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4月 12017

社会学感覚 市民社会の再構築

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社会学感覚
市民社会の再構築
増補
社会構想と「公共哲学としての社会科学」
社会構想論というテーマ群は本編にはなかったものだ。しかし、これも社会学の重要課題のひとつである。もちろんユートピアを夢想するのではない。政策論的なニュアンスを込めて「社会計画論」と呼ばれることもある。もっと地に足をつけたものでなければなるまい。
そもそも社会はその構成要素として理念や理想を含む。しかし、人びとが望ましいと考えている社会がほんとうに望ましいのか、「変革」や「改革」の名の下に政策や行為が志向するヴィジョンは果たして理想的なものなのか。想像力を働かせて精査してみる必要がある。
この問題圏については「社会構想」と銘打たれたほとんど唯一の本『社会構想の社会学』岩波講座現代社会学 第26巻(岩波書店一九九六年)を参照してほしい。
このような領域に社会学が踏み込む理由については、ロバート・N・ベラー、R・マドセン、S・M・ティプトン、W・M・サリヴァン、A・スウィドラー『心の習慣――アメリカ個人主義のゆくえ』島薗進・中村圭志訳(みすず書房一九九一年)の巻末に付せられた「公共哲学としての社会科学」という短い論考をぜひ参照してほしい。
市民的公共圏
さしあたり社会構想論の重要なテーマは「市民社会の再構築」であろう。キーワードは市民的公共圏である。
市民的公共圏とは、自律的な市民が自由に討論しあう言語空間のこと。もともと古代ギリシャにあった考え方だが、それが、初期資本主義の発達の中で、具体的に実現した社会的な空間である。基本的には、権力に対抗することがひとつのポイントになっており、そこが日本の行政関係者のいう「公共性」との大きなちがいである[日本における公共性概念については、船橋晴俊・長谷川公一・畠中宗一・勝田晴美『新幹線公害――高速文明の社会問題』(有斐閣一九八五年)を参照してほしい]。
ハーバーマス『公共性の構造転換――市民社会の一カテゴリーについての探究(第2版)』細谷貞雄・山田正行訳(未来社一九九四年)は、この分野の古典。最近ハバーマスが三十年前の自著を回顧した小論をくわえた新版で、この小論は必読。
公共圏論については、花田達朗『公共圏という名の社会空間――公共圏、メディア、市民社会』(木鐸社一九九六年)が基本書。花田はそれまで「公共性」と訳されていたのを「公共圏」と訳すことを提唱した。「性」がつくととたんに抽象的なものになってしまうが、そうではなく、あくまでも具体的な空間のことだいうのだ。たしかに前掲のハバーマスの本の「公共性」も「公共圏」とか「公的空間」と読みかえると理解できる箇所が相当数ある。英訳では public sphere である。
このテーマでは、ハンナ・アレント『人間の条件』志水速雄訳(ちくま学芸文庫一九九四年)も古典である。近年、ハバーマスとの関連で見直されているようだが、社会学としては使いにくい議論である。
日本社会の文脈でとりあげた本としては、佐藤慶幸『生活世界と対話の理論』(文眞堂一九九一年)をあげておきたい。生活クラブ生協を事例に考察されている。初学者はここから入るといいだろう。
公共圏のモデルとしてのコーヒーハウス
コーヒーハウスはたんなる喫茶店ではない。それは、市民たちが平等の資格において出会い、討論し、世論をつくりだしてゆく社会的空間だった。ジャーナリズムもその中から生まれ、その機能をマス・メディアが担っていくことになる。よくハバーマスが「コーヒーハウス式の市民主義」のように揶揄されることがあるが、私たちはコーヒーハウスの歴史的実態をよくわかっていないまま、そのようなことばを受け売りしたり、あるいは反発したりしているもの。このさいコーヒーハウスとその周辺について歴史的にきちんと知ることから始めたい。小林章夫『ロンドンのコーヒー・ハウス』(PHP文庫一九九四年)は、コーヒーハウスがどこまで公共圏として機能し、どのような限界をもち、どのように変質していったかを説明した歴史書。ジャーナリズム史の勉強にも役立つ本だ。
ネットワーキング
個人と個人の新しいつながり方として注目されているのがネットワーキングである。ネットワーキングということばは、J・リップナック、J・スタンプス『ネットワーキング――ヨコ型情報社会への潮流』(プレジデント社一九八四年)ではじめて定義され、やがて一般に使用されるようになった。著者は社会学者である。
ネットワーキングの一般書としては、金子郁容『ボランティア――もうひとつの情報社会』(岩波新書一九九二年)と、上野千鶴子・電通ネットワーク研究会『女縁が世の中を変える――脱専業主婦のネットワーキング』(日本経済新聞社一九八八年)などがある。とくに金子の本は、それまでの「ボランティア」のイメージを覆した、理論的にも示唆に富む本である。
社会運動論
ネットワーキングの問題は広い意味での社会運動論に入る。社会運動は社会形成の基本である。片桐新自『社会運動の中範囲理論――資源動員論からの展開』(東京大学出版会一九九五年)は、社会運動についての最新理論を論じた研究書。社会運動論研究会編『社会運動論の統合をめざして――理論と分析』(成文堂一九九〇年)は、若手研究者による論文集だが、錯綜するこの分野の知見がよく整理された総論的論文がふくまれている。また、環境問題や草の根市民運動などについての事例研究もあって、この分野の研究状況を理解するのにいい本だ。社会運動論研究会編『社会運動の現代的位相』(成文堂一九九四年)はその続編。
「新しい社会運動」については、梶田孝道『テクノクラシーと社会運動――対抗的相補性の社会学』(東京大学出版会一九八八年)とくに第6章「新しい社会運動――A・トゥレーヌの問題提示をうけて」。
市民社会とシティズンシップ
新しい社会運動の主役は「市民」としての個人である。マス・メディア上では、カレル・ヴァン・ウォルフレン『人間を幸福にしない日本というシステム』篠原勝訳(毎日新聞社一九九四年)が「市民」概念を呼び起こした。そのため、それに反発する新保守主義の文化人がさかんにこのことばとこれを使う人たちを批判するという流れができている。「市民」を標榜する「きまじめな」人たちに対する反発からの無邪気な批判も多い。そう、これはきわめて政治的な概念なのだ。
日本では、久野収が警職法反対運動においてきわだった「市民」に注目した論文によって独特の政治的ニュアンスが加わり、以後さかんに使われるようになった。久野収『市民主義の成立』(筑摩書房一九九六年)はその論文を復刊したもの。ここで強調された「市民」概念は個人主義的な政治的能動性をその意味内容としていた。その後、この文脈が忘れられておもに左翼系の政治組織のスローガンとして「市民」が使われることになった。「市民」は政治組織からも自由に動く個人とされただけに皮肉ななりゆきだった。
社会科学の世界では、松下圭一の一連の仕事が大きな影響を与えた。松下圭一『戦後政治の歴史と思想』(ちくま学芸文庫一九九六年)は、一貫して「市民」にこだわった政治学者のベストセレクション。どれも名作だが、とくに「〈市民〉的人間型の現代的可能性」が重要な仕事。
社会学の基本文献では、T・H・マーシャル、トム・ボットモア『シティズンシップと社会的階級――近現代を総括するマニュフェスト』岩崎信彦・中村健吾訳(法律文化社一九九三年)がある。マーシャルの論文にボットモアが解説を加えたものである。ただし、ここでのシティズンシップは「平等であること」を主要な意味内容にしている。権利と義務をさす「市民権」に近い意味である。この文脈ではその後ブライアン・ターナーらが議論を進めている。  社会学で近年注目されているのは「市民社会」(civil society)形成の文脈だ。社会主義政権下のポーランドにおける「連帯」に象徴されるような社会再構築の主役たち、つまり、利害関係にしばられない、政治化された自律的個人としての「市民」に着目したものだ。こちらは「市民精神」の発動としての政治的能動性が強調されている。ウォルフレンや久野収の使い方はこちらに近い。
いずれにしても、このテーマはトクヴィル以来の古くて新しいテーマといえそうだ。ある種の生き方としてのシティズンシップ(市民精神)の可能性と限界について社会学的に考える上でヒントになりそうな本をあと二冊追加しておこう。ひとつはこの章の冒頭で紹介した、ベラーらの『心の習慣――アメリカ個人主義のゆくえ』。もう一冊は、リチャード・セネット『公共性の喪失』北山克彦・高階悟訳(晶文社一九九一年)。
近代とは何か
社会構想論の前提は「近代」をどう捉えるかである。もちろん「近代」を問い直すことは社会学の草創期以来のテーマであって、基本文献は山ほどある。ただし九〇年代の近代論は七〇年代以降のポストモダンの思想潮流が一段落し、そこで突きつけられたものを問い直すという特徴をもっている。安直に「ポスト」を持ち出して、結論もあるようなないような流行思想にいったん休止符を打ち、激動の二〇世紀を俯瞰しながら「近代とは何か」を問うような理論的な仕事である。
その代表的な研究として、アンソニー・ギデンズ『近代とはいかなる時代か?――モダニティの帰結』松尾精文・小幡正敏訳(而立書房一九九三年)をあげておきたい。日本では、佐藤俊樹『近代・組織・資本主義――日本と西欧における近代の地平』(ミネルヴァ書房一九九三年)がひとつの到達点的な研究である。
リフレクションの思想
本書は社会学の入門書として書かれているので自説は控えてあるが、本としてのトータリティを確保するためリフレクション(反省)概念によって論調を整理している。総論として新たにまとめなおしたのが、野村一夫『リフレクション――社会学的な感受性へ』(文化書房博文社一九九四年)である。反省社会学などの理論的背景については、こちらを参照してほしい。
リフレクションの思想については、今田高俊『自己組織性――社会理論の復活』(創文社一九八六年)、今田高俊『モダンの脱構築――産業社会のゆくえ』(中公新書一九八七年)、今田高俊『混沌の力』(講談社一九九四年)で展開されている。「リフレクションの思想」と呼んだのは今田である。システム論のひとつの理論的帰結として導出されたもの。社会構想論のひとつのポイントになるものと思う。
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4月 12017

社会学感覚23薬害問題の構造

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社会学感覚
23 薬害問題の構造
23-1 日本の薬害問題
社会問題としての薬害
社会問題の社会学的例題として薬害問題をとりあげてみたい。その理由は三つある。ひとつは、薬害は、わたしたちにとって身近な問題となる可能性が高いこと。すくなくともその問題性をおさえている必要がある。ふたつめは薬害が社会問題としてのさまざまな特性と構造をすべてもっていること。その意味で薬害は社会問題の例題として学ぶべきことが非常に多い。そして第三に、薬害の社会学的問題構造をあきらかにしたすぐれた先駆的研究が存在すること。宝月誠編『薬害の社会学――薬と人間のアイロニー』がそれである▼1。本章では、この研究の開示する社会学的な問題性を、わたしなりに解きほぐして、現代日本になぜこのような社会問題が生じてきたのかを考えていきたい。まず、日本の代表的な薬害問題を概観しておこう。
サリドマイド事件
一九五七年西ドイツのグリュネンタール社が睡眠薬「コンテルガン」として販売を開始し、翌年日本でも大日本製薬が睡眠薬・つわりの防止薬「イソミン」として、さらに一九六〇年には胃腸薬「プロバンM」として販売した一連のサリドマイド剤によって、多くの四肢奇形児が生まれた事件。薬害の原点ともいわれ、日本人にとってほとんど最初の大型薬害経験といえる。一九八一年の段階で日本の生存被害者は三〇九人、世界で生存被害者総数は約三七〇〇人といわれる▼2。
当時各地で誕生していた四肢奇形児とサリドマイド剤の関係が明確に指摘されたのは一九六一年である。一一月一八日ハンブルク大学のW・レンツがデュッセルドルフの小児科学会で〈あざらし状奇形児〉の原因がサリドマイド剤にあると発表した。かれはその前に、西ドイツの販売メーカーであるグリュネンタール社に警告したが拒否されていた。
一一月二六日になって「ヴェルト・アム・ゾンターク」紙が、グリュネンタール社のサリドマイド剤「コンテルガン」を名指しして報道すると同時に、グリュネンタール社は「コンテルガン」を市場から回収し、ヨーロッパ各地のサリドマイド剤もつぎつぎに回収された▼3。
一二月五日になってグリュネンタール社の勧告が大日本製薬にとどき、翌日厚生省と大日本製薬がレンツ警告について協議した。ところが「有用な薬品を回収すれば社会不安をおこす」として販売続行を決めてしまう。
翌一九六二年二月二二日「タイム」誌がサリドマイド被害の記事を掲載するが、このようななかでその前日の二月二一日厚生省は亜細亜製薬のサリドマイド剤「パングル」に製造許可をあたえている。三月と四月になって製造販売をやめない大日本製薬に対してグリュネンタール社が警告を発している。五月一八日「朝日新聞」が、西ドイツのサリドマイド被害についてのボン支局の報告を報道したことによって、日本のジャーナリズムがいっせいに動きだしたため、「報道による混乱を防ぐため」として、サリドマイド剤を販売していた製薬各社がこの五月に出荷停止を厚生省に申し入れた。ところが、これはあくまで「出荷停止」にすぎず、すでに出荷された在庫品はそのまま薬局で売られていた。
やがてイギリスの医学誌「ランセット」七月二一日号に北海道大学の梶井正が、〈あざらし状奇形児〉七例の母親のうち五人がサリドマイド剤を飲んでいたとの論文を発表し、地元の研究会でも報告したことが報道され、九月一三日になってようやく回収にふみきることになる。しかし、この回収措置は不完全なもので、地方の薬局には「イソミン」の在庫があったという。
そして告訴から一九七四年の和解まで「十年裁判」と呼ばれる長い闘いが被害者と家族に待ち受けていた。
スモン事件
「スモン」とは「亜急性」「脊髄視神経」「神経症」の三つのラテン語の頭文字SMON(Subacute myelo-optico-neuropathy)に由来する▼4。下半身から始まる神経のマヒによって歩行困難となり、やがて視力障害にいたる。全盲になる場合も多かった。一九五五年以来出現したこのような原因不明の複合的症状にスモンという名がつけられたのは、患者数が爆発的増加に転じる直前の一九六四年だった。その後一九六〇年代のスモン患者は厚生省調べで約一万一千人にのぼった。
ところが当時、スモンの原因はウィルスと考えられていた。最初に「スモン感染説」がでてきたのは「スモン」と命名された一九六四年の日本内科学会シンポジウムだった。ここでウィルスによる伝染性疾患のため患者を隔離する必要があるとの指摘がなされた。スモンの原因については当時、代謝障害説やアレルギー説などもあったが、なかでも「スモン感染説」は医学界の有力な見解として地方自治体や一般市民に受け取られ、各地で患者への差別を生みだした。患者に接触すると感染するというので、スモン患者が医療者から敬遠されたり、患者の家族が学校・親戚・地域社会などから排除される――つきあってもらえないとか縁談とりやめなど――ことが多くなった。患者と家族の苦悩は二重三重となり、多くの自殺者が続出し、その報道が苦悩を増加させた。
一九六九年、厚生省は「スモン調査研究協議会」を設置し、ようやく国として原因究明にのりだす。一九七〇年二月「朝日新聞」などが京都大学の井上幸重の「ウィルス感染説」をとりあげ大々的に報道し、スモン患者に衝撃をあたえることになる。しかし、なぜ看病する患者の家族に感染しないのかという素朴な疑問はそのまま放置されつづけた。
同じ年の五月、スモン調査研究協議会のメンバーである東京大学の田村善蔵が患者の緑尿から、整腸剤として治療に使われてきたキノホルムを検出し、それを受けて新潟大学の椿忠雄が疫学調査を実施、その結果を八月「朝日新聞」に伝えた。こうして「スモン=キノホルム説」が登場した。この「キノホルム説」が完全に確立するのは一九七二年であるが、厚生省はサリドマイド事件の経験から、一九七〇年九月の疑惑段階でキノホルムの使用販売中止の措置をとった。その結果、スモン患者の発生は激減した。
ここから一九七九年に確認書和解によって一応の到達点をえるまでの長い道のりがはじまる▼5。ともあれ終わってみると、スモン事件は、キノホルムによるスモン中毒患者すなわち被害者が一万人をはるかに超える世界最大の薬害事件だった。
クロロキン事件
クロロキンはもともとマラリアの特効薬として太平洋戦争末期にアメリカ軍が使用していた薬だが、これを「レゾヒン」として輸入販売していた武田薬品工業の子会社吉富製薬が一九五八年に適応症を腎炎に拡大、さらに一九六一年小野薬品が慢性腎炎の特効薬「キドラ」として大量に宣伝販売することによって、同年からおもに腎臓病患者にクロロキン網膜症という眼障害をひきおこした大型薬害事件▼6。クロロキンを慢性腎炎に適用したのは日本だけであり、したがってクロロキン製剤による薬害事件が生じたのは日本だけである。
クロロキンが視覚障害の副作用をもつことは、日本で大量販売される以前にすでにアメリカでは知られていた。日本でも「キドラ」発売の翌年にクロロキン網膜症の報告がだされている。アメリカではこの年FDAがクロロキンの有害作用警告書を医療機関に配布するよう要求し、製薬会社は二四万通の警告書を発送している。しかし、同じ年の日本では新しいクロロキン製剤「CQC錠」が販売開始される。しかも副作用を逆手にとって広告していた。医学雑誌に掲載された広告には「非常に毒性が弱いので大量・長期投与に適す。従来のクロロキン製剤では相当高率に副作用(主として胃腸障害稀に神経障害、網膜障害)が現われるが、CQC錠では稀に軽度の一過性の胃腸障害を認めるに過ぎない」とある。
一九六五年、当時の厚生省薬務局製薬課課長の豊田勤治は、リューマチのためたまたま「レゾヒン」を飲んでいたが、クロロキン網膜症の情報をえて、自分だけ飲むのをやめた。これはたまたま裁判の過程で明らかになったことだが、もしこの段階で適切な措置をしていれば被害の八割は防げたという。
一九七一年になって、被害者のひとりが厚生大臣に直訴し、それを朝日新聞が報道したことによって、はじめてクロロキン薬害が社会問題として知られるようになり「クロロキン被害者の会」が結成される。そして、その後の世論の盛り上がりによって一九七四年クロロキンは製造中止になる。
その他の薬害問題
サリドマイド、スモン、クロロキンの三つの事件以外にも日本には多くの薬害が社会問題になってきた。有名な事件を四件だけ補足しておきたい▼7。
日本で薬害という概念が定着するのは、スモンのキノホルム説が確立して以降のことだが、じつはサリドマイド事件以前にも大きな薬害事件が起きている。一九五六年に問題化した「ペニシリン・ショック」がそれである。東京大学法学部長の尾高朝雄がペニシリンを注射された直後にショック死したことが問題化のきっかけとなった。しかし、その年までの四年間に、すでに一〇八人がショック死していたのである。
一九六五年二月には「アンプル入りかぜ薬」によるショック死が続出し、大きな社会問題になった。数年前からこのときまでの死亡者は計三八人。これはマスコミが連日大きく取り上げたため、厚生省はすぐに販売自粛通知をだし、その後回収を要請した。このすばやい厚生省の対応によって、製薬企業は何十億円の損害をだしたといわれる。この直後、厚生省側は製薬企業側に陳謝している。この事情が、当時まだ一般には知られていなかったクロロキン網膜症についての厚生省の対策を遅らせることになった。
一九六九年末には「コラルジル中毒」薬害が新潟大学の若手医師たちによって公表された。裁判上の被害者は少数だが、肝臓障害として現れるため実数ははっきりしない。一説によると総被害者は数万人以上ともいわれる。もし明確な対策と調査がおこなわれていたら超大型の薬害事件になったかもしれない。コラルジルは心臓病の薬として販売されていたが、その副作用は以前から知られており、製薬企業はこれを隠していた疑いがある。
最後に現在進行形の問題を。それはインフルエンザ予防接種による薬害である。インフルエンザ・ワクチンの学童予防接種が始まったのは一九六二年、そしてこれが義務接種に改正されたのが一九七六年である。これは日本独自の方法であり、効果が疑われる上に、死亡や障害などさまざまな副作用被害が続出している▼8。
▼1 宝月誠編『薬害の社会学――薬と人間のアイロニー』(世界思想社一九八六年)。本章の多くの論点はこの研究にもとづいている。きわめて高度な内容をもち、豊富なデータと手記に対する分析には共感するところが多い。工業化学・薬学・医療に携わる人には熟読をすすめたい。また、これとともに、薬学サイドからの研究として、高野哲夫『戦後薬害問題の研究』(文理閣一九八一年)を基本資料として参照した。高野は「社会薬学」を提唱しており、薬の社会的側面の研究を薬学にもちこむべきだと主張している。
▼2 事件の詳細についてはつぎのものを参照した。宮本真左彦『サリドマイド禍の人びと――重い歳月のなかから』(ちくまぶっくす一九八一年)。川名英之『ドキュメント日本の公害第三巻薬害・食品公害』(緑風出版一九八九年)第三章。高野哲夫、前掲書。砂原茂一『薬 その安全性』(岩波新書一九七六年)。
▼3 アメリカではサリドマイド剤は製造許可されなかった。これは食品薬品局FDAのフランシス・C・ケルシー担当官がサリドマイド剤の安全性に疑問をもちその販売に抵抗したためだった。その事情は一九六二年七月一五日に「ワシントン・ポスト」紙が内幕を発表してはじめて明らかになった。このことがきっかけになって、同年、薬の有効性を問い直すキーフォーバー・ハリス修正薬事法が成立した。まさに日本と正反対の経過をたどった、このあたりの事情については、M・シルバーマン、P・R・リー、平澤正夫訳『薬害と政治――薬の氾濫への処方箋』(紀伊國屋書店一九七八年)八一-八三ページ。
▼4 事件の詳細については、おもにつぎのものを参照した。高野哲夫、前掲書。川名英之、前掲書第一・二章。
▼5 スモン訴訟の社会学的分析として、栗岡幹英「薬害における逸脱と裁判」宝月誠編、前掲書所収。
▼6 事件の詳細については、つぎのものを参照した。高野哲夫、前掲書。川名英之、前掲書第四章。後藤孝典編『クスリの犯罪――隠されたクロロキン情報』(有斐閣選書一九八八年)。谷合規子『危ないインフルエンザ予防接種――薬害列島ニッポン』(潮出版社一九八六年)第二部「薬に目を奪われた人々――クロロキン薬害被害と裁判の記録」。
▼7 高野哲夫、前掲書。後藤孝典編、前掲書。谷合規子、前掲書。
▼8 その他の薬害事件については、高野哲夫、前掲書「1戦後薬害事件の歴史的研究」を参照してほしい。一九八○年までの事件が網羅されている。なおインフルエンザ予防接種については、高橋晄正『危険なインフルエンザ予防接種』(農文協一九八七年)がくわしい。ダイジェストなものとしては、高橋晄正『からだが危ない――身辺毒性学(新版〉』(三省堂一九九一年)IV章を見よ。
23-2 企業逸脱と専門家支配
製薬企業
薬害事件には二種類の大きな組織がからんでいる。製薬企業と国[厚生省]である。薬害訴訟の多くがこの二種類の組織をおもな被告としており、和解の場合をふくめて、両者に非のあるのはあきらかである。そこでまず、製薬企業と厚生省の組織としての問題を明確にしておこう。
まず製薬企業について。すでにみてきたように、大きな薬害事件においてつねに主役を演じているのは製薬企業である。それは事件発生のプロセスにおいてもそうであるだけでなく、長い裁判のプロセスにおいても、またその「過失」があきらかになったのちにおいても、そうである。たとえば、スモン訴訟において田辺製薬がとった悪質な対応ぶりは有名であるし、キノホルムの製造元であるスイスのチバガイギー社は、一万人以上の被害者をだしたのちの一九七〇年に日本が製造販売禁止に踏み切って以降も十数年にわたって第三世界の国々で販売しつづけた▼2。これらの事実は、製薬企業の組織上の性格がもつ問題の根の深さを示している。なぜこのようなことが生じるのだろうか。
企業逸脱
もちろん薬害事件の直接的な要因は製薬企業の利益追求至上主義にあることはいうまでもない。しかし、「より多くの利益を」という構造原理そのものは資本主義の枠組からいうと特殊なことではない。問題なのはその利益のあげ方である。多くの場合、薬害事件は、企業が安全性の軽視という〈逸脱〉した活動によって利益をあげようとしたことに端を発している。このように〈逸脱〉は街頭犯罪のように個人にのみ生じるのではなく、しばしば企業のような組織や集団にも生じる。そして現代日本社会を考えるとき、企業組織の逸脱行為はもっとも重要なファクターのひとつなのである。
宝月誠は薬害を「企業逸脱」の観点から考察している▼3。かれによると「企業逸脱」(corporate deviance)は、つぎのように定義される。要素ごとに分けて示そう。
(1)合法的な企業の成員が
(2)かれらの職務を通じて
(3)企業のためにおこなう活動のなかで
(4)他者から社会的非難をまねく行為▼4
従来の社会学では、サザーランドの一九四九年の著作以来、「企業逸脱」のことを「ホワイト・カラーの犯罪」(white collar crime)と呼んできた▼5。厳密には概念上の相違があるが、ほぼこの流れにある概念である。
企業逸脱の仮説
宝月誠によると、つぎのような場合に企業は逸脱に関与しやすいという。製薬企業の場合に即して整理してみよう▼6。
(1)企業経営者や担当者が環境への対処の必要から、組織能力や現実を無視した企業戦略をあせって実行しようとするときに、企業逸脱の可能性は高まる。――薬害企業の場合、もともと新薬開発に数十億円と十数年を要するリスクの高い技術環境にあり、薬価基準改定など企業環境はきびしい。その環境に対して経営者や担当者に「あせり」が生じ、強引に課題を実行するとき、逸脱行為が生まれやすくなる。
(2)企業組織内の自己規制力が低下してくると、無理な企業戦略が抑制されず、集合的無責任が強化されて、企業逸脱の可能性も増す。――たとえば新薬開発のさい現場担当者の意見が社内の意思決定に反映されるかどうかがポイントとなる。圧殺・形式化・慣行による処理などによって強引な課題実行に対する組織内のチェック[規制力]が働かないときに逸脱が生じやすい。
(3)企業が行政機関の監視や指導や審査能力、あるいは消費者や世論の反作用といった統制環境の能力を低く評価したり、不当とみなす度合が高いほど、企業逸脱に関与する可能性も高まる。――大規模な薬害事件の生じたころの製薬企業は薬事行政や報道などの外部の環境を甘くみていたが、現在はむしろ過敏になっている。しかも、それらを不当とみなす傾向が強いため、戦略的に対処することが多く、みずからをきびしく律する用意は乏しい。
(4)現在の企業環境に満足できない経営者は業務上必要な相手と共謀関係を形成して自分に好都合な環境をつくろうとするが、そのさい、しばしば逸脱的な手段が用いられる。――共謀関係の相手は、たとえば医師であり病院である。逸脱的なサービスによるプロパーと医療関係者の共謀関係は患者の利益を二次的なものにしやすい。また大学の研究者・薬事審議会の委員・厚生省の職員とのパイプを太くしておくことは確実に利益を生む。製薬業界は建設業と並んで使途不明金が多いという事実はこの点と関係がある。
宝月誠によると、薬害に直接結びつく安全性の軽視・無視は、単独で生じるのではなく、他のさまざまな企業逸脱と密接に関わっているという。たとえば「昇進や賃金差別、配置転換の威嚇といった社員への暗黙の圧力は、彼らに実験データを捏造してまでも企業の要請にこたえようとする傾向を生む可能性がある。また、製薬企業のプロパーと医師との不明瞭な金銭やサービスを媒介にした結びつきは、クスリについての正確な情報を伝達したり、副作用情報についての迅速、的確なフィードバックを行なうといった本来のプロパーの役割から逸脱して、もっぱら自社のクスリを大量に『消費』してもらうことだけに集中し、クスリの安全性の問題は二次的なものになる危険性がある。」さらに衛生試験所技官や薬事審議会の有力委員への贈賄やサービスは直接クスリの安全性をおびやかす▼7。
