社会学的命題群にときほどいてみよう▼4。
「わたくし」とはなにか
(1)自我は現象である――この詩は「わたくしといふ現象」ということばで始まっている。わたしたちは、ふだん「自分というもの」「自我というもの」をあたかもひとつの自明なものとして実体化しがちである。しかし、それは正確にいうならば「自分ということ」「自我ということ」なのであって、実体のない一連の「現象」なのである。よく読めばわかるように、ここで賢治は「わたくし」が「電燈」であるとはいっていない。「照明」だといっている。しかも「(ひかりはたもちその電燈は失はれ)」とまで念を入れている。これも自我の実体的把握をしりぞけた表現である。また「透明な幽霊」という表現も非実体的現象であることを強調する。
(2)自我は流動的である――ここでは自分を「ひとつの青い照明」にたとえているわけだが、それは確としてともっているわけではなく非常にあやういものとしてイメージされている。「仮定された」とか「いかにもたしかにともりつづける」というフレーズがそれであるし、「青い」との表現もそれを暗示する。これは自分が自分でありつづけることが――「ひとつの」はそれを表示している――いかに偶発的(contingent)なことか、そして自分の感じている自我が結局ひとつの虚構にすぎないことへの予感を意味する。現象としての自我は、一見固定的なものにみえて、じつは本質的に流動的なのである。
(3)自我は関係である――「風景やみんなといつしよに/せはしくせはしく明滅しながら」という部分の「風景」とは自然環境のこと、「みんな」とは他者でありひいては社会のことだ。自我はけっして自立・自存しているわけではない。それはエコロジカルなシステムの一関数であり、他者との交渉によって大きく左右される変数である。これは有機および因果「交流電燈」であるとというときの「交流」にも関連する。「交流電燈」は、ともりつづけているわけではなく、一秒間に数十回点滅しているだけである。ここではそういう科学的意味と、もうひとつの意味が加わっている。人や環境との相互作用という意味での「交流」――すなわちコミュニケーションである。自我は「交流」の産物であり「交流」そのものである。また「交流」はたんに現在の「交流」だけではなく過去の歴史との「交流」でもある。「あらゆる透明な幽霊」という表現は、過去の「風景やみんな」との「交流」の歴史をさすと考えられる。
(4)自我は複合体である――「あらゆる透明な幽霊の複合体」の「複合体」にも注目したい。これはまず関係としての自我把握に呼応してでてくる当然の帰結であろう。「わたくし」はかろうじて「ひとつ」をたもっているものの、じっさいには複数的な構成体であるということ、したがって「統一体」「融合体」などと呼ぶことはできない。
(5)自我は矛盾である――自我が複合体だとすると、当然のことながら、人間と自然とのせめぎあい、そして他者と他者のせめぎあいそのものが、複合体としての自我に入りこんでくることになる。見田宗介によると「賢治の明晰の特質は、それが世界へと向けられているばかりでなく、さらに徹底して自己自身へも向けられていることにあった。そしてこの自己自身へと向けられた明晰はまた、自己をくりかえし矛盾として客観化すると同時に、この矛盾を痛みとして主体化する運動でもあった。このように自己を客観化し、かつ主体化するダイナミズムの帰結こそ、〈修羅〉の自意識に他ならなかった▼5。」
「わたくし」=自我が流動的な現象であり、自然と他者の関数であり、それゆえ矛盾を内部にかかえこんだ複合体であるということ。このような考え方は、自分自身を実体化してとらえて疑わない日常的な常識がたんなる幻想・幻影にすぎないことを明晰に照らしだしている点でもすぐれているし、デカルトの「われ思う、ゆえにわれあり」という近代主義的な素朴かつ単純な思想をはるかに超出した、哲学的には「現象学的思考」といっていい考え方である。まさに二十世紀的思考である。自分自身を規定してしまっているものがなにかを鋭い感性で冷静に分析する、その明晰さと痛みへの感受において、社会学はとてもかなわないという気がする▼6。
▼1 見田宗介『宮沢賢治――存在の祭りの中へ』岩波書店一九八四年)。文学作品と社会学感覚の関係についてはすでに1-3において言及しておいた。この本は全体が自我論にあてられているので、興味ある方は一読されたい。なお以下では記述を集約するために一編の詩のみを素材にする。
▼2 宮沢賢治全集[ちくま文庫版]第一巻一五ページ。ただしここに引用した部分は第一連のみである。
▼3 小倉豊文「『春と修羅』初版について」天沢退二郎編『宮澤賢治研究叢書3「春と修羅」研究I』(學藝書林一九八九年)一七〇ページによる。
▼4 見田宗介、前掲書第一章「自我という罪」における分析を参考にしつつ、わたしなりに整理しなおした。なお見田にとって、ここで提示するような自我論は四象限のほんの最初の一象限にすぎない。また精神科医福島章による『宮沢賢治――こころの軌跡』(講談社学術文庫一九八五年)のパトグラフィ[病跡学]による分析も参照した。この二冊はイマジネイティヴではあるが、文学的記述特有のあいまいさから免れている点で賢治論のなかでも異彩をはなつ。
▼5 見田、前掲書一一一ページ。
▼6 序詩第一連はあくまでも受動的な相で自我をとらえたものにすぎない。賢治の射程はもっとそのさきに延びているのだけれども、それは本書の枠をこえている。前掲の諸研究を参照。
8-2 自我の社会性
鏡に映った自我
自我についておおよそのイメージを共有することができた今、わたしたちは賢治の明識をさらに社会学的地平へとひきよせてみなければならない。
そもそもデカルト的な自我は不可侵性と神秘性をもっていた。また自然的態度において、それはなによりも自明な存在だった。「われ思う、ゆえにわれあり」という命題はまさにそのことをさしている。すなわち、この世界のあらゆることを疑ってみよう、でもどうしても疑うことのできないものがある、それは疑っている当の自分自身である。このような自我観を「独我論」という。これはきわめて特殊近代的な思考である。したがって、近代社会に生きるわたしたちの日常的思考ももっぱら独我論にもとづいている。
