Tag Archives:

3月 62018

ガーリー総論

野村一夫の社会研究メモ
2016-01-15
ガーリー総論:社会の重力に逆らう文化的覚醒に関する予備的考察(野村一夫)
初出
女子経済学入門

ガーリーカルチャー研究リポート
編者 野村一夫
著者 国学院大学経済学部経済ネットワーキング学科1年2組全員・2015年度・基礎演習B
f:id:nomurakazuo:20160115135715j:plain
ネット1年2組・基礎演習B最終課題
12月16日提示
冊子「女子経済学」プロジェクト
ガーリー・カルチャーの歴史・現在・可能性
未踏の領域を開拓しよう。
クラウド出版システム利用(新書サイズ)けっこう画期的!
課題 選択した文献・資料について、論点をまとめる形で解説し、そこから想像できる近未来のシナリオを提示せよ。A4で本文1枚以上10枚まで。写真は貸与された文献・資料の写真をふくめて3点まで。必ず自分で付けた見出しタイトルと自分の名前から始めて、最後に文献・資料のデータ詳細を正確に書いておくこと。図表などを入れたいときはスマホで写真を撮って画像データ(JPG)にすること。ネットから画像をパクることは厳禁。
2016年1月10日締切
すぐに編集開始
1月13日 クラスでゲラ最終校正のちトッパンによる微調整。即日、印刷工程へ。
1月20日 新書形式で出来。関係者に配布。非売品。
学生27人が参考文献のレビューを担当し、そののちに私によるまとめとして、つまり授業内企画の一環として、書き下ろしたものである。

ガーリー総論

社会の重力に逆らう文化的覚醒に関する予備的考察

野村一夫(国学院大学経済学部教授・社会学者)
 基礎演習Bの最終テーマは「女子経済学入門──ガーリーカルチャー研究リポート」である。なぜ「ガーリー」なのかというと、現代日本の経済・社会・文化において際だった創造的なカテゴリーだと感じるからである。とりわけポピュラーカルチャーとサブカルチャーの領域においては、ある種の美意識が駆動力になっており、それはたんに「女性性」には還元できない何か独特のチカラであると感じる。それが「ガーリー」である。従来は「カワイイ」として括られてきたが、この十年間に「女子」という言葉が急速に浮上するようになり、それとともに「ガーリー」領域の輪郭も見えてきたと感じる。
 その私の直感に沿って歴代の野村ゼミ(メディア文化論)では多くのケース研究をしてきた。今回は、そのために集めてきた文献を中心に一気にクラスで手分けして書いてみようという試みである。
 このような文化領域研究に関して思いいたるのは「まず言い当てる」ことがとても重要だということだ。それは学者ではなく評論家や編集者や広告代理店だったりする。アカデミズム的にはあまり尊重されているとは言えないが、この人たちが「まず言い当てる」ことからすべては始まる。「まず言い当てる」とは「名づける」ということだ。だから、ここから議論は始まるのであり、そのような文献を片っ端から読んでいくことが必要なのである。
●少女マンガからL文学へ
 そもそもガーリーなるものが明確に造形されたのは一九七〇年前後に大きく開花した少女マンガというジャンルである。もちろんこれは一気に花開いたわけではなく前史があって、それは戦前の吉屋信子の少女小説であったり、『赤毛のアン』であったり、手塚治虫の「リボンの騎士」であったり、その手塚に大きな影響を与えた宝塚歌劇団であったりする。これらは「少女」と括られる存在に焦点が当てられていた。「大人として成熟しない女子」それを巨大なジャンルとして確立したのが少女マンガであった。
 一九七〇年代の少女マンガに関しては、すでに古典的価値が認められており、多くの評論も出ている。なかでも初期の肯定的評価として代表的なものは、橋本治『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』(北宋社、一九七九年)である。この本は今は河出文庫版で読める。この本で論じられている作家は、倉田江美、萩尾望都、大宅ちき、山岸凉子、江口寿史、鴨川つばめ、陸奥A子、土田よしこ、吾妻ひでお、大島弓子である。彼女たちが描いた「純粋少女」の多彩な諸領域は、当時の女子だけでなく、男子たちをも魅了した。私も多くの作品を同時代に読んでいる。高校時代にツェッペリンやプログレに凝っていた男子が大学生になって少女マンガを読んだりアイドルに熱を入れたりしていたのである。そこに何か新しい美意識を感じていたと思う。
 このジャンルが再発見した「純粋少女」の世界は、のちに多産なコバルト文庫を生み出し、広範な文化領域に育つ。たとえば吉本ばななの文学的出発点は大島弓子の少女マンガである。それが九〇年代にはすっかりメインストリームになって、江國香織、角田光代、川上弘美、小池真理子、唯川恵たちのいわゆる「L文学」となる(齋藤美奈子編著『L文学完全読本』マガジンハウス、二〇〇二年)。彼女たちは、たんに女子世界の機微を描くエンターテイメントを提示しただけでなく、高い文学性も獲得していく。おそらく、それらは男性中心(マッチョであれ病み系であれ)の近代日本文学では語り得なかった領域だったのだと思う。
●ファッション
 女子ファッションの世界も一九七〇年代に自律的領域に高次化する。既製服の時代は六〇年代からで、それが主流になるのが七〇年代である。この先頭世代は「アンアン」と「ノンノ」に始まる新タイプの女性ファッション誌の編集者・モデル・読者であり、ショップの店員であった。この世代の代表として私と同い年(還暦!)のモデル・久保京子のケースを見てみよう。久保京子『わたしたちは、こんな服を着てきた』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、二〇一五年)によると、ヘップバーンのサーキュラースカート、ツイッギーのミニスカート、パンタロン、ベルボトムジーンズは六〇年代。ストレートヘア、マキシスカート、メイクとネイル、Tシャツ、トレンチコート、そしてDCブランドが七〇年代。何でもかんでも肩パッドの八〇年代、バブル末期のボディコン、本物志向の上質なリアルクローズの九〇年代、そして二一世紀のファストファッション。
 この流れは、今から見ると、ほぼリアルクローズの領域である。なぜなら、それらはちょっとムリすれば買えるものであり、ファッション誌は半ばカタログとして商品がどこにありいくらであるかを表示していたのであるから。もちろんグレードの差はあるにしても、である。とりわけ「ヴァンサンカン」とその姉妹紙「ヴァンテーヌ」は長く高級路線を貫き、とくに後者は高度なファッション・リテラシーの教科書的存在となった。
 メンズの窮屈な「定番志向」に対するレディースの軽やかな「トレンド志向」の構図は、約半世紀続いてきた。いつも新しい流れは女子が作ってきたのである。デザインやビジネスは男性たちが働いていたことはたしかだが、それを競争的に受容してきた女子層の分厚い消費者が文化的な感受能力を発揮してアパレル経済圏を支えてきたのだ。
 その中でさまざまなスタイルが分岐している。この厚みの中だからこそ、その内部で差異化戦略が作動して、多様なテイストが成長していると考えていいと思う。
 その中で注目したいテイストこそ「ガーリー」テイストなのである。広域渋谷圏において特定すれば、おそらく原宿あたりが発信地。代官山や青山や表参道のような「大人」テイストに対して、カラフルで装飾過剰で軽みのある脱デザイン理論的なファッションがその特徴である。代表的存在が増田セバスチャンの世界であり、それを体現している「きゃりーぱみゅぱみゅ」である(増田セバスチャンのサイトはhttp://m-sebas.asobisystem.com/およびhttps://twitter.com/sebastea)。
 かれらの世界はとても洗練されているが、それでも「ぎりぎりセーフ」感はある。じつは「ぎりぎりアウト」でもちっともかまわないのだ。このガーリーテイストには、それを実践する人たちに創作(あるいは二次創作)の余地があるのだ。大人の女性としてふさわしい「上質な無地のファッションにアクセサリー1点」なんてルールに縛られるのを拒否しているのはあきらかで、「下妻物語」の深キョンのゴスロリとまったく同質なのである。自分の工夫で何を足してもかまわない。大人の引き算をしないのだ。いわゆる「ひらひら、ふわふわ」ひたすら足し算を生きる。私はそこにガーリーファッションの「抵抗の哲学」を読み取る。
●アイドルグループ
 そうした先鋭的表現がリアルクローズ化したのが、二〇〇五年以降のアイドルグループだと私は位置づけたい。リアルクローズ化ということは、つまり身近でガーリーな「ロールモデル」になっているということである。
 女子高生風の制服集団がロールモデルになり得るだろうか。エロを求めるオタク男子に差し出されたカワイイ生け贄たちなのだろうか。そういう疑問はありうる。
 しかし、それはちがうと思う。なるほど地下アイドルやキャバクラ嬢や夜の街をさまようJKたちは、かなりかわいそうな生け贄状況を生きていて「なんとかならんか」と思うが、私たちが知っているメジャーなアイドルたちは、その中の勝者である。それゆえ「ロールモデル」になっていると思う。
 AKBは女子の生き方の典型的なロールモデルである。チアガールか体育会系の「勝利を信じて全力でことにあたる」生き方を体現している。「どんな条件でも、自分たちでなんとかする」というのが重要なポイントであって、ステージ上にはハプニングがいつも用意されていて、いかにそれを乗り越えるかが「隠れたカリキュラム」になっている。前向きな(前のめりな)努力の結果としての女子像がここで提示されている。
 それに対して乃木坂は、後発な分、よく考えられていて、ガーリー特有の線の細さに特化しているように見える。少女マンガのように、いつも繊細な女子像である。それは乃木坂のCDの付録映像に典型的に表現されている。ちなみに、ここは映像作家たちの実験場になっていて、これを見るためには三つのタイプを購入しなければならないのがやっかいだが、古いものはYouTubeにたくさんある。私は「乃木坂浪漫」シリーズですっかり感心してしまった。これは太宰治あたりまでの近代文学の朗読シリーズである。これらの作品群については『乃木坂46 映像の世界』(MdN EXTRA Vol.3、二〇一五年)を参照してほしい。
 ちがいはたくさんあるが、しかし、両者に共通なのは、多彩なロールモデル、チームワーク、ドキュメント性である。それは徹頭徹尾ガーリーな物語で、彼女たちのドキュメンタリー映画や裏トークなどは必然なのである。たとえば公式インタビューを参照してほしい。週刊朝日編集部編『あなたがいてくれたから』(朝日新聞出版、二〇一三年)と篠本634『乃木坂46物語』(集英社、二〇一五年)。ここには、ほとんど男子は出てこない。男子はファンたちと裏方さん(プロデューサーもマネジメントも職人さんも)である。
 あと、両方に共通しているのは、地方の女子校のノスタルジックなイメージが再現され続けているということである。全国展開するためのしたたかな戦略ではあるにしても、それが「ご当地アイドル」に直結していることは「あまちゃん」で、すでにはっきりしている。そして女子校。女子だけの世界であれば、かえって多彩な女子像が描ける。
 また、アイドルではないが、オシャレな女子に人気があるのがE-girlsである。こちらはプロフェッショナルなエンタティナー路線。総じて明るいガーリーテイストだが、E-girlsを構成するFlowerというグループは、もっぱら切ないガーリーテイストであって、女子に人気がある。ガーリーなロールモデルも分岐しているということである。この多彩さにも注目しておきたい。さらに東京ガールズ・コレクションでランウェイを歩くようなガーリーなモデルたちも、もっぱら女子たちに人気のロールモデルである。近年、彼女たちのファッションブックが相次いで出版されていて、それらは「こうなるためのマニュアル公開」のようである。
 視点を変えて労働経済学・労働社会学的に着目しておきたいのが、表現系若年女子労働の問題である。ガーリー領域の担い手たちは、そもそもデビュー自体が難関であり、活動できるようになっても激しい競争構造に放り込まれる。人気が出ても浮き沈みがあり、たとえばAKBでは「組閣」と呼ばれる人事異動が頻繁にある。しかも若いメンバーの大量加入によって、トップランクのメンバーも追い詰められている。表現系ゆえに個性の強い女子が集まるから衝突もあり得る。たとえば「ももクロ」の歴史はそういう葛藤の歴史であったりする。
●こじれた女子
 ガーリーなイマドキ少女マンガはないかと探して読んでみたのが『楽園』という季刊誌だった。白泉社なので王道だと踏んだ。とりわけ表紙を担当しているシノザワカヤの作品を読んでみると、言葉が多層的であるのに驚く。だいたい四層構造である。
(1)発話されたはずの吹き出しの言葉
(2)それに対する自分ツッコミの内声の言葉
(3)絵柄に埋め込まれた状況提示(空気感)の言葉
(4)作者が代理している神様か天の声のような倫理的な言葉
 この四層構造の中で主人公は立ちすくんで身動きできないでいる。これを「こじれた女子」と呼んでいいと思う。
 近年注目されているルミネのポスターが提示するのも、「こじれた女子」を抱えながらも突破口を探す、なんとも健気な女子像である。最近、若干の事故も生じたが、それも「こじれ」を表現するための伏線にすぎない。Pinterestでポスターをコレクションしてみたら、なかなかな味わい深いコンテンツである(https://www.pinterest.com/sociorium/)。
 すでにどこかで指摘されていると思うが、ルミネ的コピーの流れを作ったのは雑誌『オリーブ』だと思う。廃刊されて久しい雑誌だが、近年のガーリーカルチャーのめざましい展開において改めて源流のひとつとして注目を浴びており、二〇一五年に『GINZA』の別冊として一号限りの復刊とそれに関するボックスセットが出ている。セットにある『Messages from OLIVE』は特集や写真に添えられたコピーを集めた本である。これを読むと、ルミネ的「こじれた女子」世界は『オリーブ』の延長線上にあることが明確である。
『オリーブ』の世界観については、酒井順子の『オリーブの罠』(講談社、二〇一四年)が圧倒的な深さで論じている。酒井自身が『オリーブ』の愛読者であり高校時代からの執筆者であった。最初に確認しておきたいことは『オリーブ』自体は、それほどこじれてはいないということだ。ただ、ふたつの世界観をミックスしていたことが、のちのち読者に試練をもたらすことになる。それは「リセエンヌカルチャー」と「付属校カルチャー」である。どちらも都会のあか抜けた少女たちの世界であるが、前者は「おしゃれ至上主義、文化系、非モテ非エロ」であり、後者は「モテ至上主義、スポーツ系、おしゃれはママ譲りで実はコンサバ」という生き方である(一〇七ページ)。ヤンキー的・ギャル的な世界とは相容れない点で共通しているので『オリーブ』はそういう敵に対して上手に二つの世界観を同居させていた。「異性の視線ばかり意識した、モテのためのファッションなんてつまらない。自分のために、自分の着たい服を着ようよ!」(一二八ページ)という強いメッセージこそが重要だったからである。少女というキャンバスにおいてモードなファッションの意味合いは「濃縮される」ことになった。
 問題なのは、モテ系ファッション誌は人生の各段階で卒業できる仕掛けがあるが、自分のためのおしゃれ一筋というオリーブ的生き方には「卒業」がないことだ。つまり、ここからこじれるのだ。その結果、大人になってしまったオリーブ少女たちは晩期『オリーブ』のナチュラル志向に居場所を見いだす。無印良品、ナチュラル志向、生成り、無地、シンプルライフなど、さまざまな意匠に「オシャレのその後」を託したのである。
 酒井順子の解釈はここまでである。これをヒントにここ十年ほどのガーリーカルチャーを眺めてみると、『オリーブ』における「異性を意識しない独自のオシャレ世界観」は、世代を超えて生き延びていると思うのである。ところが、案の定、リアル世界の異性が女子に求めるものとは齟齬が生じる。「ベレー帽にロイド眼鏡で、『ブルーマンデー』をぶっ飛ばせ!」(『Messages from OLIVE』マガジンハウス、二〇一五年、三三ページ)なんである。こうしてオリーブ少女の一部はこじれていく。
 心情的な歌詞が訴求力をもったJポップには、こうした「こじれた女子」が満載である。メンタリティとしては中島みゆきが先頭にいたと思うが、中島美嘉は典型だと思う。オシャレで、病んでいて、こじれている。最近は「病み系女子」という言葉も流通している。彼女たちを救うのは、いったい何者だろうか。
●大人女子
 ガーリーは美意識である。ヤンキーやギャルたちとちがって、若いときにオシャレで洗練されたガーリーカルチャーの洗礼を受けて自分の世界観を構築してきた人が、仕事・結婚・出産・子育て・介護などを機にポンッと「卒業」するのは難しい。美意識というものは、それほど脆弱なものではないような気がする。オリーブ少女の場合、その克服の仕方のひとつがナチュラル系に収まるというライフスタイルだったが、それとは別のソリューションがロールモデルとして相次いで提案されている。
 言うまでもない、そのキーワードは「女子」である。「女性」ではなく「女子」を使用するとき、それは隠微な性的世界観からの離脱を宣言している。その跳躍台は「自分のためのオシャレ」という概念である。
 代表的ロールモデルは蜷川実花である。カラフルでガーリーな世界観を徹底的に追求する彼女の作品は、その実生活とともに高い支持を得ている。『オラオラ女子論』(祥伝社、二〇一二年)はその宣言書だと思う。
 そういうガーリー志向の大人女子の「言い分」をよく表現しているのは、先ほどのエッセイスト酒井順子と、『貴様、いつまで女子でいるつもりだ問題』を書いたジェーン・スーであろう。ちなみに後者の「貴様」とは四〇代になった自分のことである(幻冬舎、二〇一四年)。
 大人女子という言い方は、いろいろ波乱含みである。しかし、ここを押さえないとガーリー領域がたんなる極東の一時的なサブカルチャーとしてしか認識できないだろう。もちろん、そんなことはないのである。
 ここで片づけコンサルタント近藤麻理恵にふれておこう。キーワードは「ときめき」である。片づけと言っても捨てることではない。「ときめき」を感じるモノだけに囲まれて生きていこうという提案である。しばしば「断捨離」と混同されるが、決定的にベクトルが反対を向いている。彼女は、たんなる引き算を拒否するのである。これが世界中の大人女子に支持される理由である。世界で三百万部の本を売り上げ、『タイム』の「世界で最も影響力のある百人」に選ばれたのは偶然ではない。ときめくモノだけに囲まれて生きていくという文化的決意なんだと思う。経済学者はこの広大なガーリー領域に気づくべきであり、社会学者はそこに自己啓発的な愚かさを見るのではなく、ひとつの巨大な文化的覚醒を見いだすべきだと思う。
 カワイイカルチャーは低年齢の女の子を志向している。それは幼稚化とも言える。それに対してガーリーカルチャーは必ずしも幼稚化ではないのだ。手元にある月刊誌『LARME』(〇一八号、徳間書店、二〇一五年)の背表紙にはこう書いてある。「私たちは女の子として戦っていく」と。表紙にはSWEET GIRLY ARTBOOKと表示しているこの雑誌の基調は、徹底した美意識のありようの宣言のようである。これにはきっと続きがあるにちがいない。ガーリーテイストを貫く大人女子たちが一斉に街に出る日がきっと来る。
●ガーリーな男子
 昨今、男子もガーリー化している。
 たとえば手元にある『POPEYE』最新号の特集は「Thank you, Olive! もっとデートをしよう。そして彼女を笑顔にしよう。」である(二〇一六年一月号)。デートの仕方を伝授するのはポパイのお家芸だが、今回ここで教授されるのは「男子が女子の文化領域に積極的に入っていこう」というメッセージである。「俺についてこい」でもなく「君が行きたいところに行こう」でもなく、「自発的にガーリーな文化領域に習熟して、積極的にガーリー領域をいっしょに楽しもう」ということである。これは価値観と美意識を共有するということである。ムリにではない。自然に、である。体育会系やビジネスマン系の文化からは離脱して、ガーリー領域に居場所をみつけた男子たちである。ガーリーの方が俄然おもしろいと感じる男子たちだ。
 これには教員としていろいろ思い当たることがある。ちなみに今一番モテる男子は、こういうガーリーな男子である。その他の男子諸君は気がついているだろうか。
 たとえば、アイドルのところではふれなかったが、アイドルのオタクな男子ファンは、じつはかなりガーリーな人たちなのである。いわゆる肉食系ではない。アイドルとかれらのあいだには異性への恋愛感情もあるけれども、むしろ女子同士の友情的な感情に近いものが存在している。かつてのアイドルファンと言えば、たとえば大場久美子のコンサートなんか、強引にステージに上がって抱きつこうする男子がたくさんいて、ボディガードが次々にそういうファンを突き飛ばしている渦中で歌っていたりするのである。ちがうのは後期の山口百恵ファンだけで、そこは例外的に圧倒的に女子が多かったが、それは今のアイドルファン女子に通じるものがあった。「女子が女子に憧れる」そこらあたりを理解しないとアイドル現象はわからない。
 さて、ガーリー化する男子は、たいていファッションから入る。いわゆるオネエキャラの芸能人もたいていファションから入っているし、今もずっとオシャレであろうとしている。ごく一時期に使われた「メトロセクシュアル」がそれに相当する(マイケル・フロッカー『メトロセクシュアル』ソフトバンククリエイティブ、二〇〇四年)。
 これとはまったく別系統だが、いわゆるハードロックの人たちも同じで、レッド・ツェッペリン時代のジミー・ページなんか女の子みたいだった。ロック系には、今でもそういう美意識が連綿と引き継がれている。ヘヴィメタルがそうである。歴史的には「ピーコック世代」と呼ばれたこともある。スーツにネクタイという大人のスタイルに対する抵抗表現であった。ただし革ジャンのパンク系とは異なる系譜である。
 この文脈を広げて概観してみるとトランスジェンダーの領域が視野に入る。最近では安富歩・東大教授の例が注目を浴びた。かれ(あゆむ)は満州国の研究でデビューした経済学者で、その後、オルタナな経済学の可能性を追求する著作をたくさん出していたが、9.11のあとの原発に関する専門家たちの説明に対して『原発危機と東大話法』(明石書店、二〇一二年)を書き、広く注目された研究者である。その先生が、突然、女子化したのである(あゆみ!)。最新刊の『ありのままに』を読むと、その経緯が詳しく書かれている(ぴあ、二〇一五年)。前半を一言で言うと「女子の文化の方がリッチだ」ということになると思う。ただし、この先生にはそれなりの深い心理的葛藤があって、後半はそっちに主題が移るが、トランスジェンダーを「性同一性障害」という「病気」にしてしまうことには反対している。この本によるとマツコデラックスの番組にも出ているそうなので、もう怖いものなしである。おそらくこういう人がほんとうの「新人類」(死語だが)なのだと思う。
 ここで確認しておきたいのは、ガーリーというのは性的嗜好のレイヤーではないということだ。オッサンのみならずマッチョな若者もオバサンたちも田舎の人たちも、総じて低感度の人たちが取りがちなオッサン目線だと「エロ」で括ってしまうことが多いと思うが、ガーリー領域に居場所を見つけた人たちは、あまり性的嗜好のレイヤーでは物事を捉えていない。そういう「エロ」目線の居場所である大人の俗物的な領域こそが唾棄すべきものなのだ。ここは「聖域」なのだ。「神性の宿る場所」なのである。この点に誰よりも早く気づいて膨大な議論を展開したのが大塚英志だった。かれの『少女民俗学──世紀末の神話をつむぐ「巫女の末裔」』(光文社、一九八九年)はその記念碑的著作である。すでにタイトルに大塚の主張が集約されている。「神話」を「物語」に入れ替えれば、もっと正確になる。かれの言うように「少女」は「聖と俗」構図に当てはめれば「聖」の領域なのである。「聖なるもの」に志向した文化領域なのである。そこでのみ感じることができる物語の舞台を自分の居場所として感じる想像力がなければ成立しないのだ。
●ガーリー領域の六次元
 最後に議論を整理しよう。ガーリー領域とはいかなるものか。
 理屈はカラオケに似ている。カラオケは日本発の世界的発明(ジョウ・シュン、フランチェスカ・タロット『カラオケ化する世界』青土社、二〇〇七年)。日本から世界に拡散したカラオケ文化をヒントにして、ここはひとつポジティブに考えてみよう。ちなみにネガティブな姿勢だと「そもそも論じるに値しない」と決めつけてスルーしまうことになるので、ちっとも展開力のある議論にならない。そういうことは、既成概念を食べて生きている優等生やエリートたち、そして若くしてすでにレガシーな大人たちに任せておけばよい。私たちは先に一歩踏み込んで叩き台になろう。
 これまでのざっくりした議論から、おおよその目安を付けて、これから(少なくとも野村ゼミと基礎演習で続くであろう)議論のスタートラインとしたい。ガーリー領域の基本特性を整理しよう。
(1)加算性、バロック、装置または装備、軍服と制服
(2)親密性、舞台仲間、楽園
(3)自分に萌える、自分物語の構築、外からの視線を拒否する、世間の空気を読まない
(4)非モテ、トランスジェンダー志向、女子目線の美、オッサン目線だとエロになる、ロマンチックラブ・イデオロギーに対する抵抗
(5)二次創作あるいはミメーシスの連鎖
(6)世界性、世界制覇、グローバリズムを変形する、ローカルな創造的変形
 以上をもって「ガーリー領域の六次元」と呼ぶことにする。「次元」ということは座標軸ということである。座標軸においてプラスとして捉えることにする。となるとマイナスのことも考えなければならない。かんたんに解説しておこう。以下の六つの説明を「ガーリー領域の六つのテーゼ」と呼ぶことにする。
(1)ガーリー領域のスタートラインは制服であり、その源流は軍服である。セーラー服はもともと海軍の制服である。あるいは通学中のリセエンヌたちの服装である。あるいは西欧の上流階級における少女たちのドレスである。いずれにしても性的領域ではないことは強調しておきたい。そうした定型的なファッションにひたすら加算するというチカラが働いている。何を足すかは学校や親ではなく本人たちの自由である。したがって、しばしばそれは無秩序で過剰になる。つまりバロック化する。ガーリー領域は「大人の引き算」をしない。その点で「大人のシック領域」とは正反対である。これがしばしば大人目線からの非難を招く。なぜなら「大人のシック領域」は世間からの保守的・道徳的視線に対する自己検閲であるから、一種のやせ我慢であり抑圧だから、それに従順な人たちには「ガーリー領域」は許しがたいのである。
(2)ガーリー領域には、あいまいな「世間」という概念がない。しばしば衝突が生じるが、それに対しては抵抗する。この抵抗は美学的なものである。その美意識を共有する人たちが準拠集団になる。親密性が頼りであり、舞台仲間のような人たちである。そういう人たちで完結できればガーリー領域は相互理解可能で自由な楽園である。
(3)ガーリー領域における焦点は常に自分自身である。「自分に萌える自分」(米澤泉『私に萌える女たち』講談社、二〇一〇年)が最大関心事である。自分の物語は自分で構築するという姿勢があって、その分、外部からの視線を拒否する。既成の保守的な世間の空気は読まない。
(4)ガーリー領域は、異性にモテることやセックスをすること、つまり「性欲領域」は志向しない。お互いが天使のようなトランスジェンダー的存在であろうとする。女子アイドルグループや女子校に典型的に見られるように、女子だけの組織や集団のときほど、そういう傾向が強い。競争的に美意識を先鋭化させるからである。「性欲領域」は忌避されるから「友情」の方に価値がある。そもそも「異性愛」と「友情」は次元がちがう。両方を満たす行為はあるが、ガーリー領域を逸脱することになる。これを「卒業」と呼ぶ。しかし「卒業」は「終わり」ではない。一時的な離脱なので許容できる。近年注目されるのは、「卒業」ののちに「復帰」する人が増加しているということである。
(5)ガーリー領域は加算性の文化なので、何でもありである。しかし、まったくの創造がなされるのではなく、既成のアイテムを引用したコラージュでありブリコラージュである。一種の二次創作だと理解すべきである。オリジナルのアイテムの世界観を借用して、過剰に模倣する「ミメーシスの連鎖」としての文化なのである。流行ではないのだ。
(6)ガーリー領域は現在は狭小な恵まれた平和秩序のある社会においてのみ存立する。他方、その他の広い世界において女性は抑圧され、性に拘束され、しばしば直接的暴力と構造的の犠牲になっている。逃げ場のない女性も多い。それに較べるとガーリー領域を宣揚することは不謹慎であり政治的に正しくないと言われそうである。けれども、それと同時に代替案を提示することも必要な政治的・社会的・経済的・文化的・性的課題なのである。
 男性も「男らしさ」の拘束に身動きできない人が多い。じつはゲームやコミックや地下アイドルにどっぷり浸かっている「オタク領域」も近いところにいるのである。リアルな女性とのコミュニケーションに気遣いして疲れるのでは社会生活を送れないことはたしかであるにしても、男らしさ満載のマッチョや、二四時間戦えるかを問われるようなビジネスエリートとは理想を共有できない人たちも多いはずなのだ。
 その意味でガーリー領域は世界性をもつ。グローバリズムの名の下に多様な生き方を許容しない生活を「変形させる」チカラがあるのではないか。何か社会が分岐点に至ったときに人びとが「あっちに行きたい」と思うような魅力的な物語世界が必要なのである。ガーリー領域にはそういう磁力があると思うのだ。
●女子経済学の誕生?
 一応ハテナをつけておいた。経済学部なので、とりあえず経済学としてみたのだが、この場合の経済学は、包括的な意味での「経済」(たとえばポランニーが議論したような)の研究のことである。本学経済学部経済ネットワーキング学科はそもそもこちらの経済概念に準拠している。そう考えれば「女子経済学」でいいのだ。
 このガーリーテイストな経済は、かなりジャパネスクなところがあると同時に、地球的な広がりも持っている。ただ日本においてのみ先に開花しただけであって、他の地域でそうならないのは女子たちが厳しい抑圧状況に置かれ続けているからにすぎない。真っ黒なブルカやニカブの裏地はガーリーに彩られているはずなのだ。日本発のガーリーカルチャーには、そういう裏地を表にする潜在力があると思う。このさい私たちは、美意識こそ人間の経済生活において大きな力を持ちうることを認識する必要がある。たんに所得の高さだけが消費を生むのではないのだ。そして、そういう文化を人びとが求めること自体が平和を維持する力のひとつになると思ってみたりする。たとえば、そのティッピングポインを東京オリンピックで作れないか。とんでもなくガーリーな東京オリンピック・パラリンピックだ。
 というわけで、われらが共同作品『女子経済学入門』の「ガーリー総論」としよう。
 各論を担当してくれたクラスのメンバーは、ほとんど十代である。メンバーにとっては、とっくに「歴史」になっている現象も多いと思う。それを「遅れてきた人」の視点から見るとどうなるかを読んでほしい。
 今回は日程的にとてもタイトだった。説明は一回だけ。冬休みにその課題をこなして休み明けにメール添付で提出してもらって、年明け最初の授業で校正して、その次の最終回で新書として配布するという荒技である。とっくに大人になってしまった人が見れば、この文章がもつ「いまさら感」は、こういう類いのことを初めて考える大学一年生たちのためのヒントになるように即興的に書いた導入的文章だからである。短いヴァージョンを正月二日に書いてみんなに提示して参考にしてもらった。そのあと加筆したのが、この文章である。正解のない文化的世界への招待状とならんことを願う。(二〇一六年一月二日の書き初め。最終稿は一月九日)