このように分析していくと、日本の製薬企業がふたたび大きな薬害事件を引き起こす可能性は否定できない。その意味では、統制環境が大きなポイントになってくる。
厚生省の問題
企業に対するチェック機能を果たす統制環境としてもっとも有力な存在はいうまでもなく監督省庁である。薬の場合は厚生省薬務局である。この厚生省を中心とする薬事行政のありかたについては、いろいろと問題が多い。すでに紹介した大型薬害事件において厚生省はその本来の役割を果たしていない。また、数々の教訓をえたのちにおいても、厚生省付属の国立衛生試験所・国立予防衛生研究所の所員の収賄事件など管理者側の不正事件が多発していることから、構造はあまり変わっていないとみていいだろう▼8。
まず第一に、製薬企業との癒着構造。これは偶発的なものではなく恒常的かつ日常的なもので「構造」というべきだろう。その典型的なものが「天下り」のシステムである。各省庁ではキャリア組の同期から事務次官がひとりでると他の同期生は勇退する慣習になっていて、かれら高級官僚は再就職の必要に迫られる。「天下り」とは、そのさい関連企業や政府関係の特殊法人[公社・公団・事業団]に各省庁とのパイプ役として就職することである。国家公務員法では離職後二年間は禁止されているが、じっさいには柔軟に運用されており、毎年二百人以上の高級官僚が、在職官庁と関係の深い民間企業に就職し、多くの人が役員として厚遇されている。新薬の審査や安全性の確保を職務とする厚生省薬務局製薬課の課長・課長補佐も代々天下りしている。たとえば、大日本製薬がサリドマイド剤「イソミン」を申請した当時の水野課長は山之内製薬に、次の喜谷課長は中外製薬に、サリドマイド事件でレンツ報告を無視して国内での販売を続行させた平瀬課長は藤沢薬品に、クロロキンが問題になるまえに自分だけ薬をやめた豊田課長は東京医薬品工業協会の常務理事に、それぞれ天下りしている。現在も大手製薬メーカーでは課長補佐クラスを天下りさせて取締役の厚生省担当部長のポストにつけているという▼9。
天下りのシステムがあるかぎり業界との癒着はなくならない。なぜなら、まず第一に、厚生省の現役官僚が、製薬企業や製薬企業団体の役員の肩書きをもつかつての先輩たちと交渉するさいに、厳格な態度で臨むのはむずかしいからであり、第二に、厚生省の官僚が再就職の可能性を考えるかぎり、そうしたOBのいる製薬業界を考慮せざるをえないからである。だれしも自分の近い将来の可能性を狭めたくはないものである。ここでもフォーマルな組織ではなくインフォーマル・グループが現実を動かしているのである。
第二にあげておきたいのは、厚生大臣の諮問機関である中央薬事審議会のあり方である。薬は国が管理するといっても、じっさいには専門家の権威によって統制するわけであり、中央薬事審議会はその中枢にあたる。新薬はここで審査され認可される。ところが、そのもっとも厳正中立でなければならないところで、常識では考えられないことが慣習化されてきた。いわゆる「一人二役問題」である。これは、新薬の研究開発の中心者が中央薬事審査会の委員としてその薬を認可するという事態をさしている。つまり、審査される側と審査する側に同一人物がいるわけである。この問題は一九八一年国会で「丸山ワクチン」問題に関連してはじめて表面化した。そのさい「丸山ワクチン」つぶしで動いたといわれる人物が、先行する免疫療法剤「クレスチン」の研究開発者であり、かつそれを審査する中央薬事審議会委員だったことが判明している▼11。さすがにこれは、国会で問題となった一九八一年に禁止された。このように中央薬事審議会は、たてまえ上公正な第三者機関ということになっているが、第三者性に問題があるといわざるをえない。
専門家支配
これまで製薬企業と厚生省のふたつの組織をみてきたが、このほかにも大学研究者や病院の医師などが薬害の発生に直接関与している。とくに医師は、たとえばスモン訴訟の場合のように、当初は被告とされていたが、のちに投薬証明の必要から法的責任を免責されることが多かった。しかし、直接患者を診る立場にあった医師たちに社会的責任がないとはいえないだろう。
さて、薬害に関与した・関与しうるこれらの人びとはすべて薬の専門家であり、多くの権限が制度的にあたえられているわけである。薬に関するいっさいのこと――そして医療全体――がこれら専門家によってのみ決定されてきた。このような事態を「専門家支配」(professional dominance)と呼ぶ▼12。
医療社会学者でこの概念の提唱者であるエリオット・フリードソンによると、医師のような専門家(専門職)を他の一般の職業と区別する特徴は「自律性」(autonomy)にある▼13。これは、外部に対しては、専門教育とライセンスによって特定領域の独占的な権利をもち、他からとやかくいわれないで自由に活動できることであり、同時に内部に対しては、公共の利益のために倫理的な自己規制をおこなう責任と能力をあわせもっていることである。医師の場合でいうと、患者はもちろん看護婦など他の医療従事者の判断を考慮することなく、独自の裁量で医療行為をおこなうことができる強力な権限をもっており、独自の職業倫理にもとづいて自分たちのことを自分たちでチェックできるということである。ある職業がこのような「自律性」を獲得した状態が「専門家支配」である。
薬害に関係する人びとのうち、製薬企業・大学・国立研究所の研究者たちの世界と、直接患者に薬を処方した医師たちの世界は、ともに「自律性」を保証されてきた「専門家支配」の確立した世界である。平たくいうと、シロウトが口をだせない不可侵領域だった。一般の人びとはだまってかれらのさしだす薬を飲むしかなかった。しかし、多くの薬害事件や新薬開発をめぐるさまざまな不祥事・不法行為は、これらの専門家たちに自己規制能力が欠落している――そこまでいわないまでも不十分だったとはいえよう――ことを物語っている。自己監視ができなければ外部の第三者によるチェックが必要であろう。なんらかの「オンブズマン」(ombudsman)制度が期待されるゆえんである▼14。
▼1 現代組織論の文脈でもこの問題についてふれておいた。14-4参照。
▼2 スモン訴訟の概要については、川名英之、前掲書、第二章。スモン以降のチバガイギー社の行動および第三世界における薬の販売使用の実態については、ダイアナ・メルローズ、上田昌文・川村暁雄・宮内泰介訳『薬に病む第三世界』(勁草書房一九八七年)。
▼3 宝月誠「製薬企業の世界――企業逸脱としての薬害の発生」宝月誠編、前掲書所収。
▼4 前掲書一〇四ページ。
▼5 サザランド、平野竜一・井口浩二訳『ホワイト・カラーの犯罪』(岩波書店一九五五年)。
▼6 宝月誠、前掲論文。
▼7 宝月誠、前掲書、一〇七ページ。
▼8 高杉晋吾『告発ルポ黒いカプセル――死を招く薬の犯罪』(合同出版一九八四年)第一章「疑惑のプロローグ」。
▼9 後藤孝典編、前掲書ならびに水巻中正『崩壊する薬天国――揺らぐ日本の医療を追う』(風涛社一九八三年)二九ページ。
▼10 14-2参照。
▼11 高杉晋吾、前掲書一三七ぺージ以下、一九三ぺージ以下、二五三ぺージ以下。なお、丸山ワクチン問題の全容については、井口民樹『増補版・再考丸山ワクチン』(連合出版一九九二年)がくわしい。ちなみに「クレスチン」は年間売上げ五百億円の抗ガン剤だが、一九八九年厚生省は「単独ではガンに効かない」ことを公式に認めた。
▼12 「専門職支配」と訳す場合もある。
▼13 「専門家支配」については、つぎのふたつの文献を参照した。黒田浩一郎「医療社会学序説(2)――プロフェッショナル・ドミナンス(専門家支配)をめぐって」中川米造編『病いの視座――メディカル・ヒューマニティーズに向けて』(メディカ出版一九八九年)所収。進藤雄三『医療の社会学』(世界思想社一九九〇年)III第四章「医療専門職:医師」。
▼14 「オンブズマン」とは、苦情処理を委任された公的第三者のこと。
23-3 社会的現実構成過程としての薬害認定
スモン被害者の役割変遷
これまで主な薬害事件とその原因となった組織と役割のあり方をみてきた。じつはこれらはすべて〈事後的にみて〉のことであって、はじめから一連の事象が「薬害」「事件」として存在していたわけではない。いずれも被害者自身によるねばりづよい運動――とくに裁判闘争――によって、ようやく「薬害事件」と認定されたものである。被害者による有効な社会運動なしには「薬害事件」は社会的に存在しなかったといっても過言ではない。この事実は社会学的見地からみてもきわめて重要である。この点について、おもに宝月誠編『薬害の社会学』を参考にして考えてみよう。
栗岡幹英はこの研究のなかで、スモン薬害被害者の手記を分析して、キノホルム中毒者がさまざまな役割をへて薬害告発者へ自己形成する過程を共感的に追っている▼1。それによると、多くのキノホルム中毒者はおおむねつぎのような役割を変遷しているという。「すなわち、『健常な社会人』であった主体が、スモンに罹患することによって『スモン患者』の役割を強いられ、やがてキノホルム原因説が社会的に認められて後は『キノホルム被害者』としてふるまい、さらに裁判所への提訴その他の運動に参加することで、『薬害告発者』として自己形成を遂げるのである▼2。」この役割変遷の過程を栗岡論文によってもう少しくわしくみていくことにしよう。
まず、身体の不調があった。身体へと意識が収れんすることによって、それまでの健康な「社会人」という役割が「私秘的生活者」の役割にすりかわっていく。やがてスモン特有の激痛と身体の機能障害(下肢マヒと視力低下)の進行によって「スモン患者」の役割を受け入れざるをえなくなる。他の一般の患者役割と同じように「スモン患者」の役割も一時的なものと考えられ、他者への依存を受け入れるようになる。ところが、それが一時的なものでなく不治の病いであることがわかり、視力などの障害が一線をこえてしまった段階で、このような意味世界は崩壊する。一方ではウィルス説が報道されることによって、かれらは「感染症患者」の役割を押しつけられる。同時に、本人とその家族はともに社会からさまざまな迫害を受けることになる。それは、他人に奇病をうつしてしまう存在として「加害者」役割を家族ともども背負わされたことによるのであるが、その結果として、かれらの多くはウィルス説の受け入れに拒否的にならざるをえなかった。それに対して、しばらくのちにでた「キノホルム説」は、かれらの体験によく合致するとともに「加害者」役割からの解放を意味したため、積極的に受け入れられることになる。こうしてかれらは「キノホルム被害者」の役割を選択的にとることになる。こうなると、かれらは被害者として加害者の存在を意識するようになる。まず医者が想定されるが、やがてその背後の製薬企業とそれを監督する立場にある国[厚生省]そして薬事制度全般へと遡及する。そこで、かれらは一方で「キノホルム被害者」という自己定義を正当なものとして他者の承認をえようと能動的=主体的に運動するとともに、他方で裁判の原告の役割をとることを通じて普遍的な性格をもつ「薬害告発者」へと自己形成していく。このさい目標となったのは、自分たち被害者への補償だけではなく、薬害そのものの根絶である。このことが、「確認書和解」という特殊だが明確な終結を勝ちとる大きな原動力となった▼3。
キノホルム中毒者がその不幸な偶然を最初のきっかけにして、いわば〈人間としての全体性〉を能動的=主体的に生きることによって、潜在化していた一連の事象が「薬害事件」という明確な輪郭をもつ社会的現実として構成されたわけである。
薬害の認定
薬害事件が社会的存在として認定されていく過程には、つぎのような主体が積極的に関係している。
まず第一に、被害者による主体的な社会運動▼4。この場合の「被害者」には家族もふくまれている。おもに裁判を中心とする一連の社会運動なくして、薬事二法成立にいたる改革はありえなかった。ミクロな私的状況とマクロな社会構造を連接する〈社会学的想像力〉をここにみることができる。しかし、その源泉は社会学ではとうていなく、一九六〇年代に水俣などで培われてきた反公害運動のエートスがその源泉となったと思われる▼5。
第二に、ジャーナリズムの媒介。当然、ジャーナリズムなしに世論形成はありえない。薬害問題も例外ではない。しかし、報道する側の意図、報道される側[運動主体]の意図通りに受け取られるとはかぎらない。オーディエンスが別の受け取り方をする場合も多い。スモンの場合、ウィルス感染説の報道が、結果的に被害者の苦悩を増大させた。受け手の保守性・メディアの保守性を考えると、偏見を助長し混乱を招く場合も多い。しかしそれでも、ジャーナリズムが作動しないかぎり、個々の薬害が社会問題として認知されることはありえなかった。その意味で、ジャーナリズムは両義的に関与するといえる。
第三に、判定者としての科学者。田中滋によると、多くの薬害は病気として処理されてしまうという。薬害であることが容易に判断でき、死という重大な結果を伴うものはかえって隠ぺいされやすい。逆に薬害として認定されやすいものは、比較的ゆるやかな速度で死亡などの結果をおこし、なおかつ、症状に特異性があるものである。なぜかというと、ゆるやかであるために因果関係を確定するのがむずかしいこと、そして特異性が医学的関心を呼び、医学会の症例報告がさかんになり、その結果マスコミ報道がなされるからである。サリドマイドもスモンもクロロキンもそうだった▼6。ひとたび問題が明らかになって以降、医学・薬学分野の科学者は判定者として関わっていく。たとえばスモン訴訟では原告被害者側の学者証人として四一人(のべ七一人)の科学者が証言した。他方、被告側にも薬学界の何人かの重鎮も証言している▼7。
第四に、オーディエンスとしての他者。当事者に対して傍観者の役割にある人びとの存在も重要だ。かれらは一貫して傍観者にとどまろうとし、無知・偏見・差別の具体化を担う一方、匿名の世論として問題の社会的認定に関わってくる。また、かれらに対する反作用として被害者が主体的に役割形成を促進せざるをえなかった事情も無視できない。この点では、加害者側の態度についても同様に作用する。多くの場合、製薬会社が被害者救済よりも信頼イメージの維持を優先させるのは、圧倒的多数のオーディエンスの存在を考慮してのことである。つまり、オーディエンスとしての他者は社会的圧力として両義的に問題認定に関わっているわけである▼8。
社会的世界では、物理的世界とちがって、存在そのものが客観的であるとはいえず、共同主観的に構成される。みんなが「ない」といえば、それは〈ない〉にひとしいということだ。したがって、ある問題が〈社会問題〉として存在するためには、以上のようなさまざまな主体によって集合的に定義される過程がどうしても必要なのである。
▼1 栗岡幹英「薬害被害者の意味世界の諸相」宝月誠編、前掲書所収。
▼2 前掲書六〇ページ。
▼3 以上、前掲論文を要約。
▼4 裁判の過程の分析として、栗岡幹英「薬害における逸脱と裁判」宝月誠編、前掲書。
▼5 当然このようなエートスがえられない場合も数多く存在するはずだ。しかし、その場合、ジャーナリストなどの第三者による告発がなければ知られることはない。そのような例として、鎌田慧『ドキュメント隠された公害――イタイイタイ病を追って』(ちくま文庫一九九一年)。対馬における東邦亜鉛の鉱毒事件をあつかっている。
▼6 田中滋「『薬害』の総体的認識に向けて――薬害の顕在化過程の分析」宝月誠編『薬害の社会学』二三五ページ以下。
▼7 高野哲夫、前掲書二四三-二四六ページ。
▼8 したがって非当事者が「知る」こと自体が、重要な抑止力になる。
23-4 知識としての薬
消費社会における薬
M・シルバーマンとP・R・リーは、アメリカ社会における薬の非合理的な使われ方の原因として、以下の五点をあげている▼1。
(1)医者と患者の双方にみられる懐疑心の不足あるいは手ばなしの素直さ。
(2)多くは非客観的で不完全、あるいは誤解を招くような広告その他の薬の宣伝の氾濫。
(3)すぐに役だちしかも客観的な薬の情報の不足。
(4)「有効ではないかも知れないが、害にはなるまい」という例の誤った前提にもとづく、薬の広範な使用。
(5)おなじく一般にひろまっている「病気に薬はつきもの」という信仰。
おそらく薬害大国日本も同様の事情にあると思われる。薬が消費社会におかれ、大量に消費されるとき、その危険性もまた増大する。なんらかの将来戦略が必要だろう。最後に、その方向性をさぐってみよう。
薬の本質
伝統的な生薬と異なり、現代の薬の多くは化学合成物質である。したがって、薬にはまず〈物質性〉がある。そして、その物質は人の身体に投与されて一定の効果をえるための物質である。つまり、これは人間と生理的に関わる物質である。だから薬は〈物質性〉とともに〈生理性〉をもつ。ところが、薬はこれにとどまらない。薬は製薬企業によって大量に生産かつ広告され、医療現場や家庭で大量に消費される。それは国家によって管理され、専門家によって統制される。このプロセスはまぎれもなく社会的なものである。その意味で、薬は〈社会性〉をもあわせもつ▼2。
考えてみれば、薬害は薬の〈物質性〉の問題ではなかった。製造過程で不純物質がまぎれこんだわけではない。薬害は、〈生理性〉を構成する薬理作用・副作用・有害作用の定義の問題に起因しており、それが現場の医療関係者もふくめた一般の人びとに公開されることなく、ごく一部の人びとの利害によって決定されたという〈社会性〉レベルの問題だった。
その要になっているのは〈知識〉である。そもそも薬の本質は、「ある物質を一定の使い方をするとこのような効果がえられる」という知識にある。これがなければ、どんな薬もタダの粉でありタダの水である。したがって、薬の問題は、すなわち薬に関する知識の問題――より正確にいうと「知識の社会的配分」の問題――なのである。
たとえば、クロロキンをマラリアの薬として使う分にはよかったかもしれないが、リウマチ関節炎や腎炎にも有効だとされたために日本ではクロロキン網膜症が大量に発生することになった。適応症・副作用・服用量・服用期間に関する正確な知識が隠ぺいされたか十分研究されないまま、誤った知識が一般に流通してしまった――あるいは意図的に流通させた――ことが薬害の直接的な原因である。
情報公開
知識はつねに〈社会的に〉構成される。薬の〈知識〉も例外ではない。
現代社会において薬についての知識は、製薬会社や厚生省などに関係する一部の専門家によって管理かつ独占されている。すでに説明した〈専門家支配〉は、おもに知識の独占管理にもとづいている。しかし、専門家は、見方を変えれば、利害関係者である。したがって、専門家支配は一見妥当なことのように思えるけれども、現実には利害の介入を招きやすい。そのようななかでは、重要な知識が操作され、また独占される可能性がきわめて高い。したがって、薬害を根絶するためには、なによりも薬に関するあらゆる知識の公開が必要である。
たとえば新薬の場合だと、許可申請データから厚生省の審査過程そして副作用情報などの第一次情報がすべて公開されていることが必要である。そして、じっさいに使用する医師や服用する患者にも、必要とあればいくらでも薬に関するくわしい知識がえられるようなコミュニケーション制度が整備されるべきだろう。かれらには「知る権利」があり、それが行使されることが、薬の知識の独占や操作に対する強力な抑止力になる。
同時に、そのような知識の問題性をいち早く察知し分析する本格的な科学ジャーナリズム・医療ジャーナリズムが必要である。これまでジャーナリズムはシロウトであることを自己正当化してきたきらいがあるが、これでは薬に関する問題にはとても対処できない。より本格的な科学ジャーナリズムの発展を望みたい。
▼1 シルバーマン、リー、前掲訳書二五九ページ。
▼2 高野哲夫、前掲書一ぺージ。
増補
薬害エイズ事件の社会問題化
本書初版発行当時は日本社会が「薬害」ということばを忘れていたころで、現代用語事典にも「薬害」という項目はなかった。もちろん社会学のテキストに薬害の章を設定するというのも異例のことだったと思う。しかし、まさにこの時期に薬害エイズ事件は法廷において裁かれつつあったのである。
初版執筆当時、薬害エイズについての情報は限られていた。系統的なものとしては、毎日新聞の一連の薬害エイズ報道がほとんど唯一のもので、そのため本書では「薬害」の章ではなく「スティグマ論」の中(四三六ページ)で患者差別問題としてだけ取り扱っておいた。当時は原因について自信がなかったからである。
その後、朝の番組などでいちはやく薬害エイズをとりあげていたNHKのディレクターが書いた、池田恵理子『エイズと生きる時代』(岩波新書一九九三年)と、写真家の広河隆一『日本のエイズ―――薬害の犠牲者たち』(徳間書房一九九三年)によって全貌が明らかになってきた。広河隆一の本はその後『薬害エイズの真相』(徳間文庫一九九六年)に文庫化されている。広河には、七三一部隊と日本の医学薬学界の密接な関連について詳しく調べた『エイズからの告発』(徳間書房一九九二年)もある。
一九八八年二月から四カ月間続いた毎日新聞のエイズキャンペーン報道の記録は、毎日新聞社会部『薬害エイズ 奪われた未来』(毎日新聞社一九九六年)にまとめられている。これは、それまでのセンセーショナルな報道とは異なる画期的な調査報道で、今日頻繁に引用されている一九八三年当時についての関係者の発言の多くはここでなされたものである。今から振り返ると、HIV感染の薬害性はじつはこの段階でほぼ明確になっていたといえる[さらに先駆的なものとしては、ルポライターの池田房雄の本がある。池田房雄『白い血液――エイズ上陸と日本の血液産業』(潮出版社一九八五年)]。
以上をコンパクトに整理したパンフレットとして、広河隆一『薬害エイズ』(岩波ブックレット一九九五年)。また、櫻井よしこ『エイズ犯罪―――血友病患者の悲劇』(中央公論社一九九四年)は、事件の関係者の取材がていねいで評判を呼んだ本。HIV訴訟について詳しく述べられている。片平洌彦『構造薬害』(人間選書・農山漁村文化協会一九九四年)は、医学者の立場から薬害の構造を分析したもの。おもにスモン事件と薬害エイズ問題が分析されている。資料性も高い。
薬害エイズとは何か
いわゆる「薬害エイズ」とは、輸入非加熱血液製剤による血友病患者の大規模なHIV感染のことである。輸入非加熱血液製剤とは、主にアメリカから輸入されていた血液製剤で、血友病の治療に使われていた。それ以前のクリオ製剤に対して濃縮製剤とも呼ばれる。非加熱とは文字どおり「加熱処理していない」ということで、そのためにHIVの感染が生じた。血液製剤とは血液から特定の成分を抜き出して白い粉にしたもので、これを蒸留水で溶かして点滴する。血友病とは血液に凝固成分が不足している遺伝病で、男性にしか現れない。日本の患者数は五千人。性感染ルートばかりが強調されてきたエイズだが、日本のエイズは輸入非加熱血液製剤による薬害として始まった。一九八八年二月の段階で日本のHIV感染者の九三パーセントがこの血液製剤被害者だった。当時アメリカではHIV感染者全体の一パーセントほどだったというから、ここに顕著な日本的特徴を見ることができる。
薬害エイズ事件の経過
上記の資料をもとに事件の経過を整理してみよう。和解までの薬害エイズ事件のプロセスは、ほぼ五つの段階に整理することができる。
(1)前史―――血友病治療の歴史
この事件はエイズが登場する前から始まっているといっていい。大量感染の節目に当たる一九八三年当時に専門医たちがなぜあのような行動をとったのかについてのカギはじつはここにある。一九七〇年までの治療はもっぱら輸血によっていたが、クリオ製剤が使われるようになって血友病患者は「ふつうの生活」が可能になった。一九七八年から非加熱の濃縮製剤が導入され、非常にかんたんに治療が可能になる。と同時に、予防投与と家庭療法(自己注射)のワンセットとして濃縮製剤が導入される。
すでにこの段階で問題はあった。クリオ製剤はひとりか数人の血液からひとり分の製剤をつくるが、濃縮製剤は数千人分の大量の血液を一挙に処理するために、大量感染が発生しやすい。じっさい初期からC型肝炎ウィルスの大量感染が生じており、濃縮製剤導入の段階から薬害はすでに始まっていた。
(2)HIV大量感染
一九八二年七月にはアメリカで三人の血友病患者がエイズ発症している。この段階ですでに感染経路として血液製剤が疑われている。一九八三年三月、アメリカ政府は、血液製剤を作っている製薬会社に対して、エイズに感染している可能性のある人たちの血液を使わないように勧告。製薬会社(トラベノール社)は、加熱処理した血液製剤をいち早く開発し製造販売認可される。じつはこれ、もともとは肝炎ウィルス対策として開発されていたものだった。これ以降、アメリカでは加熱血液製剤へ切り替わる。その結果、あまった非加熱製剤が市場を求めて日本に殺到することになる。
日本では、おりしもこの年の二月に血液製剤を使用する家庭療法が厚生省に認可され健康保険で認められたばかりだった。このタイミングが多くの専門医たちの判断を誤らせることになる。つまり、「ようやくここまできたのに」という思いが結果的に安全性軽視の道を選ばせることになる。
当時、非加熱血液製剤に危機意識をもっていたといわれている厚生省薬務局生物製剤課の郡司篤晃課長は、一九八三年六月、エイズ研究班を発足させる。安部英(たけし)帝京大学教授を班長とし、おもに血友病専門医中心の人選だった。とくに血液製剤対策を担当する小委員会は安部門下で構成され、安部英教授の強力な指導に基づいて具体的な対策が講じられる。というよりも、結局何も緊急対策といったものをしなかった。
クリオから濃縮製剤への切り替えと予防投与の普及キャンペーン、そしてHIVの登場、この最悪のタイミングに適切な手を打とうとしなかった専門家たち、それを後押しする利益団体―――こうして血友病患者へのHIV大量感染が生じた。
基本的には、この大量感染は一九八三年から始まり、一九八五年七月に血友病Aの第八因子製剤認可され一九八五年十二月に血友病Bの第九因子製剤認可されるまで続く。しかも、郡司課長の後任にあたる松村明仁課長は、加熱製剤の登場後も非加熱製剤の回収命令をださず、出回っていた非加熱製剤はその後も使い続けられ、感染者をさらに増加させた。
(3)患者差別
あらゆる薬害事件がそうであるように、悲劇は二重三重になって被害者たちを襲う。第一の悲劇は血友病という病気もしくは障害。第二の悲劇はそれを治療するために投与した非加熱血液製剤による肝炎ウィルスとHIVの感染。そしてここから第三の悲劇が始まる。それは「感染する」という畏れから生じる社会的な患者差別である。
本格的なエイズ報道が始まるのは一九八五年三月の「エイズ1号患者」報道からといってよい。朝日新聞はそれを血友病患者であるとスクープするが、その翌々日に厚生省が男性同性愛者を「1号患者」と発表するあたりからである。
そして一九八六年から八七年にかけて、いわゆる「エイズ・パニック」が連続的に生じる。「フィリピンから出稼ぎに来ていた21才の女性が、日本に来る前に受けたエイズの抗体検査で陽性とでた」とのマニラ発共同通信のニュースから始まる「松本事件」。エイズ・女性・売買春とセンセーショナリズムを煽る要素がそろい踏みした。一九八七年一月には神戸で初めて日本女性のエイズ患者が確認されたと報告したことから始まる「神戸事件」。ここでエイズ・女性・売買春に日本人という要素が加わる。ここから多くの日本人はエイズを自分のこととして理解し始めたといえる。一九八七年二月「高知事件」。HIV感染者の血友病患者が交通事故を起こしたのがきっかけで、この人と交際のあった女性がHIVに感染していたことが判明し、しかもその人は別の男性と結婚して妊娠中だったとのニュース。
こうして「感染源としての血友病患者」のイメージが日本社会に無反省のまま蔓延することになる。血友病患者はそれだけで魔女狩りの対象となった。その結果、被害者の人たちは、「被害者」とみなされるどころか、社会にエイズを振りまく「加害者」として排除されることになる。医療機関から診療拒否、解雇、開店休業、さまざまな念書、通園禁止、受験願書受け付け拒否……。あらゆる社会的場面から不当な差別を受けることになる。
(4)HIV訴訟