しかし、人間と社会に関する知的考察が進むにつれて、独我論の理論的限界があきらかになってきた。それは二十世紀初頭からであるが、ひとあし先に独我論からの脱却を果たしたのはマルクスだった。かれは一八四五年ブリュッセルに移住し、そこでエンゲルスとの本格的な共同作業を始めたのだが、そのころノートに走り書きされた「フォイエルバッハに関するテーゼ」のなかでつぎのようにのべた。「人間的なものとは、その現実性においては、社会的諸関係の総体である▼1。」フォイエルバッハはドイツの哲学者、テーゼは命題のこと、ここでいう「総体」とはアンサンブル(Ensemble)のことである。またマルクスは『資本論』では、つぎのようにものべている。「人間は鏡をもってこの世に生まれてくるのでもなければ、私は私である、というフィヒテ流の哲学者として生まれてくるのでもないから、人間は最初はまず他の人間のなかに自分を映してみるのである。人間ペテロは、彼と同等なものとしての人間パウロに関係することによって、はじめて人間としての自分自身に関係するのである▼2。」このようにマルクスは人間を社会性と関係性においてとらえていた。まず人間がいるのではなく、まず対他者的な関係があって人は人になる。「最初に関係ありき」なのである▼3。
マルクスは十九世紀の人間だが、このような考え方は二十世紀的思考と呼んでいいだろう。二十世紀初頭に量子力学と相対性理論があいついでニュートン以来の物理的世界像を書き換えたように、人間像についても大きな転換が二十世紀前半にあいついで試みられることになる。マルクスはその前兆であり、社会学と社会心理学は、まさに二十世紀的思考の産物だった。
アメリカの社会学者チャールズ・H・クーリーは一九〇二年の本のなかでさきのマルクスと同じようなアイデアを定式化している。すなわち、かれは「お互いがお互いにとって鏡であり、その前を通る人を映している」として、このような自我のありかたを「鏡に映った自我」(looking-glass self)と呼んだ。要するに、他者という鏡に照らして自分を見る、ということだ。これによって自己認識が可能となり、自我が形成される。あらかじめ自我があって他者と関わるということではなく、他者と関わり他者の鏡に映った自分を認識することによって自我が形成されるわけである。クーリーによると、このような自我は三つの側面からなる。第一に他者が自分に対してもつイメージ、第二に他者が自分に対してもつ評価、第三にこれらに対する自分の感情[自負や屈辱など]である▼4。
自分というものは、たしかに個人的なリアリティではあるけれども、その本質は他者という鏡によって規定されており、具体的には対人関係を通して形成される。第一章で説明した「本源的社会性の公準」が自我にもあてはまる。自分についてのイメージ――自画像=自我像――は絶対的なものではなく、本質的に関係的かつ社会的なことがらなのである。
自我の多面性
さて、問題なのは鏡としての「他者」である。社会学や哲学などでは「他人」といわず「他者」というのだが、自分が何者であるかは自分が勝手にきめることではなく、すでに他者との関係である程度きまってくるものなのである。したがって、他者によって、「自分は何者か」という自分自身の定義もいろいろ変わってくることになる。
たとえば、わたしたちは教師に対しては学生として自分を定義する。親に対しては子供として、店員に対しては客として、医者に対しては患者として、先輩に対しては後輩として、著者に対しては読者として、外国人に対しては日本人として、身障者に対しては健常者として自分を定義する。「自分は□□だ」という自覚を「自己定義」と呼ぶことにすると、これらの自己定義がほとんど例外なくなんらかの相手――あくまでも自分と区別しなければならない相手――として想定していることに気づくと思う。
「そもそも自分は何者か」という問いに答えようと思えば、自分を他者からみるとどうみえるのか、他者に対して自分はどういう立場なのかを考えなければならなくなる。これはそのつどかかわりあう他者によって自己の定義を取り替えているからである。極端ないい方をすると、人は直接間接に関わりあいのある他者の数だけ自我をもっている。自我は多面的性格をもともともっているのだ。
自我の主体性
では人間の自我はまったく他者ひいては社会によって規定しつくされてしまっているのかというと、そうではない。シカゴ学派の強力な理論的源流となったジョージ・H・ミードは心理学者ウィリアム・ジェイムズの概念を受け継いで、自我にはふたつの局面があるとした▼5。ひとつは「客我」(me)、もうひとつは「主我」(I)である。meとIという表現は「知られるわたし」と「知るわたし」に由来する。客我meは、他者の自分に対するイメージや期待をそのまま受けいれた自我の側面である。〈わが内なる社会〉といってよい側面で、ミードはこれを「他者の態度の組織化されたセット」とのべている▼6。
ところが、人間は他者の態度や期待をそのまま受けいれるロボットではない。かならず客我に対して自然発生的な反応が自我の内部に生じる。ミードはそれを主我と呼ぼうというのだ。反応といっても動物のように単純な「刺激-反応」図式でとらえられるものではない。それだけに主我は複雑な様相をしめす▼7。
まず主我は、思いつき・願望・感情・気分といった本人だけが特別な通路をもつ主観的な世界である。たとえば「気がすすまない」とか「ひらめいたぞ!」といった状態だ。生物学的衝動や本能・生理学的状態などは社会が制御できない、偶発的・非合理的な部分である。
第二に、主我は、個性的修正をあらわす。ユニークさ・個性的な彩り・感性・個人差といったことがらであり、型どおりでない局面である。
第三に、主我は、客我に対して働きかけ、新たなものを生みだす創発性の側面でもある。主我は自我の創造性をあらわす。人間は社会によって内面まで一方的に強制され拘束されるのではなく、そこから新しいものを生む。すなわち主我とは自己実現・自由・自発性・自律的抵抗などが生じる基盤であり源泉である。これはとくに人間が問題状況に直面したとき、それを乗り越えさせる能力となる。
要するにミードによると、自我とは「主我と客我の対話のプロセス」である。しかも、他者との関係を大前提として成立し、本質的に社会的な過程である。しかし、まるっきり社会に絡みとられているのではない。自我は、社会を取り込む能力と、社会に個性的に反応する能力の二つが備わっているダイナミックな過程――社会性と個性のダイナミズム――なのである。
▼1 カール・マルクス「フォイエルバッハに関するテーゼ」これはエンゲルス、松村一人訳『フォイエルバッハ論』(岩波文庫一九六〇年)に付録として収められている。
▼2 カール・マルクス、岡崎次郎訳『資本論(1)』(国民文庫一九七二年)一〇二ぺージ。
▼3 これを「関係の第一次性」という。廣松渉『マルクス主義の地平』(講談社学術文庫一九九一年)。廣松渉『今こそマルクスを読み返す』(講談社現代新書一九九〇年)は初心者向けにコンパクトに説明したもの。
▼4 C.H.Cooley,Human Nature and the Social Order,1902,P.184.
