レポートにせよ、ゼミ論にせよ、卒論にせよ、学生の書くものはたいていパッチワークになります。コピペとまでは言えなくても、結局、どこかに書いてあることをつぎはぎしているだけのことがとても多いですね。学生時代はそれで十分勉強になると思うのですが、たとえば「好きなことを自由にやってごらん」という課題を出しても、自分の文章はごくごくわずかです。たいてい、そこで突如、文体も変わります。学生が自分の言葉でオリジナルに調べて考えたことの方が価値があると私は考えていますが、なかなかそうはなりません。それをいかに打破するか。ずっと考えてきたのです。自分のことだと雄弁に書くので文章表現力がないわけではありません。
そこでこれまでの指導法をどんと進めて、自前の理論を作らせてみようと目論んでいます。データ密着型の領域限定的な理論。ちんまいテーマでいいから、そこにある言葉や観察できる物事を収集して、それに密着する形で、そこにだけは通用する説明を作ってもらおうかと思います。気がつけば、グラウンデッド・セオリーはそういうものでした。で、読み直しているのです。というか、ずいぶん文献が増えていてびっくりしました。質的研究法とのからみもあり、うちのゼミは「トランスメディア環境」をテーマにしていることもあり、各人テーマはばらばらでも一斉に同じ手順を踏みながらデータ収集をし、しかるべき手順に沿って自前の理論を作っていくことができないものか。これができれば、あちこちの引き写しのブリコラージュを読まなくてもすみますし、学生にとっても大きなチカラになると思います。それをオンデマンドで本にまでできればサイコーでしょう。それを今考えているところ。