Read More

4月 192017

健康の批判理論序説

健康の批判理論序説
野村一夫
“Knowledge is a deadly friend…”(King Krimson)
一 健康と病いの社会学——理論的系譜
二 社会構築主義の導入——理論的核心
三 問題領域の拡大——研究対象
四 公衆衛生学的医療社会学との比較——対抗軸
五 健康言説批判——方法論的戦略
参考文献
一 健康と病いの社会学——理論的系譜
■本稿の目的
医療と社会の関係を問う社会学的研究は長らく「医療社会学」(medical sociology, sociology of medicine)と呼ばれてきた。これについては、進藤雄三による詳細なレビューがある(進藤雄三 1990)。これによってアメリカで急成長した医療社会学の全体像が一気に明らかになった。ところが、その後、八〇年代末から九〇年代にかけて、医療と社会をめぐる社会学的研究は大きく変化した。とくにイギリスとオーストラリアの研究者が活発に研究成果を発表することで、アメリカ種の医療社会学とはニュアンスを異にする、それ自体ひとつの新潮流とも言えるような研究系譜が形成されるにいたったのである。それは通常「健康と病いの社会学」(sociology of health and illness)と総称されている。この一見変哲のない名称のもとにパブリッシュされつつある一連の研究は、しかし、名称から受ける印象のように穏健でもなければ安全でもない。それはむしろ「健康の批判理論」(critical theory of health)と呼ぶべきラディカルさをもつ研究運動であり、その周辺の研究系譜との連接関係を深めることで、強力な理論潮流になりつつある。本稿の目的は、そのラディカルさを中心に、この「健康と病いの社会学」の研究動向のアウトラインをひとまず総論的に理解することである。
まず、この最初の章において、「健康と病いの社会学」とその周辺の研究動向を整理して、理論的系譜をあきらかにしたい。第二章において、「健康の批判理論」と私が総称する一連の研究の理論的特徴を「健康と病いの社会学」に即して明確に示したい。第三章では、研究対象としてどのようなテーマが俎上にあげられるのかをリストアップして、「健康の批判理論」の問題領域を示したい。第四章では、その理論的特徴が、現在まで日本でおこなわれてきたような医療の社会科学的研究のメインストリームに対する有力な対抗軸に位置づけられるものであることを論じて、研究のスタンスについて語りたい。最後の章では、「健康の批判理論」の方法論的戦略を提示したい。そのさいキーワードとなるのは「健康言説」という、私たちが新たに考案した造語である。経験的研究をなすさいの手がかりを明示して、今後展開予定の研究活動の序説としたい。
■機能主義から社会構築主義へ
さて、二〇世紀後半のアメリカで急速に発達した医療社会学と、本稿で取り上げる「健康と病いの社会学」との関係はどうなっているのか。両者は対抗するものなのか、継承関係にあるのか。まずこの点から確認していこう。
デボラ・ラプトンは「健康と病いの社会学」へいたる「医療と社会」研究の理論的変遷を三段階に整理している(Lupton 1994:6-13)。三段階とは、機能主義、政治経済学(マルクス主義)、社会構築主義である。
それによると、まず、機能主義的アプローチ(functionalist approach)では、医師などの医療専門家が日々の業務を遂行するプロセスや、個人が病気に対処する仕方に興味をもつ。この場合、病気は潜在的な社会的逸脱状態と見なされ、医療専門家の役割は、かつて教会が果たしたように、正常と逸脱を区別する力を用いて社会統制の不可欠な制度あるいは社会の道徳的管理者としてふるまうことだとされる。この機能主義的アプローチの指導的理論家はもちろんタルコット・パーソンズである。かれの理論は五〇年代から六〇年代にかけて大きな影響力をもったが、医療社会学への影響は非常に大きかった。
これに対抗する批判勢力として出てきたのが政治経済学的視角(political economy perspective)である。資本主義経済体制の本質に対するマルクス主義的批判がその理論的核心にある。これは七〇年代から八〇年代にかけて支配的な知的運動だった。この観点からすると、真の健康とは、たんに身体的情緒的安寧ではなく、満足するに足るハイレベルの生活を維持するのに必要な資源(これには物質的なものもあれば非物質的なものもある)にアクセスできること、そしてそれらを統制できることにある。この見方からすれば、健康の基軸的構成要素は「闘争」(struggle)以外の何者でもない。
この系譜の研究の中で近代医療の文化的危機を批判する一連の研究の代表格が医療化論である。このテーゼの源泉はエリオット・フリードソンであり、これをイバン・イリイチやアーヴィング・ケネス・ゾラが展開することで、強力な潮流を形成した。この系譜は、医学的知識を哲学的に分析することよりも、一見中立的に見えてじつは支配階級の利害に奉仕するものとして医学的知識をあつかうことが多い。しかし、その批判は矛盾していることもある。医療は過剰に拡張主義的であると批判される(医療化論)とともに排外主義的であるとも批判され、病気は収奪によって引き起こされると見なされるとともに医学的支配によっても引き起こされる(医原病)と見なされる。
第三の理論的立場が、ポスト構造主義と第二波フェミニズムとフーコーの影響のもとに注目された社会構築主義(social constructionism)である。社会構築主義は、もともと社会学理論にあったものだが、上記の諸潮流との関連において修正されたものが「健康と病いの社会学」で有力になっていった。ラプトンのこの本をふくめて九〇年代に次々公刊された「健康と病いの社会学」の研究書はほぼこの立場で書かれている。
社会構築主義が焦点を当てるのは、生物医学(biomedicine)の社会的側面であり、医学ならびに素人の医学的知識の発達であり、さまざまな医療行為である。この立場から見ると、医学的知識というものは、洗練された良き知識に向かって上乗せされるように進歩するものではなく、社会史的状況の中で生起し不断に再交渉されるような、一連の相対的構築物ということになる。
この三段階はおおむね妥当な見方であるが、異論がないわけではない。たとえば、ウータ・ゲルハルトは『病いの諸概念』を次のような構成で整理している(Gerhardt 1989)。
(1)構造機能主義パラダイム——社会的役割としての病いと動機づけられた逸脱
(2)相互作用論パラダイム——専門家による構築としての病い
(3)現象学的パラダイム——間主観的に構築された現実としての病い
(4)闘争理論パラダイム——資源の不足とイデオロギー構築物としての病い
ゲルハルト自身は「批判理論としての役割分析」という著作によってデビューした、批判理論ないし政治経済学ないし闘争理論というディシプリンに立つ研究者であるので、ラプトンとは順序がちがってくるが、(2)と(3)をあわせて社会構築主義に対応すると考えてよいだろう。ゲルハルトのこの研究についてはさらに精読すべき論点がふくまれていると思われるが、さしあたり問題になりそうなのは、相互作用論パラダイムによる医療社会学の取り扱いであろう。ラプトンはこのあたりを無視しているように見えるが、アンセルム・ストラウスたちの研究がシンボリック相互作用論の視角からなされている点から考えると、現象学的パラダイムと親和的であり、社会構築主義に接していると位置づけられよう。
■他の理論系譜との相互連関
「健康と病いの社会学」は単独で発展したのではなく、健康と社会に関する他の研究分野と密接に相互連関して発展したものである。ラプトンが指摘するのは次の四つの学問運動である(Lupton 1994:13-19)。
第一に、医療人類学(medical anthropology)。医療人類学は「健康と病いの社会学」と密着した学問分野で、両者を分離するのが困難なくらいである。伝統的に医療人類学は「病気の解釈とその生きられた経験」に関心をもつ。病気とは、自然と社会と文化とが同時にそれでもっておしゃべりするコミュニケーションの一形式であり、諸器官の言語である。
第二に、歴史学的次元(historical dimension)。ラプトンがこう呼ぶのは、いわゆる社会史研究のことである。歴史学的研究は、西洋の生物医学の慣習が、他の文化ないし他の時代の医療システムより科学的であるとも客観的であるともいえないことを示す。
第三に、カルチュラル・スタディーズ(cultural studies)。たいていの社会科学者は医療を文化的産物と見ないで、文化に外在する科学的知識の客観的実体と見がちであるから、カルチュラル・スタディーズが生物医学や公衆衛生の制度と実践を分析するのに採用されることはめったになかった。しかし、たとえばマス・メディアがさまざまな場面で医療や病気にかかわる出来事を描写することが、この領域に対する人びと(そこには専門家やメディア関係者や行政関係者もふくまれる)の理解に大きく影響することはあきらかであり、カルチュラル・スタディーズがこの分野に有効なのははっきりしている。
第四に、言語論的転回(linguistic turn)。近年注目されているのが、社会秩序と現実感を構築し維持するという言語の役割である。ソシュールから始まったこの視点はロラン・バルトによって大衆文化の分析装置として発展し、やがて記号論者たちが個人を「かれらの文化によって語られた」存在と考えることを節目に大きく変化した。
以上ラプトンが指摘する四つの研究系譜は、社会構築主義に立つ「健康と病いの社会学」の基本論点とそれぞれ呼応するものをもっている。医療人類学は、空間的比較を促すことで近代化論的まなざしを脱し、非西洋医療の正当性問題に気づかせる。また、素人の病気観の文化的意味を尊重する知的態度をもたらす。それに対して社会史研究は、時間的比較をうながすことで、西洋医療の歴史的偶発性(なりゆきしだいでは他のものにもなりえたかもしれない可能性)を再発見させ、近代医学が客観的知識であるという信仰を破壊する。カルチュラル・スタディーズと言説分析は、文化の批判的検討を通じて、現代文化の構築物として医療関連現象を理解することをうながした。このさい人文学的手法による分析の有効性も強調されてよい。とくに表象や言説の解釈からアプローチする手法は経験的研究に対して大きな影響を与えた。
このように「健康と病いの社会学」は、隣接し随伴する上記の研究動向に即しながら発展してきた。これらは不即不離なもので、ひと続きのものと考えたほうが実際的である。しかし、これらをあわせた適切な総称がないのが現状で、そこで本研究ではこれらを「健康の批判理論」と総称して取り扱うことを提案したいと思う。そこには共通の理論的視角・問題領域・研究スタンス・方法論的戦略が存在すると考えられるからであり、総じて医療研究の大きな転換を提示していると考えるからである。以下、章ごとに論点を分けて考察していこう。
二 社会構築主義の導入——理論的核心
■社会構築主義とは何か
「健康の批判理論」の批判性は政治的スタンスに由来するものではない。それは理論社会学的徹底によるラディカルさというべきだろう。その理論的中核にあるのが社会構築主義である。逆にいうと、「健康の批判理論」とは、「健康と病気に関連する問題領域についての社会構築主義的分析理論」なのである。
社会構築主義はもともと現象学的社会学の文脈で知識社会学理論として定式化され、大きな影響力をもった視角であるが、のちに社会問題論に導入されて「レイベリング理論に替わる新理論」として大きな波紋を呼んだ考え方である(Spector and Kitsuse 1977=1992; 中河 1999)。その意味では典型的な社会学主義の一形態と見なすことができる。けれども、社会学以外の知的運動の中で広範な影響力をもったのは、フーコーの一連の歴史研究であり、それに呼応する前述の学問運動の方だった。そのために、今日ではこの経緯が言及されることは少なく、社会心理学者のヴィヴィアン・バーの『社会構築主義への招待』(Burr 1995=1997)においても、キツセらの構築主義的社会問題論への言及はない。これは医療社会学系でも同様であり、その点で社会構築主義自体は社会学プロパーのものとは理解されていないようである。
たとえばヴィヴィアン・バーは社会構築主義を次のように文化や知識を理解する見方であるとしている(Burr 1995=1997:4-7)。
(1)自明の知識への批判的スタンス
世界が存在すると見える、その見え方の前提を疑う。なぜなら、人間が世界を把握するさいに使用するカテゴリーが必ずしも実在する区分を示すものではないからだ。
(2)歴史的および文化的な特殊性
世界を理解する仕方・カテゴリー・概念は歴史的かつ文化的に特殊なものであり、相対的なものであるという認識を徹底する。
(3)知識は社会過程によって支えられている
世界についての知識は、人びとが互いに協力して構築する。具体的には日常的な相互作用によって構築する。したがって、人びとが相互作用において日常的に使用する「ことば」が重要な意味をもつ。
(4)知識と社会的行為は相伴う
世界を特定の「ことば」で理解することは、それ自体ひとつの社会的行為であり、ある種の社会的行為を支持したり排除したりする行為である。つまり知識は社会的行為なのである。
この視点から特定の社会現象を研究するさいに戦略的に重要になるのは、人びとが日常世界においてものごとを理解する仕方であり、そのさいに重要な役割を果たす「ことば」である。社会構築主義では、このような「ことば」を「言説」(discourses)と呼び、その調査研究を「言説分析」(discourse analysis)と呼んでいる。社会構築主義から見れば、世界は言説によって構築されており、歴史的・文化的に規定された特定の言説によって人びとは世界を理解するのであるから、その言説の自明性を疑い、歴史的由来を調査し、文化的布置をあきらかにすることが、その言説の指示する現象の科学的理解につながるのである。
バーの解説は、さまざまな社会領域に適用され、わけがわからなくなりつつある社会構築主義の共通因数について、あらためて説明しなおしたものとして参考になる。しかし、社会学理論との関係と、医療社会学との関係とをもう少し明確に把握しなければならない。
■社会構築主義と医療社会学
社会構築主義と医療社会学の関連をあつかった初期のレビューとしてはマイケル・バリーの「社会構築主義と医療社会学の発展」(Bury 1986)がある。この時点では、構築主義的医療研究のマニフェスト的著作となった、ピーター・ライトとアンドリュー・トレチャー編集による『医学的知識の問題——医療の社会的構築の検証』(Wright and Treacher 1982)がすでに刊行されており、ここに掲載された論文とそれらの著者たちが、バリーのレビューの主要な対象になっている。
バリーは社会構築主義の主要な構成要素を次の五点に求めている(Bury 1986:140-147)。
第一に、生物医学的現実を「問題化する」こと。社会構築主義では医学的知識そのものが問題性を帯びていると考える。その結果、生物医学的現実も自明ではないと考える。
第二に、医学はさまざまな社会関係を媒介すること。医学はその実践においてのみならず、その知識においてもさまざまな社会関係を媒介する。ある経験の領域を「医学的」と呼ぶことは、決定的かつ強力な形と意味を与えるがゆえに、その経験領域を社会生活の他の領域に対して重要な関係の中におくことなのである。そのため構築主義者は、医学と医学的カテゴリーが特定の社会集団と実践を活発にかみあわせる仕方を提示しようとしてきた。
第三に、医学と技術の中立性への疑問。つまり、技術的領域は中立的とは見なせないということである。私たちはものごとを技術的な事柄とそうでない事柄とを分けて議論するが、構築主義者はその区別そのもの自体が問題をはらんでいると考える。この点では技術のイデオロギー性を説いたユルゲン・ハーバーマスらの批判理論と直接呼応するものがある。
第四に、自然もまた社会的に構築されること。したがって「発見」を廃止すること。さまざまな疾病のカテゴリーは中立的かつ合理的な方法の適用による自然現象の発見を合図すると見なすべきではない。逆にいうと、疾病の発見へのクレームはそれ自体社会的出来事であり、それらを社会的文脈におくのだ。この観点からすると、医学も科学もあくまでも社会内部のシンボリック・システムであり、社会外部の自律的領域ではないということになる。医学と科学が居場所にしている技術的・科学的世界は、本質的に「言説の様式」であり「生活世界」である。それらは歴史的かつ社会的な実践から分離され得ないものなのである。「科学とは社会関係である」というのが構築主義の命題である。
第五に、医療の進歩に疑問符をつけること。つまり医学の歴史においてしばしば物語られる直線的プロセスは廃棄されるべきである。あらゆるものごとが別のありようも可能であったことを忘れてはならない。
以上のバリーの行論からわかるように、かれは「批判的アプローチ」と「構築主義的アプローチ」を仕分けながら、その具体的な論点については両者を連続的なものと見ている。これはラプトンが「政治経済学的視角」と「社会構築主義」とを区別しているのと少し異なる。この点については学説史的に詳細な検討が必要だが、焦点になるのは二点あると思う。ひとつは「政治経済学的視角」の始発点にいるエリオット・フリードソンの位置づけであろう。もうひとつは構築主義の徹底の度合いである。サラ・ネトゥルトンの見解は、フリードソンは医学的実践(医学的知識の適用)の社会性は問題にしたけれども、医学的知識そのものの社会性の問題には挑戦しなかったという評価である(Nettleton 1995:19)。マルクス主義そのものには一九世紀的な自然科学信仰があり、技術の中立性の科学論的否定までには行き及ばないのが実態である。おそらくここが分水嶺であろう。ちなみにユルゲン・ハーバーマスがマルクス主義を超えているのは主としてこの論点である。
なるほど社会問題に構築主義を持ち込むことにはさほど違和感がない。しかし、医療行為(medical practice)に関しては適用できても、医学的知識(medical knowledge)そのものにそれを持ち込むことにはかなりな飛躍が必要である。しかし、それでこそ「健康の批判理論」なのである。
■さまざまな社会構築主義
ただ、ここには複雑な問題もある。フィル・ブラウンが「名前づけと枠づけ」という論文で指摘するように、医療社会学に適用された社会構築主義的アプローチには三つのヴァージョンがあるのに、それらがしばしば混同されているのである(Brown [1995]1996:93)。
ブラウンによると、第一のヴァージョンはスペクターとキツセの共著『社会問題の構築』(Spector and Kitsuse 1977=1992)によるものである。かれらの社会問題論はもっぱら人びとの社会的定義づけ過程に焦点を定めたものであり、現実的条件でもって社会問題を定義するという伝統的なやり方と一線を画した。すなわち「社会問題は、なんらかの想定された状態について苦情を述べ、クレイムを申し立てる個人やグループの活動であると定義される。」(Spector and Kitsuse 1977=1992:119)これは、所与の計測可能な実体として社会問題をあつかう伝統的な実証主義の見方に対抗して、見えにくい日常的相互作用と意思決定の世界を見えるようにする試みだった。これはアメリカ流の社会構築主義といえよう。
第二のヴァージョンはヨーロッパのポストモダン理論のものである。その源泉はミシェル・フーコーである。ヨーロッパの社会構築主義は、知識の創造を示すために言語とシンボルを脱構築することであり、状況のうつろいやすく不確かなリアリティを説明するところに独特の特質がある。
第三のヴァージョンは、科学社会学に関係が深い。これを「行為する科学」(science in action)の視角という。それによると、科学的事実の生産というものは、公的な場所に自分たちの業績をプロモートしようとする科学者たちの努力と結合した、実験室の単調な生活をしている科学者たちによって相互に考え出された行為の結果であるという。
ブラウンは以上の三種の社会構築主義を区別した上で、バリーをはじめとする医療社会学者たちが社会構築主義を上記の三種を混合した非常に広い意味で使用していると批判するのである。これでは「社会的構築」という用語に対する独自の所有権を主張できないではないかというのである。
それに対してブラウン自身が対置するのは、シンボリック相互作用論と構造的政治経済学的アプローチの総合したものである。そのさい決定的に重要なのは、「医学的知識の社会的構築」と「病気の社会的構築」を区別することである。
「医学的知識の社会的構築」は専門家の態度の起源とかれらの診断をあつかう。それは、支配的な生物医学の枠組と同時代の道徳と倫理的見解にもとづいて理解する仕方をあつかい、医療供給者の社会化、ヘルス・ケア・システムの専門家的・制度的実践、そしてそれを包み込む社会の社会構造をあつかう。ここでは診断そのものが問題になり、構造的接近が優勢になる。医学的知識の構築についての学問は、専門家の昇進や家父長的態度や帝国主義的労働市場需要のような社会的ファクターをふくむことになる。それに対して「病気の社会的構築」は素人の病気体験をあつかう。ここでは個人・ダイアド・集団の各レベルを取り扱うのでシンボリック相互作用論が優勢になる(Brown [1995]1996:96-97)。
■病いの社会的構築
ブラウンのいうように、「医学的知識の社会的構築」と「病気の社会的構築」とはリンクしているにしても基本的には別の問題である。この点については、以前から医療人類学でしばしば指摘されてきたことであるので、そちらの方で確認しておこう。
たとえば、アーサー・クラインマンは、台湾での調査に基づく著作の中で概略次のように述べている(Kleinmann 1980=1992:79)。疾病(disease)とは生物学的プロセスと心理的プロセスの両方あるいは一方の機能不全をさす。それに対して、病い(illness)は知覚された疾病の心理社会的な体験のされ方や意味づけをさす。したがって、病いには疾病に対する二次的反応がふくまれる。つまり、病いには、症状や役割遂行の減退に対する注意、知覚、感情的反応、認知、評価のプロセスがふくまれ、家族や社会的ネットワーク内部でのコミュニケーションや相互作用もふくまれる。「要するに、病いとは疾病に対する反応である。疾病をコントロールするとともに、疾病を意味あるものにつくりあげ、説明を与えようとする反応である。」(Kleinmann 1980=1992:79)
ちなみに一九八〇年時点でのクラインマン自身は、疾病の構築についてはそれほど突っ込んだ議論はしていないが、両者とも実在ではなく説明モデルであることに注意を促している点で構築主義と呼応する議論をしていた。
要するに「医学的知識の社会的構築」は疾病の構築にかかわることであり、「病気の社会的構築」は病いにかかわることであるといえよう。そして、それぞれが社会的に構築されるものであるというのが社会構築主義の基本主張である。ブラウンによると、この社会構築主義によってこそ、三つのレベルにおける健康と病いを連結でき、その社会的意味を理解できるという。三つのレベルとは次のようなものである(Brown [1995]1996:97)。
(1)ミクロレベル(自己意識、個人行為、対人コミュニケーション)
(2)メゾレベル(病院、医学教育)
(3)マクロレベル(国民の健康状態、ヘルス・ケア・システムの構造と政治経済、国家保健政策)
ブラウンの主張があえて「第四の社会構築主義」というべきものであるかということはひとまず措くとして、社会構築主義に少なくとも三つの理論的源泉があるということ、そして「医学的知識の社会的構築」と「病気の社会的構築」の両方を射程に入れて、ミクロ・メゾ・マクロの三レベルをリンクさせて考察すること、そのさいには相互作用論と政治経済学的接近があわせて有効であること——本稿でも、この線で「健康の批判理論」を考えてみたいと思う。
三 問題領域の拡大——研究対象
■問題領域の概要
以上、「健康と病いの社会学」とその周辺研究をふくめて「健康の批判理論」としてアウトラインを眺めてきた。その理論的支柱は社会構築主義である。この視点から何が具体的に問題になるのか。この章では「健康の批判理論」が射程に入れるべき主要な問題群を整理しておきたい。このさい、まず、比較的網羅的に問題領域を押さえていると思われるピーター・E・S・フロイントとメレディス・B・マクガイアの『健康・病い・社会的身体——批判社会学(第三版)』(Freund and McGuire 1999)で問題領域の概要をつかみ、そののちにラプトンとネトゥルトンの議論を参考にしてポイントを理解したい。
『健康・病い・社会的身体——批判社会学(第三版)』は本稿執筆時点では最新の「健康と病いの社会学」の概説書である。ストレス学説に準拠していることなど、やや総花的で、構築主義も徹底しないところがあるが、アンソロジーではないので、バランスよく研究業績がまとめて紹介されている。章ごとにテーマを抜き出してみよう。
(1)健康・病い・身体についての社会学的視角
身体の社会的構築。身体観の社会的構築。健康と病いの社会学において権力作用は中心的なものであること。
(2)だれが病気になり傷つけられ死ぬのか
社会疫学の課題と方法論上の問題点。二〇世紀の平均余命の変化。医学の進歩という神話。第三世界の罹患率と死亡率。エイズの疫学。罹患率と死亡率の変数としての年齢・ジェンダー・人種・エスニシティ・社会階級。これらは権力の社会的分配に関連している。
(3)健康と病いの物質的基礎
社会政治的ファクターと文化が、われわれの物理的環境・われわれの資源(たとえば食物)・われわれの身体を構築する。飢餓、食習慣、事故、労働災害、環境汚染、喫煙。
(4)精神・身体・社会
シンボリックかつ社会的なファクターが身体に及ぼす影響。ストレス。
(5)社会組織・健康・病い
社会支援の質と批判的評価。社会的不平等と社会支援の関係。演劇論的ストレス。社会的相互作用における感情の役割。
(6)病気の社会的意味
逸脱としての病い。逸脱の医療化。道徳的権威の医療化。社会統制。シンボルとしての身体。病気は社会秩序にかかわることがらであること。
(7)病いの体験
病いと自己。素人の健康概念。素人の病いの理解。病いに気づくこと。痛みと心理社会的次元。慢性病と障害。障害者の自己意識とマイノリティ的地位と社会運動。
(8)健康と助けを求めること
自己治療。隠れたヘルス・ケア・システムとしてのホーム・ケアと相互補助。民間療法。宗教的な癒し。
(9)医学的知識の社会的構築
疾患の「発見」。社会的産物としての科学。医学的「問題」の創造と否認。医療化・脱医療化・専門家の利害。企業の利害。疾患と身体の物象化。専門家支配。生物医学の前提。
(10)近代生物医学の知識と実践
専門家支配と情報操作。不確実性と統制。専門家支配のミクロ政治学。医師と患者の関係。病人を症例に変換する。患者の非人格化。近代医学の終焉。道徳のジレンマと社会政策。
(11)ヘルス・ケア・システムにおける階層と権力
受療者。医師の供給源。ナースの供給源。その他の専門職と労働者。
(12)ヘルス・ケアにおける経済的利害と権力
保険の問題。さまざまなヘルス・ケア組織。病院経営。さまざまな医療産業。社会政策と人権。
このようなテーマ・リストは多様な組み換えの可能なものである。ひとつの事例として参考にしたい。この中には機能主義段階の医療社会学でも十分問題として取り上げられているものもあり、公衆衛生学的なテーマもふくまれている。とくに「健康の批判理論」として重要な問題領域はどこなのか。すでに確認した「医学的知識の社会的構築」以外の問題領域について、この分野の第一線で活躍するラプトンとネトゥルトンが強調する論点を手短に整理してみよう(Lupton 1994; Nettleton 1995)。
■健康と病いをめぐる素人の生活世界
従来の医療社会学の焦点は、病気と専門家にあった。つまり医師たちが病気に立ち向かう仕方を主軸に据えて、そこに患者たちがどう適応していくか(あるいは適応すべきか)を規範的に研究してきた。これに対して「健康の批判理論」は、健康と素人(lay)に焦点を当てる。つまり素人の視点に定位して見える生活世界のあれこれ(もちろんそこには病いもあるが、そうでない状態もふくまれる)が問題となる。医学と素人の視点とを同位対立の地平において捉えるのが、社会構築主義のラディカルなところである。一方で医学的知識の文化的構築性を暴き、他方で素人の病気や健康への態度と経験の自律性を浮き彫りにするのである。
そのさいポイントとなるのは「素人の健康観はたんなる医学的知識の薄められたヴァージョンではない」(Nettleton 1995:37)ということである。この論点はすでにフリードソン以来、批判的接近を試みる医療社会学者にはおなじみのものである。
健康に光を当てると、人びとが健康をどのような定義において用いているか、そのライフスタイルと消費文化との関係はどのようなものか、人びとにとってリスクはどのようなものとして捉えられ、それが人びとにどのようなリスク回避行動をとらせているかが問題となる。たとえば喫煙に対する態度やエイズに対する態度などがテーマになる(Nettleton 1995:Chap.3)。
他方、病気に光を当てると、人びとが病気と病者役割(sick role)をどのように解釈し、正当化していくか、そして慢性疾患と障害のある身体を媒介にどのようなコミュニケーションが生起し、どのように語られていくか、それに対処する戦略をどのように編み出していくかがテーマとなる(Nettleton 1995:Chap.4)。また、人びとにとって病いの体験は道徳的問題でもある。なぜそのようなことになったかを人びとは「失敗」や「報い」として道徳的に説明しがちである。そのあたりもテーマとなる。
■素人と専門家の相互作用
病いに見舞われたと感じた人びとは病院を訪ねて、医師やナースなどの医療の専門家たちと出会う。この出会いは対等な出会いではないがゆえに、特殊な性質を帯びる。この「素人と専門家の相互作用」の問題は「健康の批判理論」にとって批判的に取り組まなければならない重要な問題領域である。
ネトゥルトンによれば、そこには次のような問題がある(Nettleton 1995:131−132)。第一に、素人と専門家の関係は、より広い文脈での社会関係や、ジェンダーや人種や階級といった構造的不平等を反映するとともに強化するということ。第二に、この関係は社会統制と社会規制の中心的次元を形づくること。第三に、専門家はしばしば患者の見解をまともに取り上げることを拒絶する。そして患者の見解というものが同時代のヘルス・ケアの深刻な限界と見なされてきたこと。第四に、相互作用の質がヘルス・ケアの成果に影響を与えてきたことである。
この領域は長らく医療社会学で「医師−患者関係」として研究されてきたが、理論的立場によって大きく見方が変わる。機能主義は合意モデルを基準に論じ、政治経済学(マルクス主義)は闘争モデルを用いて、医学的権力に対する患者側の抵抗を強調する。「コンプライアンスの悪い患者」を病院スタッフがそれぞれどのように見ているかが問われる。また、シンボリック相互作用論やエスノメソドロジーによるミクロな相互交渉場面の研究もさかんである。
それから忘れてはならないのが、専門家は病院にいるとは限らないということだ。民間医療のヒーラー(healer)がいる。そこでは「癒し」と総称される、しばしば近代医療システムとは異質の出会いと相互作用がある。ここは従来から医療人類学の実績のある領域であるが、「健康の批判理論」の現場はもはや病院だけではないのである。
■文化的表象の分析
医学・病い・疾患・身体に関するさまざまな言説・メタファー・図像は、高級文化においてであれ大衆文化においてであれ、これらの現象についての知識の社会的構築に深くかかわっている。ラプトンはこの点を強調する(Lupton 1994:chap.3)。高級文化において疾患と死がどのように表現されているか、そして大衆文化において医学や病いや死がどのように表象されているかの研究は、伝統的な医療社会学ではないがしろにされてきたところである。しかし、ガンやエイズはメタファーとしても社会に圧倒的な影響を与えたし、「ガンと闘う」「エイズを撲滅する」といった軍事的な言説そのものが、それぞれに関係する生物学的事実の解釈や医学の研究開発の方向性に影響し、関係者の社会関係をも深く規定してきたのである。
このテーマに関する図像研究としては、サンダー・L・ギルマンの仕事が日本ですでに紹介されている(Gilman 1995=1996)。図像は、どれが正しく美しく健康なのか、どれが狂っていて醜く病んでいるのかというステレオタイプな基準をリテラシーを越えて再生産する。とりわけメディア上に流通する言説と図像の分析が重要であり、カルチュラル・スタディーズの隆盛の中で、そのような研究が一気に浮上している。
もちろん以上の他にも重要な問題がある。健康状態と社会的不平等すなわち健康の配置の問題も大いに議論されている。とくにジェンダーの問題がフェミニズム側から次々に提起されている。保健政策批判もある。それらについては機会を改めて詳説することにしよう。とりいそぎ確認しなければならないのは、これらの問題群を「健康の批判理論」が強調して研究テーマとして取り上げるのはなぜか、つまり基本的な研究スタンスの問題である。
四 公衆衛生学的医療社会学との比較——対抗軸
■生物医学モデルへの挑戦
じつは社会学的社会問題論の文脈では、社会構築主義はすでに過去のものだという雰囲気がある。流行思想としての社会構築主義は所詮、そういうものなのだろう。しかし社会構築主義は日本では未だ徹底して追究されていないのではないか。とりわけ健康と病気の社会領域については。
生物医学に依拠した医療システムに構築主義的なまなざしを向けることは、医学部に設置された公衆衛生学といった場所では未だに困難なことのようだ。たとえば日本のアカデミズムにおいて重要なステイタスを与えられていると思われる公衆衛生学研究者による『健康観の転換——新しい健康理論の展開』(園田・川田 1995)には、生物医学とそれに基づく現代医療の神話的構築性に対して社会学的に距離化しようというスタンスがまったく感じられない。それどころか、健康主義を社会全般に拡大しようとする、ほとんどニューエイジ系の宗教的教義への傾斜さえうかがえるほどである。
日本の公衆衛生志向の医療研究の社会学性がその程度の底の浅いものであるといえばそれまでだが、それにしても、社会構築主義による医療的世界への分析はむしろ始まったばかりなのである。
では、従来的な医療社会学とのちがいは何だろうか。最大のちがいは生物医学に対する知的態度である。
ライトとトレッチャーは社会構築主義以前の医療社会学との比較を理念型的に整理している(Wright and Treacher 1982:3-5)。
第一に、医学の同定あるいは医学的知識は何の困難も引き起こさなかったという仮説。それによると、医学とは医師とその補助労働者のなしたことであるのは自明であり、医学的知識はたんに、医学校で伝授されたか、専門家の雑誌と教科書によって普及したものにすぎない。第二に、近代医学的知識は、近代科学の発見に基づいていて効果があるがゆえに独特のものであるという仮説。第三に、疾病は、医師による分離と指摘に先行し独立に存在する自然物であるという仮説。第四に、社会と医学的知識とは独立した自律的領域であるという仮説。
社会構築主義以前の医療社会学(たとえば公衆衛生学的な研究)の前提了解が以上のようなものであったとすると、すでに「医学的知識の社会的構築」として述べたように、これに対して社会構築主義的医療社会学は、異を唱えるわけである。いわば近代医療絶対主義神話の社会学的解体である。生物医学のイデオロギー的後方支援としての公衆衛生学との異質性はあきらかだろう。
■医療神話の歴史的批判
「健康の批判理論」のさしあたりの対抗軸は、医療神話とも呼ぶべき科学信仰であり、それに基づいて編成される専門家支配の実態である。日本でもこの種の研究は一部で始まっており、たとえば『医療神話の社会学』(佐藤・黒田 1998)では、「近代医学は抗生物質によって、人間を悩ませた多くの感染症を克服してきた」といったような、現代医療を正当化する二〇の神話について丹念に神話解体している。ただし、ここにおさめられた論文は必ずしも社会構築主義に立ったものではなく、多くは歴史的アプローチによるものである。
当然もうひとつの神話解体も必要だ。それは民間医療にまつわるさまざまな神話である。近代医学への不満は一般の人びとにおいてむしろ普通のことである。しかし、だからといって近代医学を批判する「代替医療」(alternative medicine)が無条件で推奨できるわけではない。代替医療神話が現代的に変奏されている事態に対しても、批判的なまなざしで分析する必要がある。たとえば佐藤純一は代替医療が単純な二分法を絶対化して「人間的」な側に自らをおくことで正当化しようとすることを指摘している(佐藤・黒田 1998:242-244)。なお、アメリカの代替医療の歴史についてはロバート・C・フラーの『オルタナティブ・メディスン』が詳しい(Fuller 1989=1992)。
さらに、こうした医療神話が消費社会というコンテキストでこそ生き生きと語られ、説得力をもち、具体的な行動へと水路づけるといった構図にも注意を払う必要がある。
■ヘルス・プロモーション
公衆衛生学的医療社会学との対比がもっとも明確になるのは「健康のために」語られるさまざまな言説に対するスタンスである。試金石はヘルス・プロモーションに対するスタンスである。
「健康のために」語られるさまざまな言説を私は「健康言説」と呼んでいるが、ヘルス・プロモーションの言説はその代表的なものであり、その点では公衆衛生学的医療社会学自体も健康言説なのである(池田ほか 1998:23-24)。
サラ・ネトゥルトンとロビン・バントンはヘルス・プロモーションに対する研究スタンスを四類型にまとめている(Nettleton and Bunton 1995)。まず第一の軸は「社会政策」か「社会学的分析」かというもの。第二の軸は「医療についての社会学」か「医療のための社会学」かという有名なストラウス以来の二分法である「についての」対「のための」という二分法。これを使って「健康の批判理論」を位置づけてみよう。
第一に「ヘルス・プロモーションのための社会政策」(social policy for health promotion)では保健公共政策の説明・分析・評価をおこなう。第二に「ヘルス・プロモーションのための社会学的分析」(sociological analyses for health promotion)ではプロモーション技術の発達・評価・洗練をおこなう。第三に「ヘルス・プロモーションについての社会政策」(social policy of health promotion)では政策のイデオロギー的基礎の研究をおこなう。第四に「ヘルス・プロモーションについての社会学的分析」(sociological analyses of health promotion)ではヘルス・プロモーション自体の批判をおこなう。一口に批判的評価といっても、このようにスタンスは多様である。たとえば日本でおこなわれてきたほとんどすべての「医療と社会」研究は第一から第三に分類できるはずである。それに対して「健康の批判理論」は第四の類型に相当する。
第四類型のヘルス・プロモーション批判の基礎視角としては、たとえばどのようなものがあるのだろうか。さしあたり思い及ぶのが「健康という義務」(imperative of health)という視角である。これはラプトンがフーコーから採ったもので、彼女は公衆衛生とヘルス・プロモーションについての著作タイトルにこのフレーズを使用している。それによると、健康はたんなる疾病の不在ではなく、もはや一種の道徳的命令ではないかというのである(Lupton 1995)。健康が道徳にずれ込むことで、道徳は身体性に還元されることになる。重層的なコミュニケーションの産物としての社会秩序ではなく、有無を言わさない身体秩序に道徳という社会原理が従属するということだ。健康言説の本質はまさにここにある。
たとえば「成人病」を「生活習慣病」に呼びかえて人びとの健康増進を図ろうとする近年の厚生省のキャンペーンについて佐藤純一は次のように分析している(池田ほか 1999:8-29)。「生活習慣病」はもともと厚生省の行政用語であった「成人病」を「生活習慣」と「予防」を軸に再構成したものであり、厚生省・臨床医学・社会医学の三者の思惑の合致したところに構築された政治的産物である。「生活習慣病」言説は「病気と習慣が関係ある」とするだけではない。それは「病気を引き起こす習慣」と「病気を避ける習慣」をも指示する。このさい健康習慣として指定された要素はまったく恣意的なものであり、言説構築者の古典的な道徳主義がそのまま投影される。そして「病気になったのは、その個人の生活習慣によるのであり、それゆえ病気の責任もその個人にある」という個人責任論が正当化されるのである。その結果、露骨な「犠牲者非難」(victim blaming)がおこなわれ、国家が責任をとるべき外部環境要因がそっくり隠蔽される。
このように、一見もっともらしい国家の保健政策のロジックは、「これって健康にいいんだよ」という食卓の会話にまで浸透し、その結果、まわりまわって人びとの病気体験そのものを道徳的ジレンマにしてしまう。つまり、たんに健康と病気が問題なのではない。それらに言及する言説の総体が現代社会において果たしている構築的役割への懐疑的認識が必要なのである。つまり、それは「批判」でなければならないのだ。
五 健康言説批判——方法論的戦略
■健康は言説である
最後に、「健康の批判理論」の方法論的戦略について確認しておきたい。
そもそも「健康と病いに関する批判社会学的研究」とでもいえばよいものを、あえて「健康の批判理論」と総称するのは、なぜか。それは第一に病気よりも健康という広範な領域に焦点があたらざるを得ない現代的状況が存在するからであり、第二にもはや社会学というディシプリンにこだわる必要がほとんどないと考えられるからだ。社会構築主義は社会学の占有物ではないのであるから。ちなみにコンラッドは「健康と病いの批判的視角」(critical perspectives on health and illness)という言い方をしている(Conrad 1997:4)。私はそれでもよいとは思うものの、短く総称するさいには、あえて「健康の批判理論」という括り方をしたい。その突破口は「健康は言説である」という構築主義的命題として集約的に表現できると考えているからである。突破口は「健康」の方にある。
そもそも健康は「非問題系」すなわち「問題状況の欠如」である(池田ほか 1998)。それゆえ健康は「問題」となる病気や障害などの事態(すでに発生しているにせよ、たんに予想されるだけにせよ)に対して、あくまで「語られるもの」であって、実体があるわけではない。「健康のために」と語りつづけられることで「健康な身体」は社会的に構築される。したがって実在するのはあくまで「健康言説」だけなのである。つまり、健康は言説である。「言説としての健康」ではないのだ。
■健康が語られるとき
現代社会において健康が語られるとき、それがコミュニケーションにおける正当性を満たす言説となるのは、問題系としてのリスク要因が導入されたときである。「健康に対するリスク要因」(health risk)のリストが提示される。このリストにはもちろん病気がふくまれているが、それだけではない。リスクは、朝食を食べないことからオゾン層の破壊にいたるまで無制限に拡大可能な社会的構築物である。そのリストは恣意的であり、それゆえ本質的に政治的でもある。
リスク概念の拡大はそのまま健康概念の脱領域化につながる。つまり、健康はあらゆる生活領域に深くかかわる価値として遍在するようになる。そして、個々のリスク要因が言説としての説得力をもてばもつほど、健康概念は物象化され神格化されるのである。この物象化された層における健康言説がヘルシズムなのであり、それはひとつの宗教的システムというべきである。健康は世俗化された現代の新しい神となる。
リスク回避を名目とするライフスタイルへの道徳的干渉が始まる。フーコーが描き、身体の社会学がそれを引き継いで研究してきたもの、すなわち人びとの身体を貫徹する権力作用の諸相である。「からだにいい」「ナチュラル」「無添加」「スポーティ」「衛生」「清潔」「元気が一番」といった耳障りのよいクリーシェから、「お肌のダメージ」「死の恐怖」「後の祭」といった恫喝に近いクリーシェまで、さまざまな言説が「健康的な生活習慣」を道徳的に正当化し、そうでないものを非難し排除する。そして個人の責任が問われてゆくのである。
こうして「健康な生活とは、健康について語り、健康に好ましいと語られた生活習慣を実行している生活のことである」という自己言及システムが成立する。「健康の批判理論」の理論的課題は、このような健康言説の自己言及的な言説宇宙(universe of discourse)の構造を批判的に解明することである。
この言説宇宙を構築するエージェントはさまざまである。それは科学者であり、マス・メディアであり、政府機関であり、社会運動である。そのエージェントの集合に対してジョナサン・ゲイブは「リスク産業」という用語さえ使っている(Gabe 1995)。公衆衛生的言説も栄養学的言説も、みのもんたの名調子や霊芝実演販売講師の巧妙な口上も、それに対して「買ってはいけない」とする対抗言説も、これら「リスク産業」によって組織的に生産された、いわば消費社会の産物なのである。
■批判的言説分析の可能性
以上のような仮説を手がかりに「健康の批判理論」は、健康言説の力を見極めていかなければならない。言説の類型もさまざまであり、語られ方そのものの多様性にも注意しなければならない。この作業を経験的な手法で実証するのが「言説分析」(discourse analysis)である。ただし、漠然と「言説分析」と呼ぶと、言語学において「談話分析」と訳されて会話の分析技法として紹介されているものもふくまれるので、これらと区別する必要がある。もちろん、問診の分析や医療スタッフ間のコミュニケーションの分析、そして健康に関する人びとの会話を分析するさいには有効な方法であるが、メディアや専門家や政府機関をエージェントとする言説を分析対象とすることの多い「健康の批判理論」と親和性の高い手法として考えられるのは、なかでも「批判的言説分析」(critical discourse analysis)と呼ばれるものである。
批判的言説分析は言説分析のひとつで、すでにジェンダー研究では成果をあげつつあるようである(斉藤 1998; 中村 1995)。ただし、これ自体は定型的な手法をさすものではなく、一定の理論を前提した(それゆえ現状では適用対象がある程度限定されている)分析方法である。具体的場面では他の言説分析の手法を応用する。
フェアクラフとヴォダックによると、批判的言説分析では、話したり書いたりする言語使用を言説と呼び、それを社会的実践の一形式と見る。かれらによると批判的言説分析は八つの理論および方法の原理に基づいているという(Fairclogh and Wodak 1997)。
(1)批判的言説分析は社会問題に力を注ぐ。
(2)権力関係は遍在している。
(3)言説は社会と文化を構築する。
(4)言説はイデオロギー的作業をおこなう。
(5)言説は歴史的である。
(6)テキストと社会とのリンクは媒介的である。
(7)言説分析は解釈的かつ説明的である。
(8)言説は社会的行為の一形式である。
ここで確認できるのは批判的言説分析が社会構築主義ときわめて親和性の高い分析方法であることである。現在はジェンダーやエスニシティなどに好んで応用されているようであるが、健康関連領域においても応用可能性は高いといえそうだ。
■まとめ
これまで見てきたように、「健康と病いの社会学」を中核とする社会構築主義的研究は、従来の公衆衛生学的な医療社会学に対して、「健康の批判理論」として総称できるだけの理論的共通点をもつ。中核には社会構築主義があり、方法論的には言説分析をとる。
「健康の批判理論」とは、この近代社会を柔らかく支配する(その結果として人びとの自発的服従が生じる)「納得の構図」を明晰に分析して批判する反省社会学的営為である。それは「健康な社会」を築くための理論でもなく、まして「健康増進」のための研究でもない。健康を自己言及的構成要素とする現代社会の構造分析である。目的は批判、批判それ自体である。
参考文献
文献の指示法と表記については日本社会学会編集委員会「社会学評論スタイルガイド」(http://www.kyy.saitama-u.ac.jp/‾fukuoka/JSRstyle.html)にほぼ準拠した。ただし、本稿が縦書きであることを考慮して句読点などを一部改変した。
Brown, Phil, 1995, “Naming and Framing: The Social Construction of Diagnosis and Illness,” Journal of Health and Social Behavior, 33:267-81. Reprinted in: Phil Brown ed., 1996, Perspectives in Medical Sociology, Second Edition, Illinois: Waveland Press, 92-122.
Burr, Vivien, 1995, An Introduction to Social Constructionism, London: Routledge. (=1997, 田中一彦訳『社会構築主義への招待——言説分析とは何か』川島書店)
Bury, Michael, 1986, “Social Constructionism and the Development of Medical Sociology,” in: Sociology of Health and Illness, 8(2):137-169.
Conrad, Peter, ed., 1997, The Sociology of Health and Illness: Critical Perspectives, Fifth Edition, New York: St. Martin’s Press.
Fairclogh, Norman and Ruth Wodak, 1997, “Critical Discourse Analysis,” Teun A. van Dijk ed., Discourse as Social Interaction, London: Sage, pp.258-284.
Freund, Peter E. S., and Meredith B. McGuire, 1999, Health, Illness, and the Social Body: A Critical Sociology, Third Edition, New Jersey: Prentice Hall.
Fuller, Robert C., 1989, Alternative Medicine and American Religious Life, New York: Oxford University Press. (=1992, 池上良正・池上冨美子訳『オルタナティブ・メディスン——アメリカの非正統医療と宗教』新宿書房)
Gabe, Jonathan ed., 1995, Medicine, Health and Risk: Sociological Approaches, Oxford and Cambridge: Blackwell Publishers.
Gerhardt, Uta, 1989, Idea about Illness: An Intellectual and Political History of Medical Sociology, Hampshire: Macmillan Education.
Gilman, Sander L., 1995, Health and Illness: Images of Difference, London: Reaktion Books. (=1996, 高山宏訳『健康と病——差異のイメージ』ありな書房)
池田光穂・野村一夫・佐藤純一, 1998, 「病気と健康の日常的概念の構築主義的理解」『健康文化』No.4, 財団法人明治生命厚生事業団, 21-30.
池田光穂・佐藤純一・野村一夫・寺岡伸悟・佐藤哲彦, 1999, 『日本の広告における健康言説の構築分析』平成10年度吉田秀雄記念事業財団研究助成報告書.
Kleinmann, Arthur, 1980, Patients and Healers in the Context of Culture: An Exploration of the Borderland between Anthropology, Medicine, and Psychiatry, Berkeley: University of California Press. (=1992, 大橋英寿・遠山宜哉・作道信介・川村邦光訳『臨床人類学——文化のなかの病者と治療者』弘文堂)
Lupton, Deborah, 1994, Medicine as Culture: Illness, Disease and the Body in Western Societies, London: Sage.
Lupton, Deborah, 1995, The Imperative of Health: Public Health and the Regulated Body, London: Sage.
中河伸俊, 1999, 『社会問題の社会学——構築主義アプローチの新展開』世界思想社.
中村桃子, 1995, 『ことばとフェミニズム』勁草書房.
Nettleton, Sarah, 1995, The Sociology of Health and Illness, Cambridge: Polity Press.
Nettleton, Sarah, and Robin Bunton, 1995, “Sociological Critiques of Health Promotion,” Robin Bunton, Sarah Nettleton and Roger Burrows eds., The Sociology of Health Promotion: Critical Analyses of Consumption, Lifestyle and Risk, London and New York: Routledge, 41-58.
斉藤正美, 1998, 「クリティカル・ディスコース・アナリシス——ニュースの知/権力を読み解く方法論—新聞の『ウーマン・リブ運動』(一九七〇)を事例として」『マス・コミュニケーション研究』52, 88-103.
佐藤純一・黒田浩一郎編, 1998, 『医療神話の社会学』世界思想社.
園田恭一・川田智恵子編, 1995, 『健康観の転換——新しい健康理論の展開』東京大学出版会.
Spector, Malcolm and John Kitsuse, 1977, Constructing Social Problems, Menlo Park CA:Cummings. (=1992, 村上直之・中河伸俊・鮎川潤・森俊太訳『社会問題の構築——ラベリング理論をこえて』マルジュ社)
Wright, Peter and Andrew Treacher eds., 1982, The Problem of Medical Knowledge: Examining the Social Construction of Medicine, Edinburgh: Edinburgh University Press.
(のむら・かずお 社会学 http://socius.org)
————————————————————————-
英文タイトル
An Introduction to Critical Theory of Health
Kazuo Nomura
————————————————————————-