第四段階は、被害者の人たちが国と製薬会社の責任を求めて東京と大阪で訴訟を起こしたことに始まる。この裁判過程が「薬害エイズ」の存在を広く社会的に認知させることになる。直接的なきっかけは、一九八八年十二月のエイズ予防法成立だった。強行採決された予防法に対して血友病患者団体は反対。それは患者の人権をないがしろしていたものだったからだ。もうひとつは、一九八八年の四カ月にわたる毎日新聞のエイズキャンペーン報道。これは世論づくりに大きく作用したと考えられる。
一九八九年五月、HIV訴訟。一九九四年にはこの訴訟とは別に、安部英帝京大学副学長が殺人未遂容疑で東京地検に刑事告発されている(一九九六年一月に殺人罪に切り替え)。
(5)和解
一九九五年十月、東京地裁と大阪地裁が和解を勧告。基本的には国と製薬会社の責任がほぼ立証されたこと、そして原告の厳しい時間的制約が背景にある。一九九六年一月、就任したばかりの菅厚生大臣が省内に調査プロジェクトを設置し、二月には、長年「存在しない」といわれていたいわゆる「郡司ファイル」が公表される。二月中旬、原告被害者の厚生省前すわり込み、その最終日に厚生大臣が法的責任を認めて被害者に謝罪し、三月確認書をもって和解した。
その後、東京地検は安部・前帝京大学副学長を逮捕。続いて大阪地検はミドリ十字社の歴代社長三人を逮捕、さらに東京地検は松村・元生物製剤課長を逮捕した。
院内感染
富家恵海子『院内感染』(河出書房新社一九九〇年)によって一躍「院内感染」ということばが普及し、一気に社会問題化した。ふつう「院内感染」は薬害には入れないが、抗生物質の過剰な使用が根本的な原因であることを考えれば、これもまた薬害の新しい現象形態である。この本は、夫を院内感染で亡くした妻がその原因を独力で追及していくプロセスを記録したもの。スモン事件の場合も何冊かベストセラーになったが、薬害問題の当事者や家族による手記はどれも心を揺すぶられるもの。それはたんに「お涙頂戴」ということではなく、そこからでないと見えないことがあまりに多いことに気づくからだ。富家恵海子『院内感染ふたたび』(河出書房新社一九九二年)は続編。こちらはその後の対策と背景的分析が主な内容になっている。三冊目の『院内感染のゆくえ』もふくめて、いずれも河出文庫に入っている。
陣痛促進剤
舩橋惠子『赤ちゃんを産むということ――社会学からのこころみ』(NHKブックス一九九四年)は社会学者の本。「誕生日を決める薬」として陣痛促進剤の問題がとりあげられている。今の産科の事故の多くはこの薬がからんでいるところが大きいといわれているが、あまり知られていないのではないだろうか。欧米とくにアメリカではハイリスク分娩にしか使用されていないこの薬が、日本では病院の都合や親の都合で安易に使われているとのこと。今後大きな社会問題になる可能性がある。
専門家支配
薬害問題は専門家支配に落とし穴のあることを物語っている。専門家支配については、その概念の提唱者の本の翻訳がその後でている。エリオット・フリードソン『医療と専門家支配』進藤雄三・宝月誠訳(恒星社厚生閣一九九二年)。これは、次章で問題にする医療社会学のメインテーマでもある。
裁判過程の社会学
薬害問題にかぎらず社会問題はたいてい長い訴訟になる。たとえば予防接種集団訴訟は一九九三年の結審までに二十年かかった。当然、裁判のプロセスではさまざまな社会学的現象が生じるわけで、必ずしも「法の論理」だけで進行するわけではない。
栗岡幹英『役割行為の社会学』(世界思想社一九九三年)は、役割理論に基づいて分析された裁判過程の社会学。前半はスモン事件、後半は免田事件が素材になっている。樫村志郎『「もめごと」の法社会学』(弘文堂一九八九年)は、エスノメソドロジーをとりいれた新しいタイプの法社会学概論。ふつう法社会学という分野は法学者が担当していて、要するに「法と社会」の関係に関する研究という程度のことで、つまり少しも社会学的でないのである。その点、これはまずまず社会学的といえる。
このほかにも、稲葉哲郎『裁判官の論理を問う――社会科学者の視点から』(朝日文庫一九九二年)。有名な冤罪事件である徳島ラジオ商事件の公判記録を心理学者の著者がつぶさに点検し、そのずさんな非科学的「論理」を具体的に批判した本。私たちは裁判が科学的に公正におこなわれていると信じているが、そうとは断言できないようだ。あのころの法学者はいったい何をしていたんだろうか。
日本の裁判制度の組織上の問題については、カレル・ヴァン・ウォルフレン『日本/権力構造の謎(上・下)』篠原勝訳(ハヤカワ文庫一九九四年)の8章「法を支配下におく」が簡明に実態をまとめてくれている。この説明によると「司法の独立」は組織論的には根拠をもたないといえそうだ。
科学報道
薬害事件は科学の最先端で生じる。したがって高度な科学的知識と見識が要求される。しかし、日本の報道機関は他の日本企業と同様にジェネラリスト志向(何でも屋)の人事制度に基づいており、専門分野をもつジャーナリストを育ててこなかった。そのため、薬害事件のような高度な問題になると、とたんに欠陥を露呈する。薬害エイズ事件においても、最後には厚生省バッシングに踊ったメディアは、そのわずか十年ほど前にはエイズ・パニックを起こした当事者でもあるのだ。結局、報道の論調の決定は他のメディアとの関連でおこなわれているわけで、必ずしも科学的な判断と見識によってなされているわけではない。
同様の問題は、公害・原子力・臓器移植・先端医療・宇宙開発などでも指摘されている。事例集として、柴田鉄治『科学報道』(朝日新聞社一九九四年)が実態を教えてくれる。ウォーレン・バーケット『科学は正しく伝えられているか――サイエンス・ジャーナリズム論』医学ジャーナリズム研究会訳(紀伊国屋書店一九八九年)は実務的関心からの議論。
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4月 12017

社会学感覚19自発的服従論

Socius  ソキウス   著作+制作 野村一夫

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社会学感覚
19 自発的服従論
19-1 服従の可能性としての支配
権力論の課題
これから三回にわたって説明する権力論というテーマ群をつらぬく観点は「権力は身近な生活の場に宿っている」ということだ。わたしたちは、ふつう「権力」ということばで国家権力およびその周辺を思い浮かべる。強大で絶対的な国家権力、それが常識的な連想だろう。しかし、ここでもまた常識的思考には落とし穴がある。このあたりを浮き彫りにしていきたい。
まず、『資本論』の片隅におかれた注のなかでマルクスがつぶやくように書きつけた一節をみていただきたい。「およそこのような反省規定というものは奇妙なものである。この人が王であるのは、ただ、他の人びとが彼に対して臣下としてふるまうからでしかない。ところが、彼らは、反対に、かれが王だから自分たちは臣下なのだとおもうのである▼1。」つまり、権力者は権力をもつから権力者なのではなく、人びとが自発的に服従するからこそ権力者なのだ。そしてこの権力の〈秘密〉に、服従する人びとは気がつかない。このロジックこそ、ここで権力論として自発的服従をあつかう最大の理由である。
ジンメルの「上位-下位関係」論
ジンメルは、たんなる人の集まりが、ある一定の〈社会〉へとつむぎあげられていくプロセスを「社会化」と呼んだが、その社会化の形式を研究するのが形式社会学だった。それは、社会の共通形式の文法学あるいは幾何学にあたるものだが、そんな形式のひとつとして「支配」をあげている。正確にいうと「上位-下位関係」平たくいうと「上下関係」である▼2。
これについてジンメルが示唆することはふたつある。
ひとつは、人間が社会を形成するとき「支配関係なしの社会」あるいは「権力なしの社会」は、まずありえないということだ。「ある」といいきる考え方はイデオロギーであり、現実から遊離している点でユートピアである。科学的には、権力による支配は避けられないということから出発するのが正しい。
第二に、要するに「支配は相互作用」だということ。つまり、支配者からの一方的な影響だけではなく、服従者からも支配者になんらかの影響をあたえているというのである。そして、支配が成立するには、かならず服従者の自発性と協力がいるという▼3。
ウェーバーの支配社会学
このアイデアを豊富な歴史的事例に適用し、膨大な支配社会学をつくりあげたのがウェーバーである。まず、有名なウェーバーの定義をみておこう。
「支配(Herrschaft)とは、一定の内容をもつ命令に一定の人々が服従するチャンスのことをいうべきである▼4。」
この場合も服従者の「服従意欲」が重要視されている。つまり、ある支配形態を人びとが正当なものとして納得して受け入れてはじめてその支配形態は安定する。逆に、人びとがそれを正当なものだと感じなくなるようであれば、それは長続きすることはない。だから支配ということが成り立つのは、原則的には、支配される人たちが、支配されることを承認する場合だけである。
では、人びとはどういう場合に、その支配形態を正当なものとして承認し服従するのだろうか。
それをウェーバーは「支配の正当性[根拠]」と呼び、歴史的にほぼ三つのタイプが存在するとのべている▼5。
(1)非人格的で合理的規則にもとづく「合法的支配」そのもっとも純粋な形としての「官僚制」――人びとはその合法的な地位ゆえに服従し、行政幹部は法的な権限をもつ。
(2)伝統の神聖さにもとづく「伝統的支配」――人びとはその伝統的な権威ゆえに服従し、行政幹部は特権をもつ。
(3)個人の非日常的資質にもとづく「カリスマ的支配」――人びとはその個人的な資質ゆえに服従し、行政幹部は使命をもつ。
こういう類型を「理念型」ということはすでにのべた▼6。一種のモデルのようなものだ。現実の歴史的支配形態は、これらの複合体として考察できる。歴史上多いパターンは「カリスマから伝統」「カリスマから合法」であり、近代西欧では、もっぱら合法的支配に向かっていった。これも合理化である。
いずれにせよ、カリスマ的支配が支配の原型であるとウェーバーは考えた。というのは、そこではなんの強制力もなく人びとはみずからの意志で自発的に服従しているからだ。これが支配の原型である。
この支配という関係は、なにも国家にかぎるわけではない。集団や村落、政党や宗教団体そして学校など、あらゆる社会関係にみられる。現代国家は当然「合法的支配」であり、人びとは手続き上の正しさに対して服従し、納税などの義務を果たすのだ。これは現代の企業や学校にもいえることである。一方、ワンマン的なヴェンチャー企業や宗教団体そして一部の政治団体などには、カリスマ的支配とみられるものもある。カリスマは潜在的に社会変革的機能をもつから、体制側の支配者から脅威とみなされ、しばしば理由もなく排除の対象となることも多い。
自発的服従
いずれにしても、支配についてジンメルとウェーバーがともに強調するのが「服従者の服従意欲」である。支配というのは服従のチャンス[可能性]である。服従には理由がなくてはならない。正当な根拠があって、それを認める人びとが支配という関係に入るわけである。
わたしたちは「支配」とか「上下関係」とかいうと、つい「暴力」とか「強制」といったことばを連想してしまうが、社会学的には別のことがらである。「支配」や「上下関係」が、暴力や強制をともなう一方的な関係であるという「常識的な」考え方に対して、大方の社会学者は否定的である▼7。ともあれ、したがう方にある程度の自由がなければ支配関係は成立しないのだ。服従者の自由度がある程度高くなければ、社会学的な意味での支配は成立しない。その意味で、社会学は「右」でもなければ「左」でもない。「右」も「左」も「上」にこだわっている。社会学は胸を張って「下だ」と答えよう。
さて、納得=合意の仕方として「カリスマ的」「合法的」「伝統的」の三つがあるとしても、しかし、支配が成立するのは、現実には真の合意にもとづいた場合だけとはかぎらないはずである。じっさい、なんらかの操作がなされることによって、あたかも合意が成立したかのような状態になる場合も多い。要するに、相手をだまして服従させるわけだ。「世論操作」などと呼ばれるケースがこれである。現代社会における権力を考える上で、じつはこの点はたいへん重要である。節をあらためて論じることにしよう。
▼1 カール・マルクス、岡崎次郎訳『資本論1』(国民文庫一九七二年)一一一ぺージ。
▼2 5-3参照。
▼3 ジンメル、居安正訳『社会分化論社会学』(青木書店一九七〇年)。この点については、阿閉吉男『ジンメル社会学の方法』(御茶の水書房一九七九年)。
▼4 マックス・ウェーバー、阿閉吉男・内藤莞爾訳『社会学の基礎概念』(恒星社厚生閣一九八七年)八二ページ。
▼5 マックス・ウェーバー、世良晃志郎訳『支配の諸類型』(創文社一九七〇年)一〇ページ以下。
▼6 5-2参照。
▼7 近年の理論のなかで一例をあげると、ニクラス・ルーマン、長岡克行訳『権力』(勁草書房一九八六年)。
19-2 歪められたコミュニケーション
歪められたコミュニケーションの三形態
さて、権力が正当性をもつと人びとからみなされる場合、みなされ方として、ふたつの場合が考えられる。ひとつは、人びとが開かれたコミュニケーションによって、平等かつ自由に自分自身の態度と行動を選択できる状況のもとで、正当と認める場合。ふたつめは、人びとが歪曲されたコミュニケーションによって、正当と認める場合である。前者は理念として現代社会に存在しているものの、めざすべき目標以上のものとはいえないだろう。じっさいには、大なり小なり歪められたコミュニケーションの場のなかで正当性が認められているにすぎない。
クラウス・ミューラーは、歪められたコミュニケーションの三つの主要形態について論じている。それは以下の三つである▼1。
(1)強制指導型コミュニケーション
(2)環境制約型コミュニケーション
(3)管理抑制型コミュニケーション
ミューラーにしたがって、少しくわしくみていこう。
強制指導型コミュニケーション
これは「言語やコミュニケーションの内容を規定しようとする政府の政策から生まれてくる」コミュニケーションのことである▼2。全体主義的社会によくみられる形であり、ナチス・ドイツや戦後の東欧の社会主義諸国などでよく観察された。
たとえば、ナチスは政権をとった直後の一九三三年、高校生にファシズムのイデオロギーやナチスの歴史的任務についてのコースの履修を義務づけるとともに、いっさいのマス・メディアを宣伝省の統制下においた。そのさい、ナチスのねらいは、さまざまのできごとについて政府と同じ評価を人びとにさせることだった。そのために、たんにイデオロギーを学習させるにとどまらず、ひとつひとつのことばの使い方まで統制しようとした。その結果、学術論文や国語事典・百科事典までも政府によって改訂され、ことばの再定義と新たな造語がなされた。たとえば「労働奉仕」について、以前は「強制労働の項を参照せよ」とあったのが「ナチス民族共同体のための偉大な教育制度」と書き改められた。また「創造力」という語義をつけられていた「知性」の項は「本能とは区別された批判的で反逆的・破壊的な特性を指す言葉」に変更された。さらに「憎しみ」の項は「憎しみも正義の側について言われる場合には肯定的な意味を持つ」と説明され、「北方人種の英雄的な憎しみは、ユダヤ人の臆病な憎しみと鋭く対立する」といった露骨な例文が添えられるにいたっている▼3。
このように、ナチスはことばそのものの再定義を徹底してやった。また新造語も多い。ナチス・ドイツの場合、これが一二年間も維持され、それが悲惨な結果を正当化するのに貢献することになる。そして、これとまったく同じことが戦後の社会主義諸国でも再演されつづけた。スターリンもまた、言語を変革闘争の武器と考えていたからである▼4。
しかし、これはヒトゴトではない。戦車を「特車」といいかえる「自衛隊」という軍隊をもつ日本社会にも、これはある程度あてはまることである▼5。
環境制約型コミュニケーション
これは「個人や集団の政治的コミュニケーションに携わる能力が制約されている場合のコミュニケーション」のことである▼6。先進諸国では、こちらが主流であろう。平たくいえば、自分の生まれ育った環境によって言語の運用が制限されるということであり、あからさまな政治的干渉による歪みではない。
家庭での社会化のパターンとそこで用いられる限定的な言語コードのために、ものごとの本質を認知したり、自分たちの利害を表明したりすることができないことがしばしばある。とくに下層階級は、これまでの歴史をみても、自分たちの悲惨な状態を明確に表明できず、むしろ権力の有力な支持層になっていることが多い。労働運動にしてもそれを明確に表現したのはマルクスやエンゲルスのような中産階級出身者であるし、日本の「一揆」も武士や僧侶によって指導されたものだ。
この文脈で問題となるのは、社会化のエージェント(担い手)たる家族・階級・学校・マスメディアである。これらが人びとの言語能力を規定する。言語は、各自のおかれている環境を解読する能力を限定する。その結果、自分たちの利害をうまく表現するだけの言語コードをもたない人びとは、結果的に現状維持的で保守的な権力支持層になりやすいという▼7。
管理抑制型コミュニケーション
第三の類型は「自分たちの利益を優先させようとして、私的集団や政府機関が、公的コミュニケーションに手を加えたり、制限を加えたりすることができた場合のコミュニケーション」である▼8。政府や民間企業による情報操作や情報非公開がこれにあたる。また、権力の正当性に関わる重要な問題を表面にださないために、権力の維持存続にあまり影響のない別の問題をキャンペーンするという方法もしばしば使われる。
このような方法によって人びとの知識が限定される。するとどうなるか。「政治決定や政策形成のなかで考慮されているさまざまな事実や論拠を知らなければ、人びとは政府の行為、特に日常生活とは関連がないと思われるような政府の行為を評価するのをためらうようになる▼9。」その結果、多くの人びとが政治的コミュニケーションに参加することをやめてしまう。
民主主義的な権力形成のために必要なこと
ミューラーが問題にする三つのタイプの歪められたコミュニケーションの場のなかで、支配の正当性があたかも妥当であるかのように成立する。この場合、それが意図的か非意図的かはあまり問題ではないだろう。それを区別することはきわめて困難であり、区別することによってえられるものも少ない。社会のしくみ・メカニズムとして科学的に認識することから、すべては始まるのだ。
さて、歪められたコミュニケーションを少しでも開かれたものにするには、なにが必要だろうか。いろいろな方向が考えられるだろうが、わたしはつぎの三点が決定的に重要だと考える。
(1)教育における社会科学
(2)行政における情報公開
(3)マス・メディアにおけるジャーナリズム
結局、これらがわたしたちにもたらしてくれるのは、〈反省能力〉であり、それによって可能になる〈社会の反省的コミュニケーション〉である。しかし、現代日本において、これらはいずれも不完全なまま放置されているのが現状である▼10。
▼1 クラウス・ミューラー、辻村明・松村健生訳『政治と言語』(東京創元社一九七八年)。
▼2 前掲訳書三〇ページ。
▼3 前掲訳書三六ページ以下参照。
▼4 前掲訳書五〇ページ以下参照。なお、この点については、ジョージ・オーウェルの古典的SF『一九八四年』(ハヤカワ文庫一九七二年)が必読。この本では「ニュースピーク」として登場する。
▼5 この点については、グレン・フック『軍事化から非軍事化へ――平和研究の視座に立って』(御茶の水書房一九八六年)第二章「軍事化と言語」が、「侵略」を「進出」といいかえさせたり、日本を「ハリネズミ」(鈴木首相)「不沈空母」(中曽根首相)にたとえたり「核アレルギー」(佐藤首相)という病気のメタファーを使用することによってえられる政治的効果について綿密に分析している。
▼6 ミューラー、前掲訳書三〇ページ。
▼7 以上、前掲訳書六一ページ以下による。環境制約型もまたヒトゴトではない。現代日本の大学生の多くは、評論系の文章を読んだり作文したりすることを著しく苦手としている。多くの学生の読書作文能力は、ほぼ高一水準にとどまっている。これは、高二から本格的に始まる受験勉強体制の学習環境のなかで、この分野についての意欲も実際的訓練もないまま放置された必然的な結果である。七〇年代以降の保守化傾向も、この文脈でとらえることができる。
▼8 前掲訳書三〇ページ。
▼9 前掲訳書一一六ページ。
▼10 (1)については1-4で、(2)(3)については第一二章ですでに論じておいた。とくにジャーナリズムの問題に関しては、野村一夫「社会学的反省の理論としてのジャーナリズム論」『新聞学評論』三六号(一九八七年)。
19-3 権力作用論
暴力的悪としての権力
長いあいだ権力に関する議論を支配してきたマルクス主義的権力観にはふたつの前提事項があった。第一に「権力イコール悪者/民衆イコール正義」の善悪図式、第二に「権力イコール暴力」図式である。
しかし、ときには権力が正義であり、民衆が悪者である可能性もあるわけで、それは見る人の位置によってさまざまでありうる。いずれにしても権力論に「正義-悪者」というコードをもちだすこと自体、あまり科学的ではない。また、後者の図式にしても、歴史的に多くの権力が暴力をともなっていたことは事実であるが、それらは人びとの自発的服従をえられていないのであるから、それはコストのかかるわりに脆弱な権力といわざるをえない。歪められたコミュニケーションの場においてであれ、人びとの合意と納得がえられないかぎり、それは砂上の楼閣なのである。
社会学ではジンメルやウェーバー以来、このようなステレオタイプから離脱した権力論を構築してきたが、おおかたの議論を変えるまでにはいたっていなかった。ところが、社会学とは出自の異なる領域から、マルクス主義的権力観とはまったく異質な権力論がでてきて、それがまたたくまに権力論の土俵を変えてしまった。それがフランスの思想家ミシェル・フーコーの権力作用論だった。
「見られる権力」から「見る権力」ヘ
一九七五年の『監獄の誕生』の冒頭で、フーコーは刑罰のやり方が十九世紀になってガラリと変わると指摘する。かんたんにいえば「華々しい身体刑から地味な監禁刑へ」の転換である▼1。
フーコーの示す事例によると、一七五七年に国王殺害者であるダミアンは、公衆の目の前で、熱したやっとこで懲らしめられたのち、火で焼かれ、鉛や油などの灼熱の溶解物を浴びせられ、四つざきにされたという。ところが、一八三八年の「パリ少年感化院」でなされる刑は、起床から就寝にいたるまで逐一こまかく管理された〈監禁〉である。
この刑罰の変化は、権力のあり方の変化をはっきりと物語る。
つまり、まさに華々しい祭式である身体刑は、受刑者の身体を傷つけることによって権力の存在をみせびらかすのを目的としていた。この場合の権力は「目に見える権力」「見られる権力」である。それに対して監禁刑の方は、権力は姿をあらわさないで、ただ監視する地味な「見る権力」「まなざす権力」逆にいうと「見えない権力」である。この「見えない権力」は、服従者を監視する施設をつくることによって人びとの精神に働きかける。支配の技法は「調教」であり「規律」「訓練」となる。
この変化は単に刑罰にだけ現れているのではない。この新しい権力とその技術は工場や学校や病院という形式のなかに現れる。
この「見えない権力」が押し進めるのは「規格化」である。規格化は五つの操作からなる▼2。
(1)比較――人びとの個別の行動・成績・品行を比較・区分する。
(2)差異化――全体的な基準を平均もしくは最適条件として尊重し、個々人を差異化する。
(3)階層秩序化――個々人の能力や性質を量として測定しランクをつける。
(4)同質化――規格に適合するよう束縛して同質化する。
(5)排除――規格外のモノは排除する。
このような規格化を押し進める新しいタイプの権力が十九世紀に誕生し、監獄・工場・学校・病院という施設として制度化される。フーコーによると、現在わたしたちがいるのは、このような「規律社会」である。
みえない権力・微視的権力・関係的権力
フーコーが示す権力像は、匿名的で関係的で、社会のいたるところに網の目のように遍在している微細な権力である。いわば社会に内在する権力である。近代以前の権力とのちがいを対比すると――
従来の権力――実体/支配者/マクロ/抑圧的/否定的
新しい権力――関係/匿名/ミクロ/産出的/肯定的
もう少しくわしくみることにしよう。フーコーは、つぎのように新しい権力を説明している▼3。
(1)権力とは、手に入れたり奪ったり分割したりするようなものではない。「権力は、無数の点を出発点として、不平等かつ可動的な勝負(ゲーム)の中で行使される。」
(2)権力関係は、経済や知識や性などに対して外在的な位置にあるものではなくそれらに内在する。
(3)「権力は下からくる。」
(4)「一連の目標と目的なしに行使される権力はない。しかしそれは、権力が個人である主体=主観の選択あるいは決定に由来することを意味しない。権力の合理性を司る司令部のようなものを求めるのはやめよう。」
(5)「権力のある所には抵抗があること、そして、それにもかかわらず、というかむしろまさにその故に、抵抗は権力に対して外側に位するものでは決してないということ。人は必然的に権力の『中に』いて、権力から『逃れる』ことはなく、権力に対する絶対的外部というものはない。」
フーコーの権力概念は、ステレオタイプな権力概念と真っ向から対立するものである。それはむしろ「権力関係」「権力作用」「力」と訳されてよいことがらである。本書では「権力作用」という訳語をあてたいと思う▼4。
権力作用論の意義
ここで、有名なウェーバーの概念定義に立ちかえってみよう。かれは『社会学の基礎概念』のなかでつぎのように定義する。「権力(Macht)は、社会関係のなかで抵抗に逆らっても自己の意志を貫徹するおのおののチャンス――このチャンスが何にもとづこうとも――を意味する。支配(Herrschaft)とは、一定の内容をもつ命令に一定の人々が服従するチャンスのことをいうべきである。規律(Disziplin)とは、習熟した定位によって一定の多くの人々が迅速に、自動的に、かつ方式的に命令に服従するチャンスのことをいうべきである▼5。」これをみると、フーコーの権力作用論は、すでにのべたジンメルやウェーバーの支配社会学が主張していた「自発的服従」の連続線上にあると考えていいだろう。とくにウェーバーが「規律」の概念で考えていたこと、そして「プロ倫」で描きだしたプロテスタントたちの生活はまさに権力作用論の原型である▼6。
この系譜の権力論において問題となるのは、だれが権力をもっているかではなくて、むしろその技術的側面である。フーコーは、近年の「女を支配する男の権力への、子を支配する親の権力への、精神病を支配する精神医学への、人口を支配する医学への、人々の生き方を支配する管理体制への抵抗」についてふれ、「これらの闘争における主目標とは、『しかじかの』権力制度なり集団なりエリートなり階級というよりも、権力の技法であり形式なのだ」とする。「この権力形式は、個人を類別する日常生活に直接関わり、個人の個別性を刻印し、アイデンティティを与え、自分にもまた他人からもそれと認められなければならない真理の法を強いる▼7。」重要なのはここである。
ところで、現代の日本社会において、このような権力技法について考える意味はどこにあるだろうか。
まず、いえることは「権力は身近な生活の場に宿っている」ということである。「日常生活の具体的な社会的場面において作用している微細な力=権力作用は『痕跡を残さない権力』すなわち行為者の自発的な行為を巻き込む権力。それは社会構造自体にはらまれた権力であり、特定の個人の意図には還元できない権力作用である▼8。」このような権力作用がなにをわたしたちの社会にもたらすのか。このあたりをこれから探ってみたいと思う。
▼1 ミシェル・フーコー、田村淑訳『監獄の誕生――監視と処罰』(新潮社一九七七年)。
▼2 前掲訳書一八六ページ。
▼3 ミシェル・フーコー、渡辺守章訳『性の歴史I知への意志』(新潮社一九八六年)一二一-一二四ページ。
▼4 フーコーの権力作用論の全容については、桑田禮彰・福井憲彦・山本哲士編『ミシェル・フーコー1926-1984』(新評論一九八四年)が理解しやすい。社会学者による、より包括的なフーコー入門解説としては、内田隆三『ミシェル・フーコー』(講談社現代新書一九九〇年)。