▼5 ミード、稲葉三千男・滝沢正樹・中野収訳『精神・自我・社会――社会的行動主義者の立場から』(青木書店一九七三年)。ミードを中心とした自我論の研究としては、船津衛『自我の社会理論』(恒星社厚生閣一九八三年)および船津衛『ミード自我論の研究』(恒星社厚生閣一九八九年)。
▼6 ミード、前掲訳書一八七ページ。
▼7 以下の記述については、船津衛、前掲の二書を参照した。
8-3 アイデンティティ
「わたしはわたしだ」という思い
電話をかけられた人の「どちらさまですか」という問いに、話し手があっさりと「わたしだ」と答えることがある。これは暗に「声で判断しろ」といっているようなもので、傲慢かつ受け手依存的な答だが、けっこう通じるものである。しかし、これは当人のごくかぎられた親密な活動領域にのみ妥当することで、当然のことながら答になっていない。けれども、このささいな場面にかいまみることができるのは「わたしはわたしだ」という強烈な思いである。この「わたしはわたしだ」という感覚を一般に「アイデンティティ」(identity)という▼1。
賢治がみぬいていたように、自我が多数の他者との関係から構成されるかぎり、自我は社会における矛盾を内部にかかえこまざるをえない。その矛盾するさまざまな自我像のなかから、なるべく矛盾の少ないものを選択し、あるいは受け入れて、ある程度の統一性をつくりあげてゆく。これが「アイデンティティ」である。強いて定義すると「自分はいつも同じ自分である」という確信や実感のことだ。
すでにのべたように、本質的に自我は多面的かつ流動的な現象である。しかし、われわれには、とりとめもなく推移してゆくものと思えないのは、近代社会においては自我に一貫性をもたらそうとする内外の圧力がはたらくからだ。外的には〈ある程度〉の人格的一貫性を求める社会の期待が存在する。自分の一貫性に強く固執するのは「かたくな」とみられるし、状況ごとにまったく異なる人格になってしまうのも信頼性をうしなうか、ときには「精神病」とみなされる。ある程度の許容範囲でなければ社会との摩擦が生じてしまう。他方、個人にも内的緊張を回避しようとする力が働く。
アイデンティティ・クライシス
精神分析の研究者であるロナルド・D・レインによると「自己のアイデンティティ、とは、自分が何者であるかを、自分に語って聞かせる説話[ストーリー]である▼2。」つまり自分を納得させる一種の物語だというのである。しかし、これには他者の承認が必要だ。つまり、アイデンティティを維持するためには、自分の主張するアイデンティティをたえず承認し肯定してくれる他者がいなければならない。レインのことばを借りると「〈アイデンティティ〉にはすべて、他者が必要である。誰か他者との関係において、また関係を通して、自己というアイデンティティは現実化されるのである▼3。」つまり、ある程度統一された自我の感覚すなわちアイデンティティは、ふたつの大きな要素から成り立っている。公式風に表現すると――
アイデンティティ=自己定義+他者による承認
だから、アイデンティティというものは、他者との社会関係が明確で、自己定義と他者による定義とが相互に矛盾の少ないものであれば安定するだろうし、人は自己定義を承認してくれるような他者をえらぶものだ。反対に、他者との関係が曖昧だったり、他者による定義が自分にとって好ましくないものだったりするとアイデンティティは不安定なものになる。その結果として一種の心理的危機におちいることがある。これを「アイデンティティ・クライシス」(identity crisis)という。
たとえば、エリート公務員やエリート会社員の場合を考えてみよう。かれがエリートとして人びとから承認され、重要な仕事をまかされ、部下から尊敬されていたとしても、それはあくまで企業組織という社会的文脈において妥当することであって、かりにかれが汚職事件で逮捕される事態になったり、派閥抗争にやぶれたり、病気や事故によって不慮の現役引退を余儀なくされたりすると、エリートとしてのアイデンティティはもう他者から承認されないことになる。警察の取り調べ室や出向先の子会社や病院の大部屋のなかで、エリートとしての優秀性を主張してもむだなことであるばかりか、むしろ反発さえ買うことになるだろう。このようにアイデンティティは特定の社会的文脈においてのみ承認される。だから、そのような文脈をはなれるときアイデンティティ・クライシスが生じ「自分はほんとうはどういう人間なのか」がわからなくなる。かりに本人以外だれも認めてくれないアイデンティティにしがみついていると、人は「精神病者」とみなすかもしれない。少なくとも「境界事例」とみなされかねない▼4。
モラトリアムとしての青年期
さて、一般にアイデンティティ・クライシスは青年期に集中していると考えられている。よく若い人は「自分は多重人格だ」「人によって自分がころころ変わる」「自分がどんな人間なのかわからない」「そんな自分がこわい」などという。これは自我がしだいに形成され多面的な自画像=自我像を自覚する段階になったことを示している。すでに自我について説明したように、これは理にかなったことである。青年期はこのような多面的自我を統合していくプロセスにあたる。とりわけ「子ども」としてのアイデンティティから「大人」としてのアイデンティティヘの移行が重要な課題となる。
じつは〈青年期〉は近代社会特有の現象である。伝統社会には幼少の「子ども」と「大人」の区別があるだけで、その過渡期としての青年期はない。伝統社会では、成年式という通過儀礼によって一挙に子どもから大人にアイデンティティの転換が自他ともに達成された▼5。日本では「元服」がこれにあたる。ところが近代社会においては、この移行は長期化する。十代から二十代にかけての十数年間がその移行期間とみなされる。子供でもなく大人でもない中途半端なアイデンティティをかかえたこの時期を「モラトリアム」(moratorium)――訳すと「執行猶予期間」――という。大学生は典型的なモラトリアムである。モラトリアムのあいだ、青年は試行錯誤をくりかえしつつ自我を統合し成熟させる。そのあいだ、社会は青年に義務を免除し融通をきかせる。有名な「モラトリアム症候群」は、このようなアイデンティティ・クライシスを乗り越えるのに失敗した結果、ノイローゼや精神病にいたった臨床例のことをさす▼6。
社会的弱者とアイデンティティ
今日では一般的に用いられるアイデンティティ概念は、エリック・H・エリクソンという精神分析系の研究者が『幼児期と社会』(一九五〇年)のなかで臨床的関心から導入したものだ▼7。しかし、これが精神分析や心理学はもちろん社会学や政治学などに大きな影響をあたえることになる。なぜかというと、この概念は最初、一九六〇年代アメリカの公民権運動や学生の異議申し立て運動のなかで支持されたからである▼8。「自分をみうしなう」社会状況のなかで「自分をみいだす」精いっぱいの努力をしようとする人たちによってこの概念は社会的に支持された▼9。その意味で、アイデンティティ概念は、もともとアイデンティティ・クライシス概念と密着しているといっていいし、私的なことがらだけではなく集合的なことがらでもあるのだ。
おそらく順風満帆なエリートや成功者にとってアイデンティティは問題にならない。不本意な状況にいる人たちにとってこそ、それは深刻な間題となる。たとえば、女性・老人・病人・障害者・被害者・被差別者・社会的弱者といった人たちにとってアイデンティティの問題は、それが危機にあるだけに切実だ。このあたりについては後論でくりかえし論じることになるだろう。
▼1 アイデンティティは「同一性」「自己同一性」「身分証明」「存在証明」などと訳されるが、うまい訳語がないので、ふつうカタカナで表記される。
▼2 R・D・レイン、志貴春彦・笠原嘉訳『自己と他者』(みすず書房一九七五年)一一〇ページ。この本は分裂病の治療体験に基づくアイデンティティ論。病理的限界事例は、しばしば本質的考察への近道である。
▼3 前掲訳書九四ページ。
▼4 ここでの文脈に近いものとして、木村敏の一連の仕事が参考になる。『人と人とのあいだの病理』(河合文化研究所一九八七年)。予備校での講演記録でわかりやすい。河合ブックレットシリーズ。
▼5 通過儀礼とは、人間が成長の過程で別の状態・集団に移行するときにおこなわれる儀礼のことをいう。成年式・結婚式・葬式など。
▼6 このあたりについては小此木啓吾の一連の啓蒙書を参照されたい。『モラトリアム人間の時代』(中公文庫一九八一年)はこのことばを一気に日本に普及させたベストセラー。かれの多数の著作を集大成したものとして『現代人の心理構造』(NHKブックス一九八六年)がコンパクトで便利。