Read More

4月 12017

社会学感覚25医療問題の構造

Socius  ソキウス   著作+制作 野村一夫

フロントページ


現在地 ソキウス(トップ)>社会学感覚
社会学感覚
25 医療問題の構造
増補
医療について考え始める
本編では患者論に限定して医療問題をあつかった。ここでは広く医療問題全般について考えるための基本資料を紹介しよう。
向井承子の『病いの戦後史――体験としての医療から』(筑摩書房一九九〇年)。患者の側から見た医療を体験的に、しかも問題を客観的に知ろうとする姿勢に貫かれた医療戦後史。永井明『医者が尊敬されなくなった理由』(集英社文庫一九九五年)は「理由」シリーズの中の一作。話題になった旧作もおもしろいが、これは医者の側から見た医療のさまざまな側面をバランスよく描いているのがよい。患者の視点と医者の視点とを対照させて読みくらべてほしい。
その他、柳田邦男『人間の事実』(文藝春秋一九九七年)で紹介されている数多くの手記を手に取ってみてほしい。この本の前半部は医療系のノンフィクションの紹介にあてられている。
文化現象としての医療
医療は医学や薬学だけの特権的領域ではない。それはすぐれて文化現象である。その視点から医療の文化的社会的側面に関するキーワードを徹底的に網羅した用語集として、医療人類学研究会編『文化現象としての医療――医と時代を読み解くキーワード集』(メディカ出版一九九二年)がある。もちろん事典として使えるが、むしろ「どこからでも読める現代医療入門」といったユニークな本。医療問題を議論する上で欠かすことのできない基本知識を学ぶのに最適だ。
医療社会学
医療社会学についての基本書として二点あげておきたい。黒田浩一郎編『現代医療の社会学――日本の現状と課題』(世界思想社一九九五年)と、佐藤純一・黒田浩一郎編『医療神話の社会学』(世界思想社一九九八年)。前者は、医師・病院・患者・看護婦・製薬業界といった、医療にかかわるさまざまな主体ごとに問題を整理したもの。近代西洋医学を相対化する視点から構成されているのも特徴である。後者は、人間ドック・野口英世・赤ひげ・脳死と臓器移植・不妊治療・ホスピス・インフォームドコンセントについてのステレオタイプ化された言説を「医療神話」と押さえ、それぞれを社会学的に批判したもの。福祉国家の起源を軍国主義時代に求める論文もある。概して歴史社会学ないし社会史的なスタンスから神話を解体するという流れになっている。大ざっぱな医療批判でなく、緻密な議論になっている。
この二点に、学説中心の進藤雄三『医療の社会学』(世界思想社一九九〇年)を加えると、ほぼ日本の医療社会学の現状が把握できる。
最近のイギリス系の社会学では、「医療社会学」から「健康と病気の社会学」への転換が生じている。かつてはもっぱら病院・医師・ナース・薬といった要素を対象としていた医療社会学だが、健康食品や民間療法などの「健康関連問題」も射程に入れなければならなくなり、何よりもライフスタイルという複合的な要素がたち現れてきたからだ。もはや公式の医療制度に属するものだけが「健康と病気の社会学」の対象ではなくなっている。日本の研究も近いうちにそういう流れになってくるだろう。
医学の不確実性
すでに紹介した『医療神話の社会学』を読むと、西欧近代医学が意外に「はりぼて」仕様の、脆弱な基盤しかもたない営みであることがわかる。それが確固たるものに見えるのは、私たちが「近代医学」という神話を信じて制度をこしらえてきたという事実に起因するのだ。医師でもあった中川米造の『医学の不確実性』(日本評論社一九九六年)もそれを主題とした概説書。
そもそも医学の不確実性という問題は、一九七〇年代あたりの精神医学批判から連綿と指摘されつづけてきた。イングレビィ編『批判的精神医学』宮崎隆吉他訳(悠久書房一九八五年)におさめられたコンラッドの有名な論文「逸脱とその社会的コントロールの医学化」がその代表的なものである。さまざまな診断的カテゴリーの応用は、技術的に中立な営みというよりむしろ政治的な営みだというのが批判者の見方である。
ネトゥルトンのまとめ[Sarah Nettleton, The Sociology of Health and Illness, Polity Press, Cambridge, 1995. ]を借りれば、「生体臨床医学」(biomedicine)をメインパラダイムとする西洋近代医学は五つの仮説を基礎としている。
(1)心身二元論(精神と身体は分離して取り扱うことができる)
(2)機械メタファー(身体は機械のように修理できる)
(3)技術的命令の採用(過剰な技術的介入)
(4)還元主義(生物学的変化によって病気を説明して社会的・心理学的要因を無視)
(5)特殊病因論の原則(19世紀の微生物病原説のように、すべての病気がウィルスやバクテリアのように同定可能な特殊な作用因によってひきおこされると考える)
このような生体臨床医学は、この二十年ほどのあいだに多くの批判にさらされてきた。
(1)医学の有効性は強調されすぎてきた。
(2)身体を社会環境的文脈に位置づけるのに失敗している。
(3)患者を全体的人格ではなく受動的対象としてあつかう。
(4)出産を病気のようにあつかう。
(5)科学的方法によって病気の真実を確認していると想定しているが、じっさいにはそれは社会的に構築されたものである。
(6)医学的専門家支配の存続を許してきた。
このような論点をカバーするものとして「健康と病気の社会学」が位置づけられる。医学はたしかに身体の経験科学なのだが、こちらも身体の経験科学であることにはちがいないのだ。
医療人類学
近代医学を相対化し、それに対する各自の信仰的な態度を払拭させるには、非西洋医学の実態を知ることが有効である。その点で医療人類学は大いに参考になる。
医療人類学のデファクト・スタンダートとしては、G・M・フォスター、B・G・アンダーソン『医療人類学』中川米造監訳(リブロポート一九八七年)。人類学ではあるが、西洋世界の医療のところはほぼ医療社会学とほぼ重なる。コンパクトなものでは、宗田一監修、池田光穂『医療と神々――医療人類学のすすめ』(平凡社一九八九年)の「第二部 医療人類学入門」が百ページほどで系統的に概観を描いている。それに対して、波平恵美子『医療人類学入門』(朝日選書一九九四年)は、短いエッセイを積み上げたような入門書。波平の本はどれも読みやすいので、初学者は彼女の本から入るといいだろう。
社会史的研究とフーコー
医療人類学が近代医学に対する空間的比較のまなざしをもたらしてくれるのに対して、時間的比較のまなざしをもたらしてくれるのが社会史的な医療研究である。
クロディーヌ・エルズリッシュ、ジャニーズ・ピエレ『〈病人〉の誕生』小倉孝誠訳(藤原書店一九九二年)はその代表的な研究。理論的には社会構築主義の立場に立った研究である。
この分野の隆盛を導いたのは何といってもフーコーである。ミッシェル・フーコー『臨床医学の誕生――医学的まなざしの考古学』神谷美恵子訳(みすず書房一九六九年)がここでの文脈に一番近い著作であるが、もともとフーコーは精神医学の批判的研究からその思索を始めた人であり、終生、医学的知識の歴史的構築をめぐって思想を展開した。主要著作の解説書としては、中山元『フーコー入門』(ちくま新書一九九六年)が比較的やさしい。
女性と医療
B・エーレンライク、D・イングリシュ『魔女・産婆・看護婦――女性医療家の歴史』長瀬久子訳(法政大学出版局一九九六年)という本がある。原著は二冊あって、それが翻訳では第一部と第二部に編成されているのだが、注目してほしいのは、第二部の「女のやまい――性の政治学と病気」の方だ。典型的なフェミニストのスタイルで論旨は明快。医療においてもまたジェンダー・バイアスの問題が存在することに気づいてほしい。一連の看護婦不足問題も、こうしたジェンダー構造との関係で見ることもできるのではないか。
ヘルシズム(あるいは健康幻想)
お昼時の「みのもんた」の一言で多くの人たちが右往左往する昨今である。「健康にいい」というフレーズはすべてに優先する。それはもはや現代の民俗宗教である。
こういう言い方に違和感のある人は、田中聡『健康法と癒しの社会史』(青弓社一九九六年)のような著作を読んでみるといいだろう。健康法についての図版満載の社会史であるが、そこで描かれているのと大して変わりない言説が現在もマス・メディア上で日々生産され続けており、しかも人びとの大きな支持をとりつけている事実に気づくにちがいない。ヘルシズムは医療文化の非常に大きな部分を占めているのである。小野芳朗『〈清潔〉の近代――「衛生唱歌」から「抗菌グッズ」へ』(講談社選書メチエ一九九七年)も、近代国家の歩みに即して「国家衛生システム」の展開をたどったもの。よく調べてある。
こうした状況に批判的なスタンスから論じた文献としては、イヴァン・イリイチ『脱病院化社会――医療の限界』(晶文社一九七九年)が基本書であるが、アーヴィング・ケネス・ゾラ「健康主義と人の能力を奪う医療化」という基本論文がおさめられた、イバン・イリイチ他『専門家時代の幻想』(新評論一九八四年)にもあたりたい。
このほかにも基本文献は多数あるが、健康概念を対象としている「保健社会学」サイドからの研究書もでている。園田恭一『健康の理論と保健社会学』(東京大学出版会一九九三年)。園田恭一・川田智恵子編『健康観の転換――新しい健康理論の展開』(東京大学出版会一九九三年)。 いずれも公衆衛生学系のテイストの研究書。もちろん論調はかなりちがう。
脳死
一九九七年に臓器移植法が施行され、日本でも「脳死」の概念が制度的な根拠をもつにいたった。あちらこちらでドナーカードが配布され、臓器移植の準備体制も整いつつある。
「脳死の社会学」はまだ形を整えていないが、脳死を社会関係の文脈の中で考える試みは他の分野ですでに始まっている。森岡正博『脳死の人――生命学の視点から』(福武文庫一九九一年)はその代表的な作品。タイトルに表れているように、脳死を抽象的な議論ではなく、あくまでも人のありようとして考えようとする論考である。
もうひとつ注目すべきノンフィクションとして、柳田邦男『犠牲(サクリファイス)――わが息子・脳死の11日』(文藝春秋一九九五年)。柳田は著名なノンフィクション作家で医療ジャーナリズムの第一人者だが、これは当事者としての生々しい手記であり、グリーフワークでもある。家族としての視線とジャーナリストとしての視線の交錯する印象深い作品だ。
病院死
山崎章郎『病院で死ぬということ』(主婦の友社一九九〇年)がベストセラーになり、映画化されたりテレビドラマにもなった。終末期医療が多くの人びとにとって実感のともなうことがらになった、これはそのひとつの証左であろう。エッセイともフィクションともつかぬ語り口をそのまま社会学的思考に組み入れるわけにはいかないが、とりあえず議論の導入として読んでおく必要があるだろう。続編の山崎章郎『続 病院で死ぬということ―そして今、僕はホスピスに』(主婦の友社一九九三年)とともに現在は文春文庫に入っている。
病院死の問題は社会学でも比較的早い時期に研究されてきた。たとえば最近翻訳のでた、デヴィッド・サドナウ『病院でつくられる死――「死」と「死につつあること」の社会学』岩田啓靖・志村哲郎・山田富秋訳(せりか書房一九九二年)は、一九六七年刊行のエスノグラフィである。Barney G. Glaser, Anselm L. Strauss『死のアウェアネス理論と看護――死の認識と終末期ケア』木下康仁訳(医学書院一九八八年)も原著は一九六五年にでた研究書である。いずれも、このテーマについては広く知られているキュープラー・ロスの『死の瞬間』に先行する。
Prev←■→Next
現在地 ソキウス(トップ)>社会学感覚
SOCIUS.JPドメインへの初出 10/2(Thu), 2003  最終更新日:4/1(Sat), 2017
このページのURLは http:///Users/nomurakazuo/Dropbox/socius.jp/lec/25.html
Copyright (C)1995-2015 by Kazuo Nomura(野村一夫) 無断転載はご遠慮ください。リンクはご自由に。
Valid XHTML 1.0!Document type: XHTML 1.0 Transitional
閲覧日 4/1(Sat), 2017