▼5 マックス・ウェーバー『社会学の基礎概念』前掲訳書八二ページ。
▼6 従来、ウェーバーの権力論というと「権力」の概念定義にふくまれた「抵抗に逆らっても」というところばかりがひとり歩きしていたように思うが、ウェーバーの主眼はむしろ「規律」にあるとわたしは考えている。
▼7 ミシェル・フーコー、渥海和久訳「主体と権力」『思想』一九八四年四月号、二三七-二三八ぺージ。
▼8 江原由美子『フェミニズムと権力作用』(勁草書房一九八八年)三二ページ。
増補
日本社会における自発的服従の現実
非常に大ざっぱな言い方をすると、ウェーバー流の伝統的な社会学的権力論も、フーコー流の新しい権力作用論も、注意を喚起しているのはともに「人びとの自発的服従」という事態である。それは「社会秩序」とほぼ同義の事態であり、それを「上から」ではなく「下から」把握しようとするとき「自発的服従」概念が理論的意義をもつのである。この論点については、野村一夫『リフレクション――社会学的な感受性へ』(文化書房博文社一九九四年)第四章「権力作用論の視圏」で詳しく論じておいた。具体例に即したものでは、熊沢誠『新編 民主主義は工場の門前で立ちすくむ』(現代教養文庫一九九三年)。
読書界で大きな反響をもたらしたカレル・ヴァン・ウォルフレン『人間を幸福にしない日本というシステム』篠原勝訳(毎日新聞社一九九四年)も、同様の見地からの問題提起といえるだろう。社会学では、栗原彬『人生のドラマトゥルギー』(岩波書店一九九五年)が日本人の「心の習慣」を批判的に問いなおしている。
都市と権力
本書では地域研究の系列を扱わないので、その結果、都市社会学がまったく無視されている。「あとがき」にも述べたように、これが本書の欠陥である。ところが、カステルの登場以降、都市社会学に一種の権力論的転回ともいうべき潮流がでてきており、居直ってばかりもいられなくなった。独自の権力論として注目されたのが、藤田弘夫『都市の論理――権力はなぜ都市を必要とするか』(中公新書一九九三年)。権力の「調達」「保障」の機能の重要性を喚起して議論を呼んだ研究書をやさしく説明した新書である。
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4月 12017

社会学感覚17宗教文化論

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社会学感覚
17 宗教文化論
17-1 日本人の宗教意識
宗教への視点
かつてマスコミには「菊・鶴・桜」の三つがタブーとして存在していた。「菊」とは皇室、「鶴」とは宗教、「桜」とは防衛問題のことである。しかし、これらはおおむね過去の話になったかの感がある。ジャーナリズムの理念からいえば、まだまだ入り口にすぎないといえるかもしれないが、とりあえず入り口は開かれた▼1。とりわけ「第三次宗教ブーム」といわれて宗教がクローズアップされるようになり、宗教界のできごとも電波にのるようになってきたのは大きな変化だ。しかし、マスコミはあいかわらず宗教をあつかうのが苦手で、人事的に新宗教の信者を採用しない方針が長くつづいたためであろうか、そのため、宗教をあつかうとき、教祖や儀礼をセンセーショナルにとりあげる一方、宗教組織については政治的影響の方しかみない傾向があって「宗教オンチ」といわれてもしかたないところがある▼2。
宗教をみる場合に重要なのは、そうした宗教形態ではなく、むしろ個々の宗教現象を担い支えている「ふつうの人びと」の方であり、そうした宗教の〈オーディエンス〉の内面世界と共同世界を〈理解する〉ことなしに宗教を論じることはできない。したがって、宗教をその送り手の側からみるよりも、受け手からみた方がより的確に把握できるはずである。つまり、問題とされなければならないのは、〈対象としての宗教〉というより、それを志向する〈宗教心〉の方である。「宗教が宗教心をつくり出すのではなく、むしろ宗教心が宗教をつくり出すのである」と、宗教社会学の先駆者でもあるジンメルはのべている▼3。このことばを本章の導きの糸にしていきたい。
日本人は無宗教か
多少時間がたっているが、日本社会の「宗教回帰現象」を指摘したことで有名なNHK放送世論調査所の『日本人の宗教意識』によると、日本人は信仰をもっている人が少ないという▼4。それによると-
信仰をもっている人 信仰をもっていない人
日本人    三三%       六五%
アメリカ人  九三%        七%
この数字そのものをもとに議論するのは危険であるが、じつはその危険性のうちに、日本人の宗教心のあり方の秘密がかくれている。
なぜ危険かというと、アメリカ人の九三パーセントという数字の背景には、アメリカ社会において無宗教であることを標傍することは市民性を疑われることになりかねないという事情があるからだ。これは欧米全般にいえることであり、またイスラム世界においても同様である▼5。これに対して日本では大きく事情が異なる。特定の宗教団体に所属していることが逆に市民性をそこなう方向に作用する。むしろ「自分は無宗教だ」としていた方が都合がよいことが多い。信仰の表明に関して日本は欧米やイスラム世界に対して「図」と「地」が反転しているのである。
自覚と現実行動の不一致
宗教の話となると、日本人三三%の「信仰をもっている人」だけの話と思われるかもしれないが、社会学はそうは考えない。それはたんに「自分の宗教性を自覚しているかどうか」「自分の宗教心を表明できるかどうか」ということにすぎない。むしろ問題は、自覚されない宗教性・表明されない宗教心である。
そもそも「信仰をもっていない」と答える日本人は、ほんとうに無宗教といえるのだろうか。
さきのNHKの調査によると、国民の半数以上の人が仏壇または神棚に拝むことがあると答えているし、初詣をするという人は八割を越える。九割の人が墓参りにいくとともに、最近多くなったとはいえ、まったくの無宗教で葬式をする人はきわめてまれだ。また大学生で、合格祈願に行かなかった者はかえって少ないのではなかろうか。たとえば旺文社の受験参考書の最後には「合格祈願のお守りをプレゼントします」といったページがあったりする。また、安全祈願のお守りのない自動車をみることはむずかしい。さらに、結婚式場がとりやすい仏滅にあえて結婚式をするカップルはいぜんとして少ない。他方、『PHP』や『家の光』のように、表面は社会教育雑誌でも中身は宗教的な色合いの濃い修養誌も、月百万部以上コンスタントに売れている。
これらはれっきとした「宗教行動」である。となると、日本人はかならずしも無宗教ではないのではないか、ということになる。ただ、日本人は、独特の宗教感覚をもっているのである。つまり、宗教行動をしているのに、自分ではそう考えないという人が日本人には多いようなのだ▼6。
企業と国の宗教感覚
行動と意識が一致しない日本人のこうした独特の宗教感覚は、あきらかに〈明識〉の欠如を示しているが、これは企業や行政・政治にもはっきりあらわれ、ときとして政治問題・法律問題になる。
たとえば、日本の大企業が、工場の操業開始や主要設備の始動のときにかならず「おはらい」の儀式をとりおこなうのはよく知られているが、三菱稲荷[三菱銀行]や東横神社[東急グループ]のように、じつは多くの大企業が神社そのものをもっている。これを「企業神社」[企業守護神]という▼7。これはたんに創業期の名残りではない。企業活動に直結した現役の一部門なのである。たとえば、大阪松下電器産業本社「創業の森」には一九八一年「根源社」という神社が新たに建立されている▼8。またダスキンのように企業ぐるみで特定の宗教をしている企業もあるし、社員研修で禅などの修行を強要する企業も多い▼9。
憲法では信教の自由をうたっているのに、企業内における信教の自由はかならずしも守られていない。なぜ労働組合がこの問題を真剣にとりあげてこなかったのか不思議なほどだが、組合もまた宗教には無頓着なことが多い。
これが国となると明確に「政教一致」となって憲法違反の可能性がでてくる。ちなみに憲法第二十条ではつぎのように規定している。「1信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。2何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強要されない。3国及びその機関は、宗教教育その他のいかなる宗教的活動もしてはならない。」これにもとづいて、いくつかの裁判がなされている。津地鎮祭訴訟・山口県自衛官合し訴訟・箕面市忠魂碑訴訟・靖国神社玉串料公金支出違憲訴訟など。しかし、これらに対して裁判所の判断は、国が禁止されている「宗教的活動」を厳格に解釈する見方と、あいまいに解釈する見方に分かれている。最高裁は概して「曖昧主義」である。
総じて日本の企業・行政・司法は、特定の宗教を信仰している個人に対して、無自覚なままに――あるいは無邪気というべきか――その信教の自由を侵しているようにみえる。冒頭で指摘したマスコミのことも同根と考えた方がよさそうだ。
では、なぜこのようなことが生じるのか。〈宗教への表面的無関心〉と〈行動のなかに潜在する宗教性〉との関係をどう理解すればいいのだろうか。
普遍宗教と民俗宗教
この問題についてNHK放送世論調査所は、日本人は「民俗宗教」という宗教を信仰しているにもかかわらず、人から信仰についてたずねられたときには、反射的に「教祖・教説・教団組織をもった宗教」を思い浮かべてしまうために「自分は信仰をもっていない」と答えるのではないかと分析した▼10。たしかに現代人が宗教ということばで想起するのは、既成仏教か、あるいは戦後著しい発展を遂げた新宗教のいくつかの宗教団体であろう。しかし、それだけが宗教のすべてではない。その意味で「民俗宗教」の問題は、日本人の宗教概念の狭さを照らしだしてくれる。
では「民俗宗教」とはなにか。
民俗宗教(folk religion)とは、地域の民間伝承を土台とする宗教のことで、従来「民間信仰」と呼ばれていたもののことである。民俗宗教はおもに(1)「祭と忌」(2)正月・彼岸・節句・盆・大晦日などの暦に関連した「年中行事」、(3)人が一生に経験する折々の儀式である誕生・七五三・成人式・婚姻・厄年・年祝・葬式・法事などの「通過儀礼」(要するに冠婚葬祭)、(4)祈願・占い・呪い・まじないなどの「俗信」の四つの儀礼から成り立っている▼11。
一般に宗教は大きくふたつにわけられる。「民俗宗教」と「普遍宗教」(universal religion)である。両者を宮家準の説明をもとに整理してみよう▼12。
(1)基本定義――民俗宗教は地域社会で共同生活を行なう人びとによってはぐくまれた生活慣習としての宗教である。それに対して普遍宗教はむしろ地域社会から疎外された人が宗教体験をえて開教した宗教である。
(2)教祖――民俗宗教に教祖は存在しない。それに対して普遍宗教は教祖の宗教的人格を中心とする。
(3)救済の対象――民俗宗教はその地域社会全体あるいはその成員としての個人を救済対象とする。それに対して普遍宗教は社会や集団から疎外された個人が対象となる。
(4)宗教形態――民俗宗教は儀礼を中心とし、自然物やかんたんな加工物が諸霊や神の象徴として崇拝される。それに対して普遍宗教では教祖の宗教的人格やその言動・教えを中心とする。儀礼は二次的である。
(5)集団形態――民俗宗教では家・地域社会・民族など世俗の集団をそのまま宗教集団としているため、布教の必要がない。それに対して普遍宗教では教団が形成され第三者へ布教される。
日本の民俗宗教はアニミズムを基調とし、自然現象や自然物のカミ(神霊)・土地のカミ・生産のカミ・祖先のカミを内容とする。それは、定住農耕生活の共同生活と密接にむすびついていた、いわば生活慣習としての宗教である▼13。
学術的には、民俗宗教もれっきとした宗教である。しかし、民俗宗教は近代化の過程で宗教色をうすめつつあり、このことが結果的に日本人の宗教定義を曖昧にしていると考えられる▼14。
この点については、とくに神社のあり方も問題である。宗教統計上、日本で一番大きな宗教団体は神社本庁である。しかし、NHK放送世論調査所が調査してみると、実際に神道を信仰していると答えたのは三%にすぎない▼15。また、神社は宗教法人として税制上の優遇措置を受けているにもかかわらず、その行動が宗教的とみなされないで国や地方自治体から公金を支給される場合が多い▼16。税制上は宗教、公金支給上は非宗教-完全な使い分けがなされている。この点で「神社は宗教にあらず」とした戦前の国家神道の影響がまだ残っているようにも思われる。
多重信仰+シンクレティズム
日本人の信仰の仕方をみると、たとえばお宮参りをしたり、神道やキリスト教によって結婚式をしたり、仏教によるお葬式をしたり、多くの日本人にとって宗教はいわば「分業」体制にある。神棚と仏壇の両方ある家も多い。これを「多重信仰」または「重層信仰」と呼ぶ▼17。
これは、日本の宗教の多くがシンクレティズム(syncretism)[融合・混交・習合]の性格が強いために、日本人が宗教的寛容性をもっているからである。
シンクレティズムとは、異質な要素が融合してひとまとまりになることをいう。日本の場合、古来の神道と外来の仏教とがたがいに影響をあたえながら宗教的風土をつくりあげてきた。神仏習合とか神仏混交と呼ばれるのがこれである。そのために、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教などの厳格な一神教にみられる排他性が概して少ない。
「宗教的寛容性」は裏返すと「無節操」である▼18。このような態度が一方では、宗教的行動をしていながら「自分は無宗教だ」という甘い認識をうみだすとともに、他方で、宗教に対する国や行政・企業の無神経さを生んでいる。また、宗教的排他性をもつ新宗教が日本社会と摩擦をおこしてきたのも、日本人のマジョリティがとっている寛容かつ無節操な宗教態度を強く否定するものだったからとも考えられる。
以上は「信仰をもたない」と表明する三分の二の日本人についての考察である。結論は、これらの人びとは「信仰をもたない」のではなく、「自覚的な信仰をもっていないだけで、けっして無宗教ではない」ということだ。この人びとが結果的に「信教の自由」に鈍感だったりする。そして大事なのは、そう思ってしまう歴史的理由・社会的背景がある点なのである。このように、日本の宗教は世界的にみてけっして特殊なものではないが、現代人の宗教に対する意識の方はかなり特殊である。
今度は残りの三分の一の人びと[自覚的に信仰をもつ人びと]の宗教的世界について考察することにしよう。
▼1 報道におけるタブーについては、天皇報道研究会『天皇とマスコミ報道』(三一新書一九八九年)。本多勝一「報道と言論におけるタブーについて」『事実とは何か』(朝日文庫一九八四年)。
▼2 ジャーナリズムの宗教理解の水準がどのようなものかが典型的にあらわれたのは「イエスの方舟」報道だった。これについては、山口昌男「『イエスの方舟』の記号論――マス・メディアと関係の構造性について」『文化の詩学I』(岩波現代選書一九八三年)。芹沢俊介『「イエスの方舟」論』(春秋社一九八五年)。赤坂憲雄『排除の現象学』(洋泉社一九八六年)。最後の本は現在『新編排除の現象学』として筑摩書房からだされている。また、アメリカのジャーナリズムで問題とされているものとしてイスラム教に対する報道姿勢がある。エドワード・W・サイード、浅井信雄・佐藤成文訳『イスラム報道――ニュースはいかにしてつくられるか』(みすず書房一九八六年)。他方、「宗教オンチ」を払拭する若干の例外もある。「イエスの方舟」報道のなかで異色の存在だった『サンデー毎日』などはその一例であるが、ほかにもいくつかある。毎日新聞社特別報道部宗教取材班『宗教を現代に問う』(上中下・角川文庫一九八九年)。毎日新聞『宗教は生きている』(全四巻・毎日新聞社一九七八-一九八〇年)。朝日新聞社会部『現代の小さな神々』(朝日新聞社一九八四年)。
▼3 G・ジンメル、居安正訳『宗教の社会学』(世界思想社一九八一年)二七ぺージ。なお、宗教社会学の先駆者としてのジンメルの宗教論については、阿閉吉男『ジンメルの視点』(勁草書房一九八五年)第四章「宗教の社会学的考察――ジンメルとデュルケム」および阿閉吉男「ジンメルの宗教的世界」『ジンメルとウェーバー』(御茶の水書房一九八一年)を参照されたい。
▼4 NHK放送世論調査所編『日本人の宗教意識』(日本放送出版協会一九八四年)。
▼5 これらの社会において無宗教者は基本的に人間あつかいされず、けだものあつかいや危険人物視されることが多い。まだ「異教徒」あつかいされる方がましだともいう。たとえばイスラム世界で働くソ連人はギリシア正教徒ロシア派としてふるまっていたという。これらの点については、大島直政『イスラムからの発想』(講談社現代新書一九八〇年)一六〇ページ以下。なお、社会学出身の著者によるこの本が全編にわたって考えているのは、文化の宗教性であり、文化とは宗教文化にほかならないことである。
▼6 NHK放送世論調査所編、前掲書三-九ページ。大村英昭によると、月に二度かならずある神社にお参りにいくという人が、アンケート調査のときに「私はとくに宗教行動はしていない」という項目にためらいもなく○をつけて研究者をとまどわせるという。ポイントはここにありそうだ。大村英昭・西山茂編『現代人の宗教』(有斐閣一九八八年)二ぺージ。なお、この本は第一線の宗教社会学者による待望の入門書。
▼7 大村英昭・西山茂編、前掲書二二二ぺージ。
▼8 中牧弘允『宗教に何がおきているか』(平凡社一九九〇年)二五ページ。中牧はまた、物故社員の霊を供養する会社供養塔が高野山におよそ九〇あると報告している。前掲書一七-二二ページ。
▼9 たとえば、佐高信「新かいしゃ考」(朝日新聞)によると、日立製作所・住友金属・宇部興産・松下電器・三菱電機・東芝・トヨタ車体などが社員を研修に参加させている「修養団」は、かれらに「水行」という〈みそぎ研修〉をさせるという。この種の修養団体については、沼田健哉『現代日本の新宗教-情報化社会における神々の再生』(創元社一九八八年)の「修養団体の比較研究」がくわしい。
▼10 NHK放送世論調査所、前掲書二三ページ。
▼11 宮家準『増補日本宗教の構造』(慶應通信一九八〇年)九四-一〇五ページ。
▼12 宮家準「民俗宗教の象徴分析の方法」藤田富雄編『講座宗教学4秘められた意味』(東京大学出版会一九七七年)一九二-一九三ぺージ。
▼13 宮家準『増補日本宗教の構造』九一-九四ページ。なお、日本の民俗宗教についてわかりやすく掘り下げた一般書として、宮家準『生活のなかの宗教』(NHKブックス一九八〇年)。
▼14 ただこれにはそれなりの歴史的理由もあって、毎年日本人の三分の二がいく初詣が国民的習俗になったのは明治大正期であり、さらに今日のように本格的に大衆的習俗になったのは高度経済成長以後のことのことである。また七五三も明治になってつくられた習俗であり、明治神宮が一九二〇年に創設され、東京市民の氏神としての位置を獲得する過程で東京近辺で都市習俗として形を整えそれが全国に広まったものである。宮参りの古くからの形式だったものを百貨店や呉服屋がキャンペーンして確立した、近代化の産物なのである。じつのところクリスマスやバレンタインデーとそう大差ないわけだ。中牧弘允、前掲書一五二ぺージなどを参照。
▼15 NHK放送世論研究所、前掲書一九ページ。
▼16 大村英昭・西山茂編、前掲書五-六ページ。
▼17 NHK放送世論調査所、前掲書。
▼18 前掲書。
17-2 宗教の本質――カリスマと聖なるもの
宗教の原点としてのカリスマ
まず、宗教現象のもっとも原初的な核にあたるもの、つまり宗教の原点はなにかについて宗教社会学の理論をみていくことにしよう。これについては、ふたりの社会学の巨匠の理論が代表的である。ひとりはマックス・ウェーバー、もうひとりはエミール・デュルケムである。ウェーバーは「カリスマ」に、デュルケムは「聖なるもの」に、宗教心の根拠を求めている。
ウェーバーは、呪術師が雨を降らしたり病気をなおしたりする能力のような、特別な「非日常的」能力のことを「カリスマ」(charisma )と呼ぶ▼1。
ウェーバーのカリスマ概念を要素ごとにまとめると――
(1)カリスマとは、ある人物に宿っているとみなされる非日常的な資質である。
(2)この資質は、超自然的・超人間的・非日常的な、人並はずれた特殊な力として発揮される[奇跡や忘我状態]ので、その人物は「仰ぐべき優れた指導者」として帰依者たちから評価される。
(3)その資質が客観的に存在するかはさしあたって問題ではない。ひとえに帰依者や弟子たちがどう評価するか、つまり帰依者の承認しだいである。[カリスマは社会的承認であり、その意味で社会現象である。]
(4)したがってカリスマ的指導者は、たえずカリスマ性を証明しつづけなければならない。[預言などの証し]
(5)カリスマヘの帰依は、その非日常的な力に向けられているため、しばしば革命的・変革的・創造的である。[革命のエネルギー]
(6)カリスマ的支配は、後継者問題などの後、伝統化されるか、合法化される。[カリスマの日常化]
カリスマということばそのものは、もともとキリスト教神学で使われていたことばだが、ウェーバーはそれを拡大して――つまりキリスト教以外の宗教にもあてはまる現象として――概念化した。現在では、教祖や宗教的指導者に対して使われるだけでなく、政治家や社会運動の指導者、果てはロックミュージシャンにまで拡大解釈されているが、本来は「非日常的な資質を承認された者」だけがカリスマと呼ばれるべきである。
究極的意味の世界としての宗教
一方、フランスの社会学者デュルケムは、宗教現象の原点を「聖」つまり「聖なるもの」においている▼2。
デュルケムによると、あらゆる宗教思想に共通する基本要素は「聖と俗」の分離である。つまり、世界は「聖」(sacre)と「俗」(profane)というふたつの領域からなると考えられているという。当然「聖」に宗教の本質がある。そして「聖」とは社会の象徴的表現だというのが、デュルケムの主張だった。つまり宗教とは、ある「聖なるもの」に関連した信念と実践の体系であって、それを支持する人びとを単一の共同体へと統合するものだとした。
ここでいう「聖なるもの」は、たとえば、特定の山であったり、人体の一部であったり、ある動物であったり、ことばであったり、あらゆるものが「聖なるもの」たりうる。ひとたびなにかが「聖なるもの」になると、今度はすべてのことがらがそこから説明され理由づけされる。これが宗教だというのである。つまり、人間が経験したことや行為したことについて「これはいったいどういうことなのだ」という疑問に対する社会サイドの解答が宗教なのである▼3。つまり宗教は「究極的意味」を人間たちにあたえてくれるのだ。
この考え方によると、社会主義ですら一種の宗教ということになるし、また、たんに「宗教は社会現象である」ばかりか「社会は宗教現象である」とまでいえてしまう。そういう意味で非常にラディカルな考え方であって、このあたりが現代社会学で再評価されているゆえんだろう。前節の説明に典型的にあらわれているように、本書の基本認識もここにある。
宗教の機能
このふたつの概念と考え方は、宗教に関するいろいろな問題を提示してくれたのだが、ここでは、さしあたり、宗教が社会に対してどのような機能をもっているかについてだけ確認しておこう。
ウェーバーのカリスマ概念が示しているのは、宗教のもつ社会変革機能である。非日常的な資質であるカリスマは、熱狂的な支持者を集め、既成の秩序を破ろうとする、革命的なパワーをもつ。「世なおし」とか「挑戦」の働きがそれである。この点で宗教は本質的に「運動」なのである。
それに対してデュルケムの聖なるもの概念が示しているのは、宗教の社会統合的機能あるいは秩序づけ機能である。聖なるものという超越的な権威によって、社会がまとまるというわけである▼4。
宗教には、この両方の側面が備わっている。いずれにしても、宗教は社会を内側から維持し、また人間の内面から社会の変動をうながす強力な働きをもっている。したがって、宗教がもっぱらプライベートな内面の問題としてあっかわれるようになったのは、じつは最近のことなのである。宗教はもともと「聖なる天蓋」であり、社会全体をすっぽりおおって、その象徴的世界に個人を位置づけ、アイデンティティをあたえる機能を果たしてきたわけである▼5。
宗教は、混沌とした世界[カオス]に秩序[コスモス]をあたえる意味の構築である。それは秩序をつくりだすとともに、既成秩序を変えていく。人間が意味を求める動物であるかぎり、宗教のもつこのような超越性と変革性は、くりかえし文化の表層に現れることだろう。
宗教は非合理か
日本の〈常識〉では、宗教は非合理的な現象である。しかし、ウェーバー流の宗教社会学的視点からみれば、宗教は基本的に〈知の合理化〉である。
というのは、現実に体験するさまざまな苦難をどう意味づけるか、またそこから救済されるにはどうしたらいいのか、救済された状態とはどういう状態なのか――これらを合理的に説明するのが宗教の世界像なのである。なぜ自分は幸福なのかを説明し、幸福であることを正当化してくれる論理を「幸福の神義論」(Theodizee des Gluckes)といい、なぜ現世において信仰者がいわれなき苦難にあい、逆に不信心者が幸福を享受するのかを合理的に説明してくれる論理を「苦難の神義論」(Theodizee des Leidens)という。いずれにせよ〈知の合理化〉によって構築され宗教的世界像は〈転轍手〉として人間の行為を方向づける▼6。
ただ、宗教は別の観点からみれば非合理的である。というのは、宗教行為は基本的に「価値合理的行為」だからである。価値合理的行為とは「予想される結果を顧慮することなく、義務、品位、美、宗教的使命、敬虔……(中略)への確信にしたがって行為する」ことである▼7。ところが「目的合理性の観点からすれば、価値合理性はつねに非合理的であり、しかも、それが行為の向かう価値を絶対的な価値に高めれば高めるほど、ますます非合理的となる▼8。」目的合理性を重視する近代の社会において、価値合理的行為は非合理的なことにみえるというわけだ。
ウェーバーはつぎのようにのべている。「世界像および生活様式の理論的かつ実践的な、また知的かつ事実的な全面的合理化という近代的な形態は、次のような一般的な帰結をもたらした。すなわち、この独自な合理化の過程が進展するにつれて、宗教はそのために、ますます――世界像の形成という観点からみて――非合理的なもののなかに押しこめられていったということである▼9。」このように、宗教の〈合理-非合理〉は歴史社会学的視点からみてはじめて明晰にとらえることができる。
▼1 マックス・ウェーバー、世良晃志郎訳『支配の社会学』(創文社一九七〇年)。マックス・ウェーバー、武藤一雄・薗田宗人・薗田坦訳『宗教社会学』(創文社一九七六年)。
▼2 デュルケム、古野清人訳『宗教生活の原初形態』(岩波文庫一九七五年)。とくに(上)七二ページ以下。
▼3 P・L・バーガー、B・バーガー、安江孝司・鎌田彰仁・樋口祐子訳『バーガー社会学』(学習研究社一九七九年)三九〇ページ。
▼4 たとえば、占領下の日本にGHQが天皇制を残したという歴史的事実は、宗教の統合的機能を考慮したものといえる。
▼5 ピーター・L・バーガー、薗田稔訳『聖なる天蓋』(新曜社一九七九年)。
▼6 マックス・ヴェーバー、大塚久雄・生松敬三訳『宗教社会学論選』(みすず書房一九七二年)四一ページ以下。
▼7 マックス・ウェーバー、阿閉吉男・内藤莞爾訳『社会学の基礎概念』(恒星社厚生閣一九八七年)三七ページ。なお、価値合理的行為をふくむ「行為の諸類型」については5-2参照。
▼8 前掲訳書三八ページ。
▼9 マックス・ヴェーバー、『宗教社会学論選』五九ページ。
17-3 世俗化から宗教回帰現象へ
世俗化論
二十世紀はじめ、ウェーバーは、近代化イコール合理化というあらがいがたい潮流があり、そのなかで非合理的なカリスマは必然的に衰退すると予想した。そしてこの合理化の潮流を世界の「呪術からの解放」(Entzauberung)と呼んだ▼1。