▼7 E・H・エリクソン、仁科弥生訳『幼児期と社会』(全二巻/みすず書房一九七七-八〇年)。
▼8 公民権運動は、アメリカ南部における合法的な黒人差別を撤廃し法的平等を勝ちとろうとした社会運動。六十年代に全米的運動となる。
▼9 栗原彬によると、エリクソンの『幼児期と社会』が六十年代のアメリカ南部の監獄にたんさんころがっていたという。栗原彬『政治の詩学=眼の手法』(新曜社一九八三年)四九ページ。
増補
集団的アイデンティティ
「自分は何者か」を問う、その状況のひとつにエスニシティがある。エスニシティとは、言語や生活様式や宗教を基準に分類された人間集団の特性をさす概念である。人種と同様、先祖が同一であるという同類意識をふくんでいるが、人種概念が身体的・生物学的特性によって人間を分類するのと対照的に、エスニシティは基本的に文化的なものであり、社会学的かつ政治的な要素を強くふくむ。たとえばそれは政治的につくられるものでもあるのだ。
国際社会において、エスニシティの問題はますます重要なものになっている。しかし、それはたんに海外の問題ではなく、身近な国内的テーマでもある。在日韓国・朝鮮人を中心とする在日定住外国人のケースがそれである。
福岡安則『在日韓国・朝鮮人――若い世代のアイデンティティ』(中公新書一九九三年)は、「在日三世」を中心とする日本育ちの若い世代に焦点をあてて聞き取り調査をしたもの。手法としてはベラーらの『心の習慣』に似ているが、前半部に「在日」の問題の構図と歴史がコンパクトにまとめられている。後半には四タイプのアイデンティティ像が具体的に描かれている。
同じ在日外国人でも在日中国人のケースは在日韓国・朝鮮人と歴史的な共通点も多いが、また少し様子がちがうようだ[永野武『在日中国人――歴史とアイデンティティ』(明石書店一九九四年)]。けれども、ひとついえることは、在日定住外国人の視点から見てはじめて「日本人」という概念への「信仰」が現代日本社会に存在することが自覚できるということだ。
しかし、その内実はそれほど単純ではない。杉本良夫、ロス・マオア『日本人論の方程式』(ちくま学芸文庫一九九五年)は、日本人論のイデオロギー的機能を社会学的に解読した本。同種の研究としては、吉野耕作『文化ナショナリズムの社会学――現代日本のアイデンティティの行方』(名古屋大学出版会一九九七年)。日本人論を自民族独自論という文化ナショナリズムの一形態として分析した研究である。日本人論の消費のされ方に着目した、この分野の先端部をゆく基本書である。これを読むと「日本人って、日本人論の好きな人たちのことさ」といった言説は言えなくなる。
また、奥井智之『日本問題――「奇跡」から「脅威」へ』(中公新書一九九四年)は、戦後のおもな日本社会論を概観的に位置づけたもの。やはり日本人論と問題領域がかなり重なってくるのでブックガイドとして参考になるだろう。
人間は「自分が何者であるか」を確認するために、しばしば集団的なカテゴリーに自分をあてはめる。そのカテゴリーの内側に「仲間」がおり、外側に「敵」「よそもの」が位置づけられる。集団的アイデンティティという概念はもともと集団力学的な概念であると考えた方がよいかもしれない。
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4月 12017

社会学感覚6同時代の社会問題に関わる

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社会学感覚
6 同時代の社会問題に関わる
6-1 実践的志向
全体的認識と実践的志向
第四章で説明したように、社会学の初発的動機は「社会をまるごと理解したい」という全体的認識への志向にあった。しかし、注意しなければならないのは、それがたんに理論的抽象性をめざすものではなかったということだ。
社会学の名づけの親であるオーギュスト・コントは、社会主義運動家として名高いサン・シモンの弟子だった。コントは宇宙論的スケールで社会学を構想した人だったが、その思いはむしろ実証的精神による社会の再組織にこそあった。「予見するために見る」(voir pour prevoir)というかれのスローガンは、これを端的に示したものである。
同じ十八世紀半ば、若きマルクスもジャーナリズムと共産主義運動に深く関わりながら、真の人間解放をめざす実践的関心から研究を進めていた。人間の真の解放のために変革すべきものはなにか。それは宗教でもなく政治でもない。現実の人間の生活そのものだというのがかれの唯物史観の示す方向だった。こうして中期後期のマルクスの実践的課題はもっぱら「市民社会の解剖学」に向けられることになったのである。
このように理論的に社会を全体的に認識しようとする初期の社会理論は、密接に実践的志向と連動していた。
社会問題への理論的歴史的関心
ジンメル、ウェーバー、デュルケムの「世紀の転換期」の世代は、むしろこうした直接的な実践的志向に対して冷淡だった。かれらのエネルギーと才能はもっぱら「学としての社会学」の確立に向けられた。しかし、かれらの研究がアカデミズムに徹したものだというためには、むしろアカデミズムの概念を変えなければならないだろう。
デュルケムは一八九七年に『自殺論――社会学研究』を公にした。自殺がプライベートな病気と考えられていた時代にあって、かれはそれがれっきとした「社会の問題」であることを明晰に証明した。また「正常と異常」に関する議論を通じて「異常」という現象が社会的なものであることを説得的に提示したのもかれだった。その理論的帰結のひとつである「犯罪は社会の正常な現象である」という斬新なテーゼは今日の社会問題をあつかう上でも重要な観点であるが、これは当時ヒステリックな反対をアカデミズム内外にひきおこすことになった。
一方、ジンメルも従来の社会科学がタブーとしてきた人間的現象や低級なテーマとみなされて放置されてきた諸問題を積極的に論じた。そもそも宗教がそうであったし、流行や党派形成やコケットリー[媚態]や都市生活者のメンタリティもそうだった。たとえばかれが一九〇〇年の『貨幣の哲学』であつかっていたのが、個人の自由の問題であり殺人賠償金であり浪費であり売春であり倦怠であり生活のリズムだったことは、ジンメルが直接的な実践的志向から一線を画しながらも、同時代の社会に生起するさまざまな現実へのなみなみならぬ知的関心をものがたっている▼1。
また、もともと社会政策的な関心からその学問的生涯を始めたウェーバーは政治的実践志向を強くもっていた人で、じっさい多くの政治問題にも関わった。しかし、こと社会学研究に関しては「価値自由」(Wertfreiheit)という立場を提唱することによって、かれもまた直接的な実践的志向と一線を画した▼2。政策的な観点とも運動的な観点とも距離をとることはむずかしいことだが、社会学の確立はこれなしにはありえなかった。
このように三人の共通点は、ともに先行世代のもつ理論と実践のロマンティックな混交に対して反発したことである。認識が生活実践上の要請として存在することを十分承知した上で、かれらは社会におけるさまざまな諸問題を、熱い革命家や功利的な政治家からとりもどし、冷徹な観察と理論科学的な手続きにゆだねることを要求したのである。
実験室としての都市
ヨーロッパでこのような知的革新がなされていたとき、草創期のアメリカ社会学では、まだ実践的関心が理論的認識から区別されていなかった。「社会学が初めてアメリカ合衆国に入ってきた時、それは、社会改良運動に近かった」「初期の大学における社会学の教育課程は、さまざまな改良運動に関心を持ったプロテスタントの牧師たちによってなされることが多かった」というラザースフェルドの指摘はそれをものがたっている▼3。
二十世紀初頭になって、ジンメルらの新しい社会学の影響をうけた世代が中心になり、アメリカにも新しい流れができる。第三章でくわしく紹介したシカゴ学派がそれである。かれらは現前の都市社会をひとつの社会学的実験室とみて、つぎつぎに族生するさまざまな都市問題のただなかに身を呈した。そのおもに参与観察的な踏査による研究は、それまでの社会改良・社会政策・社会変革の実践的意図をもった研究とはやはり一線を画すものだった。共感的でありながら同化せず、実践的でありながら知的合理性につらぬかれていた。
