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これからは縮み志向で行こう!

井の頭線セッション。途中ゼミがあったとは言え、今日は11時間半も研究室とその周辺にいたことになるのか。ちょっと前には考えられないことである。朝っぱら以外はずっと学生たちとけっこうマジメな話をしていた。でもって、自分が話したことに自分が影響を受けるということはままあることだと思うが、それをまとめておく。

1 これからは縮み志向で行こう。終活とか言って長年馴染んだものを手放しているのだから、既にそれは縮み志向なのだ。ここ7年ぐらいの過度の拡張主義は、その前の10年の空白を埋めるための切迫したものだった。もうそろそろ着地しよう。今日は、ぼんやり着地点が見えた気がする。あとはちゃんと言葉にしておくことだ。

着陸態勢に入るのであれば、途中で空中分解しないように十分に縮んでおく必要がある。

2 学生院生の個人指導には時間を惜しまない。しかし共通のイシューについては事前に集団として指導をおこない、次の世代に正確に引き継げるように工夫する。仕組みを作る。マニュアル化しておく。プロセスと志を含めて確認できるよう、すべてを記録しておく。「原宿ナウマン象の記憶」としてすでに書いたことを実行する。

3 講義のメタフォーマットはできたので、コンテンツ更新のルールを決めておく。引き続きソキウスを動態化する。残る論点は100人単位の学生との相互作用をどのようにデザインするかということ。スマートフォンによる応用問題の取り組みは今回できたと思うが、現状たりないのはタイムラインである。また、私が軸になる扇型ネットワークのままでは当然破綻するので、学生間の複層的な相互作用をクラウド上で可視化できるようにしたい。アシスタントもしくはコアとなる学生がいればできそうだが、事後対応を含めて自分ひとりで数百人の応答を管理できるような仕組みでなければ1年前からの予算化が必要となる。この労力は教職員との交渉なしには報われないので今後はできれば省きたい。

4 研究モードと教育モードを知識過程論で一体化させる。これはここ数年やってきた通り。しかしアクションリサーチは今年度限りとする。これ以上のことを自分ができるとは思えない。教育に関する仕組みについては「表現プラットフォーム」として定着させる。日常の仕事としてこの活動は退職まで続けるが、規模拡大と制度化については私の任ではない。社会学出身の私はよもやセカイ系ではないので、その程度のことはもともとわかっている。

5 どのように書くか。これまで単著はすべて書き下ろしで9冊出してきた。もう十分なので、商業ベースの出版からはリタイヤしたい。というか、このまま静かに作業を進めればいい話だ。印刷製本された書籍形式であれば、もう自分で作れてしまうことがわかった以上、アナログ形式での流通のことは考えたくない。できれば学術的にオーサライズされているといいが、なぜか研究学会にはそういう仕組みがない。しかし大学にはある。他方、デジタル形式ではウェブ上のどこかにあればいい。運用的には、自分のプラットフォームと、グローバルなプラットフォームとに二重にアーカイブしておけばいい。

6 革マルの非公然活動はこれまでの経緯から考えてまだまだ続くと思う。ここ数年、自分自身で公然化してきたので、これからも記録をして限定公開していく。私の言うことが信じられないのは、知りたくないという防衛意識のせいだと思うので、そういう人は私も当てにしないことにする。大学人もたいていはこの種の凡人であることは当初からよくわかっている。もうとっくの昔に戦闘的知識人と呼ばれるような人は絶滅しているとも思う。

7 縮み志向にするが、撤退するのではない。着地するのだ。