Read More

4月 12017

社会学感覚24社会学的患者論

Socius  ソキウス   著作+制作 野村一夫

フロントページ


現在地 ソキウス(トップ)>社会学感覚
社会学感覚
24 社会学的患者論
24-1 医学パラダイムの成果と限界
医学パラダイムの成果
これからますます重みをましてゆくと思われる社会問題のひとつとして医療問題がある。医療はおそらく今後十年間にもっとも変動の激しい社会領域となることが予想され、すでに市民共通の課題として立ちあらわれつつある。そこで本章では、医療社会学および社会医学の成果のうちから、おもに患者に関するものを紹介しつつ、現代の医療が直面する諸問題について社会学的に考えていきたい▼1。
さて、医療活動の中心的役割を担っているのは医師である。医師は近代医学を学んだ者である。近代医学は自然科学の一分野である。これらのことは自明なことのようにみえる。しかし歴史的にみるかぎり、近代医学が医療の中心になったのは、たかだか十九世紀のことにすぎない。そして現在、医療の中軸はふたたび歴史的転機を迎えようとしている。
近代医学は自然科学のパラダイムの上に成り立っている。パラダイム(paradigm)とは、科学者集団が大前提とする〈ものの見方〉を意味する科学社会学上の用語である。たとえば、天動説と地動説、ニュートン力学と相対性理論が代表的なパラダイムである。いわば公理的枠組、学界の常識のことである▼2。近代医学の場合、症候から病理過程にさかのぼって病因を確定するというぐあいに、因果連鎖をさかのぼっていくというのが主要なパラダイムといっていいだろう。こうして疾患名を確定することを「診断」といい、これにもとづいて病因をのぞき、病理過程を正常に修復することを「治療」という▼3。
多くの急性疾患は、近代医学のこのようなパラダイムによる研究と努力によって征服されてきた。たとえば、先進諸国においておもな急性伝染病は駆逐され、かつては死を意味した肺炎や結核なども格段に治療法がすすんだ。このように、その成果を否定することは当然できないし、その意義はいぜんとして大きい。しかし、現在、この医学パラダイムは内外からいくつかの問題に直面している。パラダイムの内部問題と外部問題として整理してみよう。
医学パラダイム内部の問題点
近年の医療批判に「患者不在の医療」「こまぎれ医療」がある。これらは、よくいわれるような「たまたま現代医療が堕落しているからこうなった」といった性質のものではない。いずれも近代医学パラダイム内部から必然的にでてくる問題である。
第一に、近代医学パラダイムは、まず病気と患者を分離して考える。そして病気[疾患]の方を徹底的に分析していくわけである。したがって、医師が科学的であろうとすればするほど、患者の〈人間〉の側面を捨象して〈疾患〉だけを細かくみていこうとする。検査データはなるべく多い方がいいという発想もここに由来するし、教科書的にあつかいやすい〈疾患〉だけをみることになりがちなのはむしろ当然といえる▼4。
第二に、医学パラダイムは他の多くの自然科学と同様、全体を部分に分解してこまかく分析することによって真理に到達すると考える。そして「部分の欠陥を的確に指摘し、巧みに修理すればたちどころに全体としての人間が元通りになるはずであるという信念」に支えられている▼5。その結果、臓器別に診療科が細分化され、部品修理的医療すなわち「こまぎれ医療」へ傾斜しがちになる。現在、東洋医学が人びとの共感をえているが、それは西洋医学のこうした傾向に対して東洋医学が総合性をもつからである。
医学パラダイム外部の問題点
他方、医学パラダイムの外部においても、すっかり状況が変わってしまった。それは疾病構造の変化である。園田恭一のまとめによると、それはつぎのようなことをあらわしている▼6。
第一に、近代医学の進歩によって多くの急性疾患を克服した結果、あとに慢性疾患が残ってしまった。慢性疾患とは、ガン・脳血管疾患・心疾患などのいわゆる成人病である。つまり〈急性疾患から慢性疾患へ〉と疾病構造が根本的に変化した。第二に、社会的要因による傷病が増大している。つまり、交通事故・労働災害・突然死のような不慮の死が一九六〇年代後半以降、死亡順位の第四位か第五位を占めるようになってしまった。第三に、受診者数をみるかぎり精神障害者が高血圧なみに急増している。第四に、高齢化にともなう老人性疾患の増加がある。
慢性疾患・事故・精神障害・老人性疾患へと疾病構造が変化したことによって、これまでの医学パラダイム中心の医療では対応がむずかしくなっている。
まず、慢性疾患の場合、それらは原則的に治らない病気である。だから、病気とうまくつきあいながら一病息災にもちこむ以外にない。そのさい重要なのは患者自身の自己管理である。このとき医療はアドバイザーにすぎない。慢性疾患の場合、ほとんどの患者は社会生活を続行するから、そのなかで生活指導をしていかなければならない。このように、慢性疾患の管理は急性疾患の治療とまったく異なるプロセスになってくる。となると、病因をみつけ病院で集中的に教科書通りの治療をすればかならずよくなるという急性疾患治療の前提はくずれさる。このように、もはや「病気」の概念が伝統的な医学パラダイムをこえてしまっているのだ▼7。
これは老人性疾患の場合もほぼ同様である。従来の医学では老人性疾患に対してしかるべき対応ができなかった。つまり、老人を隔離し寝たきり状態にして濃厚医療をほどこすしかなかったのである。これは急性疾患中心の医学パラダイムからすると当然の処置だったといえよう。しかし、大熊一夫のルポルタージュが示すように、それがいかに人間の尊厳を傷つけるものだったかは想像に絶する▼8。
また、事故による傷病の増加の背景にあるのは、あきらかに社会生活の問題である。これについては多言を要しないだろう。他方、精神疾患もまた社会生活の問題と密接に関連していることは強調しておいてよい。重要なのは、精神疾患の多くのものは他の病気のように身体の病理的変化を前提に「病気」を定義できないという問題である。社会学ではこれを逸脱的な「ラベル」あるいは「役割」と考える立場もあるほどだ▼9。
いずれにしても、自然科学としての医学パラダイムでは処理しきれない局面をこれらはもっている。それを一言でいえば〈プロセスとしての社会生活〉ということである。
慢性疾患・老人性疾患・精神疾患の場合、〈治療〉は社会生活のなかにある。それは〈治療〉というより、〈コントロール〉または〈生活復帰〉というべきプロセスである。それは一方では、原因となった労働条件や生活条件、食事・タバコ・アルコール・運動不足などの生活習慣、人間関係によるストレスなどを改善し、場合によってはリハビリテーションによって生活能力を高めていくプロセスであり、他方では、身体的ならびに精神的障害が社会的差別につながらないような社会環境をつくりあげていくプロセスでもある。つまり、急性疾患の場合のようにただ個人を治すのではなく、社会がそれにあわせて適応するような側面も要請されるということである。
このような〈プロセスとしての社会生活〉に対して、医学パラダイムが対処できないのは当然のことだ。医療と福祉の有機的連関や、医療への社会科学の導入をふくむ「医療の社会化」が求められるゆえんである▼10。
▼1 医療社会学のおもな概説書としてつぎのものがあり、本章でもこれらを参照した。H・E・フリーマン、S・レヴァイン、L・G・リーダー編、日野原重明・橋本正己・杉政孝監訳『医療社会学』(医歯薬出版一九七五年)。七〇年代初頭のアメリカ医療社会学の集大成的な大著。目下、日本語で読める医療社会学文献のうち、もっともくわしく知識量の多いものである。日本の医療を論じたものとしては、園田恭一・米林喜男編『保健医療の社会学――健康生活の社会的条件』(有斐閣選書一九八三年)。より社会学サイドのものとして、進藤雄三『医療の社会学』(世界思想社一九九〇年)。また、医学の側から社会学的視点を導入する「社会医学」系の文献も参照した。一般的なものとして、砂原茂一『医者と患者と病院と』(岩波新書一九八三年)。また中川米造の一連の著作も参照した。
▼2 パラダイム概念の提唱者はクーンである。トーマス・S・クーン、中山茂訳『科学革命の構造』(みすず書房一九七一年)。
▼3 中村隆一『病気と障害、そして健康――新しいモデルを求めて』(海鳴社一九八三年)二〇-三二ページ。
▼4 砂原茂一、前掲書五四ページ以下。
▼5 前掲書七三ページ。
▼6 園田恭一・米林喜男編、前掲書三-五ページ。
▼7 水野肇『インフォームド・コンセント――医療現場における説明と同意』(中公新書一九九〇年)第六章「慢性疾患の生活管理」参照。また、中村隆一、前掲書第五章「慢性疾患の諸問題」を参照のこと。
▼8 大熊一夫『ルポ老人病棟』(朝日新聞社一九八八年)。
▼9 トマス・J・シェフ、市川孝一・真田孝昭訳『狂気の烙印――精神病の社会学』(誠信書房一九七九年)。
▼10 本論では省略するが、医学パラダイムがその限界性を示すもうひとつの重要な問題は「死」である。脳死、臓器移植、ターミナル・ケア、尊厳死などの問題はもちろん医療の問題だが、もはや従来的な医学パラダイムの守備範囲をこえてしまっている。この側面については、文化人類学者の波平恵美子の著作が注目される。これは本来、社会学者がやってよい仕事である。波平恵美子『脳死・臓器移植・がん告知――死と医療の人類学』(福武文庫一九九〇年)。波平恵美子『病と死の文化――現代医療の人類学』(朝日選書一九九〇年)。また「死の社会学」の古典的研究として、有名な「死のポルノグラフィー」をふくんだ、ジェフリー・ゴーラーの『現代イギリスにおける死と悲嘆と哀悼』がある。これはつぎのタイトルで邦訳されている。G・ゴーラー、宇都宮輝夫訳『死と悲しみの社会学』(ヨルダン社一九八六年)。
24-2 病者役割と障害者役割
病気と障害の混同
医学パラダイムの限界として提示したことを別の局面からみると、病気と健康の対概念のあいだにもうひとつの大きなカテゴリーが広がっていると考えることができる。それは〈障害〉である。いわゆる病気でもなく健康でもない――あるいは病気でもあり健康でもある――〈障害〉の領域が今日決定的に大きな意義をもつようになっている。
これに対して、伝統的な医学パラダイムでは、病気と障害の区別、そして病者と障害者の位置づけがはっきりしていなかった。従来の慢性疾患や老人医療において処置が不適切な場合が多かったのはこのためである。またこれに呼応して一般の人びとも両者を混同している▼1。
そこで必要なのは、現代の疾病構造に対応して、病気と障害、病者と障害者の概念をはっきりさせていくことである。これまで医学・リハビリテーション医学・社会医学・看護学・社会福祉論・医療社会学などさまざまな分野の論者がこの概念の区分をしているが、おどろくことに、その多くは共通して伝統的な社会学の役割理論から出発している。ここでそれらの議論を整理してみよう。
病者役割
議論の出発点になるのは、パーソンズの「病者役割」(sick role)概念である▼2。かれによると、病者役割は四つの側面から構成される。まず第一に、病者は正規の社会的役割を免除される。その免除の度合いは病気の程度によって異なり、医師はそれらを判断し保証し合法化する役割を果たす。第二に、病者は自己のおかれた立場や条件について責任をもたない。つまり、病者はみずから好んで病気になったのでもないし、自分の意志でなおすわけにもいかない。その意味で病者は無力であるから、他人の援助を受ける権利がある。第三に、病者は早く回復しようと努力しなければならない。というのは、そもそも病気は本人にとっても社会にとっても望ましくないものだからである。そして第四に、病者は専門的援助を求め、医師に協力しなければならない。つまり、病者は自分で直すことはできないのだから医師の援助を求める義務があるというわけである。
以上のように「病者」は、一時的に社会的役割とそれにともなう社会的責任や社会的義務を免除された人間であるとされる。つまり、通常の社会的役割を遂行しえない逸脱者と定義される。
パーソンズのこの理念型はたしかに西欧文化にもとづいているが、ある程度は近代社会全般にいえることだと考えられる。それは、学校や企業などの公的な組織においてひとたび病者役割が認められると欠席に正当性があたえられることからもあきらかである。他方、こうした正当性を利用するさまざまな形態がある。たとえば授業をエスケープしたい生徒は学校の保健室というサンクチュアリー[聖域]を利用することができるし、兵役拒否に診断書が使われたり、政治的な意図で病院へ一時避難したりすることもしばしばおこなわれる。スターリン時代の旧ソ連では、生産目標が過大に設定されていたために農民出身の労働者たちは非常に苦しんだ。そこでかれらは積極的に病者役割を認めてもらって(つまり医者から病気と診断してもらって)過酷な労働の義務から免除してもらおうとした。つまり診断書が一種の免罪符の機能を果たした。そのため、政治指導部は医師のこうした診断数を制限したという▼3。
病者役割概念は一種の理念型であるが、人びとが現実に使用する常識的知識にその対応物が存在するのはある程度まではたしかなことだ。患者となった人びとの多くは、病者役割にふくまれた権利と義務を受け入れているし、医師や看護婦などの医療関係者の多くも、患者となった人びとにこのような役割を期待し、自分たちの役割もそれに対応して定義する。また病院の組織文化も、基本的に上記の病者役割を基準に編成されている。つまり、患者はまったく平等に、その主要な社会的役割から一時的に離脱した者として定義される。治療を求めて病院にやってきた人びとに対して、なによりもまず病院がすることは〈社会学的に羊の毛を刈る〉ことである▼4。
慢性疾患などの場合
パーソンズが定式化した病者役割概念の功績は、〈病人である〉ということが自然現象であるとともに、すぐれて社会現象でもあることを明確に示したことである。しかし、そこにはいくつかの問題があった。
そのひとつが前節でのべた慢性疾患・老人性疾患・精神疾患などの増加である。ここではそれらを慢性疾患に代表させて論じることにしたいが、慢性疾患は急性疾患とちがって苦痛のないことも多いし、症状も断続的なことが多い。また〈治療〉も社会生活のなかでおこなわれる。したがって、慢性疾患患者は病気を抱えながらも通常の社会的役割を果たしていくことが多い。こういう人びとを一律に役割から免除することは、それが一時的なものではないがゆえに、本人にとってかならずしも利益とならないばかりか一種の差別となる場合さえ考えられる。ところが伝統的な医療組織では、かれらに対してむりに病者役割を適用してきたきらいがある。その結果、患者の方はそうした病者役割の受け入れに抵抗して「不良患者」となってしまうケースも少なくない。これは老人性疾患や精神疾患にも大なり小なりいえることである。
では、どう考えればよいのだろうか。
障害者役割
慢性疾患患者の心身機能が障害されている場合は、ジェラルド・ゴードンが提唱した「障害者役割」(impaired role)にあてはめてとらえるべきだろう▼5。
ルース・ウーによると、障害者役割とは、第一に「その人の状態がもつ範囲内で、ある役割義務を引き受ける能力や責務のこと」である▼6。当然、障害のある人の行動のレパートリーは制限され、健康者役割[健常者役割]とはちがったものになる。しかし、病者役割のように行動を一時的に制限・免除されはしない。障害者役割にあるのは基本的に能力に対応した役割の修正である。第二に、障害者役割には、能力低下を補う道具的依存がふくまれる。この場合の依存とは、たとえば盲導犬であり補聴器であり車イスであり、あるいはまた血糖値を下げるための特別メニューであって、病者役割にふくまれるような心理的依存ではない。第三に、障害者役割には、自分の状態の共同管理者であることが期待される。医療専門家の生活指導によって自己管理することである。第四に、目下のところ障害者役割には自分自身のPR担当者であることもまた役割期待されている▼7。
中村隆一はリハビリテーション医学系の別の文献を用いて「障害者役割」を定義している▼8。
(1)自己の社会的不利に対して忍耐強く打ち勝つこと。
(2)能力低下に適応すること。
(3)障害されていない身体機能を用いて、能力低下の代償を行うこと。
(4)ある程度まで仕事を行い、社会的に活動性を高めること。
誤解しないでいただきたいが、これは理論の問題ではなく、社会のなかに常識として流通している知識の問題である。つまり、人びとが、慢性疾患にかかった人や老いによって老人性疾患にかかった人をどのようにみるか、どのような人物と定義するか、そして当人はどのように自己を定義して行動するか、これらの人びとのために社会がどのような配慮をするか――このような判断の基準となる〈常識的知識〉が問われているのである。
現代日本では、障害者という類型は、おもに人生初期に障害者になった人に対して適用され、老いや慢性疾患によって人生後期に障害者になった人に対してはあいまいな適用のされ方をしているのではなかろうか▼9。医療組織においても、多くの慢性疾患患者は病者役割と障害者役割の二重性のなかにある。どちらの役割をとるべきなのか、本人・医師・家族が迷っているのが現状である。伝統的な近代医療では、いまなお病者役割を中心に編成されているが、リハビリテーション医学ではすでに障害者役割が中心におかれているようだ。一方、企業組織はあいも変わらず健常者役割中心で、病者役割は一時的なこととして認知されているにしても、障害者役割は組織編成から徹底的に排除されている▼10。そういう意味で現代日本社会は過渡期であり変動期にあると考えられる。その目下の課題は、障害者役割を社会再構成の基本原理にすえることである。
障害の定義
そもそも〈障害〉とはなんだろう。WHO[世界保健機構]の定義をみることにしよう▼11。
障害は、器官レベル・個人レベル・社会レベルの三つのレベルにわけられる。
(1)機能障害(impairment)[障害の一次的レベル]――疾病から直接生じてくる生物学的なレベル。
(2)能力低下(disability)[二次的レベル]――通常当然おこなうことができると考えられる行為が制限されるか、できない状態。
(3)社会的不利(handicap)[三次的レベル]――疾患の結果、かつてもっていたか、当然保障されるべき基本的人権の行使が、制約または妨げられ、正当な社会的役割を果たせないこと。
このように三つのレベルを分析的に区別することによって、障害の本質がみえてくる。たとえば、片足を切断した人の場合、機能障害のレベルでは、ひざから下がないことである。能力低下のレベルは、そのままでは歩けないということだ。そして社会的不利のレベルは、一部の肉体労働やラッシュ時の通勤の困難を理由として会社勤務ができなくなるということに相当する。たいせつなことは、この三つのレベルが自動的に連鎖するとはかぎらないということだ。片足がなくても、車イスや松葉杖を使用して移動することは可能であるし、サッカーはできないにしても座って作業する労働や事務労働については支障はない。
要は、障害と社会環境の関係なのである。かつてヘレン・ケラーが的確に指摘したように「障害は不自由ではあるが不幸ではない。障害者を不幸にしているのは社会である。」つまり、機能障害が能力低下や社会的不利に連鎖するかどうかは、社会の価値観・文化のあり方しだいである▼12。
これまで障害者は「少数派」「例外」と考えられることが多かった。とりわけ産業界・企業組織ではそうだった。しかし、これまでのべてきたように、障害者役割として定義すべき人びとは、じつはけっして「少数派」でもなければ「例外」でもない。むしろそれは一般的なことといっていいだろう。すなわち、疾病構造からいえば、慢性疾患の増大であり、それをふくめて不慮の事故など社会的条件による疾病や障害の増大であり、高齢化による老年性障害の増大の事実としてあらわれている。とりわけ老いの問題は普遍的なものであり、現代社会がそれらを回避してきたことの方がむしろ特殊なのである▼13。
社会福祉の領域はもちろんのこと、医療の領域においても、障害の概念は今後ますます大きな意義をもってくると、わたしは考えている。
▼1 中村隆一、前掲書八-一二ページ。リハビリテーション医学の専門家である中村隆一によると、病気と障害は本来異なるものだが、しばしば混同されるという。たとえば、「脳卒中によって半身不随になった人は、脳血管をはじめとして脳におこった病気が治まった後にも、自分を半身不随の障害者とは考えずに、脳卒中である――いわば病者であると考えることも多い。また脳性麻痺のような障害児の両親も自分たちの子供は病気であると信じて、障害児であるという見方を受け入れない場合がある」という。前掲書九ページ。わたしのみるかぎり、リハビリテーション医学は従来的な医学パラダイムとは異なるパラダイムに立っているようだ。本章で準拠している砂原茂一と中村隆一はともにリハビリテーション医学者である。
▼2 パーソンズ、佐藤勉訳『社会体系論』(青木書店一九七四年)四三二-四三三ページ。なお訳書では「病人役割」と訳されている。
▼3 フリーマンほか編、前掲訳書一一六ページ。W・シュルフター、米沢和彦・嘉目克彦訳『現世支配の合理主義――マックス・ヴェーバー研究』(未来社一九八四年)「医療の正当化問題」三六五ページ。なお、これらの事例はいずれも病者役割の二次的利得(secondary gain)をねらったもので、「逸脱した病者役割行動」と位置づけられる。
▼4 ルース・ウー、岡堂哲雄監訳『病気と患者の行動』(医歯薬出版一九七五年)二〇二ぺージ以下。
▼5 ゴードンのオリジナル論文の翻訳はない。しかし、この概念のくわしい解説と展開については、ウーの前掲書第十章「障害者役割行動」が看護学の立場から論じている。ここでもそれを参照した。この本で提示されている考え方は医療社会学(あるいは看護社会学)でももっと採用されてよいものだと思う。
▼6 前掲書二二六ぺージ。
▼7 前掲書二二五-二二八ぺージ。
▼8 中村隆一、前掲書一九ページ。
▼9 ウーは、おそらくアメリカ社会についてであるが、つぎのようにのべている。「障害者役割行動の多様性やかなりの予測不可能性をまねくもっとも重要な因子は、障害のある人に対して一定の制度化された規範がないことである。病者や障害のない人の動作の基準があるのと同様には、障害者のための統一的で明確な規則はない。」ウー、前掲書二二八ぺージ。
▼10 20-1参照。
▼11 砂原茂一、前掲書一三-一四ページ。
▼12 たとえば、色盲の人は運転免許をとれないが、牧口一二によると、これは信号を色だけで区別させている現行の信号システムが悪いという。信号を丸だけではなく、赤信号は四角青信号は丸、黄色は三角にすれば、問題はかんたんに解決する。それだけの配慮と社会的負担を社会がひきうけるかどうか、問題はそっちにある。牧口一二「日常生活における障害者への差別語」生瀬克己編『障害者と差別語――健常者への問いかけ』(明石書房一九八六年)八九ページ。
▼13 大野智也『障害者は、いま』(岩波新書一九八八年)によると、日本の障害者概念はきわめて小さくとられているという。大野によると、日本の障害者の割合はスウェーデンの八分の一である。これは障害者が少ないのではなく、その概念がきわめて小さくとってあるためである。それは福祉予算圧縮の便法であり、社会福祉に対する考えがあらわれているといえる。一〇ページ以下参照。
24-3 新たな〈医者-患者〉関係
〈医者-患者〉関係のモデル
ここで話を医療現場に戻そう。従来、医療は、医療を受けている人を〈患者〉としてひとまとめにあつかってきたが、これまでの話からあきらかなように、〈患者=病者〉という素朴なとらえ方では現実をみあやまる危険性がでてきた。それにともなって、医療の原型である〈医者-患者〉関係もみなおされなければならない段階にきている。つまり、医療における人間関係を社会関係としてとらえかえすことが必要になってきた。
そのような試みのひとつが、T・S・サスとM・H・ホランダーの「医者-患者関係の三つのモデル」である▼1。
(1)能動-受動の関係(activity-passivity)[親-幼児モデル]
重傷・大出血・昏睡など緊急の場合、患者はなにもできない。理解も協力もできない。だから、医師が患者の「最善の利益」を考えて処置する。
(2)指導-協力の関係(guidance-cooperation)[親-年長児モデル]
患者がそれほど重態でない場合、たとえば多くの急性疾患の場合、患者は病気ではあるが、なにがおこっているかを自分でもよく知っており、医師の指示にしたがう能力も、ある程度の判断を下す能力ももっている。病気をなおすために積極的に医者に協力できる段階である。
(3)相互参加の関係(mutual participation)[成人-成人モデル]
糖尿病や高血圧などの慢性疾患に妥当するタイプ。この場合、患者自身が治療プログラムを実行するわけで、医師は相談にのることによって患者の自助活動を支援するだけである。
サスとホランダーは、それぞれの症状に応じて適切な〈医者-患者〉関係があると考えたようだが、砂原茂一のいうように、これからの医療の基本になるのは、両者がパートナー関係を築く「成人-成人モデル」だといっていいだろう。その理由はすでに説明した通りである。
組織医療と葛藤構造
以上の議論は理念型としては意味があるが、しかし、問題がないわけではない。第一の問題点は、〈医者-患者〉というダイアディックなモデル[二者関係モデル]が、組織医療あるいはチーム医療を中心とする医療組織の実状にあわないことだ。現在、医療組織には薬剤師・看護婦・理学療養士など約三十種の医療関係業種に携わる人びとがいる。医師は別格とはいえ、患者の側からみれば、さまざまな医療関係者のひとりにすぎない。その意味で、組織医療における〈医療者-患者〉の複合的な関係を問い直すことが今後必要だろう。とりわけ組織医療は医療責任の分散を招く傾向があり、一種の集合的無責任が生まれる可能性をもっている▼2。もはや一対一の関係として〈医者-患者〉関係を考えることは現実的でなくなりつつある。
第二の問題点は、どのモデルも医者と患者の役割が相互に補完しあい調和している場合を想定していることだ。しかし、社会関係に葛藤はつきものであり、とりわけ医者と患者のあいだに「期待の衝突」(フリードソン)があるのはむしろふつうのことである▼3。たとえ医療者側が治療共同体としてのまとまりをもっていたとしても、患者側はまったくの白紙状態で医療に関わっていくわけでなく、あらかじめ素人どうしで相談しあい、あらかたの予想を立てたうえで受療行動をおこすことが確認されている▼4。そのため、医療の現場は、医師をふくむ医療者のシステムと、患者をふくむ素人のシステムとの衝突の場となる。価値観の対立・関心のすれちがい・異文化間コミュニケーション――このような葛藤構造を考慮することもまた必要なのである▼5。
以上のように、じっさいの〈医療者-患者〉関係は、第一に複合的であり、第二に葛藤的である。このような関係のなかで、患者のあり方を見直してみる必要がありそうだ。最後にそれについて考えておこう。
▼1 サスはハンガリー生まれの精神医学者で、精神病の存在そのものを否定する反精神病学派の代表的人物。なお、これから紹介するオリジナル論文には邦訳がないので、くわしくはつぎの紹介を参照されたい。砂原茂一、前掲書四五-五〇ページ。米林喜男「医師-患者関係」園田恭一・米林喜男編、前掲書一六五-一八二ぺージ。フリーマンほか編、前掲書二七五-二七七ページ。
▼2 組織の「集合的無責任」については14-4参照。
▼3 前掲書二七八ぺージ。
▼4 これを「素人仲間での参照システム」(lay referral system)という。前掲書二七九ページ。
▼5 このような葛藤構造は具体的に「問診」にあらわれる。問診の現場を観察してみると、医師は積極的に患者の発言をうながしたり打ちきったりしてコミュニケーションを統制する。その結果、患者の〈声〉は抑圧されることが多い。この点については、栗岡幹英「問診分析と社会理論」『現代の社会病理V』(垣内出版一九九〇年)が批判的に紹介している。
24-4 患者の権利
基本構図
これまでの議論から基本構図を再確認することから話をはじめよう。
従来の医学パラダイム主導の医療において、患者は病者役割としてとらえられ、患者の「最善の利益」を知るとされる医師の判断によって治療がなされてきた。患者はあたかも親にしたがう子どものように医師にしたがうのが自明のことと考えられてきた。ところが、病気の主流が慢性疾患など社会性の強いものに移ってきたために、医学パラダイム主導の医療はさまざまな限界を示すようになった。それにともなって、医療者と患者の関係も変化しつつあり、今後は〈成人-成人モデル〉にならざるをえないと予想される。この変動のなかで浮上してきたのは、医療者の専門性と裁量権に対する、患者の自己決定権――要するに自分のことは自分で決めるということ――である。〈医師の専門家支配〉に対する〈患者の権利〉といってもよい▼1。
本来、自由な市民として、わたしたちは自分のことは自分で決定する。またその権利がある。医療もその例外ではないということに、わたしたちはながらく気がつかなかった。しかし、慢性疾患や老人性疾患などのように、病者役割よりも障害者役割の方があてはまる病気へと疾病構造のシフトが移動することにともなって、このような意識は過去のものとなる可能性がでてきた。つまり、慢性病患者あるいは障害者は、自分自身のライフスタイルを自分で選択し決定しなければならないのである。その意味で今後、患者の権利の問題はますます重要になるにちがいない。
患者の権利宣言
患者の権利を宣言した文書がでるようになったのは一九七〇年代になってからである。そのおもなものとして、つぎのようなものがある。
一九七一年「精神薄弱者の権利宣言」[国連]
一九七三年「患者の権利章典」[アメリカ病院協会]
一九七四年「病人憲章」[フランス]
一九七五年「障害者の権利宣言」[国連]
一九八一年「患者の権利に対するリスボン宣言」[世界医師会]
このうちアメリカ病院協会の「患者の権利章典」は、この分野の代表的なものであり、ひと通りの内容を備えている。これをみることにしよう▼2。
一、患者は、思いやりのある、[人格を]尊重したケアを受ける権利がある。
二、患者は、自分の診断・治療・予後について完全な新しい情報を自分に十分理解できる言葉で伝えられる権利がある。そのような情報を[直接]患者に与えることが医学的見地から適当でないと思われる場合は、その利益を代行する適当な人に伝えられねばならない。患者は、自分に対するケアを調整(コーディネート)する責任をもつ医者は誰であるか、その名前を知る権利がある。
三、患者は、何かの処置や治療をはじめる前に、知らされた上の同意(informed consent)を与えるのに必要な情報を医者から受け取る権利がある。緊急時を除いて、そのような知らされた上の同意のための情報は特定の処置や治療についてだけでなく、医学上重大なリスクや予想される障害がつづく期間にも及ばなくてはならない。ケアや治療について医学的に見て有力な代替の方策がある場合、あるいは患者が医学的に他にも方法があるなら教えてほしいといった場合は、そのような情報を受け取る権利を患者はもっている。
四、患者は、法律が許す範囲で治療を拒絶する権利があり、またその場合には医学的にどういう結果になるかを教えてもらう権利がある。
五、患者は、自分の医療のプログラムに関連して、プライバシーについてあらゆる配慮を求める権利がある。症例検討や専門医の意見を求めることや検査や治療は秘密を守って慎重に行われなくてはならぬ。ケアに直接かかわる医者以外は、患者の許可なしにその場に居合わせてはならない。
六、患者は、自分のケアに関係するすべての通信や記録が守秘されることを期待する権利がある。
七、患者は、病院がそれをすることが不可能でないかぎり、患者のサービス要求に正しく答えることを期待する権利がある。病院は症例の緊急度に応じて評価やサービスや他医への紹介などをしなくてはならない。転院が医学的に可能な場合でも、転院がなぜ必要かということと転院しない場合どういう代案があるかということについて完全な情報と説明とを受けた後でなければ、他施設への転送が行われてはならない。転院を頼まれた側の施設は、ひとまずそれを受け入れなくてはならない。
八、患者は、かかっている病院が自分のケアに関してどのような保健施設や教育機関と連絡がついているかに関する情報を受け取る権利をもっている。患者は、自分を治療している人たちの間にどのような専門職種としての[相互の]かかわり合いが存在するかについての情報をうる権利がある。
九、病院側がケアや治療に影響を与える人体実験を企てる意図がある場合は、患者はそれを通報される権利があるし、その種の研究プロジェクトヘの参加を拒否する権利をもっている。
一〇、患者は、ケアの合理的な連続性を期待する権利がある。患者は、予約時間は何時で医者は誰で診療がどこで行われるかを予め知る権利がある。患者は、退院後の継続的な健康ケアの必要性について、医者またはその代理者から知らされる仕組みを病院が備えていることを期待する権利をもつ。
一一、患者は、どこが医療費を支払うにしても請求書を点検し説明を受ける権利がある。
一二、患者は、自分の患者としての行動に適用される病院の規定・規則を知る権利がある。
以上が「患者の権利章典」である。つぎに一九八一年の「リスボン宣言」をみることにしよう。訳文は丹羽幸一による▼3。
一、患者は自分の医師を自由に選ぶ権利を有する。
二、患者は何ら外部からの干渉を受けずに自由に臨床的および倫理的判断を下す医師の治療看護を受ける権利を有する。
三、患者は十分な説明を受けた後に治療を受け入れるか、または拒否する権利を有する。
四、患者は自分の医師が患者に関するあらゆる医学的な詳細な事柄の機密的な性質を尊重することを期待する権利を有する。
五、患者は尊厳をもって死を迎える権利を有する。
六、患者は適当な宗教の聖職者の助けを含む精神的および道徳的慰めを受けるか、またはそれを断わる権利を有する。
インフォームド・コンセント
患者の権利をうたった宣言に共通する要素として、プライバシーの尊重の原則があるが、それとともに重要なのは「知る権利」である。とくに「知らされた上の同意」と訳された「インフォームド・コンセント」が重要な意義をもつ▼4。
インフォームド・コンセントはもともと、新薬の試験や人体実験など患者を医学的研究の対象とするときの原則として成立した概念だが、今日では患者中心の新しい医療の原則として注目されている。インフォームド・コンセントとは「ヘルス・ケアの提供者が単に患者の同意を求めるだけではなく、医療を行う側と患者との間で、医療の内容を明らかにした上で、十分な討議をするプロセスを通じて、十分な説明を受け理解した上で患者の同意を得るようにするということ」だ▼5。
「十分な」ということが重要で、あくまでも患者との自由なコミュニケーションを徹底させることに主眼がおかれているのがわかる。ジャーナリズム論で論じたこととまったく同じロジックである。ここでも、機能一点張りのシステム合理性に対して、理解と納得などのコミュニケーション独自の合理性がめざされている。今後の医療のすすむべき方向性はここにある。
▼1 専門家支配については22-2参照。
▼2 砂原茂一、前掲書一五〇-一五一ページによる。また、水野肇『インフォームド・コンセント――医療現場における説明と同意』三〇-三三ぺージにも全文が紹介されている。なお[]は砂原の補足。レイアウトの都合上、引用を示すカギは省略した。
▼3 丹羽幸一『よい病院わるい病院』(晶文社一九八六年)二〇二-二〇四ページ。レイアウトの都合上、引用を示すカギは省略。
▼4 「インフォームド・コンセント」は「説明と同意」とも訳される。一九九〇年に水野肇の前掲書が出版されることによって広く知られるようになり、一般にも「インフォームド・コンセント」で通じるようになった。
▼5 一九八三年の「アメリカ大統領委員会・生命倫理総括レポート」の定義。水野肇、前掲書五一ページ。
Prev←■→Next
現在地 ソキウス(トップ)>社会学感覚
SOCIUS.JPドメインへの初出 10/2(Thu), 2003  最終更新日:4/1(Sat), 2017
このページのURLは http:///Users/nomurakazuo/Dropbox/socius.jp/lec/24.html
Copyright (C)1995-2015 by Kazuo Nomura(野村一夫) 無断転載はご遠慮ください。リンクはご自由に。
Valid XHTML 1.0!Document type: XHTML 1.0 Transitional
閲覧日 4/1(Sat), 2017