このように社会学における理論と実践の関係は単純ではない。ただいえるのはエートスとしての実践的志向が、自律した理論的認識への希求を牽引してきたということだ。したがって「同時代の社会問題に関わる」といっても、社会学者の努力はもっぱら「見る」ことに徹する観照=理論的実践という醒めたスタイルへ向けられてきた。だから、実業界や実務担当者にとって社会学は「すぐ役に立たない」科学であり、運動家や革命家からは「ブルジョア的アカデミズム」と非難されてきた。原則的に社会学はただ警鐘を鳴らすだけである。これを限界とみるか戦略とみるかの判断は、それを学ぶ人にゆだねられている。
政策的関心・臨床的関心・運動的関心
ここで社会科学一般において理論と実践がどのように関連づけられているかについてかんたんにふれておきたい。
すでに第一章の「社会のトリック、社会学のトリック」の項で説明したように、社会についての理論的認識はなんらかの形で研究対象たる社会そのものへと還流することになる。社会の理論的認識それ自体が社会の営みの一環なのである。
このような認識にたつと、社会の科学には立場によってさまざまな実践的関心のあることも納得できると思う。そのおもなものはつぎの三種である。
(1)政策的関心――政府と行政など統制者サイドの観点から社会問題を研究し、その成果を具体的な政策に生かす。失業問題・労働問題・都市問題・過疎問題・移民問題・民族問題などはおもに政策的関心から研究される。都市計画や社会工学などはもっぱらこの種の関心にもとづいている。
(2)臨床的関心――非行・犯罪・教育問題・老人問題・家族病理・アル中・精神病理などの社会病理現象を科学的に診断し、治療と問題解決の方途をさぐる。医学の応用部門としての臨床医学のように、個々の具体的な問題に対する臨床的な処方箋をエキスパート[専門家もしくは専門職]に提供する。
(3)運動的関心――統制者サイドでも専門家サイドでもなく社会運動の主体の立場から社会問題を科学的に設定し分析する。公害告発運動・環境保護運動・教育改革運動・差別解放運動・権利要求運動・女性解放運動・消費者運動など、おもに社会的弱者=民衆の立場から問題提起する。
このように実践的関心といってもさまざまであり、しかもそれによって「なにが社会問題であるか」微妙に――ときには大きく――ちがってくるし、「実践」の内容も主体[担い手]もちがってくるわけである。現状の社会学でも三種の実践的関心がいりみだれていて、とくにどれが主流とはいえない状況にある。もちろん、こうした実践的関心から遠く距離をとった研究も多い。これからの社会学がこれらの実践的関心とどのような関係にあるべきか、また社会学を学ぶ人は社会学からどのような可能性をくみとれるかを念頭におきながら、社会問題の定義について考察していきたいと思う。
▼1 ジンメル、居安正訳『貨幣の哲学(綜合篇)』(白水社一九七八年)。
▼2 ウェーバー「社会学・経済学における『価値自由』の意味」出口勇蔵・松井秀親・中村貞二訳『完訳世界の大思想1ウェーバー社会科学論集』(河出書房新社一九八二年)。
▼3 P・F・ラザースフェルド、J・G・レイツ、A・K・パサネラ、斉藤吉雄監訳『応用社会学――調査研究と政策実践』(恒星社厚生閣一九八九年)二-三ぺージ。
6-2 社会問題とはなにか
社会問題論のキーコンセプト
そもそも社会問題(social problems)とはなんだろうか。
社会問題についての理論を社会問題論と呼ぶことにすると、社会問題論には多様な考え方がある。このうち二十世紀にあいついで登場し流行した考え方をキーワードごとに整理してみよう。
(1)社会病理――社会は生物有機体のようなものだとする社会有機体説にもとづいて、生物の病気にあたるものを社会病理現象とする。一九二〇年代アメリカ社会学に流行し、やがて一般化した概念。これにもとづいて社会の病理現象を研究する部門を社会病理学(social pathology)という。
(2)アノミー(anomie)――「こうなりたい」「こうしたい」という人びとの欲求が異常に肥大化し、その欲求を満たすために必要な充足手段とのあいだにバランスが失われてしまうことによる無規制状態のこと。デュルケムの「アノミー的自殺」概念に由来する。
(3)社会解体(social disorganization)――習俗や慣習によって社会がその成員を統制できない状態になること。とくに新興都市に典型的にみられたため一九二〇年代から三〇年代あたりにシカゴ学派などによって使用された概念。スラムやギャング団のように社会全般の道徳的秩序と異なる独自の集団や地域が問題となる。
(4)逆機能(dysfunction)――社会システムの維持存続に貢献すべき部分要素が、その機能を適切に果たしていないか逆に脅かす作用をしていること。一九五〇年代から機能主義の一般化にともなって使われるようになった。たとえば、もっとも合理的とされる官僚制組織が「規則万能主義」「ことなかれ主義」「なわばり主義」に陥って硬直化した側面をみせるとき「官僚制の逆機能」という使い方をする。
(5)逸脱(deviance)――社会の規範が想定するスタンダードからはずれた行動をとること。「同調」と対概念になる。「逸脱行動」(deviant behavior)という使い方をする。「異常」や「病理」よりもこちらの方がより中立的であり、最近の社会学でよく使われる。
(6)レイベリング(labeling)[社会的反作用(social reaction)]――社会集団は、それを犯せば逸脱となるような規則をつくり、これを特定の人びとに適用してアウトサイダーのラベルを貼る。そして貼られた人・行為・集団が「逸脱」として問題化されるという考え方。機能主義理論に対抗する考え方として一九六〇年代以降広く使用されるようになった。
いずれも現在なお現役のとらえ方であり、さまざまに組み合わされて用いられることも多いので、あえてバラして整理してみた。わたし自身は「レイベリング」というとらえ方にひかれてきたが、「アノミー」や「逆機能」といった概念の方がとらえやすい問題[たとえば自殺]もあって捨てがたい。また「逸脱」は行為をあらわすのに適しているが、ウェーバーのいう意味喪失の問題やマルクスの物象化の問題のような社会全体の問題をあらわすときには適当ではない。これらについてはマルクスの「疎外」概念をつけくわえるといいかもしれない。「社会病理」概念はかねてよりそのイデオロギー性が批判されてきたが▼1、日本では特定のフィールドをもつ研究者や実務者によって今なお支持されつづけているようだ▼2。
ともあれ以上の諸概念は相互に重なりあう面もあり、またくいちがう面もあるが、社会学感覚の点からいえば複眼的であるにこしたことはないだろう。さしあたって社会問題の定義をあらかじめせばめておくメリットはないからだ。
社会問題と価値判断
さて「なにが社会問題か」となると、じつはむずかしい問題がひかえている。
たとえば「社会病理」というときには一定の「正常な」状態が想定されていなければならない。「逸脱」も一定の基準や社会的ルールを想定しなければ、そこからはずれたかどうかわからないはずである。「社会解体」も既存の社会秩序を基準にして判断される事態であり、それがじつは「社会変動」の一局面にすぎないとする見方もありうるし、「解体」地域を自律的なサブカルチャーとして認知することも可能である。その意味で「なにが社会問題か」の判定は、なんらかの価値判断をふくむのである。
問題は当然のことながら、このような価値判断が絶対的なものではないということだ。偏見にもとづくものかもしれないし、イデオロギー的かもしれない。かつては、主流だったかもしれないが、現在では少数派かもしれない。支配者にとっては妥当かもしれないが、民衆にとっては抑圧的かもしれない。その国では一般的でも、その国のある地域では特殊かもしれない。また世代や宗教によってもさまざまである。その例をいくつかみることにしよう。
たとえば家族病理というカテゴリーがある。これは家族成員間の不和や葛藤・家出・離婚・別居・単身家族・老人介護問題・家庭内暴力などを「病理」とみなす考え方である。たとえば「片親家族」は、かつて「欠損家族」「問題家族」と呼ばれ、病理的なものに位置づけられてきた。しかし、このさいなにを家族病理とみなすかは「家族はどうあるべきか」という価値観すなわち「結婚生活はどうあるべきか」「離婚は破綻か解決か」「親と子の理想的な関係は」といった家族観によって大きく左右されるのであって、家族病理の定義にとって問題なのは、むしろ「健全家族」の概念なのである。このように、社会問題の定義そのものがじつは文化現象であり、あくまでも相対的なものだとの基本認識から始める必要がある▼3。
視点の闘争