このような考え方は、戦後イギリスのブライアン・ウィルソンを中心に、「世俗化論」として実証的に研究され、一時は宗教社会学の主流を形成した。「世俗化」(secularization)とは、宗教的影響力の衰退化過程のことである。たとえばイギリスでは一九六〇年代まで教会出席率が下がりつづけていた。西欧社会で宗教的影響力とは、すなわち教会の影響力だったから、確実にその威信は低下しつつあった。アメリカの場合も、教会出席率や教会所属者数の下降はないけれども、それはプロテスタントかカトリックかユダヤ教のどれかの信者であるということが社会にちゃんと受け入れられる方法とされていたためであって、内容的には宗教心は希薄になっているとされた▼2。
科学技術の急速な進歩につれて宗教の役割は小さくなると考えるのは当然といえそうだが、現実はもっと複雑に進行している▼3。
第一に、宗教はたしかに共同体の信憑性構造を失って、世界は脱神話化されたけれども、宗教は私生活の領域に限定される形で根強く残っている。これを「私化」または「私生活化」(privatization)という。つまり、宗教の個人主義化・好みや趣味としての宗教として、宗教がもっぱら心の内面だけの問題となったのである。トーマス・ルックマンはこれを「見えない宗教」(invisible religion)と呼んで、宗教の個人化を強調した▼4。
こうした流れとともに進行しつつあるのが世界的な宗教回帰の傾向である。宗教回帰現象はふたつの側面をもっている。ひとつは単純に宗教復興の動きである。たとえば、ホメイニをカリスマ的指導者とするイスラム原理主義によるイラン革命、キリスト教会が大きな原動力となったフィリピン革命、またポーランドをはじめとする東ヨーロッパのあいつぐ民主化も、キリスト教会が大きな原動力を供給していた。韓国の革新運動も同様である。もうひとつの側面はアメリカや日本のように、すでに世俗化がかなり進行した先進国でも、一種のUターン現象が生じてきたということだ。ここではこちらの側面に注目してみたい。
日本の宗教回帰現象
日本の場合、シフトが変わってきたのは一九七三年のオイルショック以後のことだ。このころから保守化傾向が強まるとともに、とくに若者の占いや祈願行動・祭への参加が目だつようになった。「こっくりさん」が小中学生にはやったのも、オカルト・ブームも『ノストラダムスの大予言』(五島勉)もこのころである。そして七〇年代後半には大型書店に「精神世界」コーナーが設けられるようになり、『ムー』のような神秘主義指向の雑誌が読まれるようになった▼5。そうした社会的風潮のなかで「小さな神々」と呼ばれるミニ教団がたくさん生まれ、そのうちのいくつかは「新新宗教」と呼ばれるまでに急成長した。この一連の流れを一般に「第三次宗教ブーム」と呼んでいる。
この一五〇年のあいだに生まれた新しい宗教のことを「新宗教」と呼ぶ。かつては「新興宗教」とややさげすむニュアンスで呼ばれていたが、最近は一括して中性的に「新宗教」と呼ぶようになった。統計的な根拠があるわけではないのだが、日本の新宗教には、これまで四つの高揚期があったとされている▼6。
(1)第一次宗教ブーム――幕末期から維新期にかけて民衆の自主的な宗教運動として発展した民衆宗教。金光教・天理教・黒住教など。
(2)大正期宗教ブーム――大本教・生長の家・ひとのみち(のちのPL教団)・霊友会など。
(3)第二次宗教ブーム――第二次大戦後、霊友会・立正佼成会・創価学会などの巨大教団化。
(4)第三次宗教ブーム――一九七三年以後、阿含教・真光系教団・真如苑・GLA系教団など。西山茂はこれを「新新宗教」と命名。
新宗教を、教義信条に重点をおいた「信の宗教」と、操霊によって神霊的世界(いわゆる霊界)との直接交流を重視する「霊-術系宗教」に分けると、第一次および第二次宗教ブームは「信の宗教」、大正期と第三次宗教ブームの主流は「霊-術系宗教」である。前者は知の合理化を押し進めるが、後者は具体的な霊験と即効性のある術や行に本領があって、かなり非合理性が強いといわれている。ご覧の通り、近代化の急激な変革期には「信の宗教」が盛り上がり、一段落したときに「霊-術系宗教」が台頭する傾向がある▼7。
近代以降このような高揚期をへた結果、現代日本の宗教はほぼ四層構造をなしていると考えられる▼8。
(1)制度的教団宗教――既成の仏教諸派。本山-末寺関係と檀家制をとる。
(2)組織宗教――天理教・創価学会・立正佼成会など。組織による大きな動員力をもつ。
(3)新新宗教――呪術的カリスマをもつ霊能者型指導者を中心とする。
(4)民俗宗教――シャーマン(霊能者)と信者(クライエント)のゆるやかなネットワークに支えられている基層的な民間信仰と民衆宗教。「小さな神々」もこの一種▼9。
実質的な信者の数からいえば、(1)(2)が多数派である。第三次宗教ブームだからといって、現代の宗教がみんな「新新宗教」であるわけではない。マス・メディアによって切りだされる宗教像は目下のところ「新新宗教」に集中しているので注意されたい。
しかし、「新新宗教」には非常に現代的な特質がみられ、そこがマス・メディアや研究者の注目を集めることになっているのであろう。最後に、この点について一言しておきたい。
消費社会における幸福と不幸
橳島次郎は、一九六〇年代の高度成長=大衆消費社会化を経たことが「新新宗教」「宗教回帰」の大きな背景となっていると指摘する▼10。
かれによると、六〇年代以降の大衆消費社会において、消費によって「幸福」をえるというライフスタイルの構図ができあがり、それとともに「幸福」がタコツボ的な自閉的個別的なことになっていった。この社会意識をかれは「個別化された幸福の神義論」と呼ぶ▼11。平たくいえば、「あくせく働き、あくせく消費する」永遠の循環のなかに「幸福」が閉じ込められてしまっているのだ。当然このような「幸福」は非常に危うい性格をもつ。労働にも消費にも疲れ、ドロップアウトしてゆく孤独な人びとを生みだしていく。
橳島は「新新宗教」信者の入信動機を分析して、そこに「不幸の個別化」の構造をみいだしている▼12。たとえば、下積み生活の苦労や展望のなさ・受験や昇進や業績などの競争による企業組織や学校における過酷な人間関係などが、小規模化した家族の崩壊として現れたり、個人の孤独や心身の病気を増幅させていく形をとって噴出する。家族・地域・学校・医療機関などは、それを救えないばかりか、むしろ抑圧し切り捨ててしまう。こうして「現代社会は総体として、生活上の社会的な矛盾・問題を、個々の家庭や個人のうちにたえず個別化し内閉化させていく構造をもっていると考えられる。そのために、社会的な問題が、特定の家族や個人の私的で個別的な問題としてのみ現われ、また周囲も当人たちもそのような個別的なものとしてのみ問題を解釈するという状況が、生じてくるのだ▼13。」
このような「不幸の個別化」に対応して、「新新宗教」は「不幸」の原因とそこからの「救い」をともに個人のうちに求める。たとえば、「不幸」の原因を「先祖からの悪因縁」や「霊の憑依」にあるとし、それを救済する手段として「先祖供養」や「除霊」などの〈術〉をほどこすというのが「新新宗教」の基本パターンである。七〇年代にブームとなり新しい習俗となった「水子供養」も同じ構図である。橳島はこの論理を現代社会の「個別化された不幸の神義論」と呼ぶ▼14。
このように〈消費による幸福〉と〈信仰による幸福=救い〉がともに個別化された同型性をもっている点で、「新新宗教」において「消費」と「信仰」はかぎりなく近づいている▼15。そして、そのかぎりであれば信仰集団は社会から許容される。しかし、「信仰による救い」が「消費」のように個別化されず、社会変革に向かう場合――コミューン形成や政治進出――社会はその信仰集団を狂信的かつ異常なものとして排除しようとする。一九七八年九百人の信者が教祖とともに集団自決したアメリカの「人民寺院」や、一九七八年から八○年にかけてマスコミの総攻撃をうけた「イエスの方舟」などがその典型事例である▼16。
いずれにせよ、新宗教のありようとそれに対する社会の反応とは、現代社会の矛盾や問題をいやおうなく顕示する。わたしたちが宗教現象から読みとらなくてはならないのは、じつはこちらの方なのである▼17。
▼1 もともと古代ユダヤ教に端を発し、プロテスタンティズムでひとつの完成をみた宗教的態度。簡潔に「脱呪術化」とも訳される。ウェーバーの合理化論については18-1参照。
▼2 このあたりの事情については、大村英昭・西山茂編、前掲書八五ページ以下を参照。
▼3 世俗化論の今日的状況からの総括として『東洋学術研究』第二六巻第一号(東洋哲学研究所一九八七年)の特集「世俗社会と宗教-対立を越えて」。
▼4 トーマス・ルックマン、赤池憲昭・ヤン・スィンゲド-訳『見えない宗教――現代宗教社会学入門(ヨルダン社一九七六年)。
▼5 この雑誌の購読者の特異な性格を論じたものとして、浅羽通明「オカルト雑誌を恐怖に震わせた謎の投稿少女たち!」別冊宝島九二『うわさの本』(JICC出版局一九八九年)。
▼6 新宗教の概要と研究については、つぎの本が一九八○年春までの分を網羅している。井上順孝・孝本貢・塩谷政憲・島薗進・対馬路人・西山茂・吉原和男・渡辺雅子『新宗教研究調査ハンドブック』(雄山閣一九八一年)。また沼田健哉、前掲書はカリスマ概念を中軸に新宗教を分析している。その続編的解説論文として、塩原勉・飯島伸子・松本通晴・新睦人編『現代日本の生活変動――一九七〇年以降』(世界思想社一九九一年)第六章「宗教――新宗教を中心として」がある。
▼7 「信の宗教」と「霊-術系宗教」という性格類型は、大村英昭・西山茂編、前掲書による。
▼8 塩原勉「内発的発展」塩原勉・飯島伸子・松本通晴・新睦人編、前掲書二一二-二一三ぺージ。
▼9 ただし「小さな神々」を民俗宗教に入れるか、新新宗教に入れるか、見解は分かれるだろう。
▼10 橳島次郎『神の比較社会学』(弘文堂一九八七年)IV「『消費』と『信仰』――現代社会における神のゆくえ」。
▼11 前掲書一七一ぺージ。
▼12 前掲書一七八-一九一ぺージ。
▼13 前掲書一八三ぺージ。
▼14 前掲書一九六ページ。
▼15 前掲書二〇六ページ。
▼16 前掲書二二四-二四六ページ。
▼17 ごく最近の論考として、芳賀学「新新宗教-なぜ若者は宗教へ走るのか」および市野川容孝「死の位相――信仰は医療に優越するか」いずれも吉田民人編『社会学の理論でとく現代のしくみ』(新曜社一九九一年)。
増補
宗教社会学の概説書
井上順孝編『現代日本の宗教社会学』(世界思想社一九九四年)は、「宗教と社会」学会の主要メンバーによる宗教社会学のスタンダード・テキスト。現代日本の宗教状況に照準を合わせて、理論と現実とがバランスよく編集されている。「宗教社会学は何を研究するか」「宗教社会学の源流」「宗教社会学理論の展開」「現代日本の宗教」「社会変動と宗教」「新宗教の展開」「社会調査を通してみた宗教」の六章に厳選された「文献解題」がある。
K・ドベラーレ『宗教のダイナミックス――世俗化の宗教社会学』ヤン・スィンゲドー、石井研士訳(ヨルダン社一九九二年)は、宗教社会学の重要な争点である世俗化論の集大成的な概説書。世俗化をめぐるさまざまな議論のアウトラインと位置関係がよく整理されている。ここでは世俗化論が「非聖化」「宗教変動」「個人の宗教への関与」の三点に整理されている。付論では社会学基礎理論とのかかわりについても論じられている。圧巻は巻末の「文献目録」で、宗教社会学や世俗化論についての二四八件の文献についての解題がある。この分野の勉強を系統的にしたい人は必見。
日本人の宗教意識
本編で述べたように、宗教社会学の研究対象は教団だけではない。「自分は無宗教だ」と思っている人の宗教性も重要なテーマである。この点については、阿満利麿『日本人はなぜ無宗教なのか』(ちくま新書一九九六年)が一石を投じている。社会学系では、大村英昭『現代社会と宗教――宗教意識の変容』叢書現代の宗教1(岩波書店一九九六年)が、「特定宗教」と「拡散宗教」という対概念を軸に、「社会そのものが宗教現象である」点を説明する。基本的データは、石井研士『データブック 現代日本人の宗教――戦後50年の宗教意識と宗教行動』(新曜社一九九七年)が便利である。
オウム事件の衝撃
新宗教に関する本でどれか一冊と言われたら、井上順孝『新宗教の解読』(ちくま文庫一九九六年)。一九九二年刊のちくまライブラリー版にオウム真理教についての一章を加えたものである。新宗教の歴史や特徴や宗教報道の問題などがていねいにまとめられている。とくに近年の「宗教ブーム」はじつは「宗教情報ブーム」であるとの指摘は重要である。
島薗進『新新宗教と宗教ブーム』(岩波ブックレット一九九二年)は、霊術系宗教の社会的背景についてコンパクトにまとめたパンフレット。島薗進『オウム真理教の軌跡』(岩波ブックレット一九九五年)は、オウムの変質の過程をまとめた本で、前作のいわば続編。
井上順孝・武田道生・北畠清泰編著『オウム真理教とは何か――現代社会に問いかけるもの』(ASAHI NEWS SHOP一九九五年)。いっせいにでた一連のオウム関係本のなかで、これがもっとも宗教社会学的である。他方、吉見俊哉『リアリティ・トランジット――情報消費社会の現在』(紀伊国屋書店一九九六年)は、情報消費社会のありようがオウムを育てたという視点からの社会学的分析で、社会学からの代表的なアプローチを示したものといえる。
オウム系出版物の言説を読み込み、克明に分析した研究としては、大澤真幸『虚構の時代の果て――オウムと世界最終戦争』(ちくま新書一九九六年)を忘れてはならない。ただし、よく調べて書かれているだけに、かなり難解である。
宗教学においては、島田裕巳『信じやすい心』(PHP研究所一九九五年)が、オウム事件に対応した改訂版になった。基本的には若者たちの「信じやすい心」を論じた本で、自己啓発セミナーの話がおもにとりあげられている。著者は「オウムのシンパ」として批判され大学をも追われたが、島田裕巳『宗教の時代とは何だったのか』(講談社一九九七年)は、まさに当事者になってしまったオウム事件についての総括で、共同体の力学と原理主義的傾斜ということが主軸になっている。一種のモラル・パニック論としても読める。
また、この事件をめぐって「カルト」ということばが「マインド・コントロール」とワンセットで使用されたものだったが、一連の報道における解説には疑問が多い。「カルト」の由来については、井門富士夫『カルトの諸相――キリスト教の場合』叢書現代の宗教15(岩波書店一九九七年)などを参照してほしい。なお、一世を風靡した「マインド・コントロール」という概念を拡大解釈して宗教現象を説明する仕方は、社会学的にはほとんど誤りであるというべきだろう。乱用は慎みたい[吉見俊哉『リアリティ・トランジット――情報消費社会の現在』一五九ページ以下参照]。
宗教報道
井上順孝『新宗教の解読』を読むと、宗教報道そのものが「社会の反応」として新宗教をある地点に追い込んでいく重要な要素になっていることがわかる。極端ないい方をすると、新宗教と宗教報道は一対のものなのである。その点で宗教報道の研究は重要だが、あまり集積がないというのが現状である。ただし本編でも示唆したように(三七五―三七六ページ)「イエスの方舟」事件をめぐる報道は、宗教報道の本質をかなり露骨な形で示しているので、何人もの批評家たちがとりあげたものだった。最近刊行された本のなかでは、赤坂憲雄『排除の現象学』(ちくま学芸文庫一九九五年)に「イエスの方舟」論の章がある。また、玉木明『ニュース報道の言語論』(洋泉社一九九六年)にジャーナリズムの無署名性の観点からの分析がある。
宗教報道のもつ政治的作為性については、奥武則『スキャンダルの明治――国民を創るためのレッスン』(ちくま新書一九九七年)が、いわゆる淫祠邪教観を国民に定着させた「万朝報」(よろずちょうほう)の蓮門教(れんもんきょう)批判キャンペーンについて説明している。ジャーナリズム論では何かと持ち上げられる「万朝報」だが、国民国家形成期「明治」の「制度としてのスキャンダル」の担い手という側面をかいま見せてくれる。昨今の宗教報道も何かの国家的「レッスン」ではないかとの疑念を生じさせる研究である。
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4月 12017

社会学感覚14現代組織論

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社会学感覚
14 現代組織論
14-1 組織の原理としてのビューロクラシー
よそよそしい組織という経験
集団論であつかうのは「人と人とのつながり」だ。「つながり」といってもいろいろあって、しかも重なりあっているが、本書ではその代表的なものとして組織と家族について考え、これによって現代社会において避けることのできない「人と人とのつながりの〈多層性〉」に関する認識を深めていきたいと思う。
さて、最近のことだが、はじめて大病院の外来に行って、かねてからうわさに聞いていた「三時間待ち三分診療」なるものを体験した。その三時間のあいだ、つぎつぎに患者がさばかれていくのをみながら「ここはさながら工場だ」と思ったものだ。
ようやく順番がまわってきたとき、わたしの前に診療を受け終わったお年寄りの女性に中年の看護婦がテキパキと指示を与えていた。「これから○○へ行って△△検査をしてください。そして□□をもって××してください。それから……」その看護婦はじつにみごとによどみなく一気にいい終えると、くるっと背を向けて急いで診療室に戻ろうとした。わたしは弾丸のように確実なそのことばの連射に感心してしまった。さすがプロだなあ。しかし、つぎの瞬間、それまでじっと話を聞いていたお年寄りは「あの……」と、か細い声で看護婦を追った。そしてこういったのである。「このあとどうすれば……」と。
からだの不調に悩む老女と、患者の治療に貢献したいと願う看護婦――ふたりの女性が大病院外来という組織の構図におかれるとき、コミュニケーションはもののみごとに分断されてしまう。そして、わたしたちが日々経験する〈組織〉とは、じっさいこのようなことである。
わたしたちが保育園や幼稚園に入ったときから小中高大学(あるいは看護学校・専門学校)と、ほとんどの教育は学校組織のなかで経験される。そして、それらの教育が終わってからは、ほとんどの人が、やはりなんらかの組織(行政組織・企業組織など)のなかで働くことになる。組織労働の割合が増加の一途をたどっている今日、これは男性にとっても女性にとっても共通の経験といっていいだろう▼1。そして、老後や引退後は、福祉施設や病院などに関わることが多くなる。このように誕生から死まで、わたしたちは重要な場面を組織のなかで生きるのである。
つまり、現代都市社会においては、かつて家族や親族そして地域社会が担っていた位置を組織が占めるようになっている。したがって、組織について科学的に考えることは今や現代人の必須課題である。
しかし、わたしたちは組織について十分理解しているだろうか。たとえば、小中高校教育において主として学んできたのは「遅刻しない」とか「校則にしたがう」とか「教師や上級生を尊重する」といった〈組織への適応〉であって、そのさい組織そのものについては自明視されている。これは企業や施設についても同様で、通常そのような組織経験が教えてくれるのも結局〈組織への適応〉である。具体的な組織経験が組織そのものの考察にすすむことがあるのは、個人が管理する側になったときだけである。企業組織や経営に関するほとんどのビジネス書がもっぱら管理者の視点から書かれているのはその反映である。
その意味で、組織について科学的に考察することは、社会生活経験のこの主要舞台について、自分の具体的経験とは異なる視点から反省する契機となるはずで、明識を高めるためにもぜひ必要なことだと思う。
組織とはなにか
人と人とがつながりをもつ形式には、家族・親族・コミュニティ・組織・ネットワーク・交換などさまざまなものがある。組織はこうした〈つながり〉のひとつにすぎない。だから、人が集まればすぐ組織ができるのではない。人が集まってさしあたりできるのは「集団」(group)である。集団のなかで、とくにつぎのような特徴をもつものを「組織」(organization)と呼ぶ。
(1)特定の明確な目標をもつこと
(2)目標を実現するために、地位と役割の分化がすすんでいること
(3)その結果、非人格的な主体としてみなされること
第一に、明確な目標をもつことは、組織の存立基盤が、目標達成のための協働にあることを示している。組織とは目標達成のための協働の形式である。第二に、組織は役割のシステムである。組織を具体的に構成しているのは生身の人間であるが、組織の見地からみると、組織の直接の構成要素は役割であり、その凝固した形式としての地位である。第三に、組織は複合的な主体である。あえて「複合的」というのは、組織そのものが主体とみなされるだけでなく、組織内のさまざまな部署もまたそれなりの主体として存在するし、当然ひとりひとりの構成員も主体だからである。
集団一般にも役割と地位の分化はあるが、たぶんに不明確で曖昧かつ流動的で、しかも特定の個人と密着している。たとえば、集団の原初的段階の例として、こどもの遊び仲間を考えてもらえばいい。ここでも「リーダー」[ガキ大将]や「子分」や「お調子者」といった役割が自然発生的に分化してくる。しかし、そうした役割はひとりひとりの個性と密接に関連しており、しかも流動的である。それに対して、組織の方は、役割が人為的に編成され、地位として明確化・固定され、特定の人物と切り離されている。しかも、個人と役割-地位の関係は人事による任命という手続きを必要とし、徹底的に人為的・意図的である。こうなって、ようやく組織と呼ばれるものになる。組織というのは、だから程度概念であり――ここでジンメルのいい方を借りると――わたしたちは〈組織〉ではなく〈組織化〉について語るべきなのだ。
ビューロクラシーとはなにか
では、組織を形づくっている基本原理はなんだろうか。近代社会における、ありとあらゆる大規模組織に、程度の差はあれ、かならずみられる組織原理、すなわち行政機構・企業・労働組合・政党・医療機関・教育機関・宗教団体などを形づくるもの――それは「ビューロクラシー」[官僚制](bureaucracy)である。
マックス・ウェーバーの分析を参考にいくつかの特徴を列挙してみよう▼2。
(1)非人格性[即物性]――個人的感情や情緒などの非合理的な要素をいっさい排除する。
(2)専門人――その直接的な担い手は専門人であり、これは専門的な訓練を受けて事務処理をおこなう人間のこと。専門教育と登用試験がポイントとなる。
(3)規則・手続き・文書による処理――計算可能性が高く(予測しやすい)能率的・合理的である。
テーラー・システム
このようなビューロクラシーの原理は、二十世紀になって、さまざまな組織にもちこまれた。そのひとつの展開形態として位置づけておきたいのは「テーラー・システム」(Taylor system)である。これは工場組織の展開例である。
テーラー・システムは、工場内の工程のすべての手順を細かく分解し、最良の効率をみつけだして、だれもが――つまり熟練労働者でなくても――かんたんにできるように科学的かつ計画的にセッティングする「工場の哲学」であり「科学的管理法」である▼3。
支配の一形式としてのビューロクラシー
組織におかれた人間の行動は、管理者によって定められた規則に準拠したリジッドな役割行動となる。それは一種の非人格性を帯びる。近代組織特有のこの組織原理を今世紀初めにウェーバーは「官僚制的支配」と名づけた。それはもっとも合理的で計算可能性の高い能率的な〈支配〉である。〈支配〉といっても人びとを暴力的に屈服させることではない。それはなんらかの形で人びとの自発的服従がえられるチャンス[可能性]をさしている。つまり組織における役割行動とは一種の〈自発的服従〉なのである。近代組織の構造原理としてのビューロクラシーを〈支配〉の一形式とみたところにウェーバーの感覚の鋭敏さがあった▼4。
このような〈自発的服従〉がもっとも典型的に経験されるのは病院や学校のような〈施設〉である。とりわけ、監獄や入院病棟や老人ホームなど個人の生活を丸がかえでつつみこんでしまうような施設である。社会学ではこれを「全制的施設」(total institution)と呼んでいる▼5。このような施設に収容された者は、それまでのアイデンティティを根こそぎ剥ぎとられ全面的に管理される。「囚人らしさ」「患者らしさ」「老人らしさ」――押しつけがましい役割が個人を拘束する。それに対して個人は抵抗を試み、多くの者がやがて〈自発的服従〉にいたる。そして忘れてならないのは、管理する側もまた管理者として強く拘束されていることだ▼6。
極端な全制的施設とまでいかなくても、工場や学校や企業でも、組織には大なり小なり〈管理〉対〈自律〉の構図があらわれるものだ。組織には、協働してなにかを成し遂げるという側面とともに、他方で一部の人びとが他の人びとを支配するという側面をもっている。組織は人と人とをつなげる構造原理である。本来の主役はあくまで人間である。しかし、ひとたび組織が立ち上がると、今度は人がワキにまわることになる。人間とお金の関係のように、主体と媒介の関係が転倒してあらわれてくるわけである。すでに説明したように、これを「物象化」という▼7。
高度の物象化水準にある組織の場合、主体はもはや人間ではない。主体は物神化した組織形態すなわち〈法人〉であり、人びとは〈規律〉という匿名の支配代理人に〈自発的服従〉を強いられる。子どもは学校に、労働者は工場と企業に、病人は病院に、障害者は施設に、エリートは官庁に――あたかも社会全体がテーラー・システムを採用したひとつの工場であるかのように、人間が選別され、ふりわけられ、組織の断片としてそれぞれの生を生きる。
冒頭の大病院の外来にみられるように、そこで働く看護婦が組織の〈規律〉――たとえばテキパキと業務をこなし効率的に患者を誘導するといった組織の期待――に忠実であろうとすればするほど、〈規律〉の外部にいる老女とコミュニケートできなくなってしまう。それはまさに、ゆたかなコミュニケーションの世界がシステムの論理によって侵食されつつある光景なのである▼8。
ウェーバーはビューロクラシーの進行に悲観的だった。「ひとたび完全に実現されると、官僚制は最も打ち壊し難い社会組織の一つになる」とかれはみていた▼9。すでにふれた「意味喪失」である▼10。有名な「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」論文の最後で、かれはつぎのことばを引いて警告している。「精神のない専門人、心情のない享楽人。この無のものは、人間性のかつて達したことのない段階にまですでに登りつめた、と自惚れるだろう▼11。」この警告は、抵抗を忘れた組織人の安住する現在の組織社会にじつによくあてはまる。
▼1 ちなみに、就労人口に占める組織労働の割合は、一九六〇年ごろはおよそ二分の一だったのが、一九八〇年には三分の二にふえている。とりわけ女性の労働現場が劇的に変化した。15-2参照。
▼2 M・ウェーバー、世良晃志郎訳『支配の諸類型』(創文社一九七〇年)。マックス・ウェーバー、阿閉吉男・脇圭平訳『官僚制』(恒星社厚生閣一九八七年)。ただし本書では三つのモメントに集約させた。
▼3 桜井哲夫『「近代」の意味――制度としての学校・工場』(NHKブックス一九八四年)第二章参照。また、辻勝次『仕事の社会学』(世界思想社一九八○年)IIIにくわしい解説がある。
▼4 「官僚制的支配」については、19-1参照。
▼5 E・ゴッフマン、石黒毅訳『アサイラム――施設被収容者の日常世界』(誠信書房一九八四年)。
▼6 前掲書。安積純子・岡原正幸・尾中文哉・立岩真也『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学』(藤原書房一九九〇年)。
▼7 2-4参照。
▼8 ハバーマスは近代社会においては〈システムの論理〉が〈生活世界の論理〉を侵食しているとし、その意味ではもはや階級闘争ではなく「生活世界の植民地化」への抵抗運動が要請されるという。ユルゲン・ハーバーマス、河上倫逸ほか訳『コミュニケイション的行為の理論』(未来社一九八五-八七年)。7-1参照。
▼9 M・ウェーバー、世良晃志郎訳『支配の社会学I』(創文社一九六〇年)一一五ページ。