Read More

4月 12017

社会学感覚23薬害問題の構造

Socius  ソキウス   著作+制作 野村一夫

フロントページ


現在地 ソキウス(トップ)>社会学感覚
社会学感覚
23 薬害問題の構造
23-1 日本の薬害問題
社会問題としての薬害
社会問題の社会学的例題として薬害問題をとりあげてみたい。その理由は三つある。ひとつは、薬害は、わたしたちにとって身近な問題となる可能性が高いこと。すくなくともその問題性をおさえている必要がある。ふたつめは薬害が社会問題としてのさまざまな特性と構造をすべてもっていること。その意味で薬害は社会問題の例題として学ぶべきことが非常に多い。そして第三に、薬害の社会学的問題構造をあきらかにしたすぐれた先駆的研究が存在すること。宝月誠編『薬害の社会学――薬と人間のアイロニー』がそれである▼1。本章では、この研究の開示する社会学的な問題性を、わたしなりに解きほぐして、現代日本になぜこのような社会問題が生じてきたのかを考えていきたい。まず、日本の代表的な薬害問題を概観しておこう。
サリドマイド事件
一九五七年西ドイツのグリュネンタール社が睡眠薬「コンテルガン」として販売を開始し、翌年日本でも大日本製薬が睡眠薬・つわりの防止薬「イソミン」として、さらに一九六〇年には胃腸薬「プロバンM」として販売した一連のサリドマイド剤によって、多くの四肢奇形児が生まれた事件。薬害の原点ともいわれ、日本人にとってほとんど最初の大型薬害経験といえる。一九八一年の段階で日本の生存被害者は三〇九人、世界で生存被害者総数は約三七〇〇人といわれる▼2。
当時各地で誕生していた四肢奇形児とサリドマイド剤の関係が明確に指摘されたのは一九六一年である。一一月一八日ハンブルク大学のW・レンツがデュッセルドルフの小児科学会で〈あざらし状奇形児〉の原因がサリドマイド剤にあると発表した。かれはその前に、西ドイツの販売メーカーであるグリュネンタール社に警告したが拒否されていた。
一一月二六日になって「ヴェルト・アム・ゾンターク」紙が、グリュネンタール社のサリドマイド剤「コンテルガン」を名指しして報道すると同時に、グリュネンタール社は「コンテルガン」を市場から回収し、ヨーロッパ各地のサリドマイド剤もつぎつぎに回収された▼3。
一二月五日になってグリュネンタール社の勧告が大日本製薬にとどき、翌日厚生省と大日本製薬がレンツ警告について協議した。ところが「有用な薬品を回収すれば社会不安をおこす」として販売続行を決めてしまう。
翌一九六二年二月二二日「タイム」誌がサリドマイド被害の記事を掲載するが、このようななかでその前日の二月二一日厚生省は亜細亜製薬のサリドマイド剤「パングル」に製造許可をあたえている。三月と四月になって製造販売をやめない大日本製薬に対してグリュネンタール社が警告を発している。五月一八日「朝日新聞」が、西ドイツのサリドマイド被害についてのボン支局の報告を報道したことによって、日本のジャーナリズムがいっせいに動きだしたため、「報道による混乱を防ぐため」として、サリドマイド剤を販売していた製薬各社がこの五月に出荷停止を厚生省に申し入れた。ところが、これはあくまで「出荷停止」にすぎず、すでに出荷された在庫品はそのまま薬局で売られていた。
やがてイギリスの医学誌「ランセット」七月二一日号に北海道大学の梶井正が、〈あざらし状奇形児〉七例の母親のうち五人がサリドマイド剤を飲んでいたとの論文を発表し、地元の研究会でも報告したことが報道され、九月一三日になってようやく回収にふみきることになる。しかし、この回収措置は不完全なもので、地方の薬局には「イソミン」の在庫があったという。
そして告訴から一九七四年の和解まで「十年裁判」と呼ばれる長い闘いが被害者と家族に待ち受けていた。
スモン事件
「スモン」とは「亜急性」「脊髄視神経」「神経症」の三つのラテン語の頭文字SMON(Subacute myelo-optico-neuropathy)に由来する▼4。下半身から始まる神経のマヒによって歩行困難となり、やがて視力障害にいたる。全盲になる場合も多かった。一九五五年以来出現したこのような原因不明の複合的症状にスモンという名がつけられたのは、患者数が爆発的増加に転じる直前の一九六四年だった。その後一九六〇年代のスモン患者は厚生省調べで約一万一千人にのぼった。
ところが当時、スモンの原因はウィルスと考えられていた。最初に「スモン感染説」がでてきたのは「スモン」と命名された一九六四年の日本内科学会シンポジウムだった。ここでウィルスによる伝染性疾患のため患者を隔離する必要があるとの指摘がなされた。スモンの原因については当時、代謝障害説やアレルギー説などもあったが、なかでも「スモン感染説」は医学界の有力な見解として地方自治体や一般市民に受け取られ、各地で患者への差別を生みだした。患者に接触すると感染するというので、スモン患者が医療者から敬遠されたり、患者の家族が学校・親戚・地域社会などから排除される――つきあってもらえないとか縁談とりやめなど――ことが多くなった。患者と家族の苦悩は二重三重となり、多くの自殺者が続出し、その報道が苦悩を増加させた。
一九六九年、厚生省は「スモン調査研究協議会」を設置し、ようやく国として原因究明にのりだす。一九七〇年二月「朝日新聞」などが京都大学の井上幸重の「ウィルス感染説」をとりあげ大々的に報道し、スモン患者に衝撃をあたえることになる。しかし、なぜ看病する患者の家族に感染しないのかという素朴な疑問はそのまま放置されつづけた。
同じ年の五月、スモン調査研究協議会のメンバーである東京大学の田村善蔵が患者の緑尿から、整腸剤として治療に使われてきたキノホルムを検出し、それを受けて新潟大学の椿忠雄が疫学調査を実施、その結果を八月「朝日新聞」に伝えた。こうして「スモン=キノホルム説」が登場した。この「キノホルム説」が完全に確立するのは一九七二年であるが、厚生省はサリドマイド事件の経験から、一九七〇年九月の疑惑段階でキノホルムの使用販売中止の措置をとった。その結果、スモン患者の発生は激減した。
ここから一九七九年に確認書和解によって一応の到達点をえるまでの長い道のりがはじまる▼5。ともあれ終わってみると、スモン事件は、キノホルムによるスモン中毒患者すなわち被害者が一万人をはるかに超える世界最大の薬害事件だった。
クロロキン事件
クロロキンはもともとマラリアの特効薬として太平洋戦争末期にアメリカ軍が使用していた薬だが、これを「レゾヒン」として輸入販売していた武田薬品工業の子会社吉富製薬が一九五八年に適応症を腎炎に拡大、さらに一九六一年小野薬品が慢性腎炎の特効薬「キドラ」として大量に宣伝販売することによって、同年からおもに腎臓病患者にクロロキン網膜症という眼障害をひきおこした大型薬害事件▼6。クロロキンを慢性腎炎に適用したのは日本だけであり、したがってクロロキン製剤による薬害事件が生じたのは日本だけである。
クロロキンが視覚障害の副作用をもつことは、日本で大量販売される以前にすでにアメリカでは知られていた。日本でも「キドラ」発売の翌年にクロロキン網膜症の報告がだされている。アメリカではこの年FDAがクロロキンの有害作用警告書を医療機関に配布するよう要求し、製薬会社は二四万通の警告書を発送している。しかし、同じ年の日本では新しいクロロキン製剤「CQC錠」が販売開始される。しかも副作用を逆手にとって広告していた。医学雑誌に掲載された広告には「非常に毒性が弱いので大量・長期投与に適す。従来のクロロキン製剤では相当高率に副作用(主として胃腸障害稀に神経障害、網膜障害)が現われるが、CQC錠では稀に軽度の一過性の胃腸障害を認めるに過ぎない」とある。
一九六五年、当時の厚生省薬務局製薬課課長の豊田勤治は、リューマチのためたまたま「レゾヒン」を飲んでいたが、クロロキン網膜症の情報をえて、自分だけ飲むのをやめた。これはたまたま裁判の過程で明らかになったことだが、もしこの段階で適切な措置をしていれば被害の八割は防げたという。
一九七一年になって、被害者のひとりが厚生大臣に直訴し、それを朝日新聞が報道したことによって、はじめてクロロキン薬害が社会問題として知られるようになり「クロロキン被害者の会」が結成される。そして、その後の世論の盛り上がりによって一九七四年クロロキンは製造中止になる。
その他の薬害問題
サリドマイド、スモン、クロロキンの三つの事件以外にも日本には多くの薬害が社会問題になってきた。有名な事件を四件だけ補足しておきたい▼7。
日本で薬害という概念が定着するのは、スモンのキノホルム説が確立して以降のことだが、じつはサリドマイド事件以前にも大きな薬害事件が起きている。一九五六年に問題化した「ペニシリン・ショック」がそれである。東京大学法学部長の尾高朝雄がペニシリンを注射された直後にショック死したことが問題化のきっかけとなった。しかし、その年までの四年間に、すでに一〇八人がショック死していたのである。
一九六五年二月には「アンプル入りかぜ薬」によるショック死が続出し、大きな社会問題になった。数年前からこのときまでの死亡者は計三八人。これはマスコミが連日大きく取り上げたため、厚生省はすぐに販売自粛通知をだし、その後回収を要請した。このすばやい厚生省の対応によって、製薬企業は何十億円の損害をだしたといわれる。この直後、厚生省側は製薬企業側に陳謝している。この事情が、当時まだ一般には知られていなかったクロロキン網膜症についての厚生省の対策を遅らせることになった。
一九六九年末には「コラルジル中毒」薬害が新潟大学の若手医師たちによって公表された。裁判上の被害者は少数だが、肝臓障害として現れるため実数ははっきりしない。一説によると総被害者は数万人以上ともいわれる。もし明確な対策と調査がおこなわれていたら超大型の薬害事件になったかもしれない。コラルジルは心臓病の薬として販売されていたが、その副作用は以前から知られており、製薬企業はこれを隠していた疑いがある。
最後に現在進行形の問題を。それはインフルエンザ予防接種による薬害である。インフルエンザ・ワクチンの学童予防接種が始まったのは一九六二年、そしてこれが義務接種に改正されたのが一九七六年である。これは日本独自の方法であり、効果が疑われる上に、死亡や障害などさまざまな副作用被害が続出している▼8。
▼1 宝月誠編『薬害の社会学――薬と人間のアイロニー』(世界思想社一九八六年)。本章の多くの論点はこの研究にもとづいている。きわめて高度な内容をもち、豊富なデータと手記に対する分析には共感するところが多い。工業化学・薬学・医療に携わる人には熟読をすすめたい。また、これとともに、薬学サイドからの研究として、高野哲夫『戦後薬害問題の研究』(文理閣一九八一年)を基本資料として参照した。高野は「社会薬学」を提唱しており、薬の社会的側面の研究を薬学にもちこむべきだと主張している。
▼2 事件の詳細についてはつぎのものを参照した。宮本真左彦『サリドマイド禍の人びと――重い歳月のなかから』(ちくまぶっくす一九八一年)。川名英之『ドキュメント日本の公害第三巻薬害・食品公害』(緑風出版一九八九年)第三章。高野哲夫、前掲書。砂原茂一『薬 その安全性』(岩波新書一九七六年)。
▼3 アメリカではサリドマイド剤は製造許可されなかった。これは食品薬品局FDAのフランシス・C・ケルシー担当官がサリドマイド剤の安全性に疑問をもちその販売に抵抗したためだった。その事情は一九六二年七月一五日に「ワシントン・ポスト」紙が内幕を発表してはじめて明らかになった。このことがきっかけになって、同年、薬の有効性を問い直すキーフォーバー・ハリス修正薬事法が成立した。まさに日本と正反対の経過をたどった、このあたりの事情については、M・シルバーマン、P・R・リー、平澤正夫訳『薬害と政治――薬の氾濫への処方箋』(紀伊國屋書店一九七八年)八一-八三ページ。
▼4 事件の詳細については、おもにつぎのものを参照した。高野哲夫、前掲書。川名英之、前掲書第一・二章。
▼5 スモン訴訟の社会学的分析として、栗岡幹英「薬害における逸脱と裁判」宝月誠編、前掲書所収。
▼6 事件の詳細については、つぎのものを参照した。高野哲夫、前掲書。川名英之、前掲書第四章。後藤孝典編『クスリの犯罪――隠されたクロロキン情報』(有斐閣選書一九八八年)。谷合規子『危ないインフルエンザ予防接種――薬害列島ニッポン』(潮出版社一九八六年)第二部「薬に目を奪われた人々――クロロキン薬害被害と裁判の記録」。
▼7 高野哲夫、前掲書。後藤孝典編、前掲書。谷合規子、前掲書。
▼8 その他の薬害事件については、高野哲夫、前掲書「1戦後薬害事件の歴史的研究」を参照してほしい。一九八○年までの事件が網羅されている。なおインフルエンザ予防接種については、高橋晄正『危険なインフルエンザ予防接種』(農文協一九八七年)がくわしい。ダイジェストなものとしては、高橋晄正『からだが危ない――身辺毒性学(新版〉』(三省堂一九九一年)IV章を見よ。
23-2 企業逸脱と専門家支配
製薬企業
薬害事件には二種類の大きな組織がからんでいる。製薬企業と国[厚生省]である。薬害訴訟の多くがこの二種類の組織をおもな被告としており、和解の場合をふくめて、両者に非のあるのはあきらかである。そこでまず、製薬企業と厚生省の組織としての問題を明確にしておこう。
まず製薬企業について。すでにみてきたように、大きな薬害事件においてつねに主役を演じているのは製薬企業である。それは事件発生のプロセスにおいてもそうであるだけでなく、長い裁判のプロセスにおいても、またその「過失」があきらかになったのちにおいても、そうである。たとえば、スモン訴訟において田辺製薬がとった悪質な対応ぶりは有名であるし、キノホルムの製造元であるスイスのチバガイギー社は、一万人以上の被害者をだしたのちの一九七〇年に日本が製造販売禁止に踏み切って以降も十数年にわたって第三世界の国々で販売しつづけた▼2。これらの事実は、製薬企業の組織上の性格がもつ問題の根の深さを示している。なぜこのようなことが生じるのだろうか。
企業逸脱
もちろん薬害事件の直接的な要因は製薬企業の利益追求至上主義にあることはいうまでもない。しかし、「より多くの利益を」という構造原理そのものは資本主義の枠組からいうと特殊なことではない。問題なのはその利益のあげ方である。多くの場合、薬害事件は、企業が安全性の軽視という〈逸脱〉した活動によって利益をあげようとしたことに端を発している。このように〈逸脱〉は街頭犯罪のように個人にのみ生じるのではなく、しばしば企業のような組織や集団にも生じる。そして現代日本社会を考えるとき、企業組織の逸脱行為はもっとも重要なファクターのひとつなのである。
宝月誠は薬害を「企業逸脱」の観点から考察している▼3。かれによると「企業逸脱」(corporate deviance)は、つぎのように定義される。要素ごとに分けて示そう。
(1)合法的な企業の成員が
(2)かれらの職務を通じて
(3)企業のためにおこなう活動のなかで
(4)他者から社会的非難をまねく行為▼4
従来の社会学では、サザーランドの一九四九年の著作以来、「企業逸脱」のことを「ホワイト・カラーの犯罪」(white collar crime)と呼んできた▼5。厳密には概念上の相違があるが、ほぼこの流れにある概念である。
企業逸脱の仮説
宝月誠によると、つぎのような場合に企業は逸脱に関与しやすいという。製薬企業の場合に即して整理してみよう▼6。
(1)企業経営者や担当者が環境への対処の必要から、組織能力や現実を無視した企業戦略をあせって実行しようとするときに、企業逸脱の可能性は高まる。――薬害企業の場合、もともと新薬開発に数十億円と十数年を要するリスクの高い技術環境にあり、薬価基準改定など企業環境はきびしい。その環境に対して経営者や担当者に「あせり」が生じ、強引に課題を実行するとき、逸脱行為が生まれやすくなる。
(2)企業組織内の自己規制力が低下してくると、無理な企業戦略が抑制されず、集合的無責任が強化されて、企業逸脱の可能性も増す。――たとえば新薬開発のさい現場担当者の意見が社内の意思決定に反映されるかどうかがポイントとなる。圧殺・形式化・慣行による処理などによって強引な課題実行に対する組織内のチェック[規制力]が働かないときに逸脱が生じやすい。
(3)企業が行政機関の監視や指導や審査能力、あるいは消費者や世論の反作用といった統制環境の能力を低く評価したり、不当とみなす度合が高いほど、企業逸脱に関与する可能性も高まる。――大規模な薬害事件の生じたころの製薬企業は薬事行政や報道などの外部の環境を甘くみていたが、現在はむしろ過敏になっている。しかも、それらを不当とみなす傾向が強いため、戦略的に対処することが多く、みずからをきびしく律する用意は乏しい。
(4)現在の企業環境に満足できない経営者は業務上必要な相手と共謀関係を形成して自分に好都合な環境をつくろうとするが、そのさい、しばしば逸脱的な手段が用いられる。――共謀関係の相手は、たとえば医師であり病院である。逸脱的なサービスによるプロパーと医療関係者の共謀関係は患者の利益を二次的なものにしやすい。また大学の研究者・薬事審議会の委員・厚生省の職員とのパイプを太くしておくことは確実に利益を生む。製薬業界は建設業と並んで使途不明金が多いという事実はこの点と関係がある。
宝月誠によると、薬害に直接結びつく安全性の軽視・無視は、単独で生じるのではなく、他のさまざまな企業逸脱と密接に関わっているという。たとえば「昇進や賃金差別、配置転換の威嚇といった社員への暗黙の圧力は、彼らに実験データを捏造してまでも企業の要請にこたえようとする傾向を生む可能性がある。また、製薬企業のプロパーと医師との不明瞭な金銭やサービスを媒介にした結びつきは、クスリについての正確な情報を伝達したり、副作用情報についての迅速、的確なフィードバックを行なうといった本来のプロパーの役割から逸脱して、もっぱら自社のクスリを大量に『消費』してもらうことだけに集中し、クスリの安全性の問題は二次的なものになる危険性がある。」さらに衛生試験所技官や薬事審議会の有力委員への贈賄やサービスは直接クスリの安全性をおびやかす▼7。
このように分析していくと、日本の製薬企業がふたたび大きな薬害事件を引き起こす可能性は否定できない。その意味では、統制環境が大きなポイントになってくる。
厚生省の問題
企業に対するチェック機能を果たす統制環境としてもっとも有力な存在はいうまでもなく監督省庁である。薬の場合は厚生省薬務局である。この厚生省を中心とする薬事行政のありかたについては、いろいろと問題が多い。すでに紹介した大型薬害事件において厚生省はその本来の役割を果たしていない。また、数々の教訓をえたのちにおいても、厚生省付属の国立衛生試験所・国立予防衛生研究所の所員の収賄事件など管理者側の不正事件が多発していることから、構造はあまり変わっていないとみていいだろう▼8。
まず第一に、製薬企業との癒着構造。これは偶発的なものではなく恒常的かつ日常的なもので「構造」というべきだろう。その典型的なものが「天下り」のシステムである。各省庁ではキャリア組の同期から事務次官がひとりでると他の同期生は勇退する慣習になっていて、かれら高級官僚は再就職の必要に迫られる。「天下り」とは、そのさい関連企業や政府関係の特殊法人[公社・公団・事業団]に各省庁とのパイプ役として就職することである。国家公務員法では離職後二年間は禁止されているが、じっさいには柔軟に運用されており、毎年二百人以上の高級官僚が、在職官庁と関係の深い民間企業に就職し、多くの人が役員として厚遇されている。新薬の審査や安全性の確保を職務とする厚生省薬務局製薬課の課長・課長補佐も代々天下りしている。たとえば、大日本製薬がサリドマイド剤「イソミン」を申請した当時の水野課長は山之内製薬に、次の喜谷課長は中外製薬に、サリドマイド事件でレンツ報告を無視して国内での販売を続行させた平瀬課長は藤沢薬品に、クロロキンが問題になるまえに自分だけ薬をやめた豊田課長は東京医薬品工業協会の常務理事に、それぞれ天下りしている。現在も大手製薬メーカーでは課長補佐クラスを天下りさせて取締役の厚生省担当部長のポストにつけているという▼9。
天下りのシステムがあるかぎり業界との癒着はなくならない。なぜなら、まず第一に、厚生省の現役官僚が、製薬企業や製薬企業団体の役員の肩書きをもつかつての先輩たちと交渉するさいに、厳格な態度で臨むのはむずかしいからであり、第二に、厚生省の官僚が再就職の可能性を考えるかぎり、そうしたOBのいる製薬業界を考慮せざるをえないからである。だれしも自分の近い将来の可能性を狭めたくはないものである。ここでもフォーマルな組織ではなくインフォーマル・グループが現実を動かしているのである。
第二にあげておきたいのは、厚生大臣の諮問機関である中央薬事審議会のあり方である。薬は国が管理するといっても、じっさいには専門家の権威によって統制するわけであり、中央薬事審議会はその中枢にあたる。新薬はここで審査され認可される。ところが、そのもっとも厳正中立でなければならないところで、常識では考えられないことが慣習化されてきた。いわゆる「一人二役問題」である。これは、新薬の研究開発の中心者が中央薬事審査会の委員としてその薬を認可するという事態をさしている。つまり、審査される側と審査する側に同一人物がいるわけである。この問題は一九八一年国会で「丸山ワクチン」問題に関連してはじめて表面化した。そのさい「丸山ワクチン」つぶしで動いたといわれる人物が、先行する免疫療法剤「クレスチン」の研究開発者であり、かつそれを審査する中央薬事審議会委員だったことが判明している▼11。さすがにこれは、国会で問題となった一九八一年に禁止された。このように中央薬事審議会は、たてまえ上公正な第三者機関ということになっているが、第三者性に問題があるといわざるをえない。
専門家支配
これまで製薬企業と厚生省のふたつの組織をみてきたが、このほかにも大学研究者や病院の医師などが薬害の発生に直接関与している。とくに医師は、たとえばスモン訴訟の場合のように、当初は被告とされていたが、のちに投薬証明の必要から法的責任を免責されることが多かった。しかし、直接患者を診る立場にあった医師たちに社会的責任がないとはいえないだろう。
さて、薬害に関与した・関与しうるこれらの人びとはすべて薬の専門家であり、多くの権限が制度的にあたえられているわけである。薬に関するいっさいのこと――そして医療全体――がこれら専門家によってのみ決定されてきた。このような事態を「専門家支配」(professional dominance)と呼ぶ▼12。
医療社会学者でこの概念の提唱者であるエリオット・フリードソンによると、医師のような専門家(専門職)を他の一般の職業と区別する特徴は「自律性」(autonomy)にある▼13。これは、外部に対しては、専門教育とライセンスによって特定領域の独占的な権利をもち、他からとやかくいわれないで自由に活動できることであり、同時に内部に対しては、公共の利益のために倫理的な自己規制をおこなう責任と能力をあわせもっていることである。医師の場合でいうと、患者はもちろん看護婦など他の医療従事者の判断を考慮することなく、独自の裁量で医療行為をおこなうことができる強力な権限をもっており、独自の職業倫理にもとづいて自分たちのことを自分たちでチェックできるということである。ある職業がこのような「自律性」を獲得した状態が「専門家支配」である。
薬害に関係する人びとのうち、製薬企業・大学・国立研究所の研究者たちの世界と、直接患者に薬を処方した医師たちの世界は、ともに「自律性」を保証されてきた「専門家支配」の確立した世界である。平たくいうと、シロウトが口をだせない不可侵領域だった。一般の人びとはだまってかれらのさしだす薬を飲むしかなかった。しかし、多くの薬害事件や新薬開発をめぐるさまざまな不祥事・不法行為は、これらの専門家たちに自己規制能力が欠落している――そこまでいわないまでも不十分だったとはいえよう――ことを物語っている。自己監視ができなければ外部の第三者によるチェックが必要であろう。なんらかの「オンブズマン」(ombudsman)制度が期待されるゆえんである▼14。
▼1 現代組織論の文脈でもこの問題についてふれておいた。14-4参照。
▼2 スモン訴訟の概要については、川名英之、前掲書、第二章。スモン以降のチバガイギー社の行動および第三世界における薬の販売使用の実態については、ダイアナ・メルローズ、上田昌文・川村暁雄・宮内泰介訳『薬に病む第三世界』(勁草書房一九八七年)。
▼3 宝月誠「製薬企業の世界――企業逸脱としての薬害の発生」宝月誠編、前掲書所収。
▼4 前掲書一〇四ページ。
▼5 サザランド、平野竜一・井口浩二訳『ホワイト・カラーの犯罪』(岩波書店一九五五年)。
▼6 宝月誠、前掲論文。
▼7 宝月誠、前掲書、一〇七ページ。
▼8 高杉晋吾『告発ルポ黒いカプセル――死を招く薬の犯罪』(合同出版一九八四年)第一章「疑惑のプロローグ」。
▼9 後藤孝典編、前掲書ならびに水巻中正『崩壊する薬天国――揺らぐ日本の医療を追う』(風涛社一九八三年)二九ページ。
▼10 14-2参照。
▼11 高杉晋吾、前掲書一三七ぺージ以下、一九三ぺージ以下、二五三ぺージ以下。なお、丸山ワクチン問題の全容については、井口民樹『増補版・再考丸山ワクチン』(連合出版一九九二年)がくわしい。ちなみに「クレスチン」は年間売上げ五百億円の抗ガン剤だが、一九八九年厚生省は「単独ではガンに効かない」ことを公式に認めた。
▼12 「専門職支配」と訳す場合もある。
▼13 「専門家支配」については、つぎのふたつの文献を参照した。黒田浩一郎「医療社会学序説(2)――プロフェッショナル・ドミナンス(専門家支配)をめぐって」中川米造編『病いの視座――メディカル・ヒューマニティーズに向けて』(メディカ出版一九八九年)所収。進藤雄三『医療の社会学』(世界思想社一九九〇年)III第四章「医療専門職:医師」。
▼14 「オンブズマン」とは、苦情処理を委任された公的第三者のこと。
23-3 社会的現実構成過程としての薬害認定
スモン被害者の役割変遷
これまで主な薬害事件とその原因となった組織と役割のあり方をみてきた。じつはこれらはすべて〈事後的にみて〉のことであって、はじめから一連の事象が「薬害」「事件」として存在していたわけではない。いずれも被害者自身によるねばりづよい運動――とくに裁判闘争――によって、ようやく「薬害事件」と認定されたものである。被害者による有効な社会運動なしには「薬害事件」は社会的に存在しなかったといっても過言ではない。この事実は社会学的見地からみてもきわめて重要である。この点について、おもに宝月誠編『薬害の社会学』を参考にして考えてみよう。
栗岡幹英はこの研究のなかで、スモン薬害被害者の手記を分析して、キノホルム中毒者がさまざまな役割をへて薬害告発者へ自己形成する過程を共感的に追っている▼1。それによると、多くのキノホルム中毒者はおおむねつぎのような役割を変遷しているという。「すなわち、『健常な社会人』であった主体が、スモンに罹患することによって『スモン患者』の役割を強いられ、やがてキノホルム原因説が社会的に認められて後は『キノホルム被害者』としてふるまい、さらに裁判所への提訴その他の運動に参加することで、『薬害告発者』として自己形成を遂げるのである▼2。」この役割変遷の過程を栗岡論文によってもう少しくわしくみていくことにしよう。
まず、身体の不調があった。身体へと意識が収れんすることによって、それまでの健康な「社会人」という役割が「私秘的生活者」の役割にすりかわっていく。やがてスモン特有の激痛と身体の機能障害(下肢マヒと視力低下)の進行によって「スモン患者」の役割を受け入れざるをえなくなる。他の一般の患者役割と同じように「スモン患者」の役割も一時的なものと考えられ、他者への依存を受け入れるようになる。ところが、それが一時的なものでなく不治の病いであることがわかり、視力などの障害が一線をこえてしまった段階で、このような意味世界は崩壊する。一方ではウィルス説が報道されることによって、かれらは「感染症患者」の役割を押しつけられる。同時に、本人とその家族はともに社会からさまざまな迫害を受けることになる。それは、他人に奇病をうつしてしまう存在として「加害者」役割を家族ともども背負わされたことによるのであるが、その結果として、かれらの多くはウィルス説の受け入れに拒否的にならざるをえなかった。それに対して、しばらくのちにでた「キノホルム説」は、かれらの体験によく合致するとともに「加害者」役割からの解放を意味したため、積極的に受け入れられることになる。こうしてかれらは「キノホルム被害者」の役割を選択的にとることになる。こうなると、かれらは被害者として加害者の存在を意識するようになる。まず医者が想定されるが、やがてその背後の製薬企業とそれを監督する立場にある国[厚生省]そして薬事制度全般へと遡及する。そこで、かれらは一方で「キノホルム被害者」という自己定義を正当なものとして他者の承認をえようと能動的=主体的に運動するとともに、他方で裁判の原告の役割をとることを通じて普遍的な性格をもつ「薬害告発者」へと自己形成していく。このさい目標となったのは、自分たち被害者への補償だけではなく、薬害そのものの根絶である。このことが、「確認書和解」という特殊だが明確な終結を勝ちとる大きな原動力となった▼3。
キノホルム中毒者がその不幸な偶然を最初のきっかけにして、いわば〈人間としての全体性〉を能動的=主体的に生きることによって、潜在化していた一連の事象が「薬害事件」という明確な輪郭をもつ社会的現実として構成されたわけである。
薬害の認定
薬害事件が社会的存在として認定されていく過程には、つぎのような主体が積極的に関係している。
まず第一に、被害者による主体的な社会運動▼4。この場合の「被害者」には家族もふくまれている。おもに裁判を中心とする一連の社会運動なくして、薬事二法成立にいたる改革はありえなかった。ミクロな私的状況とマクロな社会構造を連接する〈社会学的想像力〉をここにみることができる。しかし、その源泉は社会学ではとうていなく、一九六〇年代に水俣などで培われてきた反公害運動のエートスがその源泉となったと思われる▼5。
第二に、ジャーナリズムの媒介。当然、ジャーナリズムなしに世論形成はありえない。薬害問題も例外ではない。しかし、報道する側の意図、報道される側[運動主体]の意図通りに受け取られるとはかぎらない。オーディエンスが別の受け取り方をする場合も多い。スモンの場合、ウィルス感染説の報道が、結果的に被害者の苦悩を増大させた。受け手の保守性・メディアの保守性を考えると、偏見を助長し混乱を招く場合も多い。しかしそれでも、ジャーナリズムが作動しないかぎり、個々の薬害が社会問題として認知されることはありえなかった。その意味で、ジャーナリズムは両義的に関与するといえる。
第三に、判定者としての科学者。田中滋によると、多くの薬害は病気として処理されてしまうという。薬害であることが容易に判断でき、死という重大な結果を伴うものはかえって隠ぺいされやすい。逆に薬害として認定されやすいものは、比較的ゆるやかな速度で死亡などの結果をおこし、なおかつ、症状に特異性があるものである。なぜかというと、ゆるやかであるために因果関係を確定するのがむずかしいこと、そして特異性が医学的関心を呼び、医学会の症例報告がさかんになり、その結果マスコミ報道がなされるからである。サリドマイドもスモンもクロロキンもそうだった▼6。ひとたび問題が明らかになって以降、医学・薬学分野の科学者は判定者として関わっていく。たとえばスモン訴訟では原告被害者側の学者証人として四一人(のべ七一人)の科学者が証言した。他方、被告側にも薬学界の何人かの重鎮も証言している▼7。
第四に、オーディエンスとしての他者。当事者に対して傍観者の役割にある人びとの存在も重要だ。かれらは一貫して傍観者にとどまろうとし、無知・偏見・差別の具体化を担う一方、匿名の世論として問題の社会的認定に関わってくる。また、かれらに対する反作用として被害者が主体的に役割形成を促進せざるをえなかった事情も無視できない。この点では、加害者側の態度についても同様に作用する。多くの場合、製薬会社が被害者救済よりも信頼イメージの維持を優先させるのは、圧倒的多数のオーディエンスの存在を考慮してのことである。つまり、オーディエンスとしての他者は社会的圧力として両義的に問題認定に関わっているわけである▼8。
社会的世界では、物理的世界とちがって、存在そのものが客観的であるとはいえず、共同主観的に構成される。みんなが「ない」といえば、それは〈ない〉にひとしいということだ。したがって、ある問題が〈社会問題〉として存在するためには、以上のようなさまざまな主体によって集合的に定義される過程がどうしても必要なのである。
▼1 栗岡幹英「薬害被害者の意味世界の諸相」宝月誠編、前掲書所収。
▼2 前掲書六〇ページ。
▼3 以上、前掲論文を要約。
▼4 裁判の過程の分析として、栗岡幹英「薬害における逸脱と裁判」宝月誠編、前掲書。
▼5 当然このようなエートスがえられない場合も数多く存在するはずだ。しかし、その場合、ジャーナリストなどの第三者による告発がなければ知られることはない。そのような例として、鎌田慧『ドキュメント隠された公害――イタイイタイ病を追って』(ちくま文庫一九九一年)。対馬における東邦亜鉛の鉱毒事件をあつかっている。
▼6 田中滋「『薬害』の総体的認識に向けて――薬害の顕在化過程の分析」宝月誠編『薬害の社会学』二三五ページ以下。
▼7 高野哲夫、前掲書二四三-二四六ページ。
▼8 したがって非当事者が「知る」こと自体が、重要な抑止力になる。
23-4 知識としての薬
消費社会における薬
M・シルバーマンとP・R・リーは、アメリカ社会における薬の非合理的な使われ方の原因として、以下の五点をあげている▼1。
(1)医者と患者の双方にみられる懐疑心の不足あるいは手ばなしの素直さ。
(2)多くは非客観的で不完全、あるいは誤解を招くような広告その他の薬の宣伝の氾濫。
(3)すぐに役だちしかも客観的な薬の情報の不足。
(4)「有効ではないかも知れないが、害にはなるまい」という例の誤った前提にもとづく、薬の広範な使用。
(5)おなじく一般にひろまっている「病気に薬はつきもの」という信仰。
おそらく薬害大国日本も同様の事情にあると思われる。薬が消費社会におかれ、大量に消費されるとき、その危険性もまた増大する。なんらかの将来戦略が必要だろう。最後に、その方向性をさぐってみよう。
薬の本質
伝統的な生薬と異なり、現代の薬の多くは化学合成物質である。したがって、薬にはまず〈物質性〉がある。そして、その物質は人の身体に投与されて一定の効果をえるための物質である。つまり、これは人間と生理的に関わる物質である。だから薬は〈物質性〉とともに〈生理性〉をもつ。ところが、薬はこれにとどまらない。薬は製薬企業によって大量に生産かつ広告され、医療現場や家庭で大量に消費される。それは国家によって管理され、専門家によって統制される。このプロセスはまぎれもなく社会的なものである。その意味で、薬は〈社会性〉をもあわせもつ▼2。
考えてみれば、薬害は薬の〈物質性〉の問題ではなかった。製造過程で不純物質がまぎれこんだわけではない。薬害は、〈生理性〉を構成する薬理作用・副作用・有害作用の定義の問題に起因しており、それが現場の医療関係者もふくめた一般の人びとに公開されることなく、ごく一部の人びとの利害によって決定されたという〈社会性〉レベルの問題だった。
その要になっているのは〈知識〉である。そもそも薬の本質は、「ある物質を一定の使い方をするとこのような効果がえられる」という知識にある。これがなければ、どんな薬もタダの粉でありタダの水である。したがって、薬の問題は、すなわち薬に関する知識の問題――より正確にいうと「知識の社会的配分」の問題――なのである。
たとえば、クロロキンをマラリアの薬として使う分にはよかったかもしれないが、リウマチ関節炎や腎炎にも有効だとされたために日本ではクロロキン網膜症が大量に発生することになった。適応症・副作用・服用量・服用期間に関する正確な知識が隠ぺいされたか十分研究されないまま、誤った知識が一般に流通してしまった――あるいは意図的に流通させた――ことが薬害の直接的な原因である。
情報公開
知識はつねに〈社会的に〉構成される。薬の〈知識〉も例外ではない。
現代社会において薬についての知識は、製薬会社や厚生省などに関係する一部の専門家によって管理かつ独占されている。すでに説明した〈専門家支配〉は、おもに知識の独占管理にもとづいている。しかし、専門家は、見方を変えれば、利害関係者である。したがって、専門家支配は一見妥当なことのように思えるけれども、現実には利害の介入を招きやすい。そのようななかでは、重要な知識が操作され、また独占される可能性がきわめて高い。したがって、薬害を根絶するためには、なによりも薬に関するあらゆる知識の公開が必要である。
たとえば新薬の場合だと、許可申請データから厚生省の審査過程そして副作用情報などの第一次情報がすべて公開されていることが必要である。そして、じっさいに使用する医師や服用する患者にも、必要とあればいくらでも薬に関するくわしい知識がえられるようなコミュニケーション制度が整備されるべきだろう。かれらには「知る権利」があり、それが行使されることが、薬の知識の独占や操作に対する強力な抑止力になる。
同時に、そのような知識の問題性をいち早く察知し分析する本格的な科学ジャーナリズム・医療ジャーナリズムが必要である。これまでジャーナリズムはシロウトであることを自己正当化してきたきらいがあるが、これでは薬に関する問題にはとても対処できない。より本格的な科学ジャーナリズムの発展を望みたい。
▼1 シルバーマン、リー、前掲訳書二五九ページ。
▼2 高野哲夫、前掲書一ぺージ。
増補
薬害エイズ事件の社会問題化
本書初版発行当時は日本社会が「薬害」ということばを忘れていたころで、現代用語事典にも「薬害」という項目はなかった。もちろん社会学のテキストに薬害の章を設定するというのも異例のことだったと思う。しかし、まさにこの時期に薬害エイズ事件は法廷において裁かれつつあったのである。
初版執筆当時、薬害エイズについての情報は限られていた。系統的なものとしては、毎日新聞の一連の薬害エイズ報道がほとんど唯一のもので、そのため本書では「薬害」の章ではなく「スティグマ論」の中(四三六ページ)で患者差別問題としてだけ取り扱っておいた。当時は原因について自信がなかったからである。
その後、朝の番組などでいちはやく薬害エイズをとりあげていたNHKのディレクターが書いた、池田恵理子『エイズと生きる時代』(岩波新書一九九三年)と、写真家の広河隆一『日本のエイズ―――薬害の犠牲者たち』(徳間書房一九九三年)によって全貌が明らかになってきた。広河隆一の本はその後『薬害エイズの真相』(徳間文庫一九九六年)に文庫化されている。広河には、七三一部隊と日本の医学薬学界の密接な関連について詳しく調べた『エイズからの告発』(徳間書房一九九二年)もある。
一九八八年二月から四カ月間続いた毎日新聞のエイズキャンペーン報道の記録は、毎日新聞社会部『薬害エイズ 奪われた未来』(毎日新聞社一九九六年)にまとめられている。これは、それまでのセンセーショナルな報道とは異なる画期的な調査報道で、今日頻繁に引用されている一九八三年当時についての関係者の発言の多くはここでなされたものである。今から振り返ると、HIV感染の薬害性はじつはこの段階でほぼ明確になっていたといえる[さらに先駆的なものとしては、ルポライターの池田房雄の本がある。池田房雄『白い血液――エイズ上陸と日本の血液産業』(潮出版社一九八五年)]。
以上をコンパクトに整理したパンフレットとして、広河隆一『薬害エイズ』(岩波ブックレット一九九五年)。また、櫻井よしこ『エイズ犯罪―――血友病患者の悲劇』(中央公論社一九九四年)は、事件の関係者の取材がていねいで評判を呼んだ本。HIV訴訟について詳しく述べられている。片平洌彦『構造薬害』(人間選書・農山漁村文化協会一九九四年)は、医学者の立場から薬害の構造を分析したもの。おもにスモン事件と薬害エイズ問題が分析されている。資料性も高い。
薬害エイズとは何か
いわゆる「薬害エイズ」とは、輸入非加熱血液製剤による血友病患者の大規模なHIV感染のことである。輸入非加熱血液製剤とは、主にアメリカから輸入されていた血液製剤で、血友病の治療に使われていた。それ以前のクリオ製剤に対して濃縮製剤とも呼ばれる。非加熱とは文字どおり「加熱処理していない」ということで、そのためにHIVの感染が生じた。血液製剤とは血液から特定の成分を抜き出して白い粉にしたもので、これを蒸留水で溶かして点滴する。血友病とは血液に凝固成分が不足している遺伝病で、男性にしか現れない。日本の患者数は五千人。性感染ルートばかりが強調されてきたエイズだが、日本のエイズは輸入非加熱血液製剤による薬害として始まった。一九八八年二月の段階で日本のHIV感染者の九三パーセントがこの血液製剤被害者だった。当時アメリカではHIV感染者全体の一パーセントほどだったというから、ここに顕著な日本的特徴を見ることができる。
薬害エイズ事件の経過
上記の資料をもとに事件の経過を整理してみよう。和解までの薬害エイズ事件のプロセスは、ほぼ五つの段階に整理することができる。
(1)前史―――血友病治療の歴史
この事件はエイズが登場する前から始まっているといっていい。大量感染の節目に当たる一九八三年当時に専門医たちがなぜあのような行動をとったのかについてのカギはじつはここにある。一九七〇年までの治療はもっぱら輸血によっていたが、クリオ製剤が使われるようになって血友病患者は「ふつうの生活」が可能になった。一九七八年から非加熱の濃縮製剤が導入され、非常にかんたんに治療が可能になる。と同時に、予防投与と家庭療法(自己注射)のワンセットとして濃縮製剤が導入される。
すでにこの段階で問題はあった。クリオ製剤はひとりか数人の血液からひとり分の製剤をつくるが、濃縮製剤は数千人分の大量の血液を一挙に処理するために、大量感染が発生しやすい。じっさい初期からC型肝炎ウィルスの大量感染が生じており、濃縮製剤導入の段階から薬害はすでに始まっていた。
(2)HIV大量感染
一九八二年七月にはアメリカで三人の血友病患者がエイズ発症している。この段階ですでに感染経路として血液製剤が疑われている。一九八三年三月、アメリカ政府は、血液製剤を作っている製薬会社に対して、エイズに感染している可能性のある人たちの血液を使わないように勧告。製薬会社(トラベノール社)は、加熱処理した血液製剤をいち早く開発し製造販売認可される。じつはこれ、もともとは肝炎ウィルス対策として開発されていたものだった。これ以降、アメリカでは加熱血液製剤へ切り替わる。その結果、あまった非加熱製剤が市場を求めて日本に殺到することになる。
日本では、おりしもこの年の二月に血液製剤を使用する家庭療法が厚生省に認可され健康保険で認められたばかりだった。このタイミングが多くの専門医たちの判断を誤らせることになる。つまり、「ようやくここまできたのに」という思いが結果的に安全性軽視の道を選ばせることになる。
当時、非加熱血液製剤に危機意識をもっていたといわれている厚生省薬務局生物製剤課の郡司篤晃課長は、一九八三年六月、エイズ研究班を発足させる。安部英(たけし)帝京大学教授を班長とし、おもに血友病専門医中心の人選だった。とくに血液製剤対策を担当する小委員会は安部門下で構成され、安部英教授の強力な指導に基づいて具体的な対策が講じられる。というよりも、結局何も緊急対策といったものをしなかった。
クリオから濃縮製剤への切り替えと予防投与の普及キャンペーン、そしてHIVの登場、この最悪のタイミングに適切な手を打とうとしなかった専門家たち、それを後押しする利益団体―――こうして血友病患者へのHIV大量感染が生じた。
基本的には、この大量感染は一九八三年から始まり、一九八五年七月に血友病Aの第八因子製剤認可され一九八五年十二月に血友病Bの第九因子製剤認可されるまで続く。しかも、郡司課長の後任にあたる松村明仁課長は、加熱製剤の登場後も非加熱製剤の回収命令をださず、出回っていた非加熱製剤はその後も使い続けられ、感染者をさらに増加させた。
(3)患者差別
あらゆる薬害事件がそうであるように、悲劇は二重三重になって被害者たちを襲う。第一の悲劇は血友病という病気もしくは障害。第二の悲劇はそれを治療するために投与した非加熱血液製剤による肝炎ウィルスとHIVの感染。そしてここから第三の悲劇が始まる。それは「感染する」という畏れから生じる社会的な患者差別である。
本格的なエイズ報道が始まるのは一九八五年三月の「エイズ1号患者」報道からといってよい。朝日新聞はそれを血友病患者であるとスクープするが、その翌々日に厚生省が男性同性愛者を「1号患者」と発表するあたりからである。
そして一九八六年から八七年にかけて、いわゆる「エイズ・パニック」が連続的に生じる。「フィリピンから出稼ぎに来ていた21才の女性が、日本に来る前に受けたエイズの抗体検査で陽性とでた」とのマニラ発共同通信のニュースから始まる「松本事件」。エイズ・女性・売買春とセンセーショナリズムを煽る要素がそろい踏みした。一九八七年一月には神戸で初めて日本女性のエイズ患者が確認されたと報告したことから始まる「神戸事件」。ここでエイズ・女性・売買春に日本人という要素が加わる。ここから多くの日本人はエイズを自分のこととして理解し始めたといえる。一九八七年二月「高知事件」。HIV感染者の血友病患者が交通事故を起こしたのがきっかけで、この人と交際のあった女性がHIVに感染していたことが判明し、しかもその人は別の男性と結婚して妊娠中だったとのニュース。
こうして「感染源としての血友病患者」のイメージが日本社会に無反省のまま蔓延することになる。血友病患者はそれだけで魔女狩りの対象となった。その結果、被害者の人たちは、「被害者」とみなされるどころか、社会にエイズを振りまく「加害者」として排除されることになる。医療機関から診療拒否、解雇、開店休業、さまざまな念書、通園禁止、受験願書受け付け拒否……。あらゆる社会的場面から不当な差別を受けることになる。
(4)HIV訴訟
第四段階は、被害者の人たちが国と製薬会社の責任を求めて東京と大阪で訴訟を起こしたことに始まる。この裁判過程が「薬害エイズ」の存在を広く社会的に認知させることになる。直接的なきっかけは、一九八八年十二月のエイズ予防法成立だった。強行採決された予防法に対して血友病患者団体は反対。それは患者の人権をないがしろしていたものだったからだ。もうひとつは、一九八八年の四カ月にわたる毎日新聞のエイズキャンペーン報道。これは世論づくりに大きく作用したと考えられる。
一九八九年五月、HIV訴訟。一九九四年にはこの訴訟とは別に、安部英帝京大学副学長が殺人未遂容疑で東京地検に刑事告発されている(一九九六年一月に殺人罪に切り替え)。
(5)和解
一九九五年十月、東京地裁と大阪地裁が和解を勧告。基本的には国と製薬会社の責任がほぼ立証されたこと、そして原告の厳しい時間的制約が背景にある。一九九六年一月、就任したばかりの菅厚生大臣が省内に調査プロジェクトを設置し、二月には、長年「存在しない」といわれていたいわゆる「郡司ファイル」が公表される。二月中旬、原告被害者の厚生省前すわり込み、その最終日に厚生大臣が法的責任を認めて被害者に謝罪し、三月確認書をもって和解した。
その後、東京地検は安部・前帝京大学副学長を逮捕。続いて大阪地検はミドリ十字社の歴代社長三人を逮捕、さらに東京地検は松村・元生物製剤課長を逮捕した。
院内感染
富家恵海子『院内感染』(河出書房新社一九九〇年)によって一躍「院内感染」ということばが普及し、一気に社会問題化した。ふつう「院内感染」は薬害には入れないが、抗生物質の過剰な使用が根本的な原因であることを考えれば、これもまた薬害の新しい現象形態である。この本は、夫を院内感染で亡くした妻がその原因を独力で追及していくプロセスを記録したもの。スモン事件の場合も何冊かベストセラーになったが、薬害問題の当事者や家族による手記はどれも心を揺すぶられるもの。それはたんに「お涙頂戴」ということではなく、そこからでないと見えないことがあまりに多いことに気づくからだ。富家恵海子『院内感染ふたたび』(河出書房新社一九九二年)は続編。こちらはその後の対策と背景的分析が主な内容になっている。三冊目の『院内感染のゆくえ』もふくめて、いずれも河出文庫に入っている。
陣痛促進剤
舩橋惠子『赤ちゃんを産むということ――社会学からのこころみ』(NHKブックス一九九四年)は社会学者の本。「誕生日を決める薬」として陣痛促進剤の問題がとりあげられている。今の産科の事故の多くはこの薬がからんでいるところが大きいといわれているが、あまり知られていないのではないだろうか。欧米とくにアメリカではハイリスク分娩にしか使用されていないこの薬が、日本では病院の都合や親の都合で安易に使われているとのこと。今後大きな社会問題になる可能性がある。
専門家支配
薬害問題は専門家支配に落とし穴のあることを物語っている。専門家支配については、その概念の提唱者の本の翻訳がその後でている。エリオット・フリードソン『医療と専門家支配』進藤雄三・宝月誠訳(恒星社厚生閣一九九二年)。これは、次章で問題にする医療社会学のメインテーマでもある。
裁判過程の社会学
薬害問題にかぎらず社会問題はたいてい長い訴訟になる。たとえば予防接種集団訴訟は一九九三年の結審までに二十年かかった。当然、裁判のプロセスではさまざまな社会学的現象が生じるわけで、必ずしも「法の論理」だけで進行するわけではない。
栗岡幹英『役割行為の社会学』(世界思想社一九九三年)は、役割理論に基づいて分析された裁判過程の社会学。前半はスモン事件、後半は免田事件が素材になっている。樫村志郎『「もめごと」の法社会学』(弘文堂一九八九年)は、エスノメソドロジーをとりいれた新しいタイプの法社会学概論。ふつう法社会学という分野は法学者が担当していて、要するに「法と社会」の関係に関する研究という程度のことで、つまり少しも社会学的でないのである。その点、これはまずまず社会学的といえる。
このほかにも、稲葉哲郎『裁判官の論理を問う――社会科学者の視点から』(朝日文庫一九九二年)。有名な冤罪事件である徳島ラジオ商事件の公判記録を心理学者の著者がつぶさに点検し、そのずさんな非科学的「論理」を具体的に批判した本。私たちは裁判が科学的に公正におこなわれていると信じているが、そうとは断言できないようだ。あのころの法学者はいったい何をしていたんだろうか。
日本の裁判制度の組織上の問題については、カレル・ヴァン・ウォルフレン『日本/権力構造の謎(上・下)』篠原勝訳(ハヤカワ文庫一九九四年)の8章「法を支配下におく」が簡明に実態をまとめてくれている。この説明によると「司法の独立」は組織論的には根拠をもたないといえそうだ。
科学報道
薬害事件は科学の最先端で生じる。したがって高度な科学的知識と見識が要求される。しかし、日本の報道機関は他の日本企業と同様にジェネラリスト志向(何でも屋)の人事制度に基づいており、専門分野をもつジャーナリストを育ててこなかった。そのため、薬害事件のような高度な問題になると、とたんに欠陥を露呈する。薬害エイズ事件においても、最後には厚生省バッシングに踊ったメディアは、そのわずか十年ほど前にはエイズ・パニックを起こした当事者でもあるのだ。結局、報道の論調の決定は他のメディアとの関連でおこなわれているわけで、必ずしも科学的な判断と見識によってなされているわけではない。
同様の問題は、公害・原子力・臓器移植・先端医療・宇宙開発などでも指摘されている。事例集として、柴田鉄治『科学報道』(朝日新聞社一九九四年)が実態を教えてくれる。ウォーレン・バーケット『科学は正しく伝えられているか――サイエンス・ジャーナリズム論』医学ジャーナリズム研究会訳(紀伊国屋書店一九八九年)は実務的関心からの議論。
Prev←■→Next
現在地 ソキウス(トップ)>社会学感覚
SOCIUS.JPドメインへの初出 10/2(Thu), 2003  最終更新日:4/1(Sat), 2017
このページのURLは http:///Users/nomurakazuo/Dropbox/socius.jp/lec/23.html
Copyright (C)1995-2015 by Kazuo Nomura(野村一夫) 無断転載はご遠慮ください。リンクはご自由に。
Valid XHTML 1.0!Document type: XHTML 1.0 Transitional
閲覧日 4/1(Sat), 2017