じっさい社会問題の定義は多面的な様相を呈している。たとえば最近のマンガの性描写は、その多くの読者にとってはごくナチュラルなものだが、一方には、それを「有害図書」として告発する母親たちのグループがあり、摘発する警察がある。じつはその告発自体が表現の自由を制限する点で問題たりえるのだが、ふつう告発側にその認識はない。両者の利害対立が社会問題の定義にそのまま反映している例である。
また時代によって定義の異なる場合も多い。たとえば教育界における体罰は学校教育法で明確に違法行為とされているが、現実に社会問題化したのは比較的最近のことである。かつて教師と親たちはともに体罰を許容する点で共通していたが、近年それがくずれ、さらに第三者の観察によって実態が一般に認識されてきたことによって社会問題となった。学校教育問題はおおむねこの道筋を通っている。また老人問題はいうまでもなく年をとることが問題ではなく、かつて老人の扶養介護を担ってきた家族がもはやその役割を負えなくなってきたから社会問題となってきた。だから、老人をめぐる社会環境の変化が、問題の定義を変えたのである。
喫煙問題は法律的には二十才未満に生じるが、現実には高校を卒業すれば問題にされない。しかし、肺ガンとの関連を示す科学的データがでて以降、副流煙が社会問題化し、嫌煙運動が高まり、職場や公共機関での分煙化がすすみつつある。つまり、タバコも法律も変わらないが社会問題の定義が変わったわけである。同性愛差別の問題もこれに似ているが方向は反対だ。六〇年代アメリカにおける反差別運動によって同性愛者への差別はやわらいだかにみえたが、八〇年代のエイズの衝撃からふたたび不当な差別が強まり深刻な社会問題になった。この場合、同性愛が問題とされたが、同時にかれらへの差別が社会問題なのである。
このように価値観の対立が深刻な結果をおよぼす例はほかにもある。「エホバの証人」信者の輸血拒否問題はその典型である。これは医療関係者からすれば患者の死をともなう大問題であるが、当事者にとっては生と死に関する宗教的信条にもとづくものであり、むしろそれが医療現場で尊重されないことが問題となった▼4。
これらは「だれが社会問題の判定者か」という問題にも密接につながっている。当事者か、一般の人びとか、行政サイドの統制者か、それとも第三者の観察者か。また問題を告発するのはジャーナリズムか、世論か、社会学者のような専門家か。このように社会問題を考える上では〈視点の闘争〉といった状態にまきこまれるのを覚悟しなければならない。
公式的見解
「視点の闘争」に関していくつかの主要なファクターをとりあげておきたい。
まず第一に指摘しておきたいことは、これまで多くの社会問題は公権力によって定義されてきたということだ。つまり社会問題は中央政府によって政策的関心から認知され定義された問題であることが多い。失業・貧困・都市・移民・犯罪・非行などの問題は政府や行政当局が政策をおこなう上で、そのつど定義してきたものである。したがって、そこにはかならず「公式的見解」(official conception)がふくまれている▼5。これはすでに一定の価値判断を前提している。つまり、あるものごとが公式的見解通りにうまくはたらかないことが「問題」だとする行政当局者や管理実行者[役人・法律家・教師・警官など]の視点――道徳や意識――をすでにふくんでいる。そのためオフィシャルに定義された「社会問題」の枠組では、ほんとうの当事者――つまり「問題」とされた人びと――の視点がぬけおちることになりがちである。
すでにふれたシカゴ学派の数々のモノグラフは、そうした公式的見解からはみえてこない社会の側面にアプローチしようとする社会学のエートスが愚直に実行されたものだったといえよう。つまり「一般市民」から問題とされている人びとの意味的世界を理解しようという一種の「インサイダー主義」が全面に押しだされたものだった。この点についてバーガーは法律家と社会学者を対照させてつぎのようにのべている。「法律家の関心は、状況の公式的見解とでも言うべきものに向けられている。これに対して、社会学者はしばしばまったく非公式的な見解を取り扱う。法律家にとって本質的な事は、法律がある特定のタイプの犯罪者をどのように見るのかを理解することである。社会学者にとっては、犯罪者が法律をどのように見ているかという事も、それに劣らず重要である▼6。」大新聞が標榜するような「客観中立」などありえないという現実的認識に立つかぎり、社会学はこのように多面的かつ相対主義的に問題の全体性をとらえることによって〈明識〉としての科学性を確保しなければならないだろう。
状態ではなくプロセスとしての社会問題
ある種の行為や集団がもともと「悪」「異常」「有害」「病理」「逸脱」であるという前提から出発できないことが、社会学的社会問題論独特の出発点をなす。
社会問題は結局、人びとがどのように意味づけるかによって変わってくる。この点についてはデュルケムの古典的なつぎのテーゼがすでに社会学の出発点を明確に語っている。「われわれはある行為、それが犯罪だから非難するのではない。われわれが非難するから犯罪なのである▼7。」この徹底的にプラグマティックな――別のいい方をすれば即物的な――思想こそ社会学特有の発想法である。
この発想法から一般化すると「社会問題とは、人びとが社会問題と考えるものである」という定義にたちいたる。これはつまり社会問題の主観的定義そのものも研究対象となるということだ。要するに、社会問題をある客観的な状態ととらえるのではなく、ある客観的状態とそれについての主観的定義をめぐる人びとの一連の活動のプロセスとしてとらえるのである▼8。
ある状態が社会問題かどうかは、ある程度はその社会の常識や通念によって判定される。その意味で人びとのもっている常識や通念――これらは世論として実体化される――は重要である。しかし常識には限界があることを忘れてはならない。いってみれば、常識はひきさかれている。これは第一に、同じ社会状態がある人びとには社会問題として、一方、他の人びとには快適な事態として定義されるという事態をさす。第二に、社会のメンバーが平等に判定するわけでなく、どうしても権威と権力の戦略的地位をしめる人びとの判断が高いウェイトをもつということだ。その意味で常識のもつ権力性も考慮しなければならない。第三に、人びとがありのまま事態を認識し、自己の利害に忠実な判断を下すとはかぎらないということ。ハバーマスの「システムによる生活世界の植民地化」の展望が示すように、人びとはしばしば自己欺瞞におちいる▼9。現実の社会問題に関わるとき、社会学が見極めねばならないのは、このプロセスである。
触媒機能を果たすもの――社会運動・ジャーナリズム・科学
ある状態が社会問題になるプロセスで重要なファクターとなるのは、公式的見解と常識ばかりではない。世論形成という形で重要な触媒のはたらきをするものがほかにもある。社会運動とジャーナリズムそして科学である。
社会運動(social movement)は主として私的トラブルと公共のイシューを結合するところがら生じる。たとえば、差別を受けている人びと・騒音に悩まされている人びと・不当な労働条件ではたらいている人びと・自由を束縛されている人びとなどが、自分の身に生じた私的なトラブルを、自分自身の行為の結果ではなく社会のしくみの結果として認識し、これを改善しようとする努力から始まる。また環境保護運動のように直接的に自己の利益を守るためではなく、社会正義や政治理念・倫理的要請から生じる場合も多い。いずれにせよ社会運動は現代の社会問題の主役級の役割を果たすようになっている。
ジャーナリズムの役割も同様である。世論形成上の強力な機能はもちろん、長期的には社会意識を大きく左右する。とくにジャーナリズムは日々のニュース・ヴァリューの判定を通じて「今なにが問題とすべきテーマか」を定義する点で非常に強い影響力をもつことがわかっている▼10。
ジャッジの役割をするのが科学である。自然科学は公害認定などのさい決定的な役割を果たすし、政治学・法律学・経済学などの制度化された社会科学は、社会問題を判定する上で一種の正当化機能を担う▼11。
▼1 そのもっとも古典的なものとして、ライト・ミルズ、青井和夫訳「社会病理学者の職業的イデオロギー」I・L・ホロビッツ編、青井和夫・本間康平監訳『権力・政治・民衆』(みすず書房一九七一年)所収。
▼2 この概念への支持の強さは一九八五年に日本社会病理学会が設立されたことにみることができる。その活動は毎年『現代の社会病理』(垣内出版)として出版されており、社会病理学の立場への問い直しがさかんになされている。
▼3 仲村祥一『生きられる文化の社会学』(世界思想社一九八八年)III「文化としての社会問題」参照。