▼10 3-4参照。
▼11 マックス・ヴェーバー、大塚久雄訳『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(岩波文庫一九八九年〉三六六ページ。なお、ここで「心情のない享楽人」と訳されている部分は、むしろ「信念のない享楽人」というべきだろう。
14-2 組織内集団のダイナミズム
インフォーマル・グループ
官僚制とテーラー・システムがこれほどまでに普及したのは、ひとえに合理的かつ能率的とされたからである。しかし、ほんとうに合理的かつ能率的かというと、ちょっと疑問だ。なぜか。それは、組織を具体的に担っているのが、ほかならぬ人間だからである。人間は機械ではない。組織が人間を歯車のように組みこもうとしても、人間はもっとずるがしこく、したたかである。
なんらかの目的を核にして人と人とがつながりをもち、フォーマルには組織系統図どおりに人びとが配置されていたとしても、人と人とのつながりは、現実にはさまざまなインフォーマルな集団となって、自然発生的なダイナミズムを組織内にもたらす。どんなに硬い組織であっても、いや、むしろ硬い組織であればかならず、そのなかにもうひとつのいわば「裏の組織」ができあがる。いいかえると、組織というものは、いつも二重三重に存在するものなのだ。それを「フォーマルな組織」(formal organization)に対して「インフォーマル・グループ」(informal group)という。
たとえば、学校や工場において生徒や労働者のあいだに自然に発生する、仲間意識によってつながれた集団は、往々にして組織のメンバーのモラール(morale)[志気・やる気]を強く左右し、形式上は合理化されているはずの組織を、非合理な〈感情の論理〉のダイナミズムに巻きこむ。
派閥・ネポティズム・共謀関係
組織内のもっとも典型的なインフォーマル・グループは「派閥」である。学閥をはじめ、主流派-反主流派-中立派といったものなど、大組織に派閥はつきものだ。かつてジンメルが「党派形成」として克明に分析したように、統一的な集団はしだいに党派に分かれ、やがて党派が他の党派との関係で動くようになり、はじめには対立の存在しなかった党派間に人為的に対立がつくりだされ、闘争が生じる▼1。
派閥とならんで問題となるのが「ネポティズム」(nepotism)である。ネポティズムとは、組織のなかで血縁関係にある者を特別あつかいすること。タレントやスポーツ選手や政治家の世界で「二世」が話題になる昨今だが、企業組織でもけっこう多いことは周知の通りである。
派閥にせよ、ネポティズムにせよ、日本の組織をみるかぎり、その実質的影響力は非常に大きいといわねばならない。その最たる例が自民党だろう。組織上の頂点にいる総裁よりも、ときとして派閥の長老の方が政策決定上の発言力が大きいとなると、組織系統図は手続き確保の機能しか果たしていないのではないかと疑いたくなる。その意味で自民党は良かれあしかれ日本社会の縮図にはちがいない▼2。
こうした組織内部のインフォーマルな人のつながりが組織の構造を複雑にしているわけだが、その一方で、組織外部のインフォーマルな人のつながりが組織の運営そのものを左右することがある。たとえば、フォーマルな組織としては対抗関係にあったり、あるいは〈監督する-される〉関係にあっても、それぞれのメンバーが実質的に共謀関係を構築して、独自の秩序をつくりだす場合がそれである。建設業界の「談合」は前者の典型例であり、監督省庁と業界の癒着は後者の例である。
一九六〇年代から七〇年代にかけて続発した大型薬害事件――サリドマイド・スモン・クロロキン事件など――は、まさに厚生省官僚と製薬業界のインフォーマルな共謀関係が直接の原因となって生じたものだった。「天下り」が法的には禁止されているにもかかわらず、「柔軟に」運用されることによって、大量の高級官僚が関係業界に再就職し、監督官庁と業界をつないでいる。高級官僚は在職中から再就職を意識して強力な監督指導ができない構造になっている▼3。一九九一年、日本の経済界をゆるがしている一連の証券業界・銀行業界の不法行為もこの文脈でとらえることができる。
さて、これまでのべてきたフォーマル-インフォーマルな人のつながりが二重三重に組織を侵食するとき、その内部にいる個人の行動もまた多層的に規定されることになる。一方では「会社人間」あるいは「ワーカホリック」がいる。いまや日本企業の文化となった感のある「サービス残業」や有給休暇の未消化などは、労働者としての当然の権利をかれらが〈自発的に〉放棄せざるをえない状況を物語っている。他方、ひとたび転勤拒否や内部告発などに関わって、離脱や抵抗の態度を表面化させてしまうと、フォーマル-インフォーマルにわたってすさまじい制裁が待っている▼4。
フォーマルには、賃金カット・クビ・左遷・配置転換などがあり、日常的にはそれらはすべて人事考課となって露骨にあらわれる▼5。インフォーマルには、仲間はずれ、いやがらせ・嘲笑・いじめなどの制裁がある▼6。インフォーマル・グループの場合、インフォーマルな掟・暗黙の了解・先例の尊重などの規則そのものがみえにくいだけに、外部者(管理者もふくめて)に気づかれることは少ない。
準拠集団(リファレンス・グループ)
たとえば職場のなかで、あるいは学校のなかで、あるいは病院のなかで、個人が出会う集団は主として二種類ある。「フォーマルな組織」と「インフォーマル・グループ」である。これらは集団のありようからいえば、まったく性質の異なるものだが、じつは共通点もある。それは、いずれも個人が所属している集団であるということだ。両者をまとめて「所属集団」(membership group)という。
たとえば、自分が生まれ育った家族や現在働いている職場やサークルなどの仲間集団のように、自分が所属している集団に、人は、自分を関連づけ、一体化し、一定の態度をつくりあげることが多い。このような働きをもつ集団を「準拠集団」(reference group)という。
なぜ、わざわざ所属集団と準拠集団を概念的に仕分けるかというと、単純な社会では所属集団がそのまま準拠集団になるのだが、現代社会ではかならずしも所属集団が準拠集団になるとはかぎらないからである。職場に即していえば、上昇志向の強い人はフォーマルな組織あるいは管理職たちのインフォーマル・グループを準拠集団にするかもしれないし、無関心派はまったく別の組織や集団を準拠集団にしているかもしれない。ある組織・ある集団に所属しているからといって、現代人は所属していない集団を準拠集団としうるのだ。「いろいろ」というのが現代社会の特徴である。
▼1 5-3参照。
▼2 この点については、居安正『自民党――この不思議な政党』(講談社現代新書一九八四年)。
▼3 22-2参照。
▼4 「制裁」のことを「サンクション」(sanction)という。ただし「サンクション」は否定的なことだけではなく、報償や名誉のような肯定的な報いの両面をふくむ広い概念である。
▼5 熊沢誠『日本的経営の明暗』(筑摩書房一九八九年)「II査定される従業員――人事考課の論理と作用」参照。
▼6 熊沢誠、前掲書「I労務管理の惰力――〈東芝府中人権裁判〉分析」参照。
14-3 組織文化と日本的集団主義
日本的経営
コンティンジェンシー理論によると、組織がうまく機能するかどうかは環境との適合関係しだいだという▼1。「組織の時代」ともいわれる二十世紀――資本主義もファシズムも社会主義も、いずれも組織の巨大化と物神性に支えられていた。まずファシズムがやぶれ、つぎに社会主義がやぶれていったその歴史は、結局環境に適応できなかった組織が淘汰された過程でもある。この世界史的な淘汰の過程で最終的に生き残りつつあるのが日本の企業組織であることはいうまでもない。そこで世界的に注目され、かつまた日本の経営者たちが自画自賛するのが、いわゆる「日本的経営」(Japanese-style management)である。
「日本的経営」とは、日本の伝統的な企業経営のスタイルのことだ。尾高邦雄によると、それは以下のような人事労務慣行の体系を内蔵している▼2。
(1)終身雇用の慣行
(2)丸抱え的な一括採用
(3)平均的な会社人間をつくる定型訓練
(4)ジェネラリストを育成する職場遍歴
(5)年功による処遇と地位の序列
(6)競争の抑制と人の和の尊重
(7)稟議(りんぎ)制度
(8)おみこし経営と集団責任体制
(9)権威主義的であるとともに民主的、参画的な組織
(10)私生活にまで及ぶ従業員福祉への温情主義的配慮
江戸時代中期の商家からはじまった伝統的な人事労務慣行が近代組織にもちこまれ、しだいに修正され、戦後完成したものだが、これが企業組織をメンバーにとっての一種の運命共同体――かつての「家」や「村」のような――にしていくことこなる。その結果、雇用の安定性・人事の柔軟性・従業員の会社一体感の育成といったメリットを生むとともに、(1)従業員の依頼心の助長と自主創造の精神の抑制(2)雇用における差別待遇と自由な横断的労働市場形成への障害(3)エスカレーター・システムの弊害と中高年齢層人事の停滞(4)従業員の働く喜びと働きがいの喪失といったデメリットも同時にもたらしてきた▼3。
日本的経営の本質としての集団主義文化
いまだに自画自賛的「日本的経営」神話がマスコミの世界や経済界で生きているのがふしぎなくらいである。それにしても、第一に海外進出した日本企業があいついで「日本的経営」を現地に〈適用〉しようとして逆に〈適応〉をよぎなくされている事実▼4、第二に「日本的経営」は一部の大企業の正社員だけにあてはまるもので、中小企業の社員や大企業の非常勤・パータイム労働者などにはあてはまらないことに留意すると、「日本的経営」を普遍的なことと考えることはできない。むしろそれを支えている文化的な価値観に着目すべきだろう。すなわち、企業をはじめとする日本の組織は一貫して集団主義的文化――いわゆる「日本的集団主義」――をもっている。
たとえば、稟議制度ひとつとっても、その真の機能は別のところにあるように思われる。稟議制度とは、末端か中間の職員が稟議書を起案し、それを関係部署にまわし上位者の決裁をえるという手続きのことだ。一見民主的かつ草の根的にみえるが、じっさいには起案者は上層部の意向を受けて作文を担当するにすぎないことが多い。結局責任の所在のはっきりしない集団主義的な意思決定のしくみとなってしまっている。それがいいか悪いかは場合によってちがってくる▼5。さしあたり重要なのは日本の組織がこのような集団主義的な意志決定の仕方をあたりまえのように意味あることとしてきたことだ。このように「日本的経営」の本質は、日本の組織に根強く存在している集団主義的な組織文化にある。
日本的集団主義の特質
「集団主義」とは、集団や組織を自分たちの運命共同体としてとらえ、その全体的秩序の存続と繁栄を、内部の個人の能力発揮や個人的欲求の充足よりも重要視する態度のことである▼7。
一言でいえば〈全体優先〉ということになるが、全体主義とちがうところは、所属集団を優先することを媒介にして自分たちの欲求を充たしていくという発想が強いことだ。濱口恵俊によると、「日本的『集団主義』とは、各成員が仕事をする上で互いに職分を超えて協力し合い、そのことを通して、組織目標の達成をはかると同時に、自己の生活上の欲求を満たし、集団レベルでの福祉を確保しようとする姿勢を指していよう。そこでは『個人』と『集団』との相利共生(symbiosis)が目指され、かつ成員間での協調性(人の和)が重視される▼8。」
企業にかぎらず日本のあらゆる組織の基調に流れてきたのは、こうした集団主義だったと考えていいだろう。たとえば、「でる杭は打たれる」――最近は「でる杭はひっこぬかれる」ともいわれる――傾向もこの線でとらえることができるし、また、契約型の欧米組織に対して日本の組織は所属型だといわれるのも、その一環である▼9。前節で確認したように、フォーマルな組織よりインフォーマル・グループの方が実質的な運営能力をもっていることも同様である。
「CI」(コーポレイト・アイデンティティ)や「企業文化」がさかんに叫ばれている昨今だが、じっさいの組織文化は以上のようなところに根をもっていることを忘れてはならない▼10。
▼1 コンティンジェンシー理論については、加護野忠男「コンティンジェンシー理論」安田三郎・塩原勉・富永健一・吉田民人編『基礎社会学第III巻社会集団』(東洋経済新報社一九八一年)。
▼2 尾高邦雄『日本的経営――その神話と現実』(中公新書一九八四年)一一四-一一五ページ。便宜上、番号をふった。
▼3 前掲書、第一○章・一一章。とくに日本的経営の実質については、熊沢誠、前掲書を参照されたい。
▼4 前掲書。
▼5 稟議制度を肯定的にとらえたものとして、山田雄一『稟議と根回し――日本の組織風土』(講談社現代新書一九八五年)。否定的にとらえたものとして、加藤秀俊『人生にとって組織とはなにか』(中公新書一九九〇年)。後者は稟議制度を「忖度(そんたく)の論理」の一例としてとりあげている。「忖度」とは「他人の気持ちや願望を推量して、それにあわせて行動すること」である。一四三ぺージ-一四九ページ。また間宏によると、企業の変動期にはトップ・ダウン方式、安定期には稟議制度のようなボトム・アップ方式が多用されるという。また後者は企業情報の漏洩の可能性があることも指摘している。間宏『経営社会学――現代企業の理解のために』(有斐閣一九八九年〉一五九-一六〇ページ。
▼6 尾高邦雄、前掲書。濱ロ恵俊・公文俊平編『日本的集団主義一その真価を問う』(有斐閣選書一九八二年)。
▼7 尾高邦雄、前掲書六〇ページによる。
▼8 濱口恵俊・公文俊平編、前掲書一七ページ。
▼9 濱口恵俊・公文俊平編、前掲書一七ページ。
▼10 「日本型組織」の原型を「家元制度」に求め、詳細に論じたものとして、浜口恵俊『「日本らしさ」の再発見』(講談社学術文庫一九八八年)がある。このなかで浜口は、巷にあふれた粗雑な日本人論と一線を画した、緻密な議論を展開している。
14-4 組織の犯罪と集合的無責任
組織体犯罪
この「組織の時代」にあって個人が個人としてできることはたかが知れている。悪いことだって個人が犯す分には限界がある。しかし、組織人がその正当な職務として遂行することのなかには、とてつもない〈犯罪〉が存在することがある。いわゆる「企業犯罪」である。
しかし、一口に「犯罪」といっても、現行刑法では「犯罪」はあくまで個人が犯すものとされていて、法人という主体を想定していないから、組織そのものは刑法上の犯罪に問われにくい。そこで社会学では「企業逸脱」と呼んでいる。この場合の「逸脱」とは、人びとがそれを非難するような行為のことであり、あくまで相対的なものである▼1。また、企業以外の組織もふくめて「組織体犯罪」という呼び方もある。こちらの方は、暴力団などの「組織犯罪」とちがって、合法的な組織がその活動のなかでひきおこす不法行為あるいは法侵犯をいう▼2。
さきほど少しふれた薬害問題は、いずれも被害者になんの落ち度もなく、他方の製薬会社や国[厚生省]などの加害者・監督側には、事前に回避できる能力とチャンスがあり、意図的あるいは慣行的にそれをしなかったために、数多くの人が犠牲者となった。たとえば、スモン[キノホルム]事件では一万一千人以上の人が重度におよぶ障害を負わされた。傷害事件としてみると、これはたいへんな犯罪だと思うが、その結果を招いた人びとはいずれおとらぬエリートばかりである。しかも、かれらは組織の職務としてそれを遂行したのであって、とくに個人の利益を望んだのではない▼3。その意味では、組織が行為主体なのである。
ところが、トップ・ダウン方式のアメリカと異なり、日本の場合は稟議制・根まわし・暗黙の了解といった一連の組織文化が意思決定上の責任をぼかす機能を果たしているために、犯罪であることが確定しても、罪は末端の現場責任者に帰せられてしまって、上層部に波及しないことが多い。結局、中間管理職や末端の構成員だけが悪いクジをひくことになる。その意味では、組織そのものがひとつの責任の主体として法的に裁かれるような法体系が整備されるべきだろう。
集合的無責任の生成――旧国鉄組織の場合
しかし、その一方で、組織を行為主体とみなすことには落とし穴があることも忘れてはならない。それは組織をひとつのブラックボックスにみてしまう危険性である。組織の犯罪が明るみにでたさいにマスコミがよくやる一方的非難は、たしかに正義ではあるかもしれないが、それも一種の組織の物神化である。組織内の複雑な意思決定システムを分析的にみていかなければ、特定の組織を百万回バッシングしても、企業逸脱・組織体犯罪はなくならないだろう。
船橋晴俊は名古屋を中心とする新幹線公害問題の研究のなかで、深刻な被害が生じているにもかかわらず、なぜ国鉄・政府・国会・裁判所が問題を長期間にわたって放置しているのかを組織社会学的に分析している。ここでは旧国鉄についてみてみよう▼4。
もっとも下層の三つの部署すなわち岐阜工事局新幹線環境対策室・新幹線総局名古屋環境管理室・新幹線総局名古屋電気所は被害住民との直接的接触の頻繁な部署だが、これらはいずれもきわめて限定された権限しかもたされていないため、本社の基本方針にそって実務をおこなうのみである。たとえば新幹線総局名古屋電気所はテレビ障害問題を担当していたが、その誠意は住民にも高く評価されたという。しかし、その誠意ある全面解決はもともと受信障害問題に限定されている。
では、中層にあたる環境保全部と法務課はどうか。環境保全部は公害問題解決のための政策立案を担当する中心主体的部局である。しかし、その任務は低いコストで紛争を鎮静化させることにあるために、余分なコストを使用してまで住民本位にイニシアティブを発揮することはない。また法務課は「法廷でいかにしたら自分たちが負けないか」との狭い問題設定の範囲でしか行動しない。
では、上層の主体である総裁と理事会はどうか。トップレベルにあるとはいえ、多数の重要問題の処理に忙殺され、よほどの緊急性のないかぎり結局ミドルレベルの部局の意思決定を形式的に追認する構造になっている。
このように、国鉄組織内部の意思決定のメカニズムにおいて、減速・地下化・大幅な緩衝地帯という根本的対策をイニシアティブをもって推進する主体が閉塞してしまっているのである。その結果として、国鉄の「冷淡さ」「消極性」「硬直性」「問題解決能力の低さ」が生成してくるというわけだ。国鉄なる主体が明確な意思をもって住民運動をはねつけているのではなく、「累積された事なかれ主義」の結果なのである。
このように巨大組織では(1)各部署の権限に限界があるために権限外およびボーダーライン上のことに対しては消極的になり、(2)個人の保身や個々の部署の利害を守るためにマクロな革新をきらう傾向が強い。また(3)上層部は巨大な権限をもつが、情報処理能力の限界があるため、個々の細目については中層部が実質的に決定することになる。しかし中層部にとってマクロな革新は荷が重すぎるとしてイニシアティブはとらない。したがって、(4)制度上の革新や政策形成の決断は、組織にとってかなりの緊急性が生じたときにかぎられる。この「緊急性」はあくまで組織にとっての緊急性であって、住民運動やマスコミなどが世論や監督官庁を大きく動かし、組織の存立の危機と認識されたときにかぎられてしまう。
船橋晴俊の以上の分析から、旧国鉄において「集合的無責任」が醸しだされるメカニズムがみえてくる。今日もっぱら企業経営の視点でのみ語られることの多い組織論であるが、このあたりの問題の分析こそ、これからの組織論――社会学では組織社会学と呼ぶ――の課題ではなかろうか。
▼1宝月誠編『薬害の社会学――薬と人間のアイロニー』(世界思想社一九八六年)。くわしくは22-2参照。
▼2 「法侵犯」という概念については、板倉宏『現代型犯罪と刑法の論点』(学陽書房一九九〇年)。
▼3 宝月誠編、前掲書。
▼4 以下は、船橋晴俊・長谷川公一・畠中宗一・勝田晴美『新幹線公害――高速文明の社会問題』(有斐閣一九八五年)「IV国鉄はなぜ問題を放置しているのか」を要約したものである。
14-5 ネットワークと自己組織性
ネットワーク組織論
融通がきかず個人や小グループの自発性をそこないがちな従来の制度化された大組織のあり方に多くの人びとが疑問をもち、新しい「もうひとつの」(オルターナティヴ)組織のありようを模索している。
たとえば、ヴェンチャー企業が従来型の硬い官僚制的組織をとっていたのでは、つぎつぎに新たな経営環境をつくりだすことなどできないだろう。また、市民運動や「新しい社会運動」と呼ばれる一連の運動組織において、ひとりひとりの個人の、主体的参加を望めないような組織では、従来の労働組合の前衛指導型運動がたどった道へいたることは目にみえている。いずれにせよ、変革主体の創造性とダイナミズムを生かしながら実効性をもつ新しい組織原理が求められている。
こうした組織構想のなかで近年さかんに注目されているのが、「ネットワーク組織論」である▼1。
今井賢一・金子郁容によると、ネットワーク組織論のかなめは〈場面情報の重視による関係形成〉にある。「場面情報」とは、現場にかかわっている当事者だけがもちうる〈動いている情報〉のことだ。これを重視することによって、むしろ他の領域への適用可能性が高まって新しい連結が生まれるというのである。「神は細部に宿る」の論理である。従来の官僚制型組織は場面情報を主観的なものとして軽視して中央の抽象的な情報を中心に運営されてきた。社会主義経済の非効率性もここに原因がある。これらに対して、ネットワーク組織は、個人の全人格的な活動によって――つまり歯車としての個人ではなく――自発的なつながりを形成し、自他の境界の引きなおしをふくむ自己更新をおこない、多様なコンテクストをつくりだす〈解釈システムとしての組織〉をめざしている。
ここにあるのは、明確な目標をもち、ハイアラーキーに編成されたポジション群に配置された個人の役割行動によって、それを効率的に遂行するといった、おなじみのあの組織ではなく、個人が自発的かつ自律的に活動することによって結果的にあらわれるような〈ネットワーク多様体〉である▼2。
自己組織性
アンチ・ハイアラーキーでありアンチ・コントロールを意識したネットワークの組織のような新しい組織原理は〈自己組織性〉(self-organity)である。これは、環境に決定されるのでもなく、環境に適応するのでもなく、「自己が自己のメカニズムに依拠して自己を変化させること」である▼3。
もう少しくわしく説明しよう。組織についての考え方は、ほぼ三つの段階に分けることができる。第一に「機械モデル」の段階。ビューロクラシーの理念型はほぼこれに対応する。あらかじめ指定したことは確実にできるけれども、そうでないことにはまったく対処できないような融通のきかない機械のイメージである。つぎにでてきたのは「環境適応モデル」。はじめにプログラムした環境がいつまでもつづくわけがない。そこで、まわりの環境にあわせて組織そのものが変わっていく、そういう融通のきく組織のあり方である。日本の大企業は今日おおむね環境適応型といっていいだろう。また、コンティンジェンシー理論も基本的に環境適応を重視する理論である。それに対して「自己組織モデル」は、環境という外部要因によって組織が変容してゆくのではなく、組織内部の自生的要因によって組織そのものが変容してゆくというイメージだ。
〈自己組織性〉原理が巨大な現代組織をどこまで脱構築できるか――組織論の構想力が試されるのはこれからである▼4。
▼1 今井賢一・金子郁容『ネットワーク組織論』(岩波書店一九八八年)。
▼2 以上、前掲書による。
▼3 今田高俊『モダンの脱構築――産業社会のゆくえ』(中公新書一九八七年)五五ページ以下。
▼4 本章は既発表の「社会学からみた”組織”ア・ラ・カルト」『第三文明』一九九一年一〇月号を改稿したものである。
増補
組織社会学の概説書
社会学の組織論がどのような問題に関心を寄せ、どのように解こうとするのかを知りたいときには、宮本孝二・森下伸也・君塚大学編『組織とネットワークの社会学』(新曜社一九九四年)が適当だろう。若手社会学者が恩師の定年退官を記念して編んだ論文集だが、現代組織論の入門書としても使えるよう編集されている。
日本の組織
九〇年代になって、戦後の日本社会をリードしてきた官僚組織や企業組織の反社会的行動の問題がクローズアップされている。とくに検察が組織のトップクラスの人物を逮捕し始めたことによって、慣行として放置されてきた巨大組織の反社会的行動が社会問題化した。すでに本編において「ビューロクラシー」「インフォーマル・グループ」「日本的集団主義」「集合的無責任」といった概念を使用して重点的に説明しておいたが、その後、多くの文献が刊行されているので紹介しておこう。
まず、日本の企業社会のあり方を「法人資本主義」ととらえ、人びとの「会社本位主義」を批判的に分析する奥村宏の一連の仕事が重要である。奥村宏『[改訂版]法人資本主義――[会社本位]の体系』(朝日文庫一九九一年)。これに先行する仕事として、奥村宏『新版 法人資本主義の構造』(現代教養文庫一九九一年)がある。これらの続編が、奥村宏『会社本位主義は崩れるか』(岩波新書一九九二年)。現代教養文庫には奥村の著作をはじめとして多くの日本企業論がある。
新しい研究ではないものの、日本の企業組織を議論する上で欠かすことのできない研究の翻訳として、ロナルド・P・ドーア『イギリスの工場・日本の工場――労使関係の比較社会学(上・下)』山之内靖・永易浩一訳(ちくま学芸文庫一九九三年)が文庫化された。「一九九〇年版へのあとがき」が加えられている。
近年の企業犯罪については、神山敏雄『会社「性悪説」――会社犯罪の生け贄にならないために』(光文社一九九七年)が事例をよく整理している。新しい本だが、残念ながら刊行後にも次々に事例となる事件が増えている。
この種の議論は従来「建前論」と見なされることが多かったが、海外の読者のために日本の組織構造を解説した、カレル・ヴァン・ウォルフレン『日本/権力構造の謎(上・下)』篠原勝訳(ハヤカワ文庫一九九四年)と、日本人読者のために書き下ろされた、カレル・ヴァン・ウォルフレン『人間を幸福にしない日本というシステム』篠原勝訳(毎日新聞社一九九四年)が大きな社会的注目を浴びたことで様子が変わった。社会学的には「荒削りな内容」と見る評価があるかもしれないが、本来は日本の社会学者が書いてしかるべき内容ではなかったかと思う。
ちなみにウォルフレン自身は社会学に対して批判的であり、みずからをジャーナリストであり政治理論家と規定している。ただし、かれが批判する「社会学者」とは村上泰亮や舛添要一のことであって、いささか筋違いの感もある[カレル・ヴァン・ウォルフレン『日本の知識人へ』西岡公・篠原勝・中村保男訳(窓社一九九五年)]。なお、この点については矢澤修次郎が問題にしている[関曠野編『ウォルフレンを読む』(窓社一九九六年)]。
ウォルフレンの批判の矛先は、とくに中央官庁の官僚に向けられていたが、九〇年代にあいついだ社会問題の過程で厚生省・大蔵省・建設省・農林水産省などの反社会的な行為や不作為が表面化し、じっさい収賄容疑などで高級官僚の逮捕などがあり、日本の官僚組織のあり方が政治的イシューになっている。これはたんに永田町と霞ヶ関の問題ではなく、猪瀬直樹『日本国の研究』(文藝春秋社一九九七年)の指摘するように、虎ノ門に集中している特殊法人にまで注意を向ける必要がある。
社会学的にこれらの問題をどう捉え直すかという問題が残されているが、その選択肢のひとつは「ホワイトカラーの犯罪」という古典的な概念に立ち戻ることであろう。ヒントを与えてくれる社会学書として、ジェームス・コールマン『犯罪エリート』板倉宏監訳(シュプリンガー東京一九九六年)がある。
談合については、社会学ではないけれども、武田晴人『談合の経済学』(集英社一九九四年)が日本的調整システムの歴史と機能について詳細に論じているので、「談合の社会学」を考える上で参考になる。株の損失補填問題や総会屋への利益供与事件もそうであるが、こういう問題をたんに社会的公正の視点から批判するだけでなく、その社会的機能と逆機能を歴史的に検証し、その上で対抗構想を練るべきであろう。図書館の経営学や経済学の棚をさらってみるとわかるように、この種の分析は相当に手薄である。組織社会学や産業社会学の可能性は大きいと思う。
「もんじゅ」と動燃の組織問題