Read More

4月 12017

社会学感覚21暴力論/非暴力論

Socius  ソキウス   著作+制作 野村一夫

フロントページ


現在地 ソキウス(トップ)>社会学感覚
社会学感覚
21 暴力論/非暴力論
21-1 さまざまな暴力概念
暴力とはなにか
暴力の定義は一見自明である。暴力は「人や財産を傷つける行為」である。しかし、これだけでは、外科医が手術するのも暴力ということになってしまう。現に「脳死状態」における日本初の心臓移植手術が「脳死は死でないから、脳死状態のドナーから心臓を摘出する行為は殺人である」として告発されたことがかつてあった▼1。「湾岸戦争」のように公然と「正義」がまかりとおる戦争も多い。個人が勝手に他人を監禁し拘束するのは暴力だが、国家の官吏がそれを犯罪人に行使するのは暴力とはいわない。人を殺すのは暴力の極致だが、死刑囚を殺すのは法的には正当なこととされている。このように「人や財産を傷つける行為」が「暴力」であるかどうかは、ひとえに「他者の反応」つまり「反作用=リアクション」によるのである▼2。じっさい、〈反応する他者〉といってもいろいろである。だから暴力の定義もいろいろということになる。
暴力という現象は多面的な性格をもっている。まず大切なのは、この多面的性格を認識することだ。本章では暴力の多面性を認識するために、便宜的に暴力を三つに分けて論じることにする。
(1)犯罪的暴力
(2)国家的暴力
(3)構造的暴力
犯罪的暴力
通常わたしたちが常識的に「暴力」とイメージする暴力現象を「犯罪的暴力」と呼ぶことにする▼3。この場合の「犯罪的」とは、法的な犯罪要件をみたすというだけでなく、大多数の人びとの非難を招くという意味で用いられる。これはデュルケムの「われわれはそれが犯罪だから非難するのではなく、われわれが非難するから犯罪なのだ」という卓抜な発想にもとづいている。
それゆえ犯罪的暴力は現代社会において正当性をもたない。しかし、それらは突発的に――特定の空間では恒常的に――発生する。それはなぜか。
宝月誠の整理によると、およそ四つの考え方[理論]があるという▼4。
(1)緊張論――特定の社会構造の緊張の圧力の下により多くさらされたものがフラストレーションに陥り、その心理的緊張の解消の一手段として、一定の機会構造によって水路づけられたとき暴力が発生する。
(2)統制論――発想を逆転して、人びとがなぜ暴力をふるわないのかを考えると、それは一定の社会的絆によって拘束されているからである。したがって、拘束する社会的絆が弱い人間は暴力にコミットしやすいと考えられる。
(3)文化的逸脱論――暴力に好意的なサブカルチャーがあって、そのなかで暴力に価値を認めることを学習した者は、その価値の追求としてさまざまな場面で暴力をふるうようになる。
(4)レイベリング論――共同体のなかで、他者が特定の人びとに「乱暴者」「ならず者」といった烙印を貼りつけ、そのようにあつかっているうち、烙印を押された当人がそのラベルにふさわしい暴力者の役割を演じるようになる。たとえば学校でたまたま友人と口論になり暴力を振るってしまった少年が、それ以後、みんなから「乱暴者」あつかいされているうちに、ますます嫌われ者になり、その反動として暴力をエスカレートしていくケースなど。
それぞれ有意義な考え方だが、最近の犯罪的暴力のケースを考えると(3)と(4)を合わせて考えるのが有効だ。宝月誠はこのあたりをつぎのように説明している。
暴力のコミュニケーション論的解読
宝月誠によると、「暴力のサブカルチャー」を学習した者は、直面した「問題」を暴力によって解決しようとするが、かれらにとって無視できない「問題」のひとつは、他者の「挑戦」であるという。他者が主観的に意図していなくても、注意したり怒鳴ったり悪者のレイベリングをするだけで、「暴力のサブカルチャー」を学習した者は「挑戦」と受け取ることが多い。しかし、暴力は「挑戦」されればただちに発せられるわけではない。暴力行為が現実化するには、相手に勝てるかという合理的な判断と、相手や警察などの統制者からなされるリアクショを計算してからである。もちろん不利とわかっていても暴力行為にいたる「感情暴発」の場合もあるが▼5。
これはやはり「暴力のサブカルチャー」にもとづいたコミュニケーションというべきであろう。すでにコミュニケーション論のところで説明したように、コミュニケーションの現実的な意味を決定するのは「送り手の意図」ではなく「受け手の反応」である。だから受け手のもっている解読コードが決定的に重要なのであり、その解読コードを提供する「暴力のサブカルチャー」が重要な働きをしているというわけである。
国家的暴力
犯罪的暴力は正当性をもたないが、正当性をもつ合法的な暴力も存在する。それは国家の暴力――ここでは国家的暴力と呼ぶことにする――である。
そもそも国家が合法的な暴力を所有しているというよりも、むしろ正当化された暴力を所有している組織体を国家と呼んでいるのである。これについてはマックス・ウェーバーによる明晰な国家定義がある。ウェーバーは一九一九年に出版された講演『職業としての政治』のなかで、国家についてつぎのようにのべている。「国家とは、ある一定の領域の内部で――この『領域』という点が特徴なのだが――正当な物理的暴力行使の独占を(実効的に)要求する人間共同体である▼6。」だから、個人や集団は、国家の側で許された範囲内でしか、物理的暴力行使の権利が認められない。これは近代的な現象である。かつては、さまざまな集団――氏族――が、物理的暴力をまったくノーマルな手段として使用していたのだから。
この「国家によって独占された正当な物理的暴力」とは、具体的にはどういうものをさすのか。代表的なものは、つぎの三つである。
(1)戦争
(2)警察
(3)死刑
戦争・警察・死刑
戦争は個人ではできない。基本的に国家が戦争の主体である。内戦というものもあるが、それも結局国家権力をめぐる闘争であるから、本質は同じである。また、正義でない戦争もない。いずれの戦争当時国にとっても戦争は国家の正義をかけた正当なものである。ただ正義はひとつではなく、いっぱいあるところに戦争の不幸がある。
さて、戦争について科学的研究が本格的に始まったのは、じつは一九四〇年代、第二次世界大戦中のことである。「戦争を防ぐためには、戦争を解明しなければならない」と考えたクインシー・ライトという国際政治学者が共同で『戦争の研究』という大きな本を著したのが最初である。それまであった戦争論はたいてい「いかにして戦争に勝つか」といった戦略論だった。戦略論にとって戦争は政治の延長であり一手段にすぎない。その意味で、戦争現象の科学的研究-とくに行動科学的研究-の歴史は浅い▼7。
つぎに、警察は、自衛隊・海上保安庁・厚生省麻薬取締官事務所とともに、ピストルやガス銃などの武器の携行使用が認められた官公庁であり、わたしたちにとっても身近な存在である。それだけにその暴力行使の実態について論ずべきところだが、警察についてはとくにまとまった社会学的研究がないので、ここでは省略せざるをえない。犯罪研究がこれだけさかんになされているのだから、警察研究についても同じだけなされてもいいのだが▼8。
さて、国家によって独占された正当な物理的暴力の第三のものとして死刑をあげておきたい。戦争と同じく、人を殺すことが正当性をもっている点に注意しておいてほしい。死刑については目下賛否両論があり、社会問題としてとりあげられることも多いので、死刑存置論と死刑廃止論の論拠について若干説明しておきたい。
死刑存置論の第一の根拠は、他者の生命をうばったことに対して自分の生命によってつぐなうというものであって、一種の応報感情にもとづいている。これは被害者およびその家族関係者の率直な感情を重視したものといえる。第二の論拠は、死刑の犯罪抑止力である。それは、死刑制度があるから犯罪のエスカレートを未然に防いでいるというものである。それに対して、死刑廃止論の論拠はつぎの六点である。
(1)人命はなにものにもかえがたいものであり、人命の尊重は絶対的であるからいかなる殺人も許されてはならない。
(2)死刑そのものが、憲法第三六条が禁じている「残虐な刑罰」にあたる。
(3)万が一、誤判(誤った裁判)で死刑が確定し執行された場合、とりかえしがつかない。現に、免田事件・財田川事件・松山事件・島田事件のように死刑囚に対する再審公判によって一転無罪になったケースが少なくない。
(4)死刑は犯罪抑止力をもたない。
(5)生かしておいて[たとえば終身刑]刑務作業による収入で被害者賠償をさせるべきである。
(6)「自白すれば死刑にしない」として、死刑が自白強要の道具として使われる危険がある。これまでの冤罪事件においても、これがウソの自白をひきだしてきたのである。
このうち(4)の犯罪抑止力について一言。死刑が犯罪を抑止する効果があるかどうかは、じつは科学的に証明されていない。T・セリンという社会学者は、死刑制度の有無が州によって異なるアメリカの各州の殺人率を調べ、死刑制度の有無と関係がないと結論しているが、反対の結論をだす研究者もいるという。いずれにせよ、科学的に認定されたことではない▼10。
▼1 一九六八年のいわゆる「和田移植」のこと。結局検察庁は「充分な証拠がない」として不起訴処分にしている。この「事件」の経緯とその背景については、立花隆『脳死』(中公文庫一九八八年)とくに五三ページ以下参照。臓器移植のその後の展開については、後藤正治『空白の軌跡――心臓移植に賭けた男たち』(講談社文庫一九九一年)。
▼2 この論点については、宝月誠『暴力の社会学』(世界思想社一九八○年)三四-三九ページによった。
▼3 日本の犯罪状況については、間庭充幸による豊富な事例にもとづく類型学的研究を参照されたい。間庭充幸『犯罪の社会学――戦後犯罪史』(世界思想社一九八二年)。間庭充幸『現代の犯罪』(新潮選書一九八六年)。
▼4 宝月誠、前掲書一五五ページ以下。
▼5 宝月誠、前掲書一七〇ぺージの著者による要約による。
▼6 マックス・ヴェーバー、脇圭平訳『職業としての政治』(岩波文庫一九八〇年)九ページ。
▼7 戦争研究の総合的な基本書として以下の本をあげておきたい。ガストン・ブートゥール、中原喜一郎訳『平和の構造』(文庫クセジュ一九七七年)。ガストン・ブートゥール、ルネ・キャレール、高柳先男訳『戦争の社会学――戦争と革命の二世紀(一七四〇~一九七四)』(中央大学出版部一九八〇年)。最近の決定版は、猪口邦子『戦争と平和』(東京大学出版会一九八九年)。
▼8 日本の警察の最新の実状については、大谷明宏『警察が危ない』(朝日ソノラマ一九九一年)がくわしい。また三一新書と講談社文庫にいくつかのルポルタージュがある。
▼9 菊田幸一『死刑廃止を考える』(岩波ブックレット一九九〇年)ならびに法学セミナー増刊総合特集シリーズ『死刑の現在』(日本評論社一九九〇年)を参照した。
▼10 前掲書二六六-二六七ページ。
21-2 構造的暴力と積極的平和
平和研究における平和概念
以上のような犯罪的暴力と国家的暴力は比較的みえやすい暴力である。つまり存在が公認されている。ところが、社会にはもっとみえにくい暴力も存在する。たとえばここに犯罪もなく戦争もない社会があるとして、そこに本当に暴力はないといえるだろうか。「平和な日本」といわれるけれども、現実にはけっこう「暴力的」と思われるようなことがいっぱいあるではないか、という思いにとらわれる。
たとえば、小学校の給食を全部食べ終わるまで許さないで午後も放課後も食べさせようとしたり、転校するクラスの女の子に「がんばれよ」と握手したのを校則違反[男女交際禁止]としてとがめられ職員室で殴られるとか、離婚した女性が子育てのために限られた時間で働こうとしても低賃金の仕事が多く結局水商売につかざるをえないとか、お金がないために十分な医療が受けられず命を縮めるといったこと、必要な睡眠もとらず働きつづけたために過労死してしまったのにもかかわらずデスクワークのため労災適用を認められない――これらも一種の「暴力」にはちがいないのだ▼1。
そう考えると、犯罪的暴力と国家的暴力だけでは不十分である。前章で説明した「権力作用」のレベルにみあった暴力の存在をも問題にする必要があろう。これを「構造的暴力」(structural violence)と呼ぶ。
じつはこの用語は「平和研究」(peace research)という学際的科学の基本概念である。最初にこのことばを概念として使ったのは、ヨハン・ガルトゥングというオスロの平和研究者だった。
平和というだけで「世界は一家、人類はみな兄弟」というイメージをいだく人が多いのだが、平和研究はれっきとした学際研究の一部門である。従来は国際関係論とか国際政治学がその中心的な位置を占めてきた。というのは、平和概念は常識として「戦争の欠如」「戦争のない状態」と考えられてきたからだ。ところが、第三世界などの現実をみるかぎり――たとえば南アフリカのアパルトヘイト――戦争状態ではないが、とても平和とはいえない状況がある。これをどういう形でとらえればよいのかが問題となる。
そこでガルトゥングは、従来「戦争の欠如」と定義されてきた平和概念を「暴力の欠如」ととらえなおし、暴力に「人為的暴力」と「構造的暴力」とがあり、それに対応して「人為的暴力の欠如」を「消極的平和」(negative peace)と呼び、「構造的暴力の欠如」を「積極的平和」(positive peace)と名づけた。国際政治学中心の平和研究は従来「消極的平和」を研究していたにすぎない、「積極的平和」を追求すべきだ、そのためにも「構造的暴力」を科学的に学際的に研究すべきだと主張し、平和研究の流れを大きく変えた▼2。
図式化すると――
暴力─人為的暴力←→人為的暴力の欠如=消極的平和─┐
└─構造的暴力←→構造的暴力の欠如=積極的平和─平和
その後、「構造的暴力」の概念は定着し、これによって平和研究のすそ野もぐんと広がった。社会学にとっても出番が多くなった。さらに社会学の存在意義を、以上のような「構造的暴力」をなくしていく科学研究としての平和研究――最近では「平和学」とも呼ばれる――の一環として位置づけなおすこともできる。
教育・労働・性・マスコミの現場における構造的暴力
本来、構造的暴力という概念は、第三世界の抑圧や飢餓・人権侵害などを国際的な枠組のなかでとらえなおすために提唱された概念だが、その後、この先進国日本の「一見平和だが、どうもそうでもないらしい」という側面に光を当てる概念として使われるようになってきている。たとえば、一九八五年に日本平和学会が「構造的暴力」を大会テーマにとりあげて、教育・労働・性・マスコミというそれぞれの現場の実態を報告し討論したことがあった。すでに本節冒頭でその一部を紹介したように、教育における徹底した管理が生徒と教師をともに追い込んでいくようすが、校則・体罰・人権侵害・いじめ・怠学・校内暴力の問題として語られ、他方、経営陣と労働組合の双方から締めつけられている労働者のようすが、職場八分・人事考課の問題としてとりあげられている▼3。
これらに対して一様に構造的暴力という概念をかぶせるだけでいいものか若干の問題はあるかと思うが、これらをいったん「暴力」として認識することは意義あることである。
▼1 日本平和学会編『構造的暴力と平和』[平和研究双書3](早稲田大学出版部一九八八年)に盛られた多くの事例からピックアップした。したがって、これらはすべて実話である。
▼2 Johan Galtung,Violence,Peace,and Peace Research,in:Journal of Peace Research,Vol.VI,No.3.なお平和研究の全体像については、日本平和学会編集委員会編『平和学――理論と課題』[講座平和学I](早稲田大学出版部一九八三年)。
▼3 日本平和学会編、前掲書。報告と討論がそのまま掲載されており、かえって一般の人には読みやすい。
21-3 非暴力的行動
暴力のダブル・スタンダード
社会の多層的な暴力的現実を具体的に支えているのは、わたしたち自身である。というのも、わたしたち自身のなかに、暴力的現実を正当化する論理が働いているからだ。それをここでは「暴力のダブル・スタンダード」と呼ぼう。
ダブル・スタンダードとは、集団の内部と外部とで道徳基準を使い分けることである。ウェーバーはこれを「対内道徳(Binnemoral)と対外道徳(Aussenmoral)の二元論」と呼んだことがある。この両者が区別されるのは、しばしば両者がまったく正反対を示すことが多いからだ。たとえば、夫の浮気は「甲斐性」といわれ、妻の不倫は許されずに離縁の理由とされた戦前の日本のような男性中心社会では、性行為に対する規範が男と女でまったくちがっていた。
暴力もまたダブル・スタンダードになりがちである。
暴力はいけないといいながら、現実に暴力を行使した集団に対しては、暴力で制裁することを認めることは多い。凶悪犯人は「暴力的で残忍だから死刑にすべきだ」とか、隣国に侵略した国家は「暴力的で非人道的だから総掛かりで攻撃しよう」という反応がそれだ。結局日本もこの論理で原爆を二発もおとされたことを思うと、このような発想があるかぎり、地球の平和なるものは達成されないだろう。
前章で考察した排除現象において、排除された側には、通常の基準は適用されないことが多い。排除された人びとは一種の〈異人〉として定義され、自分たちと同じ人間とみなされない。たとえば、一九八三年の「横浜浮浪者殺人事件」で、犯人の中学生グループは、浮浪者たちを一種の「汚物」とみなして「掃除」するかのように暴行した。したがって、かれらに罪の意識はなかったという▼1。同じことが、日本軍の南京大虐殺やナチスのユダヤ人虐殺、アメリカ軍のベトナム人殺りくについてもいえる。同じ人間ではないと認識することで、かれらの良心は免責され、むしろ誇りに転化してしまうのである。
非暴力的行動の意義
では、このような「暴力のダブル・スタンダード」の乗り越えは不可能なのだろうか。
原理的には不可能である。しかし、その弊害=悪循環を極少化することは可能である。それは対抗手段として「非暴力的行動」(nonviolent action)を選択することだ。ジーン・シャープによると、非暴力的行動とは「行動者が、それを遂行することを期待もしくは要求されているある事柄を物理的暴力を行使することなしに拒否するか、あるいは、それを遂行することを期待されぬか、もしくは禁止されているある事柄を、同じく暴力を行使せずに、あえて遂行するというような形での、プロテスト、非協力、および介入にかんする方法」のことである▼2。非暴力的行動は「市民的抵抗」と呼ばれることある。というのも「市民的」(civil)とは、そもそも「軍事的」に対抗することばであり、基本的に暴力の不使用を前提としているからである▼3。
暴力を使用しないからといって、非暴力的行動は、非行動でもなく無抵抗でもなく屈従や臆病でもない。それはあくまで行動することであり、闘争の手段とされる。したがって非暴力的行動は、いわゆる平和主義とは異なる▼4。
非暴力的行動の技術
どういうことが非暴力的行動なのか想像できるだろうか。非暴力的行動に関して現代のおおかたの日本人の想像力は閉ざされているのではなかろうか。そこでシャープによる非暴力的行動の方法についての集大成を借りて、それらを類型化しつつ一覧してみよう。シャープによると非暴力的行動には、あわせて一九八の方法があるという▼5。
(1)非暴力的抗議と説得(nonviolent protest and persuasion)
a 意見・異議・意志の公式表明
街頭演説、抗議や支持の手紙を書く、組織と団体による宣言をだす、署名活動、告発と意志を宣言する、集団あるいは大衆による請願活動
b 広範なオーディエンスとのコミュニケーション
抗議のスローガンや風刺マンガやシンボルをつくったり印刷したりジェスチャーする、抗議の旗やポスターをかかげる、ビラ・パンフレット・本の発行と配布、新聞と定期刊行物の発行と配布、レコード・ラジオ・テレビを通じて抗議の意志を表明する、飛行機によるスカイライティングとアースライティング[空中文字と地表文字]
c 集団によるプレゼンテーション
代表団を送って抗議と不同意を表明する、皮肉のきいた賞をつくる、ピケを張る、皮肉のきいた選挙をおこなう
d 象徴的な公的行動
グループの旗やシンボリック・カラーをかかげる、シンボルの入った服を着る、抗議をこめて祈りや礼拝をする、徴兵カードやパスポートなどの象徴的な対象物を手放す、宗教的不同意や政治的抗議をあらわすため公共の場で裸になる、自分自身の財産の破壊、抗議パレードでろうそくなどの象徴的な火をともす、指導者のポートレイトをかかげる、抗議としてぺンキを塗る、通りの名前や町の名前を新しく呼び変えて混乱させる、抗議を象徴する音をだす、象徴的な開墾、権威に対してわざと無礼なジェスチャーをする
e 個人への圧力
役人につきまとう、役人をあざける、敵対する兵士や警官と親しくなって影響をあたえる、不眠不休で監視する
f 演劇と音楽
ユーモラスな寸劇といたずら、演劇と音楽の上演、国民的・宗教的な歌を口づさむ
g 行進
デモ行進、パレード、宗教的行進[葬列をつくる]、巡礼、自動車パレード
h 死をたたえる
犠牲者の死を喪して抗議の意をあらわす、模擬葬列を組む、示威的葬列、埋葬地で誓いをたてる
i 公的集会
抗議集会や支持集会、抗議のミーティング、カモフラージュされた抗議ミーティング、ティーチイン[専門家などを招いた討論集会]
j 退出と放棄
抗議のための退場、道徳的非難をあらわす一団となった沈黙、栄典の放棄、相手に背中を向ける
(2)社会的非協力(social noncooperation)
a 特定人物の排斥
社会的ボイコット[通常の社会関係の継続を全面的に拒否すること]、選択的な社会的ボイコット[部分的]、好戦的な夫に対して妻がセックスを拒絶する、破門、聖務禁止令
b 社会的なイヴェント・慣習・制度への非協力
社会的活動およびスポーツ活動の停止保留、レセプションやパーティなどの社会的行事のボイコット、学生ストライキ[授業ボイコット]、社会的慣習や規制への不服従、社会的団体から脱退する
c 社会システムからの脱退
自宅からでない[自宅待機]、全人格的非協力、労働者の逃亡、聖域[避難所]をつくる、集団失踪、抗議の移民
(3)経済的非協力(1)経済的ボイコット(economic boycotts)
a 消費者による行動
消費者によるボイコット、ボイコットされた商品の不買、質素な暮らしを貫く、賃借料[家賃や地代など]の保留、土地や建物を借りない、国民的規模の消費者によるボイコット、国際的規模の消費者によるボイコット
b 労働者と生産者による行動
労働者によるボイコット、生産者によるボイコット[不売]
c 仲介者による行動
部品製造業者・流通業者によるボイコット
d 所有者による行動と経営
貿易業者によるボイコット、財産を貸したり売ったりするのを拒否する、ロックアウト[工場や学校の閉鎖]、産業上の支援の拒否、商人のゼネスト
e 財政資源の保有者による行動
銀行預金の引きだし、公共料金・会費・税金の支払い拒否、借金や利息の支払い拒否、資金や信用貸しの契約解除、歳入拒否、政府紙幣の拒否
f 政府による行動
国内の通商制限、対象国から貿易禁止品を輸入した貿易業者のブラックリスト作成、国際的販売者の通商制限、国際的バイヤーの通商制限、国際貿易の通商制限
(4)経済的非協力(2)ストライキ(strike)
a 象徴的ストライキ
抗議ストライキ、比較的マイナーな問題に対して短く軽いストライキ、
b 農業ストライキ
農民ストライキ、農場労働者ストライキ
c 特定集団によるストライキ
強制労働の拒否、囚人ストライキ、同業者ストライキ、専門職ストライキ
d 通常の産業ストライキ
営業所ストライキ、産業ストライキ、同盟ストライキ
e 限定ストライキ
項目別ストライキ[ある特定の業務だけを拒否]、バンパーストライキ[ひとつの産業についてひとつの企業だけがストライキに入ることによって、その企業を他の企業の競争にさらす]、スローダウンストライキ[減速減産スト]、順法ストライキ、シックイン[仮病で休む]、辞職によるストライキ、特定の周辺的業務の拒否、選択的ストライキ
f 複数産業規模のストライキ
準ゼネスト、ゼネスト
g ストライキと経済封鎖の組み合わせ
同盟休業・同盟閉店、経済的シャットダウン
(5)政治的非協力(political noncooperation)
a 権威の拒絶
忠誠の保留もしくは撤回、公的援助の拒否、レジスタンス[抵抗]を支持する文献や発言を公表する
b 政府に対する市民の非協力
国会・議会などの立法府のボイコット、選挙のボイコット[棄権]、政府機関への就職拒否、政府諸機関・諸団体のボイコット、政府教育施設からの撤退[退学する]、政府が支援する組織のボイコット、法律執行機関を援助するのを拒否する、自分の名前や住所をとりかえ混乱させる、任命された役人の受け入れを拒否する、現存制度の解体を拒否する
c 服従に対する市民の代替策
非民主的権力などにしぶしぶとまたゆっくりとしたがう、直接的指示のない不服従、全人民規模の不服従、わざとめだつ不服従、集会の解散拒否、すわりこみストライキ、徴兵と国外追放に対する不服従、身元詐称、非合法的法律に対する市民的不服従
d 政府職員による行動
政府援助者による支援の選択的拒否、命令系統と情報系統の封鎖、立ち往生させて妨害する、一般管理職の不服従、司法関係者の不服従、警官や兵士などの政府援助者によって意図的に能率を悪くして選択的に不服従する、上司・上官に対して反抗する
e 政府の国内行動
疑似法規的な回避と遅延、中央政府に対する地方政府や州政府による非協力
f 政府の国際行動
外交などの代表団の変更、外交上のイヴェントを遅延させたりキャンセルする、外交上の認定を保留する、外交関係の断絶、国際機関からの脱退、国際機関への参加拒否、国際機関からの除名
(6)非暴力的介入(nonviolent intervention)
a 心理学的介入
自分の身体を痛めつけるために身をさらす、断食、レヴァース・トライアル[訴追者と被告を反対にした逆裁判]、非暴力的いやがらせ
b 物理的介入
シットイン[すわりこみ]、スタンドイン[人種差別で入場を拒否された場所にじっと立ってその場を動かない]、ライドイン[人種差別で乗せてもらえない公共交通機関にむりやり乗ってしまう]、ウェイドイン[人種差別のため入れないビーチに入ってしまう]、ミルイン[敵対者の事務所などの象徴的意義のある場所に立ち入る]、プレイイン[慣習上入れないか閉めだされた教会に入って祈祷する]、非暴力的侵入、飛行機やバルーンによる非暴力的侵入、侵入禁止区域への非暴力的侵犯、非暴力的投入、非暴力的妨害、非暴力的占拠
c 社会的介入
新しい社会的パターンをつくる、諸機関の負担をキャパシティ以上に大きくする、ストールイン[合法的業務をできるだけゆっくりとおこなう]、スピークイン[抗議対象の場所で集会を開く]、ゲリラ・シアター、代替的な社会諸制度をつくる、独占的かつ管理的な既存のコミュニケーション・システムにかわる代替的なコミュニケーション・システムをつくる
d 経済的介入
逆ストライキ[農業従事者が過剰に働いて雇い主から給与を過剰に支払わせる]、ステイイン・ストライキ[職場にとどまったままのストライキ]、非暴力的土地占有、封鎖に対する果敢な抵抗、政治的動機にもとづいた貨幣の偽造、敵がこまるように戦略商品を買い占める、資産の差し押さえ、ダンピング、選択的にパトロンになる、代替的市場をつくる、代替的交通システムをつくる、代替的経済システムをつくる
e 政治的介入
行政システムの負担を大きくする、政府の秘密警察や秘密組織の正体を暴露する、投獄拘禁の探索、道徳的に中立とみなされる法律に対しても市民的不服従をする、協力しないで働く、並行政府の樹立
理論的根拠としての正当性根拠のほりくずし
このような非暴力的行動の技術は、すでにさまざまな社会運動に取り入れられているが、いずれも支配社会学的な理論的根拠にもとづいている。
支配の社会学のところでのべたように、支配が成立するためには「服従者の服従意欲」というものが決定的に重要である。結局人びとの支持と具体的な協力がなければ、支配は成り立たない。だから、支持と協力のシステムを断ち切るのが、もっとも大きな打撃になる。つまり、抵抗が非暴力でなければならない理論的な理由は、相手の正当性根拠をほりくずすことにある。つまり、〈自発的服従〉をコントロールすることによって、暴力現象や権力の不正義をコントロールするというパラドキシカルな方法なのである。
それに非暴力の場合、相手は暴力的手段を使いにくくなる。暴力で立ち向かってくる者たちを暴力で抑えるのはやさしいが、非暴力だとそうはいかない。よしんば暴力的手段を講じたとしても、それに正当性はあたえられない。つまり犯罪的暴力とみなされる。それは国内的にも国際的にも非難をあびて制裁を受けることになる。したがって暴力を行使する側は大きなリスクを犯すことになる。このことに関しては、近年にわかに大きな動きをみせた東ヨーロッパ・中国・旧ソ連などの場合を比較してみるといいだろう。
いずれにせよ、社会のなかのさまざまな暴力――すなわち犯罪的暴力・国家的暴力・構造的暴力――に対して、無気力・無抵抗でいることは、じつは暴力に支持をあたえることにほかならない。たとえば選挙で棄権することは、往々にして、保守政権に支持をあたえるのと同じ働きをする。犯罪的暴力に対して泣き寝入りすることも同じであるし、公害企業の商品を買い続けることも、結局暴力現象に正当性を付与することになる。
その意味では、非暴力的な社会運動によってしか、こうした暴力は封じられないし、構造的暴力としてとらえられたさまざまな現象もなくならないだろう。そこに非暴力的社会運動の可能性が存在するわけであり、これは、ヒロイズムやロマンティシズムやセンチメンタリズムから脱却して社会学的に自己認識することから始まるのである。
▼1 間庭充幸、前掲書二〇二-二〇四ページ。赤坂憲雄『新編排除の現象学』(筑摩書房一九九一年)第2章「浮浪者/ドッペルゲンガー殺しの風景」参照。
▼2 G・シャープ、小松茂夫訳『武器なき民衆の抵抗――その戦略的アプローチ』(れんが書房新社一九七二年)六八ページ。
▼3 G・ウッドコック、山崎時彦訳『市民的抵抗――思想と歴史』(御茶の水書房一九八二年)。
▼4 シャープ、前掲訳書六八ページ。
▼5 Gene Sharp,The Polifics of Nonviolent Action,Boston,1973.Part Two:The Methods of Nonviolent Action.全三巻全九〇二ぺージの大作であり、この分野についての理論的歴史的研究の代表的存在といっていいものだが、残念ながら邦訳はない。なお、以下の各項は相互に区別されるが、定義の水準はまちまちである。たとえば、ある項がその前の項の特殊事例であることがある。なお『FOR BEGINNERSシリーズ(日本オリジナル版)非暴力』(現代書館一九八七年)で阿木幸男が、このうちの半分の項目について紹介しており参照した。
増補
犯罪を社会学する
近年、一般には理解しがたい少年犯罪が続出し、その社会的文脈に関心が集まっている。一般に時代背景と呼ばれているものは、その時代の若い人には自明であっても、少しでも時間がたつと、とたんにわからなくなるものである。戦後日本の未成年者の犯罪を類型化し、社会学的に背景をたどったものとして、この分野の第一人者による、間庭充幸『若者犯罪の社会文化史――犯罪が映し出す時代の病像』(有斐閣一九九七年)がある。日本の犯罪史を学ぶのにちょうどよい本である。
それに対して、鮎川潤『犯罪学入門――殺人・賄賂・非行』(講談社現代新書一九九七年)は、犯罪をタイプごとに整理した犯罪社会学の入門書。殺人・薬物犯罪・性犯罪・企業犯罪・少年非行についての説明のあと、司法制度の問題と被害者学の必要性について論じている。
犯罪社会学とまったく別の手法で少年犯罪の社会的文脈を考察したものとして、宮台真司『まぼろしの郊外――成熟社会を生きる若者たちの行方』(朝日新聞社一九九七年)と、宮台真司『透明な存在の不透明な悪意』(春秋社一九九七年)もあげておきたい。フィールドワークを駆使した理解社会学ともいうべき手法で問題に迫るこの二著には、じつに多くの分析アイデアがふくまれており、書き下ろしによる今後の精緻な分析を期待したいところ。
じっさい、不可解な若者犯罪が生じるたびに「心の教育」が叫ばれるという、日本の「アドミニストレーター」たちの分析力のなさにあきれる日々が続いている。自省能力の欠けたモラル・パニックの悪循環を断ち切るためには、有無を言わさぬ完璧な分析を突きつけるしかない。
性暴力とセクシュアル・ハラスメント
性暴力事件やセクシュアル・ハラスメント事件は、被害者が男性の場合とまったく異なる経緯をたどる。被害者の落ち度が問われやすいのである。そのため、被害者は加害者の犯行を証明する過程において、いわゆるセカンド・インジュアリー(もしくはセカンド・レイプ)を受けるはめになる。
日常的なセクシュアル・ハラスメントの場合も、同様に女性被害者を(男性加害者を、ではなく)ジレンマに取り込む。女性被害者にとっては深刻な「セクシュアル・ハラスメント」として定義される行為であっても、それを抗議する(最終的には訴訟にいたる)者には、「たんなる別れ話のもつれ」ではないか、あるいは女性側の「被害妄想」や「自意識過剰」ではないかとの疑惑がたえずかけられる。この解釈変更要求への圧力は強力である。たとえ職場の上司が雇用や昇進を理由にして脅迫的にセクシュアル・ハラスメントにおよんだとしても、そのさい女性被害者がその場で命をかけての抵抗をしていないと見なされると、即座にそれが「納得づく」の行為と解釈されてしまう[江原由美子『ラディカル・フェミニズム再興』(勁草書房一九九一年)。江原由美子「セクシュアル・ハラスメントのエスノメソドロジー――週刊誌にみる解釈の政治学」『装置としての性支配』(勁草書房一九九五年)]。この解釈変更圧力によると、被害者が被害者と社会的認定を受けないばかりか、加害者男性こそ「被害者」であるとの解釈さえ生じてしまう。抗議することさえ正当なものと認められないという、当事者にとってはまことに不条理な事態がここに生じるのである。
この問題については、スーザン・グリフィン『性の神話を超えて――脱レイプ社会の論理』幾島幸子訳(講談社選書メチエ一九九五年)参照。具体的事件を取材したルポルタージュとしては、宮淑子『セクシュアル・ハラスメント』(朝日文庫一九九三年)がある。
死刑
日本の死刑制度は相変わらず続いている。むしろ近年は政治的な配慮から積極的に執行がなされているようだ。死刑執行は一般には非公開であるため、ややもすれば抽象的な印象を結びがちであるが、やはり人が人を殺すことの生々しさは知っておきたい。大塚公子『死刑執行人の苦悩』(角川文庫一九九三年)は、死刑執行者の心理的葛藤を取材し、かれらを国家の犠牲者として描いたルポ。これを読むと、死刑制度を存続させるというのであれば、少なくとも死刑執行に法務大臣か最終審の裁判長が立ちあうべきだとの感想を抱く。
Prev←■→Next
現在地 ソキウス(トップ)>社会学感覚
SOCIUS.JPドメインへの初出 10/2(Thu), 2003  最終更新日:4/1(Sat), 2017
このページのURLは http:///Users/nomurakazuo/Dropbox/socius.jp/lec/21.html
Copyright (C)1995-2015 by Kazuo Nomura(野村一夫) 無断転載はご遠慮ください。リンクはご自由に。
Valid XHTML 1.0!Document type: XHTML 1.0 Transitional
閲覧日 4/1(Sat), 2017