▼4 この問題を正面から社会学に分折した論考として、市野川容孝「死の位相――信仰は医療に優越するか」吉田民人編『社会学の理論でとく現代のしくみ』(新曜社一九九一年)がある。ルポルタージュとして、大泉実成『説得――エホバの証人と輸血拒否事件』(講談社文庫一九九二年)。
▼5 P・L・バーガー、水野節夫・村山研一訳『社会学への招待』(思索社一九七九年)四六ページ。
▼6 前掲訳書四六ページ。
▼7 デュルケーム、田原音和訳『社会分業論』(青木書店一九七一年)八二ページ。ただし命題風に訳しなおた。
▼8 さらに一歩ふみこんで、社会問題を「ある状態についてクレイムを申し立てる個人や集団の活動」すなわち「クレイム申し立て活動」(claims-making activity)として定式化しなおす興味深い試みがある。J・I・キツセ、M・B・スペクター、村上直之・中河伸俊・鮎川潤・森俊太訳『社会問題の構築――ラベリング理論をこえて』(マルジュ社一九九〇年)。
▼9 7-1参照。
▼10 11-2参照。
▼11 以上のことがらは、第二二章で具体的に展開しておいたので参照されたい。
6-3 時代診断の学としての社会学
社会学の役割――潜在的社会問題の発見
では、社会学はこのプロセスのなかでいかなる役割を担いうるのか。ロバート・K・マートンはこれを「潜在的社会問題の発見」に求めている▼1。
たとえば、百数十人の犠牲者をだした航空機事故は大きく報道され、徹底的に分析される。ところが毎日同じ数の犠牲者を間断なくだしつづけている自動車事故がこれだけのあつかいをうけることは少ない。後者は統計してはじめてわかる事態であり、可視性にとぼしい。これは国外の数万人の死者よりも国内の数十人の死者の方が人びとに衝撃をあたえることがあるのと同様だ。このことは「人間の悲劇の客観的な重要性」と「この悲劇に対する人びとの知覚」に不均衡があることを示している▼2。
このため、一方には社会の一定の人びとが望ましくないと判断する社会状態があり、他方、そのさまざまな結果が知られるようになってはじめて望ましくないと判断される社会状態が存在する。前者を「顕在的社会問題」といい、後者を「潜在的社会問題」という▼3。社会学はこの潜在的社会問題を顕在化させる役割を果たさなければならないというのがマートンの見解である。
しかし、わたしたちは社会問題についての社会学の役割について過大評価しないようにしなければならないとマートンは戒めてもいる。「行為のありうべき結果に関する新しい客観的知識を得たからといって、ひとはただちにこの知識に照らして行動するとは限らないし、社会学の素養をもったからといって、ひとは賢明になり思慮分別をもつようになるとは限らない。しかし、社会学的な研究によって潜在的な社会問題の実体を次から次へと暴露し、また顕在的な社会問題を究明することによって、ひとは自分たちの集合的な行為や制度化された行為の所産をますます説明することができるようになるのである▼4。」社会学が提供する知的自由とはこのようなことではないかとわたしは思う。
社会学的時代診断
社会学の歴史のなかで通奏低音のようにたえず演奏を牽引してきた実践的志向は以上のような社会問題論として大きく花開いたといえる。じっさい社会学の各研究領域のなかで社会問題に関するものは質量ともに充実しているし、これからますますその傾向は強まるだろう。
社会問題論としての社会学は、この章のはじめにあげた三つの実践的関心――政策的関心・臨床的関心・運動的関心――のそれぞれについて、〈分析〉〈診断〉〈反省〉の役割をになうものとして位置づけることができる。問題解決のための具体的な〈政策〉と〈治療〉と〈運動〉とは一線を画しながらも、知的誠実性によって現状を〈分析〉し〈診断〉し〈反省〉する知識を提供できるということだ。これこそ社会学研究の実践的課題であるといえる。そしてこうしてえられた社会学的知識が、それを学ぶ者によって間接的に〈政策〉〈治療〉〈運動〉といった問題解決のための諸実践に生かされればいいのだ。
カール・マンハイムは「社会学的時代診断」(soziologische Zeit-diagnostik)ということばで社会学のこの役割=実践的課題を表現した。ただしマートンとちがってマンハイムは同時代に対して評価的態度で臨み「戦闘的民主主義」の立場から「民主的計画」という社会計画構想を展望するところまで踏み込んだのだが。
社会学において「現代社会論」といわれる分野もこれとほぼ同じ動機をうけついでいるといえよう。「現代社会論」とは大衆社会論・産業社会論・脱産業社会論・情報化社会論・管理社会論・消費社会論などのように、特定の特殊現代的傾向をとりあげることによって現代社会の時代診断を試み将来的展望を模索する社会理論のことをいう。これらは時事的な問題と密着して「時評」や「論壇」の枠で論じられる一方、行政・企業・専門家の利害遂行に利用されることもあって、科学と思想――これには経営思想などもふくまれる――の狭間に位置することになる。研究者のなかにはこのような価値判断的な領域に足をつっこむのを邪道とみるむきもあるが、知識人として積極的に発言することによって科学的知識を社会に生かそうとする行動的知識人も多い。読者としては批判的に吟味することが必要となるゆえんである。
ロマンティシズムをこえて
さて、同時代の社会間題に関わるさいに生じる問題は、このような価値判断の評価だけではない。もう少し感情的な問題もある。
社会運動の当事者とそれを報じるジャーナリズムは、問題がヴィヴィッドであればあるほど「道徳的十字軍」として一種のロマンティシズムへ走ることがしばしばある。それは社会学も同じだ。ロマンティシズムは往々にして認識をくもらせるばかりか、自己欺瞞・自己満足をまねく。
かつてアメリカの逸脱行動論の第一人者であるハワード・ベッカーが「われわれはだれの側に立つのか」という問題提起をしたことがある。かれによると、社会問題を研究するさい社会学者は結局だれかの観点に立たざるをえないのだから、みずからの党派性を自覚すべきだという。そして権力者の側でなくその反対の極の「負け犬」(underdog)の立場にある人びとの観点に立つべきだと主張した。社会問題の構図でいえば、エリートではなく逸脱者・被害者・弱者の側だ▼5。
これは本書の立場にも近いものだが、ベッカーはいたずらに共感するのではなく客観性をたもつために「感情中立性」を強調した。そのために「動物園管理者のロマンティシズム」に陥る危険性があるとの批判を受け、論争になった。研究調査と称して「負け犬」となった人びとの周辺をかぎまわってその成果を標本のように展示する姿勢は、たしかに動物園管理者や昆虫採集マニアによく似ている。
このようなロマンティシズムは、人間としての苦しみに対する共感にともなうもので、その意味ではかならずしも放棄すべきものではないけれども、社会問題の認識のさいにそれを十分自覚し反省し明示していかないと、科学としての存在意義がなくなってしまう。このあたりがジャーナリズムと一線を画すところである。
そのためには、被害者および政策担当者などの立場にたつ当事者主義をこえる部分がなければならない。これは「まやかしのユートピア主義をさける」ためにも必要なことだ▼6。以前にのべた「インサイダー主義」だけでなく「アウトサイダー主義」もあわせもつことが要請される。
両義性の緊張に耐えること
これはつまり、ものごとを両義性においてとらえるということだ。両義性[アンビヴァレンス(anbivalence)]とは、あるものごとが同時に相反する意味や価値をもつことをいう。善であると同時に悪、危機であると同時に創造、周辺であると同時に中心、秩序であると同時に暴力、主体であると同時に客体――ことに社会的事象はこのような両義性にみちているのである。両義性をみつめ、両義性に耐えることこそ社会学が得意としてきたことである。
以上これまで社会学の問題としていろいろ論じてきたけれども、これらはたんに社会学の問題ではなく、近代社会に生きる者の知的問題であると受けとめてほしい。読者が社会学をめぐる議論を通過するなかで、読者自身が社会学的発想法を生活感覚としてもつことができれば幸いである。
▼1 マートン、森東吾訳「社会問題と社会学理論」『社会理論と機能分析』(青木書店一九六九年)。
▼2 前掲訳書四三〇ページ。
▼3 前掲訳書四二七-四二八ぺージ。
▼4 前掲訳書四二七ページ。
▼5 H.S.Becker,Whose side are we on ?, in: Social Problems14,1967.
▼6 マートン、前掲訳書四二九ページ。
増補
社会構築主義
社会問題の基礎理論として九〇年代の社会学を席巻したのが構築主義(constructionism)である。構築主義という分析視角の核心は、社会問題を「なんらかの想定された状態について苦情を述べ、クレイムを申し立てる個人やグループの活動」と定義するところにある。「ある状態を根絶し、改善し、あるいはそれ以外のかたちで改変する必要があると主張する活動の組織化が、社会問題の発生を条件づける」と考えるわけである[J・I・キツセ、M・B・スペクター『社会問題の構築――ラベリング理論をこえて』村上直之・中河伸俊・鮎川潤・森俊太訳(マルジュ社一九九〇年)一一九ページ]。
構築主義は、ある状態が最初から「問題」と考えないし「客観的に」問題だと定義することもできないとする。それは「問題」と定義するクレイム申し立て活動があって初めて「問題」になると考える。たとえば喫煙問題は、アメリカの反喫煙運動による「悪の創出」過程とそれに対する喫煙擁護勢力との「問題の定義」をめぐるせめぎあいの社会史として記述されるべきものである[ロナルド・トロイヤー、ジェラルド・マークル『タバコの社会学――紫煙をめぐる攻防戦』中河伸俊・鮎川潤訳(世界思想社一九九二年)]。
社会問題論におけるこの視角は今日では「社会構築主義」(social constructionism)として各領域の経験的研究に広く採用されている。家族社会学では家族について語られる言説によって当の家族が構築されるとの視点による研究がある[ジェイバー・グブリアム、ジェイムズ・ホルスタイン『家族とは何か――その言説と現実』中河伸俊・湯川純幸・鮎川潤訳(新曜社一九九七年)]。
また、近年の日本の教育社会学でも構築主義による研究がさかんである。たとえば次の三冊。今津孝次郎・樋田大二郎編『教育言説をどう読むか――教育を語ることばのしくみとはたらき』(新曜社一九九七年)。上野加代子『児童虐待の社会学』(世界思想社一九九六年)。朝倉景樹『登校拒否のエスノグラフィー』(彩流社一九九五年)。このあたりの具体的な方法論については、北澤毅・古賀正義編著『〈社会〉を読み解く技法――質的調査法への招待』(福村出版一九九七年)が論じている。
医療社会学においても医学的知識を社会的に偶発的(contingent)であり社会的に構築されるものと考える研究が紹介され始めている。たとえば、クロディーヌ・エルズリッシュ、ジャニーズ・ピエレ『〈病人〉の誕生』小倉孝誠訳(藤原書店一九九二年)。医療研究の場合は、フーコーの先駆的研究や反精神医学運動の影響が大きいので、必ずしもキツセたちの社会問題論とはつながりがない。
社会問題論のこれらの動向については、徳岡秀雄『社会病理を考える』(世界思想社一九九七年)が概観を与えてくれる。このあたりに興味をお持ちの方は、この本から入るといいだろう。
■社会学的時代診断
本編6―3では「時代診断の学としての社会学」について説明した。社会学を出発点にして具体的なできごとを分析し、価値判断を加えて批評する行為は、科学としての社会学のありようと矛盾しないどころか、むしろそれこそ社会学のエートスだと私は考えている。けれども、そうした活動は大学制度という基盤に立つアカデミズムの世界ではリスクを伴う行為でもある。ステレオタイプなウェーバー解釈のことばを使うと「没価値的」で「禁欲主義的」なスタイルの研究に専心していないと大学世界では評価されないのである。また、時事的な問題はどうしても予想を含むことになる。競馬予想と同様、それは的中するしないにかかわらず、すぐに結果がわかってしまう。それだけに実力が要求される仕事なのである。
その意味で、一九九〇年代の橋爪大三郎と宮台真司の活躍にはすばらしいものがある。ふたりの真骨頂は新聞や雑誌に書かれた鮮度のよいものにあると思うが、ここでは単行本化された主要なものをあげておこう。
橋爪大三郎『現代思想はいま何を考えればよいのか』(勁草書房一九九一年)。橋爪大三郎『民主主義は最高の政治制度である』(現代書館一九九二年)。橋爪大三郎『橋爪大三郎の社会学講義』(夏目書房一九九五年)。橋爪大三郎『橋爪大三郎の社会学講義2』(夏目書房一九九七年)。宮台真司『制服少女たちの選択』(講談社一九九四年)。宮台真司『終わりなき日常を生きろ』(筑摩書房一九九五年)。宮台真司『世紀末の作法――終ワリナキ日常ヲ生キル知恵』(メディアファクトリー一九九七年)。宮台真司『まぼろしの郊外――成熟社会を生きる若者たちの行方』(朝日新聞社一九九七年)。宮台真司『透明な存在の不透明な悪意』(春秋社一九九七年)。
どちらかというと橋爪は政治批評の作法に則っているところがあり、必ずしも社会学的な議論に持ち込もうとはしないようだ。それに対して宮台のエッセイは「社会学では」というフレーズがあたかもそれが作法とでもいうようにでてくる点で、社会学を使うという意欲が感じられる。私自身が若いときには、そういう応用的説明をまるで聴いたことがなく、たいへんいらいらしたものだったが――そしてそれが本書執筆のエートスにもなったのだが――そういう思いが満たされるのはたしかである。
一九六〇年代の日高六郎や清水幾多郎のように、社会学者が論壇で発言し、言論界をリードする時代もあった。それを批判的に見る社会学者が多いのはたしかだが、経済学者や政治評論家や文芸批評家などが中途半端に社会学風の議論をふりまわすのを見るにつけ(そしてそれをウォルフレンのような人が「社会学者はこうだから」と批判するのを見るにつけ)、社会学者の出番はまだまだあると思う。
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SOCIUS.JPドメインへの初出 8/4(Sun), 2002  最終更新日:4/1(Sat), 2017
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