一九九五年十二月八日高速増殖炉もんじゅのナトリウム漏れ事故が発生した。高速増殖炉は夢のようなエネルギー装置として推進されてきた巨大プロジェクトだが、かねてより指摘されてきたように、ナトリウムのとりあつかいがむずかしく、この分野の先進国においても断念する国が相次いでいただけに、起こるべき事故が起きたといえる。十二月二十一日、動燃は科学技術庁の立ち入り検査を受けた。これは動燃がナトリウム漏れ事故の肝心な映像をはぶいて編集した映像資料しか提出しなかったための措置だった。動燃では日常的に「事故」を「事象」と呼び換える点をはじめとして、現場の当事者たちが、情報公開の理念とはまったく異なるコンセプトで動いていることが明白になった。この一連のプロセスについては、読売新聞科学部『ドキュメント「もんじゅ」事故』(ミオシン出版一九九六年)が詳しい。
システムの信頼
原発問題が示しているのは一種の「システムの信頼」問題である。今回の事件のように、動燃側が「誤解を与える」との理由でいともかんたんに情報の操作的提示をしてしまうと、もっともゆらぐのが「信頼」。この種の事件では、当事者や利害関係者が「騒ぎすぎ」と感じることが多かったようだが、それでは、現代社会において「信頼」がいかに重要な構成要件であるかの社会学的認識が欠けているといわざるをえない。薬害エイズ事件についても同様である。  問題を抽象化しすぎて捉えているとの疑念を抱かれるのを覚悟して(社会学者はしばしばそう批判されることがある)次の本を掲げておこう。ニクラス・ルーマン『信頼――社会的な複雑性の縮減』大庭健・正村俊之訳(勁草書房一九九〇年)。「信頼」については次の本の方がわかりやすいかもしれない。アンソニー・ギデンズ『近代とはいかなる時代か?――モダニティの帰結』松尾精文・小幡正敏訳(而立書房一九九三年)。
情報開示と信頼
最後に、情報公開の問題について一言。情報というのは、ふたつの性質をもっている。ひとつは一部の人たちに独占されやすいということ、もうひとつは操作されやすいということだ。  それがたいせつな情報や知識であればあるほど、それは権力や権限をもつ人のところに集中していく。その人たちが、たとえ情報を独占するつもりがなくても、その人たちがあえて公開しようとしないかぎり、その情報や知識は独占されてしまうことになって、一般の市民には隠されてしまう。しかも、情報は操作するのがかんたんだ。もんじゅの事故を「比較的小さな事象」ということは、それ自体うそではないにしても、すでに評価をくわえて加工されてしまっている。まして、映像資料の場合はその一部だけを公表することによって、たやすく人びとの印象を操作できる。映像は一般に客観的とみなされるので、それがある瞬間のある場面を意識的にきりとったものであるという点であくまでも主観的なものであることが忘れられやすいからである。
要するに、情報というのはあえて公開する意志がないと、いともかんたんに独占され操作されてしまう。つまり、それを知った人が何もしないかぎり、結果的にそうなってしまう。ここがきちんとわかっていない組織がこの日本には多すぎる。「事なかれ」では情報公開は実現しない。組織の中の人が、民主的な社会に生きる市民として「公開への意志」をもって組織内で自律的に行動することが、情報公開を実現するわけで、それが結果的に組織に対する「信頼」を生むことになるのではないか。
ネットワーク分析
本編では新しい組織原理としてネットワーク組織の可能性にふれたが、それとは別に「ネットワーク」概念を駆使して集団や組織における行為を分析する新しい社会学的分析方法が注目されている。それがネットワーク分析である。ネットワーク分析は、行為者間の関係構造をネットワークと捉えて、それを主に数理的に処理して関係構造を分析する手法である。安田雪『ネットワーク分析――何が行為を決定するか』(新曜社一九九七年)が刊行されて、入門者にも近づきやすくなった。これを読むと、ネットワーク分析がかなり汎用性の高い分析方法であることがわかる。
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4月 12017

社会学感覚12ジャーナリズム論

Socius  ソキウス   著作+制作 野村一夫

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社会学感覚
12 ジャーナリズム論
12-1 ジャーナリズムの理念と「知る権利」
マスコミとジャーナリズム
一般に「マスコミ」と「ジャーナリズム」は同じものをさすことばとして使われている。しかし、それらはいずれも「マス・メディア」というべきであって、これらの基本用語が正確に区別されていないために、なかなか有効な議論が成立しにくい状況にある。とくに最近はもっぱら「情報」という用語で議論されることが多く、その分「ジャーナリズム」という用語そのものが使われなくなる傾向がある▼1。このあたりから再確認していこう。
まず、「マス・コミュニケーション」は〈現実〉をさすことばである。それに対して「ジャーナリズム」は原則として〈理念〉をさすことばと思ってもらいたい。〈理念〉とは「こうあるべきだ」という思想のことである。
現代社会には、利害ではなく特定の理念によって構成される社会領域がある。たとえば、法律・教育・医療・福祉・アカデミズムなどの社会領域は、それぞれ独自の理念をもち、それを中心に制度化されている。そこで働く人びとは、そうした理念にもとづいて活動する。むろん現実はさまざまな利害によって侵食され、理念が形骸化していることもあろう。しかし、それでもいくばくかの理念が生きていなければ、その社会領域はまとまりをもちえないのである。ジャーナリズムもそのような理念によって統合された社会領域なのである▼2。
〈理念〉をあらわす「ジャーナリズム」と〈現実〉をあらわす「マス・コミュニケーション」がしばしば混同されるのは、マス・コミュニケーションがジャーナリズム活動として始まり、それを柱として発展してきたという歴史的事情が一方にあり、またその発達過程のなかでジャーナリズムの理念がしだいにその比重をうすめて、ジャーナリズムがマス・コミュニケーションのひとつの機能にすぎないと考えられるようになったという逆説的な変化が他方にあるからだ。ちょうど「プロテスタンティズムの倫理」と「鋼鉄のような資本主義」の関係に似ている。
したがって、「ジャーナリズムとはなにか」に答えることは、「ジャーナリズムの〈理念〉について考えることにほかならない▼3。
ジャーナリズムとはなにか
では、ジャーナリズムがジャーナリズムである本質はなんだろう。
新井直之によると、それは「いま言うべきことを、いま、言う」ことである。「いま伝えなければならないことを、いま、伝える。いま言わなければならないことを、いま、言う。『伝える』とは、いわば報道の活動であり、『言う』とは、論評の活動である。それだけが、おそらくジャーナリズムのほとんど唯一の責務である▼4。」したがって、娯楽や広告媒体としての活動は付随的なものにすぎず、継続性や定期性も重要ではない。一回かぎりの行為であってもジャーナリズムたりえるし、組織である必要もない。「ジャーナリズムの活動は、あらゆる人がなし得る。ただ、その活動を、日々行ない続けるものが、専門的ジャーナリストといわれるだけなのである▼5。」組織ジャーナリストやフリー・ジャーナリストはもちろん、公害企業の内部告発者も、地域の問題にとりくむ市民運動家も、ジャーナリズムの主体たりえるということだ▼6。
この根本規定に、記録性や世論形成や定期性などの諸要素が加わった、その結果として、ジャーナリズムは「ニュースを収集し、選択・分析・解説し、それを継統的かつ定期的に流布する過程」と一般的に定義される現象としてあらわれると理解できる。
民主主義と権力のはざまで
では、なぜこのような理念にもとづくジャーナリズムが必要とされるのか。それに答えるには〈民主主義〉と〈権力〉の二概念が欠かせない。
民主主義とは国民が直接・間接に政治に参加することだ。民主主義国家における権力の源泉は国民に由来する。自分たちのことは自分たちで決めるという原則である。そのさい問題となるのは、自己決定するさいの知的条件である。つまり、国民は自分たちの現状[いま、ここ]について、できるだけ正確でくわしい知識をもっていなければならない。一口で国民といっても、そのおかれている立場はさまざまである。しかし、そのひとりひとりが平等に〈いま、ここ〉の知識をわかちあっていることが民主主義の前提条件である。
ところが、民主主義的手続きによってひとたび権力が成立すると、意思決定に必要な〈いま、ここ〉の知識が権力の極の方に集中し、平等に配分されなくなってくる。この傾向が放置されるならば、権力は国民による正当なコントロールからはずれ、逆に権力が国民をコントロールする事態をまねく。そうなると、もはや民主主義とはいえないから、なんらかの制度的対策が必要となる。「いま伝えなければならないことを、いま、伝える。いま、言わなければならないことを、いま、言う」ジャーナリズムが要請されるのは、このためである。
このようにジャーナリズムは民主主義と権力との相関物であることを確認しておきたい。
知る権利
ジャーナリズム活動の正当性は、したがって、国民がもともともっている「知る権利」の代行[具体化]にある。
じつは、この「知る権利」という概念はそれほど古いものではない。この概念は第二次大戦中の国家機密へのきびしい報道管制への反発として誕生し、一九五〇年代のアメリカで言論の自由の現代的原理として注目されたものである。日本では一九六九年から翌年の「博多駅テレビフィルム提出命令事件」で注目をあび、一九七二年の「沖縄返還交渉に関する外務省機密文書漏洩事件」で一躍一般に知られるようになった▼7。
このように「知る権利」が注目され、今日、ジャーナリズムをそれとの関係で定義するようになったのには背景がある▼8。
(1)情報の果たす役割がたいへん大きくなったこと。情報の社会的価値が飛躍的に高まった。そのため、価値ある情報が国家権力・行政権力・経済権力へと集中し独占されている。しかも、その情報のもつ影響は多くの人びとにおよんでいる。
(2)送り手と受け手が完全に分離してしまったこと。個人が自力で収集できる情報や知識の質量は、ほとんど意味をもたないほどに限定されている。もはやマス・メディアによるジャーナリズム活動なしに現実世界を知ることはできない。そのために、自由でゆたかな情報の流れを確保しなければならない。
(3)国家機能の増大にともなって国家秘密が増大したこと。立法府・裁判所は比較的透明であるが、行政府はもともと裁量の度合いが大きく、しかもまったく不透明である。とりわけ現代の国家は行政府の圧倒的優位・肥大の傾向にあり、人びとにとって重要な意味をもつ知識や情報が、国家秘密・行政秘密として情報管理されることが格段に多くなった。「秘密のインフレ」によって国家権力が巨大なブラックボックスとなってしまったのである。マス・メディアが国民の代行として国政に関する情報をひきだし伝達しなければ、国民の「知る権利」はいともかんたんに机上の空論と化してしまう。この場合「取材の自由」と「報道の自由」は「知る権利」と同列におかれる。
(4)消費社会において企業の社会的責任がますます大きくなったこと。〈売り手の企業〉と〈買い手の消費者〉とは、もはや対等の関係ではない。企業は消費者に対して強力な支配力をもつにいたっている。この支配力は消費者に対してだけでなく、企業城下町の地域住民に対しても、また企業内労働者に対しても絶大なものであり、この点でも「企業秘密」の名のもとになされる企業活動の実態について明らかにされるべきことがらは多い。
以上の背景のもとに「知る権利」の必要性が高まり、ジャーナリズムの理念が再評価されるとともに正当化されてきた。では、現実のジャーナリズムはそのような役割を果たしているだろうか。これがつぎの問題である。
ジャーナリズムが「正義の味方」にみえるとき
一九八八年六月一八日「朝日新聞」朝刊は、川崎市助役のリクルート・コスモス未公開株譲渡の事実をスクープした。これがリクルート事件が〈事件〉として報道された最初の瞬間である。これは捜査当局が立件を断念したのち、朝日新聞横浜・川崎両支局が独自に「調査報道」したものだった▼9。
もしこのスクープがなかったら、その後の政界と経済界に生じた一連のできごとは存在しなかったことになる。このあたりが物理的世界と社会的世界の大きなちがいである。社会的世界においては、知る者がだれもいなければ、それは存在しないのと同義である。その意味で、リクルート事件においてジャーナリズムが果たした役割は果てしなく大きい。
ジャーナリズムは「正義の味方」か?
ところが、その「朝日新聞」が、一九八九年四月二〇日夕刊に、ねつ造されたサンゴ落書き報道をしてしまう。これは、沖縄西表(いりおもて)島サンゴ礁の巨大なアザミサンゴにダイバーが「K・Y」と傷をつけたことを鮮やかな写真で告発したものだった。ところが、サンゴにつけられたこの傷は、その写真を撮ったカメラマン自身がつけたものだった。これによって社長までが責任をとって辞任することになる。
リクルート報道では「正義の味方」にみえた「朝日新聞」だったが、この事件で裏切られたような感想をもった読者も多かった。ジャーナリズムは、ほんとうに民衆の「知る権利」を具体化してくれる「正義の味方」なのだろうか。
▼1 たとえば、テレビ・ニュースのキャスターでさえ「新鮮な情報をお届けしたい」という表現を好み、「ジャーナリズム」といういい方を使わなくなっている。
▼2 したがって、法律・教育・医療・福祉・アカデミズムに関わる人にとって、ジャーナリズムの理念と現実を学ぶことは、みずからの明識を高めることに通じると思う。
▼3 物理的世界をあつかう科学では、「こうあるべきだ」「こうしなければならない」という議論は価値判断をふくんでいるために徹底的に排除されるが、社会的世界をあつかう科学では、このような理念をはじめとして価値判断・価値観・主観性・政治的態度などと徹底的につきあっていかなければならない。なぜなら、それらも社会という研究対象の構成要素だからである。なお、ジャーナリズム論や平和研究のように一定の〈理念〉に立つ科学のことを「規範科学」ということがある。
▼4 新井直之「ジャーナリストの任務と役割」『マス・メディアの現在』[法学セミナー増刊総合特集シリーズ三五](日本評論社一九八六年)二五-二六ページ。なお、ニュアンスのちがいはあるが、戦前の戸坂潤の提出した「アクチュアリティ」概念も本質において同様のことをのべていると思われる。戸坂潤はみずから「唯物論者」と定義していたが、その仕事の全体からみるかぎり「知識社会学者」と呼ぶべき存在で、そのジャーナリズム論は一読の価値がある。戸坂潤「新聞現象の分析――イデオロギー論による計画図」『戸坂潤全集』第三巻(勁草書房一九六六年)。
▼5 新井直之、前掲論文二六ページ。
▼6 内部告発のことをアメリカでは「ティップ・オフ」(tip off)という。アメリカでは所属組織(政府機関や企業)に不正や不正義があったとき、内部事実を外部にもらして世論による軌道修正をはかろうとすることが多いという。これは「職域に対する忠誠よりも、社会に対する誠実を優位に置く思想」にもとづく行為である。ウォーターゲート事件の取材における重要なニュース・ソースにもティップ・オフがあった。新井直之『ジャーナリズム――いま何が問われているか』(東洋経済新報社一九七九年)二一-二二ぺージによる。
▼7 「知る権利」の成立過程については、奥平康弘『知る権利』(岩波書店一九七九年)。なお、「外務省機密漏洩事件」いわゆる「西山事件」については、澤地久枝『密約――外務省機密漏洩事件』(中公文庫一九七八年)。
▼8 奥平康弘、前掲書第二章。芦部信喜「『知る権利』の理論」内川芳美・岡部慶三・竹内郁郎・辻村明編『講座現代の社会とコミュニケーション3言論の自由』(東京大学出版一九七四年)所収。
▼9 「調査報道」(investigative reporting)とは、公的機関がとりあげていないか隠している重要な事実、とくに権力の不正腐敗・税金の浪費・組織の犯罪に対して、ジャーナリストがみずからの意思で取材調査し報道することをいう。「ワシントン・ポスト」によるウォーターゲート事件が代表事例。
12-2 ジャーナリズムの現実問題
理念から現実へ
当然のことながらジャーナリズムもまた、社会のさまざまな葛藤の錯綜するなかでおこなわれるかぎり、そうした葛藤と無縁ではありえない。葛藤とは、たとえばメディア企業間の競争であり、組織内のジレンマであり、ジャーナリスト間の競争であり、社会構造の矛盾であり、権力闘争である。このような重層的な葛藤が、ジャーナリズムにさまざまな現実問題を生じさせることになる。理念的側面について確認したいま、今度は日本のジャーナリズムの現実的側面について概観しよう。そのさい、現実問題のディテールに深入りしないで、そのさまざまな事例を類型化し、共通形式を抽出する形で整理することにしたい▼1。
誤報・虚報・ねつ造・やらせ
いずれもありのままの事実でないことを報道することであり、意図的かそうでないかによってタイプがわかれる。「ねつ造」と「やらせ」は意図的なものだが、「誤報」と「虚報」は意図的でないことが多い。
意図的なものとしては、さきほどの「サンゴ落書き事件」があげられる。また、校内暴力が社会問題化していた時期に、町田の中学の校内暴力事件取材で中学生にタバコを吸わせて撮影した「やらせ」が問題になったこともある。さらに「やらせ」については、この業界用語を一般化させるきっかけになった有名な事件がある。一九八五年テレビ朝日「アフタヌーン・ショー」の「やらせリンチ事件」がそれである。この事件は「非行グループ」の取材中に生じた「ヤキ入れ」の場面を撮影・放映したことから騒ぎになり、やがて「ヤキ入れ」はじつはディレクターの教唆による「やらせ」だったとされ、担当ディレクターが逮捕されたというものである。その結果、テレビ朝日は「アフタヌーン・ショー」の番組枠で「テレビ取材のあり方、暴力事件放送の反省」というタイトルの自主制作番組を放送し、謝罪し、その後「アフタヌーン・ショー」は打ち切られた▼2。
意図的でなくとも、さまざまな理由から誤報や虚報は生まれる。たとえば・災害報道では現場のデマに翻弄されてしばしば誤報が生じるし、速報第一主義のため、未確認の情報をそのまま流してしまう結果の誤報も多い。たとえば、サンゴ事件のあった年にも、「毎日新聞」は「グリコ事件」の犯人を取り調べ中という大きな誤報をしているし、「読売新聞」も「幼女連続誘拐殺人事件」の犯人のアジトを発見したという虚報事件をおこしている。
スキャンダリズム・センセーショナリズム・エモーショナリズム
興味本位の報道や俗にいうお涙頂戴路線の報道は日常的におこなわれており、一般のマスコミ批判もこの文脈でなされることが多い。タレントの私生活の些末事を大きく報道したり、被害者の家族に執ようにコメントを求める無神経さがしばしば非難されている。
たとえば、一九八五年八月に五二〇人の犠牲者をだした日航ジャンボ機墜落事故の報道では、文藝春秋社の写真週刊誌「エンマ」が損傷著しい遺体写真を掲載する一方で、このときの四人の生存者とりわけ女子中学生の追跡取材がいっせいになされた。猟奇性と同情、このふたつの相反する報道は、じつは感情に訴える点では同じもののふたつの現象形態である。このような性向は今日、人間くささを前面にだそうとする「ヒューマン・ストーリー主義」という新しいよそおいでジャーナリズムのなかに位置を占めているが、受け手の感情に訴える点で問題性は変わらない。
問題は三つある。まず、受け手の感情に訴えるかぎり、どうしても保守的にならざるをえないこと▼3。第二に、対象となる個人の人権を侵害しやすいこと。第三に、ジャーナリズムそのものへの強圧的な批判を招きやすいこと。そのためにジャーナリズムの理念そのものが侵害される危険性がある▼4。
じつはジャーナリズムにとってスキャンダリズムやセンセーショナリズムそしてエモーショナリズムは紙一重の関係にある。いずれも「隠されているものを暴く」「特定初問題を切りとって強調する」「人間的感情に訴える」ことにはちがいないからである▼5。では、なにがちがうかというと、ひとえにそれは権力批判という緊張関係をもっているかどうかなのである。「調査報道・知る権利といっても、権力批判という緊張関係を失うと、たんなるのぞき趣味に堕してしまう」という稲葉三千男の指摘を確認しておきたい▼6。
プライバシーと人権の侵害
ジャーナリズム活動が結果的に報道された個人のプライバシーと人権を侵害してしまうことも多い。それに対して、一九八六年ビートたけしが友人への取材に対して写真週刊誌「フライデー」に殴り込み事件をおこして以来、一般にも「取材・報道される側」の論理が浸透しつつあり、メディア側にも反省の動きがある▼7。
しばしば芸能人がターゲットになり〈消費〉されるが、プライバシーと人権の侵害がとくに問題とされるのは「犯罪報道」である。犯罪行為は正義ではないから、犯罪報道の過程においてもしばしば強烈に非難される。そのため、容疑者はもちろん、その家族や職場の人びとまでが不当に社会的制裁を受けることが多い。問題はつぎの四点だ。第一に、犯罪は法によって裁かれるべきで、マスコミが裁くのではないこと。これを「新聞裁判=プレストライアル」という。法以外で制裁を加えるのはリンチである。第二に、逮捕段階で実名とともに非難報道すること。裁判で判決がおりるまでは「推定無罪」であるが、逮捕段階で容疑者を「犯人」と認定してしまうことは危険である。現に多くのえん罪事件がある。たとえ無罪と確定しても、逮捕段階でなされた社会的認定を変えることは容易でない。第三に、法的制裁以上の社会的制裁をさきに受けてしまうこと。しかも、それは本人だけでなく家族など周囲の人びとにもおよぶ。第四に、裁判に予断をあたえてしまうこと。一種の「予言の自己成就」である▼8。
浅野健一は『犯罪報道の犯罪』のなかで、このような報道被害の直接的原因となっているのが「実名報道主義」であるとし、スウェーデン型の「匿名報道主義」への転換を提唱している▼9。
そもそも日本のジャーナリズムには犯罪報道が多い。五十嵐二葉によると、実数で「朝日新聞」は「ニューヨークタイムズ」の三倍、犯罪件数に対する割合をとるとなんと二三倍だという▼10。本来は権力チェック機能を果たすのに使われるべき紙面や時間が、社会の上方ではなく下方にむかって流れているわけである▼11。
ステレオタイプ
ジャーナリズムは原則としてことばによってなされる。ことばはその独特の生理によって自動的に作動することがしばしばある。自分の気持ちを文章にすると、なんとなく違和感を覚えることがあるのもそのためである。報道の過程でも同じことが起こりうる。たとえば「犯人はふてぶてしい表情で」「鬼のような」「被告人は沈痛なおももちで判決に聴きいっていた」といった表現は、客観的に描写したものでもなく、また、主観的な表現でもない。それはことばの生理が生みだしたものである。だから、ときには、なぐってはいないのに「なぐる蹴るの暴行」と書いてしまったりする▼12。
このような常套文句によるステレオタイプとともに、記者自身のもっているステレオタイプ・固定観念が先入観として作用することも多い。さきほどの犯罪報道についてみれば、ジャーナリストが漠然ともっている勧善懲悪思想――悪いことをした人間はなにをされてもよいという考え――は、必要以上に容疑者の人権を侵害する報道をまねきがちである。かえって、これによって社会秩序が守られているとして「正義の味方」になったと素朴に錯覚してしまうのである。これでは、原寿雄の待望する「社会科学的ジャーナリズム」への道は遠いといわざるをえない▼13。
劇場型犯罪
一九八四年から翌年にかけての「グリコ・森永事件」は、ジャーナリズムそのものが事件と融合したまったく新しいタイプの事件だった。つまり、犯人から送りつけられる脅迫文・声明文を大きく報道することは、そのまま犯人の思い通りになることを意味したために、報道機関が一種の〈共犯関係〉になってしまうおそれがあった。つぎつぎに送りつけられる声明文をそのまま発表するかどうか、報道機関はどこもジレンマに陥った。他方、受け手は観客として楽しむ傾向もあった。
また、一九八五年六月一八日の「豊田商事永野会長刺殺事件」では、一三社三三人の報道陣の目の前で殺人事件が発生し、一部始終が放映された。このあと、なぜ報道陣が殺人を防げなかったのかという抗議・批判が放送局などに殺到した。この場合も、ジャーナリズム自体が事件の一部だった▼14。
このように劇場型犯罪において犯罪者はマス・メディアを利用する。事件が〈動く〉のを期待しているマス・メディアは、かんたんに〈協力〉させられてしまう。さらにマス・メディアが犯罪を誘引してしまう傾向も指摘されている▼15。
総ジャーナリズム状況
この用語の提唱者新井直之によると、「総ジャーナリズム状況」とは「1ある特定のできごとに、すべての種類のメディアが動員され、2そのできごとの報道に、紙面・番組をできるだけ割き、3しかもその報道がすべて同じ」という報道現象をさす▼16。
「ニューヨーク・タイムズ」は「豊田商事永野会長刺殺」をとりあげた一九八五年六月二一日付の記事「日本のテレビ殺人――はからずも浮上した報道機関の自画像――パックジャーナリズム」で日本のジャーナリズムを「パック・ジャーナリズム」と命名したが、これも総ジャーナリズム状況を指摘したものである。典型的事例として「松田聖子・神田正輝結婚」「ロス疑惑」「カルガモの引越し」そして最近の一連の「天皇報道」「湾岸戦争報道」などをあげることができる。これらはいずれも日本のジャーナリズムの常態といってよい▼17。
総ジャーナリズム状況の問題は、もちろん集中砲火・集中豪雨的取材そのものがひきおこす問題もあるけれども、もっと根底的なことがある▼18。第一に、すべてのメディアが総動員されることによって、報道されない事実がふえること。わたしたちは、大事件だからすべてのメディアが総がかりで取材し大きくあつかうのだと思っている。しかしじっさいのところは、総ジャーナリズム状況ゆえに大事件と思ってしまうだけなのだ。前章でふれた「議題設定機能」が強力に作用しているのである。第二に、どれも同じ報道姿勢のため、画一的になり、結果的に特定の視点以外の見方を排除してしまうこと。これも前章でふれた「沈黙のらせん」が作用していると考えられる。
総ジャーナリズム状況は、現場における競争構造とヨコならび意識の産物といえるが、権力にとって都合のよいように書かせる「世論操作」や都合の悪いことは書かせない「報道規制」をまねきやすい点で、ジャーナリズムとしては非常に脆弱な構造になっている。たとえば一九七二年七月自民党総裁選出で田中角栄が総裁になったとき、テレビや新聞は「庶民宰相キャンペーン」を張り、「山あり谷あり今太閤」とか「高小卒で天下を取る」などと角栄ブームをいっせいにあおった▼19。しかし、それがどれだけ的確であったかどうかは、「田中金脈」「ロッキード事件」などその後の歴史が厳然と示している。
発表ジャーナリズム
現在の報道におけるいわゆる「発表モノ」への依存は非常に高い。「○○署の調べによると」「○○省の調査では」といった書きだしで始められる記事だ。ニュースのじつに八ないし九割が発表モノで、例外は家庭欄と文化欄ぐらいではないかともいわれるほどだ。原寿雄はこれを「発表ジャーナリズム」と命名した▼20。
これら発表モノが公表される場所は「記者クラブ」である。記者クラブは日本独特の制度で、中央官庁・警察・地方自治体・経済団体などにおかれている。もともと権力に対する監視の意味あいでジャーナリストたちがそれぞれの現場で協力して勝ちとったものだが、現在それが変質してしまったようなのである▼21。
記者クラブにいると、警察や官庁の広報担当が資料をもって定期的におもなニュースを伝えてくれる。記者はそれをもとに定型的に加工して送稿すれば、各社ヨコならびになり「トク落ち」もない。こうして似たような記事が各紙各局いっせいにでることになる。