Read More

4月 12017

社会学感覚20スティグマ論

Socius  ソキウス   著作+制作 野村一夫

フロントページ


現在地 ソキウス(トップ)>社会学感覚
社会学感覚
20 スティグマ論
20-1 社会的弱者を苦しめる社会心理現象
役割としての社会的弱者
この章では、権力作用の問題を〈医療と福祉の対象となる人びと〉を中心に考えてみよう。
このような人びとは、どのような役割を担っている人びとだろうか。たとえば、それは子ども・高齢者・病者・障害者・低所得者・失業者・公害被害者といった役割である。これらの役割におかれている人びとは一般に「社会的弱者」とよばれている。能力中心主義の近代産業社会にあって、社会的弱者はなんらかの不利益をこうむることが多かった。そこで現代社会では、さまざまな福祉サービスを保障することによって、実質的な平等への努力がなされつつある。
とはいうものの、社会的弱者は一般に暴力や犯罪の対象にされやすいし▼1、こと企業社会においては、あいも変わらず成年男子の健常者中心の組織文化が支配している▼2。
それでも、弱者への暴力や犯罪・酷使といった逆行する動きについては、少なくとも社会的な「正当性」はあたえられなくなったとはいえるかもしれない。しかしこれ自体、社会的弱者となった人びとの長年の社会運動の結果であることを忘れてはならない。
偏見
一方で、ある種の「正当性」をもって特定の社会的弱者を日々苦しめつづけているものがなお存在する。もちろん直接的には経済的困窮の問題がある。けれども、それだけではない。偏見やステレオタイプといった一連の社会心理現象もまた大きな問題として立ちはだかる▼3。
第一に「偏見」(prejudice)がある。たとえば、血友病患者が苦しめられている大きな要素はエイズ患者とみられることである。これは、同性愛による感染が主たる原因だったアメリカと異なり、日本の初期のエイズ患者の多くが、輸入血液製剤を使用していた血友病患者だったことがあり、これが大きく報道されて偏見のもとになった▼4。「感染」への畏れが人びとの過剰防衛をひきだす例としては、これまでもハンセン病患者や結核患者への差別などがある▼5。
もっと身近な例をだすと、たとえば「これだから田舎者は――」とか「男は――だから嫌だ」「女は――だから」「年寄りは――だから」といういい方などはあきらかに偏見の存在を顕示している。かつてのアメリカではこの種の偏見が白人以外の人種に向けられていた。たとえば、一九三〇年代にアメリカの大学生を調査したところによると、黒人は迷信的・怠惰、ユダヤ人は抜け目がない・打算的、アイルランド人はケンカばやい・おこりっぽい、中国人は迷信的・ずるい、アメリカ人は勤勉・知性的であると答える学生が少なくなかったという▼6。いまからみると、すごい人種的偏見であるけれども、そのツケは一九六〇年代に公民権運動としてまわってくることになる。このような人種的偏見は日本人にもある。それらは表だって表明されないが、たとえば外国人労働者についての流言などによってしばしば表面化する▼7。
偏見とは、第一次的には、たしかな証拠や経験をもたず、ふたしかな想像や証拠にもとづいて、あらかじめ判断したり先入観をもったりすることをいう。しかし、現実に問題になる場合としては、ある人の個人的特徴から判断するのではなく、その人がたんにある集団に所属しているとか、あるいは、そのためにその集団のもつ嫌な性質をもつとして、嫌悪や敵意の態度を向けることをさす▼8。
偏見の大きな特徴は、新しい知識に遭遇しても取り消さないことにある。その意味で偏見は非知性的・非反省的である。
ステレオタイプ
従来「紋切り型」と訳されたり「ステロタイプ」と表記されてきたが、現在はもっぱら「ステレオタイプ」(stereotype)と表記される。すなわち、特定の集団や社会の構成員のあいだで広く受け入れられている固定的・画一的な観念やイメージのこと。これは、固定観念と訳してもいいような、要するに型にはまったとらえ方のことである。偏見と概念的に重なるが、ステレオタイプの方がより広い現象をさしていると思ってほしい。この概念を最初に提唱したのはウォルター・リップマンである。かれは一九二二年の『世論』において、ステレオタイプの機能について考察した▼9。
リップマンによると、ステレオタイプはある程度不可避なものである。それは文化的規定性とほとんど同義である。「われわれはたいていの場合、見てから定義しないで、定義してから見る。外界の、大きくて、盛んで、騒がしい混沌状態の中から、すでにわれわれの文化がわれわれのために定義してくれているものを拾い上げる。そしてこうして拾い上げたものを、われわれの文化によってステレオタイプ化されたかたちのままで知覚しがちである▼10。」たとえば、はじめて動物園にいった子どもが象をみて、そのうち何人の子が、象の足の長いこと、つぶらな瞳に気がつくだろうか。象は鼻が長い動物と教えられてしまった子どもの多くは、現にみえているもののたったひとつの要素にすぎない長い鼻だけをみるのである。
それでは、なぜステレオタイプが生まれるのか? リップマンはふたつの理由をあげている。第一点は労力の節約すなわち経済性である。「あらゆる物事を類型や一般性としてでなく、新鮮な目で細部まで見ようとすればひじょうに骨が折れる。まして諸事に忙殺されていれば実際問題として論外である▼11。」つまり、ステレオタイプによって人びとは思考を節約するのだ。そのつど一から考えなくてすむというわけである▼12。
第二の理由は、ステレオタイプがわたしたちの社会的な防御手段となっているからである。ステレオタイプは、ちょうど履き慣れた靴のように、一度そのなかにしっかりとはまってしまえば、秩序正しい矛盾なき世界像として機能する。だから、ステレオタイプにちょっとでも混乱が生じると、わたしたちは過剰に防御反応してしまう。「ステレオタイプのパターンは公平無私のものではない。[中略]われわれの自尊心を保障するものであり、自分自身の価値、地位、権利についてわれわれがどう感じているかを現実の世界に投射したものである。したがってステレオタイプには、ステレオタイプに付属するさまざまの感情がいっぱいにこめられている。それはわれわれの伝統を守る砦であり、われわれはその防御のかげにあってこそ、自分の占めている地位にあって安泰であるという感じをもち続けることができる▼13。」
要するに、ステレオタイプの本質は「単純化による思考の節約」と「感情的であること」にあるといえる。だから、人びとは自分たちのステレオタイプに固執してしまいがちなのである。
レイベリング
レイベリングとは「非行少年」「不良」「精神病」「犯罪者」「変質者」「落ちこぼれ」といった逸脱的な役割を一方的に押しつけることをいう▼14。
レイベリング理論の創始者のひとりであるハワード・S・ベッカーによると、「社会集団は、これを犯せば逸脱となるような規則をもうけ、それを特定の人びとに適用し、彼らにアウトサイダーのレッテルを貼ることによって、逸脱を生みだすのである。この観点からすれば、逸脱とは人間の行為の性質ではなくして、むしろ、他者によってこの規則と制裁とが『違反者』に適用された結果なのである。逸脱者とは首尾よくこのレッテルを貼られた人間のことであり、また、逸脱行動とは人びとによってこのレッテルを貼られた行動のことである▼15。」つまり、レイベリングによって〈逸脱〉がうまれるというのだ。
では、だれが規則をつくりレッテルを貼るのか。それはまず、政府・役所・組織などのフォーマルな統制者であり、専門家・医師・教師である。つまり、警察や鑑別所が「非行少年少女」を確定し、医師が特定の「病気」を宣告し、相対評価しなければならない教師が「落ちこぼれ」をつくりだす。また、マス・メディアが特定宗教団体を「狂信的集団」としてキャンペーンすれば、その信者たちは「狂信者」とみられてしまう。これはまた、一般市民やクラスメイト・親族・同僚などの集団の成員によってもなされることがある。たとえば、あだ名のように、あるひとつの特性だけをとりだして類型化してしまうこともレイベリングである。ラフなスタイルで昼間団地を歩いているだけで「変質者」とみられてしまうこともありうる。
差別
偏見・ステレオタイプ・レイベリングは、しばしば具体的な差別として現象する。また、利害関係から生じた差別から、それを正当化するために偏見が生まれることも多い▼16。
差別とは、特定の個人や集団を異質な者としてあつかい、平等待遇を拒否し、不利益をもたらす行動のことである。いうまでもなく現代社会は平等を理念として掲げた社会である。したがって、差別はあくまでも〈不当〉である。しかし、現実にはさまざまな差別があり、その不当性がなかなか認められない。江原由美子によると、差別の問題点のひとつは、被差別者が不利益をこうむることだけでなく、不利益をこうむっているということ自体が社会においてあたかも正当なことであるかのように通用していることだという▼17。
さらに大きな問題点は、差別が論じられる場にかならずもちだされる〈差異〉についての議論そのものが差別の論理に加担する装置となっていることである。たとえば、江原由美子の提示するつぎのような場合を考えてみればいい。「軽い『障害者』は往々にして、自己の『障害』がほとんど日常生活に支障をきたさないのに、様々な『偏見』によって『差別』されていることに怒りを感じざるをえない。それゆえ、『差異の存在』自体を否定する論理にむかいがちである。他方、重い『障害者』はまさにその論理の中に自己の存在の『否定』を見出してしまう。『差異がないのに差別されている』と怒ることは、では、『差異があれば差別されていいのか』という後者からの問いかけを必ず生む。それゆえしばしば、軽い『障害者』と重い『障害者』の間の対立は『健常者』と『障害者』との間の対立以上に深刻になる▼18。」ここに差別を議論するむずかしさがある。つまり、差異を論じるよう仕向けるロジックそのものに「差別の論理」が存在するのである。
問題点
これまで概観してきた偏見・ステレオタイプ・レイベリング・差別の現象は、相互に重なりあい密接に連動しながら現代社会に浸透している。その一般的な問題点としてつぎの諸点が指摘できる。
第一に、これらは、個人と個人、個人と集団、集団と集団のコミュニケーションを妨げる。つまり、ディスコミュニケーションあるいは歪められたコミュニケーションの要因となる。そして、偏見やステレオタイプに気づかないでいることは、社会認識と自己認識を非〈反省〉的にしてしまう。
第二に、対象になった個人や集団が異議申し立てできないことが多い。セクハラにしても、あだ名にしても、抗議したところで「ジョーダンだよ、ジョーダン」と軽い遊びの気持ちであることを表明されると、抗議することがルール違反とみなされてしまう。あらかじめ異議申し立ての回路が閉ざされているのである▼19。
第三に、権力によって意図的に利用されることが多い。二十世紀初頭にドイツ社会が危機にひんしたとき反ユダヤ主義が高揚した。この潮流はナチスによって意図的に増幅され、毒ガスによる大量のユダヤ人殺人がおこなわれた。同じことが関東大震災時の朝鮮人虐殺にもみられる。後述するスケープゴートによる秩序の安定化が政治権力者によって謀られる。リップマンの指摘するように、これらの現象は基本的に保守的な性質をもち、それゆえ保守的な政治勢力に利用されやすいのである▼20。
第四に、これらの諸現象は基本的に閉鎖的な集団に内在かつ遍在する権力作用であり、成員のだれもが被害者にも加害者にも傍観者にもなりうる。いいかえれば、権力者による上からの強制によってもたらされるというより、人びとの関係性から導かれるものであり、だれもがそれに加担しうる。もともと類型化作用には、たえずこのような権力作用がつきまとうのである。
第五に、しばしば予言の自己成就のメカニズムが作動する▼21。そもそも「差異」から「差別」がうまれるのではなく、「差別」から「差異」が想定されるのであるが▼22、ひとたび「逸脱」の側に〈振り分け〉られてしまうと、アイデンティティの危機に適応するため、どんなに不当でもその社会的期待を受け入れざるをえない状況に追い込まれていく。「落ちこぼれ」「秀才」「非行少年」――呼ばれたものになっていくメカニズムが作動する。社会学者はこの現象を「予言の自己成就」と呼ぶが、犯罪・非行の文脈では「悪の劇化」(dramatization of evil)または「第二次逸脱」(secondary deviation)と呼んでいる。たとえば非行歴のある少年が悪者のレッテルを貼られたため就職などの合法的な再出発ができず、生きていくためにふたたび非合法な行為においこまれていくといった悪循環のプロセスをさす▼23。
▼1 いわゆる悪徳商法のおもな犠牲者は高齢者やひとり暮らしの中年女性だった。また誘拐事件の三分の二が子どもの誘拐である。
▼2 企業社会の文脈では女性という性役割も社会的弱者を構成するカテゴリーに入れなくてはならない。男女雇用機会均等法以後、徐々に改善されつつあるとはいえ残業・喫煙・接待などの職場慣行はあいかわらず男性中心だし、給料格差や昇進などの点で、多くの女性が差別待遇にある。さらに障害者雇用の点では、どの企業も遠くおよばないのが現状だ。障害者雇用促進法によると、民間企業では、障害者を従業員の一・六%以上雇用しなければならない。しかし一九九一年現在、雇用率は一・三二%にとどまり、とくに従業員千人以上の大企業の八二・一%が法定雇用率を満たしていない。『朝日新聞』一九九一年一〇月三一日付朝刊による。
▼3 いうまでもなく、経済的困窮と社会心理現象の両者は具体的な差別を媒介に密接に連動している。
▼4 現在では加熱滅菌されており、エイズ感染の心配はない。この事件の概要については、立花隆『同時代を撃つII情報ウォッチング』(講談社文庫一九九〇年)に収められた「血友病エイズ感染死は厚生省と業界の癒着が原因」参照。
▼5 スーザン・ソンタグ『隠喩としての病い』(みすず書房一九八二年)では、結核とガンを対比させながら、病気にまつわるさまざまなメタファーを論じている。ソンタグによると、病気は道徳的性格に適合する罰と考えられ、一種の懲罰的色彩をおびている。たとえば、ペストは道徳的汚染の結果であり、結核は病める自我の病気であるというように。このように病気にはさまざまな意味づけがなされてきた。しかし「病気とは隠喩などではなく、従って病気に対処するには――最も健康になるには――隠喩がらみの病気観を一掃すること、なるたけそれに抵抗すること」(六ページ)すなわち「非神話化」が必要だという。
▼6 T・M・ニューカム、森東吾・萬成博訳『社会心理学』(培風館一九五六年)二七二ぺージ。
▼7 13-1参照。
▼8 C・W・オルポート、原谷達夫・野村昭訳『偏見の心理』(培風館一九六一年)七ページ。
▼9 W・リップマン、掛川トミ子訳『世論(上)』(岩波文庫一九八七年)。
▼10 前掲訳書一一一ぺージ。
▼11 前掲訳書一二二ぺージ。
▼12 社会認識における類型化については5-1および9-2参照。
▼13 前掲訳書一三一-一三二ぺージ。
▼14 レイベリングについては6-2参照。
▼15 ハワード・S・ベッカー、村上直之訳『アウトサイダー――ラベリング理論とはなにか』(新泉社一九七八年)一七ページ。
▼16 この点については個々の差別の独自性を知ることが非常に重要である。もっとも広い視野から問題を整理したものとして、新泉社編集部編『現代日本の偏見と差別』(新泉社一九八一年)。この本で論じられているテーマはきわめて多岐にわたっている。目次によると、「女性」「老人」「在日朝鮮人」「アイヌ民族」「被差別部落」「沖縄」「原発地域」「社外工・下請工・パートタイマー」「宗教」「思想」「学歴」「夜間中学」「定時制高校」「養護学校」「障害者」「原爆被爆者」「公害病患者」が論じられている。本章では、差別現象を社会形式とりわけ権力形式のひとつとしてとりあつかい、形式社会学的に分析することに主眼があるので、詳細についてはこの本を参照されたい。
▼17 江原由美子『女性解放という思想』(勁草書房一九八五年)六四ページによる。なお、この本に収められた論文「『差別の論理』とその批判――『差異』は『差別』の根拠ではない」は、社会学的な反差別論として熟読をおすすめしたい。
▼18 前掲書七八ページ。
▼19 前掲書所収の「からかいの政治学」参照。
▼20 露骨な利用を「フレームアップ」(frame up)[でっちあげ]という。代表的事例は十九世紀末のドレフュス事件である。この事件ではユダヤ人への偏見が利用された。アメリカの事例については、小此木真三郎『フレームアップ――アメリカをゆるがした四大事件』(岩波新書一九八三年)。
▼21 予言の自己成就については1-3参照。
▼22 江原由美子、前掲書八二ページ以下参照。
▼23 これらの概念については、大村英昭『新版非行の社会学』(世界思想社一九八九年)参照。
20-2 関係概念としてのスティグマ
スティグマとはなにか
以上のような社会(心理)現象の結果として、マージナルな側に振り分けられた人間に対してあらわれるのが「スティグマ」(stigma)である▼1。スティグマとは、望ましくないとか汚らわしいとして他人の蔑視と不信を受けるような属性と定義される。これは、ある属性にあたえられたマイナス・イメージと考えてよい。
スティグマは、もともとはギリシアで奴隷・犯罪人・謀反人であることを示す焼き印・肉体上の「しるし」のことで、汚れた者・忌むべき者というマイナスイメージが肉体上に烙印されたものである。のちにカトリック教会では、十字架上で死んだキリストの五つの傷と同じものが聖人=カリスマにあらわれるということから、「聖痕」の意味に転化した。このような由来をもつため西欧では日常語として使われている。とくに学術用語というわけではない。
スティグマとなりうる属性としては、病気・障害・老齢などの肉体的特徴、精神異常・投獄・麻薬常用・アル中・同性愛・失業・自殺企図・過激な政治運動などから推測される性格的特徴、人種・民族・宗教に関わる集団的特徴などがある。人びとは、スティグマのある人を対等にあつかわず差別し、多くは深い考えもなしにその人のライフチャンスをせばめている▼2。
現代日本における老い
スティグマの概念を現代日本の老いについて考えてみよう。
現代の日本では消費社会化が進行し、若者文化の影響力が大きくなってきた。そのため、若さというものに無条件の価値があたえられている。たとえば、広告において若さ志向でないものをさがすのはむずかしい。これに対して老いは否定的なことの側に位置づけられてしまう。他方、敬老の意識をもつ人びとにおいても、老人はあくまでも社会的弱者とみられている。これは〈老人イコール無能力〉ととらえるのにほぼ等しい。また法的には、一九六三年に制定された老人福祉法第二条に「老人は、多年にわたり社会の進展に寄与してきた者として敬愛されかつ、健全で安らかな生活を保障されるものとする」とある。この一文からあきらかなように、日本の老人福祉は、あくまでも過去の能力と実績に対する報酬として敬老を受ける権利があるとしている。
いずれの考え方にせよ、現代の日本社会は、老いの意味を見失っているといえよう。その結果、老いは、すでに否定的な意味しかもたず、不幸の原因のひとつとなってしまっている。老人自身が老いを隠そうとし、そのために若さを装い、若さに近づこうとするのも無理ない話といえる▼3。
多くの老人が自分自身を無力でみじめな存在という否定的なものとしてイメージするのはなぜか。そんなふうに考えることないじゃないかと思うが、これには理由がある。それは、高齢者自身の自分をみる目が、若く充実した時期つまり三〇代・四〇代・五〇代のままだからである。かつて自分が否定的イメージを付与した存在に自分自身が移行していく経験――これが現代日本における老いの基本構造である▼4。
周囲の否定的な反応としてのスティグマ
とくに注目してほしいのは、老人本人が老いを否定的にとらえているということだ。これがスティグマという現象の実態にほかならない。
ゴッフマンによると、ある特定の特徴がスティグマを生むのではないという。たとえば、目や足が不自由なこと自体がスティグマなのではない。それに対する他者のステレオタイプな反応との関係がスティグマという現象なのである▼5。つまりスティグマの本質は「その人の特徴に対する否定的な周囲の反応」といっていいだろう▼6。だから、老一般が日本社会でスティグマになるのは、日本社会が老いの積極的意味をみいだせないでいるために、老いに対して周囲が否定的な反応しかできないことによるのである。
六つの「老人の神話」
アメリカの精神科医で、一九六九年に年齢差別・老人差別を意味する「エイジズム」(agism)を最初に使用した人として有名なロバート・バトラーは老いに対する六つの偏見を「非現実的な神話」として提示している▼7。
(1)加齢の神話――年をとると思考も運動も鈍くなり、過去に執着して変化を嫌うようになるという偏見。じっさいには個人差が大きい。
(2)非生産性の神話――老人は幼児のよう自己中心的で、生産的な仕事などできるはずがないという偏見。しかし、地域社会へ貢献していることは多い。
(3)離脱の神話――老人は職業生活や社交生活から離脱し、自分の世界に引きこもるものだという偏見。
(4)柔軟性欠如の神話――老人は変化に順応したり自分を変えたりできないという偏見。じっさいには、年齢よりも性格構造によって異なる。脳組織の損傷などがなければ、人間は最後まで成長しつづける。
(5)ボケの神話――老化するにつれてボケは避けられないという偏見。老人も若者と同じようにさまざまな感情体験をしている。たんなる物忘れとボケはちがう。ちなみにボケは病気であって出現率は数パーセントにすぎない。
(6)平穏の神話――老年期は一種のユートピアであるとみる偏見。しかし、じっさいには、たとえば配偶者との死別による悲しみのように、老人はどの世代よりストレスを経験しており、そのため、うつ状態・不安・心身症・被害感情をもつことがある。
ここでバトラーがいいたいのは、老いを一般化してはならないということ、老いの多様性を発見することがたいせつだということだ。老いに対する偏見やステレオタイプに気づき、積極的老人像の可能性をさぐり、社会全体が老いの積極的意味を認識するようにしなければならない。そうなってはじめて、老いはスティグマでなくなるのである。
▼1 アーヴィング・ゴッフマン、石黒毅訳『スティグマの社会学――烙印を押されたアイデンティティ』(せりか書房一九八四年)。またスティグマ概念を社会福祉の領域に応用したものとして、P・スピッカー、西尾祐吾訳『スティグマと社会福祉』(誠信書房一九八七年)。
▼2 ゴッフマン、前掲書一四-一五ページ。
▼3 以上、副田義也「現代日本における老年観」『老いの発見2老いのパラダイム』(岩波書店一九八六年)による。
▼4 上野千鶴子「老人問題と老後問題の落差」前掲書、とくに一二七ページ以下による。
▼5 ゴッフマン、前掲訳書一二-一三ぺージ。だから、有名大学出身という特徴も「否定的な周囲の反応」のあるところではスティグマになる。たとえば、低学歴層の集まっている職場や住宅街では、落伍者・部外者のレッテルを貼られるもとになり、仲間と認めてもらえなくなるおそれがある。だからひた隠しにすることになる。だから有名大学出身という属性も、プラスイメージにもなればマイナスイメージにもなる。したがって、こういういい方もできるだろう。つまり、スティグマはだれにでもあり、それが一挙に表面化する状況がたまたま多いか少ないかなのだと。
▼6 スピッカー、前掲訳書。
▼7 岡堂哲雄『あたたかい家族』(講談社現代新書一九八六年)の紹介を参照。一七三-一七六ページ。
20-3 スケープゴート化
排除による秩序形成
本章ではこれまで、〈医療と福祉の対象となる人びと〉を具体的に苦しめている社会(心理)現象をそれぞれ概念化し、その形式的特徴について分析した。そしてスティグマが、それらの諸現象の結果として、対象にされた人びとの内面に生じる関係的現象であることを「老い」を例にとって考察してきた。それにしても、このような現象がなぜ平等を理念とする現代社会にも生じてくるのだろうか。今度は、このような諸現象を基底から支える社会のダイナミズムについて考えてみることにしたい。
偏見・ステレオタイプ・レイベリング・差別の諸現象に一様にふくまれているファクターはなにか。それは項Aと項非Aを区別し、そのあいだに〈線引き〉し、項Aを〈排除〉しょうとする心性である。
〈A〉             〈非A〉
異常             正常
病気             健康
やくざ            かたぎ
非行・おちこぼれ      ふつう
犯罪者[前科者・その家族] 一般市民
障害者            健常者
女性・子ども         男性
異人             常人
異端             正統
これらのあいだに〈線引き〉し分断するさいに、生物学的な理由であるとか、歴史的な理由であるとか、もっともらしい理由が主張され、常識もこれを受け入れることが多いが、ほとんどあとでつけ加えられたものだ▼1。すでにのべたように、「差異」から「差別」が生まれるのではなく、「差別」から「差異」が想定されるのである。そういう意味では、「まず排除ありき」という構造原理が、集団・共同体・社会そのものに内在していて、排除によってまとまっていくというメカニズムが存在すると考えられる。つまり、排除による統合である。このような社会のダイナミズムを「スケープゴート化」または「スケープゴーティング」(scapegoating)と呼ぶ。
スケープゴートというのは、平たくいえば「いけにえ」ということであるが、正確には「贖罪の山羊(やぎ)」と訳される本来は宗教用語である。ユダヤ教とキリスト教では、罪をあがなうために神に捧げられた犠牲の山羊――これがたとえばキリストの受難の意味となる――という観念をさしている。ひとりの預言者が集団の責任を一身に背負って、集団の危機を救うため犠牲になるという事態は、ユダヤ教やキリスト教などの宗教思想にとって必要不可欠なものである▼2。
じつは一般の社会関係においてもスケープゴート化は、危機を打開し、かつ秩序を形成するための有力な形式なのである。
たとえば、政治がらみや企業がらみの大きな事件が明るみにでると、内部事情にもっとも深く関与したスタッフが、事件のいっさいの汚点を背負って自殺するケースがある▼3。これによって、危機に頻した組織や集団の秩序が回復する。一件落着というわけだ。しかし、この場合は、スケープゴート化にはちがいないが、むしろその通俗的使用というべきであって、もっと社会なり共同体なりを全体として巻き込んでいくスケールでとらえるのが本筋である。そうなると、つぎのようなものが考えられる。
大量排除現象
スケープゴート現象の代表的なものは、なんといっても中世キリスト教世界における魔女狩りである。魔女狩りはヨーロッパの中世末期、ちょうどルネサンスのはじまりとともにさかんになり、一六〇〇年前後の一世紀にピークを迎えた。魔女と名指しされたきわめて多くの男女が拷問によって自白を強要され、異端審問官による魔女裁判によって、火あぶりの刑に処せられた▼4。
二十世紀になってからもあいついで大量排除現象が生じている。まずヒトラーのナチズムにおいてはユダヤ人が排除の対象とされ、アウシュビッツをはじめとする強制収容所に連行・監禁された上、毒ガス室で大量に殺害された。これを「ホロコースト」と呼ぶ。同じころソビエト共産党の実権を掌握したスターリンは、政敵やそれに連なる人びとをつぎつぎに「トロツキスト」「修正主義者」とレッテルを貼って連行し、シベリアの強制収容所に送って強制労働につかせたり、銃殺したりした。これを「粛清」という▼5。もちろん天皇制国家としての戦前の日本においても「国賊」「非国民」のレッテルが反戦主義者・社会主義者・宗教教団に貼られ、治安維持法や不敬罪によって徹底的に弾圧された。似たようなことは第二次世界大戦後のアメリカでもおこっている。「マッカーシズム」と呼ばれる「アカ狩り」[レッドパージ]がそれである▼6。
これらの現象は、集団内に存在する矛盾が、その内部の少数者に集中して転嫁される結果、少数者が集団の中心から排除され、集団の周縁に追いやられたり、集団暴力の対象となり、それによって集団全体が〈浄化〉され秩序を回復する、という共通の構図をもっている。したがって、排除された側に非はなく、むしろ排除した側に根深い問題があった。
近代日本の排除現象
このしくみは近代の日本を貰いて存在している。間庭充幸は日本的集団における包摂と排斥の構造を分析するなかで、さまざまなスケープゴート現象を指摘している▼7。そのなかから典型的なものを三件ひろってみよう。
村落共同体における「異人」――村や家の共同体にそぐわない人間[狂人]を「半ば自発的、半ば強制的に」外部[山]に排除し、恐ろしい「山女」「山人」として畏怖し神聖化する。あるいは村や家を調和を乱す奇異な現象およびその体現者[障害児や不倫の子あるいは利口すぎる子など]を「河童の子」「憑きもの」(たとえば狐憑き)「神隠し」などと称して抹殺したり一時的に排除した。この虚構により家族も納得できるのである。注目すべきは憑きものの場合、憑いた狐や狸が去れば当人は元通り共同体に復帰できるということだ。これは共同体の一種の知恵だった▼8。
企業城下町における「公害被害者」――一九六〇年代の高度経済成長期は同時に公害が極大化した時代だった。公害のひどかったのは当然のことながら企業城下町と呼ばれる地域である。しかし、企業城下町における公害患者はしばしば被害者であることさえ表明できない状況にあった。それは企業一家主義・組合家族主義・私生活優先主義が包摂の原理となっていたところで、その中心たる絶対的な企業に異議申し立てすることにほかならなかったからである。労働組合でさえ公害の拡大に目をつぶり、内部告発に走るものを「裏切り」として断罪し排斥した。たとえば水俣病の悲劇のひとつはここにあった▼9。
管理教育における「いじめられっ子」――管理教育の防衛策として子どもたちは自分を他者の行動に合わせてはみださないようにする。これを「同調競争」という▼10。同調競争は目的が空洞化しているため、他人の出方や位置によってしか自己を確認できない。ひとりひとりが等しく不安な状態におかれる。そこで、この不安から逃れるために、いちはやく他人の差異をみいだし排除しようとする。そうでなけけれれば自分がやられるという恐怖がそうさせるのである▼11。
また、赤坂憲雄はスケープゴーティングのケース・スタディともいうべき『排除の現象学』のなかで、一連のいじめ事件、横浜浮浪者襲撃事件、イエスの方舟事件、けやきの郷事件(自閉症者施設「けやきの郷・ひかりが丘学園」の建設計画に対して地元の鳩山ニュータウン住民による反対運動がおこり建設が断念された)、精神鑑定される通り魔などを分析している▼12。
強調しておきたいのは、これらの諸事例が、支配者が意識的に行使する強制力によって生じるのではなく、共同体・集団・社会そのものに内在する〈権力作用〉によるものだということだ。暴力の実体はなく、加担者は正義を語り、あくまでも自己防衛的である。この権力作用に内在しているときは、ほとんど存在感がないくらいナチュラルだが、ひとたび周辺に追い出されたり、抵抗しようとすると、その暴力的な圧力はときとして人を死に追いやるほど強い。「見えない権力」=権力作用の怖さは、じつはここにある。
ヴァルネラビリティと有徴性
では、どのような人がスケープゴートにされやすいのだろうか。さきほどの表記でいうと「項A」に追い込まれやすい特性はなんだろうか。人類学では、攻撃を招きやすい性格のことを「ヴァルネラビリティ」(vulnerability)という。「攻撃誘発性」とか「被撃性」と訳される概念である▼13。
なにが〈ヴァルネラブル〉か。少数であることか、それとも能力が低いことか、あるいは力が弱いからか-おそらく本質はそうではない。たとえば、いじめられた方になにか問題があると主張する議論があるが、それは「予言の自己成就」のメカニズムによって、いじめの結果つくられたことであって、原因と結果をとりちがえた転倒した論理である。「あきらかな差異の具現者が存在するから、いじめが起こるわけではない。むしろ、差異はあらかじめ存在するのではなく、そのつどあらたに発見され、つくられるのである。むろん、排除というたったひとつの現実にむけて▼14。」たとえば、いじめはむしろ差異のない均質な学校空間から生まれるのだ。
では、ヴァルネラビリティの基本要素はなにか。それは記号論の用語でいう「有徴性」である▼15。徴(しるし)のあるのが有徴、ないのが無徴である。この項の冒頭に示した「線引き」の一覧のなかで〈A〉としたのが有徴サイド、〈非A〉としたのが無徴サイドにあたる。つまり、有徴な項が析出して、それによってはじめてその他大勢が「〈それ〉でないもの」として定義される。「フツー」とはそういうものなのである。
ことわっておくが、ある特性だけがいつも有徴なのではない。状況によってなにが有徴となるかは異なる。たとえば、ゴッフマンがスティグマの例にだしているように、大卒という属性も、おかれている集団によってスティグマになる▼16。また、帰国子女がしばしばいじめの対象になり、差別されていると感じるのが英語の時間であることは、かれらが「生きた英語」を知っているという優越のためである▼17。また「女教師」「女医」ということばは、男性中心の教員の世界・医師の世界において女性が少数で有徴だったことを示している。そのため、これらのことばにおいて強調されるのは、もっぱら〈性〉の諸相である。
中間考察
まず、いわゆる「社会的弱者」にとって深刻な問題となる――ことわっておくが社会的弱者が問題なのではない――社会心理現象について四点指摘した。偏見・ステレオタイプ・レイベリング・差別。これらについてのさまざまな社会学的研究の一致した結論は、なにか客観的な根拠があって、これらが生まれてくるのではないということだ。「差異」から「差別」が生まれるのではなく、「差別」から「差異」が想定される。「まず排除ありき」なのである。
スティグマという概念についても同じことがいえる。「障害」や「過去」が直接スティグマなのではない。「障害」や「過去」に対する周囲の人びとの反応が、それらをスティグマにする。ここでも「受け手の反応」が意味を決定していることに気づくべきだ。しかも、それは「排除による統合」の社会的メカニズムにもとづいており、それをくつがえすのは容易ではない。
したがって、解決の方向性が「受け手の反応」を変えていくことにあるとしても、たんに意識改革をすればいいというものではない。スケープゴート化にかわる新しい社会形成の形式を自覚的に模索することが必要であろう▼18。
▼1 すでに健康と病気について論じたように、項〈A〉と項〈非A〉とは本来連続的かつ流動的かつ互換的である。5-2参照。それを無理に分断し、二項対立の構図に仕立てるところに、規格化を押しすすめる権力作用の存在をみることができる。なお、理由づけについては、現代社会では「医学的理由」がとくに正当性をもってきている。この傾向を「医療化」(medicalization)という。医療化の研究については、進藤雄三『医療の社会学』(世界思想社一九九〇年)参照。スタンダードな入門書としては、I・イリイチ、金子嗣郎訳『脱病院化社会』(晶文社一九七九年)。
▼2 このあたりの宗教的意味を体感するにはJ・S・バッハの『マタイ受難曲』を聞いてみるのがてっとり早い。また受難の意味の追究については「苦難の神義論」として17-2でもふれた。
▼3 たとえば、「ダグラス・グラマン疑惑」では日商岩井の常務が自殺した。「リクルート事件」では竹下首相の元秘書[三〇年以上勤務]が自殺した。
▼4 数世紀にわたるこのスケープゴーティングの歴史の概要については、森島恒雄『魔女狩り』(岩波新書一九七〇年)。また古典的な研究としては、ミシュレ、篠田浩一郎訳『魔女』(上下・岩波文庫一九八三年)。
▼5 山口昌男『歴史・祝祭・神話』(中公文庫一九七八年)。
▼6 R・H・ロービア、宮地健次郎訳『マッカーシズム』(岩波文庫一九八四年)。
▼7 間庭充幸『日本的集団の社会学――包摂と排斥の構造』(河出書房新社一九九〇年)。
▼8 前掲書六四-七二ページ。
▼9 前掲書一一三-一一八ぺージ。ここでも紹介されている対馬のイタイイタイ病のケースについては、鎌田慧『ドキュメント隠された公害――イタイイタイ病を追って』(ちくま文庫一九九一年)。
▼10 間庭充幸は「同調競争」についてつぎのように説明している。「普通同調と競争が結びつくというときは、同調すべき目的(金銭、地位、あるいは天皇への忠誠、何でもよい)があって同調し、さらにその目的に早く近づくために競争する。それはまさに目的内容を介しての同調的競争、競争的同調である。しかしそれがある限界を超えると、かんじんな目的が脱落してしまい、同調という行為(多数者)自体への同調や競争が発生する。ある目的に向かっての同調や競争とは別に、皆がある目的に志向すること自体が価値を帯び、それへの同調と競争が新たに生まれる。」前掲書五一ページ。昭和天皇の病状悪化による「自粛」行動は典型的な同調競争である。
▼11 前掲書一二七-一三八ページ。
▼12 赤坂憲雄『排除の現象学』(洋泉社一九八六年)。現在洋泉社版は絶版となり、かわりに新版がでている。『新編排除の現象学』(筑摩書房一九九一年)。『新編』では、旧版の冒頭におかれた大友克洋『童夢』の分析が除かれている。
▼13 山口昌男「ヴァルネラビリティについて――潜在的凶器としての『日常生活』」『文化の詩学I』(岩波現代選書一九八三年)。
▼14 赤坂憲雄、前掲書六〇ページ。
▼15 「有徴」「無徴」については、池上嘉彦『記号論への招待』(岩波新書一九八四年)一一七-一二〇ページ参照。
▼16 ゴッフマン、前掲訳書一二-一三ページ。
▼17 宮智宗七『帰国子女――逆カルチュア・ショック』(中公新書一九九〇年)一〇ページ以下ならびに一一四ページ以下。
▼18 この点で注目されるのが「新しい社会運動」と呼ばれる一連の運動形式である。また、理論的には、ハバーマスの「コミュニケーション行為の理論」や今田高俊の「自省社会論」などがオルタナティブな社会形成原理の探求として注目できる。ユルゲン・ハーバーマス、河上倫逸ほか訳『コミュニケイション的行為の理論』(上中下・未来社一九八五-八七年)。今田高俊『モダンの脱構築――産業社会のゆくえ』(中公新書一九八七年)。
増補
排除現象
民俗学の立場から排除現象について議論を積み上げてきた赤坂憲雄の本が文庫化されている。赤坂憲雄『異人論序説』(ちくま学芸文庫一九九四年)と、赤坂憲雄『排除の現象学』(ちくま学芸文庫一九九五年)である。
いじめについては、森田洋司・清水賢二『新訂版 いじめ――教室の病い』(金子書房一九九四年)。ここで展開されている「いじめの四層構造」論は排除現象を考える上での基本モデルになりうると思う。レイベリングの問題を掘り下げた研究として、徳岡秀雄『社会病理の分析視角――ラベリング論・再考』(東京大学出版会一九八七年)と、徳岡秀雄『社会病理を考える』(世界思想社一九九七年)を加えておきたい。とくに後者は入門として最適。
Prev←■→Next
現在地 ソキウス(トップ)>社会学感覚
SOCIUS.JPドメインへの初出 10/2(Thu), 2003  最終更新日:4/1(Sat), 2017
このページのURLは http:///Users/nomurakazuo/Dropbox/socius.jp/lec/20.html
Copyright (C)1995-2015 by Kazuo Nomura(野村一夫) 無断転載はご遠慮ください。リンクはご自由に。
Valid XHTML 1.0!Document type: XHTML 1.0 Transitional
閲覧日 4/1(Sat), 2017

Read More

4月 12017

社会学感覚18音楽文化論

Socius  ソキウス   著作+制作 野村一夫

フロントページ


現在地 ソキウス(トップ)>社会学感覚
社会学感覚
18 音楽文化論
18-1 合理化の産物としての近代西欧音楽――歴史社会学的視点
合理化・聴衆・複製技術・消費文化
文化論の最後のテーマとして音楽をとりあげたい。文化的営みである芸術活動のうちのひとつのサンプルとして――あるいは例題として――とりあげてみようというわけだ。
おそらく社会学という科学のなかに「芸術社会学」や「音楽社会学」という分野があることに、意外な感じを受ける人がいるかもしれない。しかし、たとえばジンメルは『レンブラント』という本まで公にしているし、ウェーバーもまた「音楽の合理的・社会学的基礎」通称「音楽社会学」という大きな論文を残している。また、フランクフルト学派にはベンヤミンやアドルノといった非常に芸術に造詣の深い社会学者がいて、多くの著作によって芸術学・美学・音楽学の研究者に大きな影響をあたえてきた。本章では、これらの古典的な研究を紹介するとともに、本書の文化論のシフトである現代の消費文化についても考察していきたい。
キーワードは四つ。合理化・聴衆・複製技術・消費文化である。これらを軸に、音楽現象・音楽文化について歴史的に話をすすめていきたい。ブレヒトのいう「歴史化」を音楽現象について試みたいと思う▼1。歴史化といっても、タイムスパンをどうとるかによって、ずいぶんみえてくるものがちがってくる。はじめに「歴史的過程のなかの近代」というスケールでとらえ、つぎに「近代内部の変化」、さらに「二十世紀」、最後に「現代」というスケールでみていくことにしたい。四つのキーワードは、この四つのスケールに対応している。
ウェーバーの合理化論
音楽はあらゆる時代・あらゆる民族において発展した普遍的な営為だ。しかし、音楽に関して近代西欧においてのみ生じた特殊なことがある。それは独特の〈合理化〉である。
ウェーバーは『宗教社会学論集』の有名な「序言」のなかで、つぎのように問うている。要約すると「なぜヨーロッパ以外の地では、科学・芸術・国家・経済の発展が、西欧に特有の合理化の道をたどらなかったのか」-この「西欧に特有の合理化」のことをウェーバーが「呪術からの解放」とも呼んでいたことは前章でもふれた。ウェーバーは、この西欧に特有な合理化」の結果生まれたものとして、つぎのようなものをあげている▼2。
経済における資本主義的企業――形式的に自由な労働・合理的経営形態・家政と経営の分離・合理的な簿記
行政における官僚制組織
国家における議会制度・憲法・合理的法体系
学問における近代自然科学――数学的な表現と基礎づけ・実験による検証・組織的研究の場としての大学
芸術における市場向け生産物――文学出版物・雑誌・新聞・劇場・美術館
絵画における遠近法
音楽における和声音楽[対位法・和音和声法]
以上の諸現象は今日わたしたちにとって自明な――それゆえ普遍的にみえる――ものばかりだが、じつはいずれも近代西欧にのみ発生した、歴史的にみてきわめて特殊な現象なのである。そこには独特の〈合理化〉が一様にみられた。
西欧音楽の合理化
晩年のウェーバーの関心は、西欧近代社会がたどった合理化過程に集中しており、かれの未完の草稿「音楽の合理的社会学的基礎」(通称「音楽社会学」)もその視点につらぬかれている▼3。
さしあたりウェーバーの関心は西欧音楽独自の音組織にあった。具体的には、合理的和声と調性である。和声音楽はトニック・ドミナント・サブドミナントの三つの三和音の組み合わせによって構成される。これは近代西欧音楽独特のものである。これを可能にするのはオクターブ空間の均質的な構成である。つまり十二平均律である。これがあってはじめて自在な転調が可能になり、和声音楽の表現力は飛躍的に高まる。ところが、じつは自然に聞こえる和音にもとづいて調律すると、オクターブがあわないのである。音響物理学ではこれを「ピュタゴラス・コンマの問題」と呼ぶ。このさい近代西欧音楽は聴覚上の調和よりも十二音の間隔の均一化を選択する。つまり、よく響くが音楽的ダイナミズムに欠ける純正律ではなく、聴覚上若干の不協和があるが自在な音楽表現を保証する平均律を選ぶのである。J・S・バッハの「平均律クラヴィーア集」(第一集)は、その転換点を刻印する作品だった。
以上の西欧独特の音組織は、他のさまざまな要素と連動していた。第一にあげなければならないのは記譜法の成立である。西欧以外の伝統的音楽はいずれも精密な楽譜を発達させなかった。五線符に音楽をく書く記譜法は、もっぱら〈演奏する〉活動だった音楽を「書く芸術」に変化させた。ここではじめて作曲家と演奏家が分離し、〈音楽を書く人〉としての「作曲家」が誕生することになる。第二に、楽器とくにピアノにいたる鍵盤楽器の発達が関係する。鍵盤楽器が他の諸楽器と異なるのは、調律を固定しなければならないことである。とりわけピアノは純正律から平均律への転換に大きな役割を果たした。
もちろん、宗教をはじめとするあらゆる文化現象がそうであるように、音楽現象も、非合理的で神秘的な性質をもつ。じっさい、いわゆる民族音楽としてわたしたちが知っている多様な音楽のほとんどは、もともと非合理的で神秘的な性質をもっている。しかし、近代西欧音楽は、しだいに非合理性と神秘性を溶解させ、独特の合理化を果たすのである。ウェーバーの歴史社会学は、その合理化が、ひとり音楽のみならずあらゆる社会領域において浸透していった壮大な潮流のひとつの支流であることを教えてくれる。
▼1 ブレヒトの「歴史化」については2-2参照。
▼2 「宗教社会学論集序言」マックス・ヴェーバー、大塚久雄・生松敬三訳『宗教社会学論選』(みすず書房一九七二年)。なお、ユルゲン・ハーバーマス、河上倫逸・フーブリヒト・平井俊彦訳『コミュニケイション的行為の理論(上)』(未来社一九八一年)第二章およびディルク・ケスラー、森岡弘通訳『マックス・ウェーバー――その思想と全体像』(三一書房一九八一年)一五九ページ以下参照。
▼3 マックス・ウェーバー、安藤英治・池宮英才・角倉一朗訳『音楽社会学』(創文社一九六七年)。くわしい解説が訳注として付された親切な訳本だが、本文前半に音響物理学を利用した非常に難解な部分があり、直接これを読んで理解できるのは、そうとう音楽理論と数学の得意な人ではなかろうか。そこでこの本に付せられた安藤英治の解説「マックス・ウェーバーと音楽」をはじめとして以下の解説を参照した。ディルク・ケスラー、前掲訳書。R・コリンズ、寺田篤弘・中西茂行訳『マックス・ウェーバーを解く』(新泉社一九八八年)。吉崎道夫「ウェーバーと芸術」徳永恂編『マックス・ウェーバー――著作と思想』(有斐閣新書一九七九年)。吉崎道夫「非合理と合理の接点にあるもの――ウェーバーの『音楽社会学』を廻って」『現代思想』一九七五年二月号。勝又正直「M・ヴェーバーの『音楽社会学』をめぐって」『社会学史研究』第九号(一九八七年)。ウェーバーの音楽社会学はウェーバー研究の文脈では年々その重要性が評価されているようだが、一般には社会学として継承されていない。このあたりの事情については、アルノルト・ツィンゲルレ、井上博二・大鐘武・岡澤憲一郎・栗原淑江・野村一夫訳『マックス・ウェーバー-影響と受容』(恒星社厚生閣一九八五年)参照。
18-2 近代的聴衆の誕生――オーディエンス論的視点
「音楽の正しい聴き方」
つぎに近代西欧音楽の展開過程の内部における変化をみていこう。とくにウェーバーが見落としていた――突然の死によって不可能になった?――問題を中心にみていこう。それは音楽の受け手の態度である▼1。
わたしたちが「クラシック」として知っている近代西欧音楽は、かつて、どのように聴かれたのだろうか。現代なら、静まりかえった客席で古典的な名曲を一心に聴きいることが聴衆の〈あるべき姿〉とされている。こうした禁欲的な聴き方を「集中的聴取」と呼び、このような聴き方をする規範的かつ倫理的な聴衆のあり方を「近代的聴衆」と呼ぶ。きまじめな集中的聴取を理想的に実現するために、禁欲的な「演奏会のモラル」がつくられ、ホールも外の音を完全にシャットアウトして作品理解と関係ない音をできるだけ排除する。そして演奏中に客席の照明をおとすのも、作品にじかに向きあって集中できるようにする配慮である。こうして演奏会場は、隔離された特権的な空間になる。このような場で行われる聴取はきわめて個人的な体験である。これが「音楽の正しい聴き方」とされてきた▼2。
十八世紀音楽の聴かれ方
ところが、このような「集中的聴取」をおこなう「近代的聴衆」というあり方がヨーロッパで定着したのは、それほど古いことではなく、じつに十九世紀なかごろの話だという▼3。
では、それまではどうだったかというと、演奏会はまさに社交の場であって、まじめに音楽に耳を傾けようというのはごく少数派。ほとんどは楽しければそれでよいという人びとだったという。渡辺裕の紹介するエピソードによると、歌詞が聞きとれないので歌詞を印刷したプログラムを配ったとか、パイプの煙で指揮をするのがたいへんだったとか、気晴らしにトランプで遊んでいたとか、会場に犬を連れてきたり、目立とうとする女性たちがわざと遅れて入ってきたりしたという▼4。
これは当時の音楽が基本的に貴族階級の内輪のパーティという性格をもっていたからである。「音楽とは一心に耳を傾けて鑑賞するものだ」という共通了解が成立するのは十九世紀になってからである。これは、音楽文化の担い手が貴族から市民層に移行したというのがその変化の大きな理由である。産業革命と市民革命を通じて富と権力をもった市民層が演奏会を支えるようになったため、演奏会は「社交の場」であることをやめて「純粋に音楽を聴きたい人の集まる場」になった▼5。「芸術」という概念が成立したのも、ちょうどこのころである。それまで、絵画・演劇・音楽・文芸・建築という営みは「わざ」であり、それを司る人は「職人」だった。ところが十八世紀後半から十九世紀にかけて「芸術」となり「芸術家」とみられるようになった。「独創性」とか「作品」とか「天才」といった常套句が使われるのも、このころからだという。こうした流れのなかで、バッハが敬けんな宗教音楽家としてまつりあげられ、スカトロジーの大好きなあのアマデウスが神童モーツァルトに変身し、ベートーベンが「苦悩の人」として神格化され伝説が生まれた▼6。
こうしてみると、十九世紀はその前後とくらべてきわめて異質な世紀だったといえよう。〈近代〉が、音楽にかぎらず経済や家族などあらゆる社会領域にわたって確固たる基盤をつくったのがこの世紀であることは、〈脱近代=ポストモダン〉を迎えつつあるといわれる現代にあって、留意しておいてよいことである。
▼1 この問題については、おもに音楽学者によって散発的に研究がすすめられてきたようだが、最近になってマーラー研究家の渡辺裕が『聴衆の誕生――ポストモダン時代の音楽文化』(春秋社一九八九年)においてそれらを集大成している。本節以降の議論は、おもにこの本に依拠しつつ、社会学的考察を加えたものである。
▼2 渡辺裕、前掲書五八-六四ページ。
▼3 前掲書一九-二〇ページ。
▼4 前掲書八-一〇ページ。
▼5 前掲書一四-二二ぺージ。
▼6 作曲家の偶像化については、前掲書二二-五七ぺージ。
18-3 複製技術時代
一九二〇年代
十九世紀的な「近代的聴衆」による「集中的聴取」という音楽とのかかわり方がくずれてくるのは二十世紀初頭、正確には一九二〇年代である。
では、この時代になにがおこったのか。
この時代、じつは自動車・飛行機・冷蔵庫・摩天楼など高度な科学技術がいっせいに開花した時代なのである。そして音楽にとって重要なのは、なかでも「複製技術」の出現である。具体的には、ラジオ放送の開始・蓄音器の発達とくに電気録音技術の完成・自動ピアノ[再生ピアノ=演奏家の演奏をそのまま紙のロールに記録して再生するピアノ]の流行などが二〇年代いっせいに花開く。ちなみに写真・映画の隆盛もこのころからである。
ヴァルター・ベンヤミンは、この時代から本格的にはじまった新しい文化の時代を「複製技術時代」と呼んだ▼1。
複製技術時代の芸術作品
ベンヤミンは、それまでの芸術体験がもっていた特性を「アウラ」(Aura)と呼んだ。「アウラ」とは「一回起性」または「一回性」という意味で、「〈いま〉〈ここ〉でしか体験できないこと」「オリジナルならではのなにものか」といった感じだ。かれは「アウラ」を「どんなに近距離にあっても近づくことのできないユニークな現象」と定義する▼2。いいかえると、アウラは独自性と距離と永続性の三つの次元をもつ。たとえば、ミロのヴィーナスのように、それは他にかえがたいものであり(独自性)、それゆえ身近なものとはなりえない(距離)。しかもそれは時間を超越して人びとの心をうつ(永続性)。
複製技術時代以前の音楽作品の場合、「アウラ」はどのようなものか。ザィデルフェルトはそれをつぎのように説明している。かつて音楽の愛好家が好きな作品に接するチャンスは非常に少なかった。「したがって、音楽を聴きに出かけるということは、気分を浮き浮きさせるような体験(独自性)だったに違いない。そしてその体験は、記憶のなかで、以前聴いた素晴らしい演奏と容易に結びつけられたことだろう(永続性)。さらに、その音楽を本当に知るようになる、つまり心に焼き付けておくための唯一の方法は、楽譜(たいていはピアノ用に編曲されていた)を購入して、あれこれピアノで弾いてみることだけであった(距離)▼3。」
ところが、写真・映画・蓄音器などの複製技術は、絵画・演劇・演奏会のもっていた「アウラ」を完全にうしなわせた。だから、ベンヤミンは、複製技術時代における芸術の特徴は「アウラの喪失」であるとし、もはや芸術作品は礼拝のように鑑賞されないと論じた▼4。
音楽作品の場合、一九二三年に売り上げのピークを迎えるロール式の自動ピアノが、ひとつの複製技術時代の幕を開いた▼5。一方、マイクロフォンによる電気録音技術が一九二四年にベル研究所によって開発され、翌年大手のレーベルからレコードが発売された。またラジオも一九二〇年に民間放送がはじまり、爆発的な人気をえたという▼6。
このような複製技術時代のはじまりとともに音楽の受け手も、もはや十九世紀的な「集中的聴取」をする「近代的聴衆」ではなくなった。音楽はもっと日常的なものになった。ベンヤミンのことばを借りると「散漫な受け手」によって、音楽が消費されるようになったのである▼7。
音楽の変容
渡辺裕の指摘によると、こうした新しい聴き方に当時いち早く敏感に対応した作曲家が、最近ブームになったエリック・サティだった。サティの提唱した「家具の音楽」は、たとえば「県知事の執務室の音楽」とか「音のタイル張り舗道」といったタイトルが示すように、要するにコンサート・ホールで芸術作品として演奏される音楽ではなく、BGMとして日常の環境のなかで耳にする音楽である。しかも、今日のミニマル・ミュージックのように短いモチーフを何回もくりかえすというもので、まったく新しい聴取のあり方を先取りしたものだった▼8。
一方、複製メディアに適合した音楽形態として、このころ隆盛したのが、ブルースやデキシーランド・ジャズ、ささやくように歌うビング・クロスビーなどのいわゆる「ポピュラー音楽」だった。ラジオとレコードによってポピュラー音楽は大衆の人気を博した。これ以降、音楽の生産と消費の構図は一変することになり、わたしたちにとってなじみ深い身近な音楽が豊富にあふれる時代になる。
▼1 ヴァルター・ベンヤミン、高木久雄・高原宏平訳「複製技術時代の芸術作品」ヴァルター・ベンヤミン著作集2『複製技術時代の芸術作品』(晶文社一九七〇年)。
▼2 前掲訳書一六ページ。
▼3 A・C・ザィデルフェルト、那須壽訳『クリーシェ――意味と機能の相剋』(筑摩書房一九八六年)六八ページ。
▼4 ベンヤミンの論じた「アウラの衰退・喪失」は、ウェーバーの論じた「カリスマの日常化」とよく似ている。前掲訳書六一-六三ぺージ。ザィデルフェルトは、このなかで「アウラの衰退」を売買行為や商品に拡大して論じている。それによると、小規模生産販売をモットーとするブティックや自然食品販売店、またコックのカリスマ的腕前を売りものにする小さなレストランは、アウラの喪失した消費社会のなかでアウラを回復しようとする試みと位置づけることができるという。前掲書六七-六八ぺージ。
▼5 渡辺裕、前掲書七五-八八ページ。
▼6 このあたりのくわしい事情については、細川周平『レコードの美学』(勁草書房一九九〇年)七七ページ以下参照。
▼7 ベンヤミン、前掲訳書四三-四四ページ。
▼8 渡辺裕、前掲書一〇七-一〇九ページ。
18-4 消費社会における音楽文化
戦後の音楽状況――テクノロジーと若者文化
一九二〇年代における複製芸術の誕生を大きな転機に、音楽の聴かれ方・演奏され方が変わった。大枠としては、これが現代の通奏低音だと考えていいだろう。ただ、その後のめざましいテクノロジーの発達と社会意識の変化によって、音楽のあり方は幾度も変遷を重ねている。ここでは第二次世界大戦後にしぼって概観し、そののちにさらに八○年代日本の音楽状況をくわしくみてみよう。
戦後の音楽状況を語る上で欠かせないファクターがふたつある。テクノロジーの発達と若者文化(ユース・カルチャー)がそれである。
一九二〇年代以降の複製技術時代の音楽にとって技術的な側面は音楽の重要な構成要素になった。戦後の大きな変化としては、五〇年代のテープ録音技術とハイファイステレオ、八○年代のヘッドフォンステレオとビデオとCDが画期的な変化をおよぼした。八〇年代のテクノロジーについては後述するとして、ここではテープ録音技術の影響についてみておこう。発達したテープ録音技術によって、長時間録音が可能になっただけでなく、演奏録音後に自由に切ってはりあわせることもできるようになり、重ねどり(サウンド・オン・サウンド)も可能にした。コンサートの音をオリジナルとする考え方はすでにストコフスキーによって破られてはいたが、この段階で、オリジナルとコピーの区別は完全に無意味になったといってもいいだろう。テープ操作による音楽創造は六〇年代なかごろのビーチ・ボーイズのシングル「グッド・ヴァイブレーション」およびビートルズのLP「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」によって決定的な高みにいたり、ポピュラー音楽に定着することになる。ビートルズがコンサートをしないと宣言した前年の一九六五年、クラシック界でもピアニストのグレン・グールドが「コンサート・ドロップアウト」を宣言し、テープ編集を駆使したスタジオ録音を音楽活動の中心にしている▼1。
若者文化の変遷
さて、テクノロジーとならんで音楽状況を変えた大きな要素は若者文化(ユース・カルチャー)である▼2。とりわけ一九六〇年代の「対抗文化(カウンター・カルチャー)の爆発」が今日の音楽文化の基盤をつくったものとして重要である。
戦後日本の若者文化の流れを大ざっぱに確認しておこう▼3。
(1)一九五〇年代――戦後民主主義や社会主義革命といった理念が絶対的なものとして成立していたので、若者のエネルギーは建設的な方向に向かっていた。→まじめ
(2)一九六〇年代――民主主義や社会主義という理想が、ベトナム戦争や中ソ対立そしてチェコ事件などで神話がくずれる。→反抗
(3)一九七〇年代――連合赤軍事件に象徴される政治的挫折によって「反抗」のエネルギーが消滅する。→シラケ
(4)一九八〇年代――価値の相対化・多様化に対応して、従来の常識にとらわれないフレキシブルな感性。→スキゾ
このうち六〇年代後半は世界的なムーブメントとして大学紛争が多くの大学をゆるがした時代として記憶されているが、従来の中心文化に対抗する文化が異議申し立てし自己主張した重要な転換期だったといえよう。アメリカに即していえば、男性中心文化に対する女性解放運動、白人中心文化に対する黒人の公民権運動、アメリカ帝国主義政策に対するベトナム戦争反対運動などがある。日本でもこれらに呼応する運動がさかんになり、また反公害運動も堰を切ったように大きな潮流になった。そして若者文化が大人の中心文化に対して自己主張――反抗――するのもこの時期である。
六〇年代を通じて日本ではジャズやロックそしてフォークが若者に定着しはじめた。とくにロックは、成立当初「反抗」というメッセージをジャンル自体が色濃くもっていたため、若者の圧倒的な支持をえた。ビートルズやローリングストーンズを皮切りに、つぎつぎと新しいコンセプトをもったグループが聴かれた。このあたりから、若者の表現手段は、文学から音楽にシフトを変えるとともに、当初「反抗文化」として自己主張していた若者文化そのものが、しだいに消費社会の中心的位置に移っていく。そして「音楽化社会」とも呼ぶべき状況が日本に成立することになる▼4。
一九七〇年代音楽の転回
六〇年代がシフト転換期だとすると、七〇年代は音楽の「サウンド志向」への転回期といっていいだろう▼5。
もちろん音楽はサウンドそのものである。しかし、ポピュラー音楽の場合、音楽はことばと密着していることが多かった。しかし、七〇年代の若者たちに支持された音楽は、そうした意味を喪失する方向に転回していき、そのかわりサウンド性(たとえばノリ)を強めていく。たとえば歌謡曲についてみれば、六〇年代までの心情告白型歌詞が、七〇年代の阿久悠の映像的歌詞によって心情的意味をうすめていく。また、六〇年代後半のプロテストソングの場合に重視された公共的なメッセージ性は、七〇年代前半にブームになった「四畳半フォーク」できわめて私生活的なものにかわっていく。このころ、ロックといえば洋楽であり、ロックは英語と決まっていたが、そのころ試みられていた「はっぴいえんど」の日本語ロックが、七〇年代後半ユーミンなどの「ニューミュージック」として開花し、一九七八年にデビューする「サザンオールスターズ」のごろあわせ的歌詞によって完成したとみていいだろう。同時にアレンジの技術も進み、ポピュラー音楽全体の「サウンド志向」が進行した▼6。
一九八○年代日本の音楽状況
〈近代〉という歴史的視野から徐々に焦点をしぼって音楽のあり方について考察してきたが、最後に、わたしたちがともに体験してきたこの十年あまりの音楽状況のいくつかの特質について概観することにしたい。とにかくこの十年あまり――ここでは一九八○年代としておく――に音楽をめぐって生じたことは多く、しかも多様である。複線的変化といってもよい。おそらくこのこと自体が、小川博司のいう「音楽化社会」あるいは「音楽する社会」たるゆえんであろうし、基調としての消費社会の成熟を物語っている。複線的変化のいくつかをひろってみよう。
(1)聴取スタイルの選択肢の拡大――一九七九年に発売された「ウォークマン」とカーステレオの普及と高級化によって、移動しながら選択的に音楽を楽しむことが容易になった▼7。他方で、環境音楽やサウンドスケープ[音の風景]のように、聴くのでなく空間を演出するための音楽も一般的なものになった。CDによって、レコードとはくらべものにならないくらい手軽にあつかえて、しかも高音質のメディアが登場し、またビデオやレーザーディスクによってヴィジュアルな楽しみ方ができるようになった。要するに、聴取の選択肢がぐんと広がったわけである。
(2)参加型音楽行動の増加――パッケージされた音楽をただ聴くのではなく、自分自身が歌い演奏することが格段にふえた。日本がピアノの生産世界一だというとおどろくかもしれないが、世界で年間に生産されるピアノの三割がヤマハとカワイによって生産されている▼8。また「カシオトーン」以後の電子キーボードもイージープレイによって、ピアノの弾けない中年男性を中心にブームになった。そして忘れてはならないのがカラオケブームとバンドブーム(イカ天ブーム)、そして年末恒例の「第九」合唱ブームである。これらさまざまな「プレイ志向」の具体化によって、もはや音楽は「聴く」ものから「する」ものになった▼9。
(3)広告音楽の展開――広告音楽の歴史は一九五一年の民間放送開始とともにはじまるが、当初は広告音楽と流行歌はまったく別の世界をつくっていた。それがしだいに融合し、七〇年代半ばに「イメージソング」として結晶した。つまり「CMソングからイメージソングヘ」という流れである。イメージソングは「ある企業や商品のコンセプトを表現しているが、企業名や商品名が歌詞の中に入っていない曲で、広告音楽として使用され、かつレコードとして市販されている曲」のこと▼10。一九七五年以来の資生堂とカネボウの化粧品広告キャンペーンから盛んになった。一時、歌謡曲のヒットのほとんどがイメージソングだったときもあったが、一九八五年あたりから下火になり、その後は多様化の方向にある。
(4)クラシックブーム――ひとつのピークは、なんといっても一九八七年にニッカのCFに映画「ディーバ」のイメージで出演したキャスリーン・バトルの爆発的人気だった。その前後からウィスキーや高級車のCFにクラシックがヨーロピアンな高級感を付加するのに用いられるようになっていた。なかにはブーニンのアイドル化など日本ならではの現象もあったが、むしろサントリーホールなどのクラシック専門ホールの誕生が、クラシックをオシャレなものに転換したとみることができる。おりしも円高による外タレラッシュで、クラシック界の大物やオペラの引越し公演がさかんにおこなわれた。他方、マニアのなかではマーラー・ブームやオペラ・ブーム、そしてオリジナル楽器演奏ブームがあるが、これにはCDやレーザーディスクなどのデジタル技術によって微妙な音色や演奏の再現が可能になったことが背景としてある▼11。
(5)メディアミックスによるアイドル現象――八〇年代はアイドル復権の時代といわれる。いわゆる「八二年組」のアイドルたち、「おニャン子クラブ」、ジャニーズ系アイドル集団など。かれらは歌手としてだけでなくミスコンやテレビドラマあるいはバラエティ番組・映画など複合的なメディアミックスによって成功した。そして重要なことだが、その過程のなかでアイドルはもはや歌手である必要がなくなってしまった。とりわけ「おニャン子クラブ」は、大量のアイドルを送りだしただけでなく、ヒットチャートを形骸化させ、フジテレビ以外の局への出演拒否と賞レース辞退によって各種歌謡番組と音楽祭を完全に権威失墜させた点で特筆すべき存在になった▼12。
(6)企業の文化戦略としての音楽――従来、新聞社の専売特許だった文化事業も近年になって「メセナ」(mecenat)として企業にもその重要性が認識されつつあるが、音楽については、サントリーホールや東急ブンカムラのように本格的なコンサートホールをつくったり、企業の名前を付したいわゆる「冠コンサート」、財団による振興事業などの形態がある。とくに音楽イベントはスポーツ・イベントとならんで、その広告効果が大きく、八○年代「冠」でない外タレコンサートを探すのに苦労するくらいだ。これは音楽イベントがねらった層にねらったタイミングで的確にアピールできる特質をもっているからである▼13。
さて、音楽化する社会の基本条件として吉井篤子は「先端技術とコマーシャリズムと感性」の三つをあげている▼14。三つの要素がいわば三位一体となって今日の音楽化社会を構成しているということだ。今世紀初頭ウェーバーの指摘した合理化の潮流は非合理的な感性を突出させながら、なおも進展しているように思われる。
▼1 テープ録音技術とステレオについては、細川周平、前掲書八六-一〇七ページ。グールドについてはかれ自身がいくつも文章を書いているが、その音楽史的評価については、渡辺裕、前掲書一三七-一四六ページ。グールドのメディア論は、つぎの本にまとめられている。ティム・ペイジ編、野水瑞穂訳『グレン・グールド著作集2パフォーマンスとメディア』(みすず書房一九九〇年)。とくに「レコーディングの将来」を参照されたい。
▼2 「青年文化」とも訳される。
▼3 稲増龍夫『アイドル工学』(筑摩書房一九八九年)七一ー七三ページによる。
▼4 小川博司『音楽する社会』(勁草書房一九八八年)三六ページ以下。
▼5 前掲書「2サウンド志向」。
▼6 以上、小川博司、前掲書による。
▼7 このふたつについてのくわしい分析として、細川周平『ウォータマンの修辞学』(朝日出版社一九八一年)。また、渡辺潤『メディアのミクロ社会学』(筑摩書房一九八九年)「2オーディオ・メカのミクロコスモス」。
▼8 桧山陸郎『楽器産業』(音楽之友社一九九〇年)二〇五ページ。
▼9 吉井篤子「現代人の音楽生活」林進・小川博司・吉井篤子『消費社会の広告と音楽――イメージ志向の感性文化』(有斐閣一九八四年)一六八-一七三ぺージ。
▼10 小川博司「イメージソング現象の分析」前掲書六〇ページ。なお、この本の「I広告音楽の展開」のなかで小川博司は広告音楽の歴史と分析について詳細に論じている。
▼11 長木征二「あなたはブーニンを覚えていますか?」『エイティーズ[八○年代全検証]――いま、何がおきているか』(河出書房新社一九九〇年)参照。くわしくは、渡辺裕、前掲書一七六ページ以下参照。
▼12 以上、高護・榊ひろと「おめでとう、さようなら」前掲書による。なお、アイドル現象については、稲増龍夫、前掲書と小川博司、前掲書が社会学的にくわしく分析している。
▼13 吉井篤子「企業の文化戦略としての音楽」林進・小川博司・吉井篤子、前掲書一八七-二二四ページ。
▼14 吉井篤子「現代人の音楽生活」前掲書一七七ページ。
増補
音楽社会学入門
文化研究が社会学の研究対象に浮上して久しい。けれども、マスコミ論や若者論の本をのぞくと、八〇年代までの社会学教科書で音楽に一章をさいたものはほとんどないはずである。しかし、現代文化を考える上で音楽を議論に乗せることはむしろふつうのことになっている。日本の社会学(者)がそれを不得意にしてきただけなのだ。
その意味では、長らく音楽社会学についてのやさしい入門書が待たれていた。九〇年代になってようやく、北川純子『音のうち・そと』(勁草書房一九九三年)が登場して、音楽社会学にも「最初に読んでほしい本」ができた。短いものだが、音楽社会学の歴史と理論が整理されている。この中で北川は、ハワード・ベッカー『アウトサイダーズ』村上直之訳(新泉社一九七八年)を音楽家集団の研究例として指摘しているが、なるほどこれも音楽社会学の研究対象である。それなら、D・サドナウ『鍵盤を駆ける手――社会学者による現象学的ジャズ・ピアノ入門』徳丸吉彦・村田公一・卜田隆嗣訳(新曜社一九九三年)も音楽社会学への重要な貢献といえよう。
本編の音楽文化論で私が構成の枠組みとして準拠した渡辺裕の聴衆論は、その後、増補版がでている[渡辺裕『聴衆の誕生――ポスト・モダン時代の音楽文化【新装増補】』(春秋社一九九六年)]。渡辺は最近、これまで音楽で使われてきた「機械」に着目して、渡辺裕『音楽機械劇場』(新書館一九九七年)を書いている。これは音楽メディアの社会史ともいうべきジャンルの存在を示唆するものであり、メディアをあえて「機械」と呼んでいるように、それらの多くは今日の視点から見るとあまり「あたりまえのメディア」らしくないのである。この分野の社会史的アプローチの可能性を感じさせる。
クラシック系にくらべてポップ系は研究伝統も浅く、オタク的な「好きもの分析」や評論はそこそこできても、社会学的な分析となると相当むずかしいように思う。未開拓のテーマや手法も多い。三井徹編訳『ポピュラー音楽の研究』(音楽之友社一九九〇年)は、高水準の研究に何が必要かを示唆してくれるアンソロジー。音楽学という括りの本だが、内容的には社会学への言及が随所に見られ、音楽社会学へ向かわざるをえない素材であることを感じさせる。
九〇年代日本の音楽状況
日本の音楽状況については、第一人者の小川博司が『メディア時代の音楽と社会』(音楽之友社一九九三年)を書いている。これは『音楽する社会』の続編で、八〇年代末から九〇年代初頭の音楽状況についての論考がおさめられている。
ポップ系では、宮台真司ほか『ポップ・コミュニケーション全書――カルトからカラオケまでニッポン「新」現象を解明する』(PARCO出版一九九二年)に、カラオケなどの研究がある。宮台真司・石原英樹・大塚明子『サブカルチャー神話解体――少女・音楽・マンガ・性の30年とコミュニケーションの現在』(パルコ出版一九九三年)の「音楽コミュニケーションの現在」の章にも詳細な調査に基づいた議論がある。ただし文化的蓄積のない若い世代には難解だろう。
八〇年代の音楽は、ヘッドフォンステレオやカラオケがハイファイ・オーディオの延長からではなく自動車文化の流れから出て一世を風靡したのを典型として、概して非音楽的要因が音楽文化を左右した。イメージソングによって非音楽系企業が音楽のメインストリームを構築したり、冠コンサートのように音楽活動をバックアップしたりするのも同様の傾向だったといえよう。
音楽文化の動きが「音楽の論理」なり「音楽の生理」によって動くのでなく、それ以外の外在的な要素によって動くというこの現代的傾向は、九〇年代になっても続いている。いや、むしろ加速しているといった方がいいかもしれない。
たとえば、CDミリオンセラー続出の新傾向がある。一九九一年に二曲の三百万枚突破シングルが出現して、一九九四年にはミリオンセラーが一気に十九曲も出現する。これはそれまでなかったことであり、しかも、かつてミリオンセラーともなれば社会現象になったのと対照的に、九〇年代は中高年がその曲やアーチストをほとんど知らないうちにミリオンセラーになり消えていく。つまり、若い層「だけに」集中してヒットしたのである。注目すべきは、そのほとんどの曲がテレビ局とのタイアップだったことだ。高度なマーケティング技術に基づいて企画され、テレビを主軸にキャンペーンされた音楽。このタイアップ依存は、音楽番組ですらなくテレビドラマという非音楽メディアが引っ張る形になっている。八〇年代はあきらかに音楽嗜好の多様化が見られたのに、九〇年代は逆に収縮しているというほかない。
それにしても、映像主体のキャンペーンがこれだけ功を奏するとなると、ターゲットにされている今の若者が「ほんとうに音楽が好きなのか」と疑問をもたざるをえない。携帯電話やPHSの普及によってカラオケやCDの売れ行きが落ちたというごく最近の傾向も考えあわせると、要するに「仲間」を自分につなぎ止める手段として音楽が利用されたにすぎないのではないかといえそうである。しかし、それを批判的に見る考え方自体もまた、音楽に対する態度のひとつにしかすぎないのであろう。
Prev←■→Next
現在地 ソキウス(トップ)>社会学感覚
SOCIUS.JPドメインへの初出 10/2(Thu), 2003  最終更新日:4/1(Sat), 2017
このページのURLは http:///Users/nomurakazuo/Dropbox/socius.jp/lec/18.html
Copyright (C)1995-2015 by Kazuo Nomura(野村一夫) 無断転載はご遠慮ください。リンクはご自由に。
Valid XHTML 1.0!Document type: XHTML 1.0 Transitional
閲覧日 4/1(Sat), 2017

Read More

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。