問題は「発表」そのものにある。それはつぎのことばに集約されている。「なんらかの意図を持たない発表ものはない。とすれば発表それ自体が情報操作の基本型なのである▼22。」つまり、発表側の官庁や警察にとって不利な情報はつねにかくされ「良いニュース」だけが選択されて発表される「グッド・ニュース・オンリー・システム」が発表の原則なのである▼23。だから発表モノをそのまま流すことによって、ジャーナリズムが発表側[いずれも権力サイド]の実質的な「広報部門」と化してしまう可能性があるわけだ。その結果、警察発表をそのまま報道する犯罪報道によって、事実誤認による人権侵害が多く発生している▼24。
「調査報道」「追跡取材」「検証報道」といったジャーナリズムの本道があえて叫ばれるのも、現在のジャーナリズムの基調が「発表ジャーナリズム」にあるからなのである。
▼1 素材は代表的なジャーナリズム研究者やジャーナリストの著作を参考にした。くわしくは以下の著作を直接ご覧いただきたい。新井直之『ジャーナリズム――いま何が問われているか』前掲書。稲葉三千男編『[マスコミ]の同時代史』(平凡社一九八五年)。広瀬道貞著『新聞記者という仕事』(ぺりかん社一九八七年)。原寿雄『新聞記者の処世術』(晩聲社一九八七年)。原寿雄『それでも君はジャーナリストになるか――続新聞記者の処世術』(晩聲社一九九〇年)。桂敬一『現代の新聞』(岩波新書一九九〇年)。
▼2 この事件については、じつは疑問もある。佐藤友之『虚構の報道――犯罪報道の実態』(三一新書一九八七年)第四章。
▼3 原寿雄は「感性的センセーショナリズムというのは、その時代の意識としてはマジョリティ意識に訴えるわけですから、本来的に保守的なものです」とのべている。原寿雄『新聞記者の処世術』九一ページ。
▼4 PTA的な「俗悪」マスコミ批判、政府関係者の「いきすぎ」批判、タカ派文化人の「偏向報道」批判と強権発動待望論などは、ジャーナリズムの現実問題をジャーナリズムの自律性によって解決するのでなく、ジャーナリズムを権力的秩序下において解決しようとする志向性をもつために、たいへん危険である。今日、ジャーナリズム批判をすることのむずかしさはここにある。本書で理念の議論をまず確認したのもそのためである。
▼5 この点を強力に論じたものとして、中野収『「スキャンダル」の記号論』(講談社現代新書一九八七年)。
▼6 稲葉三千男編、前掲書一七ページ。
▼7 これ以前のものとしては、たとえば『書かれる立場書く立場――読売新聞の「報道と人権」』(読売新聞社一九八二年)が、どのような記述がどのように問題なのかを事例をあげて具体的かつ系統的に示していて興味深い。
▼8 一例として、都市のフォークロアの会編『幼女連続殺人事件を読む』(JICC出版局一九八九年)。犯人がどのように語られたかを資料としてまとめたもの。
▼9 浅野健一『犯罪報道の犯罪』(講談社文庫一九八七年)。浅野健一『新・犯罪報道の犯罪』(一九八九年)。
▼10 五十嵐二葉『犯罪報道』(岩波ブックレット一九九一年)。
▼11 原寿雄はこれを「水流ジャーナリズム」と名づけている。原寿雄『それでも君はジャーナリストになるか』九五ページ以下。
▼12 原寿雄『新聞記者の処世術』一七五ページ以下。
▼13 前掲書一五二ぺージ。なお、ステレオタイプについては20-1も参照されたい。
▼14 この事件に立ち会った報道陣の証言について紹介したものとして、森潤「その時、報道人は何を考え行動したか――惨劇報道『証言』にみる批判・反論・教訓・自戒」『マス・メディアの現在』前掲書がある。
▼15 原寿雄は「永野会長刺殺事件」の場合「マスコミが犯罪の抑止力にならずに、逆に犯罪を助長する舞台装置になった疑いが強い」と指摘している。原寿雄、前掲書四七ページ。
▼16 新井直之『メディアの昭和史』(岩波ブックレット一九八九年)五二-五三ページ。なお、本書は日本のメディア史についてのもっともコンパクトな入門書。
▼17 「天皇報道」については、原寿雄『それでも君はジャーナリストになるか』一六-五六ページにくわしい分析がある。また、天皇報道研究会『天皇とマスコミ報道』(三一新書一九八九年)。
▼18 新井直之『ジャーナリズム』「序章」にくわしい分析がある。ここでもそれを参照した。
▼19 前掲書「序章」。
▼20 原寿雄『新聞記者の処世術』二三-四五ページ。
▼21 記者クラブ制度は、そこを利用できないフリージャーナリストや外国ジャーナリストから、その閉鎖性を批判され、特権意識を醸成する場として問題化されている。新井直之、前掲書第三章「記者クラブ制度の功罪」。また短いものだが記者クラブをウチとソトから体験したものとして、川上澄江『新聞の秘密』(JICC出版局一九九〇年)PART5「こちら記者クラブ」。
▼22 原寿雄、前掲書三八ページ。
▼23 前掲書三九ページ。
▼24 浅野健一『犯罪報道と警察――なぜ匿名報道か』(三一新書一九八七年)。
12-3 〈未完のプロジェクト〉としてのジャーナリズム
ジャーナリズムの理念復権のために必要なこと
これまで概観してきたように、現代のコミュニケーション状況においてジャーナリズムがその志をとげるのは容易なことではない。しかし、一方で「あふれる情報」といわれながら、他方では人びとにとってほんとうに必要な反省的知識がえられないというディスコミュニケーションを改善するためには、ジャーナリズム理念の復権がぜひとも必要である。いや、「復権」ではなく、じつは理念としてのジャーナリズムはいまだ実現していない「未完のプロジェクト」(ハバーマス)なのかもしれない。その〈プロジェクト〉を完成させるために必要な要件はなにか。ジャーナリズムの理念をフィクションにしないためにはなにが必要だろうか。
社会的勢力からの自立
第一に、ジャーナリストは、権力や資本や暴力などからなるすべての社会的勢力から自立し、みずからの良心のみにしたがって行動することが必要である。その前提条件は、ジャーナリズム組織の経営の独立である。新聞社の社主制度や「暮しの手帖」の無広告主義はその極端な事例だが、そういう条件があってはじめて、社会的強者が隠そうとしていることがらを白日のもとにさらすことも可能になる。
たとえば、「ワシントン・ポスト」が「ウォーターゲート事件」を追及できたのは経営上のバックアップがあったからである。この事件の調査中「ワシントン・ポスト」は、株の暴落や系列テレビ局の免許更新妨害などの迫害を受けた。経営陣のジャーナリズムヘの理解と実務的努力がなければ、あれだけの調査報道はなしえなかったといわれている。
ジャーナリスト教育の問題
たとえば「発表ジャーナリズム」の背景にあるのは、そのようなシステムに疑問を抱かない記者のサラリーマン化である。ジャーナリズムの理念を十分に内化していない記者が多くなったといわれる。これには世代の問題もあるかもしれないが、組織の問題も大きい。たとえば放送局の場合、さまざまな部署をもちまわりするという日本の組織独特の人事慣行が支配的で、一種の社内転職が定期的におこなわれる▼1。社員はなんでもこなせるようになるが、これではプロのジャーナリストとしての自覚はもちにくい。
しかも、日本の多くのマス・メディアにおいてジャーナリスト教育はきわめて貧困である。実務的なことは多少おこなわれるようだが、基本的に現場経験中心主義である。つまり「こんなもんだよ」という先輩のことばとともに、たんに職場慣行が学習されるにすぎないところがある。もちろん、そのなかでジャーナリストとしての心構えやノウハウは伝えられるかもしれないが、これらは基本的に科学的反省をともなっておらず、自己正当化的であり、ジャーナリズムの理念が理論的に把握できない原因になっていると考えられる。これは組織ジャーナリストにかぎらず、出版社系週刊誌や番組を実質的に支えているプロダクションやフリーライターでもまったく同じである。
ジャーナリズムの具体的な担い手たちがジャーナリズムの理念を理解していないか、それを避けているという事実こそ、日本のジャーナリズムの根元的な問題だと思う▼2。
アメリカでは大学や大学院でジャーナリズム論を理論と実務の両面でみっちり勉強した人間が、ジャーナリストとしてメディアに採用される。損害賠償金がケタちがいに大きいアメリカでは、シロウトはあまりにリスクが大きいからである。かれらのアイデンティティはもっぱら〈ジャーナリストである〉ところにあり、日本のように所属組織を準拠集団としないようである。
システムの問題も多いが、ジャーナリストの努力によって改善できるものも多い。その意味でジャーナリスト教育を見直す必要があろう。
ジャーナリストの内部的自由
大学におけるアカデミズムと同様、ジャーナリズムの世界も、ひとりひとりのジャーナリストが自律的に活動できる自由がなければ、その躍動的な働きは期待できない。というのは、ジャーナリズムはすぐれて主体的な活動だからである。しばしば誤解されていることだが、そもそもジャーナリズムは装置によって稼働する「情報産業」ではない。ジャーナリストの主体的な現実把握・解釈・表現行為があってはじめてなりたつ主体的な活動である。したがって、ジャーナリストに主体的な活動の自由がなければ本来のジャーナリズムは実現できない▼3。
受け手の明識
ジャーナリズムが健全に発展することによって、もっとも利益をうるのは受け手である。したがって、読者として・視聴者としてジャーナリズムを支持し育てていくことが人びとの利益になる。しかし、それにもかかわらず、多くの受け手は受動的消費者にとどまってきた。ジャーナリズムではなく生活情報を求める傾向や、野球試合の入場券などの拡材によって購読紙をかんたんに変えてしまうといった無理解が存在する。だから「読者・視聴者のニーズ」といっても、結局、現状の追認でしかない。これでは、ニーズに応えようとすればするほどジャーナリズムの理念から遠ざかるということになりかねない。
対策はふたつあると思う。ひとつは、受け手の明識を高めることだ。視聴者教育や新聞利用教育が教育現場にとりいれられるべきだろう。ふたつめは、メディアが受け手批判を回避しないことだ。この点について論じたものは意外に少ないが、原寿雄の貴重な発言があるので引用したい。「読者を神聖視すべきではない。過保護にすべきではない。読者を批判することがタブーのようになってきていたジャーナリズムの側の姿勢を改めよう。もちろん、読者、視聴者の側からのメディア批判の一層の活発化が前提である。メディア間の相互批判も盛んにしなければならない。そういう、まんじどもえの厳しい批判運動のなかで、ジャーナリズムも読者もきびしく鍛えられ、言論、報道の自由がまともに花開くことを期待したい。民主社会の根幹であるプレスの自由を維持発展させるには、読者にも大きな責任があることを強調したい▼4。」
メディアの自己反省
どんな領域でも事故はある。問題はそのあとしまつである。ジャーナリズムの場合も同様である。たとえば、誤報・虚報などの場合、明確に訂正しなければ、報道被害を生じるし、メディアの信頼にも傷がつく。
これに関していい例がある。「ワシントン・ポスト」の二六歳の女性記者ジャネット・クックのルポ「ジミーの世界」の場合である。この記事は、五歳から麻薬を続けているというジミー少年を題材にしたものだったが、反響が大きく、一九八一年のピューリッツァー賞をとる。ところがこの賞がきっかけになって、このルポがまったくのでっちあげであることが内部調査でわかってしまった。そこで「ワシントン・ポスト」は「クックの世界」と題して五ページの紙面をさいて、なぜこのようなねつ造記事がでてしまったのかをくわしく報告した▼5。
「朝日新聞」の「サンゴ落書き事件」の場合も、この事例を参考にして、自己分析の記事と識者のコメントを掲載した。最近では、一九七四年に発生した「松戸女性殺人事件」の容疑者に対して一九九一年四月に無罪判決がでたさい、「朝日新聞」や「毎日新聞」などが当時の報道を反省した記事を載せた。また、紙面批評を第三者に定期的に書いてもらう新聞もあり、NHKも番組批評番組を随時放送している。
このようにメディア自身が組織として自己反省するシステムが今後強化されるべきだろう。それは結果的に、ジャーナリズムを積極的に支持してくれる受け手を育てることにもなる。
▼1 14-3参照。
▼2 これは日本の医師が本格的な看護教育を学んでいないという事実と妙に符合する。
▼3 新井直之、前掲論文二八-三一ぺージ。
▼4 原寿雄、前掲書一六〇ページ。
▼5 柳田邦男『事実を見る眼』(新潮文庫一九八五年)二〇-三〇ページ。
増補
ジャーナリズムの社会学へ
ジャーナリズムの構成要素は報道と言論である。本書があえて(古めかしいニュアンスのある)「ジャーナリズム」概念を使用するのは、「報道」だけをとりだして議論することができないと考えるからだ。報道と言論はいつも寄り添っている。というのは、あるテーマを報道しないのは、そのテーマが「問題」ではないと主張していることであり、別のテーマを報道するのは、そのテーマが「問題」であると主張していることだからである。
このことが一般的に理解されていないように思う。マス・メディアの問題を「報道」として問題にするとキャスターのコメントは「よけいなもの」として問題化されるが、「ジャーナリズム」として考えると、コメント行為自体は当然視され、内容吟味に焦点が向けられる。その意味で今なお「ジャーナリズム」は誤解されているように思う。
この誤解の源は日本の新聞界が長年標榜してきた「客観報道主義」を人びとが信じていることにある。この素朴な幻想が現実に破綻していることを知りながらも、いざマスコミ批判を口にするとき人びとはこの幻想に無自覚に乗ってしまうようである。浅野健一『客観報道――隠されるニュースソース』(筑摩書房一九九三年)は、改訂ののち、浅野健一『マスコミ報道の犯罪』(講談社文庫一九九六年)として文庫化されたが、「客観報道主義」の虚構性を批判した本である。
一見「客観的」に装っているニュースの言説を「無署名性言語」として分析した画期的な研究として、玉木明『ニュース報道の言語論』(洋泉社)もあげておきたい。玉木は「客観報道主義」が「ニュースは事実である」という素朴な「ニュース鏡像説」に基づいており、それを支えているのが無署名性言語だと説明する。
このような研究は「ジャーナリズムの社会学」を考える上で興味深いものだ。この種の研究で理論的なヒントを与えてくれるものとして、G・タックマン『ニュース社会学』鶴木眞・櫻内篤子訳(三嶺書房一九九一年)がある。ニュースの社会的構築を論じた概説書である。
TBSオウムビデオ問題
九〇年代の一連のオウム真理教事件は、本編で説明したような日本のジャーナリズムの構造的特質を浮き彫りにすることになった。とくにクローズアップされることになったのは「TBSオウムビデオ問題」と「松本サリン事件報道」である。
一九八九年、まだ「サンデー毎日」だけがオウム真理教の問題を調査報道していた段階で、TBSは、教団の水中クンバカ公開実験を取材した。そのさい、TBSは坂本弁護士のインタビューを弁護士に無断でオウム側に見せ、しかも番組を放送中止にしたばかりか、その一連の過程を坂本弁護士自身や関係者に知らせなかった。TBSのこの行為と不作為が坂本弁護士一家殺害の直接的な引き金になった可能性は高く、しかも坂本弁護士一家が「失踪」して以来ずっと関係者はこの経過について自ら公表しなかった。TBSがおこなったオウム報道のあれだけの報道量――その中にはジャーナリズム性の高い調査報道もあった――を考えると、これはかなり異常なことといえる。
これはTBS特有の問題だろうか。そうではない。なぜなら、この問題の社会的構成要素が、どの巨大マス・メディアにもほぼ共通に存在するからだ。
第一に、事実調査自体の問題がある。社内および関連会社の人物が職務上に犯した問題であるから、ある意味ではこれほど調査しやすい対象はない。業界の掟や慣行や人脈など、外部の人がすぐに理解できないような組織的背景が自明だからだ。ところが事実調査そのものがまったくうまく行っていない。これはTBSの取材力がいかに落ちているかをはからずも示している。その背景には「発表ジャーナリズム」と呼ばれる取材体制の影がちらつく。行政当局の発表に依存して報道することが日常的になっているので、一から自前で調査取材するノウハウとガッツが全体的に衰退している可能性がある。また、それをもっている人たちをきちんと組織的に動員できていないということもあるだろう。また、ふだんから「悪い奴等をやっつけろ」といった素朴な勧善懲悪主義で仕事をしているために、いざ「悪い奴等」が自分たちになっってみると、どうしていいかわからなくて立ち往生してしまっているということも大きい。もともと勧善懲悪主義的な正義は問答無用の断罪をするだけだからだ。
第二に、ジャーナリズム精神不在の問題がある。ワイドショウを担当しているのは、かつては制作局だった。ドラマをつくっているところである。ところがその後、ワイドショウが肥大化してきたため、独立して社会情報局といった名前の部局が担当するようになった。社会情報局は報道局としばしば取材対象が重なる。そのため、大きな事件や事故や皇室報道の場合、きわめて露骨な競合関係に入ることになる。
ジャーナリズムの看板を背負っている報道局とちがい、社会情報局はジャーナリズム性の比較的薄い部門。社会情報局は外注がとても多く、そもそもエンタテイメント性が重要視される部署であるから、そういう基準で取材がおこなわれ番組がつくられる。また、そうでないと報道局と同じような内容になってしまうし、第一、それでは数十分も視聴者を引きつけられない。通常、同じテーマで放送するとき、ワイドショウの方がニュース番組より持ち時間は多いものである。じっさいに現場で働いている人たちも「ジャーナリスト」という自覚がないのがふつうである。しかし、かれらの主観的意図とは関係なく、かれらの行為は客観的結果としてジャーナリズム機能を果たすのである。
第三に、この問題が社会問題化したプロセスには、激しい競争構造がからんでいる。もともと日本テレビが以前にスクープし早川調書で問題化したわけだから、他局や他メディアとの競合関係が問題化のプロセスに混入している。
そもそもマス・メディアの競争が過酷なのは、それが重層的に構造化されているからである。大きいものでは三つの次元で競争が構造化されている。
(1)同種メディア間競争(キー局間競争、週刊誌間競争、番組間競争……)
(2)異種メディア間競争(テレビ・対・新聞・対・週刊誌・対・……)
(3)メディア内競争(個人間競争、部局間競争=報道局・対・社会情報局……)
同種メディア間競争は、共通のターゲットをもちメディア特性を同じくするメディア同士の競争。これは量の決まったパイを分けるわけで、競争相手が突出する分、自分の方は確実に減るわけだから競争は過酷になる。
異種メディア間競争は、メディア特性はちがうけれども、全体として競合関係にあるメディア同士の競争。たとえば、テレビは臨場感や速報性に優れ圧倒的な力をもっている。新聞はそれに対抗して事実を伝えなければならない。現場の抑圧はたいへんなもので、新聞はテレビに勝る速報性と臨場感を充たすために、過剰な速報第一主義、過剰な映像報道主義に走る。前者は誤報を生みやすく、後者は「やらせ」を生みやすくする。この文脈で不利なのは週刊誌。金曜発売の週刊誌は金曜の事件を伝えるのが1週間後になる。大きな事件であれば、そのあいだにテレビと新聞は大々的に報道するから、週刊誌は構造上不利な立場に立たされている。これに対抗する方法はふたつ。ひとつは「新聞が伝えない」ネタを発掘すること。これはスクープに通じることもあるが、しばしばささいな周辺的なネタを無用にふくらませることになりがちだ。もうひとつは、すでによく知られている要素を強引に結びつけてストーリーをつくりだすこと。ドラマ化である。それはお涙頂戴とかバッシングとか猟奇趣味とかお笑いとか、料理の仕方はさまざまだが、結局、受け手の感情を煽るという点では同一のことといえる。
忘れてならないのがメディア内競争。個人間の競争はもちろん激しいものがある。功名心もあるし、業績をあげなければならないという社内圧力もある。さらに最近、輪をかけて問題になっているが部局間競争で、TBSの場合は、報道局と社会情報部の競合関係がそれにあたる。社会情報部はワイドショウを担当している部局。両者はネタがほぼ重なるから競争は常態化する。報道局は長年の取材態勢と報道様式に基づいて仕事をする。それに対して社会情報部はそうはいかない。記者クラブのような取材態勢からはずれているし、報道局と同じような報道をするわけにはいかない。つまり社会情報部は社内ではさきほどの週刊誌と構造上同じ立場に置かれているわけだ。そのためワイドショウはスクープも生むが、同時にセンセーショナリズムや不正な取材行為も生まれやすい。
したがって、マス・メディアで働く人たちの職場環境は相当厳しいものになっているといえよう。また、競争が激しくなればなるほど横並びになり、自分がぬきんでるよりも他を落とすことに気が向く傾向がでてくる。最近のマス・メディアによる他メディア批判の流行にはこういう背景がある。
そもそもジャーナリズムは三つの社会的な力から自立して自律的に報道言論活動をおこなわなければその存在意義を失う。三つの社会的な力とは(1)政治権力(2)資本(3)暴力。TBSは、オウムという暴力に屈して自らの自律的な判断を放棄したことが非難されたわけだが、その非難のプロセスで政治権力が介入したり恫喝することに屈してもジャーナリズムとしては自滅である。たとえば国会でTBSが追及されること自体がジャーナリズムの危機なのだ。
以上とりあえず三点あげてみたが、要するに、マス・メディアは自己言及の問題を解決していないということである。「『クレタ人はうそつきだ』とクレタ人の哲学者がいった」という自己言及のパラドックスとまったく同じ問題がマス・メディアにも当てはまることをきちんと理論的に考えるべき段階に来ている。
この問題についてのコンパクトな解説としては、黒田清『TBS事件とジャーナリズム』(岩波ブックレット一九九七年)。TBS関係者の分析として、田原茂行『TBSの悲劇はなぜ起こったか』(草思社一九九六年)と、川邊克明『「報道のTBS」はなぜ崩壊したか』(光文社一九九七年)。放送中止のリストとしては、松田浩・メディア総合研究所『戦後史にみるテレビ放送中止事件』(岩波ブックレット一九九四年)。背景として強調された視聴率については、ばばこういち『視聴率競争――その表と裏』(岩波ブックレット一九九六年)あたりから入るといいだろう。
松本サリン事件報道
一九九四年の「松本サリン事件」のさい、本来は被害者である第一通報者が警察やマス・メディアによって犯人視され、人権を大きく侵害されるという問題が生じた。一九九五年の「地下鉄サリン事件」ののちに、その冤罪性が明確になり、「松本サリン事件」一周年を前に報道各社が一斉に謝罪するという異例のなりゆきになった。
関連書は多いが、基礎資料として、河野義行・浅野健一『松本サリン事件報道の罪と罰』(第三文明社一九九六年)。手記と分析、報道機関へのアンケート調査の結果が掲載されている。この問題以外にも、オウム報道はそれまでの「報道と人権」についての議論を一挙に風化させてしまった感があり、この点については随所でなされた浅野健一の論考に注目してほしい。本編では旧版を紹介しておいたが、人権問題についてのメディア側の取り組みとして『新・書かれる立場書く立場――読売新聞の「報道と人権」』(読売新聞社一九九五年)も具体事例が豊富で参考になる。
政治報道とメディアの公共性
一九九四年に話題になった田勢康弘『政治ジャーナリズムの罪と罰』(新潮文庫一九九六年)以来、政治報道のあり方も問いなおされている。とくに一九九三年「椿(テレビ朝日報道局長)発言問題」においてテレビ朝日が「偏向」を理由に露骨な政治的圧力をかけられ、以後、放送各社の政治報道のキバが抜かれてしまう事態になった。免許制の放送はいざとなると弱い。この経緯を整理したものとして、田原茂行『テレビの内側で』(草思社一九九五年)の「第二章 ニュースステーション」。渡辺武達『メディア・トリックの社会学――テレビは「真実」を伝えているか』(世界思想社一九九五年)第3部は、この問題を素材として報道の公正さについて詳しく考察したものだ。
政治報道のあり方を考えると、結局、ジャーナリズムの理念あるいは思想といった原点を理論的かつ実践的に考えることになる。この点でも渡辺武達の一連の仕事が参照されるべきだろう。
実践的な場面からの考察としては、本編でも紹介した原寿雄の仕事も重要である。最近のものでは、原寿雄『ジャーナリズムは変わる――新聞・テレビ――市民革命の展望』(晩聲社一九九四年)と、原寿雄『ジャーナリズムの思想』(岩波新書一九九七年)がある。
理論的には、八〇年代からイギリスを中心とした研究者たちがカルチュラル・スタディーズや公共圏論の観点などから、アメリカ流の行動科学的理論とは異なる社会学的展望を切り開きつつあり、注目すべきである。J・カラン、M・グレヴィッチ編『マスメディアと社会――新しい理論的潮流』児島和人・相田敏彦監訳(勁草書房一九九五年)。公共圏論については、花田達朗『公共圏という名の社会空間――公共圏、メディア、市民社会』(木鐸社一九九六年)が基本書。
女性とメディア(メディア・セクシズム批判)
本編で「ステレオタイプ」として一括した問題群のなかで、とくに九〇年代に社会学的研究がさかんになったテーマは、ジャーナリズムにおけるジェンダー・バイアスの問題である。これは基本的にはメディアにおける女性の語られ方がかなり差別的なものになっている現実(メディア・セクシズム)を実証的に検証し、その是正を求めるという動向である。
この点については、小玉美意子『新版 ジャーナリズムの女性観』(学文社一九九一年)が、ニュースのなかで女性がどのように描かれているかを系統的に説明している。小玉はメディア内で働く女性に注目する。やはり男中心の職場では男中心の表現が無反省のまま出てしまうようだ。加藤春恵子・津金澤聰廣編『女性とメディア』(世界思想社一九九二年)もこの分野の基本書。さまざまな視点から論じられているのが特徴で、文献も充実している。  事例研究では、諸橋泰樹『雑誌文化の中の女性学』(明石書房一九九三年)が、女性雑誌・化粧品広告・レディスコミックを徹底的に内容分析している。これをマネしていろいろなメディアについて自分で分析してみるとおもしろいと思う。新聞については、田中和子・諸橋泰樹編著『ジェンダーからみた新聞のうらおもて[新聞女性学入門]』(現代書館一九九六年)が圧倒的なデータに基づいて分析している。
上野千鶴子・メディアの中の性差別を考える会編『きっと変えられる性差別語――私たちのガイドライン』(三省堂一九九六年)は、富山の市民グループの力作で、性差別語とその周辺のことばを網羅して、それぞれについて具体的用例と問題点を解説している。社会学的想像力を働かせて、ひとつひとつ具体的に議論してみるといいだろう。
アンソロジーとしては、井上輝子・上野千鶴子・江原由美子編、天野正子編集協力『日本のフェミニズム(全七冊・別冊一)』(岩波書店一九九四―一九九五年)の『表現とメディア』(一九九五年)があり、これで概観できる。
犯罪報道における女性の描かれ方については、浅野健一『マスコミ報道の犯罪』(講談社文庫一九九六年)がその二重基準を批判している。
ネットワークとジャーナリズム
一九九五年あたりからインターネットの商用サービスに日本の報道機関も参加するようになった。これらはアクセス数から見て、すでにビッグ・メディアの規模である。ウェッブ形式以外にも電子メール形式も増え、サービスの質と量は日に日に巨大かつ高度になっている。このネットワーク上のジャーナリズムが従来の商業主義的マス・メディア中心のありようを変える可能性もでてきた。
他方、ジャーナリズムの担い手がもはやビッグ・メディア側の人たちに限定されなくなってしまったという事態も生じている。この点については、歌田明弘『仮想報道――News in the Window』(アスキー出版局一九九八年)が秀逸。一言で言えば、ニュースの主体がマス・メディアだけでなくなり、インターネットを通じて普通の人びとがそこに参加してしまう(しかも、ぎこちないやり方で)、という新しい事態をきちんと押さえた新スタイルのジャーナリズム論の登場という印象である。
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SOCIUS.JPドメインへの初出 12/24(Tue), 2002  最終更新日:4/1(Sat), 